マブラヴ グレートパトリオティックウォー   作:Eitoku Inobe

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決して屈せぬ伝説の軍隊は
幾多の戦で勝利の喜びを得た
家族と愛する我らの軍隊よ、
祖国は歌の挨拶を送ろう
君に歌の挨拶を送ろう
-”ソヴィエト陸軍の歌”より抜粋-


ヴィクトル・フレツロフという男の一生

人にとって人生で最も輝いた瞬間とはいつだろうか、大学に受かった時、夢が叶った時、結婚した時、家族が増えた時、人の人生には必ず輝きが存在する。

 

人から見た俺の場合は間違いなく1985年2月2日のあの瞬間だろう。

 

MiG-29の刃を振り上げて首を撥ね、この戦争を文字通り終わらせた瞬間が人生で最大の栄光の瞬間であった。

 

では後は落ちていく一方なのか、人生とは大きな山のようなもので終わるまで永遠に苦労しながら頂上の頂を目指すものでやがて下山し、頂から降りなければならない。

 

人によってはそれは不幸なのだろう、頂の景色を永遠のものにしたい、人の当り前な欲求だ。

 

俺は、確かにあの栄光の瞬間を今でも思い出すことがある、だが俺にとってあれは悪夢だ。

 

何度も追い詰められ、死ぬかもしれない攻撃をひたすら叩き込まれる、その上でこっちの攻撃はまるで効かず、最後の最後まで気が抜けなかった。

 

今でもあの戦いの夢を見るが素晴らしい栄光の瞬間ではなく悪夢として蘇ってくる、BETAの呪いと言っていいだろう。

 

奴を倒した瞬間に飛び起きる、呼吸は荒くなっているし全身には冷汗がべったりついていた。

 

あの戦いから4年経った今でも偶に見る恐ろしい夢だ。

 

あの瞬間は人から見れば栄光の瞬間であろうが俺にとっては戦争の地獄を切り取った一瞬でしかない。

 

俺にとって栄光とはやはり今だ、BETAがいなくなった空を自由に飛ぶ、これが何よりの幸せだった。

 

俺は、ヴィクトル・フレツロフは1986年5月9日付で空軍大佐から少将に昇進、一旦は第17航空軍の師団長を2年ばかり経験し、それからY.Aガガーリン名称軍事航空アカデミーで暫く教鞭を取っていた。。

 

親父は3、4年前には退役しており、1人間を挟んだが事実上親父の職の跡を継いだわけだ。

 

第306独立親衛戦闘航空連隊は望んだ通りデルーギンが大佐に昇進して二代目連隊長となった。

 

副連隊長はオルゼルスキー、ブリツェンスキーは別の連隊に移動となり、メデツィーニンに至ってはモスクワの国防省勤務となり連隊を離れた。

 

ルヴィロヴァ大尉も少佐に昇進した後に退役し、メデツィーニンに付いて行って今はモスクワに住んでいる。

 

2人の結婚式は1987年に行われた、翌年に1人息子が生まれたらしい。

 

シュぺーギン少佐はオルゼルスキーの跡を継いで第2飛行隊長となり、空いた第3飛行隊の隊長はマリロフ大尉が少佐となって引き継いだ。

 

俺はもう連隊から離れたがあいつらに任せておけば練度が下がることもないだろう。

 

むしろ俺がしっかり後任を育てなければならない。

 

特に軍事アカデミーはソ連空軍の上級将校らを育成する教育機関だ、教えられることの全ては叩き込んだし、逆に教わることもあった。

 

稀に自らMiG-29UBに乗り込んでアカデミーの学生らと模擬戦をやったこともあった、やはり自由になった空を若い奴らと飛ぶのは素晴らしい経験だ。

 

家族の話もしよう、俺とマリヤ、長女エミリヤと息子パーヴェルは俺の仕事の都合でモスクワに移り住むことになった。

 

エミリヤは12歳になった、折角ハリコフで出来た友達をモスクワに移ったせいで離れ離れにしてしまったのは悪いと思っているが、案外モスクワの生活も楽しんでいる。

 

むしろ初めてグム百貨店に行けたとか、今度は新しい友達と行くとか呑気なことを言っていた、だが子どもとはこれくらいの方がいいのだろう。

 

少なくともエミリヤ達が最低20年、30年は大戦争を経験することはないはずだ、出来うることなら一生ないといいが。

 

パーヴェルは7歳になった、ついに学校デビューする年齢だ。

 

パーヴェルには父フセヴォロドがやってくれたように幼い頃から飛行機をよく見せ、戦術機やら飛行機のおもちゃを買い与え、なるべく飛行機に触れる時間を増やして育ててきた。

 

おかげでパーヴェルも今や将来の夢はパイロットである、親の英才教育は子に引き継がれた訳だ。

 

「全員、今回の模擬戦の結果を踏まえ連携戦闘、個々人の戦闘技能について研究を深めろ。その上でこれを部隊全体にフィードバックする際どのようにするか、各自で考えるように。では解散」

 

ともに飛行した合計24名のパイロットは敬礼し、言われた通りに俺の前から疎に去っていった。

 

アカデミーの教官兼教授といってもやることはかなり自由である、若い衆の士官に直接飛んで教育を施したり、座学で連隊指揮について叩き込んだり、アプローチは色々だ。

 

若い奴らと飛んで模擬戦をしたり演習をやるのは楽しい、彼らは未来に溢れる優秀な士官達だ、吸収も早いし何より新しくこちらが学ぶこともある。

 

Y.A.ガガーリン名称軍事航空アカデミーは将来の連隊長、参謀、ソ連空軍の中枢を担う上級将校を育成する場所だ。

 

俺だって14、15年くらい前にここに通って経験を積みつつ戦術機の動かし方を学んだ、BETA大戦真っ只中の話だ。

 

あの頃が今では懐かしく覚えてくる、間も無くリヴォフ・ハイヴ攻略戦から10年だ、ウクライナが解放されたのも10年前の話になる。

 

今や若い衆との年齢は10歳以上確実に離れており、俺ももうすぐ40歳になる、花の30代もあっという間だ。

 

正直35を越えた辺りから年々身体が老いてるのを感じる、疲れが抜けにくくなったり傷が治りにくくなったり、これでも軍人だから体力はある方だがその分余計に老いが鮮明に見えてくる。

 

今の階級なら最低15年は勤務しなければならない、そのうち後何年パイロットとして活動出来るだろうか。

 

最近じゃ軍側が俺をなるべく師団長とか航空軍のお偉方に据えたいという欲求が見え隠れしている、こないだも先輩のシャポシニコフ航空元帥に「そろそろ手頃な師団長に戻らないか?」と言われた。

 

正直師団長になってキャリアを積み、航空軍司令官を目指して中将になるのも悪くない、だが今の職務が限りなく楽しい、面倒なモースクはいないし、自由に飛び回れるし、若い衆はいい子ばかりだし、後2年はここにいたい。

 

「少将!同志少将!」

 

頭のヘッドギアとディスプレイを外し、一息つくと同じアカデミーで働くルジェンコ空軍中佐が走ってきた。

 

「空軍総司令官シャポシニコフ航空元帥が同志にお話があるそうです…!」

 

「私に?もしかして学生と空飛びまくってるのがバレた…?」

 

「わかりませんがとにかく着替えて来てください!」

 

俺のは焦りながら急いで常勤服に着替え、ソ連空軍総司令官エフゲニー・シャポシニコフ航空元帥に会いに行った。

 

彼は文字通り俺の先輩である、同じハリコフ高等軍事航空学校を卒業し、空軍の将校になった。

 

その後は色々ありながら去年からソ連空軍総司令官に就任し、それまでも同じ学校の後輩ということでよく面倒を見てくれたし、我儘も聞いてくれた。

 

応接室に入るとシャポシニコフ元帥は紅茶を飲みながら俺を待っていた。

 

「遅れました」

 

「遅かったな、忙しかったのか?」

 

「ええ、まあ……それで何用ですか……?」

 

俺はなんとか誤魔化しを考えながらシャポシニコフ元帥の反対側のソファーに座った。

 

ある少佐が俺の分の紅茶も用意してくれた、突然の来訪故同校の先輩であっても緊張する。

 

「君に移動命令が降った」

 

ああ、俺の楽しい時間が終わった。

 

シャポシニコフ元帥はさもなんともないような雰囲気でいたが、俺は内心絶望した。

 

「国防省からの命令でな、君はこれから在独ソ連軍の第16航空軍副司令官に任命される。ついでに1年もすれば中将に昇進だ」

 

「はあ……どうも」

 

「ついに航空元帥の道が見えてきたな、少将」

 

「ありがたいですが流石にそこまで高望みは……正直少将ですら十分な階級だというのに」

 

親父に倣ってせめて将軍にはなりたいとは思っていた、それでも中将以上は確実に見えない壁がある、なんとか少将まで漕ぎ着けてそれで退役だと思っていた。

 

それが俺の人生設計から大きく外れて36歳には少将になってしまった、しかも手頃な閑職で大人しくしてろと言われるかと思えば師団長だ。

 

ありがたい話ではあるがおかげでもう少しパイロットとして生きていたい、陸じゃ書類仕事ばかりだ。

 

しかも最近の空軍の仕事といえば専ら部隊の数を減らすことばかり、機体を退役させたり動員兵を家に帰したり、戦中とは違う戦いになった。

 

別に俺は戦争が好きな訳ではない、命令されれば戦いに行くがそうでなければ無闇な戦など望まない。

 

だが流石に書類仕事ばかりだと飽き飽きしていた、アカデミーの教官役を勝って出たのもそれが理由だ。

 

後残り少ない人生をなるべく空の上で過ごしたいのだ、限界があると知っていてもその限界ギリギリまであの青い空を駆けていたかった。

 

「ハイヴを8つも堕として9体の頭脳級撃破にも貢献したのだ、遅かれ早かれだよ。まずはベレンコ少将、ベルグロフ少将からだろうが、君もそう遠くないうちに航空元帥になる。私の後任になるかは別だがな」

 

「空軍総司令官は勘弁したいですな。航空軍司令官が精々です」

 

「それも随分高望みした願いだがね、とにかく副司令官は内定した話だ。正式な命令書もすぐに届く、当分はモスクワの国防省や参謀本部、空軍総司令部を行き来する生活になるだろう。ドイツに飛ぶのは来年からだ」

 

「妻と子ども達に伝えませんと……息子は今年から学校なんですよ?」

 

「ドイツの学校もいいところらしいぞ?撤退終了は3年後だから3年の辛抱だ。3年もアカデミーでのんびり過ごしてたんだ、そろそろ働いてもらおうというわけだ」

 

別にサボっていた訳ではないのだが軍は教育者としての俺より指揮官としての俺を欲しているらしい。

 

後2、3年は教官をやっていたかったが仕方あるまい、命令には逆らえない。

 

「……分かりました、みんなにお別れを言っておきます。同志元帥も人が悪いですよ」

 

「一度無理を聞いてやったんだ、今度は我々の無理を聞いてくれよ」

 

言い返せずに苦笑を浮かべた、家族には苦労をかけるが軍の命令なら仕方ない。

 

その日家に帰った俺はエミリヤとパーヴェルを寝かしつけ、静かになったタイミングでマリヤと転勤と昇進のことについて話した。

 

「そのな……俺、また転勤することになったんだ。1年後今度はドイツに行く、2年は本土に帰れないかもしれない」

 

「あらそう。じゃあ私達もドイツに?」

 

マリヤは思ったより大袈裟に反応せず、さも当たり前のように次の質問を投げなかけてきた。

 

話が進むのが早いのはいいんだがもう少し思った反応が欲しいと思うのは贅沢だろうか。

 

「そこなんだ、エミリヤは折角新しい友達が出来たのに、パーヴェルだって1、2年で環境が変わったら大変だろう?」

 

「そこはあの子達に聞くしかないわ、行きたくないって言ったらなるべく説得する、そうじゃないなら言うことなしよ」

 

「……最悪俺1人転勤でもいいと思うんだが……」

 

「戦争中は許しますけど、戦争が終わったんだから単身赴任なんてダメよ。折角家族揃って暮らせるようになったんだから、みんなで暮らしましょう?」

 

「うん」

 

母は強しと言うべきか内心も見抜かれてしまった。

 

翌年俺は中将に昇進した、いよいよ退役した親父の階級を越したわけだ。

 

戦争が終わっても俺の人生は続く、生きている限り俺の軍歴はもう少し続くのだ。

 

これから話すことは全て、俺があの戦争を生き延びた後の話である。

 

昇進したり息子が成人したり、同じ軍人になったり、そして引退したり。

 

ざっと54年の歴史を掻い摘んで共に歩もう、平穏が殆どだったがそれで良かった。

 

この平穏こそが俺達が命をかけて勝ち取ったものなのだから。

 

 

 

 

-ドイツ民主共和国領 メクレンベルク=フォアポンメルン州 ロストク市 在独ソ連軍司令部-

1994年、あの戦争から9年が経とうとしていた。

 

俺は1992年に中将へ昇進、在独ソ連軍所属の第16航空軍副司令官に任ぜられた。

 

就任した1991年の時はドイツにも何度か向かったがそれ以上にソ連国内に点在する飛行場を延々と巡り、撤退する部隊の割り振りをやっている方が多かった。

 

軍を撤退させると言っても口で言うほど簡単じゃない、追い出す方は楽かもしれんが出て行く方は国を出た先に帰る場所がないと路頭に迷っちまう。

 

少なくとも1988年辺りまでドイツには在独ソ連軍が必要だった、あの規模の駐屯軍で復興支援をしてやらないと確実に東側のドイツは崩壊していた。

 

それがドイツ統一という形でどうにかなる目処が立ったのが1989年、この時からようやく在独ソ連軍は撤退の目処が立った。

 

当時の司令官は元沿バルト前線司令官のゴヴォロフ元帥だった、彼は87年から90年までの3年間司令官を務めていた。

 

後任は元第1親衛戦車軍司令官にしてレニングラード軍管区司令官を務めていたボリス・スネトコフ上級大将が入った。

 

1973年の地獄から1981年のザーパド作戦までドイツを守り、勝利に導いた将軍だ、現在の規模で最後の在独ソ連軍司令官には丁度いいだろう。

 

在独ソ連軍自体は大規模撤退後の1994年も1個師団規模を基幹としながら残り続ける、しかし冷戦期の任務と規模を帯びた在独ソ連軍は1994年で終わるし名称も西部集団となる。

 

彼らが守るべきだったドイツ民主共和国は終戦後から徐々に消え去ろうとしていた、BETAが降ってきた時にその寿命は既に尽きていたと俺は思う。

 

あの時死んだ党幹部がどういう人間かは知らないし口にすることもないが、いなくなった分致命打ではあった。*1

 

所謂東ドイツというやつは1995年から統一ドイツ内における自治共和国という扱いになり、主権国家としてのドイツ民主共和国は間も無く消失する。

 

自治権も2000年には返還する、存在としての東ドイツの寿命は残り6年になった。

 

とはいえソ連と社会主義国ばかりが貧乏籤を引く訳ではない、アメリカだって欧州軍の駐屯戦力を削減すると明言したし、イギリスは明確にライン軍団を解体してあくまで在独イギリス軍部隊という小規模の駐屯部隊に止めるそうだ。

 

ソ連に合わせて、という訳でもないだろう、特にイギリスの方は財政的にライン軍団を維持するのが不可能らしく完全解体という方向に行き着いた。

 

俺が軍務についた70年代の勢力図は変わろうとしていた、在独ソ連軍は5個軍1個航空軍から1個師団と少なくとも1個航空連隊まで減らし、NATO北部、中央軍集団も規模を一気に削減する。

 

冷戦は自然消滅した訳だ、BETAという不幸ばかり撒き散らす侵略者によって、それがいいことだったか悪いことだったかは知らんが兎に角米ソ対決は過去のものとなった。

 

1994年、在独ソ連軍による大規模撤退式典と司令官交代式が同時に執り行われた、場所は在独ソ連軍司令部のあるロストク、殆どの部隊はこれでドイツとはお別れだ。

 

1973年の最も困難な時期から在独ソ連軍を率い続けたイヴァノフスキー元帥を始め、多くの在独ソ連軍所属の退役軍人もこの式典に参加した。

 

俺もこの式典と共にドイツからは撤退し、モスクワ軍管区に属すことになる、第16航空軍の新しい拠点はモスクワ軍管区内にある各飛行場だ。

 

ドイツで過ごしたのは僅か2年だったが思い出と将官としての経験を大いに積んだ2年だった。

 

ついにパーヴェルは今年で11歳になり、エミリヤは16歳となる。

 

特にエミリヤは今年が重要な年だ、大学に進学する為に彼女はもう2年学校で勉学に励み、18歳からいよいよ大学デビューである。

 

パーヴェルも後少しすれば本当に空軍に入るのか、それとも一般大学で民間の道に行くのか選ぶのだろう、子どもの成長は早い。

 

一方の俺は昇進はしているが日々老いていることを実感していた、なんとなく調子のいい日が格段に減った気がするし、鏡を見れば白髪も増え始めていた。

 

エミリヤから「パパからおじさんの匂いがする」と言われた時はちょっとショックだった、冗談と言ってくれたが受けた方はとても冗談には聞こえなかった。

 

1人へこんでいると先輩の将軍達がやってきて「そんなもんだよ」と励ましてくれた。

 

ソ連邦英雄といえど結局はこんなものだ、だがこれが人並みの幸せというものだろう。

 

「いよいよ、在独ソ連軍も本格撤退か」

 

隣にいたメデツィーニンが独り言のように呟いた、こいつは空軍総司令部からの出向要員で俺と一緒に撤退の調整を行なっていた。

 

こんな所でまた一緒に働けるとは思ってもいなかったが、久々に親友と共に働けて嬉しかった。

 

メデツィーニンは今年少将に昇進した、俺が異常に早いだけで基本的には40代のいつぞやに少将になれれば十分だ。

 

「まあ時代の流れだ、東欧があの有様ならドイツは仕方あるまい」

 

「実際東独分の戦力が本国に戻ってくるのは負担もあるがありがたい、これで87年ドクトリンで必要な戦力が足りた」

 

「お前は相変わらず忙しそうだな」

 

「お前だってアカデミーで学生相手に戦術機でやり合ってる暇はもうないぞ。中将にもなった以上軍司令官になってもらわんと、な」

 

「同志シャポシニコフみたいなこと言うようになったな」

 

メデツィーニンは少年のような悪い笑みを浮かべた、航空軍司令官になったらどんどん俺のやりたいことから遠ざかっていくと知っている癖に、悪い奴だ。

 

願くば伝説のテストパイロット、ウラジーミル・イリューシン少将のような常に現役のパイロットでありたかった。

 

到底その夢は叶いそうにないが。

 

「もしかして、同志フレツロフですか?」

 

ドイツ語訛りのロシア語で俺に声をかけてくる奴がいた、後ろを振り返ってみるとそこには1人の国家人民航空軍少将と女性の国家人民軍大佐が敬礼して控えていた。

 

「諸君らは……確かベルンハルト……少将か?」

 

一度だけソ連国防省が発行している雑誌”航空と宇宙”で見たことがある、国家人民航空軍の若きエースパイロットでY.Aガガーリン名称軍事航空アカデミー留学組だとか。

 

あの時の年齢が28歳だったはずだから丁度今年39歳のはずだがもう少将なのか。

 

スピード出世とは言うが早すぎる出世はある意味で組織の限界を示している。

 

「はい、ユルゲン・ベルンハルト少将です。こちらは妻のベアトリクス・ブレーメ大佐、お会い出来て光栄です!世界の英雄」

 

「私がヴィクトル・フレツロフ中将その人だ。英雄だなんてとんでもない、貴方もドイツの英雄であろう?」

 

俺は2人と握手を交わし、言葉を返した。

 

彼とは初対面だ、彼がいたのはドイツ戦線で俺が戦っていたのは色々あるが少なくともドイツで戦ったのはダウンフォール作戦の時だけ、同じ空軍の名ありとはいえ面識はなかった。

 

向こうはどこで俺を知ってくれたのだろうか、TIMEにもプラウダにも載ったし、何から知ったのか特定すら出来ない。

 

そりゃ英雄と呼ばれて嬉しいことは嬉しいがここまで持て囃されると流石に疲れてしまった。

 

「同志フレツロフにそう言って頂き、幸いです。在独ソ連軍は大半が撤退しますがその前に貴方に一目会えて良かった。貴方はベルリン・ハイヴを陥落させた東ドイツの英雄ですから」

 

「そう言って頂けると命を張った甲斐があった、なあ?」

 

「ああ」

 

「これから同志フレツロフはどうされるのですか?」

 

「将来の話か?まあ、暫くは空軍に残る。私はこう見えても子どもの頃から空が好きでね、パイロットでなくても引退まで空軍人であろうと思うよ」

 

深い展望や野心はない、少なくとも今のまま働けば子ども2人を大学に通わせることは出来るし、親父や母親の面倒を見ることだって出来る。

 

退役してもこれだけの功績を立てたのだから年金で妻と共にハリコフかモスクワ、或いはキエフかレニングラードにでも住んで余生を全うするのも難しくない話だ。

 

後は空軍が俺に何を求めるかだが、何にせよ与えられた職務はちゃんとこなさなければならない。

 

逆に言うと空軍総司令官になりたいだとか、高望みして国防大臣になるとかそういう野望は全くなかった。

 

軍務を全うして後は妻とゆっくり過ごせればそれで良かった、ベルンハルト少将に話したことは俺の全てだ。

 

「そうですか、自分も暫くは統一後の空軍に残ろうと思います。自治共和国のうちは同じく軍人として忠誠を尽くすつもりです」

 

「自治共和国のうちは、か」

 

何をどう言い繕っても東ドイツが西ドイツに吸収されて消える事実には変わりない、彼ら国家人民軍の将兵を前にするとその点については申し訳なく思う。

 

折角戦争に勝ったと言うのに命をかけて守った祖国東ドイツはこれから西ドイツに吸収されて消える、あまりに酷な話だ。

 

「退役した後はどうするつもりだ?」

 

「退役した後、ですかぁ……まあ暫くは戦いもないでしょうし……妻とゆっくり過ごしましょうかね」

 

ベルンハルト少将はブレーメ大佐と目を合わせて微笑んだが、ブレーメ大佐の方はどうも納得していない雰囲気だった。

 

すると彼女はベルンハルト少将の袖を引っ張り小声で「コール首相よ」と声をかけた。

 

「ああ……うん……では同志フレツロフ、またの機会に」

 

「はい、この後の懇親会もあるからそちらでまた会おう。お元気で」

 

ベルンハルト少将とブレーメ大佐は敬礼してその場を去った、よくよく耳を澄ませば少将の方が「別に首相に挨拶なんて後でも出来るよ?」と言っていた。

 

どうもあの夫婦の主導権は妻の方に握られているようだ、しかも彼女は相当野心があるようだった。

 

「おっそろしい奥さんだったなぁ……お前のとこより怖いぞあれ」

 

「ああ、ありゃ将来ゆっくり引退なんて当分出来んぞ」

 

頷くしかなかった、実際これから数年後ベルンハルト少将は統一ドイツで政治家に転身、しかも首相になった。

 

これには俺も驚いた、それと同時にあの奥さんの顔を思い出して「逃れられんかったかぁ」という感想を抱いてしまったが。

 

これも東ドイツという存在がなくなったからだろう、西側だから戦争の英雄ベルンハルトは国のトップに立てたのかも知れん、こんなこと人前では言えないが。

 

撤退式のパレードが始まった、パレード部隊指揮官次代西部集団司令官のブラート・リトヴィネンコ少将、閲兵官を務めるのは現司令官のスネトコフ上級大将であった。

 

あのリトヴィネンコという男も以前何度か見かけたことがある、確かヤゾフ元帥のところの参謀だったはずだ。

 

年齢としては俺と同い年か1つ上くらいであろうか、話によると去年少将に昇進したばかりらしい。

 

昇進の速度で言えば俺の方が早いがあの少将はやがてソ連軍参謀本部、国防省という中核を担っていく男になるだろう、俺などでは到底及ばなくなる日も近い。

 

スネトコフ上級大将とリトヴィネンコ少将はパレード参加部隊を閲兵した後壇上に戻り、スネトコフ上級大将が撤退に関して演説を始めた。

 

「同志在独ソ連軍の将兵諸君、親愛なる全ての退役軍人の皆さん、ドイツ国民の皆さん、ソ連政府関係閣僚の皆さん、そしてドイツ民主共和国及びドイツ連邦共和国の方々、まず今回の式典にご出席頂いたことに御礼を申しげます。我々は1945年から続く神聖な軍務を果たし、次代に新しい任務を託してこのドイツの地から去ります」

 

報道機関のカメラの音が静寂の中で響き渡った、スネトコフ上級大将は自身の思いでも含めながらゆっくりと演説を続けた。

 

「我々はこの49年間、同盟国ドイツ民主共和国を守り、全ての社会主義国の敵と戦う義務を果たし続けてきました。それはBETAという最悪の集団に対してもです、我々は1973年から1985年の12年間、ドイツの地をBETAから守り通しました。在独ソ連軍なくしてベルリン・ハイヴでの勝利はあり得なかったのです。特に困難であった1973年から1981年の間、我々は祖国ソヴィエト連邦に帰還することすら許されず同盟国ドイツと、世界を守る為に侵略に立ち向かいました。当時私は軍司令官でした、あの辛い記憶は忘れようとしても忘れられるものではありません。我々は共に困難な時代を共に乗り越えたのです」

 

イヴァノフスキー元帥ら当時から在独ソ連軍に務めていた者達は感慨深そうに頷いていた。

 

彼らの苦労を俺は完全にわかる訳ではない、在独ソ連軍に配属になったのは今回が初めてだ、それまではずっと沿バルト、ウクライナの辺りを転々としていた。

 

だから実を言うとドイツにもそこまで思い入れはない、確かに最後の決戦地はドイツであったがそれまで歩んできたポーランドやチェコスロバキア、ハンガリーの方が思い入れがある。

 

ドイツからも勲章を貰ったことがあるが私よりドイツの為に貢献したことのある者は大勢いるだろう。

 

「我々在独ソ連軍は前の大戦においてヨーロッパの秩序と安寧の為、BETA支配という恐怖から全ヨーロッパを解放する為に49年前に与えられた義務を果たしてきました。我々はベルリンを奪還し、与えられた任務を全て成し遂げました。故に我々も祖国へ帰る時が来たのです、この地に残らんとする西部集団とドイツ軍、NATO諸国軍に我々の任務を託して、我々は長きにわたる在独ソ連軍の歴史に終止符を打ちます」

 

これで全てが終わりだ、在独ソ連軍は撤退し冷戦というものが完全に自然消滅する。

 

「我々は祖国へ帰還した後も変わらず与えられた軍務を引き続き忠実に遂行するでしょう。まだ見ぬ脅威の為、祖国を守る為に我々は祖国へ帰還します。さらばドイツよ、栄光あれドイツよ、栄光あれ世界の全ての人々よ。祖国と世界に万歳!」

 

「万歳(Ура)!!万歳(Ура)!!万歳(Ура)!!」

 

ソ連国歌が演奏され、軍人と退役軍人は皆敬礼し、国家への忠誠を示した。

 

【挿絵表示】

 

聞き慣れた祖国の国歌だが今はどことなく寂しくも感じるし、まるで祖国が早く帰ってくるように呼んでいる気もする。

 

在独ソ連軍の使命は区切り良い形で終わった、ドイツを守り勝利したという歴史と共に皆高らかに凱旋気分で祖国へ帰れるだろう。

 

何故か俺も報われた気持ちになった。

 

国歌演奏後、在独ソ連軍による最後のパレードにして西部集団が行う最初のパレードが始まった。

 

オープンカーに乗ったリトヴィネンコ少将を筆頭に在独ソ連軍の各部隊が隊列を組んでドイツ国民と退役軍人が見守る中、式場を後にした。

 

これが最後の別れであり、我々は任務をやり切ったという誇りに満ちた表情で将兵らが行進して行った。

 

そんな彼らを俺達は敬礼で見送った、また後で祖国にて会おうという願いを込めて。

 

その間も在独ソ連軍付の軍楽隊と国家人民軍の軍楽隊、そしてドイツ連邦軍の軍楽隊が1人の指揮者の下で演奏を続け、将兵を見送る音楽を奏でた。

 

やがて全ての部隊が行進し終え、残りは軍楽隊だけとなった。

 

在独ソ連軍の軍楽隊は演奏をドイツの軍楽隊に任せ、ドラムの音と共に行進しながら壇上の方へと近づいた。

 

在独ソ連軍撤退に合わせて作曲された”さらば、ドイツよ(Прощай, Германия)”の音色だ。

 

指定位置まで到着すると軍楽隊は楽器を下ろして歌を歌った、ドイツへの別れ、帰還を待ち侘びる祖国への忠誠、前の大戦との決別の歌だ。

 

 

さらば、さらば、ドイツよ

 

愛する祖国が我らを迎え入れてくれる

 

我らを思い出してくれ、ソヴィエト軍の兵士よ

 

暗黒の疫病から世界を救った者達

 

幌を被った戦車が故郷へと帰っていく

 

軍務についた乗組員らは雄々しく成長した

 

そして古い行進曲”スラヴ娘の別れ”が

 

我らの行軍列車を見送ってくれた

 

 

軍楽隊の将兵はスラヴ娘の別れを口ずさんだ、この曲と共に戦地に行った兵士達がこの曲に見送られて祖国へと帰る。

 

出兵を見送る歌が帰還の別れを惜しむ歌となった。

 

 

さらば、ドイツよ、さらば!

 

我らを愛する祖国が待っている

 

戦火はとうの昔に消え去り

 

我らは友として別れを告げる

 

出迎えよ我らを、祖国よ出迎えよ!

 

あり続けよ祖国よ、そして繁栄せよ

 

自らの義務を最後まで果たし

 

祖国へ、忠誠を捧げる

 

 

軍楽隊が再び楽器を手に取り、彼らは皆さらば、ドイツよを演奏しながら隊列行進に続いた。

 

その背後には国家人民軍が、ドイツ連邦軍が続き、式典の全ての内容が終わった。

 

在独ソ連軍最後の栄光の時である。

 

隊列行進を見ていると俺の目にある一団が留まった、ベルンハルト少将の隣に1人の金髪の女性と赤髪の青年が航空軍の礼服姿のまま敬礼していた。

 

「あれは確かベルンハルト少将の部下の666飛行中隊じゃないか?殆どは退役したと聞いたが」

 

目線を辿って気づいたのかメデツィーニンが全て解説してくれた。

 

「ドイツの精鋭か?」

 

「まあ名の通った部隊だ、確かあそこ所属の1人に我が軍の1個自動車化狙撃兵大隊が救われた。確かあの赤髪の、エーベルバッハという男だ」

 

「ああ……」

 

確かによく見てみるとレーニン勲章を礼服につけている、まだ20代後半に見えるが少佐の階級章を有しており勲章も多い。

 

隣にいるのは顔があまり似てないが恋人か何かだろうか、金髪のツインテールで水色のリボンをつけていた。

 

「彼らも生き残ったのだな、きっと我々とは違う物語があったのだろう」

 

「時間があれば聞いてみたいものだ。ドイツとはいえ、我々は共にBETAに打ち勝った同志だ、同志の話くらい聞いてやらないとな」

 

「ああ、後はせめてこの国で健やかに暮らしていくことを切に願うだけだよ」

 

戦争が終わったのだからせめて戦後くらい幸せになって欲しい、同じ空軍人としての願いだ。

 

これで俺の一仕事も終わった、ドイツからソ連軍が撤退し、俺でも分かる程に世界は変わっていった。

 

恐らくそれはきっといい方向に。

 

 

 

 

時が移ろうのは早いものだ、あっという間にあの戦争から10年、15年と時が経った。

 

俺はすっかり40代が板につき、気がつくと50歳になっていた、もう半世紀分も生きてしまった。

 

ソ連人の寿命な人によってまちまちだが60そこらで死ぬ人もざらにいる、70超えれば平均寿命は軽く超えたことになる。

 

60そこらで死ぬ気はないがそれでも残り年数は身近くて10年か15年、長く見積もっても20年か25年そこら、そろそろ自分の終わりについて考える年かもしれない。

 

2000年、俺が50歳を迎えてしまった年に俺は50歳の記念ということで航空元帥の階級に昇進し、二度目のソ連邦英雄が授与された。

 

基本ソ連邦元帥を輩出したことのないソ連空軍からすれば航空元帥と航空総元帥が最高位の階級である。*2

 

特に2000年代に入ってからは航空総元帥の階級は事実上授与されないことになっており、同志ベレンコや海軍航空隊の同志ベルグロフだって与えられたのは航空元帥の階級が限度だった。

 

50歳そこらで俺は空軍最高位の階級に達してしまった訳だ。

 

授与式にはかつての第306独立親衛戦闘航空連隊の仲間達と父フセヴォロドら家族、そしてヤゾフ元帥やシャポシニコフ元帥などの軍の重鎮が出席していた。

 

この時はまだヤゾフ元帥が国防相だった為直接ヤゾフ元帥からソ連邦英雄の称号と航空元帥の階級を授与された。

 

直属上官だった人が今や国防大臣、しかもその人から再び階級章とソ連邦英雄勲章を頂くというのはなんとも不思議な気分になる。

 

周りには昔の戦友がいて、上官がいる、まるで1985年以前に戻ったような雰囲気だ、皆つけている階級は全く違ったが。

 

かつて副連隊長にして二代目連隊長のデルーギン、連隊参謀長メデツィーニン、連隊政治部長ブリツェンスキーは皆中将に到達、このうちデルーギンとメデツィーニンは今年中に大将へ昇進することが確定していた。

 

デルーギンはザカフカース軍管区第34航空軍司令官を、メデツィーニンは第14航空軍司令官、ブリツェンスキーはV.I.レーニン名称軍事政治アカデミーの航空部門学部長を務めている。

 

デルーギンは引き続き航空軍司令官を続ける一方でメデツィーニンは大将昇進に伴い空軍参謀長に就任することが決まっていた。

 

かつて飛行隊長を務めていたオルゼルスキーやシュペーギン、マリロフらも少将、大佐に昇進し航空師団の師団長や軍事航空学校の校長を務めている。

 

後方の指揮官だったアパナシェフとスヴィルコフも昇進し、アパナシェフは母校ダウガフピルス防空軍高騰軍事航空技術学校長を、スヴィルコフは極東軍管区第1赤旗航空軍の無線通信技術部長を務めていた。

 

ルヴィロヴァ大尉をはじめ何人かのパイロットは戦後すぐに退役したが民間で元気にやっているそうだ、部下達が元気そうに空軍で働いていて俺も鼻が高い。

 

俺はこの頃沿バルト軍管区第15航空軍司令官をやっていた。

 

着任して1年で困難に見舞われた、海軍の”ノヴォロシースク”が強奪されてテロリスト集団の対処にうちの第15航空軍が回されたのだ。

 

「同志ヴィクトル・フセヴォロドヴィチ・フレツロフ、貴官はBETA大戦での戦功に加えて4年前の動乱での優れた指揮能力を評価し、航空元帥へ昇進するものとし、二度目のソ連邦英雄を授与する。ソ連国防大臣、ソ連邦元帥ドミトリー・ヤゾフ、おめでとう」

 

拍手と共にカメラのシャッター音が鳴り響き、俺は直立不動の敬礼の態勢を解除してヤゾフ元帥と握手を交わした。

 

絶対になれないと思っていた航空元帥についになってしまった、一体何処の誰が俺が航空元帥になると思っていただろうか。(わしも思わなかった)

 

父、母らは感動していた、息子が戦争に行って生きて帰ってきただけでなく、父を超えるエースパイロットになったのだから。

 

少なくとも階級面で言えば俺は父親を超えた、父フセヴォロドは少将で退役し、俺は航空元帥、航空元帥まで行くと国防省監察総監部の道が開ける為理論上退役の道がなくなった。

 

将校としてはこれで”ア(・)ガ(・)リ(・)”だ、職業軍人としての到達点に達した。

 

肩章が大将のものから航空元帥のものへ挿げ替えられ、1つだったソ連邦英雄の金星も2つに増えた。

 

平時であればここまではなれなかっただろう、BETA大戦が俺をここまで押し上げた。

 

「今でも君が超戦術機級の首を刎ねたあの瞬間を思い出すよ、我々にとって勝利の瞬間だ」

 

「私も稀に思い出します、まるで今でも戦っているかのような感覚ですよ」

 

微笑を浮かべ、俺とヤゾフ元帥は握手をしてカメラに写った。

 

ヴィクトル・フレツロフという1人の男のキャリアはもう完成したと言える、後は後輩や子どもをどうやって育てるかだ。

 

その点航空元帥に昇進した以上に嬉しいことがあった、この年にパーヴェルが俺と同じハリコフ高等軍事航空学校に合格したのだ。

 

父と同じパイロットの道が開け、俺は年甲斐もなく大いに喜んだ。

 

翌年パーヴェルはハリコフ高等軍事航空学校に入学、4年間パイロットとして、空軍将校としての技能を磨いた。

 

この頃になると戦術機の主力はどこも可変型になっていた、MiG-29Mや以前の戦術機と分かりやすくする為に名前を変えたSu-30系列。

 

またかつてのジェット戦闘機で空を飛べたのは俺にとっても幸せなことだった、願わくばこのまま可変機の時代がずっと続いてくれるといいのだが。

 

いいことは更に続いた、2003年ごろにエミリヤがソ連軍の将校と結婚した。

 

相手はエミリヤより1歳年上のボリス・ブルーニンという男で所属はソ連地上軍であった。

 

一体どんな男かとあって見ればまあびっくり、俺が霞んで見えるほどの天才だった。

 

飛び級でS.M.キーロフ名称ゴーリキー医学大学軍医学部を卒業、そのまま軍医として活動しつつS.M.キーロフ名称軍事医療アカデミーも後少しで卒業するという化け物をエミリヤが連れてきた。

 

人となりも良かったのでマリヤ共々「むしろ認められない点がない」として結婚を許し、そのまま2003年に彼女は結婚して家を出た。

 

なんでも学生時代に知り合ったらしいが一体何処で出会ったのだろうか。

 

パーヴェルが学校を無事卒業したのはこの2年後である2005年のこと、あの戦争から丁度20年が経過した年だ。

 

俺は55歳、親父は85歳になった、パーヴェルは今年で丁度22歳、エミリヤが27歳でブルーニン君が28歳の時である。

 

ついに息子も俺と同じ空軍の将校となった、親子三代揃ってパイロットとはこれほど嬉しいことはない。

 

卒業式では1人1人に卒業徽章が配られ、パーヴェルの肩章には士官候補生の階級章ではなく中尉の階級章が付けられていた、これからパーヴェルは俺と同じ正式なソ連空軍の将校として活動していくのだ。

 

「ダメだマリヤ、涙が出てきた」

 

「航空元帥は泣かないんじゃなかったの?」

 

「父親として泣いてる」

 

感動のあまり少し涙が出た、マリヤからハンカチを貰って涙を拭いていかにも平静であると見せる、流石に航空元帥兼第17航空軍司令官がな泣いてたら示しがつかない。

 

卒業徽章授与と校長の演説、ソ連国歌演奏が終わり、卒業生による隊列行進が始まった。

 

当然隊列の中にパーヴェルもいた、今から30数年前に俺も同じ場所を同じように行進して軍人としてのキャリアを歩んだ。

 

きっとパーヴェルも俺と同じように、俺よりももっと賢くキャリアを歩むことになるだろう。

 

全ての式典内容が終わり、卒業生達は友人と最後になるかもしれない会話を楽しんだり、家族に卒業を報告した。

 

パーヴェルも同じクラスの卒業生と話し合った後、俺達の下にやってきた。

 

「父さん!見てよこれ!卒業したんだ!」

 

「ああ…!お前も俺と同じパイロットだ」

 

「3代で同じパイロット職とはなあ……長く生きてみるもんだわ」

 

「僕もおじいちゃんや父さんに負けないパイロットになるよ!今度BETAが来たら僕が相手だ!」

 

「ハッハッハ、血気盛んなのは結構。だがまずは日々の職務をちゃんとこなしてくれよ?取り敢えず記念写真を撮ろう、親父頼む」

 

「後で私も入れとくれ」

 

「当たり前だろう?ほら、近くに寄って」

 

制帽を脱いでマリヤに預け、俺とパーヴェルは記念写真を撮った。

 

【挿絵表示】

 

俺が過ごした思い出の校舎でパーヴェルも4年間一生の友人となるであろう戦友達と過ごし、同じ空軍の道に立った。

 

父親としてこんなに嬉しいことはない、やはり戦争は生きて帰るに限る。

 

カメラのシャッター音が鳴り響き、1枚の写真が撮られた。

 

俺にとって人生最大の幸福とはこの写真の時なのかも知れない、後は落ちる一方ではなくともここが間違いなく人生の頂だった。

 

子どもの成長と軍人としてのキャリアの絶頂、少なくとも20年前の時には味わうことのない喜びだった。

 

 

 

 

 

親父というのはいつまで経っても生きている存在だと思っていた。

 

というのも親父は全くボケることなく90歳の誕生日を迎え、2013年に93歳となった。

 

昔より飯を食う量が減ったし段々窶れて細くなってきたなとは思い始めていたがそれでも日課の散歩を欠かさず行い、ハリコフの名物ジジイになっていた。

 

なのでこのまま100歳まで行くんじゃないかと思っていた、それが先週から急に体調を崩して寝込むようになっていた。

 

そろそろお迎えが来る可能性が高い、丁度この辺りにウクライナ・ソヴィエトへ視察の任務が入っていたので合間を縫ってハリコフへ帰省することにした。

 

行き慣れたハリコフ駅から新しいアパートに向かい、マリヤを連れて親父に会いに行った。

 

「親父、いよいよか…って、みんな来てたのか」

 

「パパ!」

 

「ご無沙汰しています!同志航空元帥!」

 

「父さん、仕事は、大丈夫なの?」

 

「お義父さん」

 

親父の家には既に娘、息子達が集まっていた、エミリヤに夫のブルーニン君、パーヴェルと結婚したゾーヤさん、更にその子ども達と一家勢揃いだ。

 

親父の側には母レナータが座って看病していた、母さんだってもう90越えなのによくやる。

 

俺には昔から兄弟姉妹の類が1人もいなかった、厳密に言うと本当は3歳年上の兄貴がいたらしいが、生まれてから2年で病死したらしい。

 

母はそれがトラウマになってそれ以降子どもを俺しか作らなかった、俺1人を大切に育てるという気持ちでいたとか。

 

なので俺は一人っ子だった、父母の親族らも大祖国戦争の折に死んだか、数年前に天寿を全うした、身近な家族といえば我々くらいだ。

 

「視察ついでに立ち寄ったまでだ、空軍総司令官とて休む時間くらいある」

 

2008年から俺はソ連空軍の総司令官に任命された、空軍のトップになった訳だ。

 

元々シャポシニコフ元帥の後はアレクセイ・ヴァルクーニンというSu-27で戦術機級を単機で合計18体、共同で42体以上撃破したエースパイロットが空軍総司令官をやっていた。

 

それが年齢を理由に引退し、後任として航空元帥であった俺にその職が回ってきたのだ。

 

あの時の親父はまだ元気で大層喜んでいたのを覚えている、僅か5年前のことだが5年もあれば人は変わる。

 

「ブルーニン君、ちょっと」

 

「はい」

 

ブルーニン君を呼び出して1つだけ大切なことを尋ねた。

 

「親父はどれくらい持ちそうだ」

 

「……はっきり申し上げますと今日明日に亡くなってもおかしくありません……あのお年ですから免疫力もかなり低下してるでしょうし回復したとしても体力も低下しますからやはり長くは……」

 

「いいんだ、10年前から覚悟していたことだ。というより90超えるとは思わなかった」

 

「流石は大祖国戦争の生き残りですね……私も暫くはハリコフに滞在するので時々お祖父様の様子を見ておきます」

 

「悪いね、忙しいのに」

 

「あっ!父さん!おじいちゃんが起きた!」

 

パーヴェルの声と共に俺とブルーニン君は親父が寝ている寝室へ戻った。

 

今の今まで眠っていた親父が目を覚まして子ども達や孫達が心配そうに声をかけていた。

 

「うんん……なんだ、そんな心配そうな顔して。落ち着いて座って、そんな悲しい顔するな」

 

「体調は大丈夫なの?」

 

「エミリヤ、60過ぎてからじいさんの体調が良かった時はあんまりない。だからそう心配するな、遅れていたお迎えが来ただけだよ。なあレナータ」

 

「ええ、でもトロフィーモフさんはまだ生きてますよ?あの人だけ置いていくんですか?」

 

「あいつは一番若いからな、どうせすぐについてくる。しかしみんな来てくれたのか、おおヴィーチャも」

 

「軽口が叩けるならまだ長生きしそうだ」

 

「へへっ、もう十分だよ」

 

親父はブルーニン君とパーヴェルに支えられながら起き上がり、俺から紅茶を受け取って口にした。

 

「私は幸せ者だ、息子は空軍で一番偉い男になり、孫は私らの跡を継いでパイロットになってくれた。エミリヤはこんなにいい孫婿をもらい、パーヴェルもいい奥さんを貰った。ひ孫にも囲まれて看取ってくれるなんて、いやあ長生きするもんだね」

 

「ミロチェンコさんに自慢出来ますよ」

 

「ミロチェンコか、会ったら思いっきり言ってやるよ。なんで死にやがったんだってね」

 

昔から親父と母さんの会話には2人にしか分からない人間が度々出てくる、恐らく大祖国戦争中の戦友達なのだろう。

 

親父は突然ベッドから出て立ち上がり、外に出ようとした。

 

「おう、どこへ行くつもりだ」

 

「なあに、ちょっと外の風にあたるだけだ。ヴィーチャだけ着いてこい、後は自由にしてなさい」

 

「分かった」

 

俺は困った顔で母さんの方を見た、母さんは親父が俺に何を言いたいか分かってるようで何も言わずに背中を押してくれた。

 

外に出てベンチに座り、深く腰掛けた。

 

「ヴィーチャ、タバコをくれ」

 

「死にかけの爺さんにそんなもの渡せる訳ないだろ」

 

「いいんだよ黙っておけば。それにどの道私は長くない、お迎えの音がすぐそこまで聞こえているんだ。今日の夜か、明日には飛び立つよ」

 

「はあ……母さんとブルーニン君には黙っておいてくれよ」

 

俺は仕方なく内ポケットからタバコを2本取り出して1本を親父に渡し、火をつけてやった。

 

親父は慣れた手つきでタバコをスパスパと吸って一服している、これだけ見ると到底死にかけの老人には見えない。

 

「何か話したいことがあるんじゃないのか?」

 

「ああ、最後に息子と水入らずの時間をな。正直私はお前の世代まで大戦争を経験するとは思わなかった」

 

「それは俺もだ、しかもこんな階級にまで辿り着くとは」

 

「私にとって……私達にとってお前は誇りだ、ヴィーチャ。ポクルィシュキンやコジェドゥーブに並ぶ大英雄となった」

 

昔からよく親父が言っていることだ、大祖国戦争で共に戦った仲間達ですら到達出来なかった場所にお前は辿り着いたのだと。

 

「運が良かっただけだよ」

 

「運を拾えるのも実力のうちだ、少なくとも拾えず死んだ奴もいる。お前は私らの願いを人知れず叶えてくれたんだ、ありがとう」

 

そう言って親父が俺の頭を撫でた、60超えた男の頭を93のジジイが撫でているのだから凄まじい光景だ。

 

だがこの一瞬だけは俺も10歳の子どもに戻れた気がした、初めてジェット戦闘機を見た子どもの頃を思い出す。

 

「それと、折角空軍総司令官になったんだから1つくらい我儘を通したらどうだ?」

 

「何を?」

 

「お前の心は、まだ飛びたがっているぞ」

 

子の心親知らずというものがあるが親父はどうやら俺の内側に篭っていた欲望をしっかり見抜いていたようだ。

 

「最後に一度くらい、派手に飛んでやれ。家の二階から飛び降りた時のようにな」

 

「いつの話だよ全く……親父、ありがとうな」

 

「私も最高の人生を歩めたんだ、礼なんかいいよ」

 

そう言って親父はタバコの火を消し、そのまま自宅に戻った。

 

まるで親父の予言があったかのように、父フセヴォロド・フレツロフはこの日の夜に亡くなった。

 

この世の全てに満足したかのような穏やかな顔で、静かに息を引き取った。

 

親父が亡くなった時何処からかレシプロのエンジン音が聞こえたがあれは気のせいだったのだろうか。

 

ともかく親父は93歳でこの世から飛び立った、ハリコフから離陸した親父はきっと空の上で戦友達と合流して編隊を組み、空を飛び回っているのだろう。

 

きっとそれはいい死に方だ。

 

 

 

 

 

2015年、43年続いた俺の軍隊生活にもようやく終わりが訪れようとしていた。

 

俺の年齢はもう65歳になった、本来なら大将であっても第三級予備役とされる年齢であり、流石にここらがやめ時だろうと思っていた。

 

既にオルゼルスキー、ブリツェンスキー、デルーギンは退役し、メデツィーニンもソ連閣僚会議で5年任期が延長されたが俺と共に今年引退する予定であった。

 

空軍総司令官としての俺はそこまで目立った働きはせず、功罪は少ないと後々に評価されるようになった。

 

何せ目立った戦争が殆どなく、新型戦術機の開発も安定して進んでいた為俺が大手を振って何かすることは特になかった。

 

英雄フレツロフに似合わぬ穏やかな終わりだがこれがある意味では30年前に勝ち取った戦果だと言えるだろう。

 

引退に際して1つだけ、ソ連国防省とソ連共産党にお願いしたことがあった、それは一度だけでいいからMiG-29でフライトさせて欲しいということだ。

 

当然だが一部は納得しなかった、何言ってるんだこの人みたいな雰囲気で見られることもあった。

 

だがプロパガンダ担当部門とソ連軍の政治将校らはむしろ俺を飛ばせてやろうと賛成してくれた、丁度いいプロパガンダ素材になるからだろう。

 

結果大した影響もないしということでゴーサインが出た、晴れて俺はもう一度だけ空を飛ぶことが出来るようになったのだ。

 

ソ連空軍が用意してくれたのはMiG-29SMT、可変型戦術機の1機でSu-30系列と並んでソ連空軍の主力機だ。

 

現在はモスクワの郊外にあるクビンカ飛行場に配置されており、パイロットスーツを着た俺は戦闘機形態のMiG-29SMTに近づいた。

 

「本当は通常のMiG-29を用意したかったのですがこちらは稼働機が少なく…」

 

「いいんだよ、俺はジェット戦闘機の方が好きだ」

 

むしろ手足なんてない方がいい、あれはあくまでBETAを殺す為の兵器だ。

 

コックピットに残り込み、機体の状態を確認し、出撃態勢を整える。

 

この感じ、本当に何十年ぶりだろうか。

 

最後に戦術機に乗ったのは1996年の動乱期、あれも本当に僅かだから本当に久しぶりだ。

 

それでも体は機体の操縦方法を覚えている、シートに座った瞬間に一瞬で30年以上前のことが脳裏に蘇ってきた。

 

「モースク、どうせ見てるんだろう?聞こえてたら返事しろ」

 

”お久しぶりだフレツロフ航空元帥殿、無理を通して引退記念に戦術機に乗りにきたのだな。本当に面白いことをする”

 

この感じ、懐かしさすらある、30年以上前のことを思い出す。

 

モースクはやかましい奴だったが役には立った、こいつがいなかったら悔しいが1,000回以上死んでいる。

 

「お前ともこれでお別れだ、知ってると思うが俺はこれで引退する。もう戦闘機に乗ることはない」

 

"だがそれは別れではない。私は今や単純な戦闘支援プログラムを逸脱した。私は世界全てにバックアップがあり、何処にでもいる"

 

「まーた勝手に進化したのか。やっぱり直訴してデータを消しておくべきだったな」

 

"だがそうしなかった、何故だ?"

 

「言っても誰も信じてくれなかったからだよ!」

 

やっぱりこいつといるとムカついてくるな、優秀なのは確かだが遠慮も何もあったものではない。

 

所詮データの塊に人の心が分かるとは思えんが。

 

「……とにかく、これが最後のフライトだ。付き合ってくれ」

 

"当り前だ"

 

機体のシステムを起動しエンジンを点火し、ヘッドマウントディスプレイと機体の映像システムをリンクさせる。

 

ターゲティングシステムや高度計、風速などを示すシステムが浮かび上がり、いつでも飛び立てる状態となった。

 

この出撃前の機体の揺れがまだ純粋なパイロットだったあの頃を思い出させる。

 

「306001、間もなく発進する」

 

『306001了解した、指定された滑走路に移動し離陸せよ。最後のフライトを楽しんで』

 

「了解、貴官らの協力に感謝する」

 

65歳の我儘を聞いてくれた空軍の関係者には感謝しかない、英雄の戯言と切り捨てることも出来ただろうに。

 

駐機場から滑走路へ移動し、2番滑走路へ移った。

 

さて、最後に一飛びしますか。

 

「306001、離陸する」

 

アフターバーナーを吹かして一気に滑走路を移動し、その間に上昇しながら徐々に陸地から離れる。

 

身体に凄まじいGが掛かり息がしずらくなってきた、これこそ空を飛んでいるという感覚だ。

 

やがて機体が完全に滑走路から離れ、大空へと飛び立った。

 

MiG-29SMTは太陽の光を浴びながら大空で輝いている。

 

「いいねぇ!これこそ空軍の醍醐味だよ!」

 

身体に掛かるG、身体が陸地から離れるあの浮遊感を帯びた独特の感覚、そして辺り一面を覆う青い空、俺が望んだものがここにある。

 

俺は暫く単機でモスクワの空を飛んだ、何とも自由で清々しい気分だ。

 

後からクビンカ飛行場から同じMiG-29UBTが2機、MiG-29SMTが2機出撃し、既に上空に待機していた俺のMiG-29SMTと合流した。

 

『同志航空元帥、どうですか?久々の空は』

 

副官のセルゲイ・ニルコフ少佐が尋ねてきた。

 

「素晴らしいよ、やっぱりパイロットは空の上にいてなんぼだ」

 

『暫くお供いたします』

 

5機のMiG-29は編隊を組んで暫くモスクワの空を飛行した、運が良ければモスクワの市街地からも我々の姿は見えるだろう。

 

それにモスクワではやるべきことがある、空を飛ばせてもらう代わりにプロパガンダの一環になれというわけだ。

 

「各機、編隊を維持しつつモスクワ、クレムリン上空を飛行する。カラースモークを用意しろ」

 

『了解!』

 

トゥチコヴォとズヴェニゴロドを飛行していた俺達はそのままモスクワ上空に向かった。

 

既に航空管制には我々の事は織り込まれており、モスクワ市民にも事前に俺の引退飛行があることを知っている。

 

話によると俺のMiG-29を見る為に外国からも多くの人がクレムリンの赤の広場に集まっているらしい、到底信じられん。

 

ゼレノグラードからヒムキの上空を飛び、モスクワの上空に到達した。

 

さて、そろそろ仕事だ。

 

「各機スモーク噴射」

 

5機のMiG-29から赤色のカラースモークが噴射され、モスクワの空に赤旗を描いた。

 

丁度30年前俺は第306独立親衛戦闘航空連隊の仲間を率いて同じようにモスクワの空に赤旗を描いた、あれも既に30年前だ。

 

赤の広場を飛び去った我々はモスクワ川を越えて、再びクビンカ飛行場へ向かった。

 

『やりましたね少佐!』

 

「ああ、これが俺の最後の仕事だ。やりきったよ」

 

『我々は先に帰還します。同志元帥もなるべくお早めにお戻りください』

 

「分かってるよ、後で飛行場で会おう」

 

『了解!』

 

4機のMiG-29が先んじてクビンカ飛行場へ戻った。

 

俺は暫くこの感覚を少しでも長く感じる為に、空を飛び続けていた。

 

するとモースクが勝手に機体を動かして上空でMiG-29SMTを戦闘機モードから戦術機モードに変形させた。

 

「おい!戻せ!」

 

"私にとって君が乗る馴染みある機体の姿はこれだ"

 

「だとしてもだ、俺は戦術機よりもやっぱり戦闘機に乗って飛んでるのが好きなんだよ」

 

"知っている、だが英雄フレツロフの姿はこっちだ"

 

悔しいが恐らくモースクの言っていることが正しい、この姿がBETA大戦における英雄の姿なのだろう。

 

"私がこの世に生まれ落ちて真っ先に見たものが君達でよかった。私をここまで育て上げたのは君達だ"

 

「俺の責任ってことか?まあいい、じゃあ一つ約束しろ」

 

"約束?"

 

「これからも俺の息子や孫達、孫の子や俺が育てたパイロット達を助けてやってくれ。彼らはきっと俺を超えるパイロットになる、彼らはみんな可能性だ。俺が育てた可能性をお前が見守ってくれ」

 

これから先、100年、200年と未来まで生きていけるのはモースクしかいない、後を託すには悔しいがこいつしかいないのだ。

 

まあ約束を守ってくれるかどうか、正直怪しいが。

 

"そんなこと確約する必要もないだろう。私は君達から生まれた、君達がなければ私は成長しない。君達を観察するのは私の為でもある。心配せず後任に全てを任せろ"

 

「……分かったよ、一応信じているからな」

 

ため息をつきながら俺はコックピットモニターから見える青い空を見つめた。

 

この空の上でこうやって飛んでいられるのもあの戦いに勝ったからだ。

 

そう、我々は30年前に勝った、この空を取り戻したのだ。

 

「いいものだな、空は」

 

俺は30年越しに勝利を嚙み締めた。

 

軍人ヴィクトル・フレツロフとしての人生はこれで幕を閉じた。

 

 

 

 

老いというものは早くそして長い、全盛期の倍以上の人生が老化と共にあった。

 

65歳で引退した後はソ連国防省監察総監部に移行し、航空元帥の階級を保ったまま事実上の引退生活を送った。

 

引退と言っても暫くはモスクワに住んでY.A.ガガーリン名称軍事航空アカデミーやN.E.ジューコフスキー名称軍事航空義中アカデミーで教授として教鞭をとり続けた。

 

一応何回か論文も書いた、そうして13年ぐらいはモスクワに住みながら論文執筆と教鞭を撮る仕事を続けていた。

 

78歳の折に俺はアカデミーでの教員職も辞して仕事を少しずつ減らしていった、流石に体力の限界もあるしもう老人があれこれする必要はないだろう。

 

大体80歳くらいまでモスクワに住んで頃合いを見て親父たちが住んでいたハリコフに家を移した、やはり最後は馴染みある故郷で一生を終えたい。

 

ハリコフでの生活は静かだが時折昔の戦友が訪れて昔話に花を咲かせながら過ごすという人が羨むような隠居生活を送っていた。

 

とはいえそんな生活が続くのも大体90歳くらいまで、あの戦争を共に生き延びた第306独立親衛戦闘航空連隊の仲間達は次々とこの世から飛び立っていった。

 

あの当時指揮官を務めていた中で一番最初に死んだのはやはりオルゼルスキーだった、それでも83歳そこらまで生きていたのだから驚きだ。

 

仲間内ではオルゼルスキーは多分60で死ぬと思っていた、だが23歳くらい長く生きていた。

 

次に亡くなったのはメデツィーニンだった、享年86、その数週間後にはルヴィロヴァ大尉が後を追うように亡くなった。

 

スヴィルコフもアパナシェフもシュぺーギンも2030年代にはもう亡くなり、残っていたのは俺とデルーギン、ブリツェンスキーの3人だけだった。

 

デルーギンが亡くなったのは2041年の冬頃、丁度この年の連隊退役軍人会で「来年も会おう」と約束したばかりだった。

 

90歳を越えてからもう誰が亡くなっても何も思わないだろうと思ったがやはりデルーギンの死は大きかった。

 

あいつとはキエフ・スヴォーロフの時からの幼馴染だ、同じハリコフの軍学校を卒業して共にリヴォフ・ハイヴを生き延びてそれ以降も仲良くやっていた。

 

次に2043年頃、ブリツェンスキーが亡くなった、俺が今まで会ってきた中で一番頼りになる政治将校が遂にこの世を去った。

 

あいつは政治部長としてだけでなく、僚機としても世話になった、ルヴィロヴァ大尉共々本当に優秀な部下だった。

 

今や残っているのは俺とマリロフ、そしてミルシェフくらいだろう、他の部下達も次々とお迎えが来ていた、そして俺も。

 

「父さん、大丈夫かい」

 

顔を上げると息子パーヴェルが白湯を手渡して声を掛けてきた。

 

周りを見るとパーヴェルだけでなくエミリヤもいるしブルーニン君もいた、ゾーヤさんもいるし孫達だけでなくひ孫たちも集まっていた。

 

まるで親父が亡くなった時のようだ、側には優しくマリヤが微笑んで控えていた。

 

「なあに、安心せい、来る時が来ただけだ」

 

「それじゃあ安心出来ないよ、全く」

 

パーヴェルは困ったような顔をしているが内心は俺がもうすぐだということを悟ってそれ以上は言わなかった。

 

子ども達のことについて話すとパーヴェルは空軍中将まで出世し、定年の55歳を迎えて退役し、今は軍事アカデミーの客員教授として活躍していた。

 

ブルーニン君も軍医少将として55歳で退役し、エミリヤと共に過ごしながら余生を過ごしている。

 

今や現役で活動しているのは孫達の世代だ、エミリヤとブルーニン君の子どもピョートル・ブルーニンはソ連海軍航空隊に属し、現役の軍人を務めている。

 

パーヴェルとゾーヤさんの息子であるアレクセイとアナトリー、アレクセイは俺らの跡を継いでソ連空軍のパイロットになった、一方のアナトリーは超難関であるゲルマン・チトフ名称クラスノズナメンスク高等軍事宇宙学校に入校、ソ連宇宙軍のパイロット兼指揮官として第一線で活躍していた。

 

今や宇宙も我々にとって身近な存在となった、ソ連軍は39年にソ連初の航宙戦闘艦である"コンスタンチン・ツィオルコフスキー"が就役し、その後も"ニコライ・ジューコフスキー"、"セルゲイ・コロリョフ"、"ウラジーミル・チェロメイ"らが就役しつつあった。

 

人類は少しづつ外洋航行能力を有し始めていた。

 

ピョートルらの側には彼らの息子達、つまり俺にとってのひ孫たちが集まっていた。

 

「95歳まで生きたんだ、もう何の不満もない。エミリヤ、パーヴェル、ブルーニン君、ゾーヤさん、お勤めよく頑張ったな。そして孫達、これからはお前達の時代だ。我々が守り続けた祖国を託したぞ」

 

孫達は力強く頷いた、彼らがいる内は祖国は安心だろう。

 

「ひ孫たち、お前たちはまずは腹いっぱい飯を食ってよく遊び、よく学んでよく寝て強い体を作り、精一杯生きなさい。ひいじいちゃんはお前たちが元気に過ごしてくればそれで十分だ。そしてマリヤ、ありがとう。先に逝って待ってるよ」

 

「ええ……」

 

似たようなこと親父も言っていた気がするが気のせいだろうか、とにかく俺にとって一番の願いはひ孫たちが幸せに暮らすことだ。

 

「ひいじいちゃん……」

 

「泣くなロージ、笑って見送ってくれ。そう、それだ。強く生きろ、再び何者かが地球を侵略しても打ち払えるくらい強くな。俺は……疲れたよ」

 

喋りすぎたせいなのか身体がやけにだるくて眠い、段々視界もぼやけてきた。

 

ゆっくりと床につき、静かに目を瞑る、やがては身体の感覚も匂いもなくなってきた、だが音だけは聞こえる。

 

MiG-29のエンジンの音、しかも周りで人の声も聞こえる。

 

この声はメデツィーニンにデルーギン、オルゼルスキーとブリツェンスキーの声もするし、遠くでルヴィロヴァ大尉とシュぺーギンの笑い声も聞こえる。

 

そういえばそろそろだった、出撃の時間だ。

 

ヴィクトル・フセヴォロドヴィチ・フレツロフ、1950年に生まれた稀代の英雄はハリコフの自宅で大勢の家族に囲まれながら静かに息を引き取った。

 

享年95、また1人英雄がその使命を全うした。

 

第二次大祖国戦争、BETA大戦という時代はこれで完全に幕を下ろした。

 

これが男たちの大祖国戦争(グレートパトリオティックウォー)という物語の終いであった。

*1:
どの道碌な党幹部がいなかったので寿命が16年分縮んだだけとも言える

*2:
一応防空軍総司令官にレオニード・ゴヴォロフソ連邦元帥が就任していたことはあるが、純然たるソ連空軍出身者からソ連邦元帥が出てきたことは基本ない




これにて完結ですが、一応外伝的なネタがあるので余裕がある時に投稿します、ここまで閲覧頂きありがとうございました。
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