異世界から帰ったら江戸なのである   作:左高例

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60話『サツ子と船旅』

 

 

 

 

 

「なに、砂糖を積んだ船が難破した?」

 

 九郎は顔を顰めながら、鹿屋黒右衛門からの話を聞いた。

 屋敷に来て汗を拭きながら報告をしている黒右衛門は青い顔をして頷く。

 九郎にとっても店で出す材料となる砂糖なのでそれの供給が途絶えることは苦しいが、黒右衛門にとってはダイレクトに損失になる問題だ。大きな取引先の九郎に説明に来たが、本人の胃が非常に痛そうな表情をしていた。

 

「その通りなのです。とはいえ、全く以て失われたわけではないのですが……」

「というと?」

「実は砂糖を積んだ商船は、時化(しけ)で荒れた海を流されてとある島に流れ着きまして、一応積み荷と船員の殆どは無事ということで……ただ船は壊れかけてとてもこちらに迎える状況ではないらしいです」

「どうしてその知らせを知れたのだ?」

「責任感の強い船長が事情を書いた文を持ち、難破先の島から八丈島まで泳いで行って手紙を役人に渡して、それを通して江戸に知らされたのです。泳いで知らせた者はその場で亡くなったようですが……」

 

 黒右衛門が曇った顔をするので、九郎も首を振ってため息をついた。

 

「そうか……力尽きるまで泳いだのだな。知らせを届けるために……」

「いえ。藩米も積んだ船を壊しては生きてはおられんごッ! とか言って役人の刀を奪って割腹したそうで」

「責任感の強さが薩摩方向すぎるだろう!」

 

 せっかく生還しても薩摩社会は厳しいのであった。

 黒右衛門は真剣な顔をしながら、

 

「こうなると島に残された他の船員も心配になります。残り十八人の船員が居るのですが」

「その難破した島というのは無人島なのか?」

「いえ、それなりの大きさの島で、恐らく他の難破民が帰化したと思われる小さな村落があると文には書かれておりました」

「ふーむ。だとしたら、積み荷を売って当面の食料を得るとか、村の漁船を買い付けるとかして脱出できぬものか」

「積み荷に手を付ける!? そ、そ、そんな恐ろしいこと想像させないでくださいよ! 藩米もあるんですよ! その場で死んでしまいますとも! 薩摩人なら!」

「緊急時に対応できなさすぎる……」

 

 九郎は半眼で呻いた。律儀というか、恐怖政治で監視しあっているような状況なのだろうか。

 タブー度は恐らく人肉食レベルである。藩米に手を付けたことを他人に知られるぐらいならば殺しに来るかもしれない。それほど、重要な物資であった。

 更にはそれを運ばされている黒右衛門も失ったとなれば責任問題になってくるので必死にもなる。

 

「恐らく、村民が米を奪いに来るのを警備していることでしょう。そういう関係ならば現地人との交渉も上手く行きますまい」

「村民の方が心配になってくるな」

 

 難破した船を守る薩摩人十数名が、村に馴染むでもなく意味不明な叫び声をあげて警戒しているのだ。

 そのうち略奪に来ないか不安になるかもしれない。

 

「なので、急ぎ救助に船を出す必要があるのですが……」

「何か問題が?」

 

 黒右衛門は泣きそうな顔になりながら九郎に説明をする。

 

「その島は八丈島の南ぐらいにあると言われていますが、正確な位置が不明なのです。おまけに、そのような外洋を航行する技術を持った船頭が居ないのでして……」

「むう。薩摩と大阪、江戸を回っておるのだろう。ちょいと沖に行くぐらいできぬのか?」

「普通、日ノ本の船というのは基本的に海岸線が見える位置を航行して進むのです。そりゃあ、薩摩から種子島屋久島や奄美、琉球へと渡る船には航路の覚えがありますが、まったく手がかりの少ない島を目掛けて進んでいくというのは非常に困難でして……」

「海洋国家なのに操船技術が低いのう……なんでそんなことに」

「まあ……家康公が貿易と造船に大きな制限を掛けたからでしょうな」

「無いものねだりは仕方がないか」

 

 九郎はため息をついた。

 実際に嵐で船が漂流した大黒屋光太夫の記録にも、まったく目印がない沖に流されて途方に暮れていることが書かれている。

 舵が折れて操船できないこともあるのだが、ベテラン揃いの船員であっても誰も星を見て位置を割り出そうなどとは考えもせず、海水を舐めて味を見て現在地を探ったり、米の中に御神籤を入れて現在地を占ったりしていたという。

 日本の船に関する技術は江戸時代で停滞か、或いは退行していたという説もあるぐらいだ。

 

「八丈島までは確か幕府の船が出ておっただろう。それについていってみればどうだ?」

「流罪になった者を送る島に、他藩の船が近づいたら大変問題になりますよ。罪人を抜けさせようとしているとみなされてしまいます。少なくとも一町以内は接近禁止で、そうでなくとも目に見える範囲をうろちょろしていたらそれだけで警戒されるでしょう」

「それもそうか」

 

 更に言えば、江戸から罪人を載せて八丈島に送る便は直行便ではない。

 島伝いに進んで安宅島にて罪人を下ろし、そこで三月ほど過ごさせてから八丈島に送るので、単純についていってたどり着けるものではないのであった。

 ついでに春と秋の二回のみ定例船に罪人を積んでいくので、今日明日出るわけでもない。

 

「九郎殿……何か良い考えは無いでしょうか」

「ううむ……島の場所を見つけるだけなら、或いは己れだけならば可能だろうが……」

 

 九郎は空を飛べるので、大体の位置を掴んで上空から島を探せばどうにかなる。

 海はやたらと広いがその気になれば高度を空気があるところまで上げられるので、探して見つからないことはないだろう。

 だが問題は船員と積み荷の救助なのである。

 

「見過ごせるものではないしのう。ではこうしよう。まず己れが一人で空をすっ飛んでいって船員らの居る島を見つけてくる」

「ふむふむ」

「その際にこれから救助に向かうので、軽率な真似は控えて落ち着いて待つように伝える。米ぐらいならば非常食として持っていってもよいな」

「そ、それでどうやって救助を?」

「救助に向かわせる船に己れも乗って、妖術で風を延々と帆に吹かせて一直線にその島を目指す。時折、空を飛んで目的地を確認し修正していけばどうにか辿り着くであろう。それでどうにかなると思う」

 

 事も無げに即興の計画を告げた九郎に黒右衛門が目を瞬かせる。

 

「……と、飛ぶのはなんとなく知っておりましたが、風も吹かせられるのですか?」

「ああ。水も出せるから船に積む飲み水は心配せんでもいいぞ。多めに食料を積んでおけ」

「しゅごい」

 

 思わず舌が回らなくなる黒右衛門である。

 この天狗は江戸の町でブラブラと過ごしているが、地球上のどこでも重宝されそうな能力を幾つも持っていることを再認識した。

 彼一人乗せるだけで軽く船で外国まで旅立てるだろう。もうなんかその妖術を教えてほしいぐらいであった。

 

「とりあえずお主は救助船の手配をしておけ。己れは早速、そやつらが漂流した島を探してくる。八丈島の南だったな?」

「え、ええ……そうだ、少しお待ちください九郎殿」

「うむ?」

 

 黒右衛門が制止するので九郎は首を傾げた。

 彼は少しばかり苦い顔をして、

 

「実は船乗りの薩摩人たちは……こってこての薩摩弁なのでございます」

「……というと?」

「船乗りという立場で他の土地へ行く関係上、薩摩の情報を聞き出してくる輩が居ないとも限りません。故に、船乗りは他国の人間が聞いてもまるで理解できないぐらい訛って言葉を話すようになっているのです」

「むう」

「具体的には、ほぼ『じゃ』という言葉をのみ使って意思疎通が可能です」

「いや、それは言い過ぎだろう。どういうあれだ」

 

 九郎が冗談を聞いたように半笑いで手を振ると、黒右衛門は手を叩いて外に控えていた店の者を呼んだ。

 そして九郎を軽く指差しながら二人で会話を始める。

 

「じゃっじじゃっど(言い過ぎとは言うけどこの通りであるな)」

「じゃっどんじゃろ(そうだけれどにわかには信じられないのではないでしょうか)」

「じゃっかー(或いはそうかもれないが事実だから仕方がない)」

「じゃよ(その通り)」

「じゃっけんじゃろうか(しかしこれで通じないというのならば困ることにならないだろうか)」

「じゃんなー(絶対とは言えないけれど恐らくは意思疎通に問題が生まれる)」

「じゃったろう(やはりどうにかしなければならないな)」

 

「すまん。日本語を喋れ」

 

 この辺りは関西人「なんや」で会話を成立させるようなものだろう。だがまあ、少なくとも身振り手振りを交えたコミュニケーションに九郎はさっぱりついていけなかったので両手を上げて降伏させる。

 九郎でもある程度はニュアンスで通じないことはないのだが、ここまでは無理である。そして遭難者とちゃんと会話ができないと色々と問題が起こる可能性もあった。

 

「ということで、薩摩弁と翻訳が出来る者を連れて行った方がいいでしょう。ここは私が!」

「……んー」

 

 九郎は名乗り出た黒右衛門のでっぷりとした巨体を見て微妙そうな顔になった。

 疫病風装の空中浮遊はあまりに重たい場合は持ち上げられないか、空中でバランスを崩してしまうのだ。幾らかの救援物資と共に彼のような巨漢を持って行くのは難しそうであった。

 

「いや、軽い方がいいから……サツ子でも連れて行くかのう。あやつは大丈夫かえ?」

 

 彼女ならば黒右衛門の半分ぐらいの体重であり、普段は方言を出しているがしっかり薩摩弁も江戸言葉も理解している。

 言うと黒右衛門が両手を握ってきて頷いた。

 

「ええ、ええ。そうなさってください。大丈夫ですとも、はい!」

「なんだその勢い」

 

 若干鼻息荒くしてくる勢いに引く九郎であった。

 

 

 

 

 *******

 

 

 

 

「──というわけで、サツ子を連れて遭難船を救助に行ってくる。順調に行けば10日ぐらいで帰ってこれると思うが、留守を頼んだぞ」

 

 屋敷にて皆に予定を告げると、それぞれの反応が帰ってきた。

 

「船旅かー……あたしも元気なら行きたいところなんだがな。つーかうちの兄ちゃんも遭難民に混じってねーかそれ」

「どうだったかのう。すっかりあやつも薩摩ライズされて、体の線が劇画みたいになっておるので見分けが付きにくくなったが」

 

 と、お八。彼女の兄である五平という男は、家出して碌でもない小悪党になっていたところを九郎にとっ捕まって根性を鍛え直させるために鹿屋の船に叩き込んだのである。

 今ではすっかり日焼けし、筋肉もがっしりとついているたくましい船乗りになっている。

 

「あなた。ちゃんとお礼は貰うのよ。一財産を拾いに行くのだから、無償で手伝っちゃ駄目だからね」

「わかっておる。ま、出張代ぐらいは貰わねばのう」

 

 抜け目なく金を稼がせようとしてくるのは豊房である。ちゃっかりしている、と九郎は苦笑いをした。

 鹿屋も大金に化ける砂糖は元より、藩の重要な物資である米が失われるのは金銭の損以上に問題なので九郎へ大きな謝礼を用意する準備があると言っていた。

 

「サツ子をでありますかー。御主人様、他の野蛮な船乗りにサツ子が手を出されないようにちゃんと守るでありますよ」

「さすがに己れの連れに手は出さんと思うが……気をつけはする」

「御主人様が手を付けるのは仕方ないとして」

「付けるか」

 

 夕鶴の額を九郎は軽く小突いた。

 純情なサツ子が顔を赤くして首を振っているのを横目にため息をつく。こちらが狼だと思われては、預かっている身としては申し訳がない。

 

「八丈島には弟子の麻呂を流したことがあるが、その南というと青ヶ島のことかね。さすがにそちらに上陸はできなかったが、麻呂に収集させた話によると槍ノ坂天狗という天狗が居るらしいよ」

「というかあの麻呂はどうやって八丈島に流したのだ。警備は厳重そうだが」

「ああ、漁船の水夫に化けさせたのだよ。島の中では墨絵で春画を描いて人から話を聞いていたそうだ」

「バイタリティあるのう」

 

 石燕が懐かしそうに言う。八丈島は当然ながら流人の島であるのだが、役人が行き来したりするための舟を確保するため近くの漁民は島の周囲で魚を取ることが許されていた。

 北川麻呂という、石燕のかつての弟子は八丈島特有の妖怪を調べてくるためにそれを使って潜入させられたのだろう。

 

「あのあたりは樹木信仰で多少独特の文化だったような……」

「ええ、確か住吉大神がすみよし(・・・・)ということで、炭の神になっていたりしたはずですぜ」

「あと徐福が不死の薬を探しに辿り着いたとか、空飛ぶ光る物体が島の中央に降り立つのを見たという話が幾つもあるとか」

「もう宇宙人は勘弁だぞ」

 

 阿子と将翁が解説をするのに、天狗やら光る物体やらで九郎は嫌そうな顔になる。

 スフィがのんびりと笑みを作りながら言う。

 

「海かー。今回は人助けじゃからアレじゃが、今度皆で海水浴に行くか!」

「カイスイヨクってなんだぜ?」

「なぬ!? 知らぬのか海水浴を!? 海で遊ぶのじゃよ!?」

 

 不思議そうな顔をして聞いてくるお八に、スフィは意外そうに言った。

 だがやはり豊房の方も首を傾げて、

 

「海で……遊ぶ? 貝とか魚とか捕まえるんじゃないの? 何をして遊ぶのかしら」

「そこはほれ、鞠を投げたり、砂でお城を作ったり、水辺でバチャバチャとやるのじゃが……やったことないの?」

「無いの」

「無いね」

「無いであります」

 

 皆は首を振るが、将翁と阿子は思い浮かんだように指を立てた。

 

「随分昔に、あたしらはやったことがありますぜ」

「あれですか」

「おお、なんじゃやったことあるのか」

「牛車を海の中に進ませて、屋形の扉を開けて中に海水を招き、水に浸かって遊ぶという……」

「全然雰囲気違うんじゃが!?」

 

 平安貴族の海遊びであったが、明らかにスフィの言うレジャーとは異なる。

 

「クロー……ここは海水浴の文化が無いのかえ?」

「まあ、そうなるな。好き好んで海に泳ぎに行くやつは中々おらんぞ」

 

 日本では海水浴……つまり遊び目的だけで海に入るというのは、漁村の子供ならばやっていたかもしれないが殆ど認知されていなかったという。

 無論、潮干狩りなど目的を持って海に入ることはあったのだがそれは遊び目的ではない。現代に比べて泳げる人口の数が非常に少ないので海が危険だったということもあるだろう。

 日本に海水浴が導入された当初の目的も、「塩水に浸かって健康になろう」という湯治のような理由だったという。

 

「楽しいのじゃがのー……」

「水着も無いしな」

「今度作ってしまおうかのー」

 

 などとスフィは残念そうにしていた。

 

「ま、とにかくサツ子や。暫くは薩摩人との通訳を頼むぞ」

「頑張っど」

「あと、最初は島を探すために空を飛ぶから覚悟しておくように」

「……九郎様の背中に縛り付けて貰ってよか?」

「うむ。とりあえず鹿屋が救助用の米を用意しておる。多少は多めに食料を積んでいたとはいえ、遭難からもう十日以上経過しておるからな。救助にもまだ数日掛かるから、念のために必要だ。あと靂が自作の方位磁石を持っておったな……あれを借りていこう。よし、サツ子や。早速出かけるぞ」

「い、今から?」

 

 サツ子がいきなりとは思わずに聞き返したが、九郎は頷いた。

 

「善は急げだ。特に救助はな」

「ほらサツ子。念のために握り飯」

「はいサツ子。水筒も持っていきなさい」

 

 用意良く弁当を包んだ風呂敷を襷掛けに背負わされるサツ子。

 皆も九郎が遠出するのに慣れてきたのである。あわよくば自分も付いていきたいところなのだが、急ぎの仕事なので無理は誰も言わない。

 サツ子がわたわたとしている間に彼女は腰に細長くて縛るアレを束ねて九郎に結び付けられ、一応見えないように姿を消して屋敷から飛び立っていった。

 相変わらず、生身の人間では感じられない浮遊感と上空からの景色にサツ子は目を回しそうになるのであった。

 

 

 

 *******

 

 

 

 

 空を征く。海と大地は遥か眼下で、寄せては消えるはずの白波がまるで固定されているようで、水平に視線をやると地球の丸みで大地は消失し、その先の空が見えた。湾になった江戸の形がくっきりと見え、小さな船がその入口を行き来しているのがどうにか確認できた。

 当然ながらサツ子は空から大海原を眺めたことはない。以前に飛んだ時よりも更に高度は高いのだ。

 そもそも江戸に来るときですら、船には男装をして乗り込まされたのだ。普通、地方から江戸に庶民の女が上がってくることは少ない。関八州の近場ならまだしも、薩摩の国から向かうのは並大抵のことではない。

 ただ鹿屋の場合は薩摩の特産品を扱い、本人も密輸などの違法品目に関わっている藩と繋がりの深い業者なので、下手な女中を雇って探りを入れられるわけにはいかないし、かといってむさ苦しい薩摩男子ばかりでは生活もままならないのでこうして薩摩の女を用立てるのであった。

 ともあれ、船旅は中々に息苦しかったが、間違いが起きないようにと親戚である黒右衛門が男装させてくれたので耐えられた。

 

「じゃっどん、空旅は……」

 

 風がびゅうびゅうと自分の周りを流れていき、吹き飛ばされそうだった。日差しも太陽に近いからか肌がひりつくほどである。

 これでも九郎は起風符で気圧や酸素状況を調整して背負っているサツ子を守っているのだが、富士山よりも高いので色々とサツ子は正気を保つので精一杯であった。

 ぎゅっと背中から九郎に抱きつく。それでも滑り落ちないか不安であった。

 

「しっかり捕まっておれよ。とりあえずまっすぐ南に向かうか」

 

 九郎は靂から借りた磁石を確認する。小さな桶に水を張って磁石を浮かべる簡単なもので、空中の水平さは微妙だったが大体の方位は掴める。

 南を確認して九郎は一斗の米俵と焼酎の入った大徳利をぶら下げて滑るように空を移動し始めた。

 

「うやああ」

 

 サツ子は囁くような悲鳴を上げて九郎のうなじに顔を埋めた。

 なんとなくその仕草に虐めたい気分というか、曲芸飛行でもしたらどうなるだろうかという好奇心が浮かんできたがさすがに自制する。

 あっという間に房総半島の崎を抜けて太平洋の上空に達する。そうして相模灘にある大きな島に目を付けた。

 

「うーむ、確かあそこが伊豆大島だったかのう。行ったことは無いが」

「桜島の親父殿みたいじゃ」

「うむ。あれよりはペタンとしておるが、火山島だからのう。とりあえず見えている島々を目印に、更に南下しよう」

 

 と、小笠原諸島を東にしてなるべく江戸の湾からまっすぐ南方向へと九郎たちは進んでいく。

 本来ならば八丈島送りの船が通るように島々を経由して行くのが間違いないのだが、それをしているとどう考えても怪しまれるので一直線に向かわねばならない。

 石燕に描いてもらった簡易海図を片手に、島々の位置を参照する。

 

「ええと、真っ直ぐ南に進んで次に見えるのが安宅島……その下が御蔵島。八丈島は八丈小島と並んでいるのが特徴……おお、向こうの方に見えるのがそれか。案外近く見えるな……数十キロはありそうだが」

「九郎様だったら、島流しにあっても一日で戻ってこれそうじゃ」

「そうだのう。お主らが悲しむなら一日で戻るかのう」

 

 ざっと戻って老人か子供に変身して他人を装えば人相書きが出回ったとしてもそうバレることは無いだろう。法律は基本的に妖怪変化の類に適用するようにできていない。

 連座で周りにまで罪が及ぶときが困るが、いざとなれば幾らでも逃げられる。十年以上も指名手配喰らってる魔女と世界中を放浪していた経験は伊達ではない。

 高空を飛行しながら眺めることができるので周囲数十キロメートルは見える。

 御蔵島から暫く南に進めば、やがて八丈島の上空についた。

 

「軽く迂回せねば、島から救助船が見えて騒ぎになるかもしれんな」

「大騒ぎになったら大変じゃ」

「いっそ夜陰に紛れて通り過ぎるか」

 

 さすがに島が見えてきたら、サツ子も徐々に高さに慣れてきたのか顔を上げて九郎の肩越しに島を見下ろしている。

 とはいえ恐怖感もあるのか、汗ばんだ手でぎゅっと九郎の体を抱いている。背中に柔らかい感触があり、九郎もどこかむず痒い気分であった。

 

「こん先じゃろかい」

「うむ。更に南へ行こう」

 

 と、九郎が先を見遣り暫く進むと、上空から見ればなんとも奇妙な島が見えてきた。

 島の周囲は岸壁で覆われて砂浜は無く、波濤が常に押し寄せて白い輪のようになっている。

 中心部というか、岸壁のすぐ内側はスプーンでくり抜かれたようなカルデラの窪地に、青々と森林が生い茂り小さな池や丘などが見え、高度を落としてよく見れば木造の家屋がちらほらと確認できた。

 船の取り付く浜や湊は存在せず、海側から島に上陸するのは非常に難しそうに見える。

 

「……なんというか、秘境といった感じの島だのう」

「九郎様、あっちの海岸になんか打ち上がっちょい」

「む、本当だ。あれが難破船かのう」

 

 島の北側にある海岸は、浜というにはあまりに岩がごつごつと散らばっている岩石海岸なのだが、そこに五百石積みの船が半ば乗り上がって、幾つも縄で島の岩に括り付けてあった。

 海岸はほんの狭くすぐ近くはやはり崖になっていて、満潮になったら危険そうに思える。

 九郎は空からそこの海岸へ降り立ち、辺りを見回した。僅かに流木を使った焚き火の跡が見えるが、薩摩人の姿は無い。

 

「おーい、誰か居らんかー。助けに来たぞー」

「──チェエエエエイ!!」

 

 聞こえるが早いか、九郎は即座に空に逃げた。急な動きに背中のサツ子が「ぐう」と苦しそうな声をあげる。

 やはり九郎が先程まで居たところに、手頃な棒を手にした薩摩人が殺到して来ており宙に浮いている九郎を睨んでる。

 漂流生活で敵対者への対応が過激になっているのだろう。この島の住人が犠牲になっていないか不安になる示現流的反応であった。

 

「ええい、落ち着け! 鹿屋に言われて助けに来たのだぞ!」

「☓☓☓☓!」

「☓☓☓☓!」

「ダメだ。人間の言葉が通じぬ。サツ子、なんと言っておるのだ?」

「『その人間寄越せ』『人間食って強くなる』」

「変な種族みたいになっておる!?」

 

 本当に食っておらぬだろうな、と九郎は若干顔を顰める。よくよく見れば人数が黒右衛門から聞いたのより少ないのが怖い。

 空に浮いている九郎らに石を投げつけつつ、目を赤く光らせた野生化薩摩人は吼えたくる。

 

「サツ子! 説得!」

「じゃっじ!」

 

 頷いてサツ子は九郎には理解不能の暗号言語を用いて、薩摩人たちに人の心を芽生えさせていく。

 やがて彼らの目の光は輝きを鎮めて、やがて大粒の涙を流し始めた。そして叫びながら涙を拭う。

 

「───!」

「───!」

「ふう……収まったかのう」

「人間を食っても強くなれないって説明しもした」

「そっちを!?」

 

 九郎が驚いて問いかけると、サツ子は気まずそうに笑い顔をこらえながら目を逸らす。

 

「冗談でした」

「意外にひょうきん者だのう……」

「あう」

 

 彼女の形の良い額を指で押してぐりぐりとしながら、九郎はため息をついた。

 

 安全を確保して地面に降り立ち、皆に米と酒を見せると大げさに拝んで手をすり合わせてきた。

 サツ子の翻訳によれば、彼らはここに流れ着いてから少ない食料を切り詰めて、かつ島の住民が積み荷に興味を持っているのを追い払うのに不寝番も立てて生活をしていたようだ。

 人数が少ないのは、救助嘆願の文を持って海に飛び込んだのは七人にも及ぶからだという。恐らく、八丈島に辿り着いた一人以外は海に消えていったのだろう。

 積み荷には薩摩人も一切手を付けず、周囲の海から魚や貝などを取って残された僅かな米で炊いて食べていたという。

 

「そうか……もうあと数日で救助が来るから、これを粥にして我慢して食っておいてくれと伝えてくれ」

 

 そうサツ子に伝えさせて、九郎はきょろきょろと見回す。

 漂流生活で薄汚れて全員の見分けもつきにくいのだが、その中で一人に目を付けて話しかけた。

 

「おう。お主あれだろ。お八の兄の五平だな。随分変わったのう。肌も焼けて全体的に濃い感じというか」

「いや、おいは作兵衛じゃが」

「なんと……随分変わったと言ったが声も名前も変わったのか」

「違うから! 五平は俺の方だから! 何ボケてるんだこの義弟!?」

 

 横から本物の薩摩船員、五平が主張してきた。一応彼にもお八が祝言を上げたという手紙は届いているようだった。

 基本的に彼も薩摩人みたくなっているので、中々見分けが付き難い。

 

「ところで──え、なに。その女の子。お八という嫁が居ながら! 浮気か!」

「何が浮気だ馬鹿者。通訳兼手伝いだ」

「ほう……ほう」

 

 五平の視線は露骨にサツ子の豊満な胸に注がれていた。

 すると、他の船員が骨張った腕で五平の肩を掴む。そして一体何処に叫ぶ体力が残っていたのかというほどの大音響で五平へ怒鳴る。

 

「きさんッッッ!! 何を助けに来てくれた御方の嫁子に目を向けちょるかッッッ!!」

「ええっ!? いやこの子は嫁じゃないし、ええと目を向けたのも長らく会ってない妹が懐かしいなあと」

「お主の妹こんなに胸は無いだろう」

「妹にそげん目を向けちょっとかッッッ!!」

「死罪ッ!」

 

 他の船員にボコられてる五平を見ながら、下手をしたらお八には残念な知らせが届きそうだなあと思いながらも九郎は暫く放置していた。

 

 

 

 

 ********

 

 

 

 

 ともあれ船員の皆には救援物資を届け、食料以外にもたっぷりの真水を船に残されていた桶に満たしてやり、もう暫く積み荷を守っておくように頼んで再び江戸戻って黒右衛門が用意していた船へとサツ子と共に乗り込んだ。

 一旦品川にある大型の船に乗り換えてそこから出発させる。

 腕の良い船頭と船員を集めていたが、彼らは一様にピンと張った帆を見上げて口を半開きにしていた。

 船に乗るまで感じていた風向きとはまったく異なる風が、常に帆に向かって吹き付けて船をスイスイと前方へと進ませているのだ。

 湾から出る際にはそこらに集まっている他の船も、明らかに妙な風を受けて進むその船を不思議に思うのであった。

 

「ううむ、出力はイマイチだがあまり上げすぎても転覆するしのう」

 

 与えられた船は帆が一つなので、大風を受けると大きく船が揺れる。多くの帆を持っている船ならば掛かる圧力が分散されて平気なのだが、無い物ねだりをしてもいられない。

 ゆっくりとした速度だが、方位磁針を見て南へと真っ直ぐに向かっていく。

 

「で、サツ子。大丈夫か?」

「吐っかぶいそう」

「せめて涼しい風でも浴びておけ……」

 

 船に酔い始めたサツ子をなるべく揺れない船の中心に座らせ、体を寄りかからせてやりひんやりとした空気を作って浴びせてやるのであった。

 

「まさか船に弱いとは……」

「ううう」

「まあ、多少は波がうねっておるからのう。そのうち慣れるとは思うが、やることも無いからゆっくりしておけ」

 

 日陰の下で九郎は背中を撫でてやりながら隣で座ってあくびをした。

 えげつないほど荒れていたベーリング海のカニを取りに行っていた程なので、九郎はもともと乗り物酔いとは縁がなかったのだ。

 サツ子も腹の奥底から湧き出る吐き気と、冷や汗をこらえるのだが九郎の着物がひんやりと冷たくて、

 

(気持ち良い……)

 

 と、抱きついたまま魘されながらも昼寝をしていた。

 船員らも勝手に船が進んでいくもので、漂流物などに気をつけたり九郎に渡された磁石を物珍しそうに見ていた。

 

 当時の船での食事というのは、船室で七輪を使って料理が作られる。

 時間は掛かるが米を炊いたり、干し魚を炙ったりできるのでそれなりに食事の時間は船乗りの楽しみであった。ただ、安全面を考慮して七輪にしているとはいえ、時化で船が大揺れのときにうっかり火を熾したままの炭を入れていると焼けた炭が四方八方に飛び散って地獄絵図になるという。

 そのような話を暇つぶしに船員に聞いて、

 

「危ないから己れがやろう」

 

 と、九郎が炎熱符で飯を炊いて魚も焼いて準備をしてしまった。

 どこからともなく炎を出して他の物を焦がさずに調理してしまったので、思わず気絶した船員が居た。

 

「ついでに夕鶴からふりかけも持たされたから、皆で食うか」

 

 若芽と紫蘇のふりかけも配って、皆で旨い旨いと飯を食った。  

 潮風の中で飯を炊くと、不思議と固めに炊き上がるという。その固い飯に、ふりかけが良く合う。

 サツ子は食欲が無かったので粥と梅漬けにしてやった。梅の酸味が気分を落ち着かせる。

 更に船員らは度肝を抜かされた。

 

「デカイ桶は無いか?」

 

 と、九郎が尋ねてきて本来は水を溜めておく桶を一つ渡すと、九郎はそこに水を張り湯を沸かして簡易の風呂を作ってしまったのだ。

 着物を脱いでどっぷりと浸かり、九郎は桶の縁に肘を載せて笑った。

 

「はっはっは。風呂に入ると多少は気分もすっきりするぞ。海の上で夜空を見ながら風呂というのも良かろう。サツ子もどうだ」

 

 江戸では混浴は普通なのであり、九郎も割りと慣れているので自然とそう告げたのである。

 

「やばか」

 

 サツ子は羞恥に顔を赤く染めたが、他の者が物珍しそうに覗いてくる状況で一人で入るよりはと思ってやむを得ず九郎と風呂に入った。

 のだが、もともと風呂ではなく桶であるので中は案外に狭く、殆ど密着するような体勢で入ることになり、サツ子は胡座をかいている九郎の足の間に腰掛けるような体勢となった。

 おずおずと窺うような動きで、柔らかい肌が九郎の体にも密着していく。

 外は暗いのだが、見下ろすようにサツ子を見ると白い胸が湯船に浮いているのが生々しく見えた。

 

「……あれだな。失敗だな。一緒に入るの」

 

 思った以上に、子供と思っていた相手は女であった。九郎は苦笑いを浮かべた。

 江戸では混浴は普通だが、混浴というには距離が近すぎである。

 恥ずかしそうにサツ子も言う。彼女からしても、背中から臀部に感じる九郎の体に、船酔いが収まるほど緊張してしまっていた。

 

「う、ううう、やっぱり、おいがまず出て……」

「いや待てお主が先に出ると覗いた薩摩人が他の薩摩人に殺される。あと、もじもじ動かんでくれ」

 

 立ち上がろうとするサツ子を押しとどめると、彼女は再び九郎の足の間に座り、なんとも微妙な空気が流れた。

 とりあえず九郎が先に上がることにしたのだが、サツ子は座ったまま顔の横をざぶりと引き上げられた、存在感のあるそれを目の端に捉えてしまって顔を湯船に沈めた。

 色々と年頃の女の子なのである。

 とりあえず九郎は服を着て湯桶から背を向けて星空を見上げながら色々と雑念を消していた。

 

 船室も分けて作られているわけではなく、船の甲板下に荷物も寝床もひっくるめて作られている単純な作りであった。

 それでも九郎は船員らも、船主である鹿屋から重要人物だと言い含められているので、ついでに言えばサツ子も居てうっかり目を向けてしまうと死罪ッ!されてしまうので隅の方で整えられて用意されていた。

 とりあえず風呂も上がった二人は、見張りを任せてその寝床で早く寝てしまうことにした。

 九郎に触れていれば多少は酔いを忘れられるので、サツ子は九郎の腕を枕に寝息を立てた。九郎としてもとりあえずはサツ子も近くに居た方が安心だと思って二人で眠りについた。

 

 

 

 

 *******

 

 

 

 

 延々と夜も進んだ甲斐があり、翌日の昼辺りには八丈島近くを航行していた。

 しかし、いきなり海が荒れ始めた。

 船頭が波のうねりに気づいたときには大粒の雨が帆を叩きつけ始め、全方位に荒れ狂う風に襲われ始めた。

 こうなれば術符の風も役に立たない。内部魔力を開放してやれば一瞬は拮抗できるかもしれないが、嵐は長時間続くのである。

 九郎も手伝って帆を下ろし、島に近くて海が浅かったので錨を下ろしてひたすら流されないように耐えることにした。

 しかしながら嵐の中で船内は上に下にの大荒れである。積んでいる食料が崩れてしまっては大変なので縄できつく固定したが、それ以外は地面に這うようにしている船員が転がり、壁に叩きつけられ、床に落ちるなど散々であった。

 カクテルシェーカーに放り込まれているようなものだ。

 九郎はその中で、サツ子が怪我をしないように腕の中に抱いて傾きに合わせて受け身を取るのみである。

 船内には浮かんでいられるほどの空間的余裕が無いし、外に出れば風に飛ばされる。自動回避で床に叩きつけられるのを避ければサツ子が振り回されて酷いことになるので、自分が衝撃を受け止めることでなんとか少女を助けていた。

 

「あ痛っ!」

 

 すっ飛んできた七輪が九郎の額にぶつかって軽く流血する。

 中に火のついた炭が入っていないのが救いであった。一度戦場で火を絶やすと付けにくいので、熾火にしてなるべく持たすのが普通なのである。

 

「九郎様、怪我が……」

「なあにこんなもの怪我のうちに入らん。舐めてれば治る」

「頭を舐められっと……? って九郎様また!」

 

 サツ子が指摘をすると、また転がってきた七輪の壺が跳ね上がって九郎に迫ってきていた。

 

「ええい、鬱陶しい。砂になって消えろ!」

 

 九郎は足の指で術符を摘み、蹴り足で押し付けるようにして砂朽符で壺を砂に変化させる。

 砂は当って不快だが、どうにか直撃は避けられた。

 

「大変じゃ! 浸水が起こいもした!」

「穴を塞げ!」

「浸水が起こったって言ってます」

「次から次へと……」

 

 九郎は周りの意味不明な叫びを翻訳してくれるサツ子を抱えたまま走り、水が溢れ出てくる場所へと駆けつけた。

 術符を取り出して一気に亀裂ごと凍らせて浸水を塞ぐ。嵐が止むまでは持つだろう。

 更には外で雷が激しくなり始めた。

 帆柱にでも直撃したら航行に大きな支障が出る。九郎は居ても立ってもいられず、甲板へと出る。

 

「鬼火じゃ! 鬼火が出ておる!」

「やっば……今にも落ちそうではないか」

 

 船のあちこちが青白く僅かにコロナ放電を起こしており、周囲にいつ雷が落ちてもおかしくないことを示していた。

 

「こんな時こそ役に立て、電撃符……!」

 

 九郎は電撃符(あんまりつかえないの)を取り出し細かい調整を念じて使用することで、周辺の強電場を散らして船からの迎え放電を起こらなくさせた。そうすることで雷が落ちる対象から外れるのである。

 

「地味だな……活躍が」

 

 手元の術符を見下ろしてぽつりとつぶやく九郎であった。

 そうして嵐が去るまで一晩どたばたと走り回り、ようやく翌朝には荒れた海も戻っていった。

 疲れきった船員と九郎らは、ひとまず船を八丈島から離してゆっくり航行させながら、船に倒れるようにして寝転がる。

 そんな九郎の顔を、サツ子が濡れ手ぬぐいで洗ってやった。

 

「ああ、疲れた。サツ子や、怪我はないか?」

「おいは大丈夫じゃ。九郎様が守ってくれて」

「何よりだ。あーしんど。少し寝るか……」

 

 九郎が大あくびをすると、屈んで九郎の顔を覗き込むようにしていたサツ子が──

 軽く、九郎の額に口づけをした。

 

「……サツ子?」

「……唾でもつけてると治るって」

 

 九郎の額の傷のことであった。彼女は九郎のそれをずっと心配していたのだ。

 もともとの回復力もあってもう殆ど傷は塞がっているのだが、

 

(照れ恥じらってるサツ子が存外に……) 

 

 くっ、と九郎は何か衝動のようなものを感じて、目頭を押さえた。

 

「と、とりあえず寝よう」

「ん」

 

 サツ子も頷いて、当然のように九郎の横に寝転がった。

 色々と思うところはあったが、疲れていたので九郎もサツ子に抱きつかれたまますぐに眠った。

 九郎の寝息が規則正しく響いたのを聞いて、もう一度だけサツ子は気づかれないぐらい軽く口を触れさせた。

 

 

 

 

 *******

 

 

 

 

 嵐で多少の被害を受けつつも航行中に修理をして、どうにか救助船は難破した薩摩人らのもとに辿り着いた。

 感激している要救助者を船に乗せて、荷を皆で協力して船に積み直す。

 確認するようにサツ子が商品リストを見ながら九郎とチェックしていく。

 

「藩邸に納める米」

「うむ。塩水も染みておらぬな」

「店で商う砂糖その他」

「うちでも買う分だのう」

「南蛮渡来の薬」

「んんー?」

「清渡りの硝子細工と──」

「これって抜け荷の……」

「阿片」

「絶対アウトなやつだろこれ!」

 

 かなりの疑念を持ちながらも、船を真っ直ぐ北に向けて航行させるために帰りも船便で九郎は江戸に戻るのであった。

 なお、黒右衛門の言い分というか、阿片輸入目的は「薬の一種」として購入したということであるようだった。

 実際麻酔の材料としても使えることは使える。

 

「この程度のごく少量では江戸で阿片を流行らせることもできないでしょう!」

 

 と、汗をだくだくと浮かべながら言うのだが、とりあえず怪しいので阿片は九郎が購入して薬に詳しい将翁に渡すことにしたのであった。

 いざという時の手術に使えると彼女は喜んでいたが。

 

「大体ほら、昔に豊房殿が腸捻転を起こした際に開腹するため吸わせた眠り薬。あれにも阿片は入ってましたよ」

「マジかよ……」

「知らない間にヤクキメされてるの……」

 

 それと九郎は謝礼金に、積んでいた砂糖を格安で売ってくれて色々と得をするのであった。

 そして黒右衛門も屋敷に礼を告げに来ていたときに、ふと夕鶴がサツ子に聞いた。

 

「ところでサツ子。ご主人様と何も無かったでありますか? 幸運助平なこととか」

「ばってん!?」

「おやおや? その反応は怪しいでありますな……!」

 

 にやにやと夕鶴がサツ子の手を掴んで引っ張り、逃げられないようにする。

 彼女は顔を赤くして首を振っていた。

 

「白状するであります!」

「な、何も無かったとよ。ただ、暗い中で抱かれて、一晩中上に下に転がりまわって、血が出たり舐めたりして、疲れて眠ったぐらいで……!」

「それ誤解を招くからなサツ子!?」

 

 テンパって断片的なことを言うサツ子に九郎は叫んで止めた。

 何故か黒右衛門が喜色満面になりながら揉み手をしている。

 

「ほほう! ほほうほう! 九郎殿もやりますなあ!」

「お主わかってて言ってるだろ!? 船員から報告聞いてるのだから!」

「ええ。小さい桶の中で二人裸になって密着してたとか」

「風呂だから! 悪意のある捉え方をするでない!」

 

 兎にも角にも。

 にやにやと冷やかす黒右衛門と屋敷の女を説得するのに、半刻は掛かる九郎であった。

 

 

「のー、サツ子や。クローとの旅行は楽しかったかえ?」

「……じゃっじ」

「じゃろうのう。退屈はせんからな。しかし私があやつと旅行やら冒険やら出ても不思議と一つも誤解を招くラッキースケベが発生せんのじゃが……胸か! 胸の差か!」

 

 九郎が慌てて嫁やらに言い訳を告げていて、彼女らも別段怒っては居ない様子だが焦る九郎の釈明を聞くのが楽しそうであった。

 それを見ながらスフィは理不尽な怒りをサツ子の胸に突くという形で発散させようとしたのだが、弾力に敗北感を覚えて止めた。

 

 サツ子は船旅のことを思い出しながら、指で軽く唇をなぞるのであった。

 

 

 

 

 

 

 ******

 

 

 日本橋にて運んできて商品を鹿屋に納入していると、水夫の一人が藍屋夫妻に話しかけられた。

 

「おおっ五平! 帰ってきたんだな!」

「まあ、すっかり逞しくなって……! 変わったわね……!」

「おいは作兵衛じゃが」

「名前まで変わって……!」

「ちょっと!? 親父!? おふくろ!? あんたらの息子はこっちなんだけど!?」

 

 またしても間違えられている五平であったという。

 

 

 

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