pixivから移植。ある日、小林さんはトールにひとつわがままを言う。「一日だけでいいんだ。私を若返らせてほしい」

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第1話

 今日の朝ご飯は我ながら上出来でした。

 人間の食事は美味しいけれど、味の加減というものは難しい。栄養のバランスというものを考えるとさらに難しくて、彩りや盛り付けなども考えていくと、人間というものは気の触れた凝り性だなと以前は思っていました。けれどそれらはすべて、食べてくれる相手のことを思えば本当に些細な問題でしかないと今では自然に思えます。

 今日も小林さんは綺麗に平らげてくれました。近頃は美味しいと素直に言ってくれる。驚くべきことに、黄金の山を積まれても大して心動かない私が、ただその一言で何でもしてあげますという心持にされてしまうのだから、本当に小林さんは罪な人だ。

 洗い物を済ませ、プランターに水を遣り、今日はお天気もいいからお布団干しちゃいましょうか、そんなことを考えていると、小林さんの呼ぶ声が聞こえました。

 トール、と小さな声だけれど、何しろ小林さんの声だ。地球の裏からだって私は聞き取ることでしょう。まあさすがに言い過ぎかもしれないけれど。

 日当たりのよい窓際で、小林さんは最近お気に入りのロッキングチェアに揺られていました。膝掛けはちょっと前に私が編んだもので、さすがにそろそろくたびれてきたけれど、小林さんはいつも穏やかに網目を数えるように撫でては手放さない。なんだっけ。ライナスの毛布ですねとからかったら、じゃあトールの毛布は私かなとからかい返されてしまった。

「小林さん、どうしました?」

「ああ、トール」

 小林さんは窓の外を眺めていた眼を、ゆっくりと私に向けました。最近は半分夢見心地の様な眠たげなことが多いのに、今日は珍しくはっきりとした眼差しでした。

「トール。頼みが……ううん。我儘があるんだ」

 我儘。珍しいことでした。

 小林さんが私に素直に頼みごとをすることは近頃は珍しくもありませんでしたけれど、しかし我儘と口にするのは、いつ以来でしょう。私からすると小林さんは結構我儘だなと思うときもありますけれど、でも小林さん自身はあんまり人に甘えたり頼ったりするのは得意ではないみたいで、私に自然と頼みごとをするようになったのだってここ最近の事です。煽てられてついつい頼まれごとをしちゃうのは前からですけど。

「小林さんの我儘だったら何でも聞きますよ。晩御飯の事ですか? それともお散歩ですか?」

 小林さんの我儘。なんだか素敵なフレーズだ。少しうきうきした気分で尋ねてみたけれど、どうも小林さんの方は大まじめのようだった。

 眉をしかめて、しばらく唸って、ひじ掛けに手をかけて力を込めて立ち上がろうとして、どうにもそれがままならないようで結局力なく揺り椅子に体を沈めて、小林さんは疲れたように大きく息を吐きました。

 私が手を貸そうとすると、小林さんは弱々しく私の手を握って、それからじっと私を見上げてきました。この頃の小林さんはすっかり小さくなってしまいましたけれど、それでもレンズの厚くなった眼鏡越しの目は変わらないように思えました。

「トール。すごく勝手なことだけれど、身勝手な、我儘だけれど」

 小林さんは恥じるように目を伏せ、こう仰いました。

「一日だけでいいんだ。私を若返らせてほしい」

 出会ってから六十年経って、しわしわで小さく縮んだ小林さんはそう仰いました。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「自分でももう長くないんだろうなってわかるんだ。力が全然入らないし、新聞だって全然読めない。物覚えも悪くなった。お前の記憶に残る私が、トイレにもひとりで行けないしわくちゃのおばあちゃんだなんて嫌なんだ」

 だから、我儘だけれど、という小林さんの可愛らしいお願い事を、私は叶えてあげることにしました。

 やろうと思えば腰痛とも無縁な十代くらいにしてあげることもできましたけれど、トールと出会った頃がいいなんて可愛らしいことを言うので、ばっちり当時の姿に若返らせてあげました。

 揺り椅子から立ち上がって、満足げに自分の脚で歩き回って、眼鏡の度が合わないことを可笑しそうに笑って、実に楽し気です。ドラゴンの私からするととことこ歩き回る小林さんも揺り椅子でゆらゆら揺られている小林さんもあんまり大差がないくらい脆弱なのですけれど、でも小林さんが楽しそうなので何よりです。

 さすがにこれじゃ変だからと、タンスにしまい込んでいた当時の服を取り出して袖を通し、虫よけの匂いがすると笑う小林さん。あんまり笑うので術に失敗したのかと不安になりましたが、ちゃんと鼻が利くから嬉しいんだとのことでした。人間はただでさえ鼻が利かないのに歳をとると全然わからなくなってしまうみたいでした。

 さらには外に出かけようなどと言いだすので本気で心配になりました。大丈夫ですか、もうお仕事しなくていいんですよと言ったらさすがに怒られました。そこまでボケてはいないと。折角若い体に戻ったんだから動きたいということなので、お弁当をこさえてピクニックに行くことにしました。

 ここ最近はすっかり家の中にいたので、小林さんはあちこちに目をやっては、あそこあんな建物だっけ、この店まだあるんだと目を瞬かせていました。思えば随分町も様変わりしたように思います。私からすると人間の営みというものはいつだってせせこましくて忙しないものですけれど、小林さんからすると時間に取り残されてしまったように感じるようでした。

 途中でお店の人に声をかけられました。

「やあトールちゃん、お買い物かい?」

「いえ、今日はピクニックです」

「あれ、そっちのお嬢ちゃんはお友達かい?」

 そういえば小林さんはずいぶん家を出ていないし、そもそもすっかり若返ってしまっているので人間には判別できないのでした。私の方は印象を操作しているのでこの姿でもずっと問題なくやってこれましたけれど。

 さてどうしたものか。以前はご主人様ですと言ってみたり恋人ですと宣言してみたりして小林さんに怒られたものです。もちろん私もちゃんと学習して成長するのでそんな過ちは犯しません。ちゃんとお友達ですと紹介して、

「恋人です」

「おおっ!?」

「小林さん!?」

 おおっとぉ、思わぬところからの思わぬ言葉です。

 しかも頬を染めながら腕を絡めてきてくれるじゃないですか。恥ずかしいならやらなければなんてこと勿論言いません。

 目を白黒させるお店の人を置いて、小林さんは私を引っ張ってずんずん進みます。やっぱり恥ずかしいんですね。

「小林さん?」

「……なんだよ」

「恋人でいいんですか?」

 小林さんはしばらくうんうん唸って、それから、いいんだ、と吹っ切ったように仰いました。

「今日はできなかったこと全部やる」

 その一つが恋人宣言なのでしょうか。よくわかりません。でも私としても嬉しいのでここは素直に喜びましょう。

「じゃあキスしましょう!」

「……人目のないとこでな」

 突っ込み待ちしたらまさかの返答で思わず真顔で心配してしまいましたが。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 暫く様変わりした街を楽しんで、人気がなくなったところで空間転移を使い、以前小林さんとカンナとやってきた野原へやってきました。ここは相変わらず変わりません。あれから六十年経ったんですし人類はもうちょっと開拓精神出していいんじゃないかとも思います。ドラゴンにとっては大した時間ではないですけれど、カンナのお友達にお孫さんできるくらいの時間ですし。

 人目もないですしとやっぱり突っ込み待ちでおねだりしてみたら、ほら、と目を瞑られてドラゴンハートも破裂するかと思いました。これ小林さんですよね。どこかで偽物とすり替わってませんよね。なんて言ったら殴ってもらえた上にキスしてもらえました。

 何にもない野原にお弁当を広げて、もしやと思って小林さんにあーんしてみたら、素直に食べてもらえました。まあ近頃は小林さんお箸持つのもつらかったのでいつもの事なんですけど。でもいつもすまないねなんて言ってくる小林さんより、ちょっと恥じらって目を伏せながら食べてくれる小林さんの方が確かにずっと素敵です。しかもあーんし返してくれました。恥ずかしいならやらなければいいのに、耳の端を赤くしながらやってくれました。

 この地を聖地に認定しよう。もう結界で囲って人類が開拓できないようにしてやろう。

 そんなことを思っている間にも、小林さんの脅威のデレムーブメントは続きます。ここしばらくは何を食べてもおいしいよありがとうと、感謝以上に謝意のこもった感想ばかりでしたが、今日は本当においしそうに食べてくれます。人間にとって味覚の衰えや咀嚼力の低下などはかなり深刻な問題だったみたいですね、と納得していたら、お前が作ってくれたからだよとまた私を殺しに来る小林さん。今日だけで私の精神は十回以上やられています。

 お弁当を食べ終えて、いい天気ですしお昼寝でもしましょうかと提案すると、それは嫌だと今日初めてのお断り頂きました。時間を無駄にしたくない、一秒でも長く、と仰います。可愛いことを仰います。人間というのは本当に忙しない生き物ですね。

 ならデートをしましょうと、私は小林さんの手を取りました。

 せっかく小林さんが我儘を言ってくれたのです。今日は大判振る舞いしちゃいましょう。ドラゴンの力を振るっても、さすがに今日ばかりは野暮なことは言わないでしょう。

 私は小林さんの手を取って、六十年間小林さんを観察してため込んだデートスポット巡りを始めました。といっても、テレビや雑誌でこんなところ行ってみたいねなんて話していた場所の事なんですけれど。

 ドラゴンにとっては短い時間ですけれど、でも小林さんと一緒に過ごしたこまやかな六十年間の間に、私も成長しました。丁寧に力を操作して、最低限の影響で空間転移を繰り返し、私と小林さんは世界中をつまみ食い感覚で旅しました。温泉街で足湯を楽しみ、ヨーロッパのお城を巡り、インドの人ごみに揉まれ、小林さんを抱き上げて万里の長城を端から端まで駆け抜けてみたり、どこまでも広がる海の底を眺めてみたり、南極でペンギンと戯れ、北極点に二人の旗を立てて記念撮影。小さく結界を張って、月面から地球を見下ろしてもみました。見上げて、ですかね。そうして巡った先々で、私と小林さんはその都度キスをしました。六十年分を取り戻すように、小林さんは私に口づけてくれました。

 デジタルカメラの容量一杯にデートの記録を刻み込んで、私たちはわが家へと帰ってきました。

「いやー、疲れたー」

「小林さんが腰痛いって言い始めたときはダメかなって思いましたよ」

「さすがにアマゾンで探検隊ごっこするのは無理があった」

「フジオカになるんだとか言い始めたの小林さんじゃないですか」

「まさか本当に巨石が転がってくるとはなー」

 すっかり日も暮れて、晩御飯にしましょうかとエプロンを取ると、小林さんにさっと取られてしまいました。今日は私が作るからと。

 そわそわと待った末に小林さんが作ってくれたのは、何も特別な所のない素朴な品々でした。そしてそれは六十年前に小林さんが作ってくれたものなのでした。

「六十年ぶりなんだから、腕が落ちてても笑うなよ」

 二人でテーブルについて、手を合わせていただきます。

 それは特別なものではありませんでした。取り立てて美味しいということもなく、何かしらずば抜けたものもなく、しかし不思議と胸の中から込み上げてくるものがあるようなそんな懐かしい味付けでした。ドラゴンにとって六十年はほんのわずかな時間に過ぎません。けれどきっと、小林さんちのトールにとって、これは真実六十年ぶりの手料理なのでした。

 有り触れた食卓は、普段よりも不思議とゆっくりとしたものでした。二人そろって、惜しむかのように。

 食事を終えて、二人で並んで洗い物を済ませて、寝巻に着替えて、それから、それから、小林さんは私をベッドに誘いました。

「これで最後だから。お前の記憶に、私を全部残してくれよ」

 ふるえる小林さんの肩は、あのふてぶてしさと裏腹に壊してしまいそうな位細くて、そして私は、小林トールは、

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「トール! こんなところで寝るなよ!」

「ふぇあっ?」

 なんだかいいところで目覚めた気がします。

 ぱちくりと瞬きすると、小林さんが呆れたように見下ろしていました。カンナも不思議そうに見ています。

 うまく頭が回らないまま立ち上がると、そこは間の抜けた宣伝ソングの流れる電器屋さんでした。

「買うもの買ったし、もう帰るよ」

 そうでした。私たちは壊れた電子レンジを買い替えるために電器屋さんに来ていたのでした。そして私がうっかり寝こけてしまったのは、その一角にあるマッサージチェアでした。小林さんが店員と話してるからちょっと待っていてと言うので時間潰しにと思って試してみるつもりがすっかり寝入ってしまったようです。恐るべしマッサージチェア。まさかドラゴンの私が陥落するとは。

「コバヤシ、私もあれやってみたい」

「……買わないからな。ちょっとだけだよ」

「やった」

 そして開始五分で陥落するカンナ。大して凝りもないだろうになんとまあ。

「……小林さん」

「買わないってば」

「いえ、小林さんもお疲れでしょうし、ちょっとやってみては」

「………まあ、ちょっとだけなら」

 そして小林さんも陥落した。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 マッサージチェアのせいか変な夢を見た。

 夢の中で私がすっかりしわくちゃのおばあちゃんになって、トールに介護されていた。

 まあそりゃあ、このまま続くならきっとそうなるのだろうと思う。私がいまみたいな無理な仕事続けて八十歳を超えて生きていられるかという自信はちょっとないが。

 それだけならまあそんなこともあるだろうと思うが、夢の中の私は何をとち狂ったのか一日だけ若返らせてくれなどと言う我儘を抜かし、そしてトールとデートなどし始めるのだった。確かに世界各地をトールの空間転移で渡り歩くのは金もかからず実に楽しい旅行だったとは思うが、その都度キスするのは勘弁してほしい。しかも大抵私からしているのは一体なんだというのだろう。欲求不満なのだろうか。確かにトールがやってきて、おまけに幼いカンナちゃんもいるし、最近は誰かがいることが多いから処理するにできなかった。

 自分では淡白な方だと思っていたのだけれど、思っていた以上に溜め込んでいたのかもしれない。何しろ終いには自分からベッドに誘っているのだ。自分の夢ながらお前本当に私かと突っ込み続ける非常に疲れる夢だ。

 そして落ちが酷かった。

 二人幸せなベッドイン、そして流れ的に私は人間として寿命を迎えて最期の時を迎えるのだろうと思ったら、普通に快適に目覚めてしかも空腹で腹を鳴らす始末だった。

「いや、え?」

「あ、おはようございます小林さん。すぐ朝ごはんできますからね」

「いやだって、え? なんで?」

「なんでって、朝ごはん要らないんですか?」

「そうじゃなくて、私、一日だけって」

「ああ、一日だけでいいって仰ったんですけど、さすがにそこまで細かい調整は難しかったので」

「…………はーッ!?」

「いやだって、若返らせてまた年取らせるとか難しいんですよー。ピンポイントで二十五歳位に戻せたのだって我ながら神業ですよう」

「おま、ちょ、じゃ、ええ? 最後だと思って私あんなに」

「まああと六十年くらい練習したら今度はうまくできると思いますので」

「…………はーッ!? もう、え、…………はーッ!?」

 自分の叫びで目が覚めるとは思わなかった。

 おかげで他のお客さんからも注目されるし店員さんにも注意されるしたまったもんじゃない。参った。暫くあの電器屋いけない。

 全くどれだけ欲求不満だというのか。

 私に拳骨を食らって涙目のメイドラゴンを尻目に、私は溜息を吐いた。

 どうやら六十年以内に適度に欲求を解消していかないと、通算百二十年近くこのポンコツコスプレメイドに付き合わされかねないらしい。六十年分を一日にまとめるより、こつこつ発散していった方がまだ私のダメージも少なかろうと、私はひとまず一回目を振り向きざまにくれてやるのだった。


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