中学校のクラスにも、家にも馴染めない少女。
ちょっとした勇気を出して深夜の街中に繰り出す。
意気揚々と、自由な時間を過ごすがある女性と出会い、不思議な体験をすることになる。

2025年2月から3月にかけて、pixivでの公式企画として投稿したものです。
細部の設定はあえて排除して、雰囲気重視の作品に仕上げてみした。


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今作は、pixiv公式企画「執筆応援プロジェクト~夜~」の応募したものです。
運営が指定したいくつかのタグを主題に執筆するというもので、この作品は『夜』『夜更かし』『闇』『路地裏』のタグを選びました。

基本的には雰囲気重視の作品なので、フレーバーを感じ取ってもらえれば幸いです。


第1話

 夜が来る。

 忌々しい太陽を追いやり、星空の(とばり)を降ろしながら。

 

 少女は昼を忌み嫌う。着たくもない制服に袖を通し、仲良くもないクラスメートと顔を合わせ、聞きたくもない授業を聞かなければならない。

 

 今日も夜が来る。

 煌々(こうこう)輝く月と共に、虎視眈々と後釜を狙う太陽を引き連れながら。

 

 少女は夜をも忌み嫌う。無言の圧をかけてくる参考書、放任と放置を取り違えた両親。夜が終われば陽が昇り、絶望漂う日常の繰り返し。

 

『明日なんか来なければいいのに』

 

△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼

 

 辺りが静まりかえる深夜。少女はベッドに仰向けのまま、ただぼうっと天井を見つめていた。かれこれ数時間は経つが、眠れる気配は一切ない。

 

 ――このまま目を瞑らないでいたら、ずっと今日のままならいいのに。

 

 儚い希望が頭に浮かぶも、自嘲しながら溜息をついた。そのようなことなどありはしない。夜の次は朝。数時間もすれば朝食を摂り、制服を着て学校へ行かなければならない。

 そう思えば思うほど心が引きこもってゆく。

「退屈……」

 少女は身体をゆっくり起こし、何をするでもなくベッドに腰かけた。スマホを手に取り、いまだ馴染めないクラスのグループチャットを眺める。

 ――下らなすぎる内容に、ものの数分すら保たなかった。

 

 カーテンを開け、窓の向こうを眺めてみた。濃い群青の空に星々が点々と輝く。動く星を見つけてハッとしたものの、どうせ飛行機だろうとタカを括る。

「外……出ちゃおうかな」

 クローゼットを眺めて少女が呟いた。

 彼女の自室は三階建ての狭小な一軒家の一階。部屋の隣はビルトインガレージで、リビングは二階で両親の寝室は三階にある。リビングに上がらなければ、両親は自分が居ることすら検知しない。

 少し出歩くだけ、何の問題もないだろう。パジャマを雑に脱ぎ捨て、クローゼットからなるべく大人びた服を選ぶ。

 小学校の頃からバレーボールをしていたからか、少女は上背があった。クラスの女子の中では一番高く、男子と比べても順番は後ろの方。

 服を着替え、次は鏡台に座る。お年玉と小遣いを貯め、ちょっと背伸びして買ったブランド物の化粧品。目元だけ整え、口元は黒いマスクで覆い隠す。

 最後に背中にかかる長い髪を簡単に纏め、スニーカーをひっかけ少女は家を出た。

 

△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼

 

 夜空に染まる住宅地。誰も彼もが健やかな眠りに就いている。時折カーテンの隙間から明かりが漏れている家を見かけるが、起きているのかはたまた寝落ちか。

 なんと気持ちが良いのだろう。両手両足を大きく振り上げながら歩いても、誰にも咎められることもない。

 ――この世に私、ただ一人!

 言いようのない優越感で鼻息荒く歩みを進め、

やがて繁華街の一角に辿り着いた。

 昼間は人が賑わう商店街だが、外歩く人は(まば)らで閑散と。立ち並ぶ街灯が誰も通らない大通りを照らし続けていた。その様がとても生真面目かつ間抜けな佇まいで、思わず噴き出してしまいそうになる。

「何か……飲もうかな」

 その中で謎の安定感を誇るコンビニ。喉の渇きを覚えてふらりと立ち寄った。

 なるべく顔を見られないように、俯き気味に店内を歩く。セルフレジが設置されているのを確認し、足早に温かい缶飲料を物色した。

 いつもは甘めのカフェオレを――。

 缶の縁に指をかけたが、思い直してその隣、ブラックコーヒーの缶を手に取った。大人になっているのだから、ブラックコーヒーくらい飲めてしかるべき。

 今日なら飲めるかも。少女はそのような気がしていた。

 

 コンビニの軒先で少女は缶コーヒーのプルタブを開ける。かしゅっと中の空気が出る音に、ついでコーヒーの良い香り。

 両手で缶を小さく握り、そっと一口、口に含む。

(――にっがっ……)

 やはり苦い。苦いものは苦いのである。大人の振りをしたところで、ブラックコーヒーが甘くなる道理などないのだ。

 とはいえ買ってしまったのを捨てるわけにもいかない。少女は無言で悶えながら、ちびちびと飲み進めていく。

 ――何者かが、すぐ隣に立つのも気づかずに。

 

△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼

 

 ようやく半分。もう一踏ん張りで飲み切れる。

「ねぇあなた――学生さんでしょ。こんな時間に何しているの?」

 少女の、コーヒーを飲む手が止まった。見えざる透明な手が首を鷲掴みにし、真綿で絞めるようにじわじわと。

 まるで錆びついたカラクリ人形の様に、ぎこちなく首を声のした方に向ける。その先にはパンツスタイルのスーツ姿の女性がいた。

 

 どうしよう。

 どうしようどうしよう。

 どうしようどうしようどうしよう。

 

 少女の脳裏は色めき立って堂々巡り。ミディアムボブに切り揃えた、目元涼やかな女性の顔を呆然と見つめる。

「あなた、大学生?」

 問いかけに、少女は小さく首を横に振る。

「じゃあ高校生?」

 まだ首を振る。

「――中学生?」

 二、三回わずかに頷いた。女性は目を丸くしながら少女をマジマジと眺め、右手を肩に置いた。

「あら、全然そうには見えなかったけど。メイク凄く上手なのね」

 不意に褒められ、少女は満更でもなく頬を緩ませた。肩に置かれた手がとても温かい。

「じゃ、ちょっと向こうでお話しましょうか」

 非情な通告に、少女の表情が凍りつく。この優しそうな人ならもしかして、という甘い期待は粉微塵。

 女性の柔らかな笑みが恐ろしい。肩から背中に

回された手はピタリと吸い付き、逃げ出すことなど叶わない。

「あ……どこ……に」

 精一杯、絞り出すような一言。女性はぱたりと立ち止まり、少女の顔をしげしげと眺める。

「どこって?」

「パ、パトカーとか、交番とか」

 やはり両親にも連絡されるだろうか。そして学校にも。高校受験もこれできっとふいになるだろう。別に学校のことなどどうでも良いが、ここぞとばかりにしゃしゃり出るだろう両親には憂鬱だった。

 しかし女性はきょとんとして何も答えない。やがて慌てながら手を振った。

「あ、違う違う! 私警察じゃなくて会社員だから、普通の会社員」

「えっ?」

「ほら、ここにいたら本物に声かけられるかもしれないし……そうなる前に向こう、行かない?」

 女性が指し示したのはコンビニの向かいにある、二十四時間営業のファストフード店。

 警察の人じゃなくてよかった――。

 飲みかけのコーヒー缶が両手から滑り落ち、カラカラ音を立てて転がっていった。

 

△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼

 

「ごめんね、コーヒー飲みかけだったのにダメにさせちゃって」

 二十四時間営業がここまでありがたいものとは思わなかった。何より、女性がついてくれているので、店員に疑われずにテーブルに対面で座れている。

「いえ……苦いコーヒー、苦手なんです……」

「え? でも飲んでたよね?」

「大人の格好したから、ブラックも飲めるかなって……でも、ちょっと苦すぎて」

 俯き、頬を染める。対照的に女性は快活に歯を見せてほほ笑んだ。

「じゃあ、カフェオレにしておく?」

 こくりと頷く。

 ファストフードの店内は時間もあって疎ら。モバイルオーダーの注文品が届くのに幾ばくもかからなかった。

 少女の前にはカフェオレ、そして女性の前にはホットコーヒーが置かれる。

「……ありがとうございます」

 プラ製の蓋を外し、スティックシュガーをカフェオレへ。ゆっくりかき混ぜて蓋を戻し、火傷しないよう慎重に一口。ホッとする甘みに溜息が少女から漏れ出る。

「別にいいのよ。ところであなた、こんな時間に何してたの? 家出――じゃなさそうだけど」

 非難するような強い語気ではなく、女性の瞳は好奇心に輝いていた。

「理由はなくて……何となくなんです。家も学校も息苦しくて、眠れなくて……」

「なるほど、気分転換に外に出てみたって感じね」

 女性はコーヒーをブラックのまま飲み、ひとしきり頷いた。彼女も咎めるのか、それとも言いくるめて家に帰そうとするのか……不安に揺れる上目遣いで少女は窺う。

 しかし女性の反応はまるきり違った。顔を少女の方へ寄せ、他へ聞こえないよう片手を口元に添える。

「それじゃあこれから、お姉さんとイケないこと(・・・・・・)……してみない?」

 思わず顔を引き離し、目をまん丸にさせながら女性を見つめた。警戒心を察知したのか、両の掌を見せながら女性がおどける。

「大丈夫大丈夫、未成年でも大丈夫なヤツだから。せっかく外に出てきたんだしさ、このまま家に帰るのも嫌じゃない?」

 初対面の人間の、怪しい(いざな)い。普段なら迷わず首を横に振るだろう。

「私も何回もやってるんだけど……良い気分転換になると思うよ――どう?」

 どうせ家に帰ってもまんじりともできずに過ごすだけ。消化不良状態で帰るくらいなら、いっそのこと突き抜けてしまっても。

 心臓が激しく脈打つのを感じつつ、少女ははっきりと、力強く頷いたのだった。

 

 少女は女性に手を引かれ、ビルとビルの隘路(あいろ)を、薄暗い路地裏を渡り歩く。どこに向かっているのか尋ねても、それは秘密の一点張り。

 そして幾つかの路地裏を抜けると、その先は何もない行き止まりだった。

「さ、着いたよ」

「着いた、って……ここですか……?」

 目の前は高く聳えるビルの壁面。様々な配管が露わとなっているだけで、場所を間違えているようにしか思えなかった。

「そうそう。ちょっと待っててね」

 女性は突き当たりの壁にある分電盤らしきカバーを開く。少女からは彼女が何をしているのかはまるで見えない。何か操作しているようではあったが、近づいて確認するだけの度胸はなかった。

 

 ――がちゃり。

 

 錠が開く音。

「いいよ。こっちにいらっしゃい」

 女性が壁に手を置くと、そこを含めた周囲の壁――大人二人が並んで通れそうな空間――が内側に開いた。

 これは扉だ。漫画やアニメでよく見る、一見何もない所にある隠し扉。まさか実際に遭遇するとは思わず、少女は驚きつつも高鳴る胸を押さえる。

 手招きする女性の後に続き、隠し扉を通ってビルの中へ。床は無機質な黒い大理石らしきタイルが敷き詰められていた。タイルの縁が虹色に淡く輝き、ほの暗い空間と相まって遊園地のアミューズメント施設のようにも見える。

 少女は辺りに目を配った。他にも何人か、会社員風の男性や華やかなドレスを身にまとう女性、そして老齢の夫婦等がいる。

「ここでまず手続きするから」

 女性は、腰までの高さがある円柱状のオブジェの前で立ち止まった。タッチパネル式の端末が据え付けられており、慣れた手つきで操作していく。

「えっと、今回はゲスト一名っ、と……」

 周囲を見渡すと、同じような円柱状のオブジェが幾つも並んでいた。他の人達も同じように端末を操作し、何やらカードを取り出して端末に(かざ)す。それが終わると、その向こうにあるゲートへと向かっていった。

 ああ、駅の改札のようなのものだと少女は得心する。

「はい、これはあなたのカード。再発行できないからなくさないようにしまっておいて」

 女性から黒い、何も書かれていない無地のカードを手渡された。ひとまず、言われるがままに服のポケットにしまいこむ。

「これで、向こうに行けるんですか?」

「そうよ。でもゲストカードだから今日一回限り、しかも入るだけしかできないの」

「じゃあ私どうすれば……?」

 これから何をするのか全く見えてないとはいえ、ゲストカードだけではどうにもならないのが女性の口振りで分かった。財布も持ってきてはいるが、中学生の財布の中身などたかが知れていた。

 女性は不安に表情が陰る少女の両肩に手を置き、にこやかにほほ笑みかける。

「心配ご無用! ここはまあ言っちゃあ、一見さんお断りの会員制のトコなの。会員が連れてきたゲストは、その会員が責任もってお世話することになってるから、私に任せてちょうだい」

「……いちげんさん?」

「あ、そこから」

 中学生なのだから、そのような大人のルールにピンとこないのはごく当然。

「まあ、そうね。誰かの紹介がないとお店には入れないってことかな」

「ふーん」

 少女は分かったような、分かっていないような曖昧な返事をよこした。

「その辺りは社会人になれば分かるわ。さあ、行きましょ」

 社会人になれば、あの女性のようになれるのだろうか。もしそうなら大人になるのも悪くはないと、彼女の背中をぼんやり眺めながら少女は思った。

 

△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼

 

 改札のようなゲートを無事通り、両側にスライドして開く大きな自動ドアの更に先。吹き抜けのホールに緑、赤、黒の重厚な扉が並ぶ。いずれも金の飾り彫りが施されており、唯一違うのは赤い扉のみゲートが敷設されているという点だった。

「こっちよ。緑の方」

 もう二つの扉は何だろう。とりあえず後で尋ねようと女性を追いかける。

 見かけより軽快に開いた緑の扉を通り、いくつかエスカレーターとエレベーターを乗り継いで進む。天井から吊り下げられている案内板には数字しか書かれておらず、自分がどこに向かっているのか、どこにいるのかまるで分からなかった。

 本当に帰れるのだろうかと少女に漠然とした不安がよぎる。さすがにあの両親といえど、朝になれば居ないということくらい気づくだろう。

「は〜い到着〜」

 最後に一つ、スーパーマーケットの出入り口のような自動ドアをくぐる。するとそこは――スーパーマーケットの一角だった。

 野菜や果物が並ぶ、どこででも見られる光景。値段が書かれたポップが見当たらないのが不思議だったが、それ以外は特段の違和感もなかった。

(こんなトコで何買うんだろう……)

 今の少女に払えるのは数百円が限度。第一、キャベツやレタスを買ったとして何の意味があるのだろうか。

 ――この人、私をからかってる?

 スーパーの中を物色しながら歩く女性に対し疑念の意が湧く。全く知らない場所で延々と連れ回されようとすれば、文句の一つも出て当然だった。

 しかし、少女の視界に一房の葡萄が留まった。エメラルドグリーンの皮は照明を浴びて照り輝き、一粒一粒ははち切れんばかりにたわわに実っている。

「シャインマスカットだ……」

 思わず声が漏れ出てしまう。一度で良いから食べてみたかった品種だ。それが、棚の一区画をずらりと占有している。

 食べてみたい。

 食べてみたいけど――。

 子供においそれと手が出せるものではないのは分かっている。いつだか、母親にお願いしたこともあったが。

 

『シャインマスカット食べたいの? 贅沢ねぇ……どこでそんな余計なコト覚えたのかしら。高いから駄目よ』

 

 と、むべもなく一蹴されてしまった。

 いつかは食べてみたいが、値札がないという恐ろしさにただ眺めることしかできずにいた。

「それ食べたいの? マスカット」

 

 しゃくり。

 

 物欲しげに見つめる少女に女性が声をかけた。いつの間にか手にしたリンゴを一口かじりながら。

「あの、まだ食べたことないから、一度でいいから食べてみたくて……ごめんなさい」

 

 しゃくり。

 

「高いもんねえ。私もそうそう買えないし」

 

 しゃくり。

 

「母にもお願いしたことあったんですけど、ダメって……???」

 ごく自然体で逆に気がつかなかった。

 

 この人――どうしてリンゴを食べてるの!?

 

 レジを通した気配もなく、平然と売り物に手を付けている。堂々として、それが当然であるかのように。

「あ、あっ、えっ、あ、わ。あっ」

 大胆すぎる犯行に動揺も極限。まるで言葉も出ず、少女は震える手でリンゴを指さすばかり。

「どうしたの?」

「リ、リンゴ! リンゴ!」

 赤々と色づくリンゴはその大半が女性の腹へ収まっていた。残っているのはもう一口、二口分くらい。

「え? リンゴ――?」

 女性は全く意に介さず、最後の一口を。

「――美味しかったよ?」

 よく咀嚼(そしゃく)し、嚥下(えんか)した。

「ああーっ!?」

 もはや絶叫するしかない。

 少女ははたと気がつき、腰が捩じ切れんばかりに周囲を見回した。店員らしき人物はいない。

 見られていなければまだ誤魔化しようがあろう。しかし気配を感じ、視線を上に向ける。天井に小さな黒いドーム状のモノが点々と取り付けられていた。

(ダメだ……)

 少女はがっくりと肩を落とす。

 近頃の店なら監視カメラはあって当然。これまでの一部始終は確実に見られているに違いない。

 いよいよ警察のお世話になるのだろうか。手錠を着けられ、留置場の檻の中へ入れらるということに。

「ちょっとあなた、大丈夫?」

 絶望のあまり力なく床にへたり込む。よりにもよって知らない人に知らない場所へ連れられて……今思えば、どうして誘いに乗ってしまったのだろう。

「どうしてこんなこと……」

「どうしてって?」

「お店の商品をその場で食べちゃうなんて、やっちゃいけないことなのに。どうして……」

 なんという酷い大人。そんな当然のことも分からないで――。

 恨みがましく女性を睨みつけようと顔を起こすと、彼女が指先を少女の鼻に乗せた。

「そういうこと。ここはね……してはイケないことができる所なの。まあ何でもかんでも自由って訳ではないけどね」

 彼女の、最初の誘いの言葉を思い出す。

 

『お姉さんとイケないこと……してみない?』

 

 もしや。

「イケないことって、もしかして……」

「お察しの通り。このブースはね、置かれてる商品を自由に食べられるの」

「置かれてるのを、自由に……」

 そんな夢のようなことが。現に、女性はリンゴを丸ごと一個食べてしまっている。もし大丈夫なのであれば、ここはやはり。

「シャインマスカットも全然大丈夫よ。いっちゃいなよ」

 少女の口内に唾液が止めどなく溢れ出す。瞳は鮮やかに輝き、魅惑の果実から視線が外せない。

 震える指先が一房のマスカットに近づいていく。その内の一番大きな粒をそっと摘み、改めて女性の顔を窺った。

 ――親指を立てて満面の笑み。

 これで確定。ぷちりと房から一粒もぎ取り、大急ぎで口内に放り込んだ。

 奥歯でそっと噛み締めた。弾けるように皮が割れ、芳醇な果汁が零れ出る。これまでに経験したことのない甘美な一雫が全身を駆け巡り、体内を余すことなく潤してゆく。

「〜〜〜っ!」

 自らの手に頬を添え、念願の味をじっくりと堪能する。

「あ、良い忘れてたけど」

 一粒、また一粒と食べ進む。さほど時間もかからずに一房食べきるだろう。

「お金は払わないといけないけどね」

「!! エっ、ほっ! ゲホ、んぐっ」

 ()せた。

 とてもではないが、支払えるだけの金額は持ち合わせていない。一体どうしようかと、下半分が裸になった房を眺める。

「払うといっても九十九パーオフとかで、ほとんどタダみたいな値段だから。お金のことは気にしないで。私が全部出すから気にしないで」

「……いいんですか?」

「だって私から誘ったんですもの。それに中学生の子に出させるなんて、大人としてみっともないじゃない」

 その言葉を聞いて安堵した。シャインマスカットの粒をもぎっては食べ、もぎっては食べる。いつしか女性も加わり、ちょっとした女子会と化した。

「ねえ、そろそろ別のとこ行ってみない?」

「別のとこ……?」

 充足感に満たされ、指を舐めながら少女が聞き返した。

「うん、ホームセンターの食器売り場ブース。ゴーグルと手袋着けて、バットも持ってさ」

 バットも――。

 何をするのか、おおよそ想像がついた。

「嫌いなヤツの顔思い浮かべながらさ、バットぶちかますとすっごく気持ちいいの。私も嫌いなクソ上司とか部下とか……ね? どう?」

 少女は答えなかった。

 しかし、これからまさにイケないことができるという期待感に頬が紅く染まる。口角は言わずもがな、背徳感と好奇心に押されて上がりに上がるのだった。

 

△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼

 

 ホームセンターでの大乱闘も終わり、名残惜しいが解散する時間となってしまった。家に帰る頃には夜が明ける頃合いだが、眠気は綺麗さっぱり吹き飛んでいた。

「あ、そうだ……お姉さん」

 緑の扉を出て、ホールの真ん中で女性を呼び止めた。聞きたかったことがあったのを思い出したのだ。

「赤い扉と黒い扉の先って何があるんですか?」

 気になっていた、もう二つある扉。厳重なゲートが設けられている赤い扉と何もない黒い扉。

「赤い扉は未成年厳禁。お酒とかタバコとか……まぁ色々ね」

「お姉さんは入ったことありますか?」

「何度か。やな感じでイマイチだったわ」

 女性は溜息をつきながら首を振る。苦い思い出があるらしく、それ以上詮索しなかった。

「黒い扉は?」

「黒い方はね……本当にイケないことができるの」

 本当に、とはどういう意味だろうか。黒い扉を凝視する女性の横顔を見やる。

「気をつけて。黒い扉は一方通行だから……一度入ったらもう出られなくなる」

 それが意味する所は、つまり。察しが付いた少女も扉を眺める。

 スーツを着込んだ男性が扉を開け、まさに中へ入ろうとしている所だった。彼の表情を窺い知ることはできないが、扉の取っ手を引く腕には微塵の躊躇も見られなかった。

「……あの人、入っちゃいましたね」

「そうね」

 もう一度、女性に目を向ける。愁いを帯びたしっとりとした眼差しで、扉の先へ向かう男性の背中を見つめていた。

 瞳には羨望の色。さながら、憧れの人を見るかのように。そのまま彼の後を追いかけていってしまいそうな雰囲気すらあった。

「……誰でも入れちゃうんですね。本当にイケないことなのに」

「そうなの。誰でも――気楽に入れるの」

「ねえ、お姉さん」

 女性の袖を摘んで、引っ張った。

「あの扉……入ってもいいですよ。お姉さんと一緒なら」

「えっ!? どうして?」

 目を丸くする女性。余裕たっぷりだった表情が崩れるのは初めてだった。

「お姉さんが、入りたそうにしてたから」

 何となく、ではあったが。誰かが背中を押したら喜び勇んで向かいそうな雰囲気があった。今日が初対面ではあるが、彼女とならば戻れなくなってもそれはそれで。

 女性はひとしきり考え、嬉しそうに頬を緩ませながらハの字に眉を寄せた。そしてこめかみ辺りを指で掻きながら、参ったなぁ、と呟くだけだった。

 

△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼

 

 少女と女性の関係はなおも続いていた。連日連夜のお誘いはさすがに日中堪えるので、もっぱら週末の夜に二人でイケないことを繰り返している。

 スーパーでバーベキューをしていたグループから肉を分けてもらい、レンジで温めたパックご飯で焼肉丼を楽しんだり。

 衣料品店では試着しては戻さずにやりっぱなしで。

 スイーツビュッフェでは、ソフトクリームをディスペンサーから口へのダイレクト投下を試みた。顔がベトベトになった挙句、あまり食べられずに思ってたほど良いものではなかったり。

 デパートの化粧品ブースでは、たまたま居合わせた人からキレイに魅せるメイクの仕方を教わったり。

 図書館のブースではスナック菓子を食べながら本を読み漁ってみたり。他には、家電量販店で超大型のモニターでゲーム機を繋げて遊んでみたりも。

 少なくとも、学校では味わえない得難い経験だった。

「ねえミチカ」

 公園のブースのベンチに二人並んで腰かける。共にレギュラーコーヒーの白いカップを持ちながらであるが、カップの中身はスペシャリティコーヒーである。

「私、志望校受かったよ」

「アサヒやったじゃん! それじゃお祝いしないと――ホテルのアフタヌーンティー、行ってみない?」

「ここの?」

「ううん、普通に」

「わ、嬉しい」

 年齢こそ離れているものの、名前で呼び合う関係。最初はただイケないことをするだけだったが、LINEを交換して悩みや愚痴を言い合える仲になった。

「ミチカはどう? 会社に気になる人がいるって」

「うーん、それがねえ。後輩の容姿とかイジってるとこ見ちゃって」

「うわ最低。そんな人ダメだよ」

「だよねぇ」

 ねー、と朗らかに笑い飛ばす。甘さ控えめにしたコーヒーで喉を潤す。

「もしさ、ミチカが限界になって、どうにもできなくなったら――」

 ベンチに置いた女性の手に、少女が自らの手を上から添える。

「黒い扉、一緒に入ろう。ミチカとならどこだって平気」

 添えた手を指伝いに動かして指と指を絡ませる。二つの温もりが一つとなり、ゆっくり(とろ)けてゆく。

「そうね……」

 指を絡ませたまま、互いの手を強く感じ取った。他人には言えない秘密の楽しみに興じる二人。友達とか親友とか、そのような関係とはまた違う、二人だけの世界。

「――その時が来たら、かしらね」

「うん。いいよ」

 少女は指を解き、女性の手を自らの頬へ。導かれるまま、彼女は少女を愛でるように撫でる。

「じゃあそれまで――」

 純真な眼はただひたすらに女性を見つめた。透き通った清純さの裏は、深淵に広がる闇夜。

 

『――イケないことしちゃおうよ。二人で』

 

 その闇に自分の姿がゆるやかに混じりゆくのを眺めながら、女性はにこやかにほほ笑んだ。

 

 




最初はコメディチックにしつつ、色々匂わせながらちょっと退廃的、倒錯的な感じにしてみました。
してはいけないけど、一度はやってみたいなってことを気の向くままに。

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