鬼を滅し、弱者を救う 作:妖刀・酌揺
新たな花柱となった漆羽の生活は一変した。
まず、仕事の量が大幅に増えた。巡回地域・任務の増加、継子の稽古、報告書の作成、自らの鍛錬などなど、平隊士だったころとは比べ物にならない。
次に、周囲の態度の変化。柱になってからというものの、任務で出会う隊士やら隠やらに途轍もなく畏まられることとなった。
自分は畏まられるような人間じゃない、もっと気軽に接してくれ、と伝えても成果はなし。むしろ、柱なのに何て謙虚な人なんだ!かっけえ!…みたいな尊敬の視線を向けられる始末。何を言っても意味がないと悟った漆羽は、諦めて受け入れることにした。
最後に、給料の増加。平の頃は普通に働く大衆よりも多少多い程度だったが、柱となると訳が違う。柱の給料は無制限…つまり、望めば望むだけ手に入るのだ。
特に使い道が思いつかなかった漆羽は毎月届く大量の給金に頭を悩ませていた(もっと少なくていい、と言うとなぜか増える。嫌がらせだろこれ)が、ある日ふと思い至った。
―そうだ、家を買おう…と。
漆羽は現在、蝶屋敷の一室を間借りしている状況であり、端的に言えば居候である。飯も風呂も年下の少女に用意してもらっているという、成人男性として普通に情けない状況であった。
10代少女の家に居候したうえ、身の回りの世話をされているアラフォーおじさん、という犯罪臭漂う現状を恐れた漆羽は、家を買って独り立ちしようと決意した。
思い立ったが吉日。早速漆羽はカナエにその旨を伝える。快く受け入れてくれるだろうと。しかし、その予想は裏切られ、猛烈な反対に遭うこととなった。
「漆羽さんはしのぶとカナヲの師匠なんだし、一緒に暮らしたほうが効率も都合もいいわ!」
「蝶屋敷が万が一鬼に襲撃された場合に備えて、現役の柱が1人は常在していてほしいの!」
「任務で怪我をしても帰ってくれば直ぐに対処できるわよ!」
といった数々の"出ていかないほうがいい理由"を怒涛の勢い且つ必死の形相で話すカナエに押され、漆羽は首を縦に振らざるを得なかった。アラフォー居候生活が継続確定した瞬間である。
花柱となり暫く経ち、居候アラフォーおじさんとしての生活も板についてきた日の夕方。
漆羽が道場で木刀を振り回して鍛錬していると、試し切り場の方向から吐き捨てるような大声が聞こえてきた。
「…くそっ!!」
聞き慣れた少女の声ではあったが、聞き慣れない声音であった。
声の主たる少女がツンツンしているのは見慣れたものだが、今回は何やら様子がおかしい。怒りを多分に含んでいるものの、それ以外にも様々な感情が渦巻いた声。それを不審に思った漆羽は木刀を置き、試し切り場の方へと向かった。
そこには、刀を両手で構えながら大きく肩で息をする少女がいた。数カ月前に漆羽の継子となった胡蝶しのぶだ。
彼女の睨みつけるような視線の先には、立て掛けられた畳表。しのぶはギリッと歯を食いしばり、畳表に向けて刀を振るった。
鋭い太刀筋を描く刃は畳表へと襲い掛かり、それを真っ二つに切り裂く……ことはなく、刀身は筒状にされた畳表の中ほどで止まった。
「…っ!」
しのぶは力を振り絞るも、勢いが完全に死んだ刀はそれ以上先に進むことはなかった。
「…なんでっ、斬れないのよっ!」
憤怒や絶望…様々な感情が織り交ざった悲痛な声で叫ぶが、無情にも結果は変わらない。しのぶの刀はそれ以上進まず、畳表を切り裂くことはできない。
十数秒後、しのぶは小さく息を吐いて刀を手放した。力無く腕を下ろし、自らの刀が刺さった畳表を静かに見つめる。
―斬れない。
その事実がしのぶの心に重く圧し掛かる。
成長が無い訳ではない。漆羽の指導により剣の正確さ・速度ともに向上しているし、以前よりも刃が食い込むようになっている。
けれど、断ち切ることは叶わない。
畳表は特殊な加工により普通の物よりも硬い。とはいっても、雑魚鬼と同程度であるし、強力な鬼の頸と比べれば遥かに柔い。これを斬れなければ、十二鬼月の頸を斬るなど夢のまた夢だ。
血が滲むほどに拳を握り締め、それを思い切り畳表に叩きつけようと振りかぶった瞬間、漆羽がその腕を背後から掴んだ。
「手は大事にな」
「…!?…漆羽さん…見てたんですね」
「すまない。盗み見る感じになっちまった」
「いえ、お気になさらず…」
しのぶの腕から力が抜けた。だらん…と、重力にされるがまま腕を下ろす。
「随分と切羽詰まってるな。どうした?」
「…」
漆羽の問いかけに、しのぶは俯いたまま答えない。そんなしのぶの頭を優しく撫でる。
「ちょっ!撫でないでくださいっ!」
「弟子の頭撫でるくらい別にいいだろ?よしよし、いい子でしゅね~」
「や、やめっ!やめろっ!子供扱いしないでよっ!」
しのぶは頭を撫でる漆羽の手を思いっきり振り払うと、尻尾を踏まれた猫のようにキッっと漆羽を睨みつける。しのぶの睨みを受け、漆羽は優しい笑みを口元に浮かべた。
「…何をニヤニヤしてるんですか?変態なんですか?」
「変態じゃねえ。…で、何を悩んでんだ?」
「……別に、漆羽さんに相談するまでもありません」
視線を反らしながら言うしのぶ。漆羽は深く追及することはせず、変わらず優しい声音で語り掛ける。
「言いたくないなら言わなくても結構。…ただ、これでも俺はお前の師匠だ。弟子が苦しんでるのに相談してこないってのは、存外寂しいもんだぞ」
「……」
数十秒の沈黙の後、しのぶは静かに語り出す。
「……姉さんが引退したから、私が代わりにならなきゃって思ってるんです。姉さんの分も、多くの人を救わなきゃって。でも、私には鬼の頸は斬れない。どれだけ鍛錬してもダメで…漆羽さんに教わってる白禊流も全然できなくて…。鬼を狩れないのに、鬼殺隊にいる意味あるのかなとか、考えちゃって…」
しのぶの独白は悲痛に満ちていた。悲しみを多く孕んだ声に嗚咽が混じり出す。
「……っ、鬼殺隊なのにっ、人を守るのが役目なのにっ…私は、守られてばっかりで…!上弦の弐と対峙した時も、戦わなくちゃいけなかったのに…っ!体が震えて、動かなくてっ!姉さんと漆羽さんに守られてっ、庇われて、私っ、だけ何も、できなくて…!それが情けなくて、悔しくて……!けど、どれだけ頑張っても全然だめでっ!…なんで、なんで私はっ、こんなに体が小さいのかなあ……!なんで、こんなに弱いのかなあ……っ!…………もう、自分が嫌いになりそう……!」
大粒の涙をぽろぽろと流すしのぶの小さな体を、漆羽は優しく抱きしめる。しのぶは眼を見開いたが、突き飛ばしたり拒絶することはなく、その暖かさと優しさに身を委ねた。
「泣くのは悪いことじゃない。大事なのは、それでも前に進めるかどうかだ」
「……っ」
「…自分を嫌いになるな、とは言わねえ。俺だって、そういう風に思うことはあったしな。けど、しのぶがどんなに自分を嫌ってたって、俺もカナエも…アオイとカナヲだって、しのぶのことを大切に思ってる。それだけは忘れないでくれ」
「……っ!」
漆羽が優しく頭を撫でる。
しのぶは自らの泣き顔を隠すかのように、嗚咽を漏らしながら漆羽の胸に顔を埋めた。
ーーー
「落ち着いたか?」
「はい…すみません……。お見苦しいところを…」
「気にするな」
しばらくして。
漆羽としのぶは縁側に並んで座り、静かに言葉を交わしていた。
「……私は、どうすればいいんでしょう。このまま鍛錬を続けても、きっと鬼の頸は斬れない……」
「斬らなくてもいいんじゃねえか」
「え?」
漆羽の台詞に、しのぶは目を丸くした。言ってる意味が分からない、といった様子のしのぶに、漆羽は言葉を続ける。
「手段と目的の違いだ。鬼の頸を斬るのことが目的じゃねえだろ。それは、あくまで鬼を殺す手段に過ぎない」
漆羽の言葉に、しのぶは表情を小さく歪めた。ため息交じりの声が小さな口から洩れる。
「…それはつまり、頸を斬る以外で鬼を殺す方法を見つけろと?随分と簡単に言ってくれますね」
「しのぶは頭良いし何とかなるだろ。ま、頑張れ」
「助言にしては無責任すぎるでしょ…」
小さく苦言を呈すしのぶ。しかし言葉とは裏腹に、その表情は先程よりも幾分か明るい。立ち上がり、漆羽に向けて深く頭を下げた。
「…けど、ありがとうございます。少し、視界が開けた気がします。出来ないことに固執するのは時間の無駄ですし、例え厳しくとも別の道を探そうと思います」
「礼ならいい。苦しくなったら、またいつでも泣きに来な」
「もう泣きません」
「どうだか」
「…っ泣きません!もうっ!私は夕餉の準備があるので失礼しますね!この度はありがとうございましたっ!」
すっかり普段の様子に戻ったしのぶは、つんけんとした態度を取ったままその場を後にした。
縁側に一人残された漆羽は、朱く燃える空を見上げながら呟いた。
「盗み聞き…いい趣味してるな」
「……あら、バレてた?」
建物の陰から姿を現したのは、しのぶの実姉であるカナエだった。あざとく舌をペロリと出し、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「盗み聞き、しのぶには内緒にしてね?」
「どうかな」
「いじわる」
カナエはジト目で漆羽を見つつ、隣へと腰掛けた。
「…ありがとう、漆羽さん。あの子、私にはあんまり弱いところを見せてくれないから」
「実の姉だからこそ見せ難いってのはあるだろう。あの年頃だと尚更な」
しのぶは大人びて見えても未だ15歳。呼吸を修めていても、剣術を学んでいても、どれだけ強がっていても、内面は多感な時期にある1人の少女に過ぎない。
親しい人だからこそ、弱いところを見られたくない、心配させたくない、と思うのは何も不思議ではない。
「そうね…少し寂しいけれど。ねえ、漆羽さん。これからも、しのぶのことを助けてあげてね?」
「勿論、言われなくとも。…というか、しのぶだけじゃないぞ」
「え?」
「お前も、まだ18なんだ。もっと俺を頼れ」
「……!」
カナエは目を見開き、隣に座る漆羽の横顔を見つめる。
ふと、漆羽がカナエへと視線を向ける。2人の視線が交差した。
「ふふ…じゃあ、ちょっと甘えちゃおっかな~」
カナエは満面の笑みで漆羽の腕に抱きつく。漆羽は眉を顰めるも、嬉しそうに笑うカナエを振り払うことはしなかった。
「…」
「なあに?その顔?こんな美少女が抱きついてあげてるのに~」
「……自分で言っちゃうのかそれ」
漆羽の呆れた溜息と、カナエの笑い声が木霊する。
戦いの束の間、穏やかな日常がそこにはあった。
ーーー
あの日以降、しのぶは"鬼を殺せる毒"の研究と開発に取り組むようになった。新しい道に挑戦し始めてからのしのぶは心なしか生き生きとしており、頸を斬れないと悩んでいた頃と比べて暗い表情を見せることは少なくなっていた。
「じゃあ行ってくる」
「いってらっしゃい。あ、でも待って。行く前にちょっとこの毒の実験台になってくれない?」
「殺す気か!?」
以前よりも砕けた態度で漆羽に接するようになったしのぶ。それを嬉しく思う反面、あまりにも態度が砕けすぎた結果がこれである。仮にも師匠を実験台にしようとするな!と、漆羽は声を大にして叫びたい気分であった。
「ふふ、冗談冗談。気を付けてね」
…が、こうも屈託の無い笑みを見せられると叫ぶ気力も失せてしまう。こいつは将来必ず悪い女になると漆羽は確信した、
「ああ」
漆羽はしのぶと別れ、次は診察室へと向かう。別に診察を受けようとしているわけではない。そこにいる人物に挨拶をするためだ。
診察室に辿り着き、扉をノックする。中からどうぞ~という声が聞こえたため、漆羽は静かに扉を開いた。
扉の先に待っていたのは、白衣を纏い仕事モードのカナエと、上裸になった目つきの悪い男が1人座っていた。男は体の至る所に傷痕があり、見ているだけで痛々しい。
「あら、漆羽さん。どうかした?」
「これから任務だし挨拶と思ったんだが……悪い、取り込み中だったか」
「いえいえ、もう終わるところだったし大丈夫よ~。…はい、じゃあ痛み止めは出しとくから、あんまり無理しちゃダメよ?」
「……わかってらァ」
どうやら傷男の診察がちょうど終わったらしい。カナエが優しく微笑みと、傷男はバツが悪そうに顔を背けた。そのタイミングで漆羽は気づく。あれ、コイツどっかで見たことあるな、と。
「お前、確か…」
どこで見たのか記憶を穿り返していると、傷男が徐に口を開いた。
「ん?…あァ、そういや挨拶してなかったなァ。俺ァ不死川実弥。風柱だ」
それを聞き、漆羽は傷男の正体に合点がいった。そして、小さく頭を下げる。
「悪い、本来なら新参が挨拶すべきだろう。遅れたが、俺は漆羽洋児だ。よろしく頼む」
「いやいや構わねェさ。あん時ァバタバタしてただろうしよ。それにアンタ、見た目は若ェが随分と年上なんだろ?気ィ使う必要はねェよ」
「そうか。じゃあ、お前も歳の差やらに気は使わなくていいぞ。同じ柱になったんだ、仲良くやろう」
「元からそのつもりだァ。よろしく頼むぜェ、漆羽さんよォ」
漆羽は立ち上がった不死川と握手を交わした。
傷男もとい、不死川は見るからに狂暴そうな見た目をしているが、意外にも常識はしっかりしているらしい。狂暴すぎたら仲良くできねえかも…という漆羽の心配は杞憂だったようだ。
「胡蝶から聞いてる。アンタが最強だってなァ」
「そうなのか?」
「あァ。自慢気に話してたぜェ。尊敬する人だってなァ」
「ちょっ!不死川くんっ!?そんなこと言わなくていいからっ!」
唐突な暴露を食らい、顔を赤くして狼狽えるカナエ。その様子を見て、漆羽の顔に笑みが浮かんだ。
「そう言ってもらえるのは嬉しいな。その尊敬を裏切らないようこれからも精進するさ」
「いい心掛けだなァ。そうだ、今度一緒に稽古しねェか?胡蝶が言ってたアンタの剣、気になってんだ」
「ああ、構わない。俺も風の呼吸には興味がある」
「ふっ、いいねェ…。そんじゃ、そろそろ任務に行くとするかァ。またなァ、胡蝶、漆羽さん」
「ああ」
「気を付けてね~」
そう言い残すと、不死川は隊服を手に持って診察室から出ていった。それを見送った漆羽とカナエは、改めて向き合って言葉を交わす。
「じゃあ、俺も任務に行ってくる」
「わかったわ。気を付けて」
「じゃ、またな」
「ええ、いってらっしゃい」
笑顔で手を振るカナエに挨拶を返し、蝶屋敷を発つ。
既に、夜の帳は降り切っていた。
今後も投稿ペース少し落ちます
許してね