白い犬   作:一条 秋

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84 姫君からの誘い

 2月5日土曜日午後6時。

 

「ふぅー……終わったぁ…………」

 

 今日一日の研修を終え、藤岡主任が部屋から出ていくのを見届けた光秋は、座りっぱなしで固まった体を伸ばしつつ、少々の疲れを含んだ声を漏らす。

 と、藤岡と入れ替わる様に曽我が入ってくる。

 

「研修終わった?」

「はい」

「これからどうする?」

「食堂で夕飯食って帰ります。曽我さんは?」

「アタシもそうしよっかな」

「なら、お付き合いお願いします」

 

 言いながら、光秋はカバンにノート諸々を仕舞い、椅子の背もたれに掛けていたコートを羽織ってその上からカバンを右肩に斜め掛けすると、曽我と共に食堂へ向かう。

 各々注文の品を受け取って空いている席に向かい合って座ると、互いに食事を始める。

 

「そういえば、この間陸軍の部隊と模擬戦やってきたそうじゃない?」

「……あぁ、そうですね」

 

 曽我の問いに、光秋は口の中の唐揚げを呑み込むと、4日前のスフィンクスとの一件を思い出しながら答える。

 

「詳しいことは機密がどうとかってうるさいから敢えて訊かないけど、結果はどうだったの?勝ったか負けたかくらいは訊いてもいいでしょう?」

「負けました」

 

 我ながら清々しい即答に、つい自分が可笑しく思えてしまう。

 

「……訊いておいてなんだけど、なにその潔い即答」

 

 案の定、曽我が呆れた顔を浮かべる。

 

「いや、これでも模擬戦が終わってすぐはいろいろ悔やんだんですよ。でも、周りの人たちの話聞いてたら、くよくよしてても仕方ないって思ってきて。それに、本部に帰ってきてから報告書まとめたり、今日までの研修でバタバタしてたら、流石に割り切れてしまったというか…………」

 

 東京本部帰還後から今日までのことを振り返りながら、光秋は自分の単純さに苦笑いを浮かべる。

 その時、横から声が掛かる。

 

「ここ、相席いいですか?」

「沖一尉!」

 

 声のした方に顔を向けると、光秋は約1カ月ぶりの顔を目にする。

 

「どうぞ。曽我さんもいいですか?」

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 曽我の了承を得た光秋の勧めに応じると、沖は光秋の左隣に腰を下ろす。

 

「ご無沙汰してます。祝賀パーティーの前日以来ですね……あ、そういえば挨拶しに行きませんでしたね。すみません」

「いいんだよ。加藤君は研修で忙しかっただろうし、私もこのところバタバタしてて」

 

 今更ながら思い出して気まずそうに頭を下げる光秋に、沖はどこか疲れた表情を浮かべながらみそ汁をすする。

 

「なにワンちゃ――加藤君?局長秘書と知り合いなの?」

「えぇ、まぁ。いろいろと縁がありまして」

 

 意外そうな表情を浮かべて訊いてくる曽我に、光秋は初めて沖に会った時――こちら側に来た最初の夜からのことを思い出しながら答える。

 

「あ、ただ、僕より前の所属の上官の方がもっと縁あるかな。沖一尉とはときどきメールのやり取りしてますよね――」

「ごほんっ!ごほんっ!」

 

 思い出す中で小田一尉と関わっている場面がいくつも浮かび、なんとなしに話を振ろうとした直前、沖は顔一杯に動揺を浮かべながら激しく咽る。

 

「大丈夫ですか!?」

「ごほっ…………だ、大丈夫……ごめんなさいね突然……」

 

 慌てて身を寄せる光秋に、沖はまだ少し咳き込みながら返す。

 

「……ワンちゃんって、変なとこでデリカシーないわね」

「?」

 

 その様子を見ながら曽我がなにか言ってくるが、小声な上に沖の咳も重なって、光秋にはよく聞き取れなかった。

 と、ズボンのポケットにいれている携帯電話が2回振動する。

 

―メール……?―

 

 思いつつ、光秋は画面を開いて送り主を確認する。

 

―涼さんか?―

 

 画面に映る「鷹野涼」の文字に先日の癖毛茶髪に伊達メガネの顔を想起しながら、そのままメールを開く。

 

『突然の連絡失礼します。明日、よろしければ一緒に出かけませんか?』

 

―明日か。明日は研修の振り替えあるんだよなぁ…………―

 

 思いつつ、ボタンに指を走らせて返信を打つ。

 

『ごめんなさい。明日は用があります。代わりに来週の日曜、13日でもいいんですか?』

―こんなとこかな?―

 

 読み直しておかしな所がないか確認すると、そのまま送信して電話をポケットに戻す。

 

「メール?誰から?」

「知り合いです。一緒に出かけないかって誘われて」

 

 一連の様子を見ていた曽我の問いに、光秋はキャベツの千切りを載せた白飯を口に運びながら答える。

 

「へー?加藤君を遊びに誘うような知り合いがいたの?」

「ヒドイなー……と言いつつも、やっぱそんなふうに見えますかねぇ?」

 

 わざとらしく驚いた表情を浮かべる曽我に、光秋も形だけの非難を返しつつ、日頃抱いている自己認識と、周囲の人の自身に対する印象の合致に苦笑を浮かべる。

 

「知り合いって、男の人?」

「いいえ、女の人です」

 

 光秋がすぐに答えるや、質問してきた沖は微笑みを浮かべる。

 

「じゃあ、デートだ。いいなぁ」

「え?メールの相手、伊部二尉なの?」

「いいえ、こっちでできた知り合いです。沖一尉も、デートなんて大袈裟なぁ。ちょっと遊びに行こうってだけでしょ?」

 

 沖、曽我双方に応じながら、光秋は沖の表現に訂正を入れる。

 が、その一言に沖は笑みを消し、いくらか真剣な眼差しを向けてくる。

 

「それを『デート』って言うんじゃないの?男の人と女の人が揃って遊びに行くのを」

「……そう、なんですかねぇ…………?」

 

 心なしか力の籠った沖の言葉に、光秋は反論を浮かべることができず、かといって沖の言うことを素直に受け入れることもできず、自分の中でもまとまり切らない思いを持て余しながら黙ってしまう。

 

「小田さんから聞いたけど、京都の同じ隊に仲のいい人がいたんでしょ?今の話だと、その人とは違う人と出かけようってことみたいだけど、あんまりそういう――て!ごめん!今のは、ちょっと、そのぉ…………」

「あ、いえ。僕の方こそ、少し考えが足りなかったみたいで……」

 

 沖は他人の私的な部分に踏み込み過ぎたことに、光秋は自分の思慮不足かもしれなかった判断に、それぞれ気まずい表情を浮かべる。

 

「…………ただ、どうしても素直に『デート』って表現を受け入れられないんですよねぇ…………」

「不器用者…………」

 

 それでも胸の内に渦巻く気持ちの一端を呟いた光秋に、曽我が少しだけ口を尖らせて言ってくる。

 

 

 

 

 食事を終えると、光秋はコートを羽織って駅へ向かい、帰宅時間帯ということでやや混み合う車内で吊り革を掴みながら、先程沖たちと交わした会話を振り返ってみる。

 

―今回の涼さんの誘い、沖一尉が言うように『デート』ってことなんだろうか?……でもやっぱり、どうしてもそういう感覚を抱けないんだよなぁ。法子さんや綾と出かけた時は、多少そんな気にもなったことがあるが、涼さんからの誘いは…………この感覚は強いていうなら、友達と遊びに行く時のそれに近いような…………―

 

 眉間に皺を寄せながら電車に揺られることしばらく、降りる駅名を告げるアナウンスに一度思考を中断すると、光秋は出入り口前に移動し、扉が開くと共に電車を降りて改札口へ向かう。

 

―……定期券、買おうかなぁ?ESOへの交通費の申請が面倒そうだが……―

 

 改札機に切符を通しながらぼんやりとそんなことを思うと、冷風に速足になりながら寮を目指す。

 自室に着いてコートを脱ぎ、暖房を入れると、再び携帯電話を取り出して先程の返信が来ているのを確認する。

 

『いいですよ。何時に何処で待ち合わせましょう?』

「1週間ズレてもいいか。助かる」

 

 こちらの都合に合わせてくれた涼に感謝しつつ、光秋は携帯電話の画面を凝視し、改めて沖たちとの会話を考えてみる。

 

―今はっきり自覚できるのは、法子さんや綾から感じる気持ちを、涼さんからは感じないってことだ。ただ同時に、こうして新しくできた知り合い――友達と遊びに行くっていうのを楽しいと思ってる自分も確かにいる。なにより、涼さんとはなにかと縁があるようだし、それを大事にしたいって気持ちもある―

 

 そこで携帯電話の画面を閉じると、視線を天井へ向ける。

 

―なら、そういうことでいいんじゃないか?少なくとも、友達と遊びに行くのを楽しんで悪いことはない。だったら、今回はとにかくそうしよう。あまり難しいことは考えず、涼さんとの東京観光を楽しもう―

 

 断じるや、再び携帯電話を開き、細かな予定を詰めていく。

 

 

 

 

 2月12日土曜日午後8時。

 パジャマに着替えた光秋は、ベッド下から引き出したコタツに足を入れると、スフィンクスとの演習から帰ってきて以降、机の上に置きっ放しになっていた茶封筒を手に取る。

 

「さて、ようやく落ち着いたし、一度拝見してみるかねっ」

 

 自分でもはしゃいでいるとわかる声で呟くと、茶封筒から横尾主任直筆のノート、その1冊を取り出し、すっかり色あせた表紙を捲る。

 

「…………横尾中尉のお父さん、随分癖のある字だなぁ」

 

 それが1ページ目に目を通して最初に抱いた感想だった。

 独特の癖で書かれた文字の数々、特に画数が多い漢字などは、判読できないわけではないものの、滞りなく読めるようになるには若干の慣れを必要とし、加えて箇条書きにも満たないくらい短い、そして近くに書かれていても話が繋がっているわけではなさそうな、本当にメモの様な文章の羅列に四苦八苦することとなる。

 それでも“次の人”に対しする好奇心を糧に根気よく読み続け、途中からは押し入れから余っているノートを取り出して自分なりに読み取ったことを整理していくこと約2時間。

 午後10時を回る頃には、すっかり首が固まっていた。

 

「……我ながらよくやるわなぁ……研修もこれくらい上手くやりくりできればいいんだが……」

 

 固まった首を回していくらか整然とまとめることができた自分のノートを見返しながら、光秋は自分に苦笑を浮かべる。

 

「まだ1冊目も全て読み通したわけじゃないが……やはりポイントは『先入観に囚われないこと』、かぁ……?似たようなメモが結構あったしなぁ…………」

 

 自分が書いたノートを読み返しながら、気になった箇所を呟いてみる。

 

「……先入観、かぁ…………」

 

 その一言に、普段から注意はしていてもつい偏った見方をしてしまう自分を振り返って、今度はそんな自分の姿に苦笑を浮かべてしまう。

 

「理屈を解っていてもやってしまう辺り、所詮僕も“今の人”か…………!」

 

 自虐的にそう呟くと、不意にコタツの上の携帯電話が2回振動する。

 画面を開くと、涼からのメールが届いていた。

 

『明日はよろしくお願いします。おやすみなさい。』

「そういえば明日だったな。出かけるの……」

 

 それを読んで1週間前の約束を思い出すと、その時やり取りしたメールを確認する。

 

―9時に本部近くの駅集合だよな。8時半……10分くらいには出られるようにしないと……―

 

 そう頭の中で算段を立てながら、コタツの上のノート類を閉じて机の上に置き、コタツをベッドの下に戻す。

 

「なら、そろっと寝ないと」

 

 10時15分を指した携帯電話の時計を見ながら呟くと、立ち上がってトイレへ向かった。


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