【完結】祥子が自分だけの世界に逃げ込むお話 作:紫陽花の季節に会いましょう
おとぎ話の続きを話そう。
眠りから覚めたお姫様と、そんなお姫様を起こした王子様のお話。
お姫様は元の生活に戻っていく。お姫様の内側には何人もの小人たちがいて、その小人たちに助けられながら生きて行く。演技が得意なモーティス、ギターが得意な睦、割と器用なムツミ、その他にも沢山。たくさんの個を抱えて生きていく。
彼女たちが消えることはなくて、けれど、それでいいのだと思う。それが"若葉睦"であり、それを受け入れてくれた運命共同体が在る。……王子様が居る。だからそれでいいのだ。
王子様は……元通りというわけではない。
彼女にはあいも変わらず凄まじい負担がのしかかっていて、だからあの世界は必要だった。
森と湖の世界。
少し変わったのはその世界から2つお墓が消えたこと。おどろおどろしかった異物もまた姿を消し、静かな森へと戻ったこと。鉛色の空から時々陽の光が差すようになったこと。そして、
「祥ちゃん。来た、よ」
「ドーナツ持ってきちゃった」
「燈、初華。ありがとうございます。今紅茶を淹れますわね」
時々こうして、彼女の世界に誰かがやってくるようになったこと。
ここは静かで穏やかな世界。されど、ひとりぼっちではない世界。祥子の心に触れた者たちが、祥子に招かれれば自由に訪れることのできる世界。
「ぷはっ」
湖から小さな声がした。
湖面から顔を出したのは、人形のような美しいお姫様ーー睦。
「え!? 睦ちゃん!? な、何してるの」
「泳いでた」
「ぉぁ……一緒に来て、なかった、のに」
「私は離れてても此処に来れるから」
現実で眠る祥子に触れると入ることのできる世界。睦は例外で、どんなに離れていても祥子の世界と睦の世界を自由に行き来ができる。故にこうして時々潜っては自由に過ごしているのだった。
それは正しく"半身"としての在り方。人間としていずれ訪れる本物の死が2人をわかつまで、祥子と睦は互いに一生そばを離れることはない。
「睦、タオルを用意していますので早くこちらにいらっしゃい」
「うん、ありがと、祥」
睦の髪を丁寧に拭いていく。睦はそれを気持ちよさそうに受け入れる。いつもの光景。望み続けていた当たり前の光景。
その後はテーブルでお茶を囲む。祥子の作曲速度は若干落ちたが、前が異常過ぎただけで今でも充分早い。次のマスカレードまでに1曲できそうで一安心だ。
最近は海鈴や睦が祥子の負担を減らそうと頑張ってくれている。初華は忙しすぎて手が回らず、にゃむもまた新たな挑戦に向けて身を削っている最中のため、この2人が最適だ。
睦は女優業を続けてはいるが、無理やりスケジュールを詰め込むようなことはやめた。それより今は祥子と過ごしたかったから。
「改まって相談させていただきたいことがあります。燈、初華、睦」
「ぉぁ……なに?」
「う、うん、何かな?」
「祥、行くの?」
初華と燈は首を傾げ、睦は祥子の意図を理解したようで尋ね返す。
「ええ。着いてきて頂きたいところがあります」
最後の大仕事。
それは、この世界に残った2つのお墓を消すことだった。
◇◆◇
そこは祥子たちの住まいから少し離れた、とても静かな地域の一画にある。大きな供花を胸に、煩い鼓動を感じながらゆっくりと其処へ向かう。
入り口には先に待ち人がいて、少し緊張気味に祥子を出迎えてくれた。
「お久しぶりです。お父様」
「……ああ、久しぶりだな、祥子。元気、だったか?」
「ええ。お父様こそ、少し顔色が良くなられた様子」
黒いスーツに身を包む少し疲れた顔の中年男性ーー豊川清告が霊園の前で同じく供花を胸に佇んでいた。
数日前、祥子は一本の電話を清告のスマホ宛に入れた。内容は単純、母:瑞穂の墓参りである。
「お願いしますお父様。お母さまに、一緒に会いに行ってくださいませんか」
この誘いを清告は断らなかった。断れるわけがなかった。日程が決まり、瞬く間に当日を迎えた。祥子は花屋で大きな供花を買い、そして友人たちに囲まれてこの地を踏むこととなる。
「こ、こんにち、は……」
「お久しぶりです」
「……お久しぶりです」
燈、初音、睦。
祥子にとって大切な存在。本当はそよや立希も連れてきたかったけれど、あまり大所帯になっても仕方ないので今回は3人……それと何故か、
「こんにちは。祐天寺と申します。祥子さんとバンド組んでます」
「あ、ああ。ご丁寧にどうも」
本当に何故かにゃむが着いてきた。
初音と睦の話を盗み聞きしていたらしく、前日になって「アタシも行くから」と一方的な電話がかかって来たのである。意図はよく分からないが、別に悪いことを企んでるわけではないので許可した。少し恥ずかしいが仕方あるまい。
「こっちだ。祥子は……まだ来たことがなかったな」
「ええ。どんな顔でお会いすればいいのか分からなかったから」
「……そうか。実はな、俺もなんだ。1回来てそれっきり。情けないよな。娘に言われるまで、俺はここに来る勇気すら出なかったんだ」
「そんなことーーッ! お父様は……お父様は……」
言葉を詰まらせる祥子。そんな祥子の頭に手を置く清告。その手は優しくて、温かくて、大きくて、祥子の大好きだった父親の手だ。
思わず泣きそうになったが今はまだ早い。口の中を噛んで涙を飲み込み、祥子は墓地の中を進んでいった。
其処は他と少し隔離された場所にある、周りより大きなお墓だった。
ーー豊川家之墓
身がすくむ。
体が震える。
呼吸が浅くなる。
胸が痛くて、頭がふらついて。
「祥」
「さきちゃん」
ハッとして横を見ると、睦と初音がその手を握ってくれていた。後ろには燈とにゃむが優しい顔で見ていてくれる。
少し落ち着いた。
さあ、最後の清算をしよう。
墓の前に供花を飾り、線香を立てる。
「お母様。お久しぶりです。ずっと来れなくてごめんなさい。心の整理がつかず、来るのに2年もかかってしまいました。ほら、お父様も」
「あ、ああ。来たよ、瑞穂。こっちは、なんとかやってるよ。情けないところばかり見せてるけどさ、なんとか……やってるよ」
清告は豊川家に戻ることになっている。そう、定治から聞いていた。これからまたやり直してほしい。祥子は切実にそう思った。
「お母様。今日わたくしは謝罪しに来ましたの。これはお父様にも同じことを言わなくてはなりません」
「……え?」
「わたくしは少し前まで、命を絶とうと考えていました」
「なーーーーーッ!?」
愕然とする清告。
祥子はそちらを一度みて困ったような表情を浮かべ、直ぐにお墓へと視線を戻す。
「お母様を喪い、お父様を救えず、半身を失い、CRYCHICを失い、生きる意味すら見失ったわたくしにとってこの世界は地獄そのもので、生きていることが苦痛でした」
「……さき、こ」
ここ数ヶ月の軌跡を思い返す。
死にたい、消えたい、そう思う毎日を生き続けた。迷い迷って彷徨い続け、こうして答えに辿り着くまでたくさんの人に迷惑をかけた。
そうして得られた答えを、2人に聞いて欲しかったから。
「けれど、気が変わりました。出来る限り生きてみることにします。幸せになれるかは分かりません。運命はいつだってわたくしを翻弄して、ままならない事ばかり。
でも、わたくしは人形じゃないから」
胸に手を当て、ゆっくりと囁く。
「わたくしは……神様としてではなく、豊川祥子という1人の人間として生きてみることにします。今はちゃんとわたくしを見てくれる人たちが近くにいるから。
だから、だか、ら…………おかあ、さま…………見守ってて、くれ、ますか?」
堪えきれず涙を流し、嗚咽を漏らす。睦とお別れせずに済んだ。CRYCHICはなくなったけど、証は消えなかった。
だからこれが祥子にとって最初のお別れ。ずっと先延ばしにしてきた苦しみと向き合い、しっかりと清算する。
「さきこ……!」
温かい、力強い感触。
父に抱きしめられたのだと気づき、祥子はその背中に手を回す。思っていたより小さい背中。でも確かに好きだった背中。
「ごめんな……ごめんよ……俺はお前に酷い事をして、酷い事を言って……父親失格で……きっとあの日だって……俺は祥子のライブに行くべきだった。武道館の日も……あんな、あんなことを……」
「おとう、さま……」
「一生償っても償いきれない。この罪と向き合って生きていく。父さんも、お前と一緒に!」
「おと、う、さま……ぅ、ぁ、ぁ、あぁ、あぁ、あああああああああああぁあああ!!!」
堰を切ったように溢れ出す。
喪ったものは戻らない。
この傷は消えたりなんてしない。
でも同じ傷を抱えた人が周りにいて、今こうしてそばにいてくれるのなら。
自分はまだ、明日を生きていくことが出来るかもしれなかった。
◇◆◇
「それじゃ、初音ちゃん。祥子のこと、よろしく頼むよ」
「はい。任せてください! 必ず幸せにします。……必ず」
力強く頷く初音を見て安心したように微笑むと、続いて清告は祥子へと向き直った。
「祥子、落ち着いたら食事に行こう。父さん、やれるだけのことはやってみる。きっと平坦な道のりではないだろうけどな」
「……ええ。待っています」
遠ざかるタクシーを見つめながら、祥子は真っ赤になった目にハンカチを当てて残った涙を拭い去った。
「今日はありがとう。わたくし1人では此処にくる勇気など出なかったでしょう。情けないことこの上ない」
「そんなこと、ない! 祥ちゃんは……向き合った。生きること、選んだ。だから、立派」
「燈……」
「そうだよ! 私……まだ全然向き合ってないから。私もいつか、行かないとなって」
「初音……。ええ、その時は私も一緒に行きますわ」
初音もまた、家族と向き合わなくてはいけない日がやってくる。その時には今日の恩を返さなくてはならないと祥子は決意していた。
「アンタさ……今更だけどよくあの精神状態でムジカ出来てたよね。アタシ無理だわ。自分に置き換えたら多分今頃地元で引き篭ってる」
「そんなことは……」
「あるって。だからさ、今度はちゃんと頼ってよ。今はサキコのことちゃんと知ってる。泣き虫な女の子だって知ってる」
お姉さんのように祥子の頭をわしわしと撫でるにゃむ。それがむず痒くて、祥子は赤面しながら目を逸らした。悪くない気分ではあったが。
そんな祥子の手を取って睦は言う。
「大丈夫、ずっと一緒だから。次は私も助ける」
「……睦」
「消えたりなんてしない。いつか灰になったとしても、この想いだけは消えたりなんてしない」
「ええ。例えなにがあっても何度だって起こしにいって差し上げますわ。私の愛しい半身のためなら何度だって」
睦は嬉しそうにはにかむ。
更に、
「私は助けてなんてあげないけどね! 私祥子ちゃんの命の恩人。祥子ちゃんは私に常にパフェを奢る義務があるのです」
「モーティス……ええ、貴方も、ずっと一緒ですわ。
それにしても、それは私も一緒にパフェを食べることになるのでしょうか?」
「は? 奢りなんだから当たり前じゃん。何言ってんの?」
「ええ……まぁ貴方がいいならいいのですが」
それはつまり祥子と一緒にご飯を食べるのは嫌じゃないということで……モーティスも大概祥子に絆されてるなと周りは思ったのだが、言ったら面倒くさそうなのでみんな黙り込むことにした。
「あ、そういえば」
モーティスから睦に切り替わり、思い出したようにスマホの画面を取り出した。これは……予約画面?
「祥、ご飯食べてこ。スイパラ、予約してある」
「え、スイパラ……?」
「そよたちが先に行って待ってる。このままだと楽奈が中に突入しそうって」
「スイパラは時間制ですわよ!? 先に入られたらわたくしたち食べられないじゃありませんの! こうしてはいられませんわ。駅まで走りますわよ!」
「え、ええ!? タクシー使おうよ!」
「何事も節約ですわ」
「ぉぁ……がん、ばる」
「いや芸能人の自覚持とうね? タクシー呼ぶからちょっと待ってなって」
霊園前でわちゃわちゃとし始める一行。
風が吹いて、髪を揺らす。
ふと、声がした。
聞き覚えのある声。
そう聞こえたように信じたいだけの幻聴。それでもいい。そうであってくれも構わない。
ーーいってらっしゃい、祥
「……ええ、行ってきます。お母様」
あの世界に、お墓はもうない。
そうして前を向いて生きていく。
今日も明日も、その先も。