白い犬   作:一条 秋

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70 少しでも一緒に

 しばらく歩いて法子の寮に着くと、綾は部屋に消え、光秋はドアの横の壁に背中を預けて外で待つ。

 5分程してドアが開くと、青いコートの下に黄色いシャツと膝に届くくらいの白いスカート、黒いハイソックスを着た法子が出てくる。

「お待たせ」

「いえ。じゃあ行きますか。どっか行きたいとこあります?」

「そうだなぁ……」

 言いながら、2人は階段を降りて寮を出る。

「光秋くんの寮の近くにデパートあったよね。そこ行ってみよっか」

「デパートでいいんですか?」

「突然『どこ行きたい?』って訊かれても困るし、いろいろ見て回るのも面白そうだしね。お昼もそこのお店で食べればいいでしょ」

「……言われてみれば。あ、そうだ」

 法子に気にしていたことを言われて苦い顔をしたのも一瞬、デパートと聞いて光秋はあることを思い出す。。

「デパート行くなら、もう一回僕の部屋に寄らせてください。ちょうどあそこの旅行会社で東京行きの切符買おうと思ってたんで、路線のメモ取ってきたくて」

「電車で行くの……てそうか。仕事の都合とはいえ、引っ越しの移動でいちいちニコイチは使えないか」

「業者との足並みとか、いろいろ都合もありますからね」

「わかった。じゃあ光秋くんち経由でね」

「お願いします」

 頭を下げると同時に路地を抜けて表通りに出ると、光秋は法子を先導する様に僅かに雪が残る歩道を進んでいく。

 

 光秋の自室を経由し、しばらく歩いてデパートに入ると、一行はそこに店舗を出している旅行会社へ向かう。

 光秋が事前に調べた路線のメモに従って切符を発券してもらい、それを領収書と合わせて受け取ると、店を出た光秋はそれらをズボンのポケットに仕舞う。

「これで足の準備はよし……と」

 少しぎこちなく呟いたのも一瞬、おもむろに近くのエスカレーターに乗りながら努めて楽しそうな表情を浮かべた光秋は、1つ上の段に乗った法子に問う。

「で、どこから見ます?」

「そうだな。私こっちのデパートあんまり利用しないから……とりあえずテキトーに見てみよう」

 振り返りながら法子は応じ、2階に着くと2人並んで前に進む。

 土曜日ということもあってか店内はそれなりに混んでおり、すぐに光秋が後ろに回って縦に並ぶ。

「法子さんすみません。肩貸してもらっていいですか?掴んでないとはぐれそうで怖くて」

「肩?」

「家族と人混みに行った時はだいたいそうするんです」

「それなら、ほら」

 光秋に頼みに応じると、法子は右手を差し出してくる。

「手の方がいいよ。私の方からも握ってた方がはぐれないだろうし」

「いや、肩でいいんですけど……」

「私が安心したいの。ほら」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 半ば遠慮がちに応じると、光秋は左手を伸ばして法子の右手を握る。

「……よく考えたら、途中の移動もこうすればよかったね」

「え?」

「なんでもない」

 よその話し声や放送で流れる音楽に混ざって法子が何か言った気がしたが、結局確かめることはできなかった。

 その代わりの様に、法子は握る手にやや力を込め、光秋を引っ張る様に店の中を巡っていく。

 

 手を繋いだまま店内を巡り、何を買うわけでもなく辺りを見て回ってしばらくすると、光秋は携帯電話を開いて時刻を確認する。

「11時半……ちょっと早いですけど、昼にします?」

「だね。歩いたらお腹空いたし。どこにする?」

「んー……」

 法子の問いに、光秋は少し考えてある店を浮かべる。

「あそこ行きましょうよ。ほら、僕がこっちに来てすぐに藤原隊のみんなで行ったお好み焼き屋」

「あそこ?」

「けっこう美味かったけど、あれ以来行ってなかったから。せっかくだから行きましょうよ」

「……ま、美味しいのは確かだしね。じゃあ、いったんデパート出よっか」

 応じるや法子は光秋を引き連れて最寄りのエスカレーターへ向かい、1階に降りてデパートを出る。

 表通りを少し歩くと、光秋にとっては約10カ月ぶりとなるお好み焼き屋の戸を開ける。

 昼が近いこともあって半分程埋まっている店内で、座敷に案内された2人は鉄板を埋め込まれたテーブルを挟んで腰を下ろす。

「……せっかくだから一通り頼んでみますか。いろいろ食べてみたいし」

「いいかもね。じゃあ呼ぶよ」

 メニューを見ながら提案する光秋に応じると、法子は店員を呼んでお好み焼きの具材一通りとウーロン茶2つを注文する。

「……こうやって鉄板眺めてると、あの日のこと思い出しますね。確か食堂が壊れて支部じゃ食事ができなかったんだっけ」

「そうだったね……そういえば、光秋くんがESOに入るって決めたのもその日だったよね」

「確か。まさかあれから1年せずに異動、しかもこんなややこしいことになるなんて、あの頃は想像もできませんでしたね」

「それと、その日藤原三佐の付き添いで今の寮に初めて行ったんだよね。で、今日はそこから出ていくための準備をした、か…………なんか、皮肉なめぐり合わせだな」

「……」

 心なしか暗い顔で呟く法子に、光秋は返事に困って押し黙ってしまう。

 しかし、そのすぐ後に注文の品々が運ばれてくると、2人は気持ちを切り替えて小麦粉とよく混ざった具材の数々をよく温まった鉄板の上に敷いていく。

 少ししてひっくり返す頃になると、不慣れな手付きで一部崩してしまった光秋に対し、法子は見事な一回転を披露して綺麗に返してみせる。それを見て光秋は、思わず称賛の拍手を送る。

 中まで焼き上がるとソースとマヨネーズをかけて青のりを塗し、手頃な大きさに切り分けたそれを互いに取り皿に盛っていく。

「じゃあ、早速」

「うん」

 互いに顔を見合わせると、2人は自分のグラスを取り、

「「カンパーイ!」」

軽く触れさせ合って小気味いい音を響かせると、中のウーロン茶を一口飲む。

 そうしてお好み焼きを食べ始め、生地の程よい柔らかさと野菜や肉のほどほどの歯応えが混ざった独特の食感と、ソースやマヨネーズによって引き立てられた味を堪能していると、法子が綾と交代する。

「綾?どうした急に」

「さっきから法子とばっか楽しんでるんだもん。『一口食べたんだからいいよね?』って言って代わってもらった」

 食べながら質問する光秋に、綾は頬を膨らませてそっぽを向いて答える。

「あぁ……ごめんごめん。法子さんと一緒に回るのでいっぱいいっぱいで、気が回らなかったよ……回るだけに」

「寒いよ」

「どうも……」

 手厳しい返答に苦笑いを浮かべながら、光秋は綾の皿に豚肉入りのお好み焼きを一切れよそう。

「いいけどさ……これからはあたしと回ってね。あたしだって、少しでもアキと一緒にいたいんだから」

「わかってるよ。とりあえず今は食べよ。そういえば綾、お好み焼きは初めてじゃなかったか?どうだ?」

「法子が一口食べたから味はわかったけど……自分で食べてみるとやっぱり美味しい!」

「そりゃよかった。まだたくさんあるんだ。どんどん食べよう」

 一切れ頬張ってようやく笑顔を浮かべる綾に安堵しながら、光秋は空いた鉄板の上に再び具材を敷いていく。

 

 食事を終え、2人そろって手を合わせると、光秋と綾は膨れた腹を抱える様に会計へ向かう。

―さて、ここは僕が出すべきか?でも法子さんがまたなにか……いや、今は“綾”なんだから、別にいいよな―

 筋が通っているのかいないのかいまいち判らない理屈を考えながら財布を取り出すと、光秋は伝票を差し出して2人分の支払いを済ませ、左腕に抱き着く綾と共に店を出る。

「で?何処に行きたい?」

「うーん…………法子とはデパート回ったんだよね?」

「あぁ」

「ならあたしもそこに行きたい」

「同じ場所か?」

「嫌?」

「嫌じゃないが……まぁ、お前さんに合わせるからな。じゃあ行くか」

 行き先を決めるや2人は歩き出し、再びデパートに入る。

―にしても、綾とデパートなんて初めてだよなぁ……あ、京都駅の構内商店には行ったか。何処に行けばいいか……―

「ねぇ」

「ん?」

 光秋の黙考を遮る様に綾は声を掛けると、自分の髪を束ねているシュシュを指さす。

「法子のこれ、ここで買ったの?」

「シュシュ?あぁ。ここの服屋で」

「そうなんだ……」

 返事を聞くと、綾はほんの少しだけ険のある表情を浮かべる。

「……その服屋行ってみるか?なんだったらなにか買い物でもしていくか」

「いいの?」

 話を受けて思い付いた光秋の提案に、綾は意外そうに応じる。

「せっかく来たんだしな。それとも、他に行きたい所があるか?」

「うんうん!そこがいい!」

「じゃあ行くか。確かこっちだったよな……」

 さっきまでの険は何処へやら。首を振って喜々として応じる綾を連れて、光秋は近くのエスカレーターへ向かう。

 

 3階まで上がり、地図で位置を確認して少し歩くと、光秋と綾は目的の服屋に入る。2カ月前、光秋が法子の誕生日プレゼントを買いに訪れたあの店だ。

「ここだけの話、初めて行った時は緊張したよ。女物のコーナーを男一人が見て回るのはどうにも気恥ずかしいからな。今回はお前さんがいるからその心配はないけど」

「そうなんだ……じゃあ、思いっ切り!」

 初来店した時のほろ苦い思い出を語ると、尻尾があれば千切れんばかりに振っているであろう綾に引っ張られる様に店の奥へ進む。

 女物の服のコーナーを歩いていると、不意に綾は足を止め、合わせて止まった光秋は視線を追って近くのマネキンを見る。

 それには薄黄色のセーターと白いパーカー、水色のチェック柄のロングスカートが着せられており、綾はスカートを注視しているようだ。

「あれがどうかしたか?」

「……夏は、あぁいう格好よくしてたなって思って」

「暑いからな。風通しがいい方が過ごしやすいし」

「そういうのとはちょっと違うんだけど……」

 ファッションへの疎さをあからさまに表す光秋の発言に、綾は呆れた顔を浮かべる。

「そういうんじゃなくってさ…………アキ、あたしがあぁいう服着てる時嬉しそうだったなぁって」

「まぁ、似合ってたからな」

「でも、あの時の服はみんな……」

「あぁ……」

 綾の言いたいことを察して、光秋は返事に困ってしまう。

―綾の所持品は全部、戸松教授が持ってっちまったからな。頼めば返してくれるかな……?そういや、教授に綾のこと報告してなかったな。今度電話しておくか……いや、今はそれより……―

 一瞬浮かんだ戸松の髭の顔を隅に押しやると、光秋は沈みがちな顔を浮かべている綾を見やる。

「買っていくか?」

「……いいの?」

 唐突な提案に、綾は確かめる様に首を傾げる。

「もともと買い物も視野に入れてたからな。このマネキンのにするか?」

「うーん……ちょっと選ばせて」

「どうぞ」

「……アキも選んでよ」

「僕が?」

 綾の頼みに若干狼狽えながらも、光秋は周囲の棚を見回し、2人でロングスカートの吟味を行う。

 少しして、光秋はおもむろに目に付いた一着を取って綾に見せる、

「……これなんてどうかな?」

ハンガーに吊るされているそれは、赤を基調としつつ所々に白いフリルをあしらった足首まで届く程のロングスカートだ。

「なんかこれ……法子のシュシュと似てるような……」

「確かにな。シュシュの方は白に赤いフリルが着いてて、こっちは赤に白いフリルが着いてて、ちょうど対照的だ」

 綾の指摘に、光秋はシュシュとスカートを見比べながら応じる。

「で、どうかね……やっぱ変かな?」

「うんうん。アキが選んでくれたんだもん。これにしようかな……あ、でもちょっと試着してくる」

「それがいい」

 不安を浮かべる光秋に首を振って応じると、綾はスカートを持って近くの試着室に入る。

 光秋も後を追ってカーテンの閉まった試着室の脇に佇み、待つことしばし。

「思ったよりいいかも!見て見て!」

 飛び跳ねんばかりのはしゃぎ声と共に綾はカーテンを開け、白フリルの赤いロングスカートに履き替えた姿を見せる。

―これはまた……予想以上だな!―

 直感的に似合うと踏んで勧めた一品と綾自身、その思った以上の相性のよさに、光秋は心の中で喝采の声を上げる。

「いいんじゃないか?気に入ったんなら早速レジに行こう。着替えて」

「うん」

 光秋の返答に深く頷くと、綾はボタンを外してスカートを下ろす。

「てっ!?カーテン!カーテン!」

「あっ!」

 驚愕しながら光秋は慌てて開け放たれたままのカーテンを閉め、閉まり切る直前、目を丸くした綾の顔を見る。

「……」

 思わず大きな声を上げてしまった所為か、他の客や店員が自分とその後ろの試着室に注目しているような感覚を覚えるが、光秋はそうした痛い視線を無視するように努め、試着室に背を向けて綾が出てくるのを大人しく待つ。

 ややあってカーテンの開く音が聞こえて振り返ると、羞恥からか、心なしか小さくなった綾がハンガーに掛けた赤いスカートを持って出てくる。

「お待たせ……早く行こ」

「だな」

 周りの目を気にする様に小声でやり取りを交わすと、2人は速足でレジへ向かい、気まずい思いを抱きながら会計を済ませて逃げる様に店から出る。

「まったく……びっくりしたぞ……」

「ごめん……」

 スカートの入った袋片手に左腕に抱き着く綾に軽く愚痴りながら、ほんの一瞬だがはっきり捉えてしまった健康的な褐色の太腿、そしてそれに強調されて余計に映えて見えた白い下着が光秋の脳裏を過り、それらは夏の同居の初期を思い出させる。

―そういや、一緒になってからすぐは背中も見ちゃったんだよな……『羞恥心も覚え直し』なんて思ってたのが今やここまで来たが……まだまだ油断できんな―

「……アキ、あたしの失礼なこと考えてるでしょ?」

「勝手に人の心を読むな。友達なくすぞ」

「て言われても、あたしアキ以外に『友達』っていえる人いないし。それにわざとじゃなくて、なんとなくわかる時があるんだよ」

「そうだっけな?」

 口を尖らせる綾に応じると、光秋は服屋から充分離れたことを確認し、綾を連れて端に寄って立ち止まり、携帯電話の時計を確認する。

「2時半か。まだ大分時間あるが、次何処行く?」

「そうだなぁ……」

 光秋の質問に、綾は天井を見上げながら考える。

 それを追う様に光秋も天井を見上げて思案していると、不意にある場所が浮かぶ。

「……そういや、ここの本屋けっこう品揃え豊富だったよな……そこ行ってみるか?お前さん本好きだし」

「本屋さん?……いいね!行こ!」

「ならこっちだな」

 返答を聞くと、光秋は綾を連れて最寄りのエスカレーターを上る。

 

 エスカレーターを降り、少し歩いて本屋が見えてくると、光秋は思わず胸躍っていることを自覚する。

―そういえば、本屋来るのも久しぶりだなぁ。このところドタバタして行けなかったからな……それに―

 左隣に目を向けると、口元を緩ませた綾が今にも駆け出したい気持ちを堪えている姿がある。

「お前さん、本屋初めてだったよな。やっぱり興奮するか?」

「うん!本があんなにいっぱい……!好きなの読んでいいんだよね?」

「立ち読みはほどほどにな。ちょっと中身を確認するくらいならいいが。気に入った物があれば買ってゆっくり読めばいいさ。僕もそのつもりだし」

 はしゃぎ気味な綾との会話を交わしつつ店に入ると、光秋はいったん別れて気の向くままに小説のコーナーを徘徊する。

 辺りを見回し、目に留まった本を取って裏表紙に書かれているあらすじを読み、冒頭部分を軽く読んで元の位置に戻す。それを何度か繰り返し、買いたい本を選んでいく。

 そうして半ば無意識に進んでいると、不意に思想書のコーナーにいることに気付く。

―こういう所も何故か来ちゃうよな……ん?……『基礎から学べる哲学入門書』?―

 そんな題名の本が偶然目に入り、好奇心から手に取ってまえがきを流し読みしてみる。

―……いろんな先生の思想を噛み砕いて説明してくれるのか。面白そうだな―

目次に書かれている多彩な内容に、はっきりと購買意欲が刺激される。

―……入門書か……本当なら、こういうの勉強してたんだよな…………まぁ、その話はいいや。せっかくだしこれ買ってこ―

 一瞬沈みそうになった気持ちをすぐに持ち直し、その本を脇に抱えて思想書のコーナーを後にする。

 少し歩いた所で携帯電話を出して時刻を確認すると、4時を回っている。

―けっこういたな。さて、綾はどうしたかな?―

 そう思って周りを見回したその時、

「アキ!」

「!噂をすれば」

見計らったかの様に掛けられた声に光秋は顔を向けると、文庫本を1冊、辞書程の厚さの本を1冊持った綾が歩み寄ってくる。

「……その厚い本どうした?」

 その本のあまりの存在感に、光秋は思わず訊いてしまう。

「これ?あたしのやりたいことに必要かなぁと思って」

 そう言って綾が見せてくれた表紙には、『これからの平和の話をしよう』という題が書かれている。

「あぁ、思想書な。そういや法子さんの家でそんな話したっけ……で、もう1冊の方は?」

 伊部家での一件を思い出して納得しつつ、光秋は文庫本についても訊ねる。

「これはねぇ……」

 言いながら、綾が再び本の表紙を見せる。

「『ハツコイ』?……これって確か、この間映画化されたってテレビで……」

「そうなの?」

「いやぁ、僕もCMちらっと観ただけだから、別のと勘違いしてるかもしれないけど」

「ふーん?あたしは、単に面白そうと思って選んだんだけど……アキは?」

「ん?僕はこれを。僕もちょっとは勉強しなきゃなと思って」

 言いながら、光秋も綾に倣って表紙を見せる。

「入門書?」

「そ。もともとこういうのに興味があったからな。それで全部なら、会計済ませちゃうか。それともまだ見てるか?」

「うーん……今日はこれくらいでいいかな」

「じゃあ、レジ行こう」

 言うと光秋はレジへ向かい、綾もその左隣に並んでついていく。重い本を両手で抱えていて腕が組めないため、逸れないように歩調を合わせ、光秋もそんな綾を察して心なしかゆっくり進む。

 購入した本3冊が入った袋を右手に持つと、光秋は左腕に綾を伴って店を出、袋を一見して苦笑いを浮かべる。

―ハハ、結構使っちゃったな……さて、今は……―

 気を取り直して一度綾に離してもらった左手で携帯電話を開くと、4時10分を差している。

「4時……まだどっか行きたいとこあるか?」

「うーん……」

「流石に夕飯には早過ぎるし、今から遠出するには遅過ぎる。どうも中途半端な時間だなぁ……いったん寮に戻るか。買った物も置いてきたいし」

「そうだね。脚もちょっと疲れた」

 自分たちの持っている袋を見ながらの光秋の提案に、綾が脚を見やりながら応じると、2人は最寄りのエスカレーターに乗って1階まで降り、そのままデパートを出て光秋の寮へ向かう。

「……あ。夕飯の買い物してくればよかったなぁ」

「僕もそう思ったがさ、よく考えたら食器類はもう仕舞っちゃったし、夜も外で食べればいいだろう。その方が2人共ゆっくりできるし」

「……そういうのとまた違うんだけどなぁ」

「?」

 無理解に憤りを覚える様な顔をする綾に、光秋はただ首を傾げる。

 

 少し歩いて寮の自室に戻ると、光秋はベッドの下からコタツを引き出して電源を入れ、エアコンを点けて部屋を暖める。

 ズボンに仕舞っていた切符と領収書を机の上に置くと、光秋は着ていたコートを壁のフックに吊るしてあるハンガーに、綾は部屋の隅の椅子の背もたれに掛け、それぞれコタツに足を入れて温まる。

「はぁー……さっきお前さんも言ってたけど、やっぱ歩きっぱなしだったからなぁ。脚疲れたなぁ」

「だねぇ……外寒かったし……コタツあったかぁい……」

互いに間延びした語調で言葉を交わしながら、外の冷気で知らぬ間に力んでいた体中の力を抜いて、コタツと暖房の温かさを堪能する。

 しばらくすると、玄関を背にして座っていた光秋は部屋の隅に置いていた本屋の袋にコタツから出した手を伸ばし、それをコタツの上に置いて中から自分用に買った入門書を抜き出す。

「忘れるところだった。あと2冊、そのまま持っていくといい」

「うん」

若干前屈みになって左前に座る綾に袋を差し出しながら言うと、再び手をコタツに入れて温まる。

「…………」

「…………」

―…………会話が途絶えたな―

 しばらく続いた沈黙に耐えかねて辺りを見回すと、光秋の目にテレビが止まる。

―……4時45分か……―「テレビでも観るか?土曜の夕方だからそんなに面白そうなのはやってないと思うけど……」

 机の上の時計を確認しながら問いつつ、光秋はコタツを出てテレビの許に歩み寄り、電源を入れてリモコンを持って戻る。

「リモコン貸して。テキトーに観てみる」

「ん……そういや、お前さんがテレビ観るなんて初めてのことじゃないか?夏に住んでた家にはなかったし」

「そういえばそうだね。法子に教えてもらって、こういうのがあることは知ってたけど……実際に観るのは初めてかも」

「知識はあっても実物に触れるのは初めてってやつか……」

 不意に思い出したことを言い合いながら、2人は綾がテキトーに合わせたチャンネルの番組を呆然と眺める。

 

 少しして時刻は5時を回り、合わせていたチャンネルはニュース番組を流し始める。

 1週間の出来事をまとめて報じるその番組は、真っ先に5日前の祝賀パーティー襲撃事件とZC総裁・物部の演説を映し出し、それに続いてこの一件に触発されたと思しき過激な超能力者とNP戦闘員たちの世界各地での小規模の衝突、それを止めようとする警察やESO実戦部隊の様子が報じられる。

 それを観て、それまで弛緩していた光秋の意識が少しだけ張り詰める。

―あの後も新聞でちらほら見掛けてはいたが……やっぱり、あの事件がノーマルと超能力者の関係を刺激したのは確かなんだよな―

 と、こちらも緩んでいた表情から若干緊張した顔に変わった綾が、画面に映る映像とスピーカーから響く銃声や爆音から逃れる様に光秋の方に身を寄せてくる。

「また、この間みたいなことが起こるのかな?」

「……少なくとも、あれだけで終わらせる気のない人はたくさんいるみたいだな……怖いか?」

 若干言葉に迷いつつも応じた光秋は、綾の顔色や声から少しだけ怯えを感じ、試しに訊いてみる。

「そりゃ怖いよ。またこの前みたいに怪我したりする人が出るんだよ。それがあたしやアキになるかもって考えたら……」

「そりゃそうだな。僕なんかはこういうことに対処するのが仕事だから、そういう目に遭う可能性は高いかも……」―こういう時期に特エスの主任なんかに就かされるってことは、NPやZC……否、一般の超能力者とノーマルの衝突にさえ遭遇する機会も、当然増えるんだろうな……―

 応じつつ、光秋は自分が置かれている状況を改めて理解し、先に待っているであろう苦難を想像して憂鬱になる。

「……去年の今頃までは、こんなことが遠い世界にいたはずなんだけどなぁ……」

「それは、アキもともとこの世界の人じゃないし……」

「いや、そういうことじゃなくてさ……こういう『紛争』……いや、これくらいならまだ『事件』か?……とにかくあんな流血沙汰から離れた所で生きていた僕が、今はそういう事態に進んで関わって、あまつさえ収めるのが仕事って考えると、なんか不思議でさ。もちろん、ただの高校生が流血沙汰に関わるようなことなんてない方がいいんだろうし、ESOに入るって決めた時にある程度覚悟……といっていいかは迷うところだけど……とにかく気持ちは決めたつもりだったから、当然の流れといったらそうなんだろうが」

 綾に訂正を入れつつ、光秋は映像を観ながら現状への感慨を呟く。

「……もっとも、僕の“すべきこと”――“やりたいこと”に変更はない。こうした事件を一つでも収め、傷付く人を一人でも減らす。そうして、少しずつでも今ここにある様なものを広げていく。そのためにも、目の前にあることを一つ一つこなしていく。それだけだ」

「うん」

 続く意志表明に、綾は静かに頷いてくれる。

―……ただ、京都を離れると奥さんの頼みが――法子さんを守るって約束が果たせなくなるんだよなぁ……その辺どうするか……―

 一通り言いたいことを言ってすっきりしながらも、最後に残った伊部母の頼みだけが喉に引っ掛かり、光秋は少しだけ頭を抱えてテレビに視線を戻す。

 

 ぼんやりとテレビを眺めてしばらく。

 不意に光秋は机の上の時計を見やり、現時刻を確認する。

「5時50分か……そろそろ夕飯にするか?」

「もうそんな時間?そういえば、大分暗くなってきたね」

 テレビに見入っていて時間を忘れていたのか、綾は先程光秋が閉めたカーテンの合間から覗くすっかり暗くなった空を見る。

「食べに行くんだよな。何処がいい?」

「あそこ。アキが風邪ひいた時に法子と行ったとこがいい」

「あそこか。了解。コート着て」

 促す光秋に頷くと、綾はコタツの上のリモコンでテレビを消し、椅子の背もたれに掛けていたコートを羽織る。光秋もコタツを切ってハンガーに掛かっているコートに袖を通すと、そのポケットに財布を入れ、電灯を豆電球にして鍵を持って部屋を出る。

「忘れ物ないよな?」

「うん。アキは?」

「財布と鍵は持ったし……大丈夫だろう」

 綾に応じながら各ポケットを摩り、念のためズボンのポケットに入れているカプセルも確認すると、光秋はドアの鍵を閉め、左隣に綾を伴って寮近くのレストランへ向かう。

 

 レストランのドアをくぐると、2人は奥から駆け寄ってきた店員に空いているテーブルまで案内される。

 夕食時とあってか店内には三々五々客が固まっており、東洋系に混ざって金髪や褐色の肌をした者の姿も目に付く。

―こんな時でも海外旅行か。流石は日本有数の観光都市京都といったところか?……ま、タッカー中尉みたいに仕事で来てるかもしれんがな―

 さっきまでテレビ越しに観ていた遠い異郷の地の物々しい光景とは打って変わって、和気藹々とした雰囲気が広がる店内に頬を緩めながら、光秋はテーブルを挟んで座る綾にメニュー表を差し出す。

「なにがいい?」

「うーん……」

 なにを頼むか考えている間にグラスに入った水が運ばれてくると、ちょうど決まった2人はそれぞれの注文を店員に告げ、メニュー表をテーブルの端に片付けて料理がくるのを待つ。

「……そういえば、昼間はテンパってて気が回らなかったが、お前さんとこうやって外食っていうのも久しぶりだよなぁ」

「そうだね……夏の頃は、あたしがあんまり遠出したがらなかったから……」

「あの頃は生まれたばっかりで、戸松教授のチームの制約もあったんだから仕方ないよ。後半は僕が瓦礫撤去なんかで忙しかったのもあるし、柄の悪い人たちに絡まれたのも――すまん。これは余計だったな」

「いいよ。どっちもアキの所為じゃないもん。それに、ご飯の準備しながら帰り待ってるのって、なんか楽しかったし」

「そういうもんか?」

 喋り過ぎたと思って頭を下げる光秋に、綾は楽しいことを思い出す様な笑みで応じてくれる。

 そうしている間に料理が運ばれてくると、2人は手を合わせ、光秋はカルボナーラを、綾はハンバーグセットを食べ始める。

「……あたしもさ、お昼はうっかりしてたけど……」

 ナイフで適当な大きさに切り分けたハンバーグを一切れ食べるや、綾はもう一切れをフォークに差し、

「仲よしの間じゃこうするんだよね?」

それを自分の口ではなく前に方に持ってくる。

「……?」

 その様子にカルボナーラを呑み込んだ光秋が首を傾げていると、

「はい、あーん!」

右手を手皿にしながら、綾はハンバーグを光秋の許に差し出してくる。

「えぇ!?」

 その突然の行動に、光秋は思わず変な声を出してしまう。

「『あーん!』って……お前さんそんなのどこで覚えてきた……僕もマンガくらいでしか見たことないぞ?」

「法子と一緒になって観たテレビとか、あと本とか。なんか楽しそうだからあたしも今度やろうと思って。だからさ……あーん!」

「…………あー……」

 目の前のベタな光景に半ば呆れつつも、笑顔でフォークを向ける綾に断る気も起きず、光秋は周囲の目を少々気にしつつも差し出されたハンバーグを口に入れる。

「美味しい?」

「……ん。デミグラスソースっていうのか、それが肉と合って美味い」

「……そういうことじゃないんだけどなぁ」

咀嚼した上で思ったままを応じると、綾は不満そうに口を尖らせる。

 と、何処からかヒュー!と口笛の音が響く。

―……いかんいかん。あまり意識してはいかん!食事に集中しよう―

 そう自分に言い聞かせることで顔が熱くなりそうになるのをぐっと堪え、気を紛らわす手始めにとフォークにカルボナーラを巻き付ける。

 その時、

「じゃあ今度は……あっ」

―?……まさか……―

綾が唐突に口を開け、光秋は首を傾げつつも嫌な予感を覚える。

 少し経っても動きがなにことに焦れたのか、綾は口を閉じて非難の目を向けてくる。

「食べさせてあげたんだから、今度はあたしに食べさせてよ!」

―あ、やっぱり?……―「お前さん、カルボナーラ好きだっけ?」

()()()食べさせて欲しいの!いいから、あっ!」

「……りょーかい」

 押し切られて観念すると、光秋は麺を巻き付けていたフォークを綾の口に持っていく。

「ちゃんと『あーん!』って言ってね」

「……あーん!」

 綾が刺してきた釘に、周囲の目が気になりながらも半ばヤケクソに従ってフォークを差し出す。

「うーん……!」

「……」

 それを満面の笑みを浮かべて味わう綾を見て、光秋はいよいよ周囲の目が恥ずかしくなり、以後は完食することだけを考える。

 

 変な汗が浮かんでくる夕食をどうにか終え、2人分の代金を払って寮に帰宅した光秋は、風呂場の水盤から歯ブラシを取ってきて綾がコタツに潜っている居間へ向かう。

「暗くなってきたし、そろそろ帰った方がいいだろう。歯ぁ磨いたら送るからさ、それまでひと休みしてて」

「うん……」

 先程までと打って変わって冴えない顔で綾が頷くと、光秋は歯磨き粉が塗ってあるブラシを口に入れる。

 少しして歯磨きを終え、風呂場の水盤で口を漱いですっきりすると、居間に戻って一度脱いだコートを再び羽織る。

「ほら、準備して」

「……うん」

動く気配のない綾を急かしながら、光秋は本2冊とスカートが入った袋を右手にまとめて持って先に部屋を出る。

 少しして綾が出てくると、持っていく物と戸締りの確認をして法子の寮へ向かう。

「遠回りになるけど、表から行こう。こっちは暗くてなんか怖いや」

「うん」

 周囲の明るさを鑑みての光秋の提案に、綾は心なしか嬉しそうに応じ、空いている光秋の左腕に抱き着く。

 表通りに出てアーケードの下を進み、突き当たった十字路を左に曲がって京都支部の前を通る。

 街灯や周囲の店の看板などに照らされてある程度視界が確保されている道を、2人は無言で進んでいく。

 しばらく歩いて小田一尉の寮の前を過ぎた辺りで、光秋は先程から顔を曇らせて俯いている綾を見やる。

「夕飯が終わってから元気ないが、どうした?なにか口に合わなかったか?」

「ううん。ハンバーグセット美味しかったよ……ただ……」

「ただ?」

「……もうすぐアキとお別れだと思って……」

 応じながら、綾は悲しそうな顔を浮かべる。

「……仕方ないさ。綾の……というか法子さんの住んでる場所はあそこなんだから」

「そうだけどさ……」

「……」

 顔をさらに深く俯ける綾に、光秋はもっとマシな慰めを言えない自分が嫌になる。

 その間にも2人は目的の寮に入り、法子の部屋の前で足を止める。

「鍵は?」

「えっとね……あ、あった」

 法子の記憶を頼りにスカートのポケットから鍵を出すと、綾は開錠してドアを開く。

「……じゃあ、また月曜日」

「あ、それなんだがさ……」

 俯きながら部屋に入る綾に、光秋は持っていた袋を渡しながら、歩いている間に考えていたことを話す。

「明日、また一緒に何処か行かないか?今度は電車かバスに乗って、もっと遠くまで」

「え?……いいの?」

「もちろん、お前さんと法子さんの都合が合えばだけど」

「ちょっと待って!」

 やや興奮気味に応じると、綾は目をつむって集中する。

「法子は大丈夫だって!あたしはもちろん大丈夫だよ!」

「ならよかった……とりあえず一旦落ち着こう。声が大きいと近所迷惑になるから」

「あ……うん……」

 光秋の注意に、綾はさっきとは違う意味で顔を俯けながら声の音量を下げる。褐色の肌のためにわかりにくいものの、恥ずかしさに顔を「真っ赤」にしているのだろう。

 落ち着いたのを見計らって、光秋は続きを話す。

「とりあえず、10時に支部の正門前に集合ってことでいいか?」

「もっと早くてもいいよ。8時でも7時でも」

「いやいや。そんな早く出てもどこもやってないよ……そうだな……じゃあ間を取って9時にしよう。9時に正門前で待ち合わせ。それでいいか?」

「……わかった」

 若干不満そうな顔を浮かべながらも、綾は合意してくれる。

「じゃあ、行きたい場所があったら今夜中に決めておいてくれ。法子さんの意見も聞いてな。じゃ、おやすみ」

「おやすみ!」

 言うと光秋は振り返って寮の玄関へ向かい、背後にドアが閉まる音を聞きながら階段を降りる。

 寮を出て路地を抜け、表通りに出ると、冬の夜の冷気に追い立てられる様に家路を急ぐ。

―……こうなると、僕もいくつか行きたい場所考えておいた方がいいかもな。何処にしようか…………―

 速足で歩道を進みながら、行きたい場所の候補を頭の中に浮かべてみる。

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