異世界から帰ったら江戸なのである   作:左高例

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47話『歌舞伎座の幽霊の話』

 

 

 歌舞伎の舞台に幽霊が出るようなので調べて欲しい、という依頼を持ってきたのは歌麿からだった。

 

 その日の屋敷はがらんとしていて、歌麿が訪ねると気怠げに九郎と石燕が手を繋いで昼寝をしていたところである。

 豊房とお八、サツ子はむじな亭の手伝いに、将翁は薬売りに、夕鶴とスフィはふりかけの売り歩きに出ていた。スフィが即興で歌いながら売り歩くと非常によく売れる上におひねりまで貰える。

 歌麿が屋敷にあがって、手を繋いでいる様子を即座に紙にスケッチして、繋いだ手の絵を持ちながら歌麿は背中を向けた。

 

「大変マロー! 兄さんがやけにすけべな手の繋ぎ方をして幼女と寝ているマロー! ふがっ」

 

 走り出そうとしたら後頭部に硬い枕が当たって歌麿はうつ伏せに倒れる。

 起き出した九郎が目をこすりながら不機嫌に告げる。

 

「やかましい。いきなり入ってきて勝手に変なのを広めようとするな」

「皆忙しそうなのにだらだらしてるからつい……だいたい、なんで兄さんはわざわざ小さくなってるマロ」

「……こう、石燕並に小さい方が怠ける大義名分にのう」

「なってないマロ。というか手を繋いでいちゃついて寝ていたマロ」

「ど、童心に帰っていたのだよ! いいではないか手ぐらい繋いでも!」

「兄さん百歳で石燕ちゃん三十歳ぐらいでしょうに……実年齢」

 

 鼻を鳴らしながら、6歳ほどの少年になっていた九郎の頭をもしゃもしゃと撫で回す。

 石燕と二人で過ごすときは彼女と同じぐらいの背丈で居たほうが会話もしやすく面倒がないのだ。

 しゅるしゅると九郎が十五、六ぐらいの容姿に戻りながら聞いた。

 

「それで、なんの用だったか?」

「実は……」

 

 と、歌麿が話し始めた。

 彼は主に吉原の脱法版元にて美人画などを主に筆を取っているのだが、近頃は役者絵もよく描くようになっていた。

 よく仕事を持ちかける靂に歌舞伎や芝居の内容を文で書かせ、歌麿が挿絵をつけるというものである。

 これならば実際に芝居を見に行くことができない吉原の女たちにも雰囲気を味わうことができるのでよく売れた。

 

 そして絵を描くために歌麿も芝居や歌舞伎などを近頃よく見に行っている。

 一番安い立ち見席ならば一幕16文で通えるので庶民はそれか、土間に座る席を購入して見物する。

 

「ちなみに個人的には土間の方が130文とかなり高いのに、そこに座ってるとギュウギュウ詰めで漬物になってる感覚が味わえるマロ」

 

 上から漬物石を載せたらどうだろうか、という冗談も言われていたぐらい混んでいたといわれている。

 それでも立って一日中見続けるのもしんどいという者も当然ながら多く、土間でいいからと座っていたようだ。なお、当時の芝居小屋は喫煙可であり煙草を吸うためにも座る席を選ぶ客が多かった。

 

「そうか……己れが行くときは枡席やに座ってたがのう。値段幾らだっけか」

「そっちは銀35匁(約2330文)ぐらいするからとても庶民には手が出ないのだよ。まあ、九郎くんは私が支払っていたから知らないだろうが」

「……今度は己れの金で行こうな」

 

 なお九郎の名誉を守るために言えば、決して石燕に完全奢りをさせていたわけではない。むしろ手持ちの金の多くを石燕に預けていたので共有財産といえるようなものから支払われていたに違いない。

 主人公は自分にそう言い聞かせて納得させた。何も問題はない。

 ともあれ歌麿は堺町に通い、役者絵などを描くために熱心に見ていたら声がかけられたらしい。

 

「どうも兄さんの噂を知っていたみたいで、ほら昔にちょっとだけ木挽町での頼み事で関わったことがあったでしょ」

「ええと……ああ、芝居の幕間に商品の宣伝を入れることでスポンサーからの利益を得るという方法を試したのだったか。木挽町の芝居小屋がどうも近頃寂れ気味だったからテコ入れで」

「あの松本幸四郎に『別格!』って言わせてお茶とか売らせていたやつだね。案外売れたけど、まあ簡単な改革なので他も真似をし始めたのだがね」

 

 もう五年程も前になることを思い出して告げる。

 

「その松本幸四郎さんの幽霊が出るって、養子でお弟子さんの松本七蔵さんが依頼してきたマロ」

「ほう。松本幸四郎は亡くなったのか……」

「少し前にね。最近の歌舞伎は花道でも演技をすることが流行っていて、薄暗い中でそれをしていたら転落したのが原因で亡くなったみたいマロ」

「熟練だからこそ、これまで使わなかった足場を使うことで失敗を招いたのだろうね……昔とは違って、今時の歌舞伎舞台は屋根を付けていて暗いこともある」

「そして葬儀以来、時折その舞台に幸四郎さんの幽霊が現れるって芝居関係者の噂になっていて、辞める人まで出ているとか。そうなると養子の七蔵さんにも、不孝者が供養をしっかりしていないから化けて出るなんて口さがない話も聞こえ始めてるので、どうにか幽霊の噂を晴らしてくれないだろうかって持ちかけられたマロ。ほら、ボクは鳥山石燕の弟子だし、助屋天狗の弟分だし」

「ふーむ……」

 

 九郎は唸って微妙そうな顔をした。

 具体的にやるべきことが曖昧な依頼だ。幽霊が実在しているかどうかとはともかく、幽霊がいるという噂を晴らして欲しいという。

 正式な寺などに頼むと事が大きくなり余計に噂が広がるので、江戸でも地味に噂になっている問題解決人の九郎に依頼してきたのだろう。

 

「まあ、家で暇してたから実は罪悪感もあったしのう。様子を見に行ってみるか、石燕」

「そうだね。妊娠している子達を外で働かせていて家で遊んでいるのは、人に知られたら外聞が悪い気がしないでもなかったよ」

「兄さん……」

 

 歌麿が顔を覆う。九郎は人間関係こそ良好なのだが、客観的に判断すると色々外道めいている気がしてならない。ただ別に無理に働かせているわけではなく、嫁も妾も好きにさせている結果、皆進んで働きに出ているのだった。

 それに豊房にお八はサツ子を連れて実家の手伝いをしているだけだし、夕鶴にはスフィがついているので心配はいらないのだから問題はない。

 出かける準備をして九郎は弟分に告げる。

 

「歌麿は代わりに留守番を頼むぞ。全員居なくなるのは物騒だからのう」

「はいはい。お掃除でもしておくマロ」

 

 歌麿が半笑いで請け負った。決して九郎はまったく無目的で家に居たわけではなく、誰か留守番で残っていることが治安上必要だったので石燕と残っていただけである。

 この屋敷には隠しているとはいえ千両入った壺や、皆で稼いだ財産があるのだからそこらの者が盗みに入れば遊んで暮らせる。

 そうして九郎は石燕を連れて木挽町へと出かけていくのであった。

 

 

 

 ********

 

 

 

 江戸で芝居と言えば堺町、葺屋町である。

 この界隈は芝居小屋だけでなく、小屋に付属して食事を提供する茶屋、役者絵などを売る店、また芝居は夕方までやるものだから遠くから見に来た者を泊める宿などと非常に栄えている一帯である。

 かつてそれに匹敵すると呼ばれた芝居の町が木挽町であった。ここも山村座、河原崎座、森田座といった歌舞伎小屋が並び、大いに賑わっていた。

 

 しかしながら河原崎座は後継者が居らずに休座となり、山村座は『江島生島事件』にて座主が島流しにあって取り潰しになってしまった。

 この事件は大奥の女・江島と役者の生島が当事者となったスキャンダル事件であり、大奥から将軍の墓参りのために町に出た江島が山村座に立ち寄って、生島との宴会に夢中になり江戸城の門限を越えたことで発覚。当事者のみならず、関係者1400人が処罰されて江島の兄で旗本の白井勝昌など斬罪に処されることになった。

 

 そうして木挽町の歌舞伎座が次々に潰れ、更に享保の改革による不況がやってきて残った森田座に厳しい状態を与えていた。

 ここで森田座に潰れて貰っては周囲に既に作られている芝居の町前提の歓楽街も非常に困る。

 なので幽霊が出たとかそういう話は早めにどうにかしなければならないのであった。

 

「ふむ……確かに堺町に比べれば少しばかり人通りも少ないが、それでもそこそこ活気はあるではないか」

「それこそ一つの座を支えて行こうという雰囲気を感じるね。ほらお土産品とか、役者絵とか沢山売っているよ」

「松本幸四郎が宣伝した別格の茶や、膏薬もあるのう」

「皆この街で生きるために必死なんだね。お饅頭でも買って食べようか」

「そうだのう」

 

 九郎は森田座の隣にある芝居茶屋の店先に入り、味噌で味付けした菜っ葉の入っている饅頭と、餡の入っている饅頭をそれぞれ一つ購入した。

 芝居小屋で弁当代わりに食べるものだろうか。それなりに大きい。甘い餡の方を石燕に渡して、彼女の帯から財布を取り出し金を支払って戻す。

 

「お茶もどうですー? 別格ですよ別格!」

「それも頂こうかのう」

 

 店先の長椅子に座って、茶も貰い饅頭を食べる。九郎は半分に割って、

 

「ほい」

「ん」

 

 と、短く言葉をやり取りして彼女も半分にした饅頭を九郎に渡してきた。

 

「味噌のしょっぱいのと甘い餡の味を交互に味わうのは最高だね」

「うむ。香ばしくて旨い」

「いやしかし、少女というのは口も小さいからあんぐりとは食べられないね」

「焦って食わんでいいぞ。口元が汚れるしのう……これこれ、袖で拭くな。せめて己れの着物の袖で拭け。洗いやすいから」

 

 などとほのぼのやり取りをしていたら汚い叫びが聞こえた。

 

「あ゛ー! 逮捕! 逮捕してやるううう!」

 

 二人に指を向けてそんなことを口にしたのは、黒袴の同心・菅山利悟であった。

 うるさげに九郎が目をやって尋ねる。

 

「なんだいきなり。何処から湧いてきおった」

「仕事だよ! まったく、それはそうと九郎お前というやつは嫁も妾も居るのに幼女とイチャコラ……!」

「お主こそ嫁も息子も居るのに人の関係にケチをつけるでない」

 

 血走った目を近づけてきた利悟の額を弾いて仰け反らせる。

 

「うなー!」

「あとこの前の盗人捕まえた金一封早く寄越せ」

「くうっ……! 身長が一寸五厘伸びて可愛げがなくなってきた……!」

「人の身長を正確に把握するな気持ち悪い」

 

 去年江戸に帰ってきて、ひとまず他の者との関係もあるので通常の肉体年齢を時間と共に加齢させることにした九郎は背が伸び始めている。

 十四歳頃に165cmだったのだが十八歳には180cmに達するのでかなり年ごとに背が伸びるのである。

 

「可愛い少年形態を維持してくれればせめて!」

「子供二人目が出来たことだし、お主を去勢するときが来たのかもしれんな。殺すのは妻子が可哀想だから」

「なんで!?」

「安心しろ。一瞬では済まさん」

「そこは一瞬でやるところじゃないかな! まあそれより、はいちり紙」

 

 そう云って利悟はもごもごと咀嚼しながら口元を汚している石燕に、真っ白い折りたたまれた綺麗な紙を差し出した。

 ごくんと饅頭を飲み干して石燕は紙を受け取る。そしてにっこりと笑みを浮かべて肉体年齢相応の高い声で礼を言う。

 

「ありがとうお兄ちゃん!」

「はい死んだ拙者死んだ。見て? あまりの喜びに瞼がピクピクしてる」

「そうか……そのまま死んでくれ」

 

 気持ちの悪い反応に九郎が冷たく返す。

 石燕が笑顔から打って変わり、邪な表情でニヤニヤと笑う。

 

「ふふふ……こう、美貌を活かして男を惑わすというのは案外に楽しいものだね九郎くん!」

「特殊すぎるだろう活かすべき美貌が」

「九郎お兄ちゃん大好き!」

「九郎……お兄ちゃんの座を掛けて雌雄を決するときが来たみたいだな」

 

 利悟が謎のオーラを出して全身の筋肉を盛り上がらせた。

 ため息をついて九郎が手をワキワキとさせる。

 

「わかった。執拗にタマキンを攻撃して去勢し雌にしてやるから掛かってこい」

「お、おかーさーん! 天狗が怖いこと云ってるよー!」

「お主がお母さんになるんだよ」

「あはははは」

 

 石燕がケラケラと笑って、口元をちり紙で拭った。

 そしてその辺にポイ捨てしようとする。なにせ江戸の町には、道端にポイ捨てされたちり紙を拾って回る仕事がしっかりとした鑑札が必要な許可制として存在しているので、それが正しいマナーだ。

 

「おっと」

 

 利悟はその石燕が口を拭いたちり紙をキャッチして。

 丁寧に畳んで胸元にしまった。

 石燕はドン引きした。

 

「やると思ったわ馬鹿者が!」

「ほわっちゃ!?」

 

 九郎がちり紙を引っ張り出そうと合わせを掴んで引っ張ると、胸元からバラバラと白い未使用のちり紙と……何枚か誰かが使用済みのちり紙が落ちてきた。

 初犯ではなくあちこちで持ちかけている常習犯だったようだ。

 

「……」

「……」

「控えめに云って、気持ち悪いね」

 

 石燕が顔を歪めてそう評価し、利悟は慌てて弁明しようとする。

 

「違っ拙者そんなつもりじゃ……!」

「そうか。なら燃やしとくから」

「あ゛ーっ!」

 

 延焼しないように強力な熱で一瞬で灰に変える九郎であった。通りを行く人も、何か光ったようにしか見えないだろう。

 灰を手に膝をついている利悟を放置して、二人は森田座へと向かっていった。

 

 

 

 

 *******

 

 

 

 

 森田座はその日、休みであった。

 芝居小屋と云えども年がら年中開いているわけではない。むしろ閉まっていることの方が多い。

 連日満員になるような大ヒット作をやる場合はそれなりの頻度で興行をするが、役者の稽古や脚本の準備を整えるなどの作業もあって、年に10回ほどしか営業しないこともあった。

 それだけに一度の稼ぎは凄まじく、江戸で一日千両が動く場所といえば日本橋の魚河岸と吉原、それに歌舞伎座だと言われた。

 森田座では現代でも名高い『千両役者』の称号を手に入れた二代目市川團十郎が芝居をしていることで有名である。本当に年収が千両という最高位の役者であった。

 

 だからこそ、数少ない興行の収益を下げる悪評は消しておかねば、一度の失敗が大赤字に発展することになるという切実な願いがあるのであった。

 

「いやーどうも宜しくお願いするよ」

 

 九郎と石燕を迎え入れた若役者は目元に黒い隈取をしていて、どうやら稽古の最中だったようだ。

 化粧で素顔はよくわからないが、年の頃は二十の半ばぐらいだろう。本番では赤塗にするであろう隈取で人相は悪そうだが、腰は低かった。

 石燕はすぐにその化粧の演目を思い浮かべる。

 

「『景清』だね」

「景清というと……スーファミの……」

 

 九郎がパッと思い浮かぶのは随分昔に友人の家で見たことのある平景清を主役としたゲームソフトであった。

 石燕が首を振りながら解説する。

 

「二代目市川團十郎が初演した演目でね。隈取化粧を取り入れた代表作なのだよ。あの特徴的な模様は景清の顔に痣があったのを拡大解釈して生まれたとも言われている」

「そこのお嬢さんは詳しいなあ」

「ところで、お主が歌麿に頼んだ松本七蔵さんかえ?」

 

 九郎の質問に彼は頷いて、見得を切るように格好を付けてよく通る声で名乗った。

 

「あいや、わたくしが森田座の役者を代表し、天狗様にお頼み申した松本七蔵でございます」

「ふむ……中々良い男ぶりだね。役者絵に描いたら儲けそうだ」

「幼女がする評価じゃないぞ」

 

 若さにしては堂に入った仕草で、石燕も九郎も感心した。

 主役である景清の稽古をしていることからもそうだが、松本七蔵という役者は若いニュースターとして期待されている。芝居の町である堺町で生まれてその父親は千両役者、二代目市川團十郎とも噂されていて僅か9歳のときに役者としてデビューを果たしたのだ。

 女形で経験を積んで今では立役者となり、こうして主役を任されるようにもなっていた。

 

「ええとそれで、天狗の九郎さんと、こちらの方は?」

「ふふふ、私こそ超万能属性の天才絵師、鳥山石燕! ……の、生まれ変わりとも言われている」

「死んでないよね鳥山石燕」

「いーのだよ!」

「あー……こやつは鳥山石燕の従姉妹の娘でな。自分が石燕だと思いこんでる、ほら、そういう年頃ってあるだろ」

「なるほど……」

「暖かな目で見られている!」

「まあこれで妖怪なんかには詳しいからのう。助手だと思ってくれ」

 

 九郎の説明で一応納得はしたらしい。助手というか、娘に懐かれているお父さんを見る感じだったが。

 

「それで、幽霊話のことなんだけれど」

「ああ、確か松本幸四郎の幽霊が出るとか」

「わたくしは見たことがないんだけどなあ……」

 

 ぼりぼりと頭を掻きながら七蔵は云う。

 

「とにかく役者の間で噂になっていて、辞めて他の座に行く人も続出しているんだ。怖いって」

「怖いのかね? こう、幽霊になっても出てくれるんですね幸四郎さん! みたいな人は居ないのかね」

 

 石燕の質問に七蔵は顔を苦笑の形に歪めた。

 

「いっやー……うちの父さん、結構生きてても怖いところあったからなあ。偉大な人だけど」

「まあ役者の世界はそういうものだろうのう」

「うん。殴る蹴るは当たり前の世界だからー。その点うちの父さんは、殴った後で宣伝していた膏薬を勧めてくるのがちょっと優しさというか」

「家庭内暴力めいた優しさを感じるよそれは……」

 

 石燕は微妙そうな顔をした。

 

「そう言えば石燕も昔は狩野派の絵師として修行していたこともあったのではないか?」

「私は天才だから三日目にして他の門弟を片っ端から画力勝負で倒して出てきた」

「嫌な弟子すぎる……」

 

 というか彼女の場合、未来視で見た鳥山石燕の絵を参考に修行を積んだので、狩野派の門弟になったのは江戸での立ち位置や横の繋がりを考えてのことであった。

 なんとも知れない女が絵を描いたところで版元は相手にしないが、将軍家御用達である狩野派の出とすれば目を通して出版の声も掛かる。

 

「話を戻して、幽霊とはどういうものなのだ?」

「夜中に芝居小屋の花道近くから、『べっかく、べっかく』って音が聞こえるって誰かが言い出して……」

「べっかく……別格? 茶の?」

 

 以前に九郎が宣伝用の茶として──芝居小屋で販売する飲み物としては良いと思ったので──上茶に『別格』と名付けて売り出させたのだ。

 

「一応お供えはしているんだけど、どうも皆は怯えたままで、幽霊の姿が見えたとか泣いている声が聞こえたとか次々に証言が上がったんだ」

「幽霊の正体見たり枯れ尾花とは云うがね。枯れ尾花だと確認しない限り、風に揺れる幽霊は存在し続けてしまうものなのだよ」

「ともかく、その花道に行ってみても大丈夫か?」

「うん。座主に話は通しているから」

 

 そう言われて森田座の受付から座敷ごとに分けられた入り口を通り、花道の見える舞台正面から入っていった。

 

「ここなんだけど」

 

 七蔵が示した花道の下──松本幸四郎が転んで落ちた場所に、活けた花と『別格』と書かれた湯呑みに茶が注がれて置かれていた。

 

「シュールだ……」

「ふむ……昼間なのにかなり暗いね」

「講演のときは天井にぶら下げている沢山の提灯で照らすから」

「なにかあるのか? 石燕」

「……いいや。ただ、暗い場所には幽霊の噂が出やすく、払拭しにくいということさ」

 

 石燕は僅かに周囲を見回して肩を竦めた。

 江戸時代に於いて日常的に話される怖い話の多くは、真っ暗闇の小通で怖い目にあったというのが殆どである。

 それほど暗闇というのは現代よりも恐怖を煽っていた。

 

「何かわかるか?」

 

 九郎が石燕に聞くと、彼女は不敵な笑みを返した。

 

「ふふふ、任せたまえ! こんなときこそ妖怪狩人鳥山石燕の真骨頂だよ!」

「頼もしいのう」

「異界にて魔王の素体に魂を宿し、死を告げる妖精とも触れた私の力を見せてあげよう!」

 

 石燕は両手を左右に伸ばして胸を張りながら小さく震える……

 朗々と響いた声が小さく反響して再度の静寂が訪れると同時に、石燕の体から2つの棒状の物体が左右に飛び出てきた!

 

「これは……」

 

 九郎が身じろぎし、石燕は見せびらかすように告げる。

 

「じゃーん! 『道祖神具棒(だうそじんぐぼう)』──!」

 

 彼女が左右の袖から取り出したのは、少し曲がった細い金属棒であった。

 さっとそれを両手に構えて前に向ける。

 

「ふふふ、これを使えば道祖神の加護で妖怪や幽霊、更には自分が望む探し物を見つけることが可能なのだよ!」

「……魔王と妖精は全然関係ないよな」

「そうだが?」

「いっそ誇らしげだ……!」

 

 それは石燕の使う効果があるのか無いのか不明なダウジングロッドであった。

 どうやら使い所を待ち構えて袖の内側に縫い付けていたらしい。

 彼女は棒を七蔵に向けながら質問をする。

 

「道祖神のことを知っているかね?」

「ええと、実はあんまり……」

「ふむ。道祖神は境界を守る神、旅の安全を守る神などと言われるが、百太夫神と同一であるという話もある」

「百太夫?」

 

 九郎が聞き返すと石燕は頷いた。

 

「百太夫は傀儡子(くぐつし)や歩き巫女が信仰する神の一種でね。彼らはあちこちを旅して回るから、その安全を祈願していたのだろう。そしてそれらの職業は、時を経て変遷し歌舞伎役者に通じるものでもある」

「へえ……」

「更に道を灯す神としては猿田彦が有名だが、道を示している石の神ということで道祖神は猿田彦とその妻である天宇受売命(アマノウズメ)と同一神とされることもある。天宇受売命ぐらいは知っているだろう」

「岩屋戸の前で踊りを踊って、天照大神を誘い出した神だよね?」

「そう。つまりこれも芸能に繋がる神ということだ。だから道祖神は君たち役者たちにご利益のある有り難い神様で、その加護を宿したこの棒は正しく物の怪を示してくれるだろう」

 

 石燕の神に関する解説で、七蔵はしきりに頷いた。

 芸能を奉じてはいるが、幼いころから歌舞伎役者として育てられていたので自分が演じる物語に出て来る内容以外ではそのような知識に疎いのだ。 

 それでありながら、基本的に江戸時代の人間は今よりもずっと信心深い。

 七蔵をしっかりとやり込めてから石燕は九郎を連れて、花道辺りを棒を持ってゆっくりと歩く。

 

「ふーむ……懐かしいなあ。昔はよくこうやって町中で妖怪を探したものだ」

「目立たんかそれ……女が変な棒を持ってうろついてるって」

「指を差されて馬鹿にされたこともある」

「ほら」

「大事なのはね九郎くん。馬鹿にしているあいつらは、私がやっていることも理解できないもっと馬鹿なのだと自分に言い聞かせて優越感を保つことなのだよ……!」

「そんな辛い思いをしてまで……」

 

 呆れながらも、土間のあたりを調べてから七蔵に聞く。

 

「ちょっと花道に上がっても?」

「いいよ」

「ん。九郎くん持ち上げて」

「はいはい」

 

 言われて九郎が持ち上げ、一メートルほどある花道の段に載せてやった。

 草履を脱いで石燕は棒を構えながらペタペタと歩き回る。

 次第に真剣味を帯びて、何度も行ったり来たりしながら唸ったりしていると、見ている七蔵も集中して彼女の様子を注目していた。

 

「むむっ! 反応があった!」

 

 彼女がそう云うと、道祖神具棒が左右に開いている。

 石燕は神妙な顔で告げる。

 

「どうやら本当にこのあたりに幽霊が居るようだね……」

「と、父さんの幽霊が!?」

 

 七蔵がきょろきょろと見回すが、当然ながら一般人の目には幽霊の姿は見えない。

 だが薄暗い舞台ではそこに何かが居ると言われれば、錯覚のようにリアリティが感じられて七蔵は背筋が冷えた。

 

「何やら強い念を感じる……やはり未練を残して死んだようだね」

「し、しかしそれは一体……」

「石燕、アレを使うのか」

「ふふふ、察しがいいね九郎くん──降霊符術『狐狗狸(こっくり)さん』だ!」

 

 石燕は『いろはにほへと』と『正 否』に『鳥居』が書かれた一枚の紙を取り出して花道の床に広げた。

 目を剥いて七蔵が見たことのないそれに驚いた。

 

「こ、これは!?」

 

 得意げな顔をした石燕は別の紙と墨壺付きの筆入れを出し、紙に『狐狗狸』と文字を書く。

 

「この降霊術は読んで字のごとく、狐狗狸の低級霊を呼び出して知恵を借りるものだ。だが今行う場合によってのみ、低級霊ではなく松本幸四郎の霊を呼び出せるのだよ!」

「な、なんだって!?」

「この狐狗狸さんは元々朝鮮から伝わった占いの一種でね。『高句麗さん』と呼ばれることもある。高句麗では道教が根強く、魂魄に対して深い関心がありそれを呼び出すための技術として生まれた。そして気づくだろう?」

 

 紙に書かれた『高句麗』の文字を示して石燕は告げた。

 

「『高句麗』……即ち『高麗』」

「あっ……!」

「なんだというのだ?」

「父、松本幸四郎の屋号は『高麗屋』だ!」

「そう。これだけ繋がりがあるのだから呼び出せぬはずはあるまい!」

 

 盛り上がっている二人に、九郎は無言で頷いてやった。

 果たして屋号と占いの起源が合致していたからといって何の意味があるのかさっぱり不明であったが、まあとにかく七蔵は信じ込んでいるようだった。その場の雰囲気というのは中々に勢いがあるものなのだ。

 三人は頭を突き合わせて紙の真ん中に置いた銅銭に指を触れさせ、唱える。

 

「高麗屋さん、高麗屋さん、おいでください」

 

 すると自然に銅銭は紙の上を滑り、『正』を指し示した。

 七蔵が息を飲む音が聞こえる。じっとりと化粧が僅かに汗で落ちていた。

 この場には彼にとって、まさに幽霊が存在しているのだろう。その圧力で冷や汗を浮かべているのだ。

 石燕の声が聞こえる。

 

「高麗屋さん、あなたの未練を教えてください」

 

 そう告げると、銅銭は動き出す。

 

「ち、力を入れていないのに……!」

「勿論私もだよ。ねえ九郎くん」

「ああ。誓って己れも何もしておらぬ」

「居るんだ……父さんが……」

 

 僅かに緊張からか、七蔵の呼吸が荒い。言うとおりに九郎はまったく指から力を抜いていて、じっと見る限り二人もそう見える。

 だが銭は一つ一つ、文字の上に止まっていく。

 

『し』『ゆ』『う』『め』『い』

 

 そして銭の動きが止まった。七蔵は呻く。

 

「しゆうめい……襲名? 父さんは、わたくしを……?」

「……なるほどね。大事にしていた養子のことが心配でまだ現世に留まっているのだろう」

「ふむ。その松本幸四郎は、お主に後を継がせるために養子に取ったのだ。だが生きている間では、それを目にすることができなかった。それが心残りなのだな」

「……」

 

 七蔵はじっと銅銭を見て、声を出した。

 

「父さん。見ていてください。わたくしが、二代目松本幸四郎の名を受け継いで見せます! だからどうか、安らかにお眠りください……!」

 

 そう七蔵が舞台に響くように告げると……

 紙の上から出てきた大きな青い炎が光を放って天井へと上がり、すぐに消えていった。

 わあ、と周囲から一斉に驚いた声が上がる。七蔵が見回すと、森田座に所属する役者や下働きの者が百人以上薄暗がりの部屋に集まっていたのだ。

 

「お、お前ら?」

 

 急に出てきた皆に慌てて七蔵が問いかけるが、近づいてきた役者らに揉みくちゃにされる。

 

「七蔵さん! 今のは、幸四郎さんの霊ですか!?」

「上に昇って……成仏したところですね!」

「おめでとうございます! 七蔵さん、いえ二代目! それなら、先代も未練なく逝けます……!」

 

 などと口々に告げて先代松本幸四郎の冥福と新たな二代目松本幸四郎の誕生を祝福し始めた。

 九郎と石燕はやや離れたところに立ってその様子を見守る。

 

「ふふふ、これでもう幽霊は出てこないだろうね」

「やれやれ。お主の方が役者だのう。周りに他の者が、除霊の様子をこっそり見に来ていることに気づいてわざと大げさに解説をして話を持っていったのだろう?」

「九郎くんだって、最後の炎で演出してくれたではないか。二人の合わせ芸だね」

 

 と、聞こえないように言い合う。

 

 石燕はここに来たときから、幽霊の噂が実際の霊障というよりもむしろ座の雰囲気的なものにより自然発生した集団妄想の一種だと見抜いたのだ。

 同じ町の座は潰れて不況は続き経営悪化している近年ではどうしても暗くなる。

 そこで更に看板役者である松本幸四郎が事故死したのだから、もしかしたら祟られているのではという共通認識が生まれたのだ。

 そうなれば誰かの勘違いにより幽霊の目撃情報があれば、すぐに皆が薄暗がりの中に枯れすすきを見始めてしまう。

 なので居るか居ないかわからない幽霊に怯えるよりも、皆に幽霊はここに居るのだとわざと呼びかけて注目を集めさせたのだ。

 道祖神具棒が動いたのは作為的なものであり、狐狗狸さんで銭が動いていたのは石燕の力を込めていないように見せながら動かす本職すら騙す技術である。

 

「恐らく『べっかく、べっかく』というのは隣の芝居茶屋での呼びかけがたまたまここまで響いたのだろうね」

「そう言えば売っていたからのう」

「大事なのは、皆が信じている幽霊話を松本七蔵は信じていなかったということだよ。彼も一緒に信じ込んでいれば、周りの雰囲気からして新たな松本幸四郎を必要としていることに気づいて自分から襲名をしただろう。だけど、信じていなかったのでその危機感を覚えなかった。だから私が一から心霊の解説をして信じ込ませたのだね」

「お主そういうの得意だのう……」

「ふふふ」

 

 九郎も石燕の思惑を察して、何も言わずとも承知し炎で演出をしてくれたことが。

 なんとも心が繋がっているようで彼女は嬉しかった。

 石燕は笑みを浮かべて九郎になんとなく抱きついた。

 

「まさに狐狗狸に騙されたように、だね」

 

 

 

 

 ********

 

 

 

 

 それから九郎は除霊賃として七蔵からも個人的に報酬を足されて二十五両も貰い、更に座主から直々に次の講演での一番高い桟敷席の予約まで貰った。

 屋敷に帰ると夕暮れ時で、夕飯の準備が出来ていてその日は歌麿も食べていくようだった。

 

「さすが兄さんに石燕ちゃん。一日で幽霊騒動を解決してきたマロね」

「くっ……わたしが居ればわたしが行ってたのに……」

「ふふふ残念だったね房よ。この霊界探偵石燕……伊達にあの世は見ていないのだよ!」

「見ておらぬよな。普通に」

 

 悔しそうに豊房が云うのを石燕は機嫌よく云うのであった。

 

「ああそれと、森田座で桟敷席の予約を取ってきたぞ。良ければ皆で行こう」

「ほー! 芝居かのー! 楽しみじゃ!」

「おいは見るの初めてじゃ」

「自分は立ち見で見たことがあるでありますなー。背が高いものでよく見えるであります」

 

 などとはしゃいで楽しみにしていた。

 それから夕食を終えて、歌麿が長屋に戻ろうとするときにふと気づいたように九郎と石燕に聞いた。

 

「あ、そうだ。この手を繋いでいる絵……」

 

 そう云って取り出したのは、九郎と石燕が昼寝をしているときに繋いでいた手をアップでスケッチしたものだ。

 お互いの指を絡めているいわゆる恋人繋ぎになっていて、見せられると少々気恥ずかしい。

 

「これを元にした浮世絵を描いていいマロ? 大丈夫、兄さんや石燕ちゃんの名前は出さないマロ!」

「まあ……多少こそばゆいが、好きにすればいいのではないか? のう石燕」

「そうだね……私も色々描いてきたから、まあ被写体にされて嫌とは言えないよ」

「わかったマロ!」

 

 そう云って笑顔で歌麿は帰っていった。

 帰り道の途中で、姿こそ変わってしまったが相変わらず仲の良い大好きな兄貴分とお似合いの女性を思って微笑み呟く。

 

「……二人の記念にもなるといいよね」

 

 歌麿は二人の幸せを願っているのである……

 

 

 

 

 

 

 

 

 *******

 

 

 

 

 余談。

 

 森田座での松本七蔵最後の講演『内府の行方』を皆で見物しにいった。

 怪作だったがそれなりに盛り上がりを見せ──

 

 

 程なくして森田座は経営難で潰れてしまった。

 

 

「マジか……」

「せっかく除霊したのにね……」

 

 九郎と石燕は唖然とした。

 正確に言えば休座で、他の者が座の興行権を購入すれば芝居を開いていいことにはなっているのだが。

 潰れた理由は土地代の滞納が嵩み、その訴えが大岡越前にまで届いていて正式に受理されたからである。

 利悟が森田座の近くに来ていたのはそれの調査を行うためであったようだ。

 

 しかしながら二代目松本幸四郎は他の座に移籍してそれからも江戸で芝居を行い、人気を高めていくのであった。

 

 

 

 

 

 余談その二。

 

 

「手を繋いでいるだけの浮世絵じゃ売れないって版元にダメ出しされたマロ……仕方ない。繋いだ手の隣に何かスケベなものでも描いておくマロ」

 

 こうしてこの時に描かれた、恋人繋ぎの手と女性器が描かれた絵は歌麿が晩年に出した『絵本笑上戸』という画集に掲載され、後世に思いっきり残ることになったという。

 

 

 

 

 

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