鬼滅のΓ(ガンマ) ー焔と正義ー   作:蓮日ルチア

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前回(第三話・前編)→https://syosetu.org/novel/382996/3.html

「ドラゴンボール超スーパーヒーロー」×「鬼滅の刃」のクロスオーバー小説です。
煉獄邸預かりの身となった1号が炎の呼吸の修行を開始するお話。

※下記、独自設定が含まれます。苦手な方はブラウザバックを推奨します。※
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・煉獄杏寿郎生存IFになります(猗窩座を討伐した世界線)
・上記設定での無限列車編~遊郭編の間の出来事です
・原作にはないオリジナル設定の鬼が登場します
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※pixivにも投稿しています。読みやすい方でどうぞ。
https://www.pixiv.net/novel/series/14251525


第三話 炎柱・煉獄杏寿郎[後編]

 煉獄邸は静かな熱を宿した場所だった。

 広々とした庭に磨き込まれた廊下。隅々まで手入れが行き届いた梁や柱。そのどれにも、人の暮らしの痕跡が深く染み込んでいる。

 1号は無言で周囲を観察していた。

 かつて居住していた、機能的合理性を優先した最先端の研究施設とは異なる空間。一見、無駄とも呼べる装飾や生活音が、ここには自然に存在している。

 廊下の奥から、ぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。

「兄上、お帰りなさ──」

 現れた少年が、そこで言葉を止めた。

 年齢は十代半ばほど。馴染みのある鮮やかな黄色と赤の髪。面差しも、側に立つ煉獄とよく似ている。

 しかしその表情には、彼とは違う幼さと幾らかの戸惑いが浮かんでいた。

 少年の視線が、1号の金属質な外皮と赤いマントの間を行き来する。

「む! 紹介しよう!」

 煉獄が朗らかに声を張った。

「こちらは釜飯一膳少年だ!」

「ガンマ1号です」

 即座に訂正が入る。一瞬の沈黙。

 少年は困ったように煉獄と1号を見比べ、眉を八の字に下げた。

「兄上……また人様のお名前を……」

「はっはっは! 細かいことは気にするな!」

 まるで悪びれる様子はない。

 そのやり取りを前に、1号は無言で佇んでいた。

 理解不能。だが……。

 鬼殺隊本部で向けられた警戒や緊張とは異なる空気が、そこにはあった。

「えっと……ガンマ1号さん、ですね」

 少年が改めて向き直る。

「私は煉獄杏寿郎の弟の千寿郎と申します。兄がお世話になっています」

「こちらこそ、お世話になります」

 定型的な返答。しかし千寿郎は、それでも安心したように小さく笑った。

「さあ、上がってくれ!」

 兄──杏寿郎が先に立って歩き出す。1号は一拍の思考の後、ブーツを脱いだ。門口の隅に寄せると、彼の背についていく。杏寿郎が振り返り、弟に声を掛けた。

「千寿郎、釜飯少年に茶を頼む」

 その動きに合わせ、炎のような髪が揺れる。廊下の灯りが杏寿郎の顔に淡く影を落としていた。

 ふと、1号の視界センサーが微細な揺れを検知した。

 柱合会議の時から違和感は存在していた。それが近距離になったことで、解析精度が一段上昇する。

 顔面の左側のみ、光の反射率が異なっていた。

(常に装着しているようだが……それほど重傷なのだろうか) 

 1号は注意深く観察する。布地というよりは防護材に近い質感に思えた。

 だが、杏寿郎の動作に淀みはない。歩幅に呼吸、周囲への注意配分。どれも他の人間と変わらないほどに極めて自然だった。

 だからこそ、その不均衡だけが静かに記録領域へ残る。しかし意味までは判別できない。

 分析を続けようとした、その時だった。

「杏寿郎」

 低く掠れた声が響く。廊下の奥に、一人の男が立っていた。

 乱れた髪に鋭い目つき。纏う空気には、長い停滞と疲弊が滲んでいる。

 彼もまた、杏寿郎によく似た顔立ちをしていた。だがその眼差しは暗く沈んでいる。

 男はほんの一瞬だけ杏寿郎を見やる。いや、正確には。その左側へ視線を向けたように見えた。

 何かを言いかけるように唇が動く。

 しかし次の瞬間には、感情を押し殺すように瞳を逸らした。

「……客人か」

 短く、それだけを告げる。

「はい! 鬼殺隊本部より、責任を持ってお預かりすることとなりました!」

 杏寿郎は変わらぬ声量で答えた。

 男の視線が、今度は1号へと向く。値踏みとも警戒とも異なる、複雑な沈黙が流れた。

 やがて男は小さく溜息を吐いた。

「好きにしろ」

 そう言い残し、背を向ける。力のない足音が遠ざかり、やがて部屋の奥へと消えていった。

 襖が閉まると、杏寿郎は端的に紹介した。

「父の槇寿郎だ」

(父親……)

 先程の沈黙の意味を、1号はまだ理解できなかった。ただ。

 この家には、戦闘記録だけでは解析できない何かが存在している。

 その事実だけが静かにその場に蓄積されていった。

 

 

 廊下を抜けた先にある一室は、外から見た印象以上に穏やかな空気に満ちていた。障子越しに差し込む柔らかな月明かりが、部屋全体を優しく包み込んでいる。

 柱や建具には長い年月を経た木の艶が宿り、畳特有の青々とした深い香りが漂っていた。

 今はどうかわからないが、家族が日々を積み重ね、笑い、食卓を囲み生きてきた気配が、この屋敷には確かに息づいている。

 杏寿郎は部屋の中央へ歩み寄ると、おもむろに振り返った。

「まずは腰を下ろしてくれ!」

 促されるまま、1号は向かいへと座る。

 ほどなくして部屋の奥から声がかかった。

「失礼します」

 千寿郎が静かに襖を開け、入室する。湯気の立つ茶碗が二人の前へ置かれた。

「ありがとう、千寿郎」

 杏寿郎が礼を述べると、千寿郎は小さく頭を下げて部屋を辞した。

 襖が閉まると、二人だけの空間にしばしの静寂が流れた。

 杏寿郎は茶碗を手に取り、一口含んでから穏やかに口を開く。

「さて、改めて話をしよう」

 1号は姿勢を正した。

「キミは何を守ろうとしている?」

 静かな問いだった。

 責める響きはない。答えを急かす気配もない。

 それでも、その一言はこれまで受けたどの質問より深く、胸の内へ入り込んできた。

「……」

 1号は即答できなかった。

 守るもの。その問いに対する答えなら、本来は存在する。

 人命。市民。平和。

 それらを守るために、自分は造られた。プログラムにもそう明記されている。

 だが……。

「……わたしは、人を守るために造られました」

 ようやく絞り出した言葉に、杏寿郎はゆっくりと頷く。

「それは使命だな」

「……」

「では、もう一つ聞こう」

 杏寿郎の眼差しは変わらない。穏やかでありながら、核心だけを見据えている。

「使命ではなく、キミ自身の意志ではどうだ」

 その言葉に、1号の思考が一瞬停止した。

 意志。自分自身。

 その概念を検索する。

 

・抽出結果を表示:該当データ、多数

 

 しかし、この問いに対応する回答は生成できない。

 不意に、記録領域の深部で微かな反応が走る。

 青い布が風にはためく光景。屈託なく笑う声。

 だが、その内容を再生する前に記録は静かに沈黙した。データベースには言語化できない空白だけが残った。

「……わからない」

 初めて、自分でも曖昧だと思える答えが口をついた。

「そうか」

 杏寿郎は否定しなかった。

「わからない、と答えられることも立派な前進だ」

 その言葉に、1号はわずかに顔を上げる。

「キミは先日の戦いで、人々を守るために迷わず動いた。誰かに命じられたからではないだろう」

「……」

「竈門少年たちと行動を共にしたのも、自ら選んだ結果だ」

 事実だった。

 合理性だけなら、別の行動も選択できた。鬼だけを追うことも可能だった。

 それでも、炭治郎たちと同行した。

 その判断理由を解析しようとしても、数値では表せない要素が混じっている。

「キミは自分で思っている以上に、自分の意志で動いている」

 静かな断言だった。

 押し付けでも評価でもない。ただ、一人の人間として見つめた末に辿り着いた結論が、そこにはあった。

 1号は黙ってその言葉を受け止める。

 判定不可能。それでも、不思議と否定したいとは思わなかった。

 やがて杏寿郎は柔らかく笑う。

「焦る必要はない」

「……」

「答えは、戦いの中だけで見つかるものではない。人と関わり、迷い、考え続けた先に見えることもある」

 その声音には、どこか実感が滲んでいた。

 1号は改めて杏寿郎を見る。堂々と伸びた背筋。揺るぎない佇まい。

 そして、その表情の奥には、確かに戦いだけでは語れない深さがあった。

「キミは技だけで戦っているのではない」

 杏寿郎は悠然と続ける。

「だから俺は、キミを見てみたいと思った」

「技ではなく……在り方を、ですか」

「ああ」

 迷いのない返答だった。

「剣の技術は鍛えれば伸びる。だが、人としてどう在るかは、誰かに教え込まれるものではない」

 部屋の外では、夜風が庭木を静かに揺らしていた。その音に耳を澄ませながら、1号はゆっくりと視線を落とす。

 ──ヒーローとして。

 そう口にしかけた言葉の続きを、まだ見つけることはできなかった。

 それでも、その答えを探してみたいと思った自分がいることだけは確かだった。

 

 

 翌朝。

 煉獄邸の庭には、朝露をまとった草木がきらりと輝いていた。澄み切った空気の中、木々の隙間から差し込む陽光が地面にまだらな影を落としている。鳥のさえずりが響き、昨日まで鬼との戦いを語っていたのが嘘のような静けさだった。

 その庭の一角には、土が均され、幾度となく踏み固められた稽古場が設けられている。

「こちらだ、正義(まさよし)少年!」

「……ガンマ1号です」

「む、そうだったか!」

 先を歩く杏寿郎が気にも留めない様子で笑う。やがて振り返ると、1号に告げた。

「ここは俺が日々鍛錬を行っている場所だ。今日から、キミにも付き合ってもらう」

 1号は頷き、周囲を見渡す。

 遮蔽物の位置に地面の硬度。踏み込みに適した摩擦係数および風向き。視界を遮る要素。

 戦闘空間としての情報が瞬時に整理されていく。

 だが、その分析結果の末尾には小さな補足が付加された。

 ──実戦を想定した修練場ではないな。

 ここは、鬼を倒すためではなく、自らを鍛えるための場所。その違いを1号は静かに認識していた。

 その時、箒を手にした千寿郎が庭の脇を通りかかった。落ち葉を集めていたらしく、二人の姿に気づくと足を止め、一礼する。

「千寿郎! ちょうど良かった」

 杏寿郎は弟に呼びかけると、1号へ視線を向ける。

「今朝は見学していくといい。彼にも、鬼殺隊の鍛錬というものを知ってもらいたいのでな」

 千寿郎の表情がぱっと明るくなる。任務で不在がちな兄の稽古を間近で見られる機会は、決して多くない。

「はい。ありがとうございます、兄上」

 千寿郎は修練の妨げにならないよう縁側へ移動し、姿勢を正して腰を下ろした。その眼差しには、兄への変わらぬ敬意と憧れが宿っていた。

 1号も軽く一礼し、改めて杏寿郎と向き合った。

 杏寿郎は静かに息を吸い、姿勢を正す。

「まずは鬼殺隊の基本について説明しよう」

 その声音は、昨日までの会議で見せた力強さとは少し異なっていた。教える者としての落ち着きがある。

「俺たち鬼殺隊は、鬼と戦うために剣術を磨いている。しかし、その根幹となるのは日輪刀(やいば)ではない」

 一拍置いて続ける。

「全集中の呼吸だ」

 初めて耳にする言葉だった。

 1号は内部記録に検索をかける。

 

・抽出結果を表示:該当情報──なし。未知の概念として登録。

 

「呼吸とは、生命活動そのものだ」

 言いながら、杏寿郎は胸へと手を添えた。

「空気を取り込み、身体へ巡らせる。それ自体は誰もが行っている」

 深く息を吸う。胸郭がゆるやかに広がり、肩はほとんど動かない。そして長く、一定の速度で息を吐く。

 その一連の動作には、一切の乱れがなかった。

「全集中の呼吸とは、その流れを極限まで制御し、身体能力を最大限まで引き出す技術だ」

 言葉と同時に、一歩踏み出す。足音は驚くほど静かだった。それでいて重心は少しもぶれない。

 腰の位置。背筋の角度。膝の屈曲。腕の脱力。全てが自然でありながら、無駄が存在しない。

 1号の視界に分析表示が展開される。

 姿勢を三次元モデルとして再構築し、重心移動を数値化。筋肉運動の推定および呼吸周期との同期率を演算。

 その解析速度は、最早人間では到底追いつけない領域に達していた。

 杏寿郎はさらに歩を進める。

「足運びは地を掴むように。しかし力み過ぎてはいけない」

 今度は方向転換。流れるような動きが続く。重心移動の損失率は極めて小さい。

「姿勢だけを真似ても意味はない。呼吸、重心、意識、その全てが繋がって初めて技と成る」

 1号は演算を継続する。

 入力された情報は瞬時に数式へ変換され、身体制御プログラムへ次々に反映されていく。

 歩幅、重心、関節角度、呼吸間隔、同期率、最適化、誤差補正、再演算。

 ──理論上、再現は可能だ。身体制御能力にも問題はない。

 内部シミュレーションでは、要求される動作は全て実行できる(オールクリア)という結果が繰り返し表示される。

 1号は無言のまま結論を導き出した。その判断を受け、内部システムは次段階の実行準備へ移行する。

 あとは実証するだけだった。

 

 

 杏寿郎は静かに一歩下がる。

「では、一度やってみるといい」

「了解しました」

 1号は目を閉じることなく、先程取り込んだ動作データを呼び出した。

 胸郭の拡張率。呼吸周期。重心移動。駆動出力。足裏の接地角度。歩幅。姿勢保持。全ての数値が内部モニタに反映される。

 ──演算開始。

 最適化および誤差補正。同期率、99.98%。

 ──実行可能。

 ゆっくりと息を吸う。

 吸気機構へ空気を取り込み、胸部ユニットを緩やかに拡張させる。続けて一定速度で空気を排出しながら、重心を前へ移す。

 右足が地を捉える。左足が続く。姿勢は崩れない。関節角度も理論値どおりだ。

 杏寿郎が示した動作との差異は、限りなくゼロに近かった。だが……。

 何も起こらない。

 身体能力に変化は見られず、内部出力も平常値のまま推移している。

 

・エネルギー残量──94%

 

 消費速度にも改善はない。

 内部システムは直ちに原因解析へ移行する。

 呼吸量を増加。失敗。呼気時間を延長。変化なし。歩幅を修正。重心位置を再調整。駆動出力を変更。いずれも結果は同一。

 再演算、再試行。再演算、再試行。

 理論値との誤差はわずかに過ぎない。それでも、求める結果だけが得られない。

 ──未知の要素を確認。

 内部モニタへ表示されたその一文を見つめながら、1号はもう一度呼吸を繰り返した。

 吸う。吐く。踏み込む。静かに腕を振る。動作そのものはもはや見本と寸分違わない。

 それでも身体の内側には、何の変化も生まれなかった。

 見学していた千寿郎も、いつしか固唾を飲んでその様子を見つめている。

 兄が一度見せただけの動きを、ここまで正確になぞる者を見たことがなかった。それほどまでに完成された動作だった。

 しかし同時に、どこか不思議な違和感も覚える。

 形は同じ。なのに、兄が呼吸を使う時に感じる張り詰めた気配が、1号からは伝わってこない。

 静寂だけが流れ続ける。

 やがて1号は動きを止め、杏寿郎へ視線を向けた。

「理論上、要求された動作は再現しました。しかし身体能力に変化は認められない。エネルギー効率についても、改善は確認できませんでした」

 淡々とした報告。失敗という感情すら乗せない声音だった。

 杏寿郎は腕を組み、その報告を静かに聞き終える。

 やがて、おもむろに口を開いた。

「……なるほど」

 一歩だけ歩み寄る。炎のような髪が、朝の風に揺らめいた。

「正義少年」

 その呼びかけは穏やかだった。

「頭でやろうとするな」

 

 

 静かな一言が稽古場に響いた。

 その言葉を受けても、1号はすぐには返事をしなかった。

 内部では先程までの試行結果が高速で整理されている。姿勢。重心。歩幅。吸気機構の同期。身体各部の駆動出力。

 全て理論値の許容範囲内であり、誤差率はほぼ皆無に等しい。

 それでも、杏寿郎が語った「全集中の呼吸」は再現されなかった。

 不足している要素が存在する。自分には持ちえない、圧倒的な何かが。

 しかし、その要素が何なのかだけは演算でも導き出せない。

 沈黙を保つ1号を見つめ、杏寿郎はうむ、と短く頷いた。

「ならば、今度は俺が見せよう」

 一歩前へ出る。その瞬間だった。

 稽古場の空気が、ピンと糸を張ったように引き締まった。

 威圧や殺気の類ではない。ただ、これから全てを焼き尽くす大火の、ほんの始まりに過ぎない「種火」がそこに据えられたかのような、圧倒的な密度の熱気がそこにあった。

 周囲の空気を一気に吸い寄せて凝縮させたかのような、息が詰まるほどの緊迫感が漂う。

 千寿郎も自然と背筋を伸ばしていた。

 兄の型を見る時だけは、弟よりも弟子としての畏敬の念が先に立つ。

 杏寿郎は腰の刀へ静かに手を添えた。

「炎の呼吸は、敵を斬るためだけの技ではない」

 鯉口が音もなく切られる。

「己の命を燃やし、生き抜くための呼吸だ」

 刀身が陽光を受け、一筋の輝きを放った。

「よく見ていなさい」

 深く息を吸う。その動きは先程まで説明していた呼吸と変わらない。

 だが次の瞬間、景色が一変した。

 踏み込み、抜刀、振り抜き。あらゆる動作が一つの流れとして繋がる。

「炎の呼吸──壱ノ型、不知火」

 鋭い一閃。轟、と風が鳴る。

 燃えているわけではない。それでも確かに、1号の目には炎が駆け抜けたように見えた。

 剣圧が庭の土を巻き上げ、朝日に照らされた砂塵が赤金色に舞う。

 続けざまに身体を返す。そのまま流れるような足運び。呼吸は乱れず、太刀筋も寸分の狂いなく繋がっていく。

「炎の呼吸──弐ノ型、昇り炎天」

 下から天へ斬撃が弧を描く。その軌跡は、まるで一本の炎柱が立ち上ったかのようだった。

 静寂が戻る。始まり同様、杏寿郎は無音で刀を鞘に納めた。直前までの動きが嘘のように真っ直ぐ立っている。

 しかし、稽古場に残る余韻だけは消えない。

 1号の演算装置は即座に解析を開始した。踏み込み速度。加速度。重心移動。関節角度。呼吸周期。刀身軌道。筋力推定。剣圧による空気流動。

 膨大な情報が内部へ流れ込む。同時に、数万通りを超える再現シミュレーションが展開された。

 結果。

 

・再現率──97.41%

・再現率──97.86%

・再現率──98.02%

 

 理論上、動作は再構築できる。それでも映像として再生されたシミュレーションには、決定的な違いが残っていた。

 何かが足りない。剣速ではない。力でも精度でもない。演算結果そのものが、理由を提示できないまま停止する。

「……解析不能だ」

 思わず漏れた独り言に、杏寿郎は小さく笑みを浮かべた。

「良い反応だ」

 一歩歩み寄る。

「キミは今、技を見た。だが俺が見せたかったものは、そこではない」

 1号は視線を上げる。

 杏寿郎の立ち姿は始めと何も変わらない。呼吸も落ち着き、力みもない。

 それでもなお、その場に立つだけで大気が震えるような威厳を感じた。

 数値では表せない。演算式にも置き換えられない。にもかかわらず、確かに存在しているもの。

 1号の内部記録へ、新たな認識が静かに刻まれる。

 ──これは、単なる技術ではない。

 

 

「では、今度は実際に動いてみよう」

 杏寿郎が木刀を手に取る。1号も頷き、向かい合うように構えた。

「安心しろ。本気で打ち込むことはせん」

「……」

 静寂の中、風が木々を不規則に揺らす。

 すると次の瞬間、杏寿郎の姿が消えた。

「──ッ」

 視界が追いつかない。右。否、左だ。

 演算よりも先に木刀が目前へ迫る。

 1号は反射的に身を捻る。風圧だけが頬を掠めた。

 地面を滑るように距離を取る。

 内部演算は即座に相手の移動軌道を更新する。速度補正。重心変化。踏み込み角度。未来予測。全ての要素を書き換える。それでも──。

「甘い!」

 再び木刀が現れる。1号は咄嗟に受け止めた。

 衝撃が鈍い音となって稽古場へ響き、1号の身体が数歩後退した。

 受け流しには成功した。外装への損傷もない。思考を切り替え、すぐさま姿勢を立て直す。

 しかしそれも束の間、内部表示が静かに更新された。

 

・エネルギー残量──93.4%

 

 戦闘開始時より急速に低下している。高出力駆動を続けたせいで、演算負荷が増大したのだ。

(消耗率が想定値を上回っている……!)

「まだだ!」

 杏寿郎は止まらない。

 木刀であるにもかかわらず、一撃ごとにその圧力が増していく。

 受ける。躱す。距離を取る。

 解析する。予測する。

 再演算。再構築。

 だが、次第に僅かな遅れが積み重なっていく。数字では測れない何かが演算結果を上回っていた。

 呼吸や間合い、覚悟。そして積み重ねた年月。

 それらが一体となり一振りごとの重みを生み出していると、1号は初めて理解した。

(……技術だけでは届かない領域があるということか)

 それから稽古は何度も繰り返された。

 杏寿郎は動きを示し、1号はそれを再現し、修正を受ける。

 千寿郎も途中まで静かに見守っていたが、昼前には名残惜しそうに一礼して屋敷の仕事へ戻っていった。

 日は高く昇り、やがて西へ傾く。

 繰り返される鍛錬の中で、1号の内部記録には膨大な戦闘データが蓄積されていった。

 長い模擬訓練の後、杏寿郎が木刀を下ろす。

「今日はここまでだ」

 1号も静かに構えを解いた。同時に、内部表示が更新される。

 

・エネルギー残量──91.5%

 

 辛うじて持ちこたえたが、想定以上の消耗だった。しかし、これは明らかに単純な運動負荷だけの問題ではない。

 高速演算に連続予測、各種動作のオーバーパフォーマンス。あらゆる稼働が重なった結果だった。

 今後も同等以上の訓練を続ければ、鬼との実戦へ影響する可能性がある。

 

・警告:出力リミットの最適化を推奨

 

 だが、その表示を1号は意識の端へ追いやった。目の前の男から視線を逸らすことができなかったからだ。

 向き合ったことで、これまでより鮮明にその姿を捉える。

 黒い眼帯。

 出会った時から、その左目が覆われていることは認識していた。

 だが今、その存在は単なる外見上の特徴ではなく、戦い続けてきた軌跡の一部として映っていた。

 視界の一部を失いながらも、一切迷いのない踏み込み。ぶれない姿勢。研ぎ澄まされた呼吸。右の瞳に宿る光のみで即座に対象を捉えていく。

 杏寿郎は模擬訓練の最中、その欠落を一度たりとも意識させなかった。むしろ視線も剣筋も、迷いなく前だけを見据えていた。

(恐らくこの損傷は一時的なものではない)

 1号は推察する。しかし、理由を尋ねることはしなかった。必要ないと判断したからだ。

 重要なのは失ったものではない。失ってなお、この男が立ち続けているという事実だった。

(──この男は欠落を抱えながら、それでも前へ進んでいる)

 1号は感じた。

 それは戦闘能力の評価ではない。存在そのものへの評価だった。

 杏寿郎は木刀を肩へ担ぎ、いつものように快活に笑う。

「見事だったぞ、正義少年! 初めてであそこまで対応できる者は多くない」

「……ありがとうございます」

 1号は短く答える。その言葉を聞き、杏寿郎は満足そうに頷いた。

「だがな」

 一歩近づく。

「キミはまだ、自分の炎を知らない」

 炎。

 また、その言葉だった。

 内部辞書にアクセスする。

【物が燃焼する際に生じる、高温で発光する気体部分。また、その燃焼現象。】

 しかし杏寿郎の言う『炎』がそのような意味ではないことは明白だった。

 人の内側に宿るもの。戦う理由。前へ進ませる力。数値化できない何か。

 その正体は、まだわからない。

 杏寿郎は静かに微笑むと、それ以上は何も言わず、ゆっくりと踵を返した。稽古場の先へ歩み出る。

 西へ落ちきった陽光が、その背を赤く染めていた。稽古場も、庭木も、二人の影も長く伸びていた。

 赤いマントが風を受けて揺れる。その向こうで、炎色の羽織が静かに翻る。

 1号は夕焼けに染まる杏寿郎の背中を見つめ続けた。

 ヒーローとは何か。炎とは何か。

 その答えはまだ見つからない。

 それでも。

 ここには確かに、自分の知らない強さがあった。

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