やはり幼馴染なんてものは、どこかまちがっている。   作:フリューゲル

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こんにちは、フリューゲルです。

6月に入りまして、いよいよ梅雨のシーズンですね。

私は昔から雨と相性が悪く、傘をさしていても歩き方が悪いのか、小雨くらいでもなぜかズボンがびちょびちょになります。

最近はあんまり歩かなくなったのでいいのですが、ちょっと前までは学校に行くと一人だけ下半身がびしょ濡れという、良くわからない事態になっていた思い出。

それでは、ご覧下さい。


少女期Ⅳ ~冷たい曇り空~

 少し背が伸びて制服に着られている状態から脱して、紺色のスカートに慣れてきた秋ごろ、一年生の間で小さな噂が流れました。

 

 

 その噂とは、私こと切花朱音が上級生と付き合っている。しかもその相手が三年生の比企谷八幡という冴えない男子だというものでした。

 

 

 実際にそのような事実はないのですが、噂が事実無根で根も葉もない、というわけではないのです。

 

 

 例えばたまの帰り道に、小町ちゃんと八幡さんと三人で帰ったこととか。

 

 

 例えば夏休みに偶然外で出会って、そのまま一緒に買い物をしたこととか。

 

 

 そのような出来事を誰かに見つけられ、どうやら学年内で噂が流れ始めたそうなのです。

 

 

 誰かが直接教えてくれたわけではないので、確証があるわけではないのですが、たまに遭遇するような内緒話でちらほらと聞こえてきただけです。

 

 

 ただその噂は、誰かから告白されたようなわあっと囃したてる広がり方ではありません。あくまでも遠巻きに、こそこそと、こちらのようすを伺うだけで、誰一人として私に詳細を尋ねることはしません。

 

 

 私としても噂が広がって何か実害があるわけではないので、ただぼうっと毎日を過ごしていたのです。

 

 

 変わったことと言えば、女の子との雑談の中で、何人かの子たちが勝ち誇った顔をしながら恋人の話をしてきたり、男子たちから不満げな視線を向けられるくらいです。

 

 

 それでも時折、「趣味が悪い」や「思わせぶり」などの悪口かどうかも微妙な言葉が聞こえて来るのですが、どう反応するべきか分かりません。

 

 

 元々ネガティブな感情を向けられることに抵抗はありませんので、「ああ、向こうが私のことを嫌っているのかなあ」、程度にしか思うことができないのです。

 

 

 しかし話はそれだけでは終わらず、上手にはいきません。ある日廊下から教室に戻るとき、クラスの男子たちが教室内で、八幡さんの陰口を叩いているのをたまたま聞いてしまいました。

 

 

 彼らは八幡さんがいつも一人でいることや、友達がいないことを殊更に誇張した内容を冗談混じりで話していました。口元をにたぁと醜くゆがめて、全員が同じような嫌らしい笑みを浮かべていました。

 

 

 彼らの話の半分くらいは否定できないのが辛いところです。

 

 

 中学校に上がったくらいから、八幡さんの目がどんどん濁ってきて、それに伴って言動も少し残念になっていました。たまに一人でいるときに薄ら笑いを浮かべているのを見ると、知らない人からすれば、変な人に映っても仕方がありません。

 

 

 それでも、八幡さんの一番良い部分である面倒見の良さや捻くれた優しさは全く変わっていなくて、プラスマイナスすればゼロに落ち着くと私は思っていました。

 

 

 ……だから、八幡さんは陰口を言われるような人ではないのです。

 

 

 

「どったの、朱音? そんな怖い顔して?」

 

 

「……ううん、何でもない」

 

 

 

 そんな会話が聞こえたのでしょう、男子たちは私の視線に気付くと、少しだけ気まずい沈黙が残り、そして何事もなかったようにサッカー部の顧問の先生についての話を継ぎました。

 

 

 本当に、彼らは何がしたいのでしょう。

 

 

 他人の陰口を言うくらいなら、誰だってあると思います。でもそれは誰かに不満があって、その不満を別の誰かに話して憂さを晴らすためです。

 

 

 しかし八幡さんは彼らとは何も関係がなく、そして陰口の内容は不満ですらない、事実と虚偽が入り交じったただの言葉です。あの会話で何かを得るのかは、さっぱり分かりません。

 

 

 それでも、たった一つだけ分かることがあります。

 

 

 ……八幡さんの話題が出るきっかけは、おそらく私にあるのでしょう。

 

 

―――――――

 

 

「最近、学校はどうだ?」

 

 

「別に普通ですよ。少しだけ周りがうるさいですけど。……八幡さんはどうですか?」

 

 

「普通だな。時々知らない奴が見てくるときがあるが」

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

 

 きっかけとなる会話はほんの些細なことで、しかし必然として起こります。

 

 

 だって、私が嫌なんです。好きなことには執着できないくせに嫌なことには耐えられない、自分勝手な性格をしている私は、八幡さんが謂われのない中傷に晒されることが、嫌なんです。

 

 

 そしてその原因が私であるならば、とるべき道は決まっています。……元々、誰かを幸福を奪ってまで得たいものなんて、本当に僅かしかありませんから。

 

 

 それから私の生活に少しずつ変化が起こります。だんだんと外で八幡さんと一緒にいたり、話をすることを避けるようになりました。帰り道にばったりと会ったとしても、軽く目を合わせるだけで、そのまま知らないふりをして歩き去ります。

 

 

 そうやって距離をとったことを八幡さんから何か言われるのかと思いましたが、不思議と何も言われません。それどころか私と示し合わせたように、声を掛けず、知らないふりをしてくれます。

 

 

 そのことに私は少しだけホッとして。自分が誰かから陰口を言われているというのは一般的に傷つくことだと知っていて、嘘のつけない私はどうしてと聞かれたら、距離をとった理由について答えてしまうでしょうから。

 

 

 もしかしたら八幡さんは、「そんなのは慣れている」の一言で返すかもしれませんが、それでも八幡さんが慣れるまで陰口を叩かれたことを考えると、やっぱりそのような事実を聞かせようとは思わないのです。

 

 

 十一月に入り、寒い冬が訪れます。

 

 

 私たちの行動が功を奏したのかは分かりませんが、そのころになると噂も大分小さくなってきました。十月の終わりごろは、「勝手に別れた」だの「切花が振った」だのそんな勝手な憶測が流れましたが、その話題も冷たい西風に削られていくように、だんだんと薄くなっていったのです。

 

 

 そんな私はというと、何故が小学校に入ったばかりのころの感情がぶり返えされるようになりました。あの、弟が死んでからの半年くらいのころ。

 

 

 あれほど心に火がついていたはずなのに、今ではすっかりとくすぶっていて。それが弟を失ったときとあんまりにも似たものだったので、弟にも八幡さんにも申し訳なく思ってしまいました。

 

 

 噂は下火になりましたが、このころには八幡さんと会う機会は殆どなくなっていました。十月の上旬くらいから受験のために予備校に通うようになっていて、比企谷家にお邪魔しても、ほとんど外出していることが多かったのです。

 それについては特に何も思わなかったのですが、いつもより人が減った比企谷家は大分広くて、よくお邪魔するリビングも、私と小町ちゃんだけだと持て余してしまうくらいでした。

 

 

 そして、小町ちゃんが料理を作ろうといったのもこの頃からでした。よくよく考えれば、小町ちゃんなりに私たちの様子を気にしていて、気を使ってくれたのかもしれません。

 

 

 実際に、ときどき交代で八幡さんにご飯のリクエストをメールで聞いて、返事がなければ八幡さんの嫌いなものを食事に使って、反応を伺っていたりもしていました。

 

 

 一月になり、路面に薄い氷が張り始め、時折雪がちらちらと降るようになりました。

 

 

 その冬は例年よりもずっと寒い冬で、冷え込んだ空気が辺り一杯に満ちていて、いつもより一層、冬の物悲しさが引き立てられていました。朝と夕方には、息をはっーと吐くと、白い吐息が空気中に散らばっていったのです。雪が薄く積もった日には、小町ちゃんと一緒に路面で滑りそうになりながら、きゃあきゃあと騒ぎながら登校をしました。

 

 

 二月になり空気がもっと冷たくなると、三年生の雰囲気がどんどん張りつめていきます。受験が近くなった彼ら、彼女らはそれまでからまた一つ、大人の雰囲気になっていって、また一つ大人への階段を昇ったのだとなぜか私が実感しました。

 

 

 そのころには八幡さんと話すことなどめっきりなくなっていて、たまに比企谷家で一緒になっても、話す内容なんてすぐには思い浮かばず、ただ会釈をするだけで終わりいました。

 

 

 少しだけ暖かい風が吹き始めた三月。八幡さんは無事に総武高校へと合格し、中学校を卒業しました。

 

 

 卒業式の日にはまだ桜が咲いておらずつぼみのままで、少し味気ない式でした。卒業生一人一人の名前が呼ばれる中、八幡さんの名前が呼ばれても周りが何も反応をしないのを見て、あのくだらない噂は既に通り去って、誰の中にも残っていないのだと実感しました。

 

 

 春休みに入っても生活は変わることなく、小町ちゃんやクラスの女の子と遊び、宿題をこなしていました。

 

 

 宿題の一つに図書館から資料を借りなければできないものがあったのですが、借りた本が思いの他重くて、本を詰めたバッグを持ち上げたときに、二の腕から嫌な悲鳴が聞こえました。こういう本も早く電子化して欲しいと言って、春の陽気に包まれながら帰っているときに思うのです。

 

 

 ……きっとあと百年も経ったら、科学が発達して、私たちの心も電子のように扱うことができるのかもしれません。

 

 

 もしそうなってしまったら、この世のありとあらゆるものが零と一で構成され、おいしいものを食べて心まで膨らむ気持ちだったり、好きな人告白されて胸が熱くなるとか、そういった私たちが心の奥底に宝物のようにしまっていた感情を、つまらない理屈をべたべたに張り付けて人工的に再現していくのでしょう。

 

 

 そうなれば、きっと人は電子の海に溺れながら幸せな夢を見続けることができるのかもしれません。私や祖母のように悩むことも、自分を嫌悪することもなく、至福な時間を過ごすときがいつかは来るのです。

 

 

 その夢はスイッチ一つで簡単に霧散してしまう陽炎みたいなもので、みんなそんな曖昧なものに頼り、どんどん弱くなってしまうのかもしれないですけど、そんな光景をみることには、少しだけ憧れてしまいます。

 

 

 そんな馬鹿な妄想とともにすっかり時間が過ぎて四月に入り、二年生に上がります。

 

 

 そしてその始業式の日、私は小町ちゃんから八幡さんが交通事故に遭ったことを聞いたのです。

 




ご覧いただきありがとうございます。

今回は会話はほぼなく、地の文メインでお送りしました。

この回については、どういう描写にするべきかずっと迷っていた部分があって、八幡の感情をどの程度入れるか、入れるならば会話をどうするかが悩んだ部分だったりします。

ただこの章は朱音の過去編というのもあり、会話を入れすぎると時間が止まってしまうので、さくさくと進めることにしました。


それでは、また次回。

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