鬼を滅し、弱者を救う   作:妖刀・酌揺

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実家で爆睡したら16時に起きたので初投稿です


5話 氷花

 

 その日は、何の変哲もない1日だった。

 いつものように蝶屋敷の皆とご飯を食べて、いつも通りに蝶屋敷の仕事をこなして、いつも通りに任務へと向かう。

 今日は妹のしのぶと一緒の任務だった。とある町に向かい、人を喰らっていた鬼を狩った。もう少しで夜明けだったから、しのぶと二手に分かれて残った鬼が居ないか、負傷者が居ないかの調査をしていた。

 このままいつも通り、しのぶと共に蝶屋敷へ帰るのだと…そう、思っていた。

 

 「…っ!」

 

 しかし、カナエは出会ってしまった。

 圧倒的な邪悪…死の気配を纏った存在に。

 

 「あれぇ?女の子?」

 

 頭から血を被ったような髪色、両の瞳に宿る虹。悪意も屈託もないような顔で無邪気に笑う。

 一見すれば、人当たりのいい青年。しかし両の目に刻まれた数字が、目の前にいる存在が人間では無いことを物語っている。

 

 ─上弦ノ弐。

 

 鬼舞辻無惨を除き、全ての鬼の中で2番目に強い存在。

 それが、朗らかな笑顔を顔に貼り付けて目の前に立っていた。

 

 「今日は運がいいなぁ。まさか、夜明け前にこんなに可愛い女の子と出逢えるなんて。君、名前は何ていうの?」

 

 口が動かない。

 手足が自分の物じゃないみたいに酷く冷たい。

 これから訪れるかもしれない自らの死を幻視し、カナエの全身に鳥肌が立つ。

 

 「あれ、答えてくれないの?……あ、そっか!そうだよね!まずは自分から名乗らなきゃね!」

 

 ニコニコと笑う鬼。こんなにも優しげな笑みだというのに、あまりにも大きな恐怖を感じる。

 無意識に、カナエの右手が刀の柄に触れた。

 

 「初めまして、俺の名前は童磨。いやぁ、今日は月が綺麗だねぇ。改めて、君の名前を教えてくれるかな?」

 

 「…答える義理がありますか?」

 

 何とか捻り出した言葉は、童磨と名乗った鬼の意にそぐわないものだっただろう。しかし、童磨は優しげな微笑みを崩さずに言う。

 

 「ありゃ、やっぱり答えてくれないかぁ。……まあいいや。可愛い女の子だから名前を知りたかったけど、どうせ喰べちゃうんだし。聞いても聞かなくても一緒だよね」

 

 童磨は懐に手を入れると、金色に輝く対の扇を取り出した。光を反射してキラキラと輝くそれが、どれ程の鋭さを持つのかは想像に難くない。

 武器を取り出した童磨に対し、カナエも刀を抜き放って臨戦態勢を取った。

 

 「あれえ?戦うの?そんなに恐がってるのに?せめて苦しまないように殺してあげたいから、出来れば戦うのはやめてくれないかなあ?」

 

 童磨の言う通り、カナエの心には恐怖が渦巻いている。気を抜くと足が震えてしまいそうだが、それを気力だけで抑え込み、必死に心を奮い立たせる。

 

 「それは無理な相談ですね。柱として、悪鬼を見逃す訳にはいきません」

 

 「あ、君って柱なんだね!うわあ!俺はなんて運がいいんだ!夜明け前にこんな上質な御馳走と出逢えるなんて!」

 

 童磨が上機嫌に笑う中、仕掛けたのはカナエだった。地面を力強く踏み込み、一気に距離を詰めて斬撃を放つ。

 

 ─花の呼吸、壱ノ型・飛び椿

 

 体のバネを活かした素早い横薙ぎの一閃。しかし、童磨は顔色1つ変えず、体を後ろに反らせて刃を躱した。そして躱した姿勢のまま、両手に持つ扇を大きく振るう。

 

 「ちょっとちょっと!不意打ちなんて酷いなあ!よし、じゃあ次は俺の番ね!」

 

 ─血鬼術・粉凍り

 

 凍てつく粉塵が周囲にばら撒かれる。キラキラと月光に反射する粉塵を目にし、カナエは咄嗟に大きくその場から離脱した。

 彼我の距離が離れ、カナエは大きく息を吐く。あと少しでも退避が遅れていれば眼球が凍りついていたかもしれないと、カナエの額に汗が浮かぶ。

 

 「反応も速いね。流石は柱ってところかな?」

 

 童磨は扇をパタパタと仰ぎながら言う。カナエを褒めているような口調ではあるが、余裕綽々といった表情は崩れていない。

 対するカナエの表情は対象的で、焦燥から多くの汗が滴っている。

 カナエはたった1度の攻防で理解させられた。この鬼は今までの鬼とは格が違うと。以前倒した下弦の鬼でさえ、童磨と比べれば赤子のようなものだったと。

 

 「花の呼吸、肆ノ型。紅花衣」

 

 「わあ、靱やかだねぇ!」

 

 再びカナエが攻撃を仕掛けた。童磨へと肉薄し、自らの周囲を巻き込みながら、首へと向けて斬り込んでいく。童磨はカナエの刀を右の扇で受け止め、左の扇で反撃を繰り出した。

 

 「陸ノ型、渦桃」

 

 童磨が放った横薙ぎの一閃。カナエは回転しながら宙に浮かび、紙一重で回避した。そのまま回転の勢いを以て、童磨へと刃を振るう。

 

 ─血鬼術・枯園垂り

 

 カナエの日輪刀を迎撃したのは、氷結を纏った扇の連撃。首を狙う桃色の刃を弾き、そのままカナエの命を奪わんと攻撃を仕掛ける。しかし、カナエも負けじと技を放ち、凄まじい打ち合いが繰り広げられた。

 

 「弐ノ型、御影梅」

 

 「わあ、凄いね!華奢なのに力強い!」

 

 金属と金属がぶつかり合う音が黎明に響く。未だに余裕そうな様子の童磨にカナエは歯噛みしながらも、絶え間なく斬撃を繰り出し続ける。しかし、童磨の守りを突破するには至らない。

 

 「それ!」

 

 「…ぐっ!」

 

 童磨の鋭い一撃を刀で受けたカナエだったが、踏ん張りが効かずに大きく弾き飛ばされた。しかし空中で何とか体勢を整え、ふわりと着地する。追撃に備え身構えるカナエだったが、童磨は何も仕掛けては来ず、顎に手を当てて何やら考える素振りを見せる。

 

 「……君、さっき俺の血鬼術吸ってたけど、全然効いてる感じが無いなあ。何かカラクリがあるのかな?」

 

 「さあ、どうでしょう?」

 

 童磨は凍結を司る血鬼術を持つ。

 凍えた血液を細かい粉塵にして周囲にばら撒くことで、それを吸った人間の肺機能を著しく低下させることができる。正に呼吸を使用する剣士の天敵といえるだろう。更に、血鬼術を使えば使うほど周囲の気温は急激に低下していく。それによる凍傷や手足の動きの阻害が発生するところも、童磨の血鬼術の恐ろしい点だ。

 しかし、カナエは玄力による身体強化の効果で、童磨の血鬼術の影響を軽減できていた。もしそれが無ければ、初手で粉塵を吸い込んだ時点で肺が壊死し、最早戦いにすらなっていなかっただろう。

 

 「カラクリが気になるところだけど、正直血鬼術が効かなくてもあんまり関係ないかな。今の打ち合いで分かったでしょう?君ってば凄く強いけど俺には勝てそうにないかなあ。だからもう諦めたら?無駄なことをしたって苦しむだけだよ?」

 

 「……」

 

 童磨の言葉に、カナエは唇を噛んだ。

 "カナエは童磨に勝てない"という事実が、カナエの心を蝕む。

 カナエの全力の斬撃に、童磨は涼しい顔で対応する。力一杯に刀を振るっても、何でもないように弾き返される。

 速さも、力も、足りない。勝てない。勝てない。勝てない──と、諦めが心を埋めつくそうとした瞬間、脳裏に声が響いた。

 

 『行き着く先は、最速』

 

 まだ、終わっていない。

 カナエの瞳に炎が宿る。

 速さが足りないなら、もっと速く刀を振ればいい。

 力が足りないなら、もっと強く刀を振ればいい。

 そのために必要なことは、彼から学んだのだから。

 

 「まだよ…」

 

 刀を逆手に持ち、身体の前に構える。しかし、その構えは通常の逆手持ちとは違い、刃の方向が逆―自らの手首側を向いていた。

 その構えを見た童磨は、眉を下げて首を傾げた。

 

 「ええ?何その変な構え?刃の向きが逆だよ?」

 

 カナエはその言葉には答えない。只管に集中し、呼吸と玄力を整える。未だに成功させたことのないその剣技を、この土壇場で成功させるために、全ての神経を集中させる。

 カナエが知る限り、最も強い剣士が用いる最速の居合術。

 

 ―居合白禊流。

 

 踏み込み、一気に距離を詰める。間合いに入った瞬間に、刃を抜刀した。

 抜刀と同時に手の内で刀を反転させる。今まで以上の速度で刃が首へと到達する―よりも速く、童磨が振るった扇が刀を折り、そのままカナエの体を斬り裂く。

 夜明け前の空に、鮮血が舞った。

 

ーーー

 

 「……っ!!姉さん!!!」

 

 騒ぎを聞き付け、現場に辿り着いたしのぶが見た光景は、最愛の姉が斬られ倒れる瞬間だった。

 鮮血が舞い、地面を真っ赤に染める。カナエは地面に膝を付き、肩で息をしながら童磨を睨みつける。

 一方、下手人たる悪鬼は、手に持つ扇に着いた血液をぺろりと舐めながら告げた。

 

 「変な構えなのにさっきまでより速くて驚いたけど、何だか未完成って感じだったね。ほら、そのせいで刀も折れちゃったし」

 

 折れた刀身の先を指で拾い上げ、続ける。

 

 「それにしても、意外と丈夫なんだねえ。肺まで斬るつもりだったのに、肩で止まっちゃった。残念残念。けど…その左腕はもう動かないでしょう?片腕じゃあ俺とは戦えないよ?」

 

 斬り裂かれた左肩を抑えるカナエのもとに、しのぶが駆けつけた。カナエの怪我を見て小さく息を呑む。

 致命傷ではない。内蔵までは到達していないし、呼吸での止血もできている。しかし、左肩から鎖骨にかけて深く斬り裂かれているため、もう両手で刀を握ることは出来ないだろう。

 

 「ね、姉さん、大丈夫!?」

 

 「…しのぶ…逃げ、なさい」

 

 「嫌よ!姉さんを見捨てるなんてできない!」

 

 しのぶは叫びながら刀を抜刀し、最愛の姉を傷つけた存在へと身体を向ける。しかし対面する鬼のあまりの威圧感に、しのぶの全身の細胞が警鐘を鳴らした。

 ―戦えば、死ぬ。

 本能も理性もそう言っている。

 それでも、姉を置いて逃げるという選択肢はしのぶにはなかった。

 

 「君たち、姉妹なんだねえ。素晴らしい姉妹愛だ。けど、このままじゃ2人とも死ぬよ?」

 

 童磨の言葉は煽りでも何でもなく、純然たる事実。しのぶでは童磨は決して適わない。

 唯一この状況に救いがあるとすれば夜明けが近い事だが…しのぶの実力では、時間を稼ぐことすら許されないだろう。

 

 「でも大丈夫。俺が喰ってあげる。そうすれば、未来永劫なんの苦しみもなく永遠に、俺と共に生きていけるんだ」

 

 「何を…言ってるの…?」

 

 童磨の言葉に、しのぶとカナエは眉を顰めた。そんな様子を知ってか知らずか、童磨は誇らしげに言う。

 

 「人はね、生きる限り救われないんだ。だから、俺が君たち2人を救ってあげるよ」

 

 「戯言を…!」

 

 しのぶの刀を握る腕に力が篭もる。そのまま童磨に斬り掛かろうとした瞬間、隊服の襟首を掴まれ、大きく後方に投げ飛ばされた。

 

 「え!?」

 

 「逃げ、なさい…!これは、柱としての命令よ!」

 

 「待って、嫌!姉さん!嫌だ!!!!」

 

 空中を舞いながら、涙を流して訴えかけるも、カナエの覚悟は変わらない。いつものようにニッコリと微笑んで告げる。

 

 「しのぶ。貴女だけでも…生きて」

 

 カナエは立ち上がり、童磨へと向き直る。折れた刀を動く右腕で握りしめ、しっかりと構えた。

 

 「あれ?君は逃げなくていいの?」

 

 「…逃がすつもりもないくせに」

 

 「はは、まあね。……最後に何か、言い残すことはあるかい?」

 

 童磨が扇を振りかぶる。カナエは静かに目を閉じ、大切な人たちの顔を思い浮かべた。

 ―しのぶ、カナヲ、アオイ…。そして漆羽さん…。

 ―ごめんね。

 

 「皆、幸せになってね…」

 

 振り下ろされる扇。あとほんの数瞬で、カナエは命を落とす。

 覚悟を決め、目を閉じたままその時を待つ……が、何秒経っても童磨の凶刃がカナエに到達することはなかった。

 ガキン、という金属同士がぶつかり合う音を聞き、カナエは目を開く。カナエと童磨の間に割り込むように、振り下ろされた扇を刀で受け止る男が立っていた。

 

ーーー

 

 「え……」

 

 「大丈夫か?」

 

 童磨の攻撃を受け止めていたのは、カナエの弟子であると同時に師でもある男…漆羽洋児だった。漆羽は受け止めていた扇を弾くと、身体を翻す。そのまま回転の勢いを利用した蹴りを童磨の腹に入れ、後方へ大きく吹き飛ばした。

 童磨との間合いが開いたことを確信した漆羽は、カナエを抱き抱えた。カナエの怪我を見て思わず表情が曇るが、恐らく命に別状は無いだろう。一先ず、漆羽は胸を撫で下ろした。

 

 「すまない、遅くなった」

 

 「漆…羽さん…?なんで、ここに…?」

 

 「説明はする。だから…後は俺に任せろ!」

 

 「…っ!……はいっ!」

 

 漆羽に抱き抱えられたカナエは、安心からか大粒の涙を流す。漆羽は自らの腕の中で嗚咽を漏らすカナエの頭を優しく撫でた。そして、離れた場所にへたりこんでいるしのぶの元へ移動し、優しくカナエを地面に降ろす。

 

 「しのぶ。カナエを頼んだ」

 

 「漆羽さん…ありがとうございます…」

 

 「礼は後で存分に!…まだ危機は終わってないぞ!」

 

 しのぶの感謝に対してそう答えると、漆羽は刀を構えながら童磨へと視線を向けた。漆羽に蹴り飛ばされた童磨は、何事も無かったかのようにケラケラと笑っている。

 

 「いきなり蹴るなんて酷いなあ。いやあ、それにしても凄い力だった。もしかして君も柱なのかな?」

 

 「違う」

 

 「ええ?柱じゃないのかい?うーん…どう考えてもそこの柱の子より強いと思うんだけど…人間の組織ってのはよく分からないね」

 

 唸るような仕草を見せる童磨。敵を前にしているとは思えない、飄々とした態度だった。

 

 「まあどうでもいいや。君も殺して3人一緒に喰べてあげ…!?」

 

 童磨の視界に存在していた漆羽の姿が掻き消える。次の瞬間には、溢れんばかりの殺気を携えた漆羽が既に目の前に立っていた。

 

 「与太はいい!黙って死ね!」

 

 漆羽の腕が消えた。童磨は反射的に急所たる首を扇で防御する。

 扇と刀身が衝突し、激しい金属音が響く……ことはなく、まるで豆腐でも斬っているかのように、漆羽の刃は金色の扇をいとも簡単に斬り裂いた。

 そのまま首へと刃が向かうかに思われたが、扇によって軌道がズレたのか、超速の斬撃は童磨の顔の上半分を斬り飛ばすに留まった。

 漆羽は追撃のため刃を振おうとしたが、童磨から放たれる凄まじい冷気を感じ取り、攻撃を中止し大きくその場から退避した。

 

 ―血鬼術 霧氷・睡蓮菩薩。

 

 童磨の足元から巨大な氷像―菩薩を模した物―が出現し、周囲の全てを巻き込んで凍結させていく。菩薩の肩の上に立つ童磨は既に頭部の再生を完了させていた。

 

 「いやあ、危ない危ない。もう少しで死ぬところだったよ。この扇、一応ちゃんと鉄でできてるんだけどなあ。それを斬っちゃうなんて、君本当に人間?」

 

 真っ二つに斬られた扇を見せつけながら宣う童磨の様子は普段通りで、命の危機を感じた直後とは思えない。しかしその態度とは裏腹に、彼の吐く言葉に嘘はなかった。

 童磨の長い生において、最も速い斬撃だった。鬼殺の剣士との戦いで死を幻視したのは初めての経験かもしれない。

 気づけば、童磨の表情からニコニコとした笑みは消えていた。一切の油断なく、自らの命を脅かす存在に全神経を集中させる。

 

 「君はあまりにも危険だね。あの方のためにも、ここで殺しておこう」

 

 ―血鬼術 寒烈の白姫

 ―血鬼術 散蓮華

 

 童磨の左右に女性の氷像が出現し、その口から凍てつく息吹を放つ。それと同時、花弁のような無数の刃が漆羽の元に飛来した。

 先程までとは違い、明確かつ鋭い殺意を伴った攻撃。しかし、漆羽に焦りはない。

 

 ―花の呼吸・白 

 

 「漆ノ型、桜舞い」

 

 舞うように回転しながらの3連撃。その斬撃と風圧を以て、凍結の息吹と無数の刃を全て弾き飛ばした。

 信じ難い光景に、童磨は思わず目を見開いて呆気に取られた声を上げた。

 

 「えぇ…嘘でしょう?」

 

 まさか完璧に対応されるとは思っていなかったのだろうが…それは見積もりが甘いと言わざるを得ない。

 童磨は知らない。目の前にいる男がどういう存在なのか。

 地獄絵図といわれた戦争を終わらせた剣豪が、どういう存在なのか。

 漆羽はかつて、これ以上のモノを毎日のように目にしていたのだ。

 雨を降らせ、雪を舞わせ、雷鳴を轟かせる。敵を蹂躙し、攻撃の余波で天候すらも変化させる。

 

 ―夏にあられが降れば、これから悪党が死ぬ。

 

 戦争後にそんな伝承が生まれた原因は、漆羽が共に戦場を駆けた1人の男。

 暴れに暴れていたあの悪童の攻撃に比べれば……この程度の攻撃、漆羽にとって何の障害にも成り得ない。

 

 「次は殺る」

 

 チャキ…という音を立てながら刀を構え、頭上に立つ童磨へと目を向ける。童磨の周囲は血鬼術によって凍える冷気に包まれているが、それは全て剣圧で弾き飛ばせば済むことだ。首を斬るのに何の支障もない。

 足に力を込め、そのまま跳躍…しようとしたタイミングで、童磨の血鬼術である霧氷・睡蓮菩薩が大きな音を立てて崩れ散った。

 

 「おいおい、どうした。諦めたか?」

 

 「まさか、違うよ。君はここで殺すべきなんだろうけど…残念、時間切れかな」

 

 童磨が指差した方角は東。輝きを放つ東の空は、既に太陽が登る寸前だった。

 

 「逃がすと思うのか?」

 

 「うん。悪いけど逃げさせてもらうよ」

 

 ―血鬼術・結晶ノ御子。

 

 童磨の手の内から、童磨の姿を象った小さな氷の人形が3体生み出された。

 

 「次は殺すからね。またねえ!」

 

 ひらひらと手を振り、そのまま走り去っていく童磨。漆羽はそれを追おうとするが、童磨が生み出した人形が立ちはだかる。人形は独立して動き、各々が血鬼術を放った。

 

 ―血鬼術・蓮葉氷

 ―血鬼術・冬ざれ氷柱

 ―血鬼術・散蓮華

 

 「チッ!」

 

 漆羽は舌打ちを鳴らしながら次々と放たれる血鬼術を叩き落としていく。血鬼術に対処しながらも数十秒で人形を全て破壊したが、その時には既に童磨の姿は見えなくなっていた。

 

 「…逃がしたか、クソ!」

 

 悔しげに呟くが、完全に見失った以上は追跡するのは難しい。大人しく刀を収めた漆羽は、カナエの治療を行うしのぶの元へと向かう。カナエはしのぶの側で横たわり、静かに目を閉じていた。

 

 「カナエは大丈夫そうか?」

 

 「はい。今は眠っていますが、命に別状はありません。…漆羽さん、本当に、助けていただいてありがとうございました!」

 

 「…気にしなくていい。何はともあれ無事でよかったよ」

 

 しのぶは勢いよく立ち上がり、漆羽に向けて深々と頭を下げる。漆羽は若干のむず痒さを感じながらも、素直に感謝を受け取った。

 

 「とにかく、一度蝶屋敷へ戻ろう。治療も蝶屋敷の方がちゃんとできるだろう」

 

 「そうですね」

 

 「カナエは俺が運ぼう」

 

 「わかりました。お願いします」

 

 漆羽はカナエを抱き抱え、しのぶと共に歩き出す。

 東の空には既に太陽が登りきっており、3人を明るく照らしていた。




大正コソコソ噂話
漆羽が救援に間に合った理由は幾つかあるよ
漆羽の任務地がたまたま近かったことと、カナエの鎹烏が独断で漆羽に援軍を求めたことで、本当にギリギリ間に合ったよ
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