場は、急に慌ただしくなっていた。
「指示されたポイントへ向かいます」
フェイトが振り返らずに言った。
動作はこなれていて、緊張感はない。これから起こりうること、自らのやるべきことのビジョンがしっかりと見えていた。
地球への転移が開始される。
体の芯が一瞬だけ軽くなって、足の裏から地面の感触が抜け落ちるような、妙な浮遊感に包まれる。
フェイトにとっては慣れた感覚だが、アリサにとっては未だに不慣れであった。
「これ苦手なのよね」
そう言いながら、転移の輪へと入っていく。文句を言いつつ足取りには迷いがなかった。
「僕たちも急ぎましょう」
「ええ。はやてちゃん、行ってきます」
「うん。気を付けてな」
転移の光。靴音。短い指示。確認の声。
それが幾重にも重なって、あっという間にあたりは作戦の空気に塗り替えられていく。さっきまでそこにあった緩んだ日常はもう影も形もない。
そんな中で、なのはとリインフォースは、無言で横並びになっていた。
リインフォースはまっすぐ前を向いたまま、転移の光をその瞳に映していた。
白と銀の髪。夜の色をした外套。その横顔は、少しばかり硬いように感じた。
「言いたいことがあれば聞こう」
先に口を開いたのは、リインフォースの方だった。
「いや、まあ……」
なのはは言葉を濁した。責めるつもりはなかった。なかったけれど、訊かないわけにもいかなかった。胸の奥に引っかかっているものが、どうしても取れずにいた。
「察しはつく。遠慮はいらない」
「……なんで、リインがいながらやられた?」
キリエに、という意味だった。
言った後に気付く。もう少し上手い言い方は出来なかったのだろうかと。
良心の呵責と共に自らの口の悪さを恨む。
「不覚を取った。私が不甲斐なかっただけだ」
短い。言い訳はしない。そう言いたいのだろう。その潔さが、かえってなのはの胸をちくりと刺した。
「ごめん、責めるような言い方になっちゃった」
「不覚を取ったのは事実だ。そして魔導以外の力に翻弄された。それだけのことだ」
リインフォースは前を向いたまま言った。静かな種類の反省だった。物事を分析して、次に活かす。そういう生き方をしてきたのだろう。長い、長い時間をかけて。
「はやてはリハビリを始めて大事な時期だった。相当かばったんだろ?」
その通りだった。
リインが言い訳をしないので、代わりになのはが言った。
リインフォースは自分の身を盾にするように戦っていた。
魔導以外の力。キリエのあの異質な力に翻弄されながら、それでもはやてだけは、と。
「次は負けないだろ?」
「無論」
リインフォースが答えた。短く、迷いなく。
「じゃ、行くか」
「ああ」
二人揃って、転移の光へと踏み出した。最後に見えたリインフォースの横顔は、もう硬くなかった。それがなのはには少しだけ嬉しかった。
結界が張られていく。
ミッドチルダ式の結界術式。
防壁、というよりも閉じ込めることに特化した結界だった。
「よし。次、頼みます」
「ええ、任せて」
ベルカ式の結界がユーノの張った結界を外側から覆っていく。シャマルの手際は流石であった。しかし、いつもより疲労感が顔にはあった。額には玉の汗が浮かび上がっている。
「維持に集中しなきゃいけないから動けないのが辛いところね」
一点集中型の強力な結界である。
そのためユーノとシャマルはこの場から動けなくなっていた。
「でも、これで閉じ込めることができました。町に被害が出ることはないはずです」
ユーノが顔を上げずに言う。その声には安堵の色が混じっていたが、反対にシャマルは不安そうであった。
「そうね。後はここに襲撃がなければいいのだけれど」
その懸念に対し、頭上から降ってきたのはあまりにも鷹揚とした声音であった。
『その心配は不要さ』
時の庭園──次元の狭間に築かれた居城から、通信越しの声が届く。その口調は天候の心配をする子どもを諭すようだった。
『なにせなのは君を待機させている。先方が賢い者であるならば、いの一番にここを狙うことはしないだろう』
ユーノとシャマルの護衛にはなのはを筆頭に、ザフィーラとアルフ、そしてガジェットドローン十数機が配備されていた。
マクスウェルはなのはの戦闘を一度だけ見ている。たった一度ではあったが、その一度で十分だった。キリエの体調は万全とは言い難い状態であったが、それでも彼女は武装を用いてオルタまで使用した。それに対し、なのははバリアジャケットを纏うことすらなく、素手のみで圧倒したのである。底の見えない相手──それが、マクスウェルがなのはに対して抱いた率直な評価であった。
敵対するにしても絶対に一対一で臨むべき相手ではない。倒すならば複数人で立ち向かう必要がある。その判断は正しく、子どもが相手だとしても侮ることなく評価していた。
『こんばんは』
マクスウェルから通信が入る。再び、大きめのモニター越しにジェイルと対面する。画面の向こうの男は相変わらずの余裕であった。
『準備は整いましたか?』
余裕しゃくしゃくである。これから始まるのがただの演習であるかのような、あるいは既に勝敗は決しているとでも言わんばかりの不遜な響きがその一言に込められていた。
「こちらはいつでも。そちらは大丈夫かね?」
『ええ、ご心配には及びません』
その返答もまた、穏やかにして不敵であった。
『ではお手合わせ願います』
「お手柔らかに頼もう」
とは言え、失礼であるのはマクスウェルだけではなかった。ジェイル本人は意図していない。だが、その笑みは人の感情を逆撫でするものだった。
もはやここまでくれば頼りがいのある笑みとも思えてしまうほどである。
通信が切れる。
開戦の合図はない。厳密に言えば、戦争自体はすでに始まっている。まだ攻撃には至っていないが、互いに有利なポジションを取ろうと、位置の取り合いが静かに進行していた。
「ウーノ」
「はい」
「今回は私が指揮を取るが、今後は君に任せたい」
ジェイルの声には彼なりの配慮が滲んでいた。ウーノを優秀な手駒として見ていることは確かである。しかし、それだけではない。純粋な親心があった。歪んではいるが、紛れもなく本物の愛情が存在していた。
「私の戦略を真似する必要はない。君なりの勝利の方程式を見つけてくれたまえ。君ならばどうするか。この盤面であれば駒をどう動かすか。何が最適解であるか分析をするといい。今回はいいデータが取れることだろう」
「承知しました」
その返答は機械的でありながらも、わずかながら使命感を帯びていた。ウーノはまだ気付いていない。なぜ自分が頑張ろうと思えるのか。その根源が、親からの愛情であることをいずれ自覚することだろう。
そして、ジェイルがこの戦争を教材としてしまう狂気もまた、ウーノは愛として受け入れるに違いなかった。それこそが、彼ら親子の在り方なのだから。
『ドクター』
通信が入る。声の主はこの戦場において最強の駒、高町なのはであった。
『なんだい?』
『本当に俺は待機でいいのか?』
『そうだね。私の作戦に不満がなければ結界班を守ってほしい』
『不満はないけどさ』
不満はないといいつつも、何か言いたそうであった。
なのは自身、待機しているよりも突撃したほうが良いと考えている。
それを察してか、ジェイルが諭すような口調で言った。
『なのは君、戦争で負けないためには君だけが強くても駄目なんだ』
勝つためではなく負けないためだと言う。その言葉の重みに気付き、なのはが静かに耳を傾ける。
『今回の敵であれば、なのは君一人で殲滅は可能だろう。しかし、君が振り返ったとき帰るべき場所が焼野原では寂しい思いをさせてしまう』
なのはたちは何かを得るために戦うのではない。大切なものを失わないために戦うのである。
『それに今後、より大きな戦争をすることもあるだろう。その時に他の者に経験を積んでおいてもらいたい。今回は結界班の護衛がメインだが、なのは君を後方に配置させている理由は他にもある。ご納得いただけたかな?』
『うん。わかった。けどさ』
『なんだい?』
『声が楽しそうだぞ? 何か裏あるだろ? また俺を騙そうとしてる?』
なのはの指摘は鋭かった。その声には、疑念と、それでもどこか信頼しきっているような、そんな複雑な感情が混ざっていた。
『おっと作戦の時間だ。すまないがまた後で指示を出す。それでは後ほど』
『おいちょっと待っ──』
なのはからの音声をミュートにする。画面の向こうで、なのはが何かを叫んでいるがその声はもうジェイルには届かない。
「ゲームを始めようか」
ジェイルの目がキラキラと輝いていた。それはもう、新しいゲームソフトを買ってもらった子供のように、無邪気な輝きであった。
この男にとって戦争とはまさにゲームであり、ただの遊戯場に他ならない。
ジェイルは人の命の重さを知っている。
人間が好きで、尊く、慈しむべきものであると理解している。
そして、その大切なものを朝食のメニューを選ぶが如く、いとも簡単に駒として扱うことができた。
常人とはかけ離れた精神。
それ故に迷いがなく、彼の策略は敵味方関係なく容赦がなかった。
「敵はどう動くかな」
この問いに答える者はいない。ウーノは見学のみで口出しをすることはなかった。
「彼が得ている戦力情報は守護騎士となのは君。それと盤上に並べたガジェットドローン百機、傀儡兵が百体。この時点で降伏の意思表示はない。であれば彼は勝つ算段があるということだ。あるいは負けても問題ないと考えている。といったところか」
口角が、わずかに上がる。
「私の読みの外側に、まだ何か隠しているのかな?」
どちらにせよと思う。この戦争はジェイルにとってご褒美ともいえる娯楽だ。
現時点で駒の性能差は不明だが、こちら側の手駒が不十分ということはない。
「ああ──楽しいな」
心が踊っていた。
ジェイルは経験したことはないが、多分、子どもの遠足というイベントはこんな気持ちなのだろうと、少年少女の気持ちを味わっていた。
マクスウェルは司令部とおぼしき場所にいた。
周囲には数名のオペレーターが配置され、モニター越しに戦場の全体像を睨んでいる。
「敵の動きはなし。ジェイル・スカリエッティは?」
「地球外にて待機。衛星から確認済みです」
オペレーターによる報告を受ける。
「結界班の護衛に、高町なのはを据えている。彼が最大戦力であることは間違いない。それを前線に出さないということは、この結界の死守を第一優先としている? もしくは他の戦力で十分であると見ている?」
マクスウェルの目が、すっと細くなった。
どちらにせよと彼は思う。ジェイルの盤面は常に多重構造だ。一つの手には必ず裏があり、その裏にもまた裏がある。そのすべてを読み切ることなど不可能に近い。
だからこそ、盤面に付き合うのは愚策とも言えた。
「攻勢に出るべきかな」
マクスウェルが静かに指示を下す。
「第一波、結界班への攻撃を開始。深追いは無用。相手の反応を見る」
「了解」
オペレーターが復唱する。マクスウェルがモニターに視線を戻した。
「ドクタースカリエッティ。君の盤面に、私をどこまで引き込めるかな」
画面には敵部隊が映し出されていた。
イリス群体量産型である。ただ明らかに数が少ない。
様子見であることは一目でわかった。本気で突破を図るなら、この倍は用意するはずだ。
「フェイト・テスタロッサ」
『わかっています』
フェイトが向かう。ガジェットドローンを十機引き連れて、展開されないよう抑え込みに行く。
優秀だ。
具体的な指示がなくても動くことができる。
ジェイル側にとって嫌な展開は乱戦である。個々の戦力は高いが、連携が取れているとは言い難い。
流石にそこまで読まれてはいないだろうし、それを悟られないためにフェイトが動いてくれていた。
フェイトが接敵する。
ガジェットドローンを併用して、面による攻撃を行う。
練度の高い動き、戦争を知っているものの動き方だった。
「流石だ」
基本に則りつつも、状況に応じた対応力。
陣形を崩すべきでないという司令部の思考をトレースしているようだった。
フェイトが押し返し、何なら数体撃破して見せる。
小隊規模のぶつかり合いなら、ジェイル側が優勢である。
「ではこちらも動こうか」
ウーノが少しだけ反応する。
陣形は崩さないほうがいい。戦闘力はこちらの方が高い。だから戦線を少しずつ上げていくのが最適解。
そのように考える。そして、今は考えることが仕事である。口出しはしなくていい。意見は不要であるものとして飲み込んだ。
戦いはこれからである。
生みの親の指示に従い、ウーノは未来の糧とするため戦況の分析に励んだ。
次回:11月14日