異世界から帰ったら江戸なのである   作:左高例

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87話『雨次と天爵堂』

 灼けている。

 目の前の全てが威勢よく炎を上げて橙色に輝いていた。

 どこを見回しても煙と炎。それに伴い喧騒と悲嘆が世界に溢れている。昼間だと云うのに、煙に覆われ空は酷く曇って見えた。

 彼は直ぐ目の前、通りを挟み鼻先が強烈な熱を放つ火柱となっているのにじっとそれを眺めている。

 何処に逃げればよいのやら、わからぬままに燃える街を這いまわって倒れていく人をじっと見ていた。

 一人や二人ではない。

 百人や二百人ではきかない。

 千人や二千人以上も、迷いに迷った挙句に虫か何かの様に焼け死んでいく。

 

(嗚呼、それにしても……随分と視線が低い)

 

 殆ど地面に顔を擦り付けている視点である。

 或いは、自分も焼け出されて死んだ彼らと等しく、斃れて意識のみあるのかもしれない。

 そう思いながら、確かに現実感として存在する火の熱と怨嗟の嘆きと救われぬ叫びを、他人事の如く受け止めている。

 

 ───ふと、景色の熱が失せた。

 

 ただ一枚の絵画に変わったように、ぴたりと世界が静止したのを感じる。

 億劫な気分になりながらも、視線だけは注視してその世界を見ていた。

 すると。

 地面から。

 彼の視点と近しい、地面から滲み出るように───朱く歪つで、邪悪な意匠をした仮面をつけた何者かが湧き出てきた。

 面だけがそれを構成する全てだとばかりに、体はただ黒い。

 徐々に人型を取るそれを見上げていると、やおら声を掛けてきた。

 聞き慣れた───否。自分の声に似ている。

 

「私の名は道摩無法師───火の嘆きより生まれし男よ。我が力を受け継げ。世を乱す神としての能力を──」

「怪(あやかし)の類か」

 

 声を相手に返していた。

 いつの間にか──自分も立ち上がっている。

 鏡写しで見たように己の体の状態が分かった。

 背筋がすらりと伸びていて、帽子を被った頭から髷を結っていない艶のある髪が垂れている。目つきは昔から険があると云われている、睨み顔であった。

 それは彼──天爵堂が儒学剣士として活動していた、若かりし頃の姿であった。

 自覚して、周囲の状況を把握した。

 周りの災害的な絵は明暦の大火───かつて彼が生まれた時に体感した、江戸の大火事の景色だ。

 天爵堂の言葉に、面は彼の前で両手を広げるように、闇を広げて云う。

 

「あやかしと私を呼ぶ者も居る」

「力ある存在か」

「左様。比類無き、力を渡そう」

 

 一歩。

 天爵堂は睨み顔のまま道摩無法師に近寄る。

 朱面は笑う。

 

「どうせこの世など君は壊してしまいたいのだろう? 自らを認めず、作り上げた人生そのものを否定させた世界だ。下らぬ詰まらぬと毒を吐き続け貯め続け、ならばそうすれば良い。君の願いを叶えよう。病魔と火の神の名に於いて。寿命と力を君に与えよう」

「成程、世を乱す神の力……」

 

 右手を上げて、前に伸ばした。

 そして彼は──伸ばした手を、己の左腰に戻す。

 ずしりと腰には太刀、越前守助広が佩かれている。

 そのまま抜き打ちをして、迸る白刃の輝きを伴った一撃が目の前の闇の如き体を打ち払った。

 

「何を───」

 

 輪郭がぼやけたようになりながら、道摩無法師が呻く。

 静かに天爵堂は告げた。

 

「──子、怪力乱神を語らず。生憎と儒学者の端くれでね、先人に倣おう」

「貴様……」

 

 ぞわりと。

 異常にして濃密な気配が天爵堂の周りを覆う。

 邪神の悍ましい瘴気が炎の熱の代わりに充満した中で、目付きの悪い端正な顔の青年は堂々と言い放つ。

 

「孔子がそれらを語らなかったのは、人の営みは人の道理のみに責任を持って行うべきだからだ。政治でも、人生でもね。───だから失せろ、人外(かみさま)とやら。僕の生き方は僕だけのものだ」

「この精神は……選ばれるものではなかったか。ならば、破壊し尽くして肉のみ乗っ取ってくれよう」

 

 病魔の夜叉が姿を、汚泥めいたものを垂れ流す腐った牛鬼の如くに変化させて異臭を放ちながら耳障りな脅しをしてきた。

 だが、人間の天爵堂は刀を確かな動きで構え直し、その睨むような視線をそのままに云う。

 

「子、曰く。知者は惑わず、仁者は憂えず──」

 

 先に踏み出したのは彼の方だ。化け物相手に、迷わずに挑む。

 

 

「──勇者は懼(おそ)れず」

 

 

 ある夜、夢幻の世界で。

 一人の儒学剣士が、邪悪を振り払っていた……。

 

 

 

 *******

 

 

 

 

「それじゃあ、買い物に行ってくるから爺さんの事をよろしく」

「お゛ー」

 

 雨次は頷きながら返事をする茨の頭を軽く撫でた。

 なんかこう妹と云うか娘的なあれだなあと、雨次本人も最近思わなくもない付き合い方である。まだ彼は十二歳だと云うのに。

 大人びたせいか、或いは九郎の対応能力が下手に移ったのかもしれない。

 ともあれ、この日は雨次が買い物に出かける間、茨は留守番であった。

 天爵堂が夜中に布団を寝相で跳ね除けたまま寝ていて、軽い風邪を引いてしまったのである。

 

「夢見が悪かったんだよ」

 

 と、少しばかりバツが悪いように云っていた。

 夢の中で疫病神を退治したのに、関係の無い外的要因で風邪を引いたのが最後っ屁を食らったようでスッキリしないのだろう。

 ともあれ、天爵堂の屋敷の備蓄食料が乏しいので市中に買い出しに出かける必要があったのである。

 いつもならば茨が荷物持ちを買って出て二人で行くのだが、病相の老人を一人残していくのも不安だったのである。

 代わりに、

 

「雨次ー! 早くいこー」

「ちゃんと市は立っているのだろうか」

 

 玄関あたりで声を上げて雨次を呼ぶ声がする。

 お遊と小唄であった。その二人が雨次と共に街へ向かう。

 火事の直後から奉行所の見廻りが立っているとは云え、焼け跡の治安は悪く子供一人で歩くのは危険である。

 何せ既に火災当日から数えて、数十人の放火犯や強盗が逮捕され、特にこれらは一大事に悪行を働くけしからぬ賊であると云うことで次々に死罪にされて小塚原や鈴ヶ森の刑場には魔都か何かかと言わんばかりに首が並んでいた。

 子供三人ならば大丈夫か、と云うのは少々危うい気もしたが、一人よりはマシであるし多少逃げるか番屋に駆け込むかできる程度には三人共咄嗟に動ける能力はある。

 

「あ゛」

「わかってるよ、危ない時は九郎さんのところに行けってんだろ」

「ん゛」

「大丈夫だって。何か甘いものも買ってくるから」

 

 玄関まで見送りに来た茨の発する、声と云うか唸りに雨次は一々頷いて応えた。

 それを見てお遊と小唄がひそひそと言い合う。

 

「……あれでわかるの?」

「いや、わたしはかなり勘違いしてしまう。この前も茨から『頭に亀虫が付いている』と云った内容の指摘を受けていたのだが、よく解読できなくて結局素手で亀虫が止まった自分の頭を叩いて潰して……ううっ」

「それはネズちゃんが馬鹿だからだよ」

「なあっ!? じ、自信満々にちょろぎと間違えて変な虫とか口に入れて苦しんでいたお遊ちゃんに云われたく無いぞ!」

「あれはネズちゃんも食べてたじゃん。虫食べて平気な顔してたでしょ。うわー信州人って」

「信州は関係無いだろう!?」

 

 などとひそひそ話が謎の言い争いに発展しているのを見て、

 

「仲の良いじゃれあいだなあ」

 

 と、雨次は和みつつ草鞋を履いて外に出た。

 送り出した茨は、微妙にいがみ合う二人に対して、

 

(一人一人だと雨次に変に関わってくるけど、二人揃うとお互いの足を引っ張り合って勝手に乙女度を下げる子達だから、大丈夫)

 

 打算的にそう思いつつ、安全に居残りをするのであった。

 昼飯は茶粥でも作ろうと決めつつ、晴れた日に屋敷の換気と掃除を始める茨である。

 

 

 

 ******

 

 

 

 江戸を覆った火災は、西は四谷から東は八丁堀を越えて清澄にも放火が行われて江戸城を囲むように市街が燃えた。

 日本橋も一部が焼けているが、復旧はさすがに早く突貫で一番最初に作られたのは魚河岸であった。

 火災の翌日の夕方には既に市が再開されるというたくましさである。

 江戸で売られる魚河岸の魚は、江戸前の湾で取れたものだけではなく、伊豆・遠江・安房・相模・上総・下総と実に広い範囲から魚を仕入れているので、すぐに直さねば次々に送られてくる魚を傷ませてしまう。

 焼けた家の片付けもともかく、飯を食わねば人は動けないのだ。

 また、米を保管するのは浅草の蔵前でありここも火事を免れた。米屋が値段を釣り上げて儲けないようにすぐに幕府が一定の価格で買い上げて配給する形を取っている。

 とりあえず、飯と魚さえあればなんとかなる。

 そんな勢いを感じるぐらいに、焼けて再建もまだまだな街にはあちこちで急造の飯屋や幕府のお助け小屋で飯をかっこむ人が多く見られた。

 

「さあさあいらっしゃい、いらっしゃい! 葱鮪汁と飯食って体暖めなきゃやってられないよ!」

「火傷したなら、厄除けに焼き雀食っていきなー!」

「こんな時こそ冷たい食べ物だ! 大きい声じゃ云えないがとあるお人から貰った氷の甘酒かけだ!」

 

 などと、商魂逞しく営業を行っている。

 三人が向かったのは青物五町と呼ばれる、神田の青物市場である。

 普段は野菜などは地主である小唄の父、甚八丸から直接買えるのだが今は備蓄していた野菜を、街に住んでいて被害を受けた知り合いに配っていたので余裕は少ない。

 更に今は小作農として部屋住みであった彼の手下達共々、大工建築技術はひと通り修めているのであれこれと伝手を使って知り合いの家中心に復興へ出ているのである。

 別段、困窮しているわけでもない天爵堂と雨次らの暮らしなので街に買いに来たのであった。

 

「みかんー! 紀州みかんの焼きみかんだよー! ちくしょう買えー!」

 

 ヤケクソ気味に、こんがりと焦げ目のついた焼きみかんを売っている商人が居た。

 仕入れていた紀州みかんが火事で焼けてしまい、それでもなんとか売り捌こうとしている涙ぐましい努力である。

 一度焼いたからにはもう日持ちもしないだろう。

 一応、焼きみかんを食べる風習は現代でこそあるものの、発祥は不明でありこの江戸ではメジャーなものでは無く、売れていないようであった。

 

「あのー五つ包んでください」

「はいよー!」

 

 雨次があんまりな様子だったので購入してやった。

 二つはおみやげに、残りは三人が歩きながら食べる。

 

「んー意外に美味しいね!」

「皮は焦げてるのに、中身は平気なんだな。剥きやすくなってるし、甘さが強くなってる気がする」

「ああ。皮は火で炙って乾燥させたのは薬にもなるから、爺さんの風邪に効くかもしれないしね」

 

 雨次は皮ごと齧りながら舌で薬の味わいを感じていた。

 そしてぷっと種を吐き出すと、それを小唄に見咎められる。

 

「こら、雨次。行儀が悪い。種を道端に吐き捨てるんじゃないぞ」

「え? あ、ああ。ごめん」

「まったく仕方ない奴だな。種はこの包みに出しておけ。わたしが後で捨てておくから」

 

 すっと彼女は手紙──ちり紙のようなものを取り出して雨次に差し出した。

 お遊がジト目でそれを見て、云う。

 

「……ネズちゃんそれ全然さり気なくないからね」

「なっ!? べ、別にわたしは雨次のねぶった種を回収しようとしているわけじゃ……!」

 

 下手な言い訳をしようとする小唄から、雨次は表情を変えずに一歩離れた。

 

「あっ、違う違うんだ雨次! 違うからな! わたしは……ほら! 農家だから! 種とか家に持ち帰ったらうちの畑でみかんができるかもしれないだろう!? なんだ結構まともっぽい理由があるじゃないか!」

「発想がどこぞの稚児趣味同心と同じあれなんだよねー」

「お遊ちゃんは黙っていてくれ! 不名誉な!」 

「すいません、ほうれん草ください」

 

 雨次スルー。問題先送りとも云える彼のとりあえず放っておこう方針はそのうちツケが回ってくるかもしれない。

 籠に沢山ほうれん草を詰め込むのを見て、お遊は雨次の胸元に意味もなく頭をこすりつけながら云う。

 

「うえー……あたし、それなんか渋くて青臭くて嫌ーい」

「それはお遊が生で食べるからだよ。ちゃんと茹でないと毒のある食べ物も多いんだからな」

「まあ、お遊ちゃんは彼岸花を食べて死にかけたこともあるからな」

 

 なんでもとりあえず口にしてしまうという幼児性がまだ残っているのだろうか。

 

「わたしはちゃんと彼岸花の球根を刻んで水で晒して茹でてまた晒してと、毒を抜いて食べたけどな!」

「そこまでして食うなよ……二人共」

 

 何か競っているのか。

 そんな疑問が生まれる雨次であった。

 

「小唄はしっかりしているけれど、お遊は目が離せなくて怖いな」

「うーん、ちゃんと雨次が近くに居ればいいんじゃない?」

「人頼りか……見てないところで無茶しないでくれよ」

 

 はっと小唄はやりとりで気づいた。

 自分→見てなくても大丈夫なので放置。

 お遊→見てないといけないので結婚。

 一瞬でそんな未来図が浮かんだ。例えるならばフローラとビアンカで云うなら小唄はフローラポジションだ。ただしアンディは居ない。

 

「おゆっ……雨次! 大丈夫だ! お遊ちゃんの面倒はわたしも見ているからな、お前が心配する程じゃない!」

「え? だってネズちゃん彼岸花食べて苦しんでるあたしの目の前でドヤ顔しながら調理済みのを……」

「任せておけよ雨次! わたしはこう見えて超管理大好きだからな! 泣いたり笑ったりするのにもわたしの許可が必要になるぐらい頑張れるぞ!」

「それはそれで引くけど……じゃあ」

 

 雨次は朗らかに笑みを浮かべて云う。

 

「お遊の面倒をずっと小唄が見てくれるなら、僕は安心だな。うん、二人共ずっと仲良くいてくれれば」

「……」

「……」

 

 セットで隔離された。

 僅かに二人の表情に闇黒が混じるが、すぐに乾いた笑いを零す。

 

「はっはっは、そうだな。お遊ちゃんは本当に見てないと駄犬みたいに動くからなー。ほうら道端に落ちてるものを食べちゃ駄目だぞーう」

「あははーネズちゃんもしっかり見てないと鼠みたいにどこそこ忍び込むからねー。あと食べ残しとか漁るし」

「はっはっは」

「あははー」

 

 笑い合って肩を組む。

 

「二人は仲良し!」

 

 そう異口同音に唱える。唱えている間はなんとなく継続できると信じているのかもしれないが、確認するように。 

 勘違いしてはいけないが二人は確かに友人関係にある。まあちょっと時々軽口めいたやりとりがあるだけなのだ。信じよう。

 

「? 二人共、次は魚河岸に行こう」

 

 雨次が純粋に信じているように。

 

 

 

 *****

 

 

 

 日本橋を中心に復興した魚河岸だったが、小売で配り売りをするにも焼けた家では竈も無いと云うことで、川沿いにあちこちと小さな魚売り場と炉端での焼いて販売を行う店が多く出た。

 一度火事が起きてしまえば、むしろ火を使う商売は外の方が安全とばかりに誰も彼も七輪や火鉢を外に持ってきて新鮮な魚を焼いて売っている。

 雨次の家では、天爵堂の酒の肴にもなり保管がきく干物を多く買う。

 痛む魚を塩漬けにしたり、一夜干しにしたりと忙しく魚売りは商売をしていた。

 

「うわー! 雨次、いい匂いだよ。お昼食べていこう!」

「そうだな。そろそろ時分だし……」

 

 と、広がる汐待茶屋と云う魚河岸の魚を扱う飲食店の並ぶ通りを見回した。

 どこでも魚を焼いたり捌いて刺し身にしたりして、山盛りの飯と共に食わせるという単純だが江戸で最も新鮮な魚介が食べられる店である。

 そこに。

 店の外にある筵の敷かれた座台で飯を目の前に、酷くげんなりした様子の知り合いが居た。

 九郎である。

 彼は茶碗に盛られている白い飯をもそもそと不味そうに食いながら、自分の隣に置かれた鮪の赤い切り身に時々目を向けてはため息を漏らしている。

 

「あれは九郎先生じゃないか。具合でも悪いのか?」

「行ってみよう」

 

 三人が近づくと、九郎は隣に座っている男と共に店に来ているようであった。

 隣に居るのはひょろりとした痩身で酒にでも酔ったか夢遊病で出歩いているか、或いはその両方とも云えるふわっとした印象の侍であった。

 山田浅右衛門である。

 彼らに近づいてまず足を止めたのは雨次であった。

 

「う」

 

 何か嫌な気配を感じて冷や汗が浮かんだ。

 雨次に気づいたのか、疲れた様子で九郎が顔を上げる。

 

「……おう、雨次かえ。皆で揃って買い物か」

 

 いちいちため息が出るような語り口である。

 隣に座っている浅右衛門はいつもと変わらず、むしゃむしゃと魚と飯を口に運んでいるのだが。

 

「九郎どうしたのー? 元気無いのー?」

「うむ……己れの刺し身食わぬか……いや、やっぱりやらん」

「ちぇー」

 

 一旦差し出そうとしながら九郎は手を引っ込めて、赤身に醤油をたらされた刺し身を一気に口に掻き込んで、嫌そうな顔で茶で流し込んだ。

 

「どうしたんですか? 随分、おつかれですけど」

 

 小唄の問いに、九郎が力なく手を振って云う。

 

「いやな、この火事で死罪を受けた悪党が百以上も出たわけだ」

「はあ」

「それで首切り役人のこやつに仕事が舞い込みまくって、首を切った後の死体を処理するのを手伝うことになって……」

「う、うわあ……」

 

 十や二十どころではない、首無し死体を想像して三人は顔を青ざめさせた。

 処理と云うのを具体的には知らなかったが、子供の教育には悪いだろう。

 首切り役人と呼ばれる山田浅右衛門は、斬首した後の死体を貰い受ける権利を持っており、それを使って様々な商売に活かしているのである。

 例えば一番金になるのが試し切りだ。武家や大名などに頼まれて胴を重ねて上から刀で切り、その刀の切れ味を胴いくつ分などと評価をつける。山田浅右衛門お墨付きとなれば江戸での刀の評価は絶対的な価値を持つ。

 死骸を使って富を得ている彼を猟奇の男や、穢れ人などと呼ぶ声もあるが、

 

「死んだ後の肉をしっかり使って役立てたほうが、きっと死罪になった罪人の功徳になるから、さ」

 

 それが彼の意見であった。 

 浅右衛門はいつもどおりの声音で、

 

「だって病気とか掛からなくて手伝ってくれる人って募集案件で頼んだんだけど、九郎氏は自分ぐらいしか居ないって渋々受けたんだもの」

「何と言うか……特殊清掃や秩父山中──いや、埋葬の経験はあるがここまで数を増やされるときついものがあったのう……」

「それに処理しないと処刑場に置きっぱなしになって、そこから疫病が流行るだろうから必要なんだって。一体一両で雇ったんだー」

 

 それで今は休憩中なのであるが、さすがに死体処理作業をした後で鮪の刺身は食が進まない九郎である。

 お遊に鮪をやらなかったのも、変な病原菌が付いていた場合に困るからであった。意識すれば疫病風装の能力で確認できるかもしれないが、それをする気力も無かった。

 自分達も想像して微妙に食欲が減退してきた雨次らは続けて問う。

 

「こ、この魚河岸には何をしに?」

「ああ……塩を買いにな」

「塩?」

 

 九郎が目を落とすと、大きな麻袋に塩が詰まれていた。

 それだけで九郎は話を止めるつもりだったのだが、空気を読まない浅右衛門が解説をする。

 

「いやあ、死体は沢山手に入ったんだけど需要はそんなに急に発生するわけじゃないでしょ? だから、さ。使わない奴は使うときまで塩漬けにして保管しとけば結構長持ちするから……」

「浅右衛門」

「指とか小分けにしてるやつは塩だと戻すのが大変だから酒でもいいんだけど。焼酎の方がいいみたいだね」

「子供引いておるから」

「あれ」

 

 気分悪そうな顔で雨次の両側にしがみついている小唄とお遊である。

 雨次自身も、九郎とよく似た表情になっている。

 大きくため息をついて九郎は云う。

 

「……お主死体の話になると饒舌になってちょっと気持ち悪いな」

「ひどい」

「ええい、良いから早く仕事を終わらせるぞ。邪魔をしたな。いや、なんというか本当に」

 

 飯を半分ばかりも残して九郎は代金を置き店を立った。

 雨次どころか、その話が聞こえた店内からも次々に客が青い顔で出てくる。店員は恨めしげに涙を流していた。

 

「……昼食は、また後にしようか」

「うん」

「そうだな……」

 

 三人も腹のあたりを押さえながら、吐き気を感じて唾液が分泌される嫌な具合にその場を立ち去るのであった。

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 その頃……。

 天爵堂の屋敷では来客を迎えていた。

 病床の老人に対して奇跡的なまでに縁起の悪い喪服の女、鳥山石燕である。

 

「やあ久しぶりだね天爵堂老人! 家の普請を様子見するついでに足を延ばしてみたのだが寝込んでいるとは! だが安心したまえ、この季節の変わり目には必ず風邪を拗らせて三途川の河原で子供の魂と石積み勝負をする私から見ればそれは軽い風邪だよ!」

「それは重すぎるだろう、船月堂」

 

 寝転がったまま本から目も離さずに天爵堂は云う。

 

「なあに風邪なんて酒を痛飲して窓を開けっ放しにして寝れば治るさ! まあ翌朝死ぬほど冷たくなってて九郎くんに助けられなければお陀仏だったことがあるが──二、三回程度だよ」

「か弱いならか弱いなりの生き方があるだろうに」

 

 そして茨が茶を運んできたのでそれを受け取り、そのまま茨の手を引っ張って抱きかかえた。

 

「うーむ可愛い。この子私の妹とかそんなんじゃないかね!?」

「全然違う。と言うか君はあれだろう。小唄推しだったろう」

 

 わしゃわしゃと茨の頭を撫でる石燕。二人に似ている要素は殆ど無い。

 彼女は笑みを浮かべながら云う。

 

「いいじゃないか。若者の関係は見ていて楽しいものさ。ふふふ、それともモテている孫を見ると若い頃を思い出すのかね?」

「僕はああいう、面倒な女性関係を持ったことはないよ」

「金持ちの商人に娘との結婚を迫られたとか」

「そんなこともあったなあ……あれ、そういえばあの時も何人か……」

 

 ぶつぶつと呟きながら思い出そうとしたが、良い想い出でも無いので止めたようだ。

 若い頃の天爵堂は、学問に明るく剣術に優れ容貌も整っていたので大層に女人から人気があったのである。

 

「というか君の生まれる前の事だろう。あまり人伝の話を真に受けて当人に語らないことだ」

 

 彼はそう云って渋目の茶を飲んだ。

 

「大体、少年少女の関係を突っついて遊んで。僕から見れば君もまだ若いのだから早く再婚するべきだと思うがね」

「うぐっ」

「君はいつまでも喪服で居るようだがね。孔子も親が死んで喪に服すのは三年と云っていたぐらいだ。まったく、何年目なのやら」

「無理やり儒学は当時の中国の常識を当てはめようとするから苦手だよ」

 

 石燕は云うが、儒学者である天爵堂の説教に似た言葉は続く。

 

「子を他に養子に出した僕が云うのもなんだけどね、[孝]としては自らの子供を育てるべきだよ。親から受けた命を次代に繋げるのが孝行と云うものだ。九郎あたりと早く結婚しなさい」

「ぐう……色々あるんだよ、色々」

 

 内容の無い言い訳がましく石燕は呻いた。誤魔化すように手元の茨を撫でる。

 どうも年の功と云うか、人生経験の差で彼にはやり込められてしまう。知識ならば石燕の方が持っているのであったが。

 それに、九郎に関して。

 後回しに悩んでいることで、有耶無耶な解決を待つという彼女としても手の打てない、ある状況が存在している。

 いつかの時に九郎に云うべきであったが、タイミングを逃したようで石燕はため息をついた。

 

「まあ、世の中なるようになるのだよ。未来は不確定だ」

「……」

 

 石燕はそう告げて、暫く茶を飲んだ後で帰っていくのであった。

 

 

 

 

 ******

 

 

 

 

 雨次ら三人組も何とか立ち直って屋敷に帰ってきた。

 米に味噌、野菜に魚を台所に持って行き、わいわいと人数分料理を始める音を天爵堂は聞いてた。

 元より多めに買ってこさせるように告げていたのである。

 彼の夕飯は味噌粥に、焼いたみかんの皮を小さく刻んで載せていたものであった。しみじみとした優しい味である。

 そして夜に彼は雨次を部屋に呼んだ。

 

「どうしたんだ、爺さん」

 

 彼は布団の横に座りながら尋ねる。

 

「この機会に色々話しておこうと思ってね」

「色々?」

 

 首を傾げた雨次に、天爵堂は云う。

 

「君の母親は、実は自分が居なくなった後は君を僕の養子にしろ、と言い残して行ったんだ」

「母さんが……」

「財産目当てだろう」

「なんてこった」

 

 バッサリとした意見であった。

 収入は作家として僅かに入ってくるのみの天爵堂であるが、側用人として働いていたときの貯蓄でまだ二十年三十年程度は暮らせるだけある。

 身分は浪人であるので、わざわざ従者や下人を雇わなくても良いので食いつぶす速度も遅かったのだ。

 

「浪人の身分なんて継がせても意味が無いからやめておくけど……一応、僕が死んだら残した物は君が使って良いように地主や知り合いには云ってある」

「爺さん」

「勘違いしないでくれよ。この屋敷にある本を全部処分するなんて僕にはできそうもないから、管理者として君を雇うんだ。間違っても雑な扱いはしないだろうから」

 

 彼はそう告げて、読んでいた本を閉じた。

 本当は──。

 寄贈する相手の一人や二人、居ないでも無かったのではあったが。

 まだ、この屋敷の本を雨次は読み終えていない。

 それを思うと、読書の邪魔をしているようで──自分がされたら嫌だな、と思った結果、彼に継がせることにしたのであるけれども。

 そこまでは説明しなかった。

 

「それと、僕が居なくとも学問は続けたまえ。そして学んだ内容は何かに活かしなさい。別に幕府の役目に就けというわけじゃないよ。貧しい生活になっても、正しい道を進むための糧になるのが学問だ」

「……わかった」

 

 確かな目をして頷く少年を見て、天爵堂は満足そうに息を吐いた。

 まだ十二の子供だが、しっかりしている。

 

(僕が彼ぐらいの頃は……いや、まあ彼よりしっかりしてたな。うん)

 

 無駄に対抗意識を出す天爵堂であった。

 

「後は……これぐらいか。困ったことがあれば先人を頼ることだ。もう寝ようか」

「わかった。お休み」

 

 ごろりと雨次に背中を向けて、布団を深くかぶる老人に声を掛けて雨次も立ち上がった。

 部屋を出る前に、もう一度振り返りいつもより早めに就寝している彼に云う。

 

「また明日。先生」

「……ああ、また明日」

 

 ───そして部屋に闇の帳が落とされた。

  

 夢にはもう、悪霊は出てこなかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 

 その夜、九郎は妙な様子で酒を飲んでいた。

 死体処理の仕事を終えて、熱い風呂に入り帰ってきた後はなんとも仕事の達成感とも云えぬような、懐かしむ様子で酒を頼む。

 先に酒を飲んで酔っ払っていた石燕もひと通り──十八通りの絡み方をした後で九郎に尋ねる。

 

「何かいいことでもあったのかね?」

「いやな、いいことではないのだが。そうか……あやつが……」

「うん?」

 

 九郎はなんとも云えない顔であった。

 

「浅右衛門の奴が……なんというか、良く知った存在だったというか……」

「彼が?」

 

 要領を得ない答えだったが、九郎は口に出しながら自分でも納得しつつ云う。

 

「確かに死を扱っていればそうだな……普段の態度も、片鱗は感じていた……」

「ええい、まどろっこしいね。彼が何だと云うのかね」

 

 石燕が気になって仕方がないとばかりに突くので、九郎は顔を上げて、云う。

 

「あやつは───」

 

 他人の死を司る首切り役人。

 嫌われ者の穢れた存在。

 だが話してみれば割りと普通な、少し寂しがりやな男は。

 

 

 

「───不能だったのだと聞いた」

 

 

 

 九郎と同じく、エンドオブ男性器略してEDだったのである。

 そんなささやかな互いの共通点を発見できたぐらいしか楽しいことはなかったのであった。

 酒を吹いてむせる石燕に九郎は続ける。

 

「なんというか普段人を腑分けするのに慣れすぎていて、女体を見てもホトケさんとしか思えなくなったようでな。あと内臓の位置とか筋肉とか気になりすぎてどうしても興奮せずに冷めるらしい。

 いやむしろそれで興奮してたらサイコだがのう。因果な仕事についたものだ。後継ぎどうするのだろうな、あやつ。しかし不能仲間と思うと親近感がなあ……一応将翁の奴にあやつの分だけでも相談してみるか」

「九郎くん」

「うむ?」

「云っておくが君も治したほうがいいよ、不能」

 

 そうとしか云いようも無い話題ではあったが。

 変化はあれど、日々は平穏な日常を刻んでいく……。 

 

 

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