白い犬   作:一条 秋

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 翌日、1月10日月曜日午前7時半。

 いつも通りに寮を出た光秋は、晴天の下、寒気に追い立てられるに様に速足で支部へ向かう。放射冷却現象というやつだろうか、昨夜の帰り道よりも寒く感じる。

 しばらく歩いて正門前に差し掛かると、正面から同じく寒気に追い立てられた法子が速足で近付いてくる。

「おはよう」

「……おはようございます」

 挨拶を交わしながら並んで歩くものの、光秋は昨日の別れ際の光景が脳裏にちらついて、どうしても法子の顔をきちんと見ることができない。

―いきなりキスだもんなぁ……ほっぺにだけど…………いや、いかんいかん!これから仕事なんだし、いい加減気持ち切り替えんと―

 そう自分に言い聞かせ、軽く頭を振って昨夜のことを隅に押しやる。

 それを待っていたかの様なタイミングで、法子が声を掛けてくる。

「昨日はありがとね、送ってくれて。あの後大丈夫だった?」

「はい。真っ直ぐ帰って、風呂入って寝ました……ところで、その…………あの後、綾何か言ってませんでしたか?」

 応じつつ、すぐにまた浮かべてしまったキスの記憶に、光秋は恐る恐る問う。

「あの後って……あー……ちょっと睨まれたかな。『綾もやったでしょ』って反論しておいたけど」

「……そうですか」

 自分の内外で火花を散らす法子と綾の様子を想像して気まずさを覚えるものの、それで今度こそ気持ちを切り替えると、光秋は法子と共に玄関をくぐってエレベーターに乗り込む。

―今は転属の件でいっぱいいっぱいだけど、落ち着いたらこの件のことも改めて考えないとな―

 

 午後0時。

 午前中の勤務を消化した光秋は、一緒に訓練していた藤原三佐と共に食堂へ向かう。

―うー……今回もキツイの避け損ねた……―

 念の拳がまともに当たった右胸の下辺りを擦りながら注文を済ませ、トレーを受け取って空いている席を探す。

 と、小田一尉の声が掛かる。

「三佐、加藤」

「おぉ、小田」

「竹田二尉と法子さんまで」

 声がした辺りに藤原隊一同がそろっているのを見て、藤原と光秋はそこに座る。

「珍しいですね、こんな時間に全員そろうなんて」

「お前と三佐がいない間に俺たちで相談したことがあってな、それを伝えようと待ってたんだよ」

 トンカツ定食に箸を付けながら感想を漏らす光秋に、小田が一同を見回しながら応じる。

「伝えるって、なんだ?」

「週末に加藤の送別会開こうと思いまして」

「送別会?僕のですか?」

 藤原に応じる竹田の返答を聞いて、唐突に自分の名前が出てきた光秋は一瞬面喰う。

「お前以外にウチに加藤なんていないだろう。そもそもは伊部が言い出したんだけどよ」

「歓迎会はバタバタしててできなかったから、せめて送別会くらいしてやろうってな」

「法子さんが……」

 竹田と小田の説明に、光秋は左隣で焼き鮭定食を食べている法子を見る。

 当の法子はなにも言わず、焼き鮭をほぐしながら笑顔を返すだけだ。もっとも光秋は、その中に僅かながらの寂しさを見てしまう。

 その間にも、小田は話を続ける。

「場所はいつもの店、時間は土曜の6時頃を予定してるんだが」

「いつもの店って?」

「あぁ悪い。10月の合同演習の帰りに行ったとこだ。ウチはなにかあるとあそこでやるんだよ」

「……あぁ、あそこですか」

 小田の返答に、光秋は陸・空軍との合同演習、あるいはDD‐01・ツァーングと初めて戦った日の帰りにみんなで飲み食いした店を、帰りに法子を背負っていったことと合わせて思い出す。

「僕はそれでかまいません。三佐は?」

「儂もだ」

「なら決定ですね。後で予約入れておくんで、仕事帰りにそのまま行きましょう」

「オレも後で上杉誘っときます」

 一同を見回す小田に続く形で、竹田が申し出る。

「……なんかすいませ――いえ、ありがとうございます」

「気にすんな。偶にはパーっと飲みてぇ時もあるしな!」

 礼を言いながら頭を下げる光秋に、竹田が心底楽しみにしているといった様子で笑顔を返す。

 その笑顔と、あながち謙遜でもないらしい返事に気を楽にさせる一方、光秋は今一つ優れない法子の顔を横目で見る。

―法子さんだって別れるのが寂しい――綾の分も抱えているなら尚更――なのに、こんな催し思い付いてくれて…………僕だって、その気持ちに応えたい!―

 

 昼食時の小さな決意から十数分後。

 食事を終えて食堂を去ろうとする法子を引き留めた光秋は、そのまま地下1階通路の自動販売機、その隣のベンチに法子を誘う。

「どうしたの突然?」

 左隣に並んで座った法子の問いに、光秋は顔を向けて応じる。

「まず、送別会催してくれてありがとうございます」

 改めて礼を述べながら、深めに頭を下げる。

「それは小田一尉が言ってたじゃん。バタバタしてて歓迎会はできなかったから、せめてさ」

「それでもありがたいです……何より、法子さんだって寂しいのに、そんなこと言ってくれて……」

「寂しい?私が?」

「さっきそんなふうに見えたんです。綾の気持ちが出ていたのもあるかもしれませんが……とにかく、自分の気持ちを抑えて僕のことを送り出そうとしてくれるって、その気持ちはやっぱり嬉しいですから」

 寂しいといわれて若干狼狽する法子に応じながら、光秋は思っていたことを告げる。

「ん……まぁ……そう言われると悪い気はしないかな?」

 返しながら、法子は照れた様に右頬を掻く。

 が、そんな仕草も束の間、すぐに表情を曇らせ、視線を床に落とす。

「私自身はそんな気ないつもりだったけど……寂しいって言われると、やっぱり寂しいね。これが私の気持ちなのか、綾の気持ちなのかはいまいち判んないけど……」

「たぶん、2人共そうなんじゃないですか?……いや、それはいいんです。僕が言いたいのは、そうまでしてくれる法子さんや綾に応えたいってことで……」

 徒に言葉を重ねるだけで本題に入れない自分に、光秋は内心歯ぎしりする。

 そして、

「だから……今度の日曜、また3人で出かけませんか?」

胸の中の()れったさを吐き出すつもりでよく通る声を上げ、食事中から考えていたことを提案する。

「え?でも……次の日引っ越しだし、寮で大人しくしてた方が……」

「最後くらいこれくらいやっておかないと、行ってから後悔しますよ。一緒に過ごせる最後の一日、3人で楽しみましょうよ……もちろん、法子さんや綾に都合があればそれまでですが……」

 押しの強い調子で、しかし最後は弱気に告げると、光秋は祈る様に法子を見る。

「私は大丈夫だよ。綾も都合が悪くなることなんてないし……それなら、行こっかな」

「そう来なくっちゃ!」

 法子の返答を聞くや、光秋は弾かれた様に笑顔を浮かべる。

 その時、

「♪~。いいもの見せてもらったぜぇ!」

「!?」

口笛と共に響いた第三者の声に、光秋は声がした方を振り返ると、右耳に携帯電話を当てた竹田が通路の角に佇んでいる。

「二尉!?何でここに?」

「いやぁ、上杉に飲み会の連絡しようと思って電話してたら、お前らの話し声が聞こえてよ」

(オレは止めとこうって言ったんだけどさ……)

 動揺する光秋に竹田は面白いものを見る様に応じ、耳から離した携帯電話からは気まずそうな上杉の声が響く。

 ただそれも一瞬のことで、すぐに喜色を含んだ声に変わる。

(でもまぁ、夏に合コン誘って渋顔浮かべてた奴が、自分から女をデートに誘うか……半年ですげぇ進歩だな)

「デートって……別にそんなんじゃ……」

 後輩の成長を喜ぶ先輩の様な口ぶりの上杉に小さく反論する一方、2人分のニヤケ顔を向けられる光秋は、穴があったら入りたいという心境を否応なく抱かされる。

―……ただまぁ……無事に誘えたからいっか……―

 

 午後6時半。

 今日の務めを終えた光秋は、疲れと、藤原の念の拳による痛みを抱えた体を引き摺る様に待機室へ向かう。

「痛てて……鳩尾は効いたなぁ……」

 鈍痛が止まない胸周りを擦り、食らった際に危うく気絶しかけたことを思い出しながら、待機室のドアをくぐる。

「あ、光秋くん。今帰り?」

「はい。法子さんも?」

 部屋に入るやコートを羽織ってカバンを提げた法子と鉢合せ、その問いに応じながら光秋もロッカーからコートを出してカバンを左肩に掛ける。

「うん。せっかくだし、一緒に夕飯食べていかない?」

「いいですね。行きましょう」

 法子の誘いに即答するや、光秋は部屋の明かりを消し、先に行った法子に続いてエレベーターに乗り込む。

 扉が閉まり、上昇が始まるや、左隣に立つ法子が思い出した様に口を開く。

「お昼は言い損ねちゃったけど、日曜日、誘ってくれてありがとね」

「いえ。その時言ったように、2人の気持ちに応えたかったから……あとよくよく考えたら、僕自身そうしたいって気持ちがありましたから」

「それでも、私や綾は嬉しかったからさ……それにしても『最後』、『最後』って、今生(こんじょう)の別れみたいだったよ。目が真剣だったからますますそれっぽかった」

「冗談でもそういうのは止めてくださいよ。結果オーライとはいえ、一度そういう経験してますから」

 笑って語る法子に苦笑いで返しながら、光秋は夏に綾と別れた時のことを思い出す。

 その間にもエレベーターは1階に着き、2人は食堂へ向かう。

 各々注文を済ませると、手近な席に向かい合って座り、食事を始める。

「そういえばさ」

「はい?」

 フライの盛り合わせ定食を食べながら声を掛けてくる法子に、光秋はきつねうどんをすする手を止めて応じる。

「二尉たちの所為で訊きそびれてたけど、日曜日って何処に行くの?」

「そういうのは特に決めてませんね。昨日みたいにテキトーにぶらついて、行き当たりばったりを楽しもうかなって。行きたいとこがあるならそこにしますが?」

「うーん……私も特にないかな……綾もみたいだけど。でも確かに、ただぶらぶらするのも楽しいもんね」

「あ、ただ、法子さんと綾の交代時間ですけど、昨日みたいに午前・午後としっかり分けるんじゃなくって、その都度その都度自由に代わるっていうのどうです?もちろんお互いに話し合ってもらってですけど。その方が3人で楽しむ感じがしていいと思うんですけど」

 これでしばらく伊部姉妹とはまともに会えなくなる光秋にとって、それぞれの交代時間に追われてどこか焦りながら過ごすよりも、敢えて時間的制約を取り払うことで法子・綾それぞれと一瞬ごとにしっかり接することができる方が重要に感じられる。

 それ故の提案だったのだが、

「…………何それ?両手に華で自分だけいい思いしようってこと?……光秋?」

「え?……いや、その…………」

法子と、一瞬俯いて入れ替わった綾に睨まれ、賛成してくれると思っていた光秋は狼狽する。

 直後、

「なーんてね!」

一瞬にして表情を緩ませるや、綾が右の人差し指で額を小突いてくる。

「え?えっ?……?」

「アキがそういうつもりで言ったんじゃないことくらいわかるよ。あたしたち一人一人としっかり付き合いたいんだよね。ただ、言い方がちょっと引っ掛かったからさ。法子と相談して少しからかってやろうと思って」

「……頼むから、そういう冗談はやめてくれ。僕が()たないよ…………」

 イタズラが成功した笑みを浮かべる綾に、光秋は恐怖が去った後独特の脱力感を覚えながら返す。

 と、携帯電話が振動し、光秋は上着のポケットに手を伸ばして電話に出る。

―上杉さん?―「……はい?」

(あ、加藤?悪りぃ、昼に言えばよかったんだけど忘れててさ。今週中に1回、オレんとこに診察に来てくれないか)

「診察?目ですか?」

(あぁ。お前がこっちに来てからずっと診てきた身としては、転属前に最後に1回診ておきたいんだよ)

「あ、そっか……それじゃあ、明後日行けるように三佐に頼んでおきます。時間はいつでも?」

(あぁ。決まったらメールしといてくれ)

「わかりました。では」

 応じると、光秋は電話を切ってポケットに戻す。

「上杉君?」

「はい。転属前に1回診ておきたいから来てくれって」

 受け答えから相手を察したのか、綾と代わった法子の問いに、光秋はうどんをすすりながら答える。

―『お前がこっちに来てからずっと診てきた身としては、転属前に最後に1回診ておきたいんだよ』、か……正直意外だなぁ。上杉さんからあんな真面目な言葉を聞くなんて。いや、確かに医者としての仕事はきちんとやってたから、単に僕の偏見だったんだろうが……土下座した時、真っ先に名前浮かべたのは悪かったかな?…………否、仕事と女性関係は別か……―

 伊部家でのテレパシー三者面談の時のことを思い出しながら、光秋はたっぷり汁が染み込んだ油揚げに噛り付く。

 

 1月12日水曜日午前10時。

 前日中に藤原に許可を取っておいた光秋は、事前の連絡に従って訓練を抜け、上杉の診察室へ向かう。

 ドアをノックし、「どうぞー」という返事を待ってから入室すると、診察机に腰を下ろした白衣姿の上杉が出迎えてくれる。

「お待たせしました」

「いや、約束通りだ。じゃあ、ちゃっちゃとやっちまうか」

 丸椅子に座りながらの光秋に応じると、上杉は右手を光秋の額に当てる。

 いつものように目をつむって集中しながら、光秋の目の状態を感じ取る。

「……よし。眼圧諸々いつも通りだな。お前の方で何か気になることは?」

「特には」

「なら、診察終了だ。本部の専属医の方にも紹介状送っといたし、これで問題ないだろう」

「あ、そっか」

 言われて光秋は、今の今まで診察の引き継ぎについて失念していたことに気付く。

―転属とか、法子さんたちのこととかでいっぱいいっぱいだったから、正直言われるまで忘れてたなぁ……-「ありがとうございます」

 言いながら深く頭を下げる。

「まぁ、確か東京本部にはオレの先輩がいるから、その分安心していいけどな」

「上杉さんの先輩ですか……その人もサイコメトラーで?」

「いや、ノーマルだ。ただし、腕はオレが知る中でも群を抜いて上だ。大船に乗った気でいていいぞ!」

「上杉さんにそこまで言わせますか……」―どんな人なんだろう?―

 自分のことの様にその人を褒め称える上杉の姿に、光秋は思わず興味を抱く。

「そんじゃ、あとは会計で目薬もらってな。いつもの1本ずつでいいか?」

「はい。ありがとうございました」

 確認する上杉に応じると、光秋は一礼して部屋を出る。

 

 それから数日、大きな事件が起こることもなく、重大な予知が舞い込んでくることもなく、平穏な日々が続いた。

 そして迎えた1月15日土曜日――転属前最後の出勤の日の朝。

 正門前で小田、法子と合流した光秋は、そのままそろってエレベーターに乗り込む。

「光秋くんと一緒に仕事するのも、今日が最後か……」

「そんな今生の別れみたいな顔しないでくださいよ。入間主任が回復されたら戻ってくるんだから」

「そうだけどさぁ……」

 光秋の返答に、法子は優れない顔を天井に向けながら返す。

「ところで2人共、メールちゃんと確認したよな?」

「はい」

「仕事が終わったら一旦帰宅して着替えて、7時までに現地集合ですよね」

 小田の問いに法子は頷き、光秋はメールの内容を思い出しながら答える。

「そうだ。一応返信はもらったんだが、やっぱり心配でな。なにせ、一番の新入りの送別会だからな」

「はは……」

 続ける小田に光秋が苦笑いを返すと扉が開き、一行は真っ直ぐ藤原隊の待機室へ向かう。

―……でもまぁ、今日でしばらく藤原隊のみんなと別れるのは確かなんだよなぁ……終わりよければっていうのは語弊があるかもしれないが、最後だからこそ、きっちり務めないと!―

 歩きながら内心気持ちを引き締めると、光秋は小田、法子に続いて待機室に入る。

 

 藤原との訓練、昼食後の昼休み、射撃訓練と再度の対超能力戦訓練、そんないつもと同じ日程をこなし、今日も今日とて避け損なった念にあちこちを痛めながら、最後の務めを終えた光秋は寮の自室へ戻る。

「痛てて……」

 制服から私服に着替える中、ちょっとした動きで未だに鈍い痛みを走らせる体に顔を歪める。

「もっとも、これも今日で当分なしなんだよなぁ……」―いや、それはそれで不味いか?やっぱり継続しないと意味がないだろうし、東京でも心当たりに頼んでなんとか続けられるようにするか…………とりあえず曽我さんかな?―

 サイコキノということで柏崎の顔も浮かぶものの、その気難しい性格に協力を得るのは難しいと思い、すぐに選択肢から消去する。

 その間にも白いワイシャツと緑のズボンに着替え、茶色のコートを羽織って財布等の貴重品を身に着けると、戸締りを確認して部屋を出ようとする。

 と、法子から電話が掛かってくる。

「はい?」

(光秋くん?今何処?)

「寮です。これから出るところで」

(よかった。じゃあさ、私の寮近くの駅で落ち合わない?光秋くんには一駅分歩かせちゃうけど)

「ちょうど中間で、ということでしょ?いいですよ。今から向かいます」

(ありがと。待ってる)

 法子の返事を聞くと、光秋は携帯電話をズボンのポケットに仕舞い、靴を履いて会話にあった駅へ向かう。

 

 路地を速足で進むこと十数分。

 階段を下りて地下鉄駅構内に出た光秋は、辺りを見回して法子がまだ来ていないのを確認すると、目的の駅までの切符を買って改札口のそばで待つ。

 少しして、灰色のパーカーに藍色のジーンズ、青いコートを羽織った法子が速足でやってくる。

「ごめん。待った?」

「いえ。僕もさっき来たとこです」

「そう?ならよかった」

 言いながら、法子も券売機に小銭を入れて切符を買う。

「じゃあ、行こうか」

「はい」

 法子に応じると、光秋は後を追って改札機をくぐり、ホームに下りる。

 ちょうど来た電車に乗り込むと、座席が全て埋まっている車内の中程まで進み、2人並んで吊り革を掴む。

 電車が走り出すと、左隣に立つ法子が顔を寄せてくる。

「明日だよね。3人で出かけるの」

「はい。9時にいつもの駅の近くでいいですか?」

「うん……それはそうと、今日はお酒飲まされないように気を付けなきゃ。フミがいない分この前よりはマシかもしれないけど……三佐や二尉は油断できないからなぁ。上杉君もだけど……」

「ははぁ……」

 真剣な顔で思案する法子に、光秋は10月の演習後の飲み会の帰りを思い出して乾いた笑いを漏らす。

「…………でもまぁ、もしもの時はまたよろしくね」

「えー……?」

 数瞬前の硬い顔はどこへやら。薄っすらと笑みを浮かべた法子に寄り掛かられて、光秋は軽い狼狽に顔を歪める。

 そうしている間にも目的の四条駅に着くと、2人は人波に混ざって電車を降り、法子先導の下に店へ向かう。

「流石四条駅……要所というべきか、今日も混んでますね」

「ちょうど帰宅ラッシュの時間帯だしね……逸れるといけないからさ」

 人の数に圧倒されている光秋に返しながら、前を行く法子は右手を差し出す。

「ありがとうございます」

 その手をすぐに左手で掴むと、光秋は適度に力を込めてしっかりと握り締め、法子の後をついていく。

 改札口をくぐり、構内を横切り、階段を上がって地上に出る。車道の両脇に建ち並ぶ店の明かりに照らされた歩道をしばらく歩いて路地に入ると、3カ月前にも入った店の暖簾が見えてくる。

「今何時?」

「6時50分。集合時間の10分前ですね」

 法子の問いに、光秋は腕時計を見ながら答える。

「ちょうどいいね。入ろっか」

「はい」

 法子に応じると、光秋は後を追って暖簾をくぐり、先に座敷に座っていた上杉の許に歩み寄る。

「お先です」

「みんなまだ来てない?」

「えぇ」

 周りを見ながら問う法子に、上杉は頷きながら返すと、コートを脱いで正面に腰を下ろした光秋を見やる。

「にしても、最後まで熱いねぇ。送別会に同伴とは」

「変な言い方しないでくださいよ……」

 ニヤケながらの「同伴」という表現に、光秋は思わず顔をしかめる。

 と、小田が入店してくる。

「一尉!こっちです」

「おう」

 光秋の呼び掛けに応じると、小田は座敷に上がって上杉の右隣に座る。

「三佐と竹田はまだか」

「はい。もうすぐ来ると思いますけど……」

「あと3分くらいで7時ですもんね」

 店内を見回しながら言う小田に、テーブルを挟んで正面に座る法子は玄関を見やり、その右隣の光秋は腕時計で時刻を確認する。

 と、上杉がなにかを思い出した顔をする。

「……本部、それに女かぁ…………ところで一尉、本部の沖一尉とはどうなんです?」

「!?何だ?藪から棒に……」

 突然の、しかも全く想定していなかった質問に、小田は体を震わせて面喰らった顔をする。

「いやぁ、竹田二尉から聞いたんですけど、なんかいい感じだって。秋田の時もメールのやり取りしてたって言うし」

「……竹田()ぇ……」

 興味本位といった様子で訊いてくる上杉に、小田は憎々し気な顔を浮かべる。

「にしても、まさか一尉があの人とねぇ……オレも何度か見掛けたけど、なかなかの上玉で。いやぁ、一尉も隅に置けないっすねぇ!」

「そんなんじゃない!たまたま知り合って、向こうが連絡先教えてくれって……」

「だから、それを隅に置けないって言うんでしょ?」

「だからそんなんじゃないってのっ!」

 ニヤケながらの上杉に、小田の目が徐々に吊り上がっていく。

「……上杉さん。からかうのもその辺にしときましょうよ」

「そうだよ。これ以上は流石に度が過ぎるよ」

「お二人がそう言うなら、この辺にしときますか」

 おふざけの潮時を察した光秋と、心なしか本気の怒りを含んだ法子の注意に、上杉はニヤケたまま素直に従う。

「にしても、2人も息ピッタリっすね」

「……」

「だからそう言うふうに人をからかわないの!」

 最後の反撃とばかりに返してきた一言に、光秋は返事に困り、法子は眉を寄せる。

 その時、藤原と竹田が暖簾をくぐってくる。

「二尉!三佐!こっちっす」

「オウ!……て、オレたちが最後か」

「すまん、待たせたな。駅が混んでて思う様に進めんでな」

 上杉の呼び掛けに、竹田と藤原がそれぞれ応じながら座敷に上がると、光秋は腕時計を確認する。

「いいえ。ちょうどいいですよ。ちょうど7時だ」

「じゃあ、早速いろいろ頼むか!」

 言うや竹田はメニュー表を広げ、各々頼みたい物を決めると水を持ってきた店員に注文を告げる。

 ややあってジョッキ入りビール4つとウーロン茶2つが運ばれてくると、ジョッキの1つを取った藤原が対角線上の光秋を見やる。

「では、今日の主役、なにか一言頼む」

「一言、ですか……」

 突然のフリに意表を突かれるものの、光秋は少し考えて言葉を述べる。

「えー……この度、この中では一番最後に入っておきながら、一番最初に隊を出ていくことになりました、加藤です。といっても一時的にですが……正直、今までと勝手が異なる仕事、こっちに来てから多くの時間一緒に過ごしたみなさんと離れることには、大きな不安を感じています。ですが、これも自分が選んだこと――ESOに入ると決めたことの結果なんだと受け入れ、向こうでも、死なない程度に頑張っていこうと思います……そして、必ずまた、ここに帰ってきます!……以上です」

 最後は半ば自分自身に言い聞かせるつもりで敢えて強い調子で言うと、5人分の拍手に迎えられながら静かに頭を下げる。

「よぉし。では加藤の新たな門出を祝って、乾杯っ!」

「「「カンパーイッ!」」」

 藤原の音頭の下にグラスが鳴らされると、各自が自分の飲み物を一口分飲み、見計らったかの様に運ばれてきた料理に箸を伸ばす。

 

 食べて飲み、隣や正面同士の談笑がしばらく続いた頃。

 ゲソの唐揚げに舌鼓を打っていた光秋の許に、ウーロン茶を持参した小田が腰を下ろしてくる。その顔は、僅かに赤くなり始めている。

「よぉ。飲んでるか?」

「はい。ウーロン茶を」

 返しながら、光秋は2杯目のグラスを持って示す。

「そりゃそうだ。お前まだ未成年だったもんな」

 微笑みながら応じると、小田は自分のウーロン茶を一口飲む。

「そうそう。今まで時間が合わなくて言い損ねてたんだが、東京には俺の後輩がいるんだ」

「後輩?士官学校の?」

「いや、高校の」

 返しつつ、小田はもう一口飲む。

「今は警察に勤めててな。徳川っていうんだが、この間の警備の仕事でもたまたま一緒になって」

「へー……あの仕事で、ですか……」

 小田に関心の声で応じる一方、光秋はNPやZCにほぼやられっぱなしだったその時のことを思い出して少し気落ちする。

「でだ、ちょうど今東京の方に勤めてるそうでな。仕事の都合上一緒になるかもしれんから、その時はよろしく頼むよう言っておいた」

「仕事って……あぁ、そっか」―主任――つまりは指揮官なら、今まで以上に警察みたいな外部の人と関わる機会も増えるんだ―

 小田の言わんとすることを察しながら、光秋は自分が今までと違う立場になった、あるいはこれからなるのだということを改めて認識させられる。

「まぁ、仕事以外でも都合がよければ面倒みてくれるように言っといたがな。お前の特徴は説明しておいたから、会えば向こうから気付いてくれると思うが」

「……またそんな几帳面なぁ」―あるいは……―

 「過保護」という言葉が浮かびそうになるものの、光秋はそれをウーロン茶と一緒に飲み下す。

「ま、そういうことだから。向こうでなんかあったら、とりあえずそいつを頼れ」

「……ありがとうございます」

 素直に礼を言って頭を下げると、小田は自分の席に戻っていく。

―ちょっと思うところはあるけど……僕のこと考えて、わざわざ頼んでくれたんだよな―

 若干引っ掛かりながらも感謝しながらその背中を目で追うと、光秋はゲソの咀嚼を再開する。

 と、飲み会開始からまだ1時間も経っていないにも関わらず、すっかり顔を赤くした竹田がジョッキ片手に頼りない足取りでやって来る。

「よぉ、主役!食ってっかぁ?」

「そう来ましたか……えぇ。烏賊の足美味いです」

 多少呂律が怪しい竹田の問いに、光秋はまた1本ゲソを摘まみながら答える。

「どれオレも」

「大皿から取ってくださいよ」

「硬てぇこと言うなよー。まだたんまりあるんだしよー」

「そういう問題じゃなくてですね……」

 自分の皿からゲソを1本手掴みで取っていく竹田に抗議の目を向けるものの、酔いも手伝った馬耳東風な態度に興を殺がれた光秋は、代わりにウーロン茶を飲む。

「あーそうだ、忘れっとこだった……東京にゃあ、オレの知り合いがいてよー」

「二尉もですか?」

 藪から棒に話を切り出す竹田、その上杉、小田と続いた同様の内容に、光秋は思わず声を漏らす。もっとも、酔っ払った竹田には聞こえなかったらしく、構わず話を続ける。

「知り合いっつうか、幼馴染ってやつかな?ガキの頃からの付き合いでよ。ただあいつの方が頭よくて、高校出たらデカい大学行ったんだけどな……」

 言いながら、竹田はジョッキのビールをぐびぐびと飲む。

「頭いいって……二尉だってこんな難しい仕事に就いてるんだし、士官学校出ならそれなりにいいんじゃ?」

「オラァダメだぁ……基本一夜漬けで乗り切るタイプだからよー……」

 不意に浮かんだ疑問を投げかける光秋に、竹田はいよいよ舌をもつれさせながら答えると、ジョッキに残ったビールを一気に飲み干す。

「かーっ!おーい!ビール追加ぁ!」

「飲み過ぎですよ。その辺にしといた方が……」

 嬉々として注文を叫ぶに竹田に、光秋はその赤い顔を見ながら注意する。

 しかし、

「まぁそういうわけだかんよ、なんかあったらそいつ頼れ。いいなぁ!」

竹田の耳には入っていなかったらしく、一方的に言うや運ばれてきたジョッキを受け取って席に戻っていく。

―『いいなぁ!』と言われても……名前聞いてないのですが……―

 危うい千鳥足を眺めつつ、光秋は心の中で困った顔をする。

「諦めな。二尉あぁなっちゃうとさ……後は面倒起こさないように見守ってるだけだよ……」

「はぁ……」

 左隣で諦観気味に語る法子は、しかしテレパシーを使わなかった、あるいは綾に教えてもらっていないらしく、光秋の困惑顔を竹田の飲み過ぎに対するものととったようだ。

「この間はそれでも大人しい方だったんだけどね……やっぱりタッカー中尉がいたからかな?」

「さぁ……?ただまぁ、楽しそうに飲んでたのは確かですね」

 ウーロン茶を飲みながら思案する法子に、光秋も一口飲んで当日の様子を思い出しながら応じると、また1本ゲソを摘まむ。

―……でもまぁ、二尉も僕のこと気遣って教えてくれたんだよな。その気持ちには感謝しないと―

 多少不満を抱きながらも、根底にある気持ちは理解すると、光秋は藤原と盃を交わしている竹田に静かに頭を下げる。

 

 午後8時50分。

 すっかり顔が赤くなった藤原は、それでもなんとか焦点が合っている目を腕時計に向ける。

「……そろそろお開きだな。すみませーん!」

「えぇ……?もうっすあぁ……?」

 すっかり呂律が回らなくなった竹田の抗議の間にも、やってきた店員が差し出した表を一見した藤原は1人当たりの金額を算出する。

「みんな、小田に飲み代を渡してくれ」

 言われるや各々返事をすると、光秋たちは言われた額を財布から出して小田に渡す。

 全員分の代金を受け取った小田がレジに向かうのを眺めながら、光秋は残っていたウーロン茶を飲み干し、自分の皿に取った分の料理を完食した法子を見やる。

「今回は無事切り抜けられましたね」

「だね。二尉が上杉君や三佐と話すのに夢中になってくれたのがよかったのかも」

 傍らに歩み寄ってきた上杉に介抱されている竹田を見ながら、法子は苦笑いを返す。

 その間に小田が戻ってくると、各自コートを羽織って座敷から下り、暖簾をくぐって店を出ていく。

 と、光秋は上杉に支えられた竹田を見る。

「……二尉、大丈夫ですか……?」

「でーじょーぶ!でーじょ――うぅっ!?」

 真っ赤な顔をして見るからに大丈夫ではなさそうな状態で応じるそばから、竹田は目に涙を浮かべて身を屈める。

「だ、大丈夫ですか!?」

「これくらいならな。まだもどしてないし、いつもよりはマシだ」

 突然のことに驚愕する光秋に、竹田よりは酔っていない上杉が応じると、背中を擦りながら竹田に呼び掛ける。

「二尉、とりあえずそっち行きましょう。ここじゃ邪魔になりますから」

「うぅっ…………」

 涙目の唸り声で返しながら、竹田は上杉に誘導されて店の玄関から数メートル離れた場所に移動する。

「……いつも通り任せていいか?」

「はい。今日はそれでもいい方みたいですし」

 傍らに寄ってきた小田に、竹田と並んで屈み背中を擦る上杉は慣れた様子で応じる。

「この間タッカー中尉と2人がかりで連れ回された時に比べれば、全然余裕っすよ」

―……この間、何があったんです……?―

 演習後の飲み会を後に竹田とタッカーに連れて行かれた上杉を思い出し、光秋は好奇心と、それ以上に恐怖を覚える。

「じゃあ頼む」

「はい……あぁそうだ、加藤!」

「はい?」

 小田とのやり取りを終えるや自分を呼ぶ上杉に、光秋は応じながらそばに駆け寄る。

「東京での主任の仕事、頑張れよ。なんかあったら、この間言ったオレの先輩を頼れ。体のこと以外でもな」

「!……ありがとうございます!」―今日の上杉さん……なんか格好いいなぁ……―

 竹田を介抱しながら自分を労ってくれる上杉に、光秋はいつもと違う頼もしい印象を抱く。

 しかし直後、

「……二尉のお守は毎度のことだが……これがオレ好みの美女だったらなぁ……」

―あぁ。やっぱり上杉さんだ―

真剣に悔しそうな顔で愚痴る上杉の姿に、光秋は頼もしい印象が消えていく落胆と、それ以上に変わらない安心感を覚え、蹲る2人に一礼して藤原たちの許へ向かう。

 竹田と上杉を残した一行は四条駅へ向かい、人波が落ち着いてきた駅構内を横切って切符を購入、そのままホームへ下りる。

 少しして入ってきた電車に乗り込むと、一行は人が疎らな車内を奥まで進み、光秋と法子、藤原と小田に別れて向かい合った座席に腰を下ろす。

「……二尉って、飲み会の後はいつもあんな感じなんですか?みんな口を揃えてそんなこと言うけど」

「うん。そもそも上杉君も言ってたと思うけど、今回はいい方だよ。私なんて一度とんでもないもの見せられたから……あぁいうのを『トラウマ』っていうのかな……?」

「……それはまた」

 左隣の法子が至極真面目に考える顔を浮かべるのを見て、光秋は「とんでもないもの」とやらに背筋を震わせる。

 その間にも電車は進み、アナウンスで自分の降りる駅の名前が告げられた藤原が席を立つ。

「ではな。先に失礼する」

「はい。三佐も帰路お気を付けて」

 3人を見回す藤原に小田が応じ、光秋と法子も一礼する。

 と、

「……そうだ、加藤」

「はい?」

電車を降りて振り返った藤原に、光秋は顔を向ける。

「頑張れよっ!」

「!」

笑顔で言われるやドアが閉まり、返事を言い損ねた光秋は慌てて深く頭を下げる。

 そうしている間にも電車は走り出し、藤原の姿は車窓の端に消えていく。

「……本当に土壇場で言うなんて……」

「三佐なりの気遣いというか、伝え方でしょう」

「それは……確かに応援してくれている気持ちは伝わってきました」

つい漏らした不満に対する法子の指摘に、光秋は藤原の気持ちを察し、脳裏に浮かんだ髭の顔に改めて一礼する。

 少しして法子と小田が降りる駅に近付くと、2人は持ち物の確認をしてドアの前に移動する。

 と、光秋も2人に続く。

「僕も次で降ります」

「え?……でもお前の駅、次の次だろう?寮の方向も正反対だし……」

 突然の申し出に戸惑う小田に、光秋は法子を見やる。

「法子さんの送りを。もう結構遅いですし……先輩相手に生意気と思われるかもしれませんけど、これくらいやらせてくださいよ」

 光秋の説明に法子は嬉しそうな顔を返し、直後に開いたドアから3人はホームに降りる。

「……ま、伊部がいいんならな」

 2人の様子に小田はそれだけ言って階段を上がり、光秋と法子もその後を追って改札口をくぐる。階段を上がって地上に出ると、小田を先頭に3人は歩き出す。

 しばらく進んで小田の寮の近くまで来ると、小田は光秋を見る。

「それじゃあ加藤、東京でも頑張れよ。何かあれば飲み会で言った奴を頼れ」

「トクガワさん、ですよね?」

「あぁ」

「ありがとうございます」

「ん。じゃあな」

 深く一礼する光秋に応じると、小田は寮の玄関へ向かう。

「……あ」

 ドアに消える背中を見て、光秋はあることを思い出す。

「どうしたの?」

「いや、『頼れ』で思い出したんですけど、上杉さんにもそういう人を紹介されたんですが……名前訊くの忘れてた」

「あらぁ……」

 今更ながらの失敗談に、法子は呆然と応じる。

―……でも、上杉さんの説明からすると、ESOの専属医なんだよな?……なら、向こうから気付いてくれるかな―「まぁいいや。早く行きましょうよ」

 楽観論は承知の上で割り切ると、光秋は法子に左手を差し出す。

「あと、この辺足元不安だから……」

「だったら送りなんて買って出なきゃよかったのに」

「いや……それはそうなんですけど……」

「……わかってるよ。本当のことは」

「流石法子さん」

「あたしもだよ!」

「わかってるよ。綾も流石だ」

 少しでも長く一緒にいたいという本音を察していたらしい法子、その微笑みに内心脱帽しながら、一瞬代わって目くじらを立てた綾に苦笑いを向けると、光秋は法子の右手を握って寮を目指す。

 少し歩いて路地に入り、そこをさらに進んで寮の玄関をくぐる。

 210号室の前に着くと、光秋は名残惜しそうに法子の手を離す。

「それじゃあ…………お休みなさい!」

 言うや否や踵を返し、早々に階段へ向かおうとする。

 しかし、

「待って!」

「!」

最初の一歩を踏み出す前に法子に左肩を掴まれ、光秋は思わず後ろを振り返る。

「……その…………ちょっと、上がっていかない?」

「…………いいんですか?」

 歯切れの悪い法子の申し出に、光秋は口では問い返しながらも抗い難い魅力を感じる。

「……ちょっとだけ、さ」

「…………それじゃあ……ちょっとだけ」

 応じるや、光秋は法子に続いて部屋に上がり込む。

「テキトウに寛いでて。お風呂沸かしてくるから」

 居間の灯りを点け、電気ストーブを入れてそう言い残すや、法子は部屋を出ていく。

 残された光秋は、とりあえずとコートを掛け、部屋の真ん中に置かれたコタツの電源を入れて脚を突っ込む。

「…………結局、上がってしまった……」

居間を見回しながら、今更と思いつつ呟く。

―ただ…………そのことをまるで後悔してない自分がいるよな。寧ろこれは…………喜んでる―

 妙に醒めた部分で現状を自己分析していると、法子が戻ってくる。

「コタツは点けてないけど?」

「さっき入れました」

「そっか…………テレビでも、観る?」

「はい……」

 気まずい沈黙に耐えかねた法子の提案に頷くと、光秋はコタツの上のリモコンを取ってテレビを点ける。

 たまたま映ったバラエティー番組を2人揃って観る――というより眺めるものの、内容が頭に入ってくることはなく、そうしている間に風呂が沸いたことを告げる音楽が響く。

「…………風呂沸いたみたいなんで……僕もう帰ります」

 再び名残惜しさを感じながらもそう告げると、光秋はコタツから出て立ち上がる。

 と、

「待って!」

十数分前と同様に伸ばされた法子の――否、今度は綾の右手が、光秋の左手を掴む。

「もうちょっとだけ……」

懇願する様な目を向けつつ、先程法子が肩を掴んだ時よりも心なしか強い握力が手に掛かる。

 しかし、

「…………否、今日はもうダメだ」

綾の手をやんわりと振り払った光秋は、未だ懇願を宿す目を見据えて、自身伊部姉妹に引かれる後ろ髪を断ち切るつもりで告げる。

「明日また会おう。明日、目いっぱい楽しもう……」

 半分は自分に言い聞かせると、コートを羽織って持ち物を確認し、玄関へ向かう。

 ドアを開けて廊下に出ると、振り返って見送りに来た綾を、その少しだけ潤んでいる目を見据える。

「じゃあ、また明日。9時に駅前集合だったよな」

「……うん」

 待ち合わせの時間と場所を確認する光秋に、綾は静かに頷く。

「……それじゃあ……」

「……うん。じゃあね…………また明日……」

 綾と、一瞬俯いて代わった法子の返事を聞くや、光秋は今度こそ踵を返して速足で階段へ向かう。

 脇目もふらず階段を下りて玄関をくぐり、大股で路地を突っ切って大通りに出る。

 左折して寮への帰路を進みながら、光秋は胸の中に巣食う悔いを自覚する。

―……あのままお言葉に甘えておけば……って思ってるな。性懲りもなく…………―「明日だ。明日とことん楽しむ。そして、その後に控えている務めを果たすっ」

 そう心なしか強く呟き、胸の中の悔いを力押しで割り切らせると、家路を急ぐ足をさらに速める。

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