異世界から帰ったら江戸なのである   作:左高例

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28話『水谷端右衛門と鍋焼きうどん/営業妨害にご注意の話』

 番傘を差して侍が雨の町を歩く。

 黒袴と腰には十手という備えを見れば、誰もが彼を町奉行所の同心だとわかるだろう。

 がっしりとした体格に厳しくも威圧感はそれほどではない、不器用な人の良さを感じる顔つき。いかにも熟練した中年の同心であるが、彼──水谷端右衛門はまだ三十であり老け顔によって常から実年齢より十近く上に見られるというだけである。

 仕事を終えて町奉行所から八丁堀の組屋敷に帰るのに何か腹に入れておこうとぶらり足を延ばしたところであった。

 

(今日は朝から書類と取り調べをずっとしていたからお腹がペコちゃんだ……)

 

 腹を押さえて氷雨になりそうな程寒い中を歩いて行く。

 手柄を取ったのであった。

 先日、彼がいつものようにぶらりと立ち寄った一膳飯屋にて、人相書きの出回っている悪党を見つけた。

 仲間らしきごろつきと二人組であり、酒を呑んで騒いで他の客の迷惑になっていた。

 静かに飯を食おうと思っていた端右衛門はそれだけで気分を害して、様子を見て尾行をしようかと考えてたのを変更。

 その場で二人を召し捕らえてしょっ引いたのである。 

 無論、人相書きが出回るというのは余程の凶悪な賊であり、タダで捕まるものかと暴れようとしたのだが……

 この端右衛門という男、剣術の腕前は大してよくないのだが関口流の柔術をよく、やる(・・)

 賊らが、

 

「あっ……」

 

 という間に、腕を捻り上げて無力化してしまった。

 ともあれ捕まえた者共の調書を作ったりして、お手柄だと町奉行に食事には充分な金一封を頂いたのであった。

 水谷端右衛門はお世辞にも真面目な勤務態度には見えないのだが、度々こうして単独で手柄を挙げるという奇妙な運を持っている。ただ、同心というのは如何に手柄を立てても出世とは縁のない下級武士なのが残念ではあったが……

 

 ともあれ仕事を終えて、雨天故に夕方だがかなり薄暗くなっていた中で彼が目的の場所に行くのは、同僚の言葉からであった。

 

「例のむじな亭で『鍋焼きうどん』っていう新商品が売られていてな、これがまた熱々でよく温まるのだ。え? なんで怪我してるのかって? いや、お風ちゃんに飴を渡して、うどんをふーふーと息で冷まして貰ってたら店主に見つかってボッコされて」

 

 そう名物の同心が教えたので、鍋焼きうどんというものを食べに行こうと決めたのであった。

 端右衛門が目的の、たぬきの絵が店頭に張られている店にたどり着くと思わず声を上げた。

 

「うわあ……行列か」

 

 せっかちな気質のある江戸っ子は滅多なことで店に行列を作ってまで入らない。

 しかし評判の鍋焼きうどんを食おうと、近所どころか端右衛門のように噂を聞きつけて集まった客が並んでいるのであった。

 何せ、熱々の土鍋に具沢山のうどんが入っているのだ。普段の、ずずっと食ってさっと出ていく店とは回転率が違うので中々客も出てこない。

 端右衛門は諦めようかと思った。あまり並ぶのは好きではないし、店内で行列が待っているのだからとゆっくり味わえずに急いで食べるのも趣味ではない。 

 ふと、店先に貼り付けられた紙に書かれている文字が眼についた。

 

『もちかえりやってます 鍋持参すべし』

 

(持ち帰り! そういうのもあるのか!)

 

 端右衛門は感心して目を見開いた。

 江戸の飲食店ではこうして、容器持参で持ち帰りする店が存在していた。例えば煮売屋にて煮染めを重箱に詰めたり、酒屋で酒を徳利に入れて持ち帰ったりしていたのである。

 こうすることで、店の近所の長屋に住む者などはそのまま持ち帰って食べられる。そうなれば店内は満員でも売れるという寸法であった。

 しかし急にやってきた端右衛門などは当然、鍋を持参していないが……

 その張り紙の下に矢印があり、案内がある。

 

『鍋 この先の番小屋にて』

 

(鍋の販売までやっているのか……)

 

 行き届いているというか、抜け目がないというか。端右衛門はひとまずそちらへ向かうことにした。

 これも鍋焼きうどんが予想以上の売れ行きになったので、提案者の九郎が用意した販売戦略であった。

 店用には買い集めてきた土鍋を使っているが、持ち帰り用に売っているのは江戸でもメジャーな鉄鍋である。

 これは単に土鍋より鉄鍋の方が多く流通していたこともあるが、用途の違いもある。土鍋は火にかけるとゆっくり煮るように温まるが鉄鍋は熱伝導が良くて一気に煮立つ。

 持ち帰りに鉄鍋を使わせれば、持ち帰ったそれぞれの家にて温め直すのに丁度良いのだ。

 雪が降るのに隙間風が多く、毛布などが存在しない江戸の暮らし。何処の家も、火鉢か七輪ぐらいは用意している。それに持ち帰りの鍋焼きうどんは丁度良い。

 番小屋は町ごとにある木戸の管理小屋である。町ごとに町内会費のようなもので番人を雇っているが、薄給な為に雑貨品を販売することが許されている。

 その雑貨に相当するものの解釈が様々であり、後には焼き芋などが売られることもあったようだ。

 むじな亭近くのそこは九郎が便利そうと思った品物を取り扱っており、品揃えが良い。店の宣伝用である浮世絵まで並んでいた。

 

「あ、すみません。この鍋を一つ──いや、二つ」

「はいよ」

 

 持ち手のついた鉄鍋を二つ購入して店に戻る。

 店から出てきた手伝いのお八が、並んでいる客に湯気の立つ鍋焼きうどんを渡しているところであった。

 

「まいど。火傷すんなよー」

「へっへっへ。こりゃ旨そうだ。あんがとなー」

 

 支払いをして帰っていく客と入れ違いに、端右衛門は鍋を出しながら声を掛ける。

 

「あの」

「ん? ああ、水谷の旦那か。二人分、持ち帰りで?」

 

 頷く。時々店にやってくる、町奉行所の同心ということで顔は覚えられているようだ。先に二つ分代金を支払っておく。

 あいよ、と元気よく返事をして店の中に入っていく。

 関係者以外には知られていないことだが、この店の特筆すべき利点は火元である。

 薪代の掛からぬ火力調節が容易な術符による竈は、あっという間に湯を沸かす。次々に煮立てる料理を作る際には非常に便利なのである。

 特に持ち帰り用の鍋焼きうどんであれば、普段は少し煮込むところをさっと温めて渡すことで、麺を伸びにくく予熱で煮られるという利点がある。

 それにしてもこの店、薪代が無料で水は常に綺麗で冷たく、家賃は差配人として長屋の管理を任されているので非常に安く済んでいるという飲食店としては破格の条件である。何を売っても利益が出るだろう。

 外で待っている間、灰色の雲から降る冷たい雨を端右衛門は見上げていた。

 "炬燵開き"という行事などついぞしたことはなかったのだが、今年は初めて炬燵を買ってきて行ったことを思い出す。

 何故そのようなことをしたかというと、嫁が出来たのだ。

 ふくよかな体型で明るく、少々ずぼらなところがあるが料理の得意な女房である。孤独に一人食い歩きが趣味であり、組屋敷の部屋では大した料理もしなかった端右衛門からすれば生活は一変した。とにかく不精気味であった端右衛門に比べて嫁はあれもしようこれもしようと勧めてくるので、大変ではあるが悪い気はしない。 

 それに中々の大食いであるのは夫婦似通っている。

 

(夕飯に鍋焼きうどん……だけでは足りないから、握り飯とかを用意しそうだな)

 

 それでも買って帰ればよだれを垂らして転げ回りながら喜ぶだろう女房の姿を想像して、端右衛門は口元に手を当てながら笑みを隠した。

 

「ほい水谷の旦那。二人分は持ちにくいから気をつけてくれよ」

「ああ、ありがとう」

 

 お八から蓋をした熱気を放つ鍋を二つ渡されて、端右衛門は両手にそれぞれ持って帰路についた。

 そして端右衛門は思う。

 

(あちゃあ、失敗したぞ。両手に持ったら傘を持ちにくい……)

 

 肩と首で番傘を押さえながら、大風が吹かないことを祈りつつ足早に組屋敷を目指して歩いて行く。

 いや、これで良いのだと思い直しながら。

 孤独ならば失敗だが、二人なのだから仕方のないことなのだ。

 

 

 

 

 *******

 

 

 

 

「完全にうどん屋になってしまっていないか」

 

 閉店後の店内で六科が微妙そうな顔をしてそう言った。

 手伝いにやってきた九郎とお八は、仕事上がりのまかない飯を食っているところであった。今日は豊房は絵の仕事で休みである。

 蕎麦つゆに漬けておき味が染み込み茶色くなった豆腐をさっと煮立てて温め、白い飯の上に載せたものだ。それに鰹節を掛けて食えばまた美味いものである。

 九郎とお八はお互いに飯を頬張った顔を見合わせて、それぞれ飲み下して告げた。

 

「そういえば今日、蕎麦って出たか?」

「いや、客の八割は鍋焼きうどんだったぜ。残りは豆腐や葱の田楽とか酒のつまみ系だな」

「完全にうどん屋だのう」

「折角新蕎麦の引いた粉も買っているのだが」

 

 六科は釈然としないといった風に呟く。夏を刺し身で乗り切り、秋蕎麦の値段も大分に下がったのであったがそこに来てうどんブームの到来であった。

 

「大体よくわからん。何故皆は鍋焼きうどんばかり食うのだ。鍋焼きそばでは駄目なのか」

「いや、蕎麦は煮込むとドロっとするだろ」

「うどんも蕎麦も粉を練った食品だから味は同じはずだ」

「乱暴なくくり方をするなよ蕎麦屋店主……というか味も違うからな」

 

 六科の味覚センサーは相変わらずポンコツのようだ。

 彼はとりあえず蕎麦やうどんを塩っぱい汁に炭水化物が浸かった物体として認識している。

 機械のAIが発達しても画像のみからの情報ではリンゴとトマトの区別が機械は付けにくかった──赤くて丸っぽい果実なので──という事例を思い出して九郎は微妙な気持ちになった。

 

「まあ確かにこの連日の忙しさには面倒なところがあるな。具体的にはうどん麺の仕込みだ」

「蕎麦と違って寝かせねーといけないからな。大量に作るとなるとこねるのが大変だしよ。また明日の分今から作らねーといけねーし」

 

 そこが多少大変な作業であった。

 蕎麦の場合は当日の朝に六科が仕込めば充分であるし、そこまで出ないのだがうどんは結構な量を前日に作らねばならない。

 小麦粉と塩水を混ぜた生地を九郎と六科が手で捏ねて、お八や豊房などが布で覆った生地を足で踏んで作るのに一刻(二時間)は必要だ。

 なおその女衆が足で踏んで捏ねている光景を歌麿が絵にして『当店看板娘うどん作り図』として貼りだしたら男性客が倍増した。

 ついでにお風や石燕、スフィなどのちびっ子組が捏ねている絵を追加したら稚児趣味同心二人がうどんを生地ごと一斤ずつ購入していった。折角なのでボッタクってやったが、喜んでいたようだ。

 それはさておき、

 

「如何に力を込めてもうどんの捏ね時間は早々縮められぬしのう」

「一日中働いて、終わるとうどん捏ねてってやってるとまさにうどん一家って感じだぜ」

「蕎麦の方が良いと思うのだが。何せ蕎麦粉の方が安い。味は同じだ」

「味は違うと言うとるのに……」

 

 江戸時代の小麦粉と蕎麦粉の値段はどれ位であっただろうか。

 享保の頃の正確な資料ではないが、幾つかの年代で見てみると大体の値段においては小麦粉は蕎麦粉の1.5倍から2倍ほどの値段がしていたようだ。

 およそ、小麦粉が一石で一両。蕎麦粉が二石で一両といった程度であろうか。

 一石=十斗=百升でありリットルに換算すると約180リットルである。

 大体小麦粉と蕎麦粉の比重を0.5として90キログラムとし、一両8万円で計算した場合。

 端数を切り捨てて小麦粉は1kgで約880円。蕎麦粉は1kgで約440円。

 更に細かく言えばうどんよりも蕎麦の方が加水率が高く、つまり水を多く混ぜるのでかさが増す。麺の原材料費は半分以下と見ていいだろう。

 それならばうどんは蕎麦より高級品であるとも言えそうだが、実際のところ江戸ではうどんも蕎麦も同じ値段で提供されていたようである。なのでやけに高い価格設定にするのも憚れた。

 

「つまり……売れば売るほど収益が大したこと無い感じなのぜ? こんなに大変なのに」

「うむ」

「うげ。よし九郎別の商売考えようぜ。河原のいい感じの石ころを高額で売るみたいなやつ」

「ええい、諦めるでない。大体だな、六科よ」

 

 九郎は渋い顔をしながら六科の方を見て告げる。

 

「今は嫁と子の為にちょっとでも稼がねばならん時期だろう。利益率が低いとはいっても売上は上がっておるのだから問題はない。大体だな、この店の条件で収益が出ぬというのもありえぬ話だ」

「そうなのぜ?」

「まず家賃が安い。差配人も兼ねておる上に、長屋の家主がハチ子の親父殿だからのう。六科は息子のようなものだし、豊房は実の孫だ。なので通りに面していて2階建てな店舗だというのに月の家賃が一分二朱(約3万円)という特価だ」

「やっす」

 

 銭にして大体1500文。裏長屋のワンルーム家賃は600文だがそれと比較しても2.5倍程度で店が開けている。

 ちなみに表店の通常店賃は二分から二分二朱程度なので、二万円ほどもオマケして貰っているという。

 

「更に料理店なのに薪代が掛からぬ。水も綺麗で使い放題。忙しい時は手伝いが来るが基本的に家族経営で人件費も然程掛からぬ。何を売っていても金が稼げる条件だぞ」

「そうだな……六科のおっさんが他所で店を出してたらひと月で路頭に迷ってそうだぜ」

「むう」

 

 妻と子を路頭に迷わせる図が浮かんだのか、六科は考え込んでうめいた。

 九郎は手をひらひらさせながら告げる。

 

「なに、これもいつものように流行りが廃れれば客足も戻る。他の店が真似してやりだすことも考えられるしのう。一時の稼ぎ時だと思って気張るのだ」

「わかった」

 

 六科が頷くと、店の裏からひょいとお雪が顔を覗かせて六科に言う。

 

「お疲れでしたら六科様も、体を按摩してあげますよぅ。お仕事を休ませて貰っている代わりです」

「そうか。では後で頼むか」

「はいな! うふふ、まあわたしの方も時々逆に六科様にツボを押されちゃうんですけどね!」

「ツ、ツボ?」

「うふふお八ちゃん! お八ちゃんもそのうちわかりますよう! こう、秘所の奥に得も知れない感じ方をするツボが……!」

「あーはいはい。惚気けを通り越して助平な話題で盛り上がるでない。男も居るのに。まったく。六科も程々にな」

「うむ。よくわからんのだが、夜中にお雪に謎の按摩を受けると体がお雪の命令通りに動くという現象が……」

「ツボで操られておる!?」

 

 よくもまあ、この工業施設で作られたような男がしっかりと子作りをしているものだと思っていたが。

 怪しげな秘孔によるコントロールがあるようであった。

 うふふと笑いながらくねくねと悶えるお雪を、彼女の娘が不思議そうに見ていて教育に悪い場面でしてくれるなよと九郎は思った。

 お雪は目が見えないことから、周りの目線に疎いところがあるのだ。音には敏感なのだが……

 

「……とにかく、鍋焼きうどんの流行りが終わるまでは気を抜かぬように」

「というと?」

 

 お八が首を傾げる。

 

「店が流行っているということは普段来ぬような客層が来るということだ。騒ぎを起こして金でもせしめてやろうと怪しからぬことを考える輩が来ないとも限らん。それに、他のうどん屋が偵察ならまだしも客を取られたと殴り込みに来るとか」

「そんなことあるのか?」

「あるだろう。もし己れが、生活の掛かってるうどん屋ならチンピラを雇って相手の店の評判を下げるぐらいする」

「……」

「……」

「……」

「じょ、冗談だ。そんな碌でなしを見るような目をするでない。そんな行為をするやつもいるかも知れぬというだけの話でな」

 

 慌てて自分の言葉を撤回する九郎であった。

 

「そんなことよりも明日の分の麺を捏ねるとしよう。ほれ、六科。用意するぞ」

「うむ」

「じゃ、あたしは踏むの手伝うぜ」

「わたしも踏み按摩は得意ですよぅ」

 

 そして夜五ツ半(午後九時)までにうどんを捏ねて、九郎とお八は夜闇の中屋敷へ帰っていくのであった。

 

「うーさむ」

 

 夜風に吹かれて体を抱きながらお八が言う。

 九郎が着ていた半纏を貸してやると、体温がぬくいそれを纏ってお八は「きひひ」と笑った。

 

「それにしてもお主の服装は特に寒そうだからのう。袖捲りをしておるような形の着物だから」

「袖があると動きにくいからな。師匠んところで修行もそうだけど、忙しく働きまわるには」

「何か外行きの羽織ものでも縫わぬのか?」

「おいおい九郎。羽織を女が着るのは禁止令が出てるんだぜ。深川の芸者なんかは特別に許されてるみてーだけど」

「そうなのか……面倒なことだのう」

 

 羽織は江戸時代初期に於いて、将軍から功のあった武士に下賜される着衣であり武士の着物であった。

 それが町人男性も真似をしだしたのだが、さすがに女に真似をされては名誉に関わるというので江戸時代を通して度々に禁止令が出されたという。

 度々出された、というのはつまり[相撲禁止令]や[女髪結い禁止令]、[混浴禁止令]などが何度も出されたのと同じように、守らない町人が結構居たからではあるのだが。

 しかしながら江戸時代、十二月の師走となれば雪も降りしきる寒さである。

 そのようなときに羽織ものも無いので厳冬期には女は外に出歩くことが少なかったとされるほどであった。

 

「しかしまだまだ寒くなるか……」

「あたしは冬は嫌いだぜ。風邪引きやすいしな」

「気をつけねばのう」

「師匠のところで寒中水泳して川を渡ったりするからなあ……気をつけてても難しいというか」

「そんなヤバイことしておったのか!?」

「極寒でも川ぐらい泳げないと、冬の川に突き落とされただけで死ぬことになるとか何とか」

「そりゃそうだが……年頃の女にさせることではないのう」

 

 想像して妙にお八が寒そうに思えて、九郎は隣で歩く彼女に体を寄せて背中を擦った。 

 お八は嬉しそうに笑みを浮かべ、その九郎の手を掴んで抱きつくようにした。

 

「あーさむさむ!」

「そうか。炎熱符で周囲一帯に熱気バリアでも」

「おーとーめーごーこーろー!」

「ううむ……まあ、可愛いもんだのうハチ子は」

「きひひ」

「どこぞの色魔だと連れ込み宿に直行しようとするからそれと比較すれば」

「比較すんなよ!?」

「これで男を見る目があれば……」

「自分で云うなよ!?」

 

 打てば響くような言い合いをしながら二人は屋敷へ帰っていく……

 

 

 

 *******

 

 

 

 それから暫くの間は、嫌がらせなどへの警戒も兼ねて九郎はうどん屋、否むじな亭に通って手伝いにやってきていた。

 屋敷の女性陣も手が空いた者はアルバイト感覚でやってきて、店を賑わせる。珍しくて温かく美味いうどんに、美人の看板娘となれば客足も途絶えなかった。

 客が増えれば不貞の輩がやってくる可能性も上がる。

 九郎の言葉通り、やがて事件が起きた。

 その日の午後に店内で鍋焼きに酒のつまみ、そして酒を頼んでいる浪人崩れ風の男が居た。

 それなりに長居しているが酒を次々に注文して徳利を何本も呑んでいる。

 顔は赤らみながらもどこか不機嫌そうに周囲を睥睨している姿は、酒乱の気でもありそうに見えて九郎は警戒をしていた。

 

「おい酒だ酒! 酒の追加を持って来い!」

 

 横柄にそう怒鳴る男に、周囲の客も迷惑そうに目線をやった。

 その日の手伝いはサツ子であった。もっとやかましい薩摩人に囲まれて育った彼女は物怖じもせずに酒の徳利を盆に載せて持っていく。

 鹿屋にて男装をして働いていた頃の姿ではない。胸の下に帯を巻いた着物で豊かな胸が強調されていて、短いながらも伸びた髪の毛を小さく結っている。 

 浪人はサツ子が酒を運んでくると、露骨に彼女の胸を見ながら怒鳴る。

 

「酌でもせんか、小娘!」

 

 がたり。立ち上がる音がどこからか聞こえたが、酩酊している浪人の耳には入らなかったようだ。

 浪人は手指を広げて着物越しに丸く主張しているサツ子の胸に触れようと手を伸ばした。

 

「胸ばかりでかくて気の効かぬ────」

 

 浪人の腕を掴んだのは異様に殺気立った赤く光る目をしている天狗だ。

 そしてその浪人の両肩を、岩を削り出したような手を食い込ませて背後から睨んでいる。

 店に客としてたまたま来ていた薬丸兼雄とその従者の薩摩人数名が薩意の波動を放出しながら浪人の動きを止めていた。

 酔っ払っていようが、素面だろうが、眉間に真剣を突きつけられたような恐るべき気配を受ければ僅かでも動くことが出来なくなっている。

 薩摩人は「何をしている?」という誰何(すいか)は行わない。

 

おい、こら(・・・・・)

 

 サツ子にとって親戚のおじさんであり保護者の一人、示現流を学ぶ薩摩人らにとって『先生』である彼の言葉だけで従者らが行動するには充分であった。

 ごきり、と薩摩人が浪人の首に手を掛けて捻り、脱力した浪人を引き連れて外に出ていく。

 それを見送りながら兼雄は何事も無かったかのような顔で従者の分も金を九郎に渡した。

 

「なに、何でもなか。ちっとあやつの骨を外しただけで死んじょらん。脅かすだけじゃっど。もう二度と来させんようにする」

「そ、そうか」

 

 果たして首の骨を外されて大丈夫なんだろうか、と思ったがそれは心の奥底にしまった。

 客同士がちょっとふざけて殺りあっただけで、店には何の関係もないことだ。

 兼雄はサツ子の頭を撫で回しながら云う。

 

「おんしも見らんうちにえろう愛(め)っかごとなったな。そいじゃ、よう天狗どんの云うことを聞くんじゃぞ」

「はい、先生」

「よか」

 

 そう云って兼雄も外に出ていくのであった。

 九郎が手を出さなくとも未然に狼藉は防げただろうが、中々に恐ろしい保護者である。  

 

「それにしても……」

 

 店内の雰囲気は誰もが食事を止めて固まっていた。

 薩意の波動を受けた影響だろうか。どちらにせよ営業の支障にはなっているようで、九郎は溜息をついてサツ子と空いた席を片付け始めた。

 

「あっ。しまった。あの浪人の死骸から代金分の金を抜き取るの忘れてた」

 

 難癖を付けて代金を有耶無耶にしようという輩ならば持っていない可能性もあったが、タダ飯タダ酒を飲ませてしまったことで僅かに敗北感を覚える九郎であった。

 

 

 

 

 店の前の通りにて。

 意識を失った浪人が運び出されていくのを遠目で見ながら、嘲りの笑いを浮かべる影があった。

 

「ふん……[酒乱]の右門がやられたか」

「だが奴は我らの中で一番の小者……」

「営業妨害を生業にしている我らの恥さらしよ……」

 

 不敵に笑う男達は一通り云うだけ云って、それぞれバラバラに別れて行った。

 その場に九郎がいれば容赦なくツッコミをいれただろう。

 営業妨害を生業にしているというだけで世間の恥さらしだろうに、と。

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 次の営業妨害が現れたのは翌日であった。

 昼の繁忙時に暖簾を颯爽とくぐって現れたのは前掛けにねじり鉢巻を付けて片手に包丁を持った不審者だ。

 彼は店内を見回し、板場へ向けて意気揚々に宣言した。

 

「俺は[旅包丁]の介三郎! この店を俺の武者修行の相手に認定した! 店の看板を掛けて俺と勝負をしろい!!」

 

 迷惑であった。

 九郎は皆に視線を合わせると自分が対処すると頷いて、介三郎に向き直る。

 

「勝負か。良いだろう。己れが代表だ」

「上等でい!」

「勝負内容は己れが決めて良いな? ──相撲だ」

 

 決まり手──つっぱり。

 とりあえず気絶した相手を裏に連れて行き、姿を消して空へと浮かんで川の中洲に放置してきた。

 

「前もこんなことがあったような……流行っておるのか? 料理漫画のような因縁の付け方」

 

 まあともあれ、彼が六天流のように寒中水泳の鍛錬を行っていれば何とか帰れるだろう。

 

 その夜、大雨が降って川が増水していたがその頃には九郎はすっかり忘れていたという。

 

 

 

 

 ********

 

 

 

 

 翌日。

 

「ケケェー!! [旅包丁]の介三郎を倒したぐらいでいい気になるなよ! 俺様は[うどん粉]の長治! 小麦粉の扱いならお手の物よ!」

 

 別のやつが現れた。九郎はすっくと立ち上がり腕を回す。

 

「では相撲で……」

「キェー!!」

 

 九郎の言葉を無視して、長治と名乗った小男は持っていた小麦粉を花咲かじいさんのように店内に撒き散らかした。

 真っ白な煙が店の中に充満して九郎も客も咳き込む。

 

「ぬわっ!? 何を!」

「ケケケ……俺様との勝負を受けねえと、小麦の粉で充満したこの店で火打ち石を叩いてドカンだぜえ!」

「なんだと……!」

 

 粉塵爆発で人質を取った長治は得意気にカチカチと火打ち石を鳴らして見せる。

 九郎は冷静に術符を取り出した。

 

「[精水符]」

 

 小雨が店の中を湿らせる。舞った小麦粉は湿って、そこはかとなくべちゃべちゃと不快に体へ纏わりつくようになった。

 当然こんな状況で火打ち石を鳴らしても爆発はしない。そもそも粉塵爆発はそれなりに環境を整えないと成功しないことも多く、適当に撒いても難しかったであろう。板場で今も火を使っているのに何も起きていないのを見てもわかるように。

 とりあえず気まずそうに長治がカチカチと火打ち石を叩いていると、客が二人立ち上がった。

 

「とりあえず町奉行所で話を聞こうか」

「おいおい、利悟。こいつはうちの火付盗賊改方で取り調べしねえといけねえんだ。現行犯ってやつだな」

 

 あろうことか、爆発させるという脅しの現場に町奉行所と火付盗賊改方の同心、菅山利悟に中山影兵衛が客として居合わせたのである。

 長治の顔がさっと青ざめた。

 

「どっちでも良いが、さっさとそいつを連れて行ってくれ」

 

 三人纏めて追い出すと九郎は若干小麦っぽいどろどろが付いた店内を見て、

 

「掃除が面倒だ……営業妨害にはなっておるのう」

 

 と、うんざり呟くのであった。

 

 

 後日、店近くの橋で長治が放火未遂として晒し者になっていた。

 営業妨害の代償としては重いものになったようだ。

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

「馬鹿な! 長治もやられただと!」

「次々に嫌がらせを行った連中が抹殺されている!」

「どうする……手を引くか」

「いや、我らの怒りはまだ……!」

 

 新宿外れにある薄暗い小屋の中でそう話し合っている集団が居た。

 誰も彼も声に焦りを浮かべている。嫌がらせ・営業妨害に向かった仲間が想像していたより酷い反撃にあった事実に心胆を寒からしめるのである。

 どうやら自分達はかなり危険な相手に喧嘩を売っているようだ、と自覚しつつも次の手を考えている彼らだったが、小屋の扉が蹴り開けられた。

 

「何奴!?」

 

 全員が苦無(・・)を取り出して入り口を見やると、縄で縛られたままの小男である長治を連れた九郎が獰猛な笑みを浮かべてそこに立っていた。

 どさり、と中に長治が投げ捨てられる。

 

「ああっ!? しまった! 吐かされたか、長治!!」

「火炙りから助けてやったらペラペラと喋りおったわい、馬鹿共が!!」

 

 そう、火付け未遂の現行犯で三日の晒し者の後に火炙りになる予定であった長治を、九郎が夜中にこっそりと助け出して代わりに嫌がらせをしている連中の居場所を吐かせたのである。

 そして外の明かりが小屋を照らして中に居る集団を露わにする。

 顔に覆面や頭巾を被っている不審者風の忍び衆であった。

 最初の酒乱浪人も、次の相撲で負けた旅包丁も、最後の粉塵爆発失敗も全員忍びが顔を晒し、怪しげな仮装と偽の立場を使ってやってきたことである。

 忍びの皆はバレたことに動揺しているようだ。

 

「貴様ら、覚悟は出来ておろうな。何を思ったか人様の店を荒らしおって……」

「う、うろたえるな! 正義は我らにありだ!」

「そうだそうだ! 先に俺らに被害を与えたのは、あくまでそっちだ!!」

「ほう? 一応事情を聞こうか?」

 

 九郎もまだ長治からはその辺りは聞いていない。

 仲間の居場所はペラペラ喋っても、どうして嫌がらせに及んだかは口を噤んでいたのだ。 

 誰か別のうどん屋から頼まれてやっているのかと九郎は思っていたが──どうも事情が違うようである。

 

「これだ!」

 

 忍びの一人が絵を出す。

 それは歌麿が描いて吉原の版元で出版し、むじな亭近くの鍋が売っている番小屋にて販売していた宣伝用の絵である。

 美人に描かれた女や少女らがうどんを足で捏ねているマニア向けの絵である。

 

「……それが?」

 

 九郎は首を傾げた。忍びらは涙声で、拳を握りながら怒鳴った。

 

「俺らはこれを見て、楽しみにお店のうどんを食べていたというのに……!」

「美少女の足で踏んだうどんを食べてどんどん健康になっていった自覚さえあった!!」

「なのに、なのに……実際は、あの厳つい店主がうどん生地を腋で挟んでぎゅっぎゅってして捏ねてるだなんて、酷い裏切りじゃないか!!」

「許されない欺瞞だ!!」

「ま──待て待て!」

 

 九郎は六科が腋にうどん生地を挟んで捏ねるというめちゃくちゃやりにくそうな行動を想像して、笑っていいやら吐いていいやら酷く微妙な気分になった。

 もちろんそんな非効率的なことはしていない。工程としては小麦粉と塩水を混ぜ、腕力のある六科と九郎がそれを馴染むように混ぜ合わせ、ひとかたまりにしたものを女衆が足で踏んで伸ばし、それをまた九郎と六科が捏ねてから幾つかに千切り、女も加わって念入りに捏ねてから全部をまたひとかたまりにするといったものだ。

 女は踏んでいるのは間違いないし、六科が腋なんぞ使っている暇はない。

 

「なんだその珍妙なうどんの作り方は! そんなわけあるか! 誰から聞いたのだ?」

「甚八丸のお頭が『俺様ぁ、見ちゃったんだけどよぅ、あの店は親父が生地を腋でぎゅっぎゅって捏ねてるんだぜ』って……」

「よし。あいつが黒幕か。後でぶっ殺す」

 

 それはそうとして、

 

「良いか。普通にあの絵に描いておることは本当で、お雪とかお風とか豊房とかお八とか石燕とか将翁とか夕鶴とかサツ子とかスフィが踏んで一生懸命うどんを作っておる。お主らは嘘を吐かれたのだ」

「ええっ!?」

「やった……! 健康になった俺の体は正直者だったんだ……!」

 

 ざわざわとどよめきが広がり、安心したような吐息を漏らしている忍びらに九郎は気迫を込めて怒鳴りつけた。

 

「その嘘を真に受け、嫌がらせをして恥ずかしいと思わぬのか貴様ら!! 幼い子供二人と目の見えぬ嫁を養おうと必死で働いておる男の仕事を邪魔して恥と思わぬのか!!」

 

 そう叱り飛ばされて、一同はしゅんと項垂れた。

 大したことをするつもりはなかったのだ。酒乱も精々因縁をつけて食い逃げする程度、料理対決も腋うどん親父を負かしてやると思っていた程度であり、粉塵爆発だって火遁の術を心得ている忍びからすれば爆発しないことはわかっていて単なる脅しだった。

 それでも、邪魔をされた店側は堪ったものではないのだ。

 

「ごめんなさい……」

「謝る相手が違う! さっさと店に行って謝り倒し、損害分支払ってからうどんでも捏ねてこい馬鹿者共!」

「は、はい!」

 

 忍者はシュババと小屋から飛び出していき、むじな亭へと向かうのであった。

 これにて嫌がらせ騒動は解決だったが、

 

 

「とりあえず己れは甚八丸を殴ってくるか」

 

 

 そのまま千駄ヶ谷に向かう九郎であった。

 

 

 

 

 

 ********

 

 

 

 

 

 うどんを捏ねるのは前述した通り特別な技量は必要ない。

 なので急場で参加した忍び連中でも充分に手伝いは出来た。

 謝罪はひとまず受け入れられて皆で共同作業としてうどんを作っていれば、自分らがやろうとしていた行為も愚かに思える重作業である。

 薩摩人に危うく頚椎をやられかけたが何とか脱出した酒乱の右門と名乗った忍びも(名乗ってはいないが)、大川の中洲に取り残されて増水した川に流されかかった介三郎と名乗った忍びもどうにか生きており、うどんを捏ねていた。

 

 そして何より。

 その日は屋敷の女衆が結構な人数、うどん作りを手伝いにやってきており。

 大量に忍びらが捏ねたうどんを、また大勢で着物の裾をたくし上げて足を見せ、楽しそうに踏んで作業をしていたので。

 忍びの男たちと歌麿はその光景を目に焼き付け、

 

(今晩オカズにしよう)

 

 と、思いながらも手伝いに参加できたことを感謝するのであった。

 

 

 

 

 一方で千駄ヶ谷にて何度目かの忍びマスターと天狗の決戦が行われていたが、

 

「ぶぅわぁぁぁか野郎ぉぉい!! 普通に考えろ!! 店主のおっさんが腋で捏ねてるなんざ、信じる連中が阿呆すぎるだろうが!! 絶対誰も騙されねえと思った冗談で騙された馬鹿のことまで面倒見れるかよ!!」

「それもそうである」

 

 なんか納得する九郎であった。騙した甚八丸も悪いが、騙されたあの忍びらも──いや、土壇場で責任を甚八丸に押し付ける演技だったのだろうか。

 

汚い忍者の策略が疑われるが、どちらにしても暴れていた二人は甚八丸の嫁に捕まり正座で説教されたのであった。

 

 

 

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