闇の時代と一杯の紅茶   作:The-Artless-Dodger

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帰省

 

 

 

 

 マクゴナガル教授が言い放つと、校長室の中はしんと静まり返った。ブルズアイ教授は口をぱくぱくさせるが、年上の魔女にそう何度も楯突く勇気はないらしかった。校長の顔はピクリとも動かず、スカルピン教授に至っては、もういるのかいないのかも分からなかった。

 

「しかし──しかしそれは」ブルズアイ教授はようやく口を開き、死地に赴く兵士の如き悲壮な覚悟の表情で、マクゴナガル教授に疑問を呈した。「それは、正確な情報でしょうか? もちろん、私とて彼の平素の真面目さは買っているが、五位以内? それはどうにも信じ難い」

「貴方が信じようが信じまいが」マクゴナガル教授はつんとして言った。「我々は職員室にて、ひとまずミスター・スワッブルの点数だけはっきりさせてしまおうという話になったのです。もちろん、贔屓目なしにきちんと採点しましたわ。大変上出来です。分からないのは、ブルズアイ教授、貴方が担当なさっている教科の点数だけですが、普段から貴方のお話しぶりを伺う限りでは、そう惨憺たる結果にはならないでしょう?」

 

 ブルズアイ教授は唸ったが、先ほどまでの番犬の威嚇のようなものではなく、むしろ叱られ万事休すとなった子犬に似ていた。マクゴナガル教授はようやく声を落ち着け、寝巻きの裾を正すと、話を続けた。

 

「私からしてみれば、ブルズアイ教授、貴方には酷い偏見があったように思われます。『ハッフルパフ生が、スリザリン生より高得点で()()()()()()()()』と。そのために、不正行為であるという結論に飛びついてしまったのではないでしょうか? 当然、貴方は冤罪をでっちあげて無辜の生徒を陥れるような悪党ではないのですから、私個人としては、あくまで無意識の偏見と信じておりますが」

「それは、まぁそうかも知れん」ブルズアイ教授も、マクゴナガル教授をはっきり正面から見据えた。「貴女もご存知でしょう、この学校の立場というものを? 単に一人の貴族様であれば、まぁなんとでもしようはあるが、M.o.Mは、どうにも──うん、私は無意識下で、この学校を守ろうとしていたのでしょう。職業病というやつかな、或いは職が人をつくるとでもいうべきか」

 エドアルドは、この大悪漢にも、存外素直な心があるのを目の当たりにして、久しぶりに神を信じたい気持ちになった。それにしても、マクゴナガル教授がこの獰猛な同僚を御してしまうのには、ただ教職員間の権力差や実力差では説明し難いものがあるように思われた。おそらくブルズアイ教授は彼なりにマクゴナガル教授を尊敬しているのであり、マクゴナガル教授の方もそれを知っているのだ。

 

 ブルズアイ教授の自己弁護の才は、ウィゼンガモットに引き摺り出されたとしても百戦百勝が予想される代物であったが、とにかく彼自身納得したというのは、エドアルドにとっても好都合であった。するとこの教授は、そう悪い奴ではないかもしれない──エドアルドはそう感じた。このブリテン島に於いておよそ最悪の官吏とは──そうした連中が全体の八割を占める以上、最悪とは何の謂いぞや、となりかねないが──、他者の行動に対しては容赦なく鋭利な切れ味を発揮する肉切り包丁を恣に扱い、しかしちょっと勢いを間違えて自らの左手に振り下ろしてしまったとしても、肥大化した自我という鎧が完璧に防御してしまう、そんな人間のことである。その点ブルズアイ教授は、包丁が自分の手指を切り落とそうとすること自体は真剣に避けようとするあたり、まだ整合性を大切にしていると言えよう。まこと末法の世の中で、上位二割に入れるとすれば、それは充分仁徳者ではなかろうか?

 

 さて、マクゴナガル教授とブルズアイ教授との抗争が一段落すると、今まで押し黙っていた校長の薄い唇が割れるように開いた。

 

「では、ここは民主的に決めましょう。ミスター・スワッブルにかかる嫌疑に関して、これを棄却すべきと考えるのは?」

 

 マクゴナガル教授がすぐさま手を挙げた。ブルズアイ教授は渋い面をしていたが、ゆっくり挙手をする。スカルピン教授の腕は肩ほどの高さに固定され、一体何を言いたいのかさっぱり分からなかったが、いずれにせよ趨勢は決した。

 

「ふむ、では──」ブルズアイ教授はやや決まりが悪そうに言い出した。「“話し合い”は終了ですな? それぞれが妥協し、皆満足できる結論に達した。うん、理想的だ。これ以上を望むのは、過ぎたる贅沢というべきでしょう……ああそうだ、校長先生、私は採点がありますので、これにて」

 

 そそくさと退場するブルズアイ教授の後を、スカルピン教授も追った。これを見送るマクゴナガル教授は、鬱憤晴れたりと鼻を鳴らし、エドアルドの肩に手を置いた。

 

「さぁ、あなたも疲れたでしょう。当然です、いつもならばとっくに暖かい布団に包まっているはずの時間なのですから──模範生徒ならば、という但書は付きますが。まぁ、あなたにその心配はないでしょう、そうですね?」

 

 今まで出会った中でまず間違いなく最高の魔女に、エドアルドはしかと頷いた。彼女は微笑み、エドアルドの腰に手を当てて退出を促す。階段の前で、挨拶をしようとエドアルドが振り向いた時、マクゴナガル教授はやはり微笑んでいた。だが校長は真っ黒な背中をこちらに向け、肖像画と肖像画の間、例のカーテンが下された額縁をじっと見上げているようだった。

 

 

 

──────

 

 

 

 今年はいつにない冷夏が予想されていて、すでにその兆しはエドアルドたちにも十分感じられた。花々は、毎年同じ時期に少し暑くなる時期があるという経験すら忘れたかのように咲き誇っている。湖の辺で水飛沫でもかかれば、心地よいというより寧ろ肌寒く、子供同士の些細な戯れが決闘にまで発展しブルズアイ教授のお世話になること、しばしばであった。しかし事ノクターン横丁に在っては、冷夏というのは父なる神が悪党どもをもお見捨てになっておられない証拠とでも言うべきか、石炭の煤で息が詰まるような冬と、脳まで蒸し上がりそうな夏とのまさに中間点、「多少不快」な程度で過ごせるのである。

 およそ一年ぶりに再会したタバード氏は、カウンターに座り新聞を読んでいた。エドアルドが重い扉を開けて店内に入ってきてもデイリー・プロベイトに顔を隠したままだが、紙質が悪いせいで、恰幅の良い身体の輪郭が背後のランプに照らされくっきり映し出されていた。エドアルドが二、三回咳払いすると、彼はようやく新聞を下ろし、例の鋭い視線をエドアルドに向けた。

 

「やぁ、なんだ、今日が帰りか、ロムルス。土産は?」

「ありませんよ、僕にそんなお金無いってこと、あなたが一番よくご存じでしょう?

 

 タバード氏はふんと鼻を鳴らした。

 

「そりゃあ知っているが、偶然とはいえこうしてカウンターに座って出迎える形となった養父に対して、それはなぁ」

 

 タバード氏はなおもぶつくさ不平をたれていたが、それが単なる当て擦りであって、決して現物を求めているわけではないことを承知していたエドアルドは、構うこともなかった。しかし、ふと見るとタバード氏の口に咥えられている煙管からは煙も上がっておらず、冷え切っているようである。そのことを指摘すると、タバード氏は舌打ちした。

 

「替えの葉が一階になかったからな」

「取りに行けば良かったのに」

「時間がない」

「そうなんですか?」

「そうだ!」

 

 これ以上の問答は無用、と手を叩きつけると、タバード氏は重い腰を徐に持ち上げた。以前受け取った手紙によれば、彼は近頃腰痛に悩まされているという。常日頃より、友人との関係を穏健かつ良好に保つことに酷く難儀しておられたこの気難しい養父が、ついに自分の身体とすら袂を分かつに至ったかと思うと、エドアルドは同情の念を禁じ得なかった。しかしタバード氏は、一歩歩くごとに腰を口汚く罵り杖でバシバシと叩くから、これではたとえ彼の腰椎が屋敷しもべ妖精のそれだったとしても、一張羅を床に叩きつけ家から出て行ってしまったことだろう。

 

 エドアルドはタバード氏の後について階段へ向かった。一年弱ぶりの店内は、客の立ち入る範囲から一歩踏み出せば相変わらずの埃まみれで、薄暗い部屋の中にほんの少しでも光が差し込んでいると、小さな塵がキラキラ光りながら降り注ぐのが見えた。床に目を凝らすと、埃が掻き分けられ木目のはっきり見て取れる部分が一本線になって、まるで獣道のようにカウンターと階段とを繋いでいたが、するとタバード氏は驚いたことに、幅僅か二フィートを決して逸脱することなく日々店内を往復しているのである。大きな蛇の這った跡である、とでも看板を立てておけば、きっと疑う人もおるまいとエドアルドには思われた。

 真っ暗な階段に二、三度躓き、自分がいかにホグワーツの人間となっていたのかを自覚しながらようやく登りきって扉を開けると、二階の生暖かい陽光がエドアルドの眼を包んだ。台所に据え付けられた真鍮製の蛇口には、水垢一つ付いていない。エドアルドはため息をつかざるを得なかった。義父の生活能力の無さは問題であったが、それを指摘する勇気は流石に無かった。

 

 タバード氏が彼専用の大きな椅子に年老いた烏よろしく堂々腰を落ち着けてしまったので、エドアルドは食器棚の埃に塗れた把手を捻り、銀食器を取り出した。前にエドアルドが磨き上げた時からそのままらしく、部屋の隅々に至るまで仔細に鏡写ししている。凡そ食品と呼び得るものは、大麦パンに古びたマーマレード、大きなチェダーチーズの一塊しか無かった。そのうちチーズに関しては、殺鼠剤が混ぜ込まれている可能性を排除しきれなかったので、手をつけないことに決めた。

 大麦パンに包丁を当て、峰が掌に食い込むのも厭わず一心不乱に体重をかけていると、タバード氏の御提言が飛んできた。

 

「杖を使え、杖を」タバード氏は腹が空いているのか、常にも況して短気であった。「俺が一体何の為にお前を学校へ通わせたと思っている? 包丁を扱う術を教えて、お前をカレームにしてやる為か、え?」

「学校外で杖を使ったら、規則違反なんですよ」エドアルドは顔も上げずに答えた。「せっかく通わせて頂いているのだし、退学なんて不名誉は避けたいので。それに、何かを切る為の魔法なんて教わっていないんです」

 

 しばらくして、昼食というにはあまりに簡素な昼食が食卓に並んだ。酷いというわけではなく、飢えた蝿でもこれには気づかず素通りするのでは、と思わせるような、テーブルとの境目がわからないくらいに茶色に占有されている。それでもタバード氏は心なしか機嫌を持ち直し、ワインのコルクを景気の良い音とともに抜いて、エドアルドにまで勧める有様であった。義父からのありがたいお誘いを恭しくお断りしたエドアルドは、パンを齧ると、ふと面を上げた。

 

「そうだ、タバードさん。ピップはどうしているんです?」

「ピップ?」タバード氏は鼻で笑った。「常の通りだよ。当然だ、あいつは新聞売りだろう。新聞ってのは、これこれの重大事が山と積み重なっていると口喧しく触れ回って、その点で世間は常と変わりないと知らしめる為のものだからな」

「じゃ、その……副業の方も?」エドアルドはカチカチのマーマレードにナイフを突き立てながら聞いた。

「その通り、変わりなし、万事異常なし、すなわち更生など望むべくもなし、ってところだな。この街の教育環境か、あるいは警官の質が明日にでも劇的改善を被れば、話は別だろうが。しかしお貴族様方におかれましては、きっちり籠の中に収まっている分には、わざわざ殺虫剤を撒くまでもないって訳だ。それに安心しておけ、ロムルス。俺たちは、虫と言っても蜜蜂だ」

 

 タバード氏はワインボトルを口に咥えて傾けた。

 

「然るにロムルス。俺としては奴のことよりも、せっかく大金を投じたお前が不良債権に転ずることの方が余程恐ろしいんだがね。成績表はいつ来るんだ?」

「この休み中です。恐らく来週か再来週には」エドアルドは答えた。「でも、悪くはないと思います」

「ほう?」タバード氏の片眉がかまきりの鎌のように持ち上がった。「そんなに自信があるのか」

 

「自信があるわけじゃないけれど、先生が良い成績だったと教えてくれたんです」

「誰が」

 

 マクゴナガル、と答えると、養父は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「ふん、あの婆さん、まだ羽ペンを握っていやがるのか? 全く、柄でもないだろうに。弱みでも握られているのかね、或いは義理人情か。全くお気の毒に……」

 

 エドアルドはちょっとびっくりした。

「でも、良い先生ですよ」

「そりゃそうさ、顔中皺皺になって──きっとそうだろう?──それでも先生をやるってんなら。しかし、柄でもないだろうになぁ。おいロムルス、成績表が届けば隠すんじゃないぞ、先生の義理に対して不義理だからな」

 

 タバード氏はそれきりすっかり表情を変えて、愚にもつかない冗談を陽気に飛ばしながら、古いカンテラのようにぼんやり光るスプーンで、茶色いスープを掬っては口に運んだ。ワインはいつにも況してあっという間に空になり、部屋の隅に積み重なった瓶の山にひょいと魔法で投げ込まれ、他とすっかり見分けがつかなくなってしまった。

 

 

 

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