「付喪神の囁き~大内義隆、歴史を紡ぐ~」   作:三浦左衛門丞

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第15話「珈琲コーヒーの香り」

 ふっと意識が浮上する。

 

 鼻腔(びくう)をくすぐったのは、懐かしい、あまりにも懐かしい豆の香りだった。炒りたての珈琲豆が放つ、香ばしく、そして心を落ち着かせる香り。

 

 目の前には、見慣れた食卓があった。戦国の世の粗末な(ぜん)ではない。かつて俺が「日常」と呼んでいた、ありふれた木目のテーブル。

 

「お疲れ様、よしたかくん。今回の対峙、骨が折れたでしょう」

 

 声のした方に目を向けると、紀理が微笑んでいた。彼女の手元で、湯気の立つ黒い液体が、すぅっと静かに二つのマグカップに注がれていく。

 

 そのうちの一つに見覚えがあった。思わず、息を呑む。

 白い地に、少し欠けた青い縁取(ふちど)り。 何度も使って、指に馴染(なじ)んだ、俺自身の――

 

「それは……!」

 

「たまには、こっちの記憶も思い出さないとね。今の君は、少し()()めすぎているから」

 

 紀理はそう言って、俺のマグカップをそっとテーブルに置いた。 俺は思わず手を伸ばし、温かな取っ手を握る。

 

 欠けた(ふち)に指先が触れた瞬間、記憶が(よみがえ)る。このテーブルで夜遅くまで郷土史の資料を広げ、珈琲を片手に頭を悩ませていた、ただの行政官だった頃の俺の姿が。

 

 一口、(すす)る。苦味が舌に広がり、喉を滑り落ちる。現実の幼い身体では感じられない、深い安堵(あんど)が体中を巡った。

 

「……美味い」

 

 思わず、吐息と共に言葉が漏れた。ただの一杯。だが、戦国の世で張り詰め続けていた何かが、この(にが)みと共にすっと溶けていくのが分かった。

 

「まさか、またこれを飲めるとはな」

 

「夢の中だからね。君の記憶を、私が少し借りて再現しただけだよ。 味も香りも」

 

 紀理は自分のカップを両手で包み込み、悪戯(いたずら)っぽく笑う。

 

「ふふ、残念だけど、目が覚めたらぱっと消えちゃうかもね。でも、次に会う時はまた()れてあげるよ」

 

「あぁ、それでもいい。この一瞬が、今の俺には何よりの贅沢(ぜいたく)だ」

 

 珈琲の温もりが、張り詰めていた心を解きほぐしていく。

 

 カップをテーブルに置き、湯気の向こうに視線を彷徨(さまよ)わせる。

 

 俺は、昨日の対峙を冷静に振り返った。

 

弘詮(ひろあき)とのやり取り、奴の底を探ったつもりだが、見事にかわされた」

 

「そうかな?」

 

 紀理は小首を(かたむ)けた。

 

「『絵を描く者にあらず』って返しは見事だったけど、あれは君への臣従(しんじゅう)を避けた逃げ道だよ。君が『筆を握る』存在だと、嫌でも意識したはず」

 

「そうかもしれん。だが、あの男、ただの老獪(ろうかい)な武人ではないな。あの鷹図は土岐頼忠(とき・よりただ)の作と伝わる名画だ。真贋(しんがん)はともかく、あれを選んだこと自体に、別の意図を感じる」

 

 紀理は満足げに(うなず)くと、指でテーブルをなぞった。淡い光の線が走り、そこに「陶弘詮(すえ・ひろあきら)」の名と、いくつかのキーワードが浮かび上がる。

 

「さすが、目のつけどころがいいね。彼はね、『吾妻鏡(あずまかがみ)』の編纂(へんさん)という、この時代屈指の文化事業を成し遂げた人物でもあるんだ。もちろん、莫大(ばくだい)なお金がかかっている」

 

「吾妻鏡だと?」

 

「編纂を通じて、京の文化人脈にも深く根を張っているんだよ。名のある絵師を都から招けるくらいにはね」

 

 思わぬ情報に、俺は目を見開いた。鎌倉幕府の公式史書。それを編むということは、ただの武辺者(ぶへんもの)にできることではない。深い教養と、文化への理解、そして成し遂げる財力と権力。

 

「なるほどな。だから、あの鷹図か。あれは俺の器を測ると同時に、己が文化を(かい)する人間であると示すための布石でもあったわけだ」

 

 これほどの力と影響力を持つ男だからこそ、(ぬぐ)えない疑念がある。俺の脳裏に、母上がその名を口にした時の、(わず)かな(かげ)りが蘇った。

 

「だが紀理、忘れてはならん。弘詮が、母上の父――内藤弘矩(ないとう・ひろのり)の死に、関わっていた可能性。母上の瞳が、忘れられないんだ」

 

 文化の価値を理解した教養人であり、母上の心を曇らせる過去を持つ男。二つの顔が、俺の中で一つになる。

 

 あの男をどう(とら)えるべきか。考えを巡らせるうち、思考の原点であるあの絵に、意識が引き戻されていた。危険な男が寄越(よこ)した、ただの政治的な道具のはずの、あの鷹の絵。それなのに――

 

「あの絵に、()かれたんだ」

 

 自分でも意外な言葉。転生してからずっと奥底に押し込められていたはずの、あまりにも純粋な感情の欠片(かけら)だった。

 

「守らねば、という感情とは別に、ただ純粋に、美しいと思った。俺の根っこにあるのは、やはり文化への愛着なのだろう」

 

 改めて自覚させられる。「守る」という使命の前に、俺の根っこにあるのは、やはり文化への()きせぬ想いなのだ。

 

 紀理は、そんな俺の顔をじっと見つめ、そして、優しく微笑んだ。

 

「うん。それが、よしたかくんの強さだよ。大内義隆として、歴史を塗り替える男のね。弘詮さんみたいな複雑な人を味方にするために……君のその『心』が必要になる」

 

 俺はカップを回し、欠けた縁を指でなぞる。 現代の記憶が、戦国の覚悟に深みを与える。

 

「まずは、母上を安心させる。内藤の禍根(かこん)を払い、弘詮を文化の橋として取り込む。弘矩の死の影響を、家の結束に変えるんだ。そして、弘詮という男を使いこなすべき『筆』として捉える。文化の力も、政の力も、全てを大内家のために」

 

 会話が途切れると、窓の外の空が急速に暗くなる。珈琲の香りが薄れ、遠くでブランコの鎖がきしむ音が、かすかに聞こえてくる――懐かしい公園の記憶が、優しく溶けていく。

 

「そろそろ、か……」

 

「うん。飛ぶ時は来るよ、義隆くん。鷹のように、遠くを見通して。でも、今は休んで。欠けたマグみたいに、君も少し、欠けてもいいんだ」

 

 紀理の言葉が、温かな余韻(よいん)を残す。 俺は最後に一口、珈琲を飲み干した。

 

 

 

 ――目覚めると、朝の光が格子戸(こうしど)を淡く()かしていた。

 

 東向御殿(ひがしむきごてん)の寝所は、まだ夜の気配をかすかに残し、静かに息づいている。

 

 俺はまだ小さな体をゆっくりと起こすと、無意識に強張(こわば)っていた肩を小さく回した。夢の珈琲の香りが、ふと鼻腔を(かす)め、俺は小さく鼻を鳴らして笑う――そんな余韻を振り払うように、(たたみ)の上をふらりと歩き出す。

 

 (ふすま)の隙間から庭の朝露がきらめくのが見え、俺はそっと手を伸ばして触れようとする。そこへ、奥の襖がすっ、と静かに開く。

 

「若君、お目覚めでございますか」

 

 入ってきたのは乳母のまつゑだった。後ろから、千世が顔を(のぞ)かせる。

 

朝餉(あさげ)の御支度、すぐに整えさせまする。千世、若様のお召し物を」

 

「はい、まつゑ様」

 千世が小さな笑い声を立てながら、俺の着替えを手際よく準備し始める。

 無邪気な姿に、俺は張り詰めていた心の糸が少しだけ和らぐのを感じ、思わず彼女の袖を引っ張る。

「ちよ、たか……みて」

 

 千世は目を輝かせ、俺の指差す方向――部屋の(とこ)()に掛けられた弘詮の献上(けんじょう)した鷹図の(かけ)(じく)に視線を移す。

 

「あら、若様。あの鷹様でございますか。昨日、弘詮様がお持ち下さった立派な絵でございますわね。まるで本物の鷹が飛んで来そうで、胸が高鳴ります」

 

 俺はこくりと頷き、床の間を指差す。

 

「このたか、いい」

 

 俺の言葉に、千世は愛おしそうに目を細めて微笑んだ。

 

「若様はこの鷹様が気にいったのですね。千世も、若様のお側で鷹様に負けぬよう精一杯に(はげ)みます」

 

 千世の屈託(くったく)のない言葉を聞きながら、俺は改めて床の間の鷹を見据える。まだ薄暗い部屋の中で、止まり木に(たたず)む鷹の鋭い眼光だけが、妙に生々しくこちらを射抜(いぬ)いているようだった。

 

(飛ばぬ鷹。この弘詮という男の影を払い、文化の筆として使いこなし、その空を、俺が創り出す)

 

 俺は掛け軸の前まで歩み寄る。描かれた鷹の羽の一本一本までが見事な筆致(ひっち)で描かれ、生命力が紙の中から(あふ)れ出んばかりだ。

 

 これほどのものを容易く手に入れる力。今の俺にとって、そしてこれから大きくなる大内家にとって、間違いなく必要な力だ。

 

 危険だと分かっていても、今は手元に置かねばならない。猛毒(もうどく)を薬として使うように、慎重に、だが大胆に。

 

 

 庭からは、朝露に()れた木々の(にお)いが風に乗って運ばれてくる。

 

 現代の知識と、戦国の体に宿る(たましい)。二つの自分を抱えながら、俺は再び戦国の朝を迎える。

 

 今日も、一歩。あの鷹が飛び立つための、広大な空を創り出すために。そして、その翼を俺自身が手に入れるために。





現在は週1ペース金曜日での更新を予定しています。
裏で資料調べや構成を進めており、時代背景や物語に深みを持たせる準備中です。

執筆の裏話や進捗状況はNOTEにも書いていますので、
制作過程やChatGPTに興味がある方はぜひ覗いてみてください。
朗読版も用意しました。VOICEVOXで読み上げた音声を、Noteの記事内に埋め込んでいます。

https://note.com/miura_saemonjo/n/n1dbde4b0bb2b

※AIツール(ChatGPT等)を執筆の補助に使いながら、自分の構想をもとに書いています。AIの可能性などを模索し、比較などもしています。
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