異世界から帰ったら江戸なのである   作:左高例

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40話『関係性が変わった後の日常話/悪党退治火付盗賊改方手伝い』

 

 

 

 

「おはよー九郎。じゃなかった。旦那サマ」

「言いにくいのならば別に構わんのだが」

 

 朝。九郎が目を覚まして家人が朝餉の支度をしている気配に出ていくと、彼の妻となったお八が膳を用意しながら挨拶をした。台所の隣にある広間は皆で食事をする部屋として使われている。

 眠そうに欠伸をしながら、呼びかけが近頃変わったお八に九郎は告げた。実際近頃とみに眠いのだが、体力自体は一度寝ると十全なまでに回復するので生活に支障はない。

 お八が照れたように笑い、告げる。

 

「駄目だぜ。旦那を呼び捨てにするなんて嫁の風上にも置けねーですぜ」

「別に呼び名は宿六でも何でも良いのだがのう」

 

 同居している女衆から一人嫁に貰い、三人を妾にした後で普段九郎を呼び捨てにしていたお八と豊房は呼び名を改めざるを得なかった。

 咳払いをしてお八は言う。

 

「だーめ。子供ができたら教育に悪いだろ」

「お、おう」

「教育に悪いのは言葉遣いどころの話じゃないと思うのじゃが……はふー」

 

 目元を擦りながらスフィが出てきて、九郎と並んだ。台所ではお八とサツ子がてきぱきと要領よく料理を作っていて手伝いの必要は無さそうだ。

 そもそも下働きとしてやってきたサツ子と嫁として腕まくりして頑張るお八が居れば、他の者が家事をする負担は少なくなる。スフィとて敬虔な修道女として長年生活してきたので早起きに家事など熟達していて苦もないのだが、こうしてやってくれるとなると朝ゆっくり起きてくるようになるのも当然であった。

 だが九郎はスフィが眠そうにしているのをぎくりとして、火鉢の置かれている居間の隅に座りながら台所の様子をちらりと見て、隣にちょこんと座ったスフィに小声で聞いた。

 

「その……スフィ? ひょっとしてだが……夜に騒いでいて煩くて眠れないなどということがあるか?」

 

 夜に少々、屋敷の離れで宴会めいたことをしているのだが静かとは言い難いのが現状である。

 それでも屋敷との間に土倉を挟んで庭を跨いでいるので普通は音も届かないのだろうが、聴力に優れるスフィには騒音になっている可能性があった。なお種族的に優れているわけではなく、歌神司祭としての能力向上効果である。

 

「ん? ああ~……気にするでない。夫婦なのじゃからそういうことをするのは当たり前じゃろ」

 

 思ったよりもあっけらかんにスフィは苦笑しながら、それでもやや恥ずかしそうに言う。

 

「だいたい、私の耳が良いとはいえ四六時中音が大きく聞こえておるわけではない。耳をすませば小さな音も拾えるが、気にしないと決めれば聞こえなくもなるものじゃ。常になんでもかんでも聞こえていたら、演奏会なんぞに参加した時に煩くて大変じゃろ」

「そ、そういうものか。悪いのう。気を使わせて」

「なーに気にするでない。私はクローが幸せなら良いのじゃ。ふふ、こうして見守っておると、大事な小倅を婿に行かせた気分でのー」

「スフィには頭が上がらんのう」

 

 何十年と共に過ごし、命を互いに預けて戦いに挑むこともあった大親友だ。そうやって九郎の保護者として見てくれる者はスフィを置いて他には居ないだろう。

 そのような彼女だからこそ、臥所(ふしど)の物音を聞かれていたというのは母親に嫌らしい本を見つけられたが如き気まずさも感じたのだが。

 

(スフィが聞かんようにしてくれているなら気にせんで良いか。うむ)

 

 九郎は安心した様子で胸を撫で下ろした。毎晩の騒音になっているとすれば考えものであったからだ。

 それに納得した九郎は何故かスフィが最近眠そうにしている理由を気にすることを忘れてしまった。

 暫くするとぐったりと眠そうな豊房を小脇に抱えて、夕鶴が居間にやってきた。二人共髪が濡れていて、朝風呂に入ったばかりのようだ。というか豊房を朝風呂に入れるのが近頃の夕鶴の役目になりつつある。

 

「おはよーでありますご主人様! 今日もいい朝でありますな! ご飯を食べたらそろそろ若布(わかめ)が出回る季節なので自分は買い付けに行くでありますよ!」

「毎日元気だのう。おはようさん。豊房の方は……毎日怠そうだのう」

「ねむいの……でもお腹もすいたの……」

 

 対照的な様子で部屋に入って座り、朝餉を待つ。豊房の方は今にもうたた寝をしそうに頭を振っている。

 九郎と色々関係が変わってから不思議としっかり者の豊房と将翁はすっかり朝が弱くなった。不思議なのだから仕方がない。お八と夕鶴は元気な方で、お八は家事に精を出すようになり夕鶴はより張り切ってふりかけ売りをするようになっている。

 疲れている彼女になんと声を掛けたものか、九郎が微妙そうな顔で見る。何度も心配して、なんなら休みを設けたらどうかと提案したのだが何かと豊房は進んで励むので困ったものである。

 それぞれの膳に朝餉を載せてきたお八が豊房に言う。

 

「大丈夫かよ豊房ちゃんよ。無理するこたねえんだぜ」

「その言葉、お酒に関しても沢山言われた気がするわ。お酒みたいなものよね。飲んでる間は気持ちよくて楽しい気分なんだけど、次の日に残るの。そしてやめられないわけだわ」

 

 宿酔のように頭を押さえながら豊房は九郎を閉じかけた眼差しで見た。

 なんというか依存症のような扱いを受けていて九郎は苦笑いを浮かべ、手を叩いた。

 

「休肝日を作らねば体を壊すのもな。よし。じゃあ今日は全員休むか」

 

 その提案に、まあ仕方がないかと言う風に元気いっぱいなお八と夕鶴は顔を見合わせる。

 二人からしても妹分な豊房の体調を思えば、仲間はずれよりも全員我慢した方が良いだろう。

 だが豊房は歯ぎしりするようにして呻いた。

 

「う……それなら」

「?」

 

 豊房は気まずそうに目線を落として頼み込む。

 

「皆が休むならわたしだけでも相手をしてくれないかしら、あなた」

「中毒患者か!」

 

 アルコール依存症の者がボロボロの体を無視して酒を求めるように、体力の限界に挑戦する豊房に九郎はツッコミを入れた。

 十五歳の妾はすっかりドハマリしてしまっているようだ。

 あんまりにもアレならば、スフィの歌で体力を回復させつつ寝かしつけるのを頼もうかと九郎が考えていると、

 

「ごほん!!」

 

 大声で咳払いをしたのは、遅れてやってきた石燕だった。

 幼女は顔をしかめながら周囲を見回すと、朗々と告げる。

 

「君たち。朝から猥談をするとはなんと不健康なことかね! そういうのは夜に! 離れでやってくれたまえ!」

「お、おう。済まぬのう」

「まったく。私が建てた屋敷だというのに私を除け者にして……」

 

 ぶつぶつと文句を云う。屋敷で一番小さい彼女だが、実際のところこの屋敷の正当な持ち主とも言える。

 精神年齢は充分だというのに、体のせいで妾にもなれなかったことで僻んでいるのであった。

 

「まあまあ、ほらカリカリしねーで。朝飯にしましょうぜ……将翁姉は?」

「ああ……腹いっぱいだからもう暫く寝るとか言っておったぞ」

「ふーん」

 

 何故朝から腹いっぱいなのか。そしてそれを九郎が伝言しているのか。嫁と妾らは疑問に感じたが、あまり深く追求しないことにした。

 朝食の膳は炊きたての白飯に蕪の味噌汁。それに甘い卵焼きに出汁巻きを一本ずつ。鰆の干物を炙ったもの。菜の花のおひたしが出ていた。

 

「朝から豪華だのう。それに春らしい」

「あちこちからの祝儀が一年は食えそうなぐらい集まったからな。特に食べ物なんかはさっさと消費しないと痛むぜ」

 

 内々の秘密裏に、祝言も挙げず嫁入り妾取りしていた九郎であるがついこの前、知り合いに教えたことで一気に広まりを見せたらしい。

 [細長くて縛るアレ]とか[妖怪スケコマシ]とか[血と金と暴力に飢えた享保の怪物ヤクザ]とか散々な評判もある九郎だが、彼に助けられたり世話になったりしたものはただの町人から大店の主、結構な武家まで様々に存在する。

 見合いをさせた者。仕事を紹介した者。新商品を考えてやった者。新商売に手を貸した者。縁をとりなした者。暴漢から助けた者。謎を解決してやった者。命を救った者。名誉を守った者。成功を手にした者。説教され正道に戻った者。 

 次々にやってくる九郎と関わりあった人々に、スフィは苦笑して「お主も大概のお節介焼きじゃのー」と冷やかしたほどだ。中には真顔で大金を渡して熱心にサツ子の様子を聞いてくる薩摩関係者も居たが。

 ともあれ集まった食品などはお八が要領よく、干物にしたり漬物にしたりして保存を効かせ飯の伴になっていた。

 

「なにはともあれ頂くとしよう」

 

 九郎が箸を取ると他の皆も倣って食事を始めた。

 濃い目に味付けされた薄切りの蕪の味噌汁は、蕪が柔らかくて仄かに甘く優しい味がする。蕪に鰆に菜の花と、春づくしで色合いも華やいでいた。

 

「うむ。旨い旨い。よい嫁を貰ったものだ」

「えへへ。そう毎日褒めるなよ。照れるぜ。なあサツ子!」

「よか嫁子じゃ」

 

 特に朝食は近頃いつもお八とサツ子が作っているので、朝からよく働いていて感心する九郎である。

 結構な量を作るがとにかく朝は腹が減っている事が多いので助かる。これは別段、九郎らが運動会をしているからというわけではなく、そもそもこの時代では夕飯を食べる時間は名前の通り夕方の日がある時間帯が多いので、寝ているとはいえ十二時間程も食事を抜いているので朝は腹が減るのだ。

 一日二食の生活習慣を送っている者も多く、その場合は朝飯と夕飯になるので朝はとにかく一日の活力を出すために皆よく食べた。

 

「ふーん。どうせわたしは味付け辛めなの」

「どうせ自分はふりかけ定食であります」

「ふふふ私は包丁を握らせてくれないからね!」

「セミの抜け殻の季節はまだかのー」

「お主ら……」

「全員腕は悪くないんだから、ちゃんと手間と味付けをしっかりすればいいだけだぜ。あとスフィは食材を使おうな?」

「セミの抜け殻の何が悪いのかさっぱりわからにゅ……」

 

 真っ当な料理を作るお八とサツ子に比べられると微妙そうに云う他の女衆であった。ちなみに将翁は真っ当な料理側だ。出汁の味付けを見ている姿は料亭の女将のようだと九郎は思う。

 とはいえ、お八が主婦のような立場で他の者は仕事なり何なりあるので技術の違いは仕方がないのだが。

 疲れ気味の豊房も元々から大食いな六科の家で育っただけはあり、ぺろりと朝食を食べ終えた頃には眠そうではあるがやや元気を取り戻していた。腹ペコキャラのようだな、と九郎は思いつつも若さからだろうと納得した。

 食べ終えた膳を片付けつつお八が聞く。

 

「将翁姉の膳どうすっかな。部屋に持ってく?」

「ああいや、それより水でも用意してやれ。昼頃になれば勝手に起き上がるだろう」

 

 などと話していると、玄関から呼び声が聞こえてきた。特徴のあるだみ声だ。

 

「くーろうくーん! 殺(あそ)びま死(し)ょー!」

「影兵衛か……」

 

 穏やかな誘い文句の中に悪意のない殺気を無駄に込めまくっている知り合いは一人しか居ない。

 一瞬面倒くさそうにして、九郎は着物を正し玄関へ向かった。

 外行で一見浪人風の羊羹色に褪せた着流しと雪駄、腰に一刀と編笠を被っている同心が勝手に腰掛けて待っていた。相も変わらず、そうして市中探索の装いをしていると真っ当な侍には見えない。

 彼は九郎が来たのを見て軽く手を挙げた。

 

「いよう。本日はお日柄もよく、春らしい天気になって来ましたがいかがお過ごしでしょうか」

「いかがと言われてもな」

「今日は切り裂き春の犯(ぱん)祭りにお誘いに来たぜ! 悪党切り放題だ! ヒャッハー!」

「時候の挨拶から即座に妖しげな血祭りに誘うな!」

 

 影兵衛はゲラゲラと笑いながら九郎の背中を叩いて、肩を組む。

 にやりと笑いながら、如何にも楽しげに彼は告げてきた。

 

「久しぶりにちょいとデカイ事件の臭いがするからよ。一緒に悪党どもを蹴散らそうぜ。最近溜まってんだろぉ~? 九郎ちゃんよーう」

「何が溜まるのだ、何が」

「殺欲」

「物欲みたいに云うな! 溜まるかそんなもん!」

「ま、スカッと悪党どもをぶっ殺せば江戸もその分平和になって、嫁さんらも安全も増すってもんだ。行こうぜ」

「まったく……仕方ない。準備をしてくるから待っておれ。サツ子、こやつに茶でも出しておいてくれ」

「よか。阿久根の新茶があっど」

 

 九郎はひとまず装備を持ってくる為に部屋に戻った。寝ている将翁を起こさないようにさっさと着物と術符、刀を持ち出して着用しながら玄関に戻る。

 サツ子が淹れた茶を熱そうに影兵衛は啜って待っていた。

 

(それにしてもなんというか、この時代の茶って新茶でも茶色だよな。味ももうちょい良くならんもんだろうか)

 

 などと思う。緑茶というか、茶という感じのものだと九郎は感じる。基本的に出回っているものは、摘んだ茶葉を天日で乾燥させて作られる。摘んだ後にもみほぐし、蒸してから乾煎りすることで味と見栄えが良くなるのは少し先のことだ。

 ぐっと茶を飲み干して影兵衛は立ち上がる。盆を持ったサツ子に湯呑みを返して、

 

「よっし、それじゃ九郎行くべ。あーそうだ。ひょっとしたら明日まで帰ってこねえかも……いや曖昧より断言した方がいいな。明日まで九郎借りるからよろしく候」

「ふむ。ではサツ子や、皆に伝えておいておくれ」

「わかいもした」

 

 同時に、不満そうな声を出しながらよたよたと豊房が奥の間から顔を出した。朝風呂の清涼感と満腹感が相まって眠気が相当襲ってきている表情だ。

 

「えー……あなた、泊まりで行っちゃうの?」

「う、うむ。まあのう。心配するな」

「そうだぜお嬢ちゃん。九郎と拙者がヤバイ現場なんて、それこそ江戸中が火の海で殺人鬼が跋扈しまくるとか……いや、それでも危機感ねえな。勝てるだろ絶対」

「嫌な予想を立てるでない。本当になったらどうする」

 

 むしろ被害は甚大だろうが、変態武芸者のやたら多い江戸ならば九郎が居なくともそのうち鎮圧できそうだと想像した。

 立ってはいるがウトウトと眠そうにしている豊房が九郎に近づいてくる。小さい頃から彼女を見ているから、眠そうにしている姿はまだ幼い頃を思い出させた。

 

「じゃーあ、行ってきますの、抱っこ」

「……はいはい」

 

 石燕が死に、九郎が居なくなってから一人前の絵師として弟子も育て精一杯過ごしてきた豊房であるが。

 この娘は気を張ることを止めたら、年相応というか昔ながらに甘えてくることが近頃判明した。意識がしっかりした時に甘えたことを思い出して一人で身悶えするのだったが。

 ひしっと抱きついてきた豊房を抱き上げて軽く揺さぶってやる。気持ちよさそうに彼女はふにゃふにゃと呟いて、こてんと寝こけた。

 影兵衛が「うげっ」と嫌な顔をして先に玄関から外に飛び出ていく。

 寝息を立て始めた豊房を床に置き、

 

「サツ子や。ひとまず夕鶴でも呼んできて運んで貰ってくれ」

 

 と、頼んだ。同じぐらいの年頃なサツ子では運ぶのも大変だろう。

 だが純心な薩摩娘であるサツ子は朝っぱらから目の前でべたべたとしていたのを見て、顔を赤くしてもじもじとしており、九郎の言葉が聞こえていないようだった。

 

「サツ子?」

「あっ」

 

 再度の呼びかけではっとしたように気づき、不意に九郎に手が伸びたサツ子は慌てて引っ込めた。

 その様子を見た九郎は頭をがりがりと掻く。この薩摩娘も、親元から奉公に出て周りには男の振りをしたりして過ごし、家族との触れ合いに飢えているのでどこか羨ましそうに見ていたのだろう。

 そうに違いない。九郎はそう判断した。

 

「……お主も抱っこしてやろうか?」

 

 目を合わせないようにして頷いて。

 がちがちに緊張して九郎に抱き上げられ揺さぶられるサツ子は、耳まで真っ赤になっていたという。

 

 

 

 *******

 

 

 

 

「ったく。朝っぱらからいちゃつきやがって」

「お主も大概だからな。手下が迷惑しておるぞ」

 

 影兵衛の呆れが混じった愚痴を聞きながら二人は町を歩いて行く。

 朝食にも春らしさが現れていたが近頃はすっかり暖かくなっている。厳寒の冬を越えて江戸の町でも閉じこもっていた分を取り戻すように活気が生まれ出していた。道を往く人達もどこか表情が明るく、汁粉売りの屋台なども朝から繁盛しているようだった。

 

「ところで何祭りか知らんが、何ぞ事件の垂れ込みでもあったのかえ?」

「おうよ。この前も言ったが、関西で名の知れた大悪党『ヒモ切り仁左衛門』が江戸にやってきたらしいだろ?」

「ああ……薩摩人かもしれんとは情報提供したのう」

 

 鹿屋からの話で、その仁左衛門が薩摩では『ひえもん取り仁左衛門』と呼ばれた驚くべき乱暴者であるかもしれないというのは一応利悟と影兵衛に伝えてある。

 ひえもん取りという、裸の罪人と武装した薩摩武士を勝負させる処刑法にて相手の武士を撲殺して逃げ延びたというのは常人ではない。太平の世に慣れた末成(うらな)り侍ではなく、誰が一番に罪人の臓物をえぐり取るかで勝負をしている殺す気満々の鍛錬している武士を裸で倒すなど、ほぼ不可能だ。それをやりきり、薩摩藩からも逃げ延びた男が容疑者である。 

 薩摩藩の浪人など江戸には殆ど居ないので、それが探し出すヒントになるだろう。

 

「で、だ。そいつを探して江戸では警戒態勢にあるわけだが……この警戒態勢の中、逆に関東八州の悪党共が江戸で悪事を働いてやろうと集まって来ているらしい」

「む? どうしてまた、お上の目が光っている中でわざわざ」

「つーのもだ。名の知れた悪党が江戸に居るってことは、手前らが盗(つと)めを働いてもそいつに罪をおっ被せて、見当違いの捜査をしてくれるかもしれねえって思うわけよ。便乗犯ってやつだな」

「危険が高いのに迷惑なことだ」

 

 影兵衛は指を立てて解説をする。

 

「一つのでけえ事件の影には十の小せえ事件があって、十の小せえ事件の周りには百の悪人が居るもんだ。押し込み強盗皆でやれば怖くねえ。同時多発すれば捜査の手が足りなくなるからな」

「厄介だのう」

「で、火付盗賊改方でもあっちこっちに密偵をバラけさせてな。情報を集めてさせてたわけよ」

 

 影兵衛が説明するに、火付盗賊改方で非公式に雇っている密偵は、これまでに捕らえた盗賊一味に所属している中で死罪や遠島と引き換えに、仲間を密告したりして今後ずっと火付盗賊改方の為に働くことを誓わせたものを使っている。

 当然ながら十手などは与えられないし仕事の報酬も無い。何かしら、堅気の仕事に就かせて必要な時に協力させるのである。

 そうして他の盗賊を見つけたりすれば素知らぬ顔で近づいて、自分も何処其処の盗賊の一味だったが壊滅したのでお前を手伝うだのと云って盗みの計画を聞き出し、火付盗賊改方に知らせるのであった。

 

「そこで拙者の手下が二人、『倉破りの権三郎』とか云う盗賊頭に取り入った」

「『倉破り』?」

「名前の通り、倉のある屋敷や商家を襲っては倉から金目のものを掻っ払っていく。一人でやりゃあ怪盗小僧だが、集団で襲って殺しもするからまあ何処にでも居る碌でもねえ盗賊団だな。で、そいつらが人を集めてるらしくて二人が別々に仲間に入ったんだが」

 

 影兵衛は軽く首を振って云う。

 

「そのうち一人は幕府の狗じゃねえかと疑われてぶっ殺された。やたら腕の良い助っ人が居るらしい。もう一人が戦々恐々と潜入していて、どうにか襲撃の日程を知らせてきた」

「何処だ?」

「巣鴨にある金貸しの屋敷でな、千両箱があるらしい。評判の悪い業突く張りの金貸しで後ろ黒い噂もある。そこに今晩来るから迎撃するぜ」

「いきなりだのう。火付盗賊改方の出方は?」

「巣鴨なんて田舎だからな。下手に道端で盗賊団と出くわしたら逃げられるかもしれねえだろ。まずは盗賊団を屋敷に引き込んでから隠れてた同心与力で屋敷を包囲する作戦だ。で、拙者と九郎は屋敷の中で片っ端から盗賊を斬り殺す」

「仕掛けが完全に罠に嵌めるようだのう……」

 

 その罠の殺傷力として扱われるのが自分と影兵衛というのが何とも云えない。

 火付盗賊改方でも最も暴力装置で信頼されているのが影兵衛であり、そのストッパーが九郎なのは彼らの共通認識のようだ。

 

「長官の命令書も用意してるから、これからその金貸しの屋敷に賊共が襲撃してくるまで詰めることになる。ま、少なくとも夜まではだらけていられるだろ」

「そうか……待つ間を持たせるように酒でも持っていくかえ?」

「昼酒飲んで人が斬れるんだからいい仕事だぜ。ゲヒヒ、九郎の夜の話でも肴にするか」

「品がないのう」

 

 にたにたと笑いながら影兵衛は云う。

 

「ま、拙者に感謝してもいいんだぜ? 毎晩お勤めでお疲れだろ」

「そうだのう。豊房や将翁は休ませんと」

「……手前じゃなくて女の方が音を上げてるの?」

 

 そのようなことを言いながら、二人は巣鴨へと向かった。

 

 

 

 

 *********

 

  

 

 

 

 巣鴨、善徳寺近くにある金貸しの屋敷は大百姓かちょっとした武家屋敷程もある、門まで作られた大きな建物であった。

 道すがら、これまでに調べた金貸しの情報を影兵衛から九郎は聞いていた。

 高利貸しを武士町人相手にやっており、滞納したものには刀や嫁娘まで利息で持っていき売り捌き、それでいて元金の返済に来た客には居留守を使い受け取らず利息をふくらませるという阿漕な商売をしているようだ。

 屋敷には金利を回収する強面の取り立て人を六、七人も住まわせていて、小日向町に別宅を持ちそこに女を住まわせて通っているらしい。

 その女もただの妾ではなく、借金のかたに奪った女を手篭めにした挙句、そのうち別の女に変わっていて前の女はどうなったかわからぬという。

 いっそ盗賊に襲われれば世のためになりそうな悪徳商人だが、盗賊とて野放しにはできない。

 

「つーわけで、この屋敷は悪党に狙われていて今晩にでも襲ってくるかもしれねえから拙者らが中で待機する手はずになってる。いいな?」

 

 屋敷に正面から踏み入り、声を荒げて止めてきた取り立て人を容易く殴り倒してから、影兵衛は高利貸しの庄次郎に長官の命令書を見せてそう用件を告げた。

 庄次郎は顔を真っ青にして命令書と影兵衛へ視線を行き来させている。心なしか震えていて、目がきょろきょろと落ち着き無い。

 何事かと出てきた取り立て人らも主人のその様子に、やってきた火付盗賊改方の同心と手下を遠巻きに見ていた。

 

「下手に騒いで盗賊らに知られるような真似すんなよ。屋敷に招き入れるまでが仕事なんだからよ」

「ま、ま、ま、守ってくださるのですね!? お役人様、わ、わたしを。屋敷の金を!」

 

 頬が垂れるほどに肥えた庄次郎は、じっとりと濡れている手で影兵衛の腕を握って頼み込んできた。

 嫌悪感も露わにした影兵衛が容易く振り払いながら喉を鳴らして威嚇するようにだみ声で云う。

 

「あ゛? 知らねえよ。なんで拙者が手前を守るんだ舐めんなハゲ」

「ええええ!? ま、守ってくださる為にここに来たのでは……?」

「勘違いすんな。拙者の仕事は盗賊の壊滅だ。そこに手前らの命や財産なんか勘定に入ってるわけねえだろ馬鹿か。まだ女子供ならわかるが男なら手前の命ぐらい手前で守れ。出来ねえなら屋敷から失せてろ邪魔だ」

「お主……初対面から凄い喧嘩腰だのう」

 

 九郎が凄まじく突き放すように云う影兵衛にそう云った。

 その時、最初に影兵衛に殴り倒されて僅かに気を失っていた無頼が起き上がり、周囲を見回せて九郎と影兵衛の姿を認めてカッと熱くなり、短刀を抜いて短慮に突進してきた。

 

「ひっ」

 

 と、悲鳴を上げたのは庄次郎だ。少なくとも彼の部下である取り立て人が、屋敷にやってきた火付盗賊改方の同心に喧嘩を売ったり刃物で突きかかろうとしているのだ。

 火付盗賊改方といえば軍人も同然の武官である。様々な訴訟を取り扱う町奉行所とは違い、彼らの扱うのは放火犯と盗賊。当然、対応も沙汰も荒っぽく厳しい。

 だが影兵衛が鯉口を切るよりも先に、九郎が一歩無頼へ踏み込んで短刀を摘み取り、胸ぐらを掴み上げていた。

 

「血の気が多いのう」

「まったくだ。手下の教育どうなってんだ?」

「お主の方だお主の。己れが止めなかったら抜き打ちで殺しておっただろうに。しかも刀の振る範囲に己れがおるのに」

「こんなことで九郎は死なないって、拙者信じてる!」

「白々しい」

 

 適当に言い合って、持ち上げていた取り立て人を適当に放り投げた。

 床に尻もちを付くが、誰もがその火付盗賊改方から来た二人組の慣れた暴力具合に息を呑む。

 

「そうだ。一応倉の場所とか確認させて貰うぜ。悪党共はそこを狙うだろうからな」

 

 影兵衛の指示に、はっとして庄次郎は立ち上がり、不安そうにしながら九郎と影兵衛を庭へ案内した。

 屋敷の裏手には土蔵が建てられている。見た目よりも小ぶりなのは、中に穴蔵を掘っていて地下に財産を保管できるようにしているからだろう。穴蔵は大規模な工事が必要で土蔵より余程金が掛かるが、その分火事の際には安全性が高い。

 土蔵の扉には分厚く頑丈そうな鉄製の錠前が付けられていて塞がれている。

 

「あ、あれが当家の財産が収められた倉になります。あの通り、江戸でも名人と呼ばれた錠前職人に作らせた錠に守られておりまして……」

「影兵衛。その盗賊『倉破り』とやらはどうやって倉を破るのだ?」

「まあ色々だな。屋敷の主人を拷問して鍵の在り処を吐かせたり」

「ひいいい!」

 

 物騒な言葉を聞いて震える。ふと、九郎はその倉と並んでいる木製の小屋へと目をやった。高いところに窓が付いているだけの質素な作りである。

 

「あっちの建物は?」

「あ、あれは……倉庫でして……おい! 倉庫の錠前を開けっ放しだぞ! 誰か閉めてこい!」 

 

 大声で取り立て人に告げると、顔色を悪くした彼らも慌てて錠前を取ってきて倉庫の入り口を塞いだ。

 

(つまりは普段閉めておらぬ場所なのか?)

 

 どうもきな臭さが鼻を突く。

 

「そ、それではおふた方! こちらの客間にどうぞ……」

 

 慌てるように庄次郎が九郎と影兵衛を屋敷の一室へと案内していった。狭い部屋だ。それに取り立て人の一人が部屋の前に立っているようで、遠くで何やら厳しく指示をするような物音が聞こえた。

 暫らくすると庄次郎がやってきて、

 

「わ、わたしは、倉の鍵を持って屋敷を離れておりますので何卒、盗賊の捕縛をお願い致します」

 

 開けられぬように鍵を持ち出し、愛人のところにでも行くのだろうか。まあここに残っていたところで邪魔になるだけではあるのだが。

 

「屋敷には使用人らを残していきますので、何かございましたら命じてください」

「連れてかねえの?」

「そ、それは……その、微力ですが倉を守る力になればと……」

「ふうん。まあいいわ。じゃあな」

 

 影兵衛が興味無さそうに手を振ると、脂汗を浮かべた庄次郎は足早に部屋を去っていった。やはり部屋の前には取り立て人が監視するように立っている。

 九郎が影兵衛に小声で囁く。

 

「どう見ても怪しいだろう、あれは。取り立て人共を残しているのはこちらの動きを見張る為ではないか?」

「まったくだ。それにいきなりドスで突っかかって来た感じ。奴さんども人を殺し慣れてるぜ。阿漕な商売どころか真っ黒っぽい」

「どうする?」

「ここで騒ぎを起こして倉破りのが予定変更なんぞしたら、死んだ拙者の手下も浮かばれねえ。適当に証拠だけは掴んで後から別件逮捕できるようにしとくか」

 

 その為にまず、

 

「酒でも飲んで油断させようぜ」

「そうだのう。そうしよう」

 

 二人は昼前だというのに、酒を酌み交わし始めるのであった。

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 その屋敷で借金の取り立て人をしていたのは基本的に無頼のチンピラ。

 決して使命を帯びた侍でも無ければ、訓練を受けた兵士でもなんでもない。

 強面の振る舞いと弱者に振るう暴力を持つだけの、ただの男達であった。

 

 そんな彼らが見張っている二人は昼酒を始めて歌留多(かるた)札で金を賭け賭博まで始めた挙句に、

 

「手前らも参加しろよ」

 

 と、上機嫌に勧められたのだから見張りなど放り出して、主人が居ないことを良いことに──同心の旦那が責任を取るなどと調子の良いことを云うので──広間で酒盛りと札賭博で盛り上がりだすのは、夕刻になるよりも早かった。

 気分が良くなった取り立て人共は、屋敷にある上酒を勝手に振る舞い出す。

 

「気にすんな! やってきた盗賊共が飲み散らかして行きましたって云えばいんだよ!」

「お主発想が悪どいよなあ……」

 

 無礼講の様相を見せて、今晩襲撃が来るという件で同心がやってきたのに油断も油断。

 夜五ツ頃にはもはや誰が主催かもわからぬまでに酒宴で盛り上がっていたのである。 

  

 そこを、九郎と影兵衛はそっと抜け出して裏の倉へと向かった。

 

「ちょいと調査してみようぜ」

「うむ。そっちの木造の方が怪しい」

 

 二人して迷いなく木造の倉庫の前に来た。ここにも鉄製の錠前が付いている。

 その錠前を見ながら二人して顎に手を当てて考え込む。

 

「……」

「……」

「なんだろうな、このどうとでも出来る感」

「ああ。お主がぶった切っても良いし、己れが蹴破っても良い。なんなら氷で鍵を作っても、火で溶かしても行けそうだ」

「特に九郎手前、何処にでも盗みに入って成功しそうだな。江戸で犯人不明の怪盗が出たらちょっと事情聴取な」

「冤罪だ」

 

 その扉を閉ざす錠前は二人にしてみればとても倉を守る役割を果たせるとは思えないものであった。

 勿論、鉄を切れたり術を使ったりという非常識なことが可能な二人だからだが。

 とりあえず音を立てないように、九郎が鍵穴に頑丈な気泡が無く極低温の氷を作って突っ込み、形を合わせて捻ると見事に外れた。

 中に入ると、二人して顔を顰める臭いがする。

 

「こいつは……」

「死体の臭いだのう」

 

 炎熱符を取り出し、中が見えるように術符の先に火を燈すと倉庫といった建物の中は牢のようになっており、奥に変色したボロ布を纏った女の死骸が放置され異臭を放っていた。

 お互いに闇社会でありそうなことを知っている九郎と影兵衛は顔を見合わせて言い合う。

 

「借金のかたに引っ張って来られた女の末路か」

「庄次郎は別宅にそういう女を住まわせていて、時折別の女になっていたと云っていただろう。新しい女を手に入れたら古い方はこっちに連れてきて、ごろつき共の慰み者にさせていたのではないか」

 

 死臭に混じって、饐えるような男臭さが倉庫には染み付いていた。

 死ねば後は巣鴨の山中にでも裸で打ち捨てれば、獣や虫が二日と経たずに食い荒らすだろう。

 九郎達が来る間が悪く、捨てようと倉庫を開けていたときだったのかもしれない。

 

「胸糞悪ィ」

「まったくだ……ん?」

 

 背後に気配がした。振り向くと同時に、倉庫の扉が強く閉められて閂が掛けられる音がした。

 同時に、ぱちぱちと油が弾ける音がする。焦げ臭い鰯油の焼ける臭い。どうやら、気づいたごろつき達が予め命じられていたのか倉庫に閉じ込めて油を撒き火を付けたようだ。

 嘲るような笑い声が外から響く。

 

「ふーむ、屋敷から離れてたとはいえ自分の庭で放火するたあ大胆だな」

「大方これも盗賊がやったとでも云うのではないか? 己れだったら、倉庫に忍び込んだ誰かを二人が確かめに行ったら燃えていたとか証言をする。丁度死体もあるしのう」

「しかし、火柱でも上がってるのが見えたら本命の盗賊が来るどころじゃねえな。九郎、出番だ」

「わかった」

 

 九郎は氷結符を発動させる。急速に冷やされた倉庫の壁と油が、発火温度を下回り火は行き場を無くして一瞬で消火された。

 どよめきが囲んでいた取り立て人らに広がると同時に、正面の扉が閂ごと七分割されて崩れ落ちた。

 がら、がら、と地面に転がる扉だった破片を踏んで、中から白刃を持った凶相の男が犬歯をむき出しに笑みを浮かべながら出てくる。

 

「火付盗賊改方同心の目の前で、放火して焼き殺そうとしたの──だーれだ?」

 

 ぞ、と取り立て人らの背筋に寒気が走った。酔いなど一気に冷めてしまった。奥歯を震わせて鳴らすもの、本能的に感じ取った死の恐怖から目に涙が浮かぶものまで現れる。

 逃げたい。逃げられるのか。逃げよう。そういう決死の逃走に彼らが賭ける前に、影兵衛は甘い罠を仕掛ける。

 

「よし! こうしよう。事情聴取の必要があるから、最初に降参した奴だけ素直に証言すれば死罪にはしねえ。他は死刑。さあ、早い者勝ちだぜ? 名乗り出ろ」

 

 逃げようと後ずさりしていた彼らの足が止まり、逡巡する。

 一人が口を半開きにして、縋るように前に出た。

 

「本当に──」

「残念、嘘でしたー」

 

 影兵衛が進み出た者の上半身と下半身を分離させると同時に、最も遠くに離れていた取り立て人が拳で脇腹を抉られ血反吐を吐いて昏倒した。

 呼び止めている間に姿を消した九郎を取り立て人共の背後に回らせ、挟み撃ちで襲撃したのである。

 謀れたことに気づいた取り立て人らは短刀を抜き放ち、破れかぶれに反撃に出た。

 九郎に向かって腰だめに構えて突き刺しに来た者は、刃を拳で砕かれて体勢を崩したところを抜き放ったどうたぬきの柄で側頭部をしたたかに打ち付けられて意識を刈り取られる。

 どこから持ち出したか長い梯子で九郎を突き飛ばそうとした者には、梯子を受け止めてお互いの動きが止まった瞬間に刀を投げつけると相手の膝を抵抗もなく貫き、悲鳴を上げて梯子を手放したところで近づいて刀を抜き取りつつ蹴りを鳩尾にいれて悶絶させた。

 影兵衛の方へ向かった取り立て人共は悲惨の一言だ。一時期は九郎の助言で殺さないように手加減していたのだが、今は下手に悪党を生かしたまま恨みを買う危険性を考慮して確殺している。

 暗闇だというのに相手が投げつけた石礫を、見もせずに受け止めて投げ返し頭蓋骨を陥没させるのはまるで人間離れしているようだ。

 

「な、なんだ!? 何が起きている!?」

 

 柿色の地味な装束に身を包んだ集団が、庭で起きている乱闘を目撃して困惑の声を上げた。

 どうやら宴会騒ぎが終わったらしいと目算を付けて早々と屋敷にやってきた『倉破り』一行のようだ。それに続いて、屋敷を囲む塀の上に次々に[火盗]の提灯が灯された。盗賊らが入ったのを見て、塀から逃げないようにあちこちに登って提灯を照らした火付盗賊改方の捕物に来た面々である。

 影兵衛が代表して名乗りを上げる。

 

「火付盗賊改方であーる! 神妙にお縄に付かねえなら死にな! 倉破りのとっつぁんよう!」

「おい影兵衛。お主の手下混じってるの忘れるなよ」

 

 罠だと知らされて倉破りの権三郎はこれまでと思ったのか、もはや指示も無駄口も叩かずに即座に逃走へと走った。

 元々この権三郎という男、木場の角乗りをしていただけあって足腰が強い。こうなれば自前の跳躍力で塀を越えて逃げる他はない。提灯の少ない塀を目掛けて一直線に向かう。

 

「そっちに権三郎が向かったぞ!」

 

 という叫びが上がり、火盗改メの集中も逃げようとする頭領へと向かう。

 

「九郎はあいつを追いかけろ!」

「お主は?」

「今叫んで逃げようとした奴を止める」

 

 迷わず云って、権三郎とは反対方向に走っていく者を影兵衛は追いかけた。さっきの叫びは火付盗賊改方の誰かではなく、敵の中から聞こえた。

 九郎は頷き、一歩目から最大速度に至る蹴り足で大地を踏みつけて高速で権三郎へと向かう。如何に並の鍛え方をしていようとも、九郎の走力に追われれば忍者か余程の武芸者しか逃げ切れまい。

 追いかけてくる九郎を走りながら振り返り、追いつかれると思ったのか権三郎は不意に急制動を掛けて低姿勢から九郎に体当たりを仕掛けた。

 追う者は通常、すぐ眼前に居る相手が突然立ち止まりあまつさえこちらにぶつかってくれば大きな衝撃を受けて激突する。相手の姿勢が低ければ勢いでつんのめり、顔面から転ぶこともあるだろう。

 だが九郎は並の力ではない。蹴り足の衝撃を軸足で大地に流す一体の流れを作りつつ、急に立ち止まってこちらに突っ込んできた権三郎を容赦なく蹴り飛ばした。

 

「げはっ──!!」

 

 自分より体重が重いものを殴ったり蹴ったりするコツは、反作用に耐える為に地面に全ての衝撃を伝えることだ。足にその分の負担は掛かるが、理論上地球より軽いものならば弾き飛ばせる。そして権三郎は九郎の速度と脚力と自分から突っ込んでいった分が相まって、空高くに蹴り上げられた。

 

「む。あれは落ちたら死ぬな」

 

 九郎はそう判断し、面倒なことになる前に落下地点へ移動して落ちる瞬間に多少衝撃を和らげて受け止めてやった。いろんな骨がびしびしと砕ける音がしたが。

 少なくとも行動不能になったようで白目を剥いている。九郎はこの場は火付盗賊改方に任せて、影兵衛の方へと向かった。

 

 

 

 

 ******

 

 

 

 相手は使い手であった。手下からの報告にあった、滅法腕の立つ男とはこいつのことだろうと影兵衛は思う。

 庭を離れて屋敷内に入ると男は振り返り、腰に帯びた刀を抜き放って影兵衛と対峙する。

 その顔には裏付けされた確かな自信と、相手を侮らない厳しい目がある。

 

「生憎と、ここはおさらばさせて貰いたいものだが」

「ほう。安心しな。すぐに人生からおさらばさせてやるよ」

 

 八相の構えにした相手に対して影兵衛は下段で様子を見る。その影兵衛の剣を見て相手は僅かに緊張をしたようだ。

 敵の右膝に切っ先を向けている下段は一見攻撃性は低く見えるがそうではない。

 僅かでも手を相手に伸ばしたら、真下から切り上げるというあまり使われない、避けにくい軌道で攻撃を当てるのが達人の使う下段の嫌らしさだ。

 

「名を聞いておこうか……」

「火付盗賊改方同心、中山影兵衛」

「浪人、皿場伝次(さらばでんじ)──とでも名乗っておこう」

 

 伝次の刀が閃く。八相から刹那の間に刀を担ぐようにして、不意打ちめいた片手で上段右袈裟斬りを放った。

 鋭い動きだ。無駄が殆ど無く、首ではなく相手の腕を切り落とす低い一撃は避けにくい。致命傷にはならないが、腕を斬られれば負けが決まるだろう。

 だがその刀がすっぽ抜けて飛んでいく。握っている手首ごと、影兵衛が切り上げた刀が切断していた。その剣速は恐るべきもので、あたかも刀ではなく手に持った箸かなにかを振ったように軽々として力まずに真っ直ぐであった。

 影兵衛の腕前が勝った。

 伝次の決断はすぐだ。手首が切り落とされるより前に決まっていた行動に出る。

 

「おさらば!」

 

 叫んで左手に握っていた、灰に明礬などを混ぜた粉薬を撒き散らした。風があり開けた屋外では限定されるが、室内では大いに効果のある目潰しである。

 咄嗟に毒を警戒して後ろに跳ね下がった影兵衛を尻目に、伝次は手首を失っても逃走する。

 

「根性は認めるが……こちとら小柄があんだよォ!!」

 

 影兵衛が取り出すと同時に早撃ちの如く放ったのは小さな手入れ用の刃物、小柄。

 一直線に二人の距離を詰めた小柄は、狙いを逸らすこと無く延髄に突き刺さって皿場伝次を絶命させる。

 

「屋内に入って狙いやすくなったのは手前だけじゃねえってこった」

「終わったのか」

 

 追いかけてきた九郎が尋ねると、影兵衛は何事も無かったかのように刀を拭って鞘に収めた。

 

「おうよ。九郎、外は?」

「もうあらかた逮捕されておるみたいだ」

「そうか。やれやれだ。あと外に逃げた、ここの屋敷の主人も獄門に送り込めば一件落着だな」

 

 

 

 

 ********

 

 

 

 

 盗賊一味を捕縛し終えた後に、倉庫にある死体や生き残っている取り立て人らの証言もあって高利貸し、庄次郎は捕まり死罪となった。

 九郎と影兵衛の思った通り、借金の形に手に入れた娘を手篭めにしていたのみならず、何人も死なせていたことが判明したのである。

 ことの顛末を語りに来た影兵衛はどこか後味が悪そうに告げた。

 

「で、拙者が始末した皿場伝次……生き残った倉破り一味曰く、ヒモ切り仁左衛門と一緒に西から来た奴だったらしくてな」

「なんと」

「折角ヒモ切りの手がかりだったのに殺しちまったからなあ……」

「まあ……逃げられるよりマシだと思わねばな」

「しかし九郎、聞いてくれよ。あの気色悪ィ金貸し親父、身売りで攫ってきた女に相当ひでえことをしてたみたいだぜ」

「ふむ。とんでもない悪党だのう。どのようなことを?」

「例えば縄で縛って辱めてみたりとかとんでもねえな。うちの拷問かよってんだ」

「……」

「九郎?」

「……と、とんでもない、のう」

「おい手前まさかそういうことやってるんじゃ──」

 

 影兵衛の根も葉もない追及を、九郎はひたすら目を逸らして受け流すのであった……

 

 

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