人に昆虫やその他の生物の能力を付与するMO手術。その前身であるバグズ手術。
だがそれよりさらに前に、同種の技術が存在した。
遥か昔に失われたはずのその技術は、名を「改造手術」といった。


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テラフォーマーズ ビフォア・バグズ

ビフォア・バグズ

 

 特に眉唾な類だが、と前置きしてそいつは言った。

 

「バグズ手術の『前』ぇ?」

「ああ」

 

 大型有人宇宙艦、アネックス1号。42年前から姿を見せ始めた致死率100%の病を発症するAEウィルスのワクチン開発のため、100人の乗組員を連れて火星へ向かっている最中のことだ。

 39日間の航海も半ばを過ぎたころになると低重力への物珍しさもなくなり、オフィサー区画など立ち入りを制限された場所が多々あることや、今一つ互いに信用ならない各国・地域のメンバーが同じ空気を吸っていることもあり、俺達一般乗組員のストレスは無視しがたいものになっている。

 当然そういう状況に耐えられる人材の選別や訓練もされてはいるが、艦内での訓練や事前の会議などの忙しさを差し引いても、俺達の精神の均衡を蝕む最大の要因は「退屈」になりつつあった。

 

「そうまで言うからには、俺達がMO手術で受けたような検査やら投薬やらの前準備、って意味じゃないんだよな?」

「無論だ。バグズ手術より以前から存在していた、あの技術の元となったものについての噂らしい」

 

 そんな退屈を紛らわす格好の材料になったのが「噂話」だった。他愛もない噂とジョーク。ネタが尽きるのが先か火星にたどり着くのが早いか。そういう状況になりつつある。

 火星についたらついたで、ゴキブリとの戦いが待っているので決して後者を望んでいるわけではないんだが。かつて火星のテラフォーミング用に放たれゴキブリがどういうわけか人型に進化して、人間を見るや襲い掛かる謎の代物になったなんて与太話、それこそこういう場で退屈を紛らわす噂話にこそふさわしかったのに、どうやら現実のことらし。

 

 そんなわけだから、いまだに噂のネタを抱えている相方は頼りになる。俺と同じく、行き場がなくなりこの計画に参加した手合いの男で、同じ班。普段は寡黙だが、こういう時は渋い声で比較的饒舌に話すので聞くのも楽しいものだ。だから俺は、話の先を促した。

 

「そりゃあ、元くらいあるだろうよ。なにも神様が授けてくれたもんでもないだろうし、どっかの博士がバラに人間の遺伝子を組み込む研究をしてたら出来たとか、そういうヤツか?」

「いや、違う。この技術は20世紀に既に存在していたという」

「……は? 20世紀って……700年前かよ!?」

 

 だがその内容は、さすがに荒唐無稽に過ぎるものだった。

 この作戦に参加するときに聞いた話によれば、MO手術はごく最近、その前身であるバグズ手術でさえほんの数十年前に確立したものだって話だ。いや、MO手術でさえ成功率が36%ということを考えればまだまだ未完成もいいところの、「とりあえずできるにはできる」程度のものでしかない。その元となったものが、歴史の教科書に載るような時代から既にあったと言われれば、驚きの声の一つも出るってものだ。

 

「そうだ。しかもその技術はむしろ、MO手術以上のものだったという。人の姿から別の生き物の性質を持った戦闘態へ完全に姿を変え、その際薬物などは必要とせず、国一つを滅ぼすほどの力を持ったものまでいた、と」

「……あー、なるほど。オーパーツだの古代の超文明だの、そういうレベルの話か。確か、バグズ2号の生還者は火星でピラミッドを見たんだったか?」

 

 ようやく合点がいった、と頷く。この話は、最初に言われた通りとんでもない眉唾だ。

 そもそも、MO手術は機密が多い。実際に受けた自分でさえ自身の身体に何をされたのか、ロクに説明を受けられなかったくらいだ。その元となった技術なんて、こういった根も葉もない噂しか聞くことはできないだろう。もし事実が紛れ込んでいれば、たとえ噂でも潰されかねない。そう思って隣の顔を見ると、普段の澄まし顔が少し得意げに笑っている。クールなやつなのだが、こういうところで妙に茶目っ気がある。決して、嫌いではないんだが。

 

「そういうものと思っておくのがいいだろう。正直、私はあまり信じていない」

「だろうよ。で、続きは? そんなすげえ技術が、どうして700年も眠ってたんだ」

「簡単なことだ。その技術は一度失伝している。その技術を開発した組織と共に、な」

「組織、ときたか」

「そうだ。公なものではなく、それこそMO手術の開発元のように非人道的なこともむしろ積極的にしていた秘密結社の類であったと見える。人間を俺達と同じように……いや、それ以上の異形と異能の存在に変えて、世界征服を企んでいたという」

「面白くなってきたなおい。世界征服ときたか」

 

 噂の内容は、リアリティを失うのと引き換えに面白みを増してきた。最初に眉唾と断るのも頷けるほど突飛なものになってきているが、なるほど俺達は悪の組織の手先だったのか、と思えば笑いも零れる。実際、人為変態した後の姿はまさに怪人そのものなのだから。

 

「で、世界征服を企む悪の秘密結社が、それだけの戦力を持っててなんで失敗したんだね」

「件の技術によって生み出されたモノに滅ぼされたのだそうだ。それも、たった2体の『成功例』によって」

「成功例?」

 

 その言葉を言う時の表情に、少しだけ気になるものがあった。変わり映えのしない宇宙か壁しか見えないアネックス1号の艦内で、それでもどこか遠くを見るようなそいつの目。日本人特有の黒い瞳が、それでもきらりと輝きを放ったような。

 

「MO手術以上の力を得られると言ったが、それはこの成功例における話で、その他は全て不完全なものだったらしい。手術による肉体の変質に加えて、洗脳まで施したことが何らかの影響を与えていたのかもしれない。ただ伝えられている話によれば、洗脳を免れた成功例2体は組織に反旗を翻し、同種の手術を受けたその他全ての怪人を倒したという話だ」

「そりゃまたすげえな。俺達は下手すりゃ死ぬけど、そいつらは死ななかったとしてもほとんど半端だったてわけか」

「そのようだ。……だからその手術の完成例と言えるのは組織が生み出した2体と、その2体が特殊な事情で生み出したもう1体だけ、と言えるだろうな」

 

「バグズの前、ってのはわかったよ。だがよ、どうしてそれが700年も眠ってたんだ? いやむしろ、それだけ途絶えていたのにどうして完全になくならないでいまさら出てきたんだ」

「理由は簡単。その手術を知っている完成例2体が、今も生きているからだ」

「……ますます常識から外れてきやがった」

 

 この話は当たりと言っていい。真偽のほどさえ気にしなければ、次々出てくる頭のおかしい話が面白くてしょうがない。

 700年前の、しかし今より進んだ技術を持った、人から変じた何者かが今も生きている。話の内容によっては火星のゴキブリ退治なんて放っておいて、世界中の富豪が金庫をひっくり返してでも追い求めそうな話だ。

 

「バグズ1号の一件があった後、人間が火星に行っても全滅するだけだということを思い知らされた。その結果必要になったのは『人でダメならスパイダーマンを送る』という発想だ。人を、超人にする技術。様々な調査の結果浮かび上がってきたのが700年前にうっすらと姿を見せたこの技術で、それをいまだ持っている、成功例だったというわけだ」

「なるほどな、そいつから引き出して、他にもいろいろ加えてバグズやらMOができたってことか。それにしてもよくそんな話を受け入れたもんだな。そ成功例ってやつ、700年もずっと世に出さなかったんだろ」

「葛藤は、あったらしい。自分が死ねなかったことも含めて、この世にあっていいものとは思えなかっただろうからな」

 

 とはいえ、それがあるから今がある、かもしれない。

 社会というものになじめた試しがなく、流れ流れて落ちるところまで落ちた俺が最後にたどり着いたのが成功率のほうが低い手術の検体と、その後に待つ死ぬ確率が異常に高い火星でのミッション。そして仮に地球へ生還できたとしても、MO手術によってこの身に沁み込んだ別の生物の痕跡は消えることがない。

 こうなったからこそできることもあるだろう。火星に行っても生身の人間よりは生き残れる確率が高いかもしれない。地球への生還を果たせば、恐怖のウィルスから人類を救った英雄として迎え入れられるかもしれない。

 ただし、異形の身体で。

 

 そんな不安を700年間抱えて死ぬこともできないというのは、一体どんな気分なのだろう。成功例とやらの命のありように、思いをはせずにはいられなかった。

 

「その技術をほぼ流用してはじめの試験体が作られ、その結果をフィードバックしてさらに火星のゴキブリのサンプルからバグズ手術が確立。その後の技術進歩によってMO手術も開発され、俺達に施されて今に至る。これが、俺の聞いた噂話によるMO手術へと至る歴史というやつだ」

「……ははっ、中々面白かったよ。こんな話を知ってると、地球に帰ったら俺達はU-NASAあたりに消されるかもな」

「それはないだろう。眉唾の中でもとびきりだからな」

 

 笑いあいながら、二人そろって腰を上げる。

 そろそろ訓練の時間が近い。雑談は終わりにして集合場所に向かわなければ、また班長にどやされることになる。超人と言って差し支えないMO手術被験者たちを束ねるだけあって、艦長を筆頭にした班長クラスともなればその実力は尋常なものじゃない。逆らう気さえ起きないというものだ。

 

 今日もまた艦内は平和で、せいぜい中国班が他に絡んでいた程度。それがあと何日続くのかはわからないが、いずれ必ず火星にたどり着く日が来る。そうなれば、この身に宿した別種の生物の力を使い、異形と成り果てゴキブリ共と戦うことになるだろう。

 その時、隣にいるこのクールでありながらひょうきんな男が、そして俺が生き残っていられるか、保証はない。

 しかしだからこそ、笑いあえるこの瞬間は尊い物なのだと、そう思いたかった。

 

 

「そういえば、その700年前から生きてる成功例さんとやらは、今なにをしてるんだ?」

「火星にいるそうだ。バグズ2号に乗り合わせて火星に行って、おそらく今もあの星で生きて、戦っているだろうと言われている。運が良ければ、ゴキブリ退治をしている時に助けてくれるかもしれないな」

 

 歩きながらのこと。時間はもうあまりない。たかが噂のことなので、再び話題に上るかもわからない。明日まで覚えているかさえ怪しいところだ。

 だがおそらく、こいつは一人でも多くの人間に知っておいて欲しかったのだろう。700年前から今も続く、日本人乗組員が妙に信じているという、この噂を。その名前を。

 

 

「土壇場で助けてくれることでも期待しておくかね。……知ってるなら教えてくれないか。その成功例とやらの名前を」

「もちろん、知っているとも。彼の名は……」

 

 

◇◆◇

 

 

「……なんだったっけなあ」

 

 赤く滲んだ視界の中で、その記憶が妙に引っかかっていた。

 

 今いる場所は火星の大地。赤茶けた土がどこまでも広がるこの星には、土と風と地球からやって来た俺達人間、そして今まさに自分を死に追いやろうとしているゴキブリ以外の物は何もない。

 

 火星着陸直前、アネックス内にゴキブリの侵入を確認。その後もトラブル続きで当初計画していたもっとも成功率が高いと思われる作戦は遂行不可能となり、乗組員を6班に分けて火星各地に分散。それぞれ自力でアネックス1号への合流を目指すプランへの変更を余儀なくされた。

 艦内でゴキブリに殺されてしまった分もあり、大幅に人員が減った中でも、俺は必死に戦った方だと思う。班の仲間を守り、ゴキブリの首を刈り。最後には仲間達をアネックスへ向かわせるための囮となってたった一人で1000はくだらないだろうゴキブリの集団の前に立ちはだかり、その全ての相手を引き受けた。

 移動用ビークルはとっくに見えなくなっている。これから先の道中でビークルがゴキブリに襲われないという保証はどこにもないが、少なくとも役目は果たすことができたと安堵した。

 

 しかし今、俺は自分がまだ生きていることが不思議でならない。

 殺したゴキブリの数は100では効かないだろうがそれでも全体から見ればほんの少し。少しずつ蓄積したダメージで手足の骨は折れ、人為変態による回復も追いつかない。出血もひどく、目に入った血のせいで火星の空が一層赤く見える。体は動かず、敵は無傷の者がまだ大量に。絶望、というより他にない状況だった。

 

 だからだろう、意識が落ちた一瞬のうちに、これまでの人生の記憶を垣間見たのは。日本人が言うところの走馬灯という現象だ。

 子供のころの幸せだった日々や、いろいろあって落ちぶれたこと、MO手術の苦痛、アネックス艦内での日々を思い出した。その中でも特に鮮烈によみがえった記憶は、火星への旅路の途中で聞かされたあの噂話だった。

 もし万が一にもあの噂が真実だったとするならば、この火星の空の下、自分達の先祖ともいうべき存在が今も闘っているのだろうか。

 

 だが惜しむらくは、その名前を憶えていないことだ。確かに聞いたはずだったのに、他の噂と同じくその場限りの話と聞き流していたからさっぱり浮かんでこない。仲間を逃がし、生き残ることは不可能になったせいか、最後にそんなことが妙に気にかかった。

 

「じょうじ」

「じょうじ、じ、じょうじょう」

 

 ゴキブリが近づいてくる。何か奴らの言葉で話しながらだが、油断は全くしてないらしいから不意打ちもできそうにない。だが今の俺は、思い出すことに夢中で上の空だった。あの名前、どうしても思い出したい。走馬灯の中で思い出した記憶を頼りに、その時に聞いたいくつかの言葉を順番に思い出していく。

 

 

 700年前、ナチス・ドイツの非道な人体実験の流れをくみ完成されたその技術はろくに名前も付けられず、ただ「改造手術」と呼ばれていたんだったか。

 それをもとにして生み出された、バグズ手術以前の実験体たちは素体が昆虫に限られていたことから混成昆虫「ハイブリッド・インセクター」と名付けられたはず。

 

 そして、成功例の、名は。

 

 バグズ手術、MO手術とは異なり薬品の投与を必要とせず、自らの意思のみで「変身」することが可能だったそれ。

 昆虫の器官が体に生じるというよりも「仮面」をつけたような姿であったという彼。

 バイクを操り地を駆ける「ライダー」でもあったという、日本人の乗組員が熱に浮かされたかのように信じていた、はじまりの「1号」の名前。

 

「なんだったっけなあ、たしか……」

「じょうじ!」

 

 空を見上げて呟く声は、無慈悲に拳を振り下ろさんとするゴキブリの叫びにかき消され。

 

 

 

 

「とぉーーーーーーっ!!!」

 

 

 ほとんど何も見えなくなった視界の中、より雄々しい叫びとともに飛んできた「何か」に蹴り飛ばされたように見えた。

 

 霞む視界の中だったが、確かに見たんだよ。

 暗色のスーツに、虫の羽のような緑の模様を持つ背中。首に巻かれた真っ赤なマフラーは火星の風になびき、心配そうにこちらを振り向いた硬質の仮面には赤い複眼と2本の触覚が。

 

「……ああ、そうか」

 

 何者かわからない、全く知らないその姿を見た瞬間、しかし不思議と腑に落ちた。

 これが、そうだ。

 死の淵に見る幻の類かもしれないが、確信がある。

 

 これだ。これこそが、あのときヤツの言っていた成功例。その名も今なら思い出せる。

 憧れを込めて奴は、こう呼んでいた。

 

 

「仮面、ライダー……!」

 

 

◇◆◇

 

 

「じょうじ」

「じょうじ」

「じょうじ」

 

 火星に存在する、テラフォーマーの巣。

 いや、むしろ拠点、本拠地と呼ぶべきだろう。群れとして集まっただけのコロニーではなく、雨風をしのげる天然の洞穴に入り込んだだけではない。生活基盤を整え食料を生産し、新たに生まれる幼生への教育も行い、バグズ手術を受けた人間を「素材」として持ち込み自分達の身体にも使っているこの場所は既に、ある種の文明が芽生えていると言っていい。

 

 この場に集ったテラフォーマーの数は1000や2000では聞くまい。松明に照らされ黒く光る影たちは壁面の一点を見上げ、彼らの言葉を唱和する。

 言葉が意味するところは、人類の理解が及ぶものではない。虫由来の無機質と、文明を作るに足る知性がもたらす熱狂と、目的のためなら個の命を厭わない機械のような冷徹さ。人間が紛れ込めば発狂しかねないほど異質な空気が満ちている。

 

「ジョージ!」

 

 そんな中、一体のテラフォーマーが大声を張り上げ、直後他の全てのテラフォーマーが沈黙した。装飾を身に着け、一目で高位の立場にあるとわかる禿頭のテラフォーマーだ。

 手に持つ錫杖のような杖を振り上げ、集団の前に進み出て、代表して仲間達と同じ壁の一点を見つめる。この部屋に集った目的は、そこにある。

 

 

 人類に敵対するテラフォーマー。ゴキブリからわずか500年、異常な速度で進化を遂げ、知性を獲得し、いまやバグズ手術の技術すらものにした彼らは人類が再び火星へ向かってきていることを知っている。それに対して、自分たちが成すべきことも。

 

 なぜなら、全てを教えてくれた存在がいるからだ。

 テラフォーマーにとっての全能なる存在。進化を、知性を、技術を与えたもうたモノ。

 

 人類の言葉に直せば「神」と呼ぶのがふさわしいだろう。

 あるいは、アレクサンドル・グスタフ・ニュートンの言葉を借りれば「ラハブの神々」。

 

 壁に彫られた、星を掴む巨大な鳥の意匠と、鳥の胸元に光る炎ではありえない緑の光が明滅する。テラフォーマーが崇める、彼らの進化を促したものが、そこにいる。彼らはそう信じている。

 静まり返った暗がりの中、緑の光が一層強く輝き、声が響いた。それはテラフォーマーにとっての啓示。彼らが必ずや成し遂げるべき、絶対順守の命令。その声は、こう言った。今より前、人間共がこの星に足を踏み入れた時、ともに現れ、自分達の敵として今もこの星のどこかで蠢く、必ずや倒すべき敵。

 その名は。

 

――仮面……ライダー……!

 

 戦いの始まりは、近い。




テラフォーマーズと仮面ライダー、特に初代の親和性はきっと異常。
どちらかというとライダーというよりハイブリッド・インセクターに近いですが気にしない。

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