インフレおぜう様   作:エゴイヒト

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過去編その2。
可愛い可愛いゆかりんの下積み時代の話。


これから17801000時間あなたを刀で刺し続ける

 

 これは、何千年前かも定かでない遥か昔のこと。八雲紫が、妖怪としてまだ未熟であった時代。

 人間がスキマ、『境界』というものをハッキリ認識しなければ、スキマ妖怪たる八雲紫は発生しない。神々が名を付け、あるいは人間が言葉を習得し、論理的にモノとモノを区別し出した時、そこで初めて八雲紫が生まれる条件が整った。

 しかしこれだけでは足りない。妖怪が成立するには、そこに未知への畏れがなくてはならない。特に古代においては複雑怪奇なものよりも、実体ある即物的な恐怖の方が勝る。

 現代であれば、差別や闘争を生む人種、性別、言語の壁といった境界に無意識に警戒を覚えることは少なくない。だが太古の時代、死、闇、病、飢餓、獣、その他自然現象に優先して、スキマなどという抽象的なものに畏れの矛先が向くことはほとんど無かった。

 

「暗いよ……怖いよ……」

 

 陽が沈み、夜の帳が降りた頃。ある集落のボロ小屋で、子供が一人泣いていた。それは高床式の倉庫であった。いや、元、というべきか。嘗ては食糧を保管していたが、土台を支える柱が壊れて既に使われなくなっており、今は悪戯をした子供のお仕置き部屋として使われていた。

 

「ひっ」

 

 かさかさ、と鳴る音に驚いて、少年が小さな悲鳴を上げる。

 床に空いたスキマから動く影が見える。少年は暗闇の中恐る恐る目を凝らす。その正体は鼠であった。ここに食糧が保管されていたことを覚えていたのか、はたまた匂いでも残っていたのだろう。

 

「ほっ」

 

 安堵も束の間、びゅうびゅうと音が鳴る。

 一瞬びくりと肩が震えるが、今度は恐れるようなことではない。

 

「うう、さむい……」

 

 壁に空いたスキマから吹き付ける夜風に、少年は縮こまる。

 もうかれこれ1時間以上はこうしている。

 以前は、たしかこのくらいだった筈だ。体感で、少年はそろそろ父が怒りを収めて出してくれる頃合いだと悟る。

 親の庇護を求める本能のようなものか、子供にとって何よりつらいのは暗がりの中での孤独だった。

 孤独は、恐怖を搔き立てる。ありもしないものを想像させ、畏れを生む。

 

 ひた、ひた、と音がした。

 

「っ……?」

 

 聞きなれない音に、少年は違和感を覚える。

 また動物でもやってきたかと思ったが、こんな粘つく音を鳴らす動物など知らない。しかも音の大きさからして、どうやらかなり大きな動物だ。雨で濡れた人間の手か足が床を踏む音が、こんな感じかもしれない。

 ……しかしここ数日、雨など降っていない。

 ふと、音が鳴る方に目を向ける。暗がりの中、壁のスキマの奥からあの音が聞こえてくる。

 少年が恐る恐る近づくと、

 

「おいで……おいで……」

 

 という声と共に、スキマから手が飛び出してきた。

 それは壁を掴み、狭いスキマから這い出ようとしているようであった。

 

「ひぎゃああああああ!!」

 

 悲鳴が村中に響き渡る。少年は扉をドンドンと叩いて、涙を流しながら出してくれと懇願する。

 

「何だ騒がしい。もうちゃんと反省したか?」

「何を泣いてんだ、お前が勝手に森の中に入ったのが悪いんだろう」

 

 扉はあっけなく開き、少年の父が隣人の男衆を連れて出迎えた。

 

「おっとう、手が! 壁の中から手が! 間から!」

「はあ?」

 

 少年は父へ抱き着いて泣き喚く。父は灯りを手に、小屋の中を照らした。

 

「あのなあ。壁の間に手が入るわけないだろう? お前の小さい手でも通らないぞ」

「えっ?」

 

 父の言葉は正しかった。改めて壁を見てみると、その隙間は寸半もない。とても手が入る大きさではない。

 では、先ほど見たものは何だったのか。

 

「あはは、ちょっと閉じ込められたくらいで情けねえ奴だ!」

「うちのせがれ、こんな臆病で狩りができるかね。獣は小屋の中よりもっと怖いぞ!」

 

 男達に揶揄われながら、少年は家へと帰っていく。

 

 

 

「はあ、はあ……これだけなの……?」

 

 小屋の壁の隙間。

 その奥に広がる小さな異空間の中で、みすぼらしい少女が苦悶していた。

 

「足りない……全然足りないわ……もっと欲しい」

 

 数週間ぶりの人間の恐怖の味は、格別だった。

 だがこんなものでは足りない。何とか生き長らえることができるだけで、まるで飢えは満たされない。しかし、このような方法でしか恐怖を得られないのだから仕方がない。

 想像力豊かで暗がりに怯える幼い子供からしか畏れを摂取できないほどに、矮小な妖怪。

 まともに人を襲う事もできず、こそこそ動き回って驚かすだけの害の薄い弱小妖怪。

 垢舐めのごとく惨めで、同じ妖怪からも嘲笑われるような滑稽な存在。

 それが彼女、後の八雲紫であった。

 

「ああ、羨ましい。私にも、人間を襲えるだけの力があったら」

 

 この時代、『隙間』というのは言葉通り物と物の間にしか見いだされることは無かった。

 だがそれが何だというのだろう?

 プレス機に挟まれて死ぬなんてこともない時代、物言わず動きもしない『隙間』に誰が恐怖を抱くのか。

 加えて、都合よく抱かせたとして恐怖の矛先が上手くこちらに向くとは限らない。

 例えば、隙間の奥には動物が潜んでいるから怖い、と人間が思ったとしよう。であれば、恐怖の矛先はゴキブリや鼠か、何割かはそういう別の何かに向いてしまう。

 実際今回も、三分の二程は鼠や闇、夜風を司る妖怪や神格に持っていかれてしまい、お零れしか貰えなかった。

 

「チュウ、チュウ」

 

 演出役を担ってくれた鼠が、紫のスキマの中へ入って来る。

 鼠は報酬を寄越せとばかりに、紫の足を鼻で小突いた。

 

「ええ、分かっているわ。今朝食糧庫から盗んできた分よ」

 

 そう言って布に包んだ米粒を差し出すと、鼠は飛びついて紫から奪い去る。

 鼠は少ないなと言わんばかりに尊大に鼻を鳴らして紫を後ろ脚で蹴ると、スキマから出て行く。紫は文句一つ言わずその後ろ姿を見送った。

 小屋を出て、紫はふと夜空を眺める。

 もうすぐ満月か、ほとんど丸い月が顔を出していた。

 こんなに醜い生き方しかできない自分にも、美しいモノを見る権利は平等に存在する。

 紫は月へと手を伸ばす。

 いつか、あの美しい月を自分のものにできたら。

 こんな妖怪でも、生まれて来た意味があったと思えるのかもしれない。

 

「もうすぐ満月……。いけない、今日だったわ!」

 

 紫は重要な用事を思い出した。

 定例集会の時間だ。遅刻すればとんでもないことになる。紫のような立場の弱い妖怪は、何をされたって文句は言えない。彼女はすぐに駆けだした。

 

 

 人間の集落の傍にある森の奥深くで、魑魅魍魎達が犇めいていた。特に目立つのは、野狼の妖怪、猪の妖怪、そして……鼠の妖怪。

 彼らはこの辺りを仕切るエリート妖怪。紫のような木端妖怪では足元にも及ばない、錚々たる面子が並んでいた。やはり何度顔を会わせても慣れないものだ。紫は唾を飲みこむ。

 どうやら、集合の時間には間に合ったらしい。まだ全体会議は始まっていないようだ。

 最近の調子はどうか、と各々が知り合いに声を掛け、情報交換をしている。

 

「おう、来たか」

 

 切り株の上に座って偉そうにふんぞり返る、太った毛むくじゃら。2mを超える体躯の大鼠が、紫を見つけて声を掛ける。

 

「貸してやったウチの子はどうだ?」

「はい……おかげ様で、喰いっぱぐれることもなく……」

 

 この鼠の妖怪は、紫に鼠を貸し出している妖怪だ。弱小妖怪がここで生きていくには、強い妖怪の傘下に入る必要がある。ぎこちない笑みで、紫はおべっかを使った。

 

「そうかそうか! ……ところで、()()()はどうだ? まさかウチの可愛い子の腹ぁ空かせたままにしてねえだろうな?」

 

 アガリとは、餌のことだ。彼が使役する子分鼠達の食糧を、傘下の妖怪から巻き上げているのだ。

 無論、貸し出された鼠の分だけではない。あれは単なる駄賃のようなものだ。

 

「勿論、欠かしておりませんわ。それはもう、米を沢山と」

 

 そう言って、紫は服の隙間から壺を取りだす。中には大量の米が入っていた。

 それを、大鼠に献上する。

 

「ほー、うちの奴も頑張ったじゃねえか」

 

 それを受け取って、大鼠は満足そうに頷く。

 

「……あ? 米だと?」

 

 しかし、突如その表情が険しくなる。

 何か間違えたかと、紫に緊張が走った。

 

「……これ、どこから手に入れた?」

「ここの人間の集落の……食糧庫ですわ」

「お前が取って来たのか? 一人で?」

「え、ええ」

 

 壺を地面に置いて、大鼠はしばし沈黙する。

 ギロリ、と大鼠の目が光った。

 

「テメェふざけてんじゃねえぞ!」

「きゃっ!?」

 

 怒号と共に、紫は親分鼠に胸倉を掴まれる。

 

「舐めてんのかこの脳無しが! 食糧庫は俺らの縄張りだろうが!」

「で、でも、助力してくださった鼠様方は米以外気に入らないみたいで……」

「だったら余所の集落から盗ってこい! 第一、テメェが盗ったら()()()も無くなんだよ!」

 

 この大鼠は、子分の鼠達と違ってあくまでも妖怪。吸血鬼が血を必要とするように、妖怪とはいえ元が鼠である以上ある程度の食糧は必要だが、それだけでは足りない。必要なのは、紫と同じ『人間からの畏れ』だ。

 ここで、鼠がどのように恐れられるかを考えてみて欲しい。人間達は鼠などの野生動物に食糧を奪われることを恐れて、高床式倉庫を発明した。当然、他の要因によって奪われれば、畏れの対象はそちらへ移ってしまう。

 紫に正面から強盗できるほどの力はない。こそこそと忍び込んで奪ったのなら下手人の正体は不明になり、畏れの対象は不特定多数に分散する。まして鼠は鼠返しのついた倉庫から盗むことは難しいから、犯人像から外されてしまう。

 つまり大鼠が人間から畏れられるには、鼠返しのついた食糧庫から、鼠の仕業だと人間に認識させた上で食糧を盗む必要がある。

 

「おめえも知ってんだろうがよ! 人間共の眼前で一息に食い荒らしてんのをよ!」

 

 まず、大鼠の力を分け与えられた子分鼠達が、大群衆で柱を齧って小屋を壊す。異常事態に気付いた人間達はすぐに駆け付けるが、人間さえ噛み殺すほど狂暴化した彼らを止めることはできない。そうして呆然とする人間達の前で、鼠達は食糧を奪っていくのだ。

 

「どう落とし前つけてくれるんだ!? ああん!?」

 

 紫は大鼠の剛腕で突き飛ばされて尻餅をつく。

 大鼠は大きな前歯を剥きだしにして、赤い瞳で紫を睨みつけた。

 

「ひっ! ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 紫は怯えながらも必死に謝罪する。物と物のスキマに異空間を作る力を除けば紫は大した力を持たず、身体能力は人間の女とそう変わらない。紫のような三流以下の妖怪が大鼠のようなエリート妖怪に逆らえば、命は無い。

 

「ハハハ、その辺にしておきな! 鼠の旦那!」

「ああ?」

 

 しかし運良く、それを咎める者がいた。

 そいつは全身が黒い毛で覆われ、二本の尾を持つ狼だった。野狼の妖怪。集まった妖怪達の中でも特に武力派で、いくら大鼠といえども正面からの戦いでは勝ち目はない。

 

「使えねえ下っ端でも、今から戦力を減らすのは止してくれよ。それに、もうそろそろ揃ったろう。本題に入りたいから、揉め事は後にしてくれ」

 

 軽い口調だが、その黄色い眼光は決して笑ってはいなかった。野狼の妖怪は、特に上下関係を気にする妖怪だ。自分より地位が低い者同士が争ったり下剋上を起こす分には気にしないが、自分に逆らう者には容赦がない。

 

「ちっ、ああ分かったよ。……次はねえぞ」

 

 紫はかくかくと首を縦に振る。

 鼻を鳴らして大鼠がどっかりと座り直すと、定例会議が始まる。

 やれ人間の様子がどうだ、余所の集落を縄張りにしている妖怪の勢力争いがどうだ、と話は進んでいく。

 話題が出きった頃合いを見て、野狼の妖怪が語り始めた。

 

「俺達がここの集落に入植してはや半年。ここらの妖怪達は皆俺達の()()となった」

 

 ならなかった者は、淘汰された。紫もよく知っている。彼ら大物妖怪達は、余所からやってきた妖怪の群れ。ある日突然やって来て、ここを縄張りとしていた妖怪達と争いになったのだ。

 

「つっても、鼠の旦那のところの新入りを除いたら全員土の下だがな」

 

 ぎゃははは、と下品な笑い声が飛び交う。原住民の妖怪は何れも格の低い妖怪ばかりで、各々の縄張り意識はあれど横の繋がりや上下関係など無かった。そんな奴らが、彼らに敵うわけもない。と言ってもスキマに閉じこもって怯えていた紫より弱い妖怪などおらず、彼女が生き残ったのは大鼠に見つかるや否や早々に降伏して媚を売ったからだが。

 

「さて、ここまで言えばお前らも察しているだろうが……次の集落の目星がついた」

 

 その雰囲気に、次の言葉を察した妖怪達がしんと静かになる。

 

「旅立つ前に、恒例のアレをやる!」

「オオオオオ!!」

「待ってたぜ、狼の親分!」

 

 妖怪達は口笛を吹いたり大声で叫んだりして、祭りのように囃し立てる。

 何のことかと困惑する紫は、きょろきょろと彼らの顔を伺う。ご立腹だった大鼠も、にやりと不気味な笑みを浮かべている。

 

()()()だ! 次の戦に備えて、人間共を骨まで喰って腹ごしらえするぞ!」

 

 

 明日の満月の夜に、村を襲う。

 それを知らされた紫は、あの小屋の壁のスキマの中で呆然としていた。最初は、人間の家の壁の隙間で生まれたのだったか。ここには、大人の人間に見つからない場所を求めて移り住んだ。

 何だかんだ、自らが生まれた村だ。これでお別れかと思うと、なんだか寂しい気持ちになる。

 ぼんやりと月を見上げていると、空の彼方で光る何かが横切ったような気がした。

 

 翌日。

 今日は昼頃から、村の男衆がどたばたしていた。狩りにでも出かけたのか、姿を見かけることはなかった。

 

「……いや、もう関係ないわね」

 

 どうせこれから滅びる村だ。そのまま狩りで死ねれば、まだいくらか幸せだろう。まして自分は妖怪だ。人間を心配してどうする。大事な日ということもあって、今日は早めに森へ入ることにした。

 

「お姉ちゃん、ここで何してるの?」

「!?」

 

 道を避けるため、藪を掻き分け森に少し入ったところで、人間に見つかってしまった。

 思わず警戒して後退るが、相手が子供だと分かると、少し緊張が解ける。

 

「駄目なんだよ、勝手に森に入っちゃ。……まあ、僕もだけど」

「あ、貴方は……」

 

 あの時の、小屋で泣いていた少年だ。

 

「へへ、今日はおとう達忙しいみたいだから見つかりっこないよ」

 

 思えば、この少年には何度も助けられた。飢えを満たして今日まで命を繋いでこれたのは、彼のおかげかもしれない。だがそんな少年も今日、これから村と共に死ぬのだ。

 

「……ね。貴方、まだ生きていたい?」

「?」

 

 不思議そうに、少年は首を傾げた。紫は聞き方を変える。

 

「大きくなったら何がしたい、って意味よ」

「旅人になりたい! 偶に来るんだ、旅人さん! すっごくかっこよくて、すっごく面白いんだよ! 僕も村を出て、いろんな集落回って、冒険したい!」

 

 少年は目を輝かせて言うが、この時代、住処を持たない流浪人の現実はそう甘くはなかった。

 大抵は獣や妖怪、自然災害で村を失くした生き残りか、そうでなくば罪人である。他の村に助けを求めても、憐れみから一度は助けてもらえるが、余所者の定住を快く思わない先住民にいずれは追い出される。望んでも、二度と安住の地が手に入ることはない。

 妖怪と人間では境遇は違うが、考えてみれば、紫もこれからそういう立場になるのだ。

 少し顔を顰めて、紫は訊ねた。

 

「狩りはしないの?」

「う~ん、村の皆は絶対そうさせるだろうけど。でも怖いもん」

「狩りは怖いのに、村を出ていくのは怖くないのかしら?」

「怖いよ」

 

 少年は真っすぐな目で、紫を見つめる。

 

「でも、どうせ怖いなら、やりたいことをしたいもん」

「死ぬかもしれないわよ?」

「それはやだ!」

 

 なんとも我儘な小僧である。

 紫は呆れた。

 だが狩りで死ぬこともまた、珍しくない。そう考えれば、筋は通っているのかもしれない。

 

「やだ、ね…………」

 

 紫は少し逡巡した後、決心する。

 

「じゃあ、今日だけお試しで、旅人になってみない?」

「え?」

「村の外を一人で冒険するの。森の中で夜の暗闇に耐えて一晩明かせられないようじゃあ、旅人になんて慣れないわよ?」

「えええっ!? そんなの、おとうに怒られるよ!」

「どの道、大きくなっても反対されることは目に見えてるわ。遅いか早いかの違いでしかない。なりたい時に、なれるだけの力をつけてなくちゃ駄目なのよ」

「で、でも……」

 

 我ながら酷い言いくるめだと、紫も思う。だが理由などどうでもいい。

 とにかく、少年を無理やりにでも村から引き離すことができれば。

 

「なら、私が貴方のお父さんに、友達の家に泊まってるって誤魔化しておいてあげるわ」

「あっ、それなら!」

 

 ぱぁっ、と少年の表情が明るくなる。

 

「いい? 明日の朝まで絶対帰ってきちゃ駄目よ」

「うん! ありがとう、お姉ちゃん!」

 

 どうやら無断で森に入るのは常習犯らしい。すいすいと嬉しそうに森の奥へと入っていく少年と別れて、紫も後ろ髪を引かれながら、村を去る。

 

「はぁ……」

 

 こんなことをしても、何の意味もない。

 たしかに少年は、今日を生き延びることはできるかもしれない。だがあの歳で一人で生きていくことは不可能だ。帰って来た頃には親を失い、住処を失い、ただ一人、廃墟に放り出される。

 

 ―――でも、どうせ怖いなら、やりたいことをしたいもん

 

 少年の言葉が紫の心に引っかかっていた。

 何をしようと意味がないのなら……全ては避けられない運命だというのなら。

 ただその時、そうしたいと思ったことを。何も考えず、己の心に従ってみるのもいいのかもしれない。

 月が昇る。欠け一つない綺麗な満月を見て、紫はふと思った。

 あるいはそれが、生まれてきた意味になるのかもしれない、と。

 

 

 

「どうなってんだ!?」

 

 夜が更け、決行の時が近づく。

 いつもの集合場所に向かうと、何やら妖怪達がピリピリとしていた。

 

「計画がバレてる! 人間共が皆武器を持って起きてやがるぞ!」

「見張り台にも大勢いやがる!」

 

 この数だ、人間達がいくら武器を持っていようと村を滅ぼすことはできる。だが警戒されている時点で、楽勝ではなくなった。無傷の勝利とはいかず、いくらかは退()()されてしまうだろう。特に獣を従えているタイプの妖怪にとっては、被害は甚大になることが予想される。

 

「まあ待て、聞け」

 

 狼の妖怪が、苛立ちを募らせながらも皆を落ち着かせる。

 

「襲撃の件をお前らに教えたのは昨日の今日だ、それまで計画は俺の頭の中にあった。俺達の動きを察知する暇なんて無かった筈だぜ?」

 

 定例会議は毎月行っている。もし人間達に妖怪がどこかに集まっていると悟られていたとしても、今日だけ警戒しているのはおかしい。ここで話した内容まで漏れているとしか考えられない。だが狼の妖怪を始めとして、獣系の妖怪達は鼻が利く。近くで盗み聞きしていたという線はあり得ない。

 

「つまり……」

「ああ、()()()()がいる」 

 

 妖怪達がざわつく。

 怒りよりも困惑の色が強かった。何故なら、メリットが無い。

 普通、人間の肩を持つ妖怪などいる筈がないからだ。

 

「いやあ、何も不思議なことじゃあねえ。大体想像はつく。大方、余所の集落の妖怪共が俺達を疎んで仕掛けた妨害工作だろうよ」

「となると、内通してた奴がいるってことか」

「誰だそいつは!」

 

 妖怪達は鼻息荒く犯人捜しを始めようとする。

 

「知ってるぜ、そいつ」

 

 だが一人の妖怪の声が、全員を黙らせた。

 

「何だと?」

 

 事態が事態だ、嘘や冗談では済まされない。狼の妖怪が、声の主を強く睨んだ。

 

「俺は知ってるぜ、漏らした奴をよ」

 

 声を上げたのは、大鼠だった。

 

「オメェだよなあ?」

 

 そう言って、大鼠は指を差す。妖怪達の視線が、一点に集まった。

 

「……え?」

 

 その視線を浴びているのは紫だった。

 

「な、何のことです? 私が―――」

「とぼけんじゃねえ!」

 

 大声で言葉を遮る大鼠に、びっくりして紫は肩を上げる。

 

「俺に隠し事ができるとでも思ってんのか? ウチの子達()が見てんだよ。お前が人間のガキに接触して村を離れるよう吹き込んでたのをよ!」

「えっ、あっ……」

 

 紫の顔が蒼褪める。

 紫は他の妖怪達よりも少し賢いから分かる。それはそんなつもりで言ったのではない、と否定しても、弁明の余地は無いということを。

 

「……どうやらマジみてえだな」

 

 狼の妖怪の目が据わる。

 親分がそうと認めた以上、決まりだ。妖怪達が、怒りの目でこちらを見ていた。

 

「あ、あ、ゃっ……」

 

 視界が涙で滲んで見えない。

 もはや、助かる道はない。

 

「まあ待ってくれや、狼の旦那。今回の件は俺の監督不行き届きだが、俺まで疑われたくねえ。きっちりこの手でケジメつけさせてくれ」

 

 狼の妖怪が頷くと、大鼠がその巨体を揺らしてのっしのっしと紫の方へやってくる。

 

「よくも俺の顔に泥塗ってくれたな? ああ?」

「ご、ごめっ、なさっ……」

 

 紫は死を前にして、ただ子供のようにしゃくりあげることしかできなかった。

 やりたいようにやっても、損をするだけ。結局、生まれてきた意味など無かったのだ。

 

 

「―――お前達だな、村を襲おうとしているのは」

 

 救いの手は、天から舞い降りた。

 

「何者だ!?」

 

 誰何の声を上げる妖怪達。羽搏く音が、その居場所を告げた。

 

「我が名は兆星。人を創りし母なる創造神、女媧様の命にてお前達を裁く者である」

 

 大きな白い翼を生やした長身の男が、宙に浮いていた。

 紅い瞳に白髪。外見年齢は人間で言うなら50か60歳ほど。しかし健康的な筋肉と鋭い眼力が決して老いた印象を与えず、寧ろ今が全盛期であるような、仙人の如き超人性とオーラを備えていた。

 

「神だと……!?」

「嘘だろ、神の遣いがなんでこんなところにいやがる!?」

 

 とても疑わしいが、少なくとも兆星とやらが並みの存在ではないことは明らかだった。

 

「お前達は女媧様の子である人に仇為す者。故、私は遣わされた」

「人に仇為すだと……?」

「妖怪が人を襲って何が悪い! そもそも、()()()()()()()()()()()()()!」

 

 威勢はいいが、妖怪達は尻込みしていた。普段であれば、乱入してきた余所の妖怪など問答無用で殺してしまっていただろう。そうしないのは、兆星からこれ見よがしに溢れる強大な妖力を感じ取っていたからだ。

 

「然り。私は妖怪と神の二つの側面を持つ神獣、天狗なり」

 

 兆星は否定せず、妖怪であることを認めた。

 

「私がお前達を裁く理由は一つ。人間を襲うだけでなく、里を丸ごと滅ぼしたからだ。だが私とて半分は妖怪。人を襲わねば生きていけぬお前達の立場も分かる。そこで、どうだ。お前達が反省して欲を抑え、己の生存に必要な分だけ人を襲うと誓うのならば、見逃してやらんでもない」

 

 妖怪達に動揺が広がる。彼らにとって、神に目を付けられることは死を意味する。神の多くは自然現象や形而上概念など人間の理解の及ばない力を司ることができ、いずれも妖怪では太刀打ちできない力を持っている。

 それもその筈、妖怪にはそういった力を持つ者は少ない。この時代、まだ鬼や悪魔といった悪性の化身のような、妖怪らしい妖怪は希少であった。それは神の領分であり、故に祟り神を始めとして神とは必ずしも人を守護する存在ではなかったりする。とはいえ、妖怪の味方というわけでもなく。基本的に力で劣る妖怪を見下して、邪魔になれば排除する、そういう関係だった。

 

「お前ら何ビビッてやがる!」

 

 互いを見合って降伏を考える妖怪達に、狼の妖怪が喝を入れる。

 

「神の遣いが何だ! こっちには千匹の群れがいるんだぜ? 負けっこねぇ!」

「お、おお! そうだ!」

「羽根野郎がなんぼのもんだ!」

「……愚かな」

 

 交渉は決裂した。妖怪達は木々に飛び移ったりして、空を飛ぶ兆星の元へにじり寄る。

 

「そうか、お前がアイツを呼んだんだな?」

 

 邪魔が入ったが、頭領である狼の妖怪がああ決断したなら、こちらはこちらでやることをやるのみ。闘志を燃やす妖怪達を後目に、大鼠が紫を追い詰める。

 

「野郎共! フクロにしちまいな!」

「「おおおおお!」」

 

 戦の始まりを告げる咆哮が、森中に響き渡った。

 

「テメェは俺の手で八つ裂きにしてやる」

「ひっ……」

 

 依然命の危機であることに変わりは無いが、兆星なる男の登場で事態は好転している。こちらを狙う相手は大鼠だけになった。

 少しの間が開いたおかげで頭はいくらか回るようになっており、紫は怯えながらも逃げ出すことができた。

 

「待てェ! 逃げられると思うなよ!」

 

 大鼠は体格が大きい代わりに動きが遅い。人間の女ほどの身体能力しかない紫でも、全力で走れば引き離すことができる。

 やがて、大鼠の姿は見えなくなる。

 

「はぁ、はぁ、はぁっ!」

 

 それでもただひたすらに走り続けた。もっと遠くへ、より遠くへと。もう自分でも、どこを目指しているのか分からない。しかし、いつまでも走り続けることはできない。まして、スキマの中に引きこもってばかりで運動不足な紫にはきつかった。

 

 限界を迎えて息を切らせた紫は、近くで隠れられる場所を探す。咄嗟に、その辺の木の根っこと根っこの間にスキマを作って、中に隠れた。

 紫のスキマは未熟だ。入口を極限まで小さくすることはできるが、異空間を完全に閉じきることはできない。そんなことをしてしまえば、最悪外の世界に戻ることができなくなる。紫は息を殺して、身をひそめた。

 

「……?」

 

 暫くして、草を掻き分ける音がした。

 

「チ、チ、チ」

「……ッ!?」

 

 鼠が、近くにいる。

 大鼠が子分を放って、森中を探しているのだ。

 極限の緊張で、1秒が1分にも感じられる。早鐘を打つ心臓の音で、居場所がバレないか心配だった。

 

 しかし、最初から結果は見えていた。この時代、スキマ妖怪は鼠に弱い。隙間は鼠のテリトリー、潜むも探すもお手の物だからだ。

 

「チュチュイ! チュチュイ!」

「ひやぁっ!?」

 

 鼠が標的を見つけて、大きな鳴き声を上げる。1ミリにも満たない薄さの出入り口を、見つけられてしまった。鼠がスキマを掘ると、入口はたちまち広がってしまう。

 ここにいては危険だと外に出たが、既に遅かった。数千匹の鼠達が、辺りを取り囲んでいる。ただの鼠と侮るなかれ、相手は大鼠の妖力を分け与えられた鼠達だ。集団で襲い掛かれば人間さえ齧り殺す力がある。

 

「随分と手間かけさせてくれたじゃないか、ええ?」

 

 それはまるで、鼠のカーペットだった。

 小さな鼠達が何匹も集まって、王様のようにふんぞり返った大鼠を運んでくる。

 

「ここに来る間にじっくり決めたぜ、お前の処刑法をよ。その腹ぁ掻っ捌いて臓物引き摺りだして、死ぬまで子分達に齧らせてやる」

「ひぃっ……!」

 

 自分の末路を想像して、紫は酷く怯える。

 もはやこれまで。予想外の介入で一瞬見えた希望も、ただのまやかしだった。

 

「いや! いやぁ! ゆるしてください! わたしじゃないの! ごかいなんです!」

 

 無駄だと分かっていても、いざ死ぬとなると命が惜しい。なりふり構わず意地汚く弁解するが、無言で迫りくる大鼠に言葉は通じなかった。大鼠はその手を伸ばして、紫の首を握りつぶさんばかりに掴んだ。

 

 ヒュン、と風を切る音。

 

「んがっ!?」

 

 大鼠の頭部に何かが当たる。それは、拳大の石ころだった。小さな鼠や兎であれば負傷させたであろう投石は、しかし大鼠の頭を小突いただけに終わる。

 

「や、やめろぉ、化け物め! お姉ちゃんから離れろ!」

「!? あなた……!」

 

 二本程離れた木の上から降りかかる、震える声。そこにいたのは、紫が村から逃がした筈のあの少年だった。紫は知らず知らずのうちに、彼のいる方角へとやってきてしまったのだ。

 

「なんだこのガキは!?」

 

 処刑を邪魔された大鼠は怒りを露わにして、少年を睨みつける。

 

「チュウ、チュウ!」

 

 その姿を見た子分達が、見覚えがあるのか何やら騒ぎたてた。

 

「……ああん? ははははは、こいつぁ傑作だ! 誰かと思えば、お前が逃がした人間の小僧じゃねえか!」

 

 子分達の声に耳を傾けた大鼠は、少年の正体を聞いて高笑いした。

 

「いいぜ、纏めて殺してやるよ! お前ら、そいつを木から引きずり降ろせ!」

 

 号令と共に鼠達が木を登って、少年を追い詰める。

 

「う、うわあ!?」

 

 少年は鼠を必死に蹴落としたが、それを学んだ鼠達は枝の根元を齧り始めた。枝が揺らいで、足を滑らせる。両腕で必死に枝にしがみつくことで辛うじて滑落は避けられたが、枝ごと落ちるのは時間の問題だ。逃げ場はどこにもない。

 

「この世は弱肉強食。弱ぇ奴は何をしようと無駄なんだよ!」

 

 紫の頬を涙が伝う。もう、叫ぶ気力さえ残っていなかった。

 妖怪が人間に助けられるとは、何とも情けない。しかも、自分よりも弱い人間の子供に、だ。そしてその少年も、本来の運命通りに死ぬ。折角逃がしたのに、全部無駄になった。自分は一体、何をやっているのだろう。何がしたかったのだろうか。

 唯一残したはずの希望さえ摘み取られ、何も成すことができないまま、ただ無様に、無意味な生だったと絶望して死んでいく。自分には相応しい最期なのかもしれない。紫は、せめて最期に夜空に浮かぶ満月を目に焼き付けようと、天を仰いだ。

 

 

「―――否。人の子よ、その勇気と優しさ、確かに見届けた」

 

 

 羽搏く音。

 

「あ?」

 

 大鼠の手首から先が無い。

 紫の首を絞めんばかりに掴んでいた手が、草の上に落ちた。

 

「いでええええええ!?!?」

 

 遅れてやってきた痛みに、大鼠は絶叫する。手首の断面から、滝のように血が溢れる。木を齧っていた鼠達もその動きを止めて、親分の負傷に慌てふためいている。

 

「テ、テメェ! 何故ここにいる!?」

 

 翼を生やした男が、大鼠の背後に舞い降りた。

 

「無論、残党を始末しに来た」

「う、嘘を吐くな! あれだけの数を一人で殺れるわけがねえ!」

 

 しかも、あの場を離れてからまだ5分と経っていない。

 そんな短時間で全滅させられたなど、到底信じられなかった。

 

「こうなりゃお前も、俺様、が……か……ひゅ……」

 

 大鼠の口から、風が抜ける音がする。

 いつの間にか、彼の胸元には人が潜り抜けられる程の大きな穴が空いていた。

 大鼠が倒れる。その図体の割に、拍子抜けするほど音は軽かった。失った肉の分、軽くなっていたからだ。

 

 静寂。

 

「ひっ!?」

 

 親分の死にパニックになった鼠達が、散り散りになって逃げ出す。

 瞬き一つしていないのに、殺す瞬間が見えなかった。

 格上だとか、そういう次元ではない。目の前の妖怪は、本当に同じ妖怪なのかすら疑わしい。いや、そういえば半分は神だと言っていた。そうであれば納得もいく。そもそも戦いが成立する相手ではないのだ。

 紫は、次は自分が殺されると考えて後退る。

 

 

「……ふむ。君は……そうか、成程」

 

 しかし男は紫に手を出さなかった。

 彼女の泣き腫らした顔を見つめ、そして木の上で震えている少年を一瞥して、考え込んだ。

 

「私と共に来るか、心優しき少女よ」

「ぁ……えっ?」

 

 何を言われているのか分からなかった。

 何もかもが突然で、何もかも意味不明だった。

 少女と呼ばれたのも初めてだ。いや、生まれて日の浅い彼女は実際に人間と同じ数え方をしても少女と呼べる年齢ではあるのだが、妖怪である彼女がそのように呼ばれたことなどなかった。

 

「この兆星の家族となり、人・妖・神が共に栄える太平の世を築く気はないか?」

 

 これが、八雲紫の始まり。

 恩師にして父同然の存在である兆星との出会いであり、生きる意味が生まれた瞬間であった。

 




大鼠
種族:妖怪
能力:鼠を従える程度の能力
危険度:中
人間友好度:低
主な活動場所:不明
 拙作のオリキャラ。本話で死亡。田舎者ゆかりんにはギャングのボスばりの大御所に見えていたが、実際はこの時代でも中の中くらいの妖怪。
 ゆかりんのトラウマ1号。彼のせいで、今でも鼠が苦手らしい。
 なお、ゆかりんはナズーリンを見ると気絶するものとする。
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