白い犬   作:一条 秋

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80 “次の人”

 1月24日月曜日午後0時。

 午前中の研修を終えた光秋は、いつものように重く感じる頭を抱えて食堂へ向かい、注文が載ったトレーを受け取って空いている席を探す。

 と、傍らに同じくトレーを持った曽我が現れる。

 

「あらワンちゃん。今からお昼?」

「はい。曽我さんもですか……ただ、席が……」

 

 応じつつ、光秋は混み合う室内を見回し、空席を見付けられずに途方に暮れる。

 

「あそこ空いてるじゃない。行きましょう」

「……あ、ホントだ。ありがとうございます」

 

 曽我の視線を追ってようやく空席を見付けると、光秋は礼を言いながらその後についていく。

 テーブルを挟んで向かい合って座ると、それぞれ自分の昼食に箸をつける。

 

「そういえば、休憩時間中に藤岡主任から聞いたんだけど」

「?……」

 

 焼き鮭定食を摘まみながら声を掛けてくる曽我に、光秋はフォークに巻き付けたカルボナーラを口に運びながら視線を向ける。

 

「休みが明けてからのワンちゃん、研修に対する身の入り様が変わったって……週末なんかあったの?」

「いや特に心当たりは……そもそも身の入り様が変わったって、研修が開始した時から真面目に受けてるつもりですよ?……劣等生な自覚はあるけど……」

 

 最後の方は小声で言いながらも、心外な気持ちを抱いた光秋は少し眉を寄せる。

 

「いや、主任もそれは言ってたんだけど、なんていうか……『熱意』、みたいなものを感じるようになったって……」

「『熱意』?」

「主任もなんて表現していいかわかんない様子だったけど、とにかくそんなこと言ってた」

「……『熱意』、かぁ…………あぁ……」

 

 その言葉に、光秋は昨日、入間主任の見舞いに訪れた時のことを思い出す。

 

―あそこでいろいろあったからな。入間主任の想いとか、気持ちの整理とか、腹の括り直しとか……ただ、一番大きいのは……―「“味方”ができたから、ですかね」

 

 言いながら、柿崎の顔が浮かぶ。

 

「『味方』って?」

「味方というか……自分に好意的な人、気に掛けてくれる人とでも言えばいいのかな。そういう人が一人いてくれるなら、こっちもそれなりに頑張らなくちゃなって、そんなとこです」―それが近い未来の部下なら、なおのこと……―

 

 口の中でそう付け加えると、光秋は水を一口飲む。

 

「あ、でも、そう考えると曽我さんも“味方”の内ですかね?なんだかんだで気に掛けてくれるし」

「別にぃ……前にも言ったけど、アタシがあなたに対してイバれるのは今の内だし、出世するのがわかってるなら恩を売っとくって手もね……」

「そういう言い方、こちらも気が楽です」

「生意気っ」

「どうも……」

 

 口を尖らせる曽我に短く応じると、光秋は麺をまたひと巻き口に運ぶ。

 

 

 

 

 昼食を終えた光秋は曽我と別れ、一路研修室へ向かう。

 途中、催したので近くのトイレに立ち寄り、ドアを開けると、

 

「!…………富野大佐……!?」

「おぉ、加藤二曹。面白い所で会うな」

 

たった今小さい方を済ませた様子の富野大佐に遭遇し、思わぬ事態に束の間固まる。

 

「……お、お久しぶりです!」

 

 ややあって立ち直るや踵を揃えた直立不動の姿勢をとり、若干震えた声で挨拶する。

 

「そうだな。10月の合同演習以来か?本部付きの特エス主任に転属したと聞いたが、本当だったんだな」

「……まだ、研修中ですが……」

 

 洗った手をハンカチで拭きながら感心した様に告げる富野に、光秋は未だ微震が収まらない声で付け加える。

 

「そうか……君が主任なぁ…………」

「……?」

 

 どこか遠くを見る様な目でそう呟く富野に、光秋は首を傾げつつも、次の発言に備えてつい身構えてしまう。

 

―やっぱり、二曹が大佐に接するのは緊張するというか、富野大佐が緊張するというか……いや、マオ司令よりはマシか……?―

 

 つい抱いてしまう緊張を無意識にほぐそうとしているのか、我ながらついしょうもないことが浮かんでくる。

 その時、

 

「何をしている?済ませに来たんだろう。というか、入り口の前に立っていると邪魔になるぞ」

「!あ、はい。すみません……」

 

富野の指摘に光秋は慌てて奥へ進み、青服姿の背中がドアに消えるのを見ると、どっと脱力感が襲ってくる。

 

「はぁー……何で富野大佐の前だと緊張するかな?そもそも、何で大佐がESO本部に……」

 

 いくつかの疑問を小声で呟きながら、思い出した様に用を足し、手を洗って退出する。

 と、

 

「そういえば、幼少の特エスを預かるそうだな」

「!?……大佐、まだいらしたんですか……」

 

ドアのすぐ横に控えていた富野に声を掛けられ、すでにいないと思っていた光秋は跳び上がらんばかりの勢いで驚く。

 

「あぁ。これから会議なんでな」

「会議?」

「例の新興の武装勢力……Zeus‘s Childrenとかいったか。その対策会議というかな。陸軍とESO、警察の連携に関する打ち合わせと言えばわかりやすいか?」

「はぁ……なるほど……」―敵が増えたから他機関との連携を密にする、その打ち合わせ、か…………―

 

 富野の説明を自分なりに咀嚼する一方、光秋はその表情に違和感を覚える。

 

―大佐の顔、何だろう?懐かしいような、憤ってるような……物部さんの話が出た時の藤原三佐と同じような…………あ、そっか。大佐は物部さんと顔見知りなんだっけ……やっぱり、いなくなった知り合いがこんなことになって、大佐も悩んでるのかな?―

 

 藤原から物部のことをひと通り聴いた時のことを思い出して表情の理由を察し、その心境を想像していると、富野が怪訝な顔を向けてくる。

 

「何だ?会った時はお化けでも見た様に驚いたかと思えば、今度はまじまじと見つめて。挙動不審だぞ?」

「!失礼しました!」

 

 指摘にすぐに頭を下げる光秋に、富野は今度は考える顔を向けると、左手首の腕時計を見る。

 

「12時半……昼休みは1時までだったな?」

「あ、はい……?」

「なら、少し付き合え」

「え?」

 

 唐突に告げるや富野は歩き出し、話についていけない光秋はしばし呆然とする。

 

「何をしている。早く来い」

「あ、はいっ!」

 

 急かされて我に返るや、慌ててその背中を追う。

 

―『付き合え』って…………大佐、何をなさるんです?―

 

 不安で一杯な胸中に小さく漏らしながらも、足は富野の後を追い続ける。

 

 

 

 

 廊下を歩くこと少し。近くの自動販売機の前で立ち止まった富野は、上着のポケットから財布を取り出す。

 

「何にする?好きなのを頼んでいいぞ」

「え?いや、そんな……」

 

 突然の申し出に、光秋は両手を前に出して遠慮の意思を示すが、

 

「気にするな。たかが自販機の飲み物だ。そもそも連れ出したのは私だからな。お茶代くらい出させてくれ」

「はぁ……では、緑茶を……」

「これか」

 

結局は富野の申し出に膝を折ると、買ってもらった缶入りの温かい緑茶を受け取る。

 富野も缶コーヒーを買うと傍らのベンチに腰を下ろし、視線の促しに従って光秋もその右隣に座る。

 缶のフタを開けてコーヒーを一口飲むと、富野は遠くを見る様な目で話し始める。

 

「藤原さんから聞いていると思うが、私もESOの特エス出身だった」

「はい。先日三佐から…………いや、その前に純さん――横尾中尉の弟さんに教えてもらいました。10月の演習の時に」

「純から?……そうか」

 

 光秋の返しに、富野は意外そうな顔を浮かべる。

 一方、光秋は話し始めて間もないにも関わらず、富野の話し方に違和感を覚える。

 

―なんか、これまで会った時と雰囲気が違うような……親しげ?力を抜いてる?でも完全じゃないような…………?―

 

 そうして違和感の正体を考察する間にも、富野は続ける。

 

「当時はレベル8のサイコキノでな。多くの幼少の超能力者がそうであるように、図に乗って無茶ばかりして、横尾主任には大変迷惑をかけた」

「はー……?『当時は』?」

 

 冷静で思慮深そうな今とはまるで違う幼少期像が浮かばず悩んでいると、不意にその一言が思い出される。

 

「あぁ。『当時』――12歳くらいまでの話だ。NPが起こしたテロの鎮圧に向かった時、主任の指示もろくに聴かず、まんまと不意打ちを喰らってな」

 

 言いながら、富野は前髪を上げ、隠れていた額を露わにする。

 そうして現れたのは、額の右側を左上から右下に向かって斜めに走る切り傷の痕だ。

 

「……それは」

 

 すでに完全に塞がっているものの、そこだけくっきりと浮かんだ一本線に、光秋はそれ以上なんと言っていいかわからなくなる。

 

「その時の傷だ」

 

 案の定の答えを告げながら前髪を下ろすと、富野は苦い顔を浮かべる。

 

「この負傷が原因、かどうかは定かでないが、以来8だったレベルが6まで下がった挙句、汎用性の高かった念力が変質したのか、発火能力限定になってしまった」

「レベルの増減は聞いたことがあります。危機的状況――所謂『死にかけて』レベルが上がったとか、頭部周辺を負傷して低下したとか。でも、能力の変質って……そんなことが?」

 

 研修で習ったことを記憶から引っ張り出しながら、光秋はたった今抱いた疑問を訊いてみる。

 

「あるんだろう。実際ここに1人いるしな。超能力はまだ不明なことが多い。その僅かに解っていることの1つが、中枢が脳にあるということだ。君が言ったように、その周辺を負傷すれば、何が起きてもおかしくないかもしれん。もっともそれ以前に、私の場合は頭を負傷してなお、こうして達者でいられる現状を感謝すべきなんだろうな」

「それは、まぁ……」

 

 苦笑を浮かべながらもっともなことを告げる富野に賛同しつつ、光秋は模糊とした返事を告げる。

 

―……結局、大佐はどういう目的で僕を誘ったんだ?お茶を奢ってくれたのは嬉しいし、思わず昔話を聞けたのもなかなか面白かったが…………―「ところで、大佐。失礼ながら、先程から全く話が見えてこないのですが……まさかご自身の昔話をするために僕を誘ったのですが?」

「あぁ、すまん。今のは余計だったな」

 

 焦れながらも恐る恐る問う光秋に、富野は苦笑を消しながら応じる。

 

「君が、そんな昔の私と似た様な特エスたちの主任になると思うと、感慨深くてな。旧入間隊のメンバーがそんな感じだと聞いていたし」

「……大佐の幼少期の様子が今一つ浮かんでこないのですが……まぁ……」

 

 光秋が曖昧に応じると、富野は心なしか表情を引き締める。

 

「だからこそというのか、私が特エス時代にお世話になった横尾主任が少し面白いことを考えていてな。それを伝えておきたかったんだ」

「『面白いこと』、ですか……」

 

 その一言に、光秋は小さく興味を抱く自分を自覚する。

 

「“次の人”、という言葉を聞いたことは?」

「…………いいえ」

 

 唐突に訊いてくる富野に、光秋は記憶、特にこちら側に来て以来の日々を振り返りながら首を横に振る。

 

―日常会話で使うような意味合いではないよな。思想史には時に独特な言い回しが出てくるが、その類か…………?―

 

 自分なりに推測を巡らせる間にも、富野は真面目な中にも懐かしさを浮かべながら語る。

 

「そうだろうな。横尾主任が独自に考え、結局は発表どころか、満足にまとめることも叶わずに残されていったアイデア、その根幹を成す造語だからな」

「横尾主任は思想家かなにかだったんですか?」

「いや。本人によるとあくまでも趣味の範囲内だったそうだが……整理戦争が始まる前後くらいにはすでに構想されていたそうだ。方法はどうであれ、一つにまとまっていく人類――今の地球合衆国に生きる人の在り方を提示しようとしていたらしい」

「…………“新しい人の在り方”、ですか」

 

 富野の言葉をそのように理解した瞬間、光秋の心臓が1回強く脈動し、その後の鼓動自体少し速くなる。

 

「そのように解釈してもらっていいだろう……もっとも、さっきも言ったように構想の途中で主任が亡くなられて、残された資料も断片的なメモくらいだったから、具体的にどんな在り方を示そうとしていたのか、結局わからず仕舞いなのだがな……」

「超能力者とはまた違うんですか?その“次の人”っていうのは?」

 

 途方に暮れる富野に、光秋は高揚しつつある気持ちを抑えながら不意に浮かんだことを訊いてみる。

 

「違う。それだけははっきり言える。そもそも主任は、超能力者とかノーマルとか、そういう括りを打開するようなアイデアを求めていたらしい」

「……『括りの打開』、ですか」

「私が辛うじて聞いていることは、曰く『自分の価値基準で物事を判断しないこと』」

「『自分の価値基準』?」

「『偏見』とか『先入観』とも言っていた気がするな。曰く、『洞察力に秀でていること』。曰く、『争わないこと』……これくらいだ」

「…………自分の判断基準でものを測らず、高い洞察力によって本質を見極められる人……?」

 

 富野自身断片的な情報を整理する様に語る中、それを聞いた光秋は自分なりにまとめたことを呟いてみる。

 そうして不完全ながらも明文化された認識が、不意に既視感の様な感覚を覚えさせる。

 

―何だろう?似た様なことを何処かで聞いたような。そんな昔じゃないよな……去年くらい?……何処だっけ…………?―

 

 首まで出掛かった答えは、しかしそれ以上先に進むことなく喉の中で霧散し、瞼の裏に夏の陽光がチラつくことに終始する。

 と、

 

「やはり、食い付いたな」

「!」

 

予想的中と言わんばかりの笑みを浮かべる富野の声に、光秋は現実に引き戻される。

 

「何度か会う内、君はこの手の話が好きな口の気がしてな。話してみて正解だった」

「それは……ありがとうございます」

 

 実際興味津々に聞き入っていた自分を振り返り、前置き通り面白かったこともあって、光秋は深めに頭を下げる。

 

「いやいや。こちらこそ興味を持ってくれたようでなによりだ。何なら、今度主任が遺したノートをくれてやろう。いろいろと理解が深まるかもしれん」

「!それは……」

 

 今一番興味のあること、その情報の塊といっても過言ではないものを提供してくれるという申し出に、光秋は思わず腰が浮きそうになる。

 が、一方で疑問も覚える。

 

「大変嬉しいのですが……そんな大切なものを僕などに渡していいのですか?そもそも、何故大佐は僕にそこまでしてくれるのですか?」

「なに、私が持っていても宝の持ち腐れになる、それなら活かせそうな奴に渡した方がいいと、それだけのことだ」

 

 なんてことのない様子で言いながら、缶コーヒーを飲み終えると、富野はベンチを立って傍らのゴミ箱に空き缶を捨てる。

 

「さて、そろそろ切り上げるとするか。付き合ってもらってありがとうな」

 

 言うや富野は踵を返し、脇目も振らずに歩き出す。

 

「!こちらこそ、ありがとうございましたっ」

 

 慌てて立ち上がるやその背中に深く頭を下げると、光秋は右手にすっかり(ぬる)くなったお茶が握られているのに気付く。

 

「あ、飲むの忘れてた……缶だし、後で飲めばいっか…………にしても、“次の人”、かぁ……」

 

 言いながら、富野との会話を改めて振り返る。

 

「先入観に囚われず、高い洞察力で以って物事の本質を見極めるられる人、地球合衆国の時代を迎えた人類の、“新しい人の在り方”…………つくづく興味深いな!……さて、僕も」

 

 弾んだ声で呟くと、光秋も研修室へ向かう。その足取りは、富野との会話の前に比べて、心なしか軽かった。

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