「付喪神の囁き~大内義隆、歴史を紡ぐ~」   作:三浦左衛門丞

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第11話 「名月の誓い」――姉弟の距離

(1510年)

永正七年八月 亀童丸(きどうまる) 満二歳 数え四歳

 

秋の気配が深まる夕暮れ時、東向御殿(ひがしむきごてん)縁側(えんがわ)で、俺は侍女の千世が口ずさむ歌に耳を澄ませていた。

 

「――人はいさ 心も知らず ふるさとは」

 

以前、乳母のまつゑに教わっていた紀貫之(きのつらゆき)の一首だ。千世は繰り返し同じ歌をそらんじては、時折、庭に咲き残る(はぎ)に目をやっている。千世の歌声に、都への憧れと、この山口への愛着が混じっているように聞こえた。

 

俺は、彼女の隣にちょこんと座り、意を決して声をかけた。二歳の舌では、まだ思うように言葉が紡げない。

 

「ちよ。また、そのおうたか」

 

瞬間、千世の動きがぴたりと止まる。彼女の大きな瞳が、信じられないものを見るかのようにゆっくりと俺に向けられた。そこにあったのは驚きというより、畏れ(おそれ)にも似た感動の色だった。

 

彼女ははっと息を呑むと、慌てて膝を折り、小さな声で。

「は、はい。まつゑ様に教わりました、紀貫之様のお歌にございます。なんでも、貫之様が土佐(とさ)へ向かう道すがら、この周防(すおう)の国に立ち寄られたと伝わると」

 

声はわずかに震えていた。必死の取り繕いが可笑しくて、思わずくすりと笑う。

 

感じ取ることに集中しすぎていたか。

これほど驚かれるとは、少しやり方を変える時かもしれない。

 

夜、うたたねの底で、水面の輪がひろがる音を聞いた。黒い硝子(がらす)の明かりがふっと灯り、目の前には、紀理(きり)が呆れたような、面白がるような、絶妙な表情で腕を組んでいる。

 

「よしたかくん、観察は順調だけど、そろそろ『言葉』っていう新しい武器も使ってみたら? 君の笑顔と言葉が合わされば、最強の外交になるよ」

 

「……わかってる。見る事と聞く事に集中していただけだ。お前の作戦どおりにな」

 

「あら、作戦のせいにするの? 二歳児が黙って周囲を観察してるだけでも不気味なのに、言葉まで忘れたら、ただの人形じゃない。少しは愛嬌も振りまかないとね」

 

紀理の揶揄(やゆ)に、俺はぐうの音も出なかった。確かに、情報を集めることに固執(こしつ)しすぎていたかもしれない。

 悶々(もんもん)とした気持ちを抱えたまま、俺の意識は千世の声に現身(うつしみ)へ戻ると、そこは中秋の名月の夜だった。

 

「若様、今宵は十五夜にございます」

 

母上は、先日届いた佳乃からの書状(しょじょう)に記された「名家の影」という一文を気にかけ、珠姫(たまひめ)とその養母(ようぼ)であるお芳の方を月見の(うたげ)に招いていた。

 京の情勢について、彼女たちが本家から何か聞かされているか、様子を探るためだ。

 

月光が庭を白く照らし、虫の音が涼やかに響く。格子戸(こうしど)の隙間から、光が、(たたみ)に揺らめく水影のような模様を描く。萩は散りはじめ、月の下でほのかに輝いていた。

 

母上は、(ふじ)の意匠が織り込まれた薄紅の小袖(こそで)をまとい、几帳(きちょう)の奥に座している。指は扇を握り、静かな微笑みを湛えながらも、瞳の奥には鋭い観察の光が宿る。乳母(めのと)のまつゑは控えめに脇に立ち、侍女たちが月見団子を運び入れる。白い団子が、月の光を吸って淡く輝く。

 

 

「珠姫、お芳の方、ようおいでくださいました。」

 

母上の声は絹のように滑らかだが、どこか試す色を帯びる。膝の上から、じっと光景を見つめていた。

 

珠姫が現れた。数え六歳。菊の意匠が施された小袖をまとい、幼いながらも堂々とした歩み。背後にはお芳の方が寄り添い、彼女の背をそっと支える。珠姫の立ち居振る舞いには、京の公家らしい気品が漂う。

 

御台様(みだいさま)、今宵はお招きいただき、まことにありがとうございまする。」

 

珠姫の挨拶は完璧だ。だが、声には春の宴で感じた棘がなく、代わりに寂しげな響きが混じる。

お芳の方の視線が、俺と母上を一瞬だけかすめ、すぐに珠姫に戻る。目に微かな嫉妬が揺らめくのを、俺は見逃さなかった。

 

(母上は、彼女たちの言葉の端々から、京の動きを探ろうとしている。)

 

母上は扇をゆったりと動かし、穏やかに言葉を返す。

「珠姫、月が美しい夜です。さ、こちらへおいでなさい。」

 

珠姫は小さく頷き、お芳の方に導かれて母上の近くに座る。侍女が団子を差し出すが、珠姫はちらりと見ただけで、視線を庭の萩へと戻す。

 

「珠姫、お団子をいただいては?」

お芳の方の声は優しいが、珠姫は小さく首を振る。仕草には、子供らしいわがままと、どこか深い孤独が滲む。

 

(姉上……この御殿で、誰とも心を通わせられずにいるのか。)

 

俺の胸に、春の宴では感じなかった疼きが生まれた。彼女はただの「姫」ではない。父を遠くに持ち、実母を失い、養母に守られながらも、たった一人でこの場に立っている。

 

母上は、珠姫の沈黙を静かに見つめ、そっと口を開く。

「珠姫、京の公方様(くぼうさま)のお話を、最近伺いましたか?」

 

問いは、柔らかく、しかし鋭い。珠姫は一瞬目を伏せ、お芳の方が代わりに答える。

 

(みやこ)の話は、わたくしどもにはあまり届きませぬ。公家(くげ)の皆様も、戦の噂に心を乱しておられるやに聞きますが……。」

 お芳の方の声は丁寧だが、どこか言葉を測るような慎重さがある。母上の扇が一瞬止まり、彼女の瞳が細まる。

 

「そうですか。細川(ほそかわ)殿の動きも、気になるところですわね。佳乃殿の書状に、近江(おうみ)の風が濁るとありましたが……。」

 

母上の言葉は、まるで水面に石を投じるように、静かに波紋を広がってゆく。

お芳の方は小さく息を呑み、珠姫の手をそっと握る。

 

御屋形様(おやかたさま)は、戦のさなかにおられるゆえ、我らには知れぬことも多いかと」

 

 曖昧な答え。だが、曖昧さこそ「名家の影」の手がかり。俺は、母上の指が扇を握る力をわずかに強めるのを見逃さなかった。

 

(母上は、珠姫の本家が何かを隠していると疑っている。だが、姉上自身は、何も知らない……。)

 

 宴の空気が、月の光の下で一瞬だけ締まる。侍女たちの衣擦れの音がやみ、まつゑの視線が鋭くお芳の方を捉えた。

 

 その時、俺は動いた。母上の膝からそっと降り、たどたどしい足取りで団子の皿に近づく。

 

一番小さな団子をつまむと、侍女たちの「まあ」という声の中、珠姫の前まで歩ゆく。

 

「……これ」

 

そう言って、彼女に団子を差し出す。

これは、世継ぎからの施しではない。弟から姉への、ささやかな贈り物だ。

 

珠姫は驚いたように目を見開き、俺の顔と団子を何度か見つめる。お芳の方が「珠姫」と止めようとするが、俺は真っ直ぐに彼女を見つめ返す。

 

 

やがて、珠姫は小さく頷き、そっと手を伸ばして団子を受け取る。小さな指が、わずかに震えていた。

 

「……ありがたう。」

 

かすかな声が月光に溶ける。口元がほんの少し綻び、春の宴の硬さは跡形もない。

 

 

かすかな声が、月の光に溶ける。口元がほんの少し綻ぶ。その笑顔は、春の宴の硬い表情とはまるで別物だった。

にぱっと笑ってみせる。計算ではない、心からの笑顔。珠姫は一瞬戸惑い、目を伏せた。横顔は柔らかく、月光を浴びてほのかに輝く。

 

母上は静かに光景を見守り、扇で口元を隠す。だが、瞳には、俺と珠姫への慈しみと、なお消えぬ警戒が混じる。

 

「珠姫、亀童丸。仲良くしてね」

 

母上の声は優しいが、奥には、姉弟の絆が大内家の未来を左右するとの覚悟が宿る。

宴が終わり、珠姫とお芳の方が下がると、母上はまつゑにそっと耳打ちする。

 

「まつゑ、佳乃殿に書状を。珠姫の様子を伝え、京の動きをさらに探っていただきたい」

「かしこまりました」

 

まつゑの声は低く、鋭い。俺は、母上の膝の上で、彼女の手のひらの冷たさを感じながら、固く誓った。

 

この夜を境に、俺が守るべきものは、また一つ増えて重なる。母と大内家、そして孤独な姉。歴史の知識や戦略とは関係のない、俺自身の誓いだった。

 

夢の世界で、紀理が現れる。白銀の髪が月光のように揺れ、彼女は静かに微笑む。

 

「よしたかくん、珠姫ちゃんのあの笑顔、見たよね? あれ、君が引き出したものだよ」

 

「ただの、寂しがりな姉だった」

 

紀理は頷き、スマホの画面に、珠姫が団子を受け取る一瞬を映す

 

「歴史には、彼女の名も心なんて書かれてない。でも、君が隣にいるから、彼女は『珠姫』になる。君の誓い、私がちゃんと記録するよ。」

 

「ああ。姉上は名もなき姫ではない。珠姫という、ただ一人の姉だ」

 

言葉は、俺の中で確かな光となった。名もなき駒から珠姫という名を少しずつ(つづ)っていく。

 

 




現在は週1ペース金曜日での更新を予定しています。
裏で資料調べや構成を進めており、時代背景や物語に深みを持たせる準備中です。

執筆の裏話や進捗状況はNOTEにも書いていますので、
制作過程やChatGPTに興味がある方はぜひ覗いてみてください。
朗読版も用意しました。VOICEVOXで読み上げた音声を、Noteの記事内に埋め込んでいます。

https://note.com/miura_saemonjo/n/n1dbde4b0bb2b

※AIツール(ChatGPT等)を執筆の補助に使いながら、自分の構想をもとに書いています。AIの可能性などを模索し、比較などもしています。
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