「ん…………」
朝の気配を感じて、半覚醒の状態まで目を覚ます。
室内は暗い。
ヴォオォォォン……
バタンバタンバタンバタン……
いつものように、電車の走行音が────
「…………?」
いつもと、少し違った。
普段、寝ている時には足元の方から聞こえてくるが、それが身体の右寄りから聞こえてくる。しかも、いつもは近付いてきて、足元を通って遠ざかって行くが、今は、ただ遠ざかっていく。
のそり、と、寝返りを打って、布団に手をついて、四つん這いになるような姿勢から起き上がりかけた。
「…………」
いつもと違い、自分が寝ていた床に敷かれている布団が、ベッドと、たくさんの物が乗っている机の間に挟まれていた。 ────PC類の乗っているOAデスクの下段では、手製NASの電源ランプの緑の光と、排気ファンの仄かな連続音が聞こえてくる。
音は他に、エアコンのものも聞こえてきている。
「…………あ、そうか」
立香は、自身がいるのが自宅ではなく、クレオパトラ49世邸だという事に、そこでようやく気がついた。
「んー……」
立香が、物音を立てないように立ち上がろうとした時、ベッドの上でむくり、と起き上がった。
ベッドの上で身を起こしたクレオパトラ49世が、ベッドの宮棚においてあったリモコンを手にとって操作すると、電球4灯の小洒落たシーリングライトが点灯する。
機器類が置いてある部屋なので、特に夏場は、直射日光や室温上昇を嫌って、リフォームで取り付けられたシャッター式の雨戸を閉め切ってあった。
また、家の中でこの部屋だけ、ガスや灯油の暖房を排除していて、エアコンの室内機は暖房に強い床置き式になっていた。
「んあー……おはよ、立香」
クレオパトラ49世は、自分のベッドの隣に敷かれた布団の上に立っている立香に、まだ覚醒しきっていない眼で視線を向けつつ、宮棚に置かれていた目覚まし時計を手に取る。ベルが2つ上に乗っているクラシカルなスタイルだが、電波時計だ。
「んー……結構遅くまで寝ちまったなぁ……」
まもなく9時になる時計の表示を見て、クレオパトラ49世は、呟く様にそう言った。
「昨日、結局寝たの3時前だったからね……昨日っていうか、もう今日だけど」
立香もそう言ってから、手足を広げて身体を伸ばした。
「……ぅうぅん…………はぁっ」
その後で、立香は続ける。
「別に急ぐわけでもないからいいけど……」
「まぁね」
クレオパトラ49世も同意の声を出した。
須磨寺店員とは顔見知りではあるが、自宅に押しかける程の仲ではない。
それに、あくまでセオリー通りならだが、聖杯戦争に絡んで動くとしたら、空が暗くなってからの時間だろう。あまり早くに行っても、もし予測があたっていて、それで取り逃がしたらどうしようもない。
立香は、布団の枕元においておいた、自身のスマートフォンを手に取る。
立香がスマートフォンのロックを外している横から、クレオパトラ49世は布団の上を横切って、PCの自分の椅子に腰掛けつつ、サスペンド状態のメイン機を復帰させ始める。そうしてから、自身も自分のスマートフォンのチェックを始めた。
「あ、
立香が呟く。
『結局、何時ぐらいに行くのよ?』
そう書かれたショートメッセージが、早朝も早朝、5:30の少し前、平日ダイヤの電車が動き出した頃に届いていた。
「────……って、聞いてきてるんだけど」
立香が、OAチェアを回して自分の方を見ているクレオパトラ49世の方を向いて、訊ねるように言った。
「んー……それじゃあ、14時過ぎぐらいかなぁ。現地集合で」
クレオパトラ49世は、自身のスマートフォンに視線を向けながら言う。
「ずいぶん遅いね?」
「うん、こっちに間桐慎二から、合流できるのは午後って来てるんだよ」
意外そうに問い返す立香に対し、クレオパトラ49世は、苦笑するような表情で答えた。
「ふーん……じゃ、それぐらいで」
立香は、自身のスマートフォンで、オルガマリー・オルタへの返信を打ち込み始めた。
「じゃ、アタシは動画のコメントとかDMとかに返事書いてるから」
「はーい」
そう言って、復帰したPCのロック画面を外しているクレオパトラ49世を余所に、立香は、オルガマリー・オルタへの返信を打ち終えると、クレオパトラ49世の自室を後にした。
「たっぷりのバターをとろけさせて、鶏がら出汁を入れて、鶏肉を炒めてと……」
リンナイ製の両面焼グリル付ガステーブルの、 “強火力バーナー” の上で、浅型の片手鍋が小刻みに踊っている。
「琉希クン、ご飯お願い」
アサシンが、中身が焦げないように、片手鍋の柄を握って揺すりつつ、木しゃもじで混ぜ続けるそこへ、琉希が、昭和レトロなガス炊飯器からボウルで分けてあった白飯を入れる。白飯を刻むようにして混ぜる。
「チャーハンじゃないから水分飛ばしきらない程度の火力で、よく絡めて……と」
「ケチャップは入れないんですね?」
ガステーブルの前にアサシンと琉希が並んで作業をしている傍に、ランサーとセイバーも立ち、興味深く観察している。セイバーが、アサシンに対して琉希の反対側から覗き込んで、そう訊ねた。
「うん、好みにもよるんだけど、トマト系・トマト系でトマトがくどくなっちゃうからね」
アサシンは、ニコニコと楽しそうにそう言いながら言った。
「チキンライスはこれでよし……と」
口に出して言いながら、 “強火力バーナー” の火を消す。鍋のフタを、蒸気が完全に籠もらないように僅かにずらして置く
「ここからが本番だよー! フライパン!」
「どうぞ、シェフ!」
お互い戯けて言いながら、アサシンはセイバーからフライパンを受け取る。
カチッ
チッチッチッチッ……
“標準バーナー” のボタンを押す。連続スパーク音とともに青い炎がフライパンを炙り始める。
「フライパンにバターをおいてから、その間に……────」
そう言って、アサシンが、両手で両側から何かを受け取る姿勢になると、左側からセイバーが小鉢を、右側から琉希が卵を、それぞれ渡す。
アサシンは、2個の卵を順番に、片手で起用に割って小鉢に落とし、それを菜箸で手早く、しかししっかりとかき混ぜる。
バーナーの火を少し弱めてから、フライパン全体に均一に広がるように、溶き卵を流し込む。
「焼けて全体的に固まってきたら、しゃもじ2回分のチキンライスと」
隣の鍋を手に取り、薄く卵が焼き上がりつつあるその真中に、言った通りにご飯を置く。
そこでさらに、火を弱める。
「手早く包んで────」
菜箸で器用に、卵でご飯をとじる。
その横に、既に琉希が準備していた白いボウル皿に、フライパンを傾けてひっくり返すように、黄色いオムライスを乗せた。
「あとは、デミソースをかけて出来上がりと」
琉希から皿を受け取ったランサーが、アサシンの言う通りに市販のデミグラスソースをかける。
「あー、なんかバターと鶏肉のいいにおいするー……」
そこへ、立香が上階から降りてきた。
「ああ、立香。今、アサシンが朝ご飯つくってくれてるんだ」
ランサーが、立香に視線を向けて言った。
「へーっ、オムライス! それもお店で出てくるみたい」
立香が、感心したように言った。
「そこまでじゃないですよー」
2食目の卵を溶きながら、謙遜の苦笑を浮かべつつ、アサシンは言う。
「いやお世辞じゃないって……」
立香は、見た目と匂いだけでも充分に美味だろうと解るそれを凝視しながら言うと、そこで、視線をアサシンの方に向けて、
「────ひょっとして、誰か食べさせたい相手がいたとか?」
と、やや下世話な笑顔で、そう訊いた。
「あ……えっと……」
アサシンの隣で、琉希が気まずそうな表情をする。
アサシンの表情に、翳が差したように見えた。 ────ただ、それは一瞬の事。
「…………ッ」
「そうですねっ!」
立香が、詳細はわからないが失言だったと感じ、フォローの言葉を発しようとしたが、その直前に、アサシンは、ニコッと笑顔になって楽しそうに言う。
「琉希くんに食べて貰えたから、いいかな」
そう言いながら、くるっとガステーブルに向き直り、フライパンに溶き卵を流し込み始めた。
「あの、さつき……」
「本心で言ってるよ」
琉希が気にしたように声を掛けるが、アサシンの方は、あくまで調理のために、フライパンに真剣な視線を向けつつ、口元で誤魔化しなく笑みつつ、そう言った。
「ほらほら、お皿」
「あっ、はいはい!」
アサシンが軽やかな口調で言うと、琉希は次のボウル皿を用意する。アサシンはフライパンを傾け、先ほどと同じ様に、鮮やかにオムライスを乗せた。
「おっ、朝からいい匂いがしてるなぁ」
クレオパトラ49世が上階から降りてきて、そう言って、鼻で深く息を吸った。
普段あまりダイニングとして使われていないこの家のダイニングだが、折りたたみ式のダイニングテーブルと、やはり折りたたみ式のスツールが設置された。
そのテーブルの上に人数分のオムライスが出来上がって、
「いただきまーす!」
と、6人で揃って、スプーンを手に、遅い朝食を摂り始める。
「んまっ」
一口食べて、立香がそう声に出した。
「本当にこれ、お店で出てきてもおかしくないって」
「ホント、マジで美味しい……」
「お二方、少し行儀が悪いですよ」
咀嚼嚥下した合間にとは言え、皿を抱えスプーンを持つ手を休めることもなく言う立香とクレオパトラ49世に、セイバーがやんわりとした口調で嗜める。
「喜んでもらえて嬉しいです」
照れくさそうな表情で、アサシンは言い、視線を自分の分のオムライスに向けて、
「あ……それと」
と、申し訳無さそうに、視線をクレオパトラ49世に向けた。
「すみません、私……私の分も、材料費使っちゃって……」
「へ……?」
一旦、手と口の動きを止めて、クレオパトラ49世の方からも視線をアサシンに向ける。
その一方で、ランサーとセイバーが顔を見合わせてから、
「それを言ったら、アタイ達だって似たようなものだよぉ?」
「そうですよ。アサシンばかりが気にする必要はありません」
と、口々に言った。
「だいたい、それを言ったらこの1食分より、給料日前になるとウチで晩飯食べていくやつにきっちり精算してほしいんだが」
「んぐっ」
クレオパトラ49世が、わざとらしくも憤ったような表情を作って言うと、その隣でがっついていた立香が、詰まらせたかのような声を出した。
『下谷地、下谷地です』
助手席窓のワンマン灯を点けた単行の電車が、下谷地電停に到着する。
『谷地行き、ワンマンです、谷地行きでーす!』
片側3ヶ所の扉の内、中央の1箇所を締め切って、進行方向前側が降り口、後ろ側が乗り口として開く。
その降り口から、3人の女性、少女────間桐姉妹と、キャスターが、ホームに降り立った。
ペーッ……
『発車します。閉まるドアにご注意ください』
プシューッ、ガラララ……バタン
ヴォオォォォ……バタンバタンバタンバタン……
扉扱いブザーと自動放送の後に、扉が締まり、電車は軽い上り坂になっている谷地への専用軌道へ入り、走り去っていく。
「あ!」
ペーッ……
プシューッ……バタン
ブロロロロロ……
『瑞坂台(下谷地経由)』と掲げた路線仕様ローザが、ちょうど出発してしまった。
「行っちゃったぁ……接続悪いなぁ……」
キャスターが、疲れたような表情で言った。
「いえ……」
「あのバスの方が遅れていたみたいね」
「ふーん」
キャスターは、気のない声を出す。
慎二とキャスターが、瑞坂台へのバスの方へ歩き始める。桜もそれに続こうとして────
カン・カァーン!
フートゴングの音に、桜は振り返る。
次の電車がやってくるには、まだ早いはずだが、谷地方ではなく、自分達が来た北川端・本町方から接近してきている。
ヴォオォォォ……
電車よりも盛大なブロア音を立てながら、前面と側面に『ED38 2』のナンバーを掲げた電気機関車が、単機回送として北川端・本町方から向かってくる。
桜は、自身に近付いてくるその機関車を、視線で追う。
2両いる北豊田電軌ED38形は、数奇な運命を辿っている。元々阪和電気鉄道ロコ1000形として新製されたが、まもなく同社の戦時買収によって国鉄ED38形となる。現北豊田ED38形1号は阪和ロコ1004号だったが、阪和線を出された後は三岐鉄道に貸与扱いで渡り、その返却後、国鉄籍に戻らず、当時鉄道線の600V電化区間の1,500V昇圧を目論んでいた北豊田電軌の目に止まってやってきた。
1年遅れで阪和線を去った元阪和ロコ1002号は、一度大井川鐵道に渡り、そこから再度秩父鉄道に譲渡されている。残り2人の姉妹、当時のED38形1号、3号とは秩父鉄道で再開したが、1976年にその2機より先に用途廃止となって北豊田に再々譲渡された。
またこの関係で、先に来た旧4号が現1号にリナンバリングされているため、国鉄時代からの番号を着けている2号と新旧が入れ替わってしまっている。
また、国鉄時代に廃されていた回生ブレーキは、複電圧化改造時の制御器交換で復活(旧4号→新1号は新設)したいる。
関西で生まれ、国の都合で生き別れになり、紆余曲折を経てこの北豊田で再会した姉妹。 ────特に、20世紀終わり頃からの野口平車両区でのファン・フェスタなどで、一般人の興味も引くPR用キャッチコピーとして使われている。
「…………」
現在の北豊田電軌の現役車両で、最年長の “姉” は、桜の目の前の、併用軌道と専用軌道の接続点を越える。桜は、さらに視線で追い続け、専用軌道の坂を登っていく姿を見送った。
「どうしたの? 桜?」
立ち止まってしまっていた桜に気がついて、慎二がキャスターとともに振り返り、不思議そうな表情をしながら桜を見ている。
「あ、す、すみません」
反射的に謝る言葉を出してしまいつつ、桜は小走りに2人を追いかけていく。
「マスター、別に怒ってるわけじゃないでしょ?」
「え? ええ、まだ時間もあるし……────」
キャスターが、どこかキョトン、とした様子で慎二に聞くと、慎二も、最初はキャスターと似たような表情で言うが、
──機関車、か……
“再会した姉妹” のコピーを知っている慎二は、複雑そうな表情になって、専用軌道の上り坂を作っている土手を見上げた。
「マスターまで、なんか変になってない?」
キャッチコピーを知らないキャスターは、少し怪訝そうな表情をしながら、言った。
「そうかしら……そうかもね」
慎二は、そう言いつつ、自身の傍によってきた桜と手を繋ぎ、ディーゼルのバス停へ向かう。
三菱車への集中を避けるための、トヨタ コースター路線仕様車が、LED表示器に『瑞坂台(下谷地経由)』を提示しながら、バス停に入ってくる。
野口ボデー特装車の後部折戸から、慎二と桜はスマートフォンのモバイルPASMOを、キャスターはカードのPASMOを、それぞれ読み取り機にかざして、乗り込む。
その後部出入台の直前、タイヤハウスの上の2人用座席に、慎二が窓際、桜が通路側になるように腰を下ろす。キャスターは、通路を挟んで反対側の、1人用座席に腰掛けた。
「姉さん」
桜が、慎二に仄かな声をかける。
桜も、今となっては聖杯戦争の存在は知っている。もちろん、この瑞苑の聖杯戦争だけではなく、外部のものもだ。
そして、住居である分譲マンションの名義、それに、生活資金として持ち込んだ有価証券の類や、主な預金用の銀行口座、それらがすべて桜の名義になっていた。
それは、つまり────
慎二は、桜の手を握る。
「大丈夫よ」
少し険しい表情で言ってから、桜がそこに視線を向けたところで、少し戯けたように声を出す。
「私を誰だと思ってるの!? 奇跡的に生まれた
「…………はい」
複雑な想いが巡っているのに、桜は、小さく肯定の返事をすることしかできない。それは、必ずしも姉からの威圧だけではなかった。
「大丈夫。不幸なお姫様の物語は、ハッピーエンドで終わるって、決まってるでしょ!」
慎二は、自信ありげに、決して貧しいとは言えない己の胸のあたりを、拳で叩いた。
「まかせておきない」
────────でも、そこに
3人は、バスで瑞坂台…………瑞坂台教会へと向かっていた。
具体的な感想をいただけると、続きを描くことが捗ります。
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