白い犬   作:一条 秋

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 今回から「加藤隊結成編」に入ります。
 また、今回から今までと書き方を少し変えてみることにしました。今までの書き方に馴染んでいただいたみなさまにはご迷惑をかけるかと思いますが、今後とも『白い犬』をよろしくお願いいたします。


加藤隊結成編
77 転属1日目


 1月17日月曜日。

 新幹線に揺られること2時間少々。東京駅に降り立った光秋は、カバンから新しい寮までの道のりを書いたメモを取り出すと、周囲の案内表示を頼りに目的の路線を探す。

 

―にしても、凄い人だなぁ……京都駅がまだかわいく見えるかもなぁ……―

 

 流石は州都の玄関口にして主要線の交差点ということか、午後1時半という時間帯も合わさって、構内は人で溢れており、京都駅の光景を見慣れた身でも思わず圧倒される。

 それでもどうにか目的の路線の改札口を見付け、最寄りの券売機で行き先までの切符を購入してそこをくぐる。

 電車の乗り継ぎを繰り返すこと約1時間。都心から少し離れた閑静な住宅街に建つ駅で降りると、事前に渡されていた駅から寮までの簡単な地図を見、周りの目立つ建物と見比べながら路地を進む。

 そして駅から歩くこと5分。

 

「……ここか」

 

地図に書かれている名称と目の前の塀の表札を確認すると、光秋は新たな寮を見上げながら呟く。

 1階4部屋の2階建てのそれは、当然ながら京都の寮より大きく、傷や汚れのない壁には新築といった印象を抱く。実際、できてからまだ10年経っていないらしい。

 一通り外からの観察を終えると、寮の左隣に建つ管理人の住宅を訪ね、事前の連絡に従って鍵を受け取ると、門をくぐって新たな自室のドアの前に立つ。

 

―さて、新居はどんなものか……?―

 

 新しいものに対する期待と、それを若干上回っているかもしれない不安を抱きながら開錠し、ドアを開けると、以前と大して変わらない広さの玄関に足を踏み入れる。

 右に台所、左に浴室やトイレが設けられた廊下を抜け、仕切りたる白一色に塗られたドアを開けると、主要空間たる居間に出る。

 

「……前よりちょっと広いくらいか?もっとも、家具を入れたらどうなるか……」

 

 八畳程のフローリング床を眺めて呟きながら、まずまずの印象を覚える。

 荷物を置いてひと休みし、少しして3時になり、引っ越し業者のトラックがやってくると、それを合図に家具設置の指示や訪ねてきた職員への対応、箱詰めした荷物の片付け等に追われる。

 

 

 

 

 それらがひと段落した午後5時。

 

「ふぅー……こんなとこかね?」

 

 紐で束ねた段ボールを玄関の脇に置いた光秋は、粗方片付けが済んだ室内を見渡してみる。

 部屋の中央に机、その右隣にベッド、左前の部屋の隅にテレビを載せた箪笥と、物の配置は以前と大差ないが、冷蔵庫が廊下に置けるようになったこと、もともと以前よりも大きい間取りだったことから、京都の部屋より心なしか広く感じる。

 

「段ボールは追々片付けるとして……今日はこんなとこか……」

 

 言いながら作業が終わった実感を得ると、部屋の隅に置いていたカバンから今後の予定が書かれた紙を取り出し、椅子に腰を下ろしてそれを確認する。

 

―主任研修は明後日19日からか。東京本部って確か、ここから6駅くらい行ったとこなんだよな。明日は特に何もないし、試しに1回行ってみるかね。道のりも確認したいし…………研修――勉強かぁ……ついでにノートでも買ってくるか……―

 

 新しい生活への期待と、それ以上の不安を覚えつつ、光秋は明日の予定を立てていく。

 

 

 

 

 1月18日火曜日午前10時。

 茶色のコートに身を包んだ光秋は、最寄り駅から電車に乗り込み、6駅先の新しい寮の周囲と比べて都会然とした摩天楼の中に降り立つ。

 右肩に斜め掛けしているカバンから昨日の内に調べた日ESO東京本部までの地図が印刷された紙を出すと、それと周囲を見比べながら歩き出す。

 

「……こうして自分の足で通うと、また違う印象だなぁ」

 

 ナイガー初出現の際の査問と先日の迎賓館警護の打ち合わせ、都合2回行ったことがある本部だが、いずれも上空からいきなり敷地の只中に降り立ったため、今の様に歩いて赴こうとしていることに、思わず感慨を覚える。

 そうして駅から歩くこと10分。目の前に周囲のビルに負けない長大さを誇る極太のビルが見えてくる。その足元には大小複数の建屋や小さなビルが並び、その周囲を背の高い塀が囲っている。

 

「あれだな」

 

 それが東京本部だと理解するや、光秋は右手の塀に沿って歩を進め、少し歩いて正門前に辿り着く。

 

―…………デカい―

 

 塀のそばから見上げる本舎ビルの巨大さに、心の中でただ一言溢す。

 

「……と!呆然としてる場合じゃない」

 

 しかしすぐに気を取り直すと、左手の腕時計で時刻を確認し、部屋を出た時の時間を思い出して大よその移動時間を計算する。

 

―……だいたい30分ってとこか。寮から駅、駅から本部までの移動は大して掛からないとして、問題は電車での移動か……そこは追々工夫していくか……―「明日からここに通うんだよなぁ……」

 

 通勤方法に関する思案を終え、改めて本舎を眺めると、今更ながら抱いた日ESOの本丸で働くという自覚に膝が笑い始める。

 

「……さて。せっかく来たんだし、この辺少し回ってみるか。ノートも買ってかないとな……」

 

 そう声に出すことで気を取り直すと、地図をカバンに仕舞い、本部を中心とした周囲の散策を始める。

 

 

 

 

 午後8時半。

 入浴を終え、コタツに籠って新しく買った本を読んでいた光秋は、ふと顔を上げ、部屋の隅に置いた明日の荷物を詰めたカバンと、ハンガーラックの端に掛けた黒の背広を見やる。もともとは大学の入学式参加や、卒業が迫った頃の就職活動用に向こう側の家から持参してきたものだ。

 

―特エスの主任は、基本背広なんだよなぁ。入間主任もそうだったし……―

 

 秋田や迎賓館で見掛けた服装を思い出しつつ、再び本に目を落とす。

 しばらくして、机の上の時計が9時を指しているのに気付く。

 

「……そろっと寝るか。明日早いし」

 

 若干の緊張を含んだ声で呟くと、読んでいた本に栞を挟んで机に置き、用を足してベッドに上がる。

 

―いよいよ明日からかぁ…………―「鬼が出るか、蛇が出るか……」

 

 胸中に渦巻く不安を端的に声に出すと、明かりを消して布団を被る。

 

 

 

 

 1月19日水曜日午前6時。

 転属して初めての出勤故の緊張からか、携帯電話のアラームよりも若干早く目が覚めた光秋は、朝食等を済ませていつでも出られるようにする。

 

「……こんなんでいいのかなぁ?」

 

 慣れないネクタイに首回りを四苦八苦させつつ、背広を着た体をコタツに収め、適当な時間になるまで待つ。

 しばらくして7時を回ると、コタツを切りながら腰を上げ、エアコンも消し、私物の茶色いコートを羽織ってカバンを提げる。

 寮を出て駅へ向かい、ホームに入るややって来た電車に揺られることしばし、降りた駅から本部までの道を昨日の記憶を頼りに進み、正門前で一旦足を止めて、カバンから出した研修に関する指示が書かれた紙に改めて目を通す。

 

―えっと……8時までに本舎の3階に行けばいいわけで…………あー、何度読み直しても緊張するぅ!―

 

 周囲の寒さとは裏腹に薄っすら汗ばんだ手で紙を戻すと、光秋は本舎を眺めながら昨日に引き続き膝を笑わせる。

 が、それも束の間、

 

「……腹決めよう…………よしっ!」

 

小さな宣誓と共に頬を叩いて気持ちを切り替えると、門の陰から出て真っ直ぐ本舎へ向かう。

 しかし、

 

「!?ちょっ!ちょぉっ!!」

 

数歩進んだところ突然カバンが引っ張られ、紐を斜めに掛けていた体が引かれるままに足をよろけさせながら左に進まされる。

 

「念力?」

 

 理解する間にもカバンを引いていた力は消え、辺りを見回すと本舎の壁に背中を預けた見知った人を見付ける。

 

「ハーイ、ワンちゃん。1カ月ぶりってとこかしら?」

「曽我さん……お久しぶりです」―今の曽我さんか。初めて会った時は制帽持っていて、秋田ではニコイチに雪玉ぶつけて……こういうの好きだよなぁ、この人……―

 

 制服姿の曽我に応じつつ、光秋は彼女のイタズラの数々を振り返ってみる。

 その間にも、曽我は不敵な笑みを浮かべて光秋の許に歩み寄ってくる。

 

「秋田で大活躍したと思えば、翌月には本部に栄転、おまけに特エス主任に異動だなんて、異例の大出世じゃない」

「どうも……あれ?曽我さん僕の状況知ってるんですか?」

 

 自身としてはそんなに喜んでもいられないことを掻い摘んで述べる曽我に、光秋はふと疑問を覚える。

 

「知ってるもなにも、本部はその話題で持ち切りよ。良くも悪くもね」

「……まぁ、そうでしょうね……」

 

 曽我曰くの「異例の大出世」に対する人々の感想、今更ながらそれに思い至った光秋は、多少萎えていく気持ちを自覚する。

 しかしいつまでもそうしているわけにもいかず、気を取り直すことも兼ねて先程から抱いている疑問を口にする。

 

「ところで、曽我さんはなんでこんな所に?」

 

 それを聞くや、曽我はますます笑みを濃くする。

 

「よく訊いてくれたわね。あなたを迎えにきたのよ」

「僕を?」

「そう。不慣れなワンちゃんが迷子にならないように、本部を案内してあげようと思って」

「それはありがたいことですが…………曽我さん、何か企んでます?」

「貴方アタシを何だと思ってるのよっ!」

 

 少し距離をとって探る目で訊ねる光秋に、一瞬前までの笑みはどこへやら、曽我は目を三角にして怒鳴る。

 もっとも、不敵な笑みの所為で掴みどころがよくわからなかった姿があっさり崩れたことは、逆に光秋を安心させた。

 

「怒らないでください。冗談ですよ。まさかここまで本気にされるとは思いませんでしたが……」

「冗談ねぇ?……まぁいいけど」

「どうも……それはそうと」

 

 そう言って怒りが鎮まった様子の曽我に、光秋は先程確認した紙をもう一度出す。

 

「そういうことなら、早速案内していただけますか。ここなんですが」

 

言いながら、研修の部屋の名前が書かれた辺りを指さす。

 

「ここね。りょーかい!ついてきて」

 

 応じながら笑みを取り戻すと、曽我は本舎の正面玄関へ向かい、光秋も後に続く。

 少し進んで最寄りのエレベーターに乗り込むと、光秋は左隣に立つ曽我を見る。

 

「ところで、曽我さん」

「なに?」

「真面目な話、何で僕を迎えにきてくれたんですか?状況を考えるに、寒い中早く来て待っててくれたみたいですけど?」

「別に、寒い中待ってなんていないわよ。上の階の暖房が効いた部屋で下を見てて、ワンちゃんが来たのが見えたら念で窓から下りただけだから。早めに来たのは確かだけどね」

「……もしかして、カバン引っ張った時ですか?」

「そう」

「……曽我さんの方の状況は解りましたけど……結局、何でそこまでしてくれるんです?」

「……ホントのこと言うとね、アタシも人から頼まれたの。ワンちゃんが来たら迎えに行けって」

「人から?」―誰だ?―

 

 思いがけない返答に、光秋は首を傾げる。

 

「ただそれだけじゃなくてね、アタシもワンちゃんのこと呼びに行きたかったのよ」

「それまた何で?」

「一応、ワンちゃんには何かとお世話になってるし……研修が終わって正式に主任になったら、もうこんな口の利き方も、『ワンちゃん』って呼び方もできなくなるしねぇ。少なくとも勤務中は。だから、今の内にたっぷり言っとこうと思って!」

「あぁ、そうか……主任になったら、僕出世するんですよね……」

 

 どこか嬉々として語る曽我に応じつつ、光秋はまた今更ながら自分の置かれている状況、その失念していた部分を思い出す。

 

―特エス主任は士官が務める規定。つまり研修が終われば、僕も自動的に三尉に昇格ってことか……僕が士官…………どうも実感湧かないなぁ……―

 

 率直な感想を心中に溢した直後、エレベーターの扉が開き、光秋は曽我の後を追って3階の廊下に出る。

 

―これは……真面目に曽我さんがいてくれてよかったかもな。そうでなきゃ今頃迷子だ―

 

 同じ様な景色が延々と続く廊下を眺めながらそう思う間にも、前を行く曽我が1つのドアの前で立ち止まったのを見て、光秋も歩みを止める。

 

「ここよ」

「ありがとうございます。では――?」

 

 礼を言って部屋に入ろうとした直前、光秋が握ろうとしていたドアノブを先に回して曽我が一足早く部屋に入ってしまう。

 

「曽我さん……?」

 

突然のことに首を傾げつつ、光秋もやや速足でそれに続く。

 と、ホワイトボードの前に折り畳み式のテーブルとパイプイスが置かれた室内に見覚えのある顔を見付ける。

 

「主任、加藤二曹をお連れしました」

「おぉ、ご苦労さん」

 

 曽我の報告に応じる間にも、テーブルのそばに立っていた獅子の鬣の様な頭をしたスーツ姿の男が歩み寄ってくる。

 

―この人確か、曽我さんの主任の……えー…………―

 

 その特徴的な髪形から、光秋は10月の合同演習前に京都支部を訪ねてきた目の前の人物を思い出す。が、肝心の名前がどうしても思い出せない。

 

―藤原三佐みたいな名前だった気はするんだよなぁ……フジ、フジ…………―

 

 そうして悩んでいる間にも、鬣は光秋の前に到着してしまう。

 

―イカン!えー…………―

 

 焦るあまりワイシャツの下を冷たい汗が伝うが、鬣は気にする素振りもなく口を開く。

 

「よく来たな加藤二曹。藤岡隊主任の藤岡(ふじおか)(きよし)一尉だ。この度君の教官を務めることになった。よろしく頼む」

「!よろしくお願いしますっ!」―そうだ!藤岡主任だ!―

 

 鬣――藤岡の自己紹介でようやく思い出した名前に心中で喝采を上げながら、光秋はこれから最もお世話になるであろう目の前の偉丈夫に深く頭を下げる。

 ややあって頭を上げると、藤岡が左手首の腕時計を確認しているのを見る。

 

「予定まではまだ少し時間があるが、とりあえず俺と君だけいれば充分だしな……時間も惜しいことだ、早速研修を始めよう」

「はい!」

「曽我、お前はいつも通り自主練を。何かあれば俺の携帯にかけろ」

「了解」

 

 それぞれに指示を出すと、藤岡はホワイトボードの許へ向かい、曽我は部屋から出ていく。光秋も脱いだコートをイスの背もたれに掛けて腰を下ろすと、カバンから出したノートをテーブルに広げ、右手に持ったシャープペンシルの芯を出す。

 

―いよいよ、か……―

 

 口の中で呟いた通り、いよいよ光秋の主任研修が始まった。

 

 

 

 

 午後0時。

 午前中の研修を終え、食堂に移動した光秋は昼食にブリの照り焼き定食を摂る。

 テーブルを挟んだ正面にはここまで案内してくれた曽我が座っており、生姜焼き定食を食べる手を休めて訊いてくる。

 

「どう?初日の研修は?」

「いっぱいいっぱいです」

 

 鈍痛のする頭で即答すると、光秋は味噌汁で口を湿らせる。

 

「午前中を使って超能力の基礎知識――大まかな歴史とか、能力の種類とか、レベルの基準なんかを教えてもらったけど……正直甘く見てました」

 

 言いながら、研修風景を振り返る。

 

―歴史なんかはこっちに来てすぐに三佐に教えてもらったから、その延長と思ってたけど……超能力に関して掘り下げた所為かな?専門用語が多くてメモをとるのがやっとだったし……種類とかレベルとか、そういう“概要”については尚のこと……こりゃあただ学ぶだけじゃなくて、追々復習が必要だなぁ……―

 

 自身の見通しの甘さを認めながら、この先しばらくこの調子が続くことに憂鬱になる。

 その時、何処からというわけでもなく、複数の人の囁き声が聞こえてくる。

 

「ねぇ、もしかして彼が噂の?」

「京都から来たっていう二曹か?」

「1年も経たずにスピード昇格、入隊当初から新兵器のテストに参加してるっていう……」

「とうとう本部に、それも特エス主任なんて花形に栄転かぁ」

「でも大丈夫かしら?今からそんなとんとん拍子で?」

「上るのが早ければ、落ちるのも早いさ」

「どうせなら、できるだけ高い所から豪快に落ちてくれねぇかぁ……」

「……」

 

 一連のやや声が大きい囁きを、光秋はブリをほぐしながら聞き流す。

 と、曽我が囁きした辺りに棘のある視線を向ける。

 

「なによアイツ等。これ見よがしに好き放題」

「あんまり気にしない方がいいですよ」

「ワンちゃんがちょっとは気にしなさいよ。なにしれっとしてんの?」

「別にしれっとはしてませんよ。ただ、あぁいうのは聞き流すに限ると思って」

「それはそうかもしれないけど……」

「それに、嫉妬っていうのか、妬みっていうのか、そういうのは誰でも抱きますし……」

「……」

 

 半分は自分自身に対して言った光秋に、曽我はそれ以上何も言わず、視線の棘も引っ込める。

 

「…………曽我さんは、あんなふうに感じないんですか?自分で言うのもなんですが、どこの馬の骨かもわからない、そのくせ妙に好待遇な奴が同じ職場にやってきたら……正直に言うと、僕ならちょっと思っちゃうな。流石に声には出しませんが」

 

 出だしこそ迷いながらもほぼ直線的に問い、赤裸々に語った光秋に、曽我は少しの間考える顔をする。

 

「そりゃあ、何も知らなければ、アタシも少しは思うかもしれないけど……けど今朝も言ったように、ワンちゃんには何かとお世話になってるし……あなたのこと少しは知ってるしね」

「というと?」

「馬の骨とまでは言わないけど、確かに普段ぼんやりしてて、おまけにトロくて」

「トロいはひどいなぁ……」

「ホントのことでしょ?……でも、やる時はやってくれるっていうか、いざという時頼りになるっていうか……『異例の大出世』なんて言ったけど、どっかでこの結果に納得できるような気がするのよねぇ……」

「……『納得』、ですか……」

 

 曽我の口から出てきたその一言に何故か引っ掛かるものを覚えながら、光秋はブリ一切れを白飯と一緒に口に運ぶ。

 

 

 

 

 昼食を終え、昼休みが過ぎると、光秋は藤岡との研修を再開する。

 途中に小休止を挟みつつ超能力の概要について学ぶこと3時間少々。午後4時を少し過ぎたところで小休止に入った光秋は、座りっぱなしで固まった体を伸びてほぐすと、昼食時よりさらに鈍痛が強くなった頭を俯け、テーブル上のノートを見やる。

 

―ホント、こりゃ復習が必要だなぁ……―

 

 ホワイトボードの写しを軸に、所々自分なりの理解が走り書きされたノートを眺めながら、その膨大な情報量と濃密な内容に軽い眩暈を覚える。

 

―こんなのが『異例の大出世』をして『納得』?曽我さんも(たち)の悪い冗談を……―

 

 話についていくので精一杯な自分に劣等感を覚えつつ、昼食時の曽我の発言を受けて自虐的に微笑んでみせる。

 その時、

 

―……噂をすれば―

 

タイミングを見計らったかの様に、曽我が部屋に入ってくる。

 

「あれ?主任は?」

「煙草吸ってくるって言って出ていきましたよ」

 

 藤岡の姿を探す曽我に、光秋は少し前に聞いた言伝を思い出しながら答える。

 

「藤岡主任がなにか?」

「ううん。いないから訊いただけだけど……だいぶへばってるみたいね」

「わかりますか……?」

 

 単刀直入な曽我の指摘に、光秋も疲労感を隠さず返す。

 

「ちょうど今曽我さんのことを考えていました……僕の現状に『納得』なんて、質の悪い冗談だって」

「そうかしら?」

「そうですよ……本当に、何でこんな人事になったのか……」

「……噂だけど、ワンちゃんを主任に推薦したの、入間主任らしいわよ」

「え?それどういう――」

 

 予想外な回答を述べる曽我に光秋がさらに訊こうとしたその時、ノックもなしにドアが開く音が響き、2人はそちらに顔を向ける。

 

「!……君たち」

 

 入ってきた3人の少女――柏崎桜、北大路菊、柿崎菫に、光秋は目を丸くする。それぞれ私物と思しきコートの下に紺色のブレザーとスカートの制服を着、赤いランドセルを背負っているところかして、学校帰りに立ち寄った様子だ。

 柏崎と北大路が睨む様な視線を寄こしてくる中、柿崎がぎこちなく口を開く。

 

「ど、どうも、加藤さん……パーティーの時はお世話になりました」

「あぁ、いや、こちらこそ」

 

 頭を下げる柿崎に返礼すると、光秋は不意に湧いた疑問を述べる。

 

「その後、入間主任の容態は?」

「まだここの医療棟に入院してるけど、順調に回復してるって先生が」

「それはなにより」―何はともあれ、あの時頑張った甲斐はあったか―

 

 柿崎の返答に、光秋はNPのメガボディ――フラガラッハの腕部機銃に撃たれた入間を柏崎たちの力を借りて応急処置した時を思い出しながら、それが功を成したことに安堵を覚える。

 と、それまでドアの横の壁に背中を預けていた柏崎が、柿崎の前に出て険の強い目で光秋を見据えてくる。

 

「主任から聞いたけど、あんたが新しい主任になるって?」

「え?……あぁ。研修が終わり次第、入間主任が回復されるまでの間だけど……?」

「そう……」

 

 質問の意図を図りかねながらも答える光秋に、柏崎は確認が済んだとばかりに呟くと、もともと険しい視線をさらに険しくする。

 

「局長たちがどういうつもりか知らないけど……少なくともアタシ等は、あんたを主任と認めないから!」

「…………は?」

 

 藪から棒に言われた宣言に、光秋はどう返していいかわからず、自分でも間抜けな声を上げるのでいっぱいになる。

 

「確かに主任を助けるのに協力してくれたのは感謝してるし、あんた自体は別に嫌いじゃないよ。でも、アタシ等の上司になるってんなら話は別!アタシ等の主任はあくまでも入間主任だ!それ以外の奴の言うことなんて聴かないから!!」

「聴かないって……そんな話通るわけないだろう?だいたい、そうなったらここに来た僕は何をすればいい?」

「さぁ?待機室の椅子に座って昼寝でもしてればいいんじゃないですか?」

 

 光秋のやや強い反論に、それまでドアのそばに佇んでいた北大路が突き放す様な声で言ってくる。その視線は洞穴の様に暗く、こちらを見下していることを隠しもしない。

 

「とにかくそういうことだから。行こう菊、菫」

 

 言うや柏崎は踵を返し、北大路も黙ってそれに続く。

 

「あ、あの……失礼しました!」

 

 気まずそうに深く頭を下げて柿崎も出ていくと、光秋はしばらく一行が出ていったドアを呆然と眺める。

 

「…………」

「…………あの、ワンちゃん?」

「フッ……フフフフフフッ……!」

 

 迷いながらも声を掛ける曽我に、光秋はゆっくりと顔を向けると、炎天下の中に長期間放置された鉢植えの如き渇いた笑い声を漏らす。

 

「勉強は解らない、部下になる予定の者たちからは拒絶される……正しく前途多難ですねっ!」

 

 いっそ清々しいくらいの笑顔を浮かべたその時、藤岡がドアを開けて入ってくる。

 

「よし、研修再か……どうかしたか?」

「いえ、主任。これは……」

 

 不自然な程にハツラツとした笑みを浮かべる光秋に、藤岡は反射的に身構え、曽我は説明の言葉を探そうとする。

 が、一言も発する前に光秋が口を開く。

 

「いいえなんでも。それより、早く再開しましょうよ」

「……あ、あぁ。そうだな……」

 

 急かす光秋に応じると、藤岡はホワイトボードの前に移動して研修を再開させる。

 光秋もシャープペンシルを持ち直し、再び概要説明に聞き入る。

 が、胸の中では先程までの笑みとは裏腹に半べそをかきながら、誰にも聞かれることがないのを承知で呟く。

 

―安易にこの言葉は使いたくなかったが、おそらくこれ以上の適切な表現もないかもなぁ…………最悪だっ!!―

 

 転属1日目の勤務は、新しい部署の勝手の違いを身を以って知るものとなった。

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