「ふう……。今日は疲れましたね……」
隊士を全員帰らせた後、一人きりになった仕事場で最後の手拭いを絞りながらふぅ、とため息をついた。
今日、下弦の鬼が出た。音波を使う強力な鬼だったらしい。20名強もの隊士が駆けつけ、総力戦の果てに討ち滅ぼす事に成功した……と聞いた。私がこの事件を知ったのは全てが終わった後、搬入されてくる怪我人達を見たその瞬間だった。
「みなさん、お疲れさまでした」
患者の眠る別棟に優しく微笑みながら、小さくこぼす。みな、本当によくやってくれた。なにせ、討伐するだけでも手柄なのにたったの一人も命を落とさなかったのだから。
(それもこれも、貴方のお陰ですね)
そしてその棟の隣にある、こぢんまりとした1人用の小屋に目を移す。その中で眠っているであろう、何かと言葉足らずで不器用な同僚に想いを馳せた。
(犠牲者ゼロ人なんて、ほんとどうやったんですか。ねえ、冨岡さん)
重症の者も少なくはなかった。四肢のいずれかが欠損していたり、聴覚がダメになっていたりする者達が大勢いた。それだけで相手がどれだけ強かったのか、想像に容易い。
それなのにただ一点、最も大切な命だけは誰一人として取りこぼさなかった。本人は何も言わなかったが、それが『柱』による功績なのは火を見るより明らかだった。
そんな本人は私を見るなり、『俺は良い。寝る』とだけ冷たく言い放つとふらりと自室に帰ろうとした。
職業柄、瞬時に全身に目を通した。確かに多少の出血は見えども深刻な負傷はしていなさそうに見えた。だが、流石に何の診察を行わずに返す訳にもいくまい。それを見かねた部下達が半ば強引に小屋へと強制入院させたのだ。
『水柱様が凄かったんです!』
『俺たち何も出来なくて…! 水柱様が庇ってくださったんです!』
『私のことは大丈夫ですので、どうか水柱様をお願いします…!』
ボロボロになりながらまるで口裏を合わせたかのように同じような事を言う隊士達を思い出し、思わずくすりと笑みを溢した。
(富岡さん。バレてますよ。バレバレです)
みな、富岡さんの優しさと強さに気づいていた。なのにどうしてあんなに冷たい声色が出せるのか。何を考えているのか全く分からないが、何を考えているかが手に取るように分かる。本当に不思議なひと。
ちらり、と外に目をやる。今宵は良い月だ。この月に釣られて下限が出没したのかもしれないと思うと複雑だが、とても美しかった。
(闇の中で静かに周囲を照らす、お月さま。まるで貴方のようですね)
重症患者につきっきりでまだ会えていない。少し遅くなってしまったが、最後に顔を見ておきたい。最大の功労者であろう者を診ない訳にもいくまい。
(……おやすみになられていたらそっと帰りましょうか)
長年の勘だ。まず命に別状はない、ように見えた。だが微かに、ほんの僅かに冨岡さんの立ち姿に違和感を感じた。
確かめねばなるまい。今日、ずっと頭から離れなかったこのもやもやをスッキリさせねば今夜は眠れない。
(起きていると良いのですが……)
一通りの検診道具を揃えると、絞り終わった手拭いをささっと畳む。熱があるかもしれない、これもあった方が良いだろうか。そう思い、桶に水を少しだけ貯めてそれも持つ。
水面に私の顔が映った。疲労の色が滲み、あまり褒められたものではなかった。苦笑しながら、ちょちょいと乱れた前髪を直す。なんとなく、そう、なんとなくだ。
「さて、参りましょうか」
そう取り繕うように誰にでもなく呟くと、私は小屋を目指す事にした。
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「……冨岡さん、私です。しのぶです」
戸をノックし、こそこそと呟く。しばらく待ち、もう一度ノックをする。返事がない。
「冨岡さーん……? 入りますよー……?」
そろり、と戸を開ける。中はしん、と静まり返っていた。本当に居るのだろうか。確かめねばなるまい。
そう思い、かと言ってもし就寝中なら眠りを妨げては申し訳ないのでそろりそろりと身を滑り込ませる。隠密は慣れっこだ。
「冨岡さーん? ……あら、起きてたんですね」
標的はすぐに見つかった。ベッドに身を預け、横になってるがその目はぼんやりと開かれていた。何処を見ているのだろうか。天井に面白いものなど何もないはずなのだけれど。
私は静かに微笑むと、彼の元に歩み寄った。
「起きてたなら返事してくださ「胡蝶か」いよ……?」
話しかけようとした時のことだ。冨岡さんが食い気味に口を開いた。
突然の事でびっくりしてしまった。こんな事は初めてだ。暫く硬直した後、手荷物を床に置いてから改めて口を開く。
「冨岡さ「胡蝶。すまない」ん……っ!?」
不意打ちだった。するりと伸びて来た冨岡さんの手が私の腕を掴み、優しく、しかし明確な意志を持ってぐいっと引っ張った。
「と、冨岡さん!?」
なされるがままに顔が近付く。敵意が全くないので反応が遅れた。突然の出来事に頭が真っ白になり、私は目を丸くした。
冨岡さんの呼吸が聞こえる距離だ。思わず身体が硬直する。一体何が起きているのだろう。
「……耳が」
「み、耳ですか?」
しかし、そんな冨岡さんの奇行の正体はすぐに分かった。
「……聴力が鈍い。近くで、話して欲しい」
「聴力……? あ、ああ、やっぱりそうですか」
下限の鬼の能力を思い出す。鬼は音波を操っていたらしかった。だから私は真っ先に彼の聴力を疑い、こうして返事がないにも係わらず強引に足を踏み入れたのだった。
つい数刻前まで頭にあった考えが吹き飛んでしまっていた。不甲斐なさに頬が熱を持つのを感じた。
「こほん。……冨岡さーん。聞こえますか?」
彼に引かれた手を彼の胸に置き、おずおずと耳に口元を近づける。
「……すまない、もう少し近付けてくれるか」
足りないらしい。仕方ないのでめいいっぱい近づける。ふわり、と自分のでもなくベッドのものでもない香りが鼻腔をくすぐった。これが冨岡さんの香りなのだろう。
埒が開かない。それならば、と口付けになる一歩手前まで近付く。
「聞こえますかー……?」
「……ああ、聞こえる」
冨岡さんの声は一定だ。今度は聞こえたらしい。耳が近すぎるのもあり、私の声量はボリュームダウンしているが冨岡さんのものはそうではない。それが彼の聴力の低下を雄弁に物語っていた。
「……皆はどうだ」
耳をこちらに向けねばならない都合上、冨岡さんは天井に向けて淡々と言葉を紡ぐ。側からみたら奇妙な形だ。そうして初めて、これまで冨岡さんは視線はさておきいつも身体は私の正面に向けて話してくれていた事に気付いた。だからなんだという話ではあるのだが。
「ええ、大丈夫です。全員生存です」
「林田は……」
「鼓膜が完全に破れていました。今は何も聞こえないようですが……安心してください。回復しますよ」
「宇都宮が、」
「彼の腕は……すいません、もう使えないと思います。ですが本人の生命力が逞しく、悲観的にはなっていないみたいです。次の仕事について考えてる事を話してくださいました」
「……そうか」
ぽつ、ぽつと彼が漏らす言葉にひとつずつ答えていく。彼は言葉が足りない。でも、本当に分かりやすい人なのだ。何を考えているのか、想像するのは容易だ。
私の視界は彼の耳でいっぱいだ。最初はうるさかった胸の鼓動も慣れて来たようで、すっかり鳴りを潜めてくれた。彼の聴力が低下していてよかった。変な勘違いをされてはたまらないからだ。
色々言葉を交わしていると、次第に冨岡さんの耳にほんのり桜色が差してきた。彼の質問は重症者全員の分が終わるまで止まらなかった。全てに答え、安心したのだろう。
彼はベッドの上で、ずっと命を賭して戦ってくれた隊士達の安否だけを考えていたのだろう。それが痛い程伝わり、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。
「……優しいですね」
「……何がだ?」
「皆さんのことです。考えていたんでしょう?」
「……俺は、守れなかった」
「そんな事ないです。みな、感謝を述べていました」
「……到着がもう少し早ければもっと違った」
「冨岡さんは急いだんでしょう? ならそれが最速です」
「しかし、」
「つまり貴方はうすのろ、という訳ですか?」
「それは、」
「隊士達の上に立つ柱がうすのろなら、隊士達はなんでしょう。鬼殺隊の質も知れていますね」
「……違う」
「なら、最速です」
「む……」
言葉のやり取りをしながらも、空いた手と目で診察は行っていた。目立った外傷はほとんどなく、軽症の全てにしっかりと包帯が巻かれていた。部下達が頑張ってくれたのだろう。であればそこはもう問題ない。
脈、よし。意識、よし。熱、よし。問題なさそうだ。
そこまで調べ、ようやく私のモヤモヤが晴れていった。
(全く、心配かけさせてくれますね。わかりにくいんですよ、冨岡さんは)
「……なにをする」
「なにって……しっぺ、ですけど」
「……なぜ」
「なんとなく、です」
「……そうか」
軽く指で冨岡さんの耳たぶを弾いた。冨岡さんは何か言いたそうだったが、やがて諦めたようにため息をついた。
「さて、冨岡さん。聴力に問題がある事を知ってる人間は他にいますか?」
「……」
「とーみーおーかーさーん?」
「……いない」
「……はあ、やっぱり」
私は大きなため息をついた。普段から言葉数の少ない人だ、もしかして……と思ったのだ。
「これだけ聴力が低下してるのに、なんでバレないんですか」
「……俺に聞くな」
「もっと自分の事を話したらどうですか。えい」
「……なにをする」
もう一度指でつつき、そう言えば、と手を鳴らす。
「そういえば、よく大人しくしてくれていましたね。さっさと帰っちゃいそうな雰囲気でしたが」
正直、ちょっとだけこの小屋が空になっている展開も予想していた。見た目だけなら本当に軽症だ。入院するほどのものではない。
聴覚の問題がバレていなければ、帰ろうとする冨岡さんを止める者はいないだろう。そして自分を蔑ろにしがちな彼なら勝手に帰宅してもおかしくはない。
不思議に思い、問いにする。彼は暫く考えるそぶりをみせ、ぽつりと言った。
「……来ると思ったからだ」
「はい?」
「気づいていただろう」
「……ええと?」
「目が、違った。俺の立ち姿を見て、胡蝶だけが反応を変えた。だから、来ると思っていた」
「あ……」
立ち姿に違和感を覚えた。それは事実だ。しかしそれは一瞬だ。その一瞬を読み取ったというのだろうか。
「……胡蝶?」
そして、約束もないのに私が来る事を信じてじっと待っていてくれたのだろうか。一言も言葉を交わさなかった、この私を。こんな夜更けまで。
思わず胸が熱くなった。一度息を飲み、それを悟られないよう取り繕いながら言葉を紡ぐ。
「へー。もし来なかったらどうするつもりだったんですか?」
揶揄うように言う。しかし、次の彼の言葉を聞くと余裕はなくなってしまった。
「……? 来るだろう、胡蝶は」
「……っ!」
ずるい。その、心底不思議そうな物言いはだめだ。不覚にもちょっとだけ、ほんの少しだけときめいてしまった。冨岡さんの癖に。ずるい。
沈黙が流れた。だが、不思議と気まずくはなかった。なのにどうしてか、居心地は悪い。なんとも不思議な感覚だ。
「ふう。さて、と」
それを振り払うよう、極めて平静そうな声を取り繕った声を出した。そして思い出したかのように持って来た薬箱を開け、用意しておいた小瓶をひとつ取り出した。
「変な事言ってないで上体を起こしてください。そして、これを飲んでください。薬です」
こんなに長時間身体を寄せ合ったのは初めてだ。その熱に当てられたのかもしれない。夜空で煌々と輝く月の魔力のせいかもしれない。なんだか変になって来た気分を振り払うよう、小さく顔を振る。
「……了承した。……ぐっ!?」
「ちょっ!?」
上体を起こそうとした冨岡さんの身体が揺れた。崩れそうになる身体の後に腕を伸ばし、咄嗟に支える。計らずしも正面から抱きつくような形になってしまった。
「す、すまない。平衡感覚が」
「い、いえ。そうですよね、聴覚が損傷しているならばそうなるべきです。配慮が足りませんでした、ゆっくり行きましょう」
「……助かる」
どきどきとなる胸の鼓動は、きっと突然の事故に驚いただけだ。そうに違いない。怪我に繋がる前に間に合って良かった。
そろりと冨岡さんの上体を起こし、握りしめていた小瓶を渡す。小さく頷くと蓋を開け、冨岡さんは躊躇なく一気に全てを飲み干した。
「……苦いな」
「我慢してください。その代わり、よく効くんです」
心底不味そうに顔を顰める冨岡さんが面白くてつい、私はくすくすと笑った。それをまた面白くなさそうに見ながら、冨岡さんが私の袖をつい、と引いた。
「はい? なんですか?」
「……胡蝶。聞こえない」
「……もー。甘えん坊さんですね」
やれやれと首を振りながら再び耳に口を寄せる。この呟きはきっと聞こえていないのだろう。
「聞こえますかー?」
「ああ。大丈夫だ」
「私はいつまでこうしてたらいいんですか?」
「……迷惑か?」
「いいえ。なんとなく気になっただけです」
「……胡蝶。お前の声が聞こえないのは、なんとなく居心地が悪い」
「なんとなくですか?」
「……そうだ」
「ふふっ。そうですか」
とくん、とくん。密着した身体から二つの鼓動がした。
冨岡さんは生きている。よくよく考えたら下弦を倒すなんて快挙だ。今更になって冨岡さんが死んでいた未来があった事を実感した。
それは、嫌だ。鬼殺隊は誰一人として殺されて欲しくない。明確に、嫌だ。
だから、耳が聞こえにくいくらい多めに見てあげよう。この程度で生きていてくれるならお安いものだ。何度だって、いつまでだって囁こう。
冨岡さんが平人よりほんのり暖かい気がするのも気のせいだろう。今はこの、全員生還という奇跡の立役者を労ってあげよう。そう思い、優しく背を撫でた。
……そう、なんとなく。なんとなくだ。
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「カナヲ〜? しのぶ様を見なかった?」
「え? さあ……? アオイも見てないの?」
下限討伐事件の次の日の朝。いつもは誰よりも早く起きているしのぶ様の姿が何処にも見えなかった。
心配になり寝室を覗いてみたが、も抜けのからだった。どこかに出掛けているのだろうか。
「何処行っちゃったんだろ……。まあ、しのぶ様なら心配ないよね」
「そうだね」
くすりとカナヲと笑い合い、今日の脳内お仕事リストをチェックする。昨日の傷を癒すため、今日からまた大忙しだ。
まずはみんなの手拭いを変えてあげて、その後はご飯を作らなければ。それが私の、私たちの戦い方だ。
「さて、と……。水柱様、大丈夫かな」
その前に、と冨岡さんの事を思い出す。当日なのでと強引に寝かしつけたが、軽症そうだったのでもしかすると帰宅されているかもしれない。
色々話したが、本人の対応も普段と比べて良いのか悪いのかよくわからなかった。とても難解な方なのだ。
しのぶ様が向かった先も、そこかもしれない。そう思い、小屋へと向かう。
「あ!」
戸が空いている。やはり誰かが出入りしたのだ。
帰ってしまったか、しのぶ様が入ったかの二択だろう。ならば行くしかあるまい。
「失礼します! ……?」
はきはきと挨拶をするも、反応がない。なのに、人の気配がする。
(就寝中かしら……?)
「入りますよ〜……?」
今度は声量を抑え、恐る恐る中へと足を踏み入れる。ベッドはすぐそこだ。就寝中なら寝かせておいてあげたい。もしそうなら額に綺麗な手拭いを載せてあげて、そっと立ち去ろう。
そんな事を考えてたら。
「……え”っ!?」
思わず変な声が出た。慌てて口を抑える。えっ!?うそっ!?
目を瞬かせ、もう一度目を開く。やっぱり幻じゃなかった。
蟲柱と水柱が二人、仲良さそうに身を寄せ合って眠っていた。
(えっ!? も、もしかしてお二人ってそういう!?)
ばくばくと鳴る心臓を抑えつけながら、食い入るように二人を見る。
二人とも、とても穏やかな表情だ。規則正しい寝息を立ててすやすやだ。
(ど、どうしよう!? と、とりあえず見なかったことに……っ!?)
ぱちり。
しのぶ様と目が合った。
「ん……ふあ。アオイ? おはようございます」
くぅーっ、と伸びをするしのぶ様はいつも通りだ。しかし私は顔をトマトのように真っ赤にしながら目をかっぴらいている。
「?」
「あ、あの……っ!」
ぱくぱくと口を開閉させる。うまく言葉が出ない。私は今、見ちゃいけないものを見てしまったのだ。
そんな私をおかしく思ったのか、しのぶ様が小首を傾げた。私はめいいっぱいの力を振り絞り、蚊の鳴くような声で言った。
「だ、誰にも言いません! 失礼しました……っ!」
そう言い残し、踵を返す。私は何も見ていない。そうなのだ。さて、ご飯の準備だ。
そそくさと立ち去る。まだ顔が熱い。とんでもないものを見てしまった。まさかお二人がそういう関係だっただなんて……!
墓まで持って行こう。私がそう決心したのと、しのぶ様の慌てたような声が飛んでくるのはほぼ同時だった。
「あ、アオイ!? 違います、待ちなさい! 貴方は思い違いをしていますっ! アオイ!? アオイー!!」
「ごめんなさい知りませんごめんなさーーって速ッ!?」
捕まるまいと走り出すも、柱から逃げ切る事なんてできるはずもなく。
あっさり捕まった私はこれでもかというくらいの弁明を聞かされた。
ああ、親方さま。
「ですから聴力の低下により仕方なくですね……聞いてますか? アオイ?」
ぽんぽんと肩を叩かれながら、私はにっこりと微笑んだ。
親方さま。今日もみんなのおかげで、平和です。
初投稿です。某お方の音を操る下弦の鬼からインスピレーションを受けました。なお、本作品とは無関係です。