ひょんなことからミスルン隊長、オッタ、シスヒスに同行することになった名もなきカナリア隊新人看守。
ある日の夜、眠れずにいた新人看守にミスルン隊長が話しかけてきて…?

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第1話

その新人カナリア隊員は『隊長』の戦いから目が離せなかった。

彼はまさに神出鬼没。

間合いを詰める時、離脱する時、避ける時。

そのたびに彼の姿は一瞬でかき消え、次の瞬間には全く別の場所にいた。

魔物は丸腰の彼に触れることもできずに死んでいく。

彼は剣や槍、杖のような武器と呼べるものは何も持っていなかった。

炎や雷、爆発などの派手な魔法を使うそぶりは見せなかった。

ただ彼がそこらに落ちている瓦礫を手にすれば、次の瞬間には音も無くそれが魔物の腑や肉片にすり替わっていた。

『ブモッ、ガァ……ッ!』

今もカナリア隊員たちの前に現れたミノタウロス——牛の頭を持ち、怪力と強靭な肉体を誇る恐るべき魔物——が斧を取り落として呻き声を上げた。

どさり、と巨体が崩れ落ちて動かなくなる。

その頭部からは朽ちた木片が飛び出していた。

脳の一部と木片を置き換えられたのだ。

彼の転移術によって。

「片付いた。行くぞ」

彼は毛皮と頭蓋の破片がこびりついた、まだ温もりの残るピンク色のグロテスクな肉片を無造作に放り捨てる。

そして魔物の髄液に濡れた手を拭うことすらせず、無表情のまま淡々と歩き出した。

「はーい」

そんな彼の後ろを、彼の担当囚人2人…オッタとシスヒスが軽く返事をしてついて行く。

「ま、待ってください! ミスルン隊長!」

ミスルンの一言でハッと我に返った新人は畏怖と敬意がないまぜになったまま、慌ててその背中を追いかけた。

 

彼らが次に腰を落ち着けた場所は迷宮内の空き部屋だった。

扉があり、小さな水場もある。やや手狭だが人間4人が休むには充分だ。

ミスルンたちは、そこで休息を取ることにしたようだった。

「ふふっ……ほら、ミスルン隊長。手が汚れていますよ」

褐色の肌をした女性囚人、シスヒスがミスルンを水場まで連れて行き手を洗わせると、布を取り出して彼の手を丁寧に拭く。

彼女は1人では日常生活のままならないミスルンの世話係を務めていた。

当のミスルンはぼんやりと天井を眺めている。

右目の義眼と左目の虚ろな黒い瞳は微動だにしない。

彼は側にいるシスヒスにも、精霊を使って周辺の地形を調べているオッタにも、見張りを続ける新人にも——誰にも関心を払っていないように見えた。

 

……それから数時間。

寝袋の中の新人は、あまり眠れぬまま夜更けを迎えていた。

昼間に見た戦闘の光景が、目を閉じるたびに瞼の裏に蘇る。

国への忠誠の証としてカナリア隊への入隊を命じられたからには家の名誉を背負って戦っていかなければならないことも、迷宮の過酷さも、すべて覚悟していたつもりだった。

ただ—— 隊を率いるのが恐ろしいほど強く、研ぎ澄まされていて。

それでいてあれほど脆く、虚ろで、危うい人間であるとは想像もしていなかった。

新人は懐中時計を取り出す。

作り物の空も配置されていないこの迷宮の中では夜も昼もない。だが蝋燭の仄かな明かりを頼りに時計を見るに、今は深夜と呼んで差し支えない時間だった。

部屋には泉の噴出孔から水の流れる音とオッタがくうくう寝息を立てる音だけが響いている。

シスヒスがぱたり、と寝返りをうった。

新人は横になったまま、ふと視線を扉の方へ向ける。扉の前にはミスルンが佇んでいた。

冒険者の常として、迷宮で休むときは魔物や未知の脅威に備えるために交代で見張りを立てる。

それはカナリアでも例外ではなく、今は彼が見張りをしていた。

蝋燭の灯に照らされたその姿はまるで人形のように微動だにしない。

新人は寝袋の端をぎゅっと握りしめ、ミスルンの背中に視線を向けたまま、声をかけるべきかどうか逡巡する。

だが次の瞬間、相手の方から声が届いた。

「眠れないのか」

ミスルンはいつの間にか扉から数歩離れ、こちらに来ていた。

心臓が跳ねるのを感じながら慌てて身を起こし、寝袋の上で背筋を伸ばす。

「! は、はい……すみません!」

「別に怒ってはいない」

淡々とした口調でそう言うと、彼は少しだけ首を傾けた。

「催眠魔法は必要か?私は普段、シスヒスにそうしてもらっている」

意外な申し出に、新人は思わず目を見開く。

「え、隊長ってそういう魔法も使えるんですか?」

「うん。…で、どうする」

「……だ、大丈夫です!お気遣いありがとうございます、ミスルン隊長!」 新人は慌てて首を横に振った。

「そうか……嫌なら、いい」

彼はそう呟くと少し肩をすくめたように見えた。

そして静かに踵を返して扉の前に戻ろうとする。そんな彼に、新人はつい声をかけていた。

「……あの、隊長」

ミスルンが振り返る。

「どうした」

「その……隊長の転移術、ものすごくて……。

あれは、どうやって身につけたんですか?」

ミスルンはしばらく黙っていた。

右目の義眼は蝋燭の明かりを受けて鈍く光り、左目はどこか遠いところを見ていた。

「忘れた」

「え…」

「思い出す必要が、ないから」

「……そ、そうですか…。………じゃあ普段シスヒスに催眠魔法をかけてもらってるってことですけど、不眠症なんですか…?」

「違う。そもそも私には、ほとんどの欲求がない」

「……欲求がない?」

困惑する新人を前にミスルンは淡々と言葉を続ける。

「食欲がない。睡眠欲もない。だから必要ないと思っている」

「でも…食べないと、寝ないと生きていけませんよね…?」

ミスルンはほんの僅かに目を伏せた。

「……だから、口に運ばれれば食べる。眠らされれば眠る」

その時ふと、ミスルンの唇のかさつきと細かなひび割れに気づいた。さらに彼の髪に目を向けると、白い髪は湿度のない迷宮の空気にさらされてぱさついていた。

体のケアという概念も彼には欠けている。

自分を整えたい欲求がないからだろう。

能動的に何かを望むことが、彼にはもうできないのだ。

それに気づいてしまった瞬間、新人の胸に言いようのない痛みが走った。

(この人は……本当に、空っぽなんだ)

何かを返したかった。でも何も言えなかった。

ミスルンは黙り込んだ話し相手をしばし見つめていたが、やがて立ち上がると見張りに戻るために歩き出した。そしてその途中で不意に立ち止まった。

しばしの沈黙の後、彼はわずかに視線だけをこちらに向けた。

「…あまり知りたがるな。好奇心は時に命取りになる。……それと、寝られるうちに寝ておけ。催眠魔法をかけて欲しくなったら言え」

——静寂が戻る。蝋燭の火が小さく揺れた。新人は寝袋の中で膝を抱え、ミスルンの残した言葉を繰り返し噛みしめる。あまり知りたがるな——そう言われても、知りたいという想いは消せなかった。

知ってしまえば、戻れなくなるのだろうか?

あの人の背にはどれほどのものが乗っているのだろう。

自分にはそれを覗き込む資格も、背負う力もない。

けれど、あの虚ろな目にいつか光が宿る日が来るなら……それを見たいと思った。

カナリアの新人は、ただその背を見つめ続ける。


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