昨夜未明、○○タウンに住む、26歳の女性が、意識がない状態で倒れているのが、近くを通った住民に発見され、病院に搬送されました。
女性の意識は戻っていませんが、命に別状はないとのことで、警察は、女性の意識が戻り次第、任意で事情を聴く方針で――」
黄色い体毛に、白い首回りのフサフサ。手には糸で吊された、真紅の玉。
何処か胡散臭そうな、あるいは、ヒトを小馬鹿にしたような雰囲気の目つき。
ピョコンと自己主張する、黄色のトンガリ耳と、ヒトであれば鷲鼻とも呼べそうな大きな鼻。
スリーパー。そう呼ばれるポケモンである。
が、念のため。万が一。誤解があっては、それはそれは悲しいすれ違いの摩擦熱によるボヤ騒ぎがあっては悲しいが故に、明記しておこう。
彼は善良なスリーパーである。自認はしていないし、第三者から何を言われても認めはしないだろうが。
やる気のない、あまり関わり合いになりたいと思わせないような死んだ魚のような、多種多様な色を混ぜこぜにして最後に出来上がったような澱んだ黒……そんな表現が似つかわしい目をした彼ではあるが、別に悪いポケモンではない。ないのだ。
過去には街にコソッと降りて悪夢を嗅ぎつけては、それに苛まれた主の夢を喰らうことで不眠症、うつ病になってしまった主、ヒトを確かに救っている。
誤解され、そのヒトの家族であるポケモンたちに見つかってボッコボコにされかけたが実際問題眠っているヒトの枕元に立って(悪)夢を喰らったのは事実であるし、全力で堪えて隠し通すつもりだった腹痛(悪夢を食べたのが原因)はそのポケモンの一匹が持ち合わせている読心能力で即座にバレて、逆に心配され一時的にお世話になってしまったのは更なる余談だ。
そんな彼であるが、別にヒトが好き、というわけでもない。彼にとって、手先が器用で、頭が良くて、数が多いご飯の提供者兼、気苦労の絶えない可哀想な生き物だなと、彼はヒトのことをそう思っている。
働く、という行動はわかる。スリーパーたる彼は眠れないと嘆くポケモンたちから「その時見る夢を食べさせてもらう」ことを条件にそのポケモンたちを寝かしつけることがある。わかりやすい需要と供給だ。
その働くという行動、行為を語る上で外せないのがヒトである。
ヒトはとにかく数が多い。そして妙に責任感が強い。善し悪しはともかく、自分の限界を超過して体や心を壊す。そんな“馬鹿”が多いと思うのだ。
件の夢を喰らったヒトのオスもそうだった。自分より長生きしたオスからの無茶振り、何故か発生する自分が関わっていないところで発生する悪評、終わらせたと思ったら急にねじ込まれる当日締め切りの大量の仕事………………。味わいとしては10段階評価を付けるとして、1すら付けたくない。論外の0を使うことすら0に失礼と感じるような、クソをクソで煮込んでからクソを塗りたくったようなクソの味だ。思い出したくもない。
楽しい思い出が齎してくれる“幸福の夢の味”が彼の好みであるからして、その対極に居るような夢は論外も論外だった。
そんな夢を見るくらい追い込まれていたオスが、しかしそれでもと働き続けたのは、守りたい家族が居たからだ。そう呼んでも過言ではないポケモンたちを食わせなければならないと、頑張り続けてしまった。
……しかし、というか、だから、というか。スリーパーは思うのだ。あのオスが連れていた緑と白のエスパーとか、頭から大顎生やしたチビとか、絶対、絶ッッッッッ対そんなタマではなかっただろと。
あの、カモネギの持つ植物の茎めいた色のポケモンはいい。まだいい。それはそれは怖かったが、あれが彼に向けてきた怒りや殺意は、野生のポケモンに家族を狙われていたものとしては何ら間違っていない適切な行動だった。向けられた側としてはマジで怖かったが。
チビの方は論外だ。一挙手一投足全てが殺意の塊だった。ヒトに鍛えられたポケモンでも“ああ”までなるのはそうそう居ない。彼の記憶が確かなら、一々首や足、命に関わる部位か、逃走に必要な部位を執拗に攻撃してきていた。しかも目が怖かった。異様に黒く、そして大顎に備えた牙のように鋭く睨めつけてきていた。関わってはいけない類いだったと、彼はしみじみ思った。
……もしや、あれらが外に迷惑をかけないようにあのオスは頑張っていたのだろうか、などと彼は考えるも、答えは出なかった。
彼はまた思う。まったく、本当にヒトは、と。
まあ? 俺はご飯が食えるついでにヒトが俺に未知なる“何か”を提供してくれれば万々歳ですし? なんて、誰に向けてのものかもわからない強がりを内心で吐く彼のことを呆れたように、嗤うように玉が僅かに瞬いた。ので、気に入らなかった彼はデコピンで一発弾くと、今度は猛抗議の様子である。何なら子供の癇癪めいた声も一緒だ。それを彼は努めて無視した。
①
さて、そんなこんなで彼は街に降りてきた訳だが、メインの目的は食事である。ついでに何かしら本であれ新聞であれ拾えたら良いな、くらいに思っていた。
別にヒトを攫いに来たわけではない。そういう行動をする同族がいるというのは知っていたが、それは短絡的な馬鹿な個体か、夢を喰らうという行動の経験が浅い個体か、よっぽど食べるものに困っている個体か、それこそ偏食な個体がする行動だ。
というのも。ヒトであれポケモンであれ“楽しい時間”があるからこそ、明るい、ポジティブな感情の旨みがたっぷり詰まった“幸福な夢”が眠っているときに現れやすい傾向にあることを、彼は経験則から学んでいた。
では逆に。“つまらない、苦しい、あるいは怖い時間”が多いとどうなるか。考えるまでも無く、夢にも現れる。彼の味覚でいうクソのような味だ。辛いとか苦いとか苦いとかではない。只管に不味さとえぐみに溢れている。
つまるところ、そういうことなのだ。攫ったところで、食べられる夢の味なんて高が知れている。得意の催眠術で無理矢理意識を誘導して眠らせても、味は決まったものに縛られる。ヒトの言うところの養殖モノは彼の好みでは無い、そこそこのグルメなのだ。そんな何時も同じ味でそこそこ美味しい止まりの夢なんてものは、彼にとって論外だった。
路地裏でゴミ箱を物色して新聞か本でもないかと物色する彼の視界に、ヒトが映った。
「……ムゥウン?」
「……」
ヒト。そのメス、だろうか。僅かに覗く手先の丸さ、細さから、まだ幼いと判断できる。ゴミ箱の横。身を隠すようにして、ダンボールを下に敷いて、小汚いボロ布を被って、横たわっている。死んでいるのではないかと思うほど、動く気配がない。
彼の鼻が僅かにヒクついた。そして顔を顰める。生ゴミ、据えた臭い。それもそうだが、紛れもなく大嫌いな匂いがした。悪夢の匂いだ。
そこでふと、彼は疑問に思う。幼いヒト、子供とは、その親や家族から、ある程度成長するまでは大事に守られながら過ごすのではなかったか。
フサフサに隠し持った玉が何となく伝えてくる。
この手の子は嫌いなのよね。驚かせてもぜーんぜん怖がったり、驚いたりしててくれないから、ご飯にならないんだもん。全部が色褪せちゃってる。と。
スリーパーは尋ねてみた。それはまた何で?
玉は嫌そうに答えた。現実逃避よ、現実逃避。自分の心を守るために、周りのことに無関心になっちゃうの。岩や鉄なんかよりも、氷ね、氷。薄くて割れやすくて、暖めても元通りになってくれる保証も無い、心を殺す氷付け。あなただって、答えが半分くらい判ってて聞いてるでしょ。嫌味っぽいわねえ。
彼はそれを聞いて、それはそれは嫌そうに、頭を深々下げるように溜息をこぼした。
キョロキョロと周りを見渡す。ヒトが近くにいる様子は無い。フサフサから玉を取り出し、ひょいと放り投げた。急に投げるんじゃないわよ! と姿を現した相棒を尻目に告げた。
これから夢を喰らう。見張りを頼む。
あらあら。不味いと判ってて食べるなんて、悪食ねえ。エスパータイプの癖に馬鹿なんじゃないの?
いいや。俺は頭が良いさ。もしかしたら、この子供が成長したら、俺を楽しませてくれるかもしれないだろう? お前がたまに言う、ほら、アレだ。投資ってやつだ
嘘でしょあなたそれで本気でヒトが好きじゃないとか言ってるの……?
うるせえやいと話を打ち切り、彼は横たわるヒトの頭に手を伸ばした。
いただきます。
②
料理とは、食事とは。見目を心躍らせ、香りを楽しみ、それが出来上がるまでの過程に思いを馳せ、口に含み、咀嚼し、嚥下して、糧とする。その一連の流れがある。
彼にとってはそういうものだ。だからこそというべきか。悪夢とわかっている夢を食べた後は、大抵お口直しにちゃんとした、夢ではない形ある美味しいものが食べたくなる。モモンの実やマゴの実、滅多に手に入らないがカイスの実なんかは最高だ。
一番良いのはそれらのきのみをヒトの手で加工して作った料理である。過去に悪夢を喰らい、結果的に治療したヒトのオスがお礼として作り上げてくれた、ジェラートパフェなる逸品は、彼と相棒の中では最高峰の料理として君臨し続けている。
『なんでこんなことも出来ないの!』
『きゃ、っ!』
やはりクソだった、最悪の気分だ。子供の親だろうメスが、手酷く子供を叩いて、腹を蹴っていた。
経緯はわからない。夢は結局、経験から紐付けられた過去のリピートと集合記憶が合わさったものだ。その夢を見るに至った過程はわからない。見ているものが真実とは限らない。夢という形に出力されている情報から、推察したり、見て、食べた後、夢を見ていた相手から話を聞くことで全体像を知っていくことしか出来ない。
だから彼は思うのだ。こんな夢であってくれるな。こんな夢を見ないでくれ。
『あんたが! あんたなんか産まなきゃよかった! 死ね! 死んで!』
何度も、何度も、何度も。頭を踏み付け、髪を引っ張り投げて、蹴って、叩いて。
子供は呻き声を上げるだけで何もしない。血は出て、瞼は腫れ膨らんで、歯は折れている。 スリーパーは心底胸が苦しくなった。そして子供の目を見た。見てしまって、慄いた。
まったく、これだからヒトは。
子供の顔は確かに、恐怖と苦痛に歪んでいた。ただそれだけではなかった。目だ。その目はどうしても、愛があった。自分のことを庇護する親への、親愛が、それでも覗いていた。
どうしてこんな目に遭わせてくる相手を、それでも親として見ることが出来るのだろうか。カイリキーやゴーリキーが、自分の子供たるワンリキーを鍛えるために厳しく接するのとは話がまるで違う。そこに愛は無く、優しさも無い。あるのは理不尽な怒りと、血を分けた相手に向けるとは到底思えない殺意だけ。
なのにそれから向けられるかもわからない愛を求めている、その子供のことが、わからなかった。理解できなかった。
『ああ、もう! 次帰ってくる時までに家の掃除とかやっておきなさいよ! 誰が稼いできてると思ってんのよ!』
うんざりした。見ていられなかった。ヒステリックに騒ぎ立てて、ゴミ溜めとしか言いようのない部屋をずかずかと後にするメスを見納めて、さっさと夢を食ってしまおうと行動しようとして、子供を見た。
ひゅー、ひゅー、と掠れるような息づかいで、子供とは思えないような顔で涙を流す。
その子供に近づく影。破れたゴミ袋のような姿のポケモンと、茶色の、前歯が特徴的なポケモンが現れた。ボロボロな姿は対照的で、伸びた前歯と折れた前歯で非対称的だった。二匹とも、酷く心配そうに子供を見ている。
『……ヂュウ』
『ウンターン……』
『……だあれ?』
彼はそこで、匂いが少し変わったことに気が付いた。嘘だろうと。こんな、こんなものが。親から手酷く扱われて、悲しみに、苦しみに暮れる中、出会ったポケモンたち。クソ以下の悪夢。
それがどうだ。彼らが現れて、悪夢の匂いが、ほんの一瞬ながら、美味そうな匂いに変わった。友達との思い出の夢に、形を変えつつある。
『……ヂュヂュ、ヂュ!』
『ハリホーリ!』
『え……きゃあ!』
彼は夢の中では、大きなくくりで見たときの同族、ポケモンの言葉はわからない。ヒトの記憶の中でただの鳴き声として処理された音からは、その声に秘められた意味やニュアンスは、まるで理解が及ばないのだ。
それでも、何となくだが察した。こいつらは、子供を助けようとしている。
子供はわけもわからぬまま、部屋の壁に空いた穴から前歯のポケモンが呼んだ紫色のポケモンたちに背負われて、何処かに運ばれてしまった。
待て、速い! 置いていくな! そんな風に怒った様子でペタペタと追いかけていくポケモンの姿を見届けて、スリーパーは溜息を一つ。とりあえず、食べよう。それから、話をしよう。
③
『おはなしを しよう』
フサフサから取り出した紙とペンで、彼はそう書いた。
既に起きた子供の前には、歯をカチカチと鳴らしながら全身の毛を逆立てて威嚇するポケモンと、ゴミを固めた弾を腕に抱えていつでも投げつける準備を済ませているポケモン。子供の方は目を白黒させて混乱した様子で、紫色のポケモンたちが身を寄せ合って守りを固めていた。
それもそうだと彼は思う。突然不審なポケモンが眠っている子供の頭に手を当てている絵面なんて、警戒されて当たり前だ。
警戒していた相棒は、ごめん数が多すぎてちょっと無理だったわ、テヘペロ♡ なんて抜かしている。
うちのガキに手ェ出すたァブッ殺すぞクソ野郎! と殺気立つポケモンたちに、それは本当にそうだと彼は返す。
「ぽ、ポケモンなのに、言葉がわかるの?」
「ムウン」
幼さの中にしっかり混ざる困惑した声に、彼は首を縦に振ることで返事をした。
彼女を守ろうとしているポケモンたちに伝えた。
この子供を助けたい。俺は多少ヒトの言葉がわかる。少しだけ、話をしたいんだ。
あとぶっちゃけその子の見てた悪夢食ったから滅茶苦茶調子悪い。
ポケモンたちは、少し悩んだ様子で、警戒を解くことはないが、殺気だけは納めてくれた。
『いまの きみに なやみは ある?』
「……え、えっと……はい。あ、でも! この子たち……ラッタたちとヤブクロンが、わたしを助けてくれたんで、す」
たどたどしくも、はっきりとした言葉だった。
「お家から出ちゃって、シャワーは浴びれないけど、お湯かけられたりするよりはいいし……蹴られたり、叩かれたりしないし、ご飯はラッタたちが分けてくれて、夜は一緒に、あったかく、ぐっすり眠れて、辛くはないんです」
子供らしい、柔らかな表情で、口から出る言葉から垣間見える経験に、何となく気分が悪くなりながら、話を聞いた。
そこから数秒の沈黙の後、「でも」と。「お母さんに、あいたい」と言った。
は? と、彼は本気で困惑した。その声色に乗った感情は、恐怖が殆どではあったが、わかる程度には親愛の思いがあった。
「きっと、心配してるから……」
「ムゥゥウン……」
それは君がそう思いたいだけじゃないのか。
あんな夢で見たような事があって、それでもそう思うのか。
あのメスへの恐怖で、そう言わさせられているだけなんじゃないか。
そう、聞くことは出来た。聞いても良かった。ただ、出来なかった。聞いたところで、事態が好転する訳でもないのは、彼もよくわかっている。
黄色いの、この子は、なんて言ってるんだ。なんとなくはわかるが、細かい部分もちゃんと知りてえ。
……親に、会いたいんだと。
…………おい、黄色いの。この子の親は、ろくでもねえ奴だ。この子が会いたがってるからって、その願いは叶えさせられねえぞ。
安心しろ、そこは俺も同意見だ。
ラッタと言葉を交えて、二匹揃って溜息をこぼす。
くすくす、けらけら。揶揄うような、呆れたような笑い声が場の空気を進めた。
あなた、馬鹿ねえ。囀るような声だ。
馬鹿とは何だ、馬鹿とは。彼は平坦な声で答える。
あなたの得意技、あるでしょうよ。
……?
…………?
………………?
彼はそこで一度、固まってしまった。本当に相棒が何を言っているのか理解が追いつかなくて。右上に目をそらし、えーっと、えーと、と頭をひねる。
……え、嘘でしょう? 本気で困惑した顔しないでちょうだい。
いや、別に夢を食べることは短期的に見れば“その悪夢をしばらく見なくなる”から、その間に心を癒やしてくれる何か、家族とか、趣味だとか。
それらがあれば、ある程度の解決はしてくれるが……今回のような場合は根治に至るための前提条件が足りなくて……。
違うわよ!? ていうかあなた、その話が本当なら今まで相手の家族に攻撃されたりなんて、そういう反撃してくる相手を狙ってたとしか思えなくなるわよこのスットコドッコイ! いやそうじゃ無いわね……あなた、私のこと普段どうやって扱ってるのよ!?
そりゃあ、振り子の……ああ、催眠術。
……ほんっっっとにスリーパーの自覚あるの? あなたが催眠術の代名詞みたいなところあるでしょうに……。
ラッタとヤブクロン、コラッタたちが向けていた警戒心も、二匹のコントのようなぐだぐだ感溢れるやり取りに解きほぐされていた。ほだされた、あるいは、警戒するだけ無駄だと呆れたとも言う。
彼はエスパータイプだが、偶に、時折、稀に、こういうポカをやらかす時はある。そういう所を相棒が指摘して思い出す、なんて事も無いわけではない。
彼は考える。ムウマの言葉を考えるなら、子供の記憶を催眠術で思い出せないようにしてやるのが解決策の一つではある。しかし、何かの拍子で思い出すかも知れないし、万が一親が探していた時話がややこしいことになってしまう。
そしてそれ以上に、彼は面倒くさい性格をしているのだ。拘りというか、本当にそれでいいのか、と自問自答する癖がある。その結果として、即座に彼はNoを弾き出した。右も左もわからないような子供に、記憶を思い出せなくするなんてことを選ばせていいのか。それはあまり良くないことだと、彼は思った。
『きみは これから ポケモントレーナー だ』
「ポケモン、トレーナー?」
『そう きみは まだ おかあさんに あうのが こわいんだろう?』
「……はい」
『なら たびを してみるといい』
「……たび?」
『この せかいには ポケットモンスター ちぢめて ポケモンと よばれる いきものたちが いたるところに すんでいる ポケモンだけじゃ ない きれいな けしき いったばしょで たべるごはん いろんな ひと で いっぱいだ』
「……」
『きみが しらない おかあさんも しらない いろんな おもいでを あつめて それを おかあさんに はなして あげたら どうだろう きっと よろこんで くれるさ』
「で、でも……私、ポケモン、持ってないし……バトルなんてしたこと、ないよ……?」
「ムゥウン……」
一芝居必要だ。相棒、玉になってくれ。
あなたって本当に馬鹿よねえ……。
うるせえやいと彼は笑う。別に良いだろう?
俺が悪者役やるから、お前ら、良い感じに頼むわ。
は?
ええ……。
緊張感をまとっているのは子供一人という、端から見れば何とも微妙な空気感の中、彼は文字を彼女に見せた。
ま、大丈夫でしょ。それにほら、今の俺はメチャクチャ調子が悪いから、お前らが弱くたってなんとかなるって。
誰が弱いだァ曲がりッ鼻ァア!?
『そうかな? きみの そばにいる ラッタ と ヤブクロン は やるき だよ』
「ムファアムファアアアン!!!」
やせいの スリーパー が あらわれた !
④
女がいた。肌を多く出した、主張の激しい服を着た女だ。
その顔は元の作りがいいのだろうが、激しい怒りに染まって形を大きく崩していた。見るものが見ればギャラドスのようだと呼ぶかもしれない。
血走った目でぎょろぎょろと、月夜に照らされた路地裏を見て回る。
アレが見つかったら大変だ。アレの事がバレたら、店での扱いもより悪くなるかもしれない。最悪クビだ。殺さないだけ温情をかけていたというのに、家の壁に穴まで開けて、なんて親不孝なのだろうか、奴は。
それらしい子供の目撃談が出ていた場所を探すが、照明の少なさも相まってまったく見つからない。
くすくす。くすくす。何処か、馬鹿にするような声が聞こえた気がした。
「あん? 何よ……」
苛立ちが声に混ざる。その声を聞いたのだろう主はより笑い声を響かせる。
くすくす、くすくす、げらげら。
嘲笑。子供のようだった声は、抑えきれないと言わんばかりの悪意を含んだせせら笑いに変わっていた。
「ひっ」
女は逃げようとした、しかし足が動かない。
腰が抜けていた。それに、見えてはいけない何かに見られてしまっているように、その場から動けなくなってしまったのだ。
やがて、ぽつり、ぽつりと。光の届かない路地の奥から、軽い足音が聞こえてきた。
女の、娘。
「お、お前何してた──」
「あははははははははは」
怒鳴りつけようとした声が、勢いを失う。アレの肌の色は、あんなに白っぽかっただろうか。アレが着ていた服は、赤黒く汚れていただろうか。顔はあんなにもボコボコに膨れ上がっていただろうか。あんな笑う子供だっただろうか。何故、目には何もないのか。
「っひ」
「おかあさんおかあさんおかあさん」
「く、くるな、こないで」
ぺたぺたと。素足の足音が近づいてくる。はっきりとわかるようになった顔。その目は何も写していない。違う、目が無いのだ。空っぽの眼孔から、ただ涙のような、血のような何かを流し続けて、女に近づいてくる。
笑っている。ほっぺを緩く上げて、笑っている。えくぼを作って笑っている。
何故、目も無いのにまっすぐ動けなくなった女へ向かえているのか。何故、笑っているのか。どうして動けないのか。
「い、いやああああああああ!!!!」
女の精神は限界だった。恐怖と混乱で、いっぱいいっぱいだった。
そして、健常な状態では無い精神に、エスパータイプの洗脳行為は、よく効くのだ。
子供の顔が眼前に迫る中、目の前に真っ赤な玉が揺れたのを見たのを最後に、女はそこで意識を失った。
⑤
お前も性格悪いよな。
彼は擦り剥いた鼻をいたわるように触ってそう相棒に言う。
べっつに。ただ、許せないだけよ。
許せない?
……あなた、私がどういう理由で生まれたか忘れたのかしら。
ああ、そういう。ごめんごめん。
軽っ。
気にして欲しいわけじゃないんだろ? ならこれくらいで良いだろ。
……はあぁぁ。
彼は相棒の溜息を聞き流して、自分を打ち倒した女の子とポケモンたちのことを思った。あの子の母親は、暫くは娘のことを思い出さないだろう。
その後の事は、その時の巡り合わせに任せることにした。今考えても仕方がないからだ。
けど、やっぱり美味い夢が食いたいと、近くに困っていそうなポケモンがいないかと森の中を歩き始めた。
⑥
彼はポケモンだが、ヒトが扱うヒトが扱う文字の読み書きは出来る。言葉となると難しい。喉の作りからして違うのだから当然だが、エスパータイプは頭がいい。意味を解することは出来る。
テレパシーは使えないこともないが、眠らせているときの方が伝えやすい。しかし眠らせている時はそもそも夢を食べたいし、テレパシーで話している時は相手の意識がほぼ覚醒しているので夢も何もなくなってしまい、時間の無駄になる。
だから、という訳でもなかったが。彼がヒトの文字を覚えたのはそういう理由だった。
結果的に彼に齎した影響も大きかった。ヒトの文字からは情報だけではなく、物語、思想、流行……そういったものがわかる。
例えばその一つ。ヒトは“新聞”と呼んでいた薄い紙の束。読めば、ヒトが累積してきた知識、技術だけで、雲よりも高く、空の先を越え、青色の向こう側へと飛び出したのだと。
“宇宙”と。ヒトはそう呼ぶもの。彼はそれを最初、理解することさえ出来なかった。空は空で完結していて、大地は大地。海は海。星は星。太陽は太陽。この世とあの世。そのくらいの認識しかなかったし、明確に知ろうとするまで、立っている大地が、世界そのものが丸いだなんて知らなかった。しかし、彼はそこそこに頭がいい。1を知ればつながるように2、3と理解が及んで、追いついた。
未知を未知のままにしない、できない、ポケモンよりも不思議な生き物。彼はヒトをそう認識している。
彼はヒトが好きなのではない。ヒトが作り出した、あるいは、作り出しうる“何か”が好きなのだ。その“何か”は彼の好奇心を大いに揺さぶり、そしてだからこそ。“何か”にどのヒトが辿り着くかわからないから、彼はとりあえずの選択肢として結果的にヒトを助けるのだ。
ああ、まったく。これだからヒトは。