「付喪神の囁き~大内義隆、歴史を紡ぐ~」   作:三浦左衛門丞

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第4話「無言の策略」――赤子の瞳が見通すもの

(1507年12月)

永正(えいしょう)四年 十一月  亀童丸 満0歳 数え一歳

 

 東向殿(ひがしむきどの)――俺の母上は、毎日欠かすことなく俺を抱き上げ、優しく撫で、子守歌を口ずさんでくれる。

 

「よう育っておいでです。お父様も、きっとこの成長をご覧になれば……」

 

 そう呟くその瞳には、時折、深い悲しみの(かげ)りがよぎるのを俺は見ていた。父を殺めた家の世継ぎを産んだという、あまりにも複雑な運命。その重圧を一身に背負いながら、それでも俺に注がれる愛情は、一点の曇りもなかった。

 

 この人を守らねばならない。その想いが、日増しに強くなっていく。だが、この小さな体では、母の涙を拭うことすらできない。もどかしい想いを胸に抱いたまま、赤子の身体は抗いがたい眠りへと誘われていく。

 

 次に目を開けた時、俺は懐かしい場所に立っていた。そこは、かつて俺が勤めていた県庁の、片隅にある資料室だった。窓の外は、見慣れたはずの山口の街並みが、まるで水彩画のように淡く滲んでいる。

 

 書架には、分厚いファイルや古びた郷土史(きょうどし)の資料がぎっしりと並び、紙とインクの匂いが静かに満ちていた。その中央、大きな閲覧机に、銀髪の少女――紀理が腰掛け、楽しそうに足を揺らしている。

 

「今夜も無事に来られたね、よしたかくん」

「ああ……。ここは、なんだか落ち着くな。もう、夢と現実の境目が曖昧になってきた」

 微笑み合う。眠っている体はまだ赤子のままだが、この空間では、精神は明確に目覚めている。

「さっそく始めようか。初期の作戦、つまり赤子期間にできることの再確認からだね」

 

 紀理が指先で机の上をなぞると、そこに一枚の大きな和紙が広がるようにして、東向御殿(ひがしむきごてん)の見取り図が浮かび上がった。

 

「ここは山口、東向御殿。父君の義興(よしおき)さんは京に向かって、戻るのはおよそ十一年後の永正十五年(1518年)。お母さまは君に深い愛情を注いでくれている。でも、覚えているでしょう? お母さまの父君、内藤弘矩(ないとうひろのり)様の事件……そのことで、御殿の中にはまだ、見えない(おり)が沈んでいるわ」

「母上を取り巻く環境の把握が急務、ということだな」

「うん。それと同時に、乳母(うば)侍女(じじょ)女房(にょうぼう)たちの信頼を獲得することもね。赤子としてできることは限られているけど、泣き声のタイミング、視線の動き、笑顔の見せ方。全部、君が使える外交手段になる」

 

紀理の声はやわらかく、今や俺の参謀とも呼べる存在だ。

 

「泣くことすら、戦略か。面白いな」

 

「そうよ。たとえば、御殿に気難しい重臣が見舞いに来た時は、じっと静かにする。その人物に向けて、ふと微笑んでみせる。それだけで『聡明な御子(みこ)』という印象がつく。そうすればお母さまの立場も少しは強くなるし、君自身も、家中の者たちに侮られない存在になる」

「なるほど……。赤子という、誰からも警戒されない立場を利用するわけか」

 

 紀理はくすりと笑った。

 

「そう。赤子という存在は、周囲から見れば『無垢』で『無力』なもの。だからこそ、君がどれほど意図を持って行動しても、それに気づく者はまずいない。この時期こそが、誰にも悟られずに、自由に未来への布石を打てる唯一の機会なのよ」

「つまり、無意識を装って、意志を示せ、と」

「そういうこと。それと、もうひとつ大事なことがあるわ」

 

 紀理の目が、真剣な光を帯びる。  彼女が机の上の見取り図にそっと手をかざすと、それは日本地図へと姿を変えた。周防国(すおうのくに)を中心に、周囲の国々が淡い色で示されている。

 

「これから君の行く末に深く関わるであろう、いくつかの『芽』が、この地図の上にはある。いずれ必ず、君と彼らが向き合わなければならない時が来るわ」

 

 紀理は、特定の場所を指し示すことはしなかった。ただ、地図全体を眺めながら、静かに続ける。

 

「その時、君が持つ現代の知識だけでは、きっと足りない。歴史書や資料では分からない、その場の『空気』や、人の心の『熱』みたいなもの。そういうものを、実際に感じて、読み解く力が必要になる」

「では、この赤子の期間に、俺は何を磨いておくべきだ?」

「磨くべきは、『観察する目』。そして、人の心に働きかける(すべ)よ。だから、まだ言葉を話せない今の君にとって、周囲を『見る』『聞く』『感じる』ことこそが、何よりの訓練になる」

 

 彼女の言葉は、すとんと胸に落ちた。知識だけではない。この時代の人間として、五感で世界を捉え直すことの重要性。

 

「じゃあ、次の作戦会議までに、御殿の中の『声なき声』を集めてみて。たとえば、誰が誰より近くにいるか。誰にだけ丁寧な言葉を使うか。そういう些細なことから、力関係や忠誠の度合いが見えてくるはずよ」

「分かった。この小さな体で許される精一杯の観察をしよう。ただ見るだけでなく、その意味を心で読み取る。それが、この時代での第一歩だ」

「うん。よしたかくんの『見る力』を信じているよ」

 

 資料室の風景が光に溶け、紀理は最後に微笑んで消える。

 

 霜の降りた庭に朝日が差し込み、東向御殿の(ふすま)越しに凛とした冷気が満ちる。赤子の俺が目を開けると、その瞳の奥に確かな意志が宿っていた。

 

 耳を澄ます。遠くで、侍女たちが小声で交わす会話の断片が聞こえる。まだ言葉の意味は掴めないが、その声の調子に、昨日の残り香のような楽しげな響きと、今日の仕事へ向かう緊張感が混じっているのを感じる。

 鼻をかすめるのは、母上の着物に焚きしめられた香の匂いと、乳母のまつゑが持つ、薬草のような清潔な匂い。そして、囲炉裏(いろり)で燃える薪の、乾いた匂い。

 

 ぼやけた視界の隅で、何かが動いた。

 小四郎(こしろう)だ。彼は何も言わず、俺の寝床のそばに座り、ただ静かに庭を眺めている。その小さな背中から伝わるのは、言葉にならない警戒心と、そして、俺を守ろうとするかのような、張り詰めた意志。

 

 (声なき声……か)

 

 それは、言葉だけではない。視線、匂い、音、気配。この御殿を満たす、あらゆる情報。  俺は、この小さな体で、その全てを受け止めようと、五感を研ぎ澄ませた。

 無言の策略は、もう始まっている。

 




現在は週1ペース金曜日での更新を予定しています。
裏で資料調べや構成を進めており、時代背景や物語に深みを持たせる準備中です。

執筆の裏話や進捗状況はNOTEにも書いていますので、
制作過程やChatGPTに興味がある方はぜひ覗いてみてください。
朗読版も用意しました。VOICEVOXで読み上げた音声を、Noteの記事内に埋め込んでいます。

https://note.com/miura_saemonjo/n/n1dbde4b0bb2b

※AIツール(ChatGPT)を執筆の補助に使いながら、自分の構想をもとに書いています。AIの可能性などを模索し、比較などもしています。
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