マブラヴ グレートパトリオティックウォー   作:Eitoku Inobe

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ファシズムとの戦いの中この友情は生まれ
(19)45年の容易ならざる勝利を得た
幾度と無く、敵は我らの友情を吹き飛ばそうとしたが
備え、備える我らが軍の友情は不滅だ

兵士たちよ! 兵士たちよ!
エルベの、ヴィスワの、ドナウの子よ!
兵士たちよ! 兵士たちよ!
力強きヴォルガの勇敢なる子よ!
更に固めよ! 更に固めよ!
我ら兵士の友情を! 我ら兵士の友情を!
軍人宣誓に! 軍人宣誓に!
軍人宣誓に忠実に!
-”兵士の友情の歌”より抜粋-


フルダ・ギャップへの帰還

-ソ連領 ロシアSFSR モスクワ州 首都モスクワ ソ連軍参謀本部-

時間は少しばかり前に遡る。

 

まだ”西”作戦が発動する前、1月の作戦準備の期間であった。

 

ソ連軍は3つの前線が西進するだけでなく、在独ソ連軍がNATO軍と共に東進することも含まれていた。

 

参謀本部は主に作戦総局が在独ソ連軍司令部と作戦計画と調整を重ね、補給物資をヴィスマルやロストクの港に物資を運んだ。

 

T-80にMiG-27、BMP-2と在独ソ連軍には他の全戦以上に優先して最新鋭装備が給与された。

 

既に在独ソ連軍はT-80を運用しており、機種転換訓練などの負担は少なかった。

 

最新鋭装備が給与されるにつれ、元々在独ソ連軍が使っていた装備は友軍の国家人民軍や残存ポーランド軍に配備された。

 

驚く事に東ドイツの国家人民軍はT-62やT-72を主力で使用している、平時ではあり得ないことだ。

 

元々国家人民地上軍の主力戦車はT-55であった。

 

それがBETA大戦の影響でソ連は渋々T-72を配備し、在独ソ連軍が使用していたT-62も装備更新と共に国家人民地上軍に配備された。

 

今や東ドイツは国家の大部分を失ったが軍隊の装備で言えば戦前より遥かに良くなっていた。

 

装甲戦力としてT-72やT-62が使えるし、戦術機もMiG-21だけでなくMiG-23までなら最精鋭部隊に配備されている。

 

1973年の初動でベルリン・ハイヴの落着と共に死んだウルブリヒトやホーネッカーも喜んでいるだろう。

 

彼らが死んだことで東ドイツはまだ御し易い存在になった。

 

BETAの地上侵攻時、ベルリンに落着したBETA降下ユニットの影響でSEDことドイツ社会主義統一党の面々は殆ど死亡した。

 

老いぼれたウルブリヒトも当時書記を務めていたホーネッカーも、シュトフもシュタージのミールケも、ホーネッカー子飼いのクレンツもアーベル・ブレーメも全員死んだ。

 

たまたま生き残ったのが当時国防相を務めていたカール=ハインツ・ホフマン上級大将である。

 

彼は繰り上がり昇進的にSED党書記、国家評議会議長に就任した。

 

国防相の席には国家人民軍参謀総長のハインツ・ケスラーが上級大将に昇進して就任した。

 

東ドイツはなんとかして国家としての機能、最低限戦争が出来る程度の機能を回復させた。

 

故にそこに隙が生まれ、KGBは漬け込んだ。

 

ウルブリヒト政権のような存在がこの戦時に現れるのは御免被る。

 

東ドイツの官僚にあやふやな経歴の人間を何人か送り込み、東ドイツ、SED全体の防諜に成功した。

 

例えば空席となった国家保安省ことシュタージの長官がその最たる例だ。

 

エーリヒ・シュミット、シュタージ上級大将であったがその正体はKGBの将校であり、かつては大佐、今ではこっそり昇進して少将である。

 

シュミットは東ドイツ内に潜伏するKGB防諜網のトップであり、シュタージの管理と共に東ドイツ全体を監視していた。

 

実際彼らの殆どはロシア語訛りのドイツ語を喋っていたり、ドイツ人にしては妙な所が多々あった。

 

それでもBETAが襲来しSEDの党官僚が殆ど死亡したという未曾有の国家存亡の危機において怪しくても仕事が出来る彼らは見逃された。

 

結果的に東ドイツは戦前より正しい意味での衛星国となることで、辛うじて生き残っていた。

 

無論これに対して反感を覚えた旧ウルブリヒト派の人間もいた。

 

今はベルリン派と呼ばれる政治派閥である。

 

特にシュタージの一部はシュミットが頑張っても手を回せないほど入り組んでおり、防諜出来ない範囲があった。

 

彼らは西ドイツに存在する旧ユンカーないし極右勢力とコンタクトを取って無理矢理にでも東西ドイツの再統一を成そうとしている。

 

故にKGBの監視体制が成立したとしても、ソ連は東ドイツという殆ど左に寄っただけの褐色の国(Linke NSDAP)を疑い続けていた。

 

「在独ソ連軍に対する補給は後一週間のうちに完了するかと」

 

アボリンス大将はオガルコフ元帥にそう報告した。

 

参謀本部の局長達は皆、オガルコフ元帥の執務室に集まって在独ソ連軍に関する報告を行なっていた。

 

「で作戦の方は?」

 

オガルコフ元帥はヴァレンニコフ上級大将に尋ねた。

 

「完成しました、内容は先日渡した報告書の通りです」

 

「ありがとう、後は在独ソ連軍と共に戦う国家人民軍であるが……」

 

「国家人民軍第3軍と第5軍、そしてシュタージのフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊が参加するそうです」

 

フェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊、国家人民軍ではなくシュタージが有する武装集団であり、今では戦術機すら有していた。

 

連隊と名を打っているがその規模は戦前から連隊ではなかった。

 

1970年でさえ8,000人前後いた衛兵連隊は今では師団どころか軍団規模まで膨れ上がり、戦術機すら有する戦力に化けた。

 

連隊長は中将にまで昇進したベルンハルト・エルスナー将軍が率いている。

 

シュタージというだけで曰く付きだが、更にここの参謀がハインツ・アクスマンというベルリン派の若手筆頭というのがソ連の疑心に拍車をかけた。

 

国家人民軍は基本的に第二梯団に混ぜ込まれるが、本当に大丈夫かという不安が参謀本部にも湧いていた。

 

「少なくとも第5軍は信用出来ますよ。あのシュトラハヴィッツ大将です」

 

イヴァシュチン上級大将は参謀総長の不安を和らげるためにある東ドイツの司令官の名を呟いた。

 

その名はここにいる全員が知っている。

 

アルフレート・シュトラハヴィッツ大将、負傷したマンフレート・ゲーメルト大佐の代わりに第9装甲師団を率いて撤退戦を成功させた。

 

東ドイツでは初めて戦術機との共同運用を成した人物であり、その功績は大きくソ連からも評価されてレーニン勲章を授与された。

 

本来東ドイツにとっては政治的に問題ある思想の持ち主ではあったが、その功績と能力、特にイヴァノフスキー元帥が再三「戦線維持に彼は必要だ」と念を押したことから今日まで生き残った上に大将まで昇進した。

 

「まあイヴァノフスキー元帥のイチオシならなんとかなると思うが……」

 

「大将の能力と忠誠心は確かです。参謀長のハイム少将とはよく”ソ連と人類に我々の存在価値を示す時が来た”などと話しているようですし。娘さんの話だとかなり張り切っているようです」

 

「娘さんなんていたんですね……」

 

ビィゾフ大将は若干困惑気味に呟いた。

 

イヴァシュチン上級大将はつらつらとシュトラハヴィッツ大将の身辺周りを話した。

 

「御息女ウルスラ、今年で13歳、今はロストクに住んでいますな。随分溺愛しているようでして、周りの軍人からも評判ですよ。最近も娘に会う為に司令部からロストクに戻ったそうです」

 

イヴァシュチン上級大将の話を聞いてオガルコフ元帥らは単純に「なんでこんなに知っているんだろう」と思った。

 

上級大将は情報総局長である前にNKVD、後継のKGB出身者であり、結局のところチェキストであった。

 

故に異国の軍人の身辺事情も驚異的な記憶力で頭の中に入っている。

 

「どの道実行する他ありません。後はイヴァノフスキー元帥らの手腕に頼る他ありません」

 

「ああ、出来る限り彼らに渡せるものを渡そう。作戦が始まれば戦果を祈るしかないが……」

 

「信じましょう、在独ソ連軍を」

 

ヴァレンニコフ上級大将の進言にオガルコフ元帥は頷いた。

 

本国に帰れずにいる彼らにかなり無理をさせていることは重々承知で期待するしかなかった。

 

既に参謀本部は仕事を完遂し、後は各軍が実行に移すだけであった。

 

 

 

-人類領域 アラビア海 日本海軍第三艦隊 空母”天城”-

日本帝国が航空母艦を有したのは1960年代の後半、そしてBETA大戦初期の1970年代である。

 

最初に日本帝国海軍が有した空母はアメリカ海軍のエセックス級航空母艦、旧名”プリンストン”であった。

 

再建した日本海軍が長期的かつ真っ先に航空母艦の取得を目指した。

 

新しい日本海軍がどんな姿になるにせよ洋上で航空戦力を運用出来るというのは大きなアドバンテージである。

 

1950年代、朝鮮戦争の激化によって元より余裕のなかったアメリカは日本帝国の空母取得に反対しないどころか一部の海軍提督達は「持たせるべき」と主張した。

 

されど少なくとも1960年代の後半までその計画は見送られた。

 

新生日本海軍に空母を運用する予算も人もなかった。

 

結果的に全員が羨む形で最初の空母導入計画は見送られ、次の空母導入計画が持ち出されたのはベトナム戦争が始まってからだった。

 

アメリカ軍の介入はアジアの西側諸国に大きな影響を齎した。

 

日本は同じアジアの同盟国としてベトナムに日本軍を派遣したのだ。

 

この過程で日本軍は再び国軍の外洋派遣という問題に直面し、アメリカも日本海軍もやはり空母を保有するべきなのではという意見が持ち上がった。

 

しかもこの頃はソ連海軍の潜水艦が台頭し始め、シーレーン確保という点においても航空機による対潜作戦が重要視されることになった。

 

少なくとも50年代とは違い、少なくとも買えない買い物ではなかった。

 

アメリカも間も無く退役が迫る何隻かの空母を日本に持たせて東アジアの海上戦力を強化したいという考えが出始めていた。

 

その為アメリカは度々日本の海軍将校にモスボール中の航空母艦を見せたり、立ち話的な形で空母の導入計画が議論された。

 

日本海軍は乗り気であった、問題は国防省の背広組と官僚、議員達であった。

 

購入と維持費が馬鹿にならないのだ、それに空母を導入した所で彼らが目指す対潜作戦能力が獲得されるのか、そもそも空母運用の為の人員を引き抜いて海軍戦力は大丈夫なのかという意見があった。

 

この議論は白熱した。

 

空母導入計画の為に陸空軍のみならず斯衛軍まで巻き込んだ大論争に発展し、国会でも導入について議論が重ねられた。

 

当たり前だ、空母を買うにしても、維持をするにしても、運用するにしても、それは全て国民の税金と国民から集められた水兵によって賄われる。

 

しかも空母の導入と維持はかなり予算を食うのだ。

 

海軍の中にも「空母を導入するくらいなら通常艦艇増やしたほうがいいんじゃないか?」という意見もあった。

 

それでも海軍は折れなかったし、一部の日本外洋展開派と結託して取り敢えず表向きは”()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”という形で空母の導入を押し通した。

 

ただ空母導入の為に日本海軍は様々な理由を挙げて説明した為、結局の所その空母は外洋展開の為の空母かシーレーン防衛かは分からなかった。

 

時代は1968年、この数ヶ月後にアメリカとエセックス級空母の購入協定が締結され、日本帝国はついに空母を導入した。

 

一番最初の空母は”プリンストン”、本来なら解体されるはずであったが日本に拾われ、”伊吹”という艦名に変更された。

 

同時に艦載機も購入し、日本海軍は1970年から71年にかけて空母の運用というものを再び覚えた。

 

これで日本海軍の空母導入計画は一旦終わりを見せるはずだった。

 

1970年代、この頃にはBETAによって人類初の月面基地が異星人によって陥落し、地球に襲来するのではと言われ始めていた。

 

最初この異星人がどういう敵か分からなかったので、日本軍は取り敢えず防衛能力の強化を目指し、海軍は第二次空母導入計画を持ち上げた。

 

1971年、日本海軍は退役したUSS”ヴァリー・フォージ”を購入し、建造が中止されていたフォレスタル級五番艦の建造と予算を日本帝国が受け持つことで、この五番艦を購入した。

 

空母を持ってからたった1、2年程度で日本海軍は三隻目の空母を確約したのだ。

 

この決定に対し、反対派もいた。

 

「結局異星人にこきつけて海軍が空母増やしたかっただけじゃないか」という意見が多かったのだ。

 

この批判に対して半分正しかったし、実際空母を導入したのは将来において日本と人類を助けることとなる。

 

1973年、BETAはついに地球本土へ侵攻し、BETA大戦が始まった。

 

戦線は世界各地に広がり、そこに日本帝国も巻き込まれた。

 

政府は日本軍を国連軍として海外派兵することを決定し、これの主力に選ばれたのは空母”伊吹”、そしてエセックス級”ヴァリー・フォージ”改め空母”鞍馬”であった。

 

これらの空母に後々戦術機が導入され、洋上航空プラットフォームとして大いに役立った。

 

1975年以降はフォレスタル級の五番艦が建造され、艦名は”天城”とされた。

 

進水式ではちゃんと薬玉が割れ、これ以降日本軍所属の国連軍派遣艦艇としての責務を果たし続けている。

 

こうして空母を三隻保有し、自前での建造能力も覚えた日本政府は1979年に初の国産空母の取得を発表し、現在も建造中である。

 

そんな空母”天城”は日本海軍第三艦隊に配備された。

 

第三艦隊は国連軍の対中東戦線に派遣されており、”天城”は一旦本国へ戻って輸送艦艇と共に戦術機とある部隊を輸送していた。

 

「提督、艦隊はアラビア海に入りました」

 

小沢少佐は第三艦隊司令官の田辺元起少将に報告した。

 

田辺少将は空母”天城”に乗り込み、輸送艦艇と護衛艦群の指揮を取っていた。

 

アラビア海周辺は国連軍が抑えている為、光線級や重光線級の脅威はない。

 

「このままドバイまで入ることにしよう。艦長」

 

「はい」

 

田辺少将は”天城”艦長の中原蓮也大佐を呼び出した。

 

「ドバイの駐屯軍司令部と派遣軍司令部、斯衛軍派遣司令部に打電してくれ、まもなく到着すると」

 

「分かりました」

 

艦長はすぐに通信士に頼み、各地点に打電を始めた。

 

その様子を田辺少将はなんとも言えない表情で見ていた。

 

「斯衛が関わると連絡先が1つ増えて厄介ですな」

 

少将が思っていることを先任参謀の箕田義教大佐は普通に口にしてしまった。

 

少将は少し困った顔で先任参謀を咎めた。

 

「やめたまえ箕田君、少なくとも乗ってる間は悪く言ったら何があるか分からんよ」

 

「ハッ失敬」

 

「そうですよ先輩、一応斯衛軍も同じ日本軍です。思うところはあるのは分かりますが」

 

そう小沢少佐は宥めた。

 

ちなみにこの小沢少佐、後に中将まで昇進し日本海軍第一艦隊司令官となるのだがそれはまた別の話。

 

この時はまだ一介の海軍少佐であり、彼の腹心の艦長達はまだ海軍の尉官である。

 

「同じ日本軍、か」

 

田辺少将は少し思うことがあってそう呟いた。

 

彼は旧海軍兵学校76期であり、1945年までに卒業出来なかった士官候補生であった。

 

されど斯衛軍に対して若干恨めしい気持ちはあった。

 

それは箕田大佐も小沢少佐も同様だ。

 

何せ彼らを教育した兵学校の校長は旧軍の少佐だったし、直近の教官達も旧軍時代の尉官クラスの者が多かった。

 

彼らから叩き込まれたのは軍人としての技術や兵法だけでなく、斯衛軍に対する憎悪もあった。

 

「しかし少将、本当に今運んでいる方々が斯衛軍の外地派遣兵なのですか?」

 

箕田大佐は思わず少将に尋ねた。

 

1980年12月の勝利を受けていよいよ世論は積極的に外地派遣を支持し始めた。

 

人々は日本が戦争で勝利するのを喜ぶのと同時に共に戦わない者達を非難し始めた。

 

斯衛軍は何をしている、存在価値はあるのか、所詮は坊ちゃん嬢ちゃんの兵隊遊びかと。

 

結果的に1980年12月24日に出兵が決定し、1981年1月に派兵が開始された。

 

”天城”が運んでいるのはその第一陣であった。

 

”天城”の甲板には見慣れた海軍仕様のF-4EJではなく斯衛軍が使うF-4EJ改RG”瑞鶴”が搭載されていた。

 

日本軍では空軍のF-4EJ改と区別する為に単に”瑞鶴”と呼ばれており、或いは皮肉を込めてスペシャルとかお侍さんと呼ばれていた。*1

 

”瑞鶴”の導入も苦難と苦労の末に生まれた折衷案であった。

 

日本軍がF-4を導入しライセンス生産権を日本帝国が有すると国内生産が始まり、斯衛軍にも配備が始まった。

 

当初は無改造のF-4を用いていた斯衛軍であるが性能に不満を持ち、独自の改造プランを打ち出した。

 

当初は国産戦術機の開発も視野に入れられたが「そんな技術はまだない」ということで改造プランが有力視された。

 

これが当初予定案の”瑞鶴”である。

 

一応斯衛軍は通常のF-4を改修してデモンストレーション機を1機作ってみせた。

 

無論性能は通常のF-4よりも遥かに上であり、近接格闘戦が特に向上していた。

 

問題はコストと稼働時間、何より生産性である。

 

斯衛軍が持ち上げてきた”瑞鶴”プランはまず稼働時間が短く、同じ頃に国防省で調達が許可されたF-4EJ改と比較してもその差は歴然であった。

 

それに加えて近接特化という斯衛軍特有の特化プランは汎用性を欠くとして城内省以外の官僚から苦情が出た。

 

またコストの面は日本軍以外の省庁の目を引いた。

 

これもF-4EJ改と比較しても差が大きく、珍しく国防省と大蔵省が結託して斯衛軍城内省の”瑞鶴”プランに反対した。

 

国防省としてはこんな近接戦ばかりで汎用性の欠ける戦術機に生産ラインを取られたくなかったし、大蔵省としてはそんなものに予算を払う気はなかった。

 

結果的に当時の政威大将軍が折衷案を出すべきではないかとやんわり諭したことで、当初予定案の”瑞鶴”はキャンセルされた。

 

現在使用されている”瑞鶴”はまだ改造を抑え、生産性と汎用性がある機体であり、同時に当初予定プランの”瑞鶴”は各自で改造せよということになった。*2

 

結果的に新任のパイロット達は無改造のまま”瑞鶴”を運用し、ある程度手慣れてくると独自で改造し始めた。

 

今回”天城”や輸送艦隊が運んでいる”瑞鶴”は改造機が1、無改造機が3程度の割合であった。

 

「なぁに、どうせ前線には出ないよ。斯衛軍にとっては外地に派遣したという実績さえあればいいんだ。中身が伴ってなくともなんとかなる」

 

「お侍さんは楽でいいですな」

 

「言ってやるな、むしろ外地に派遣すると決めただけでも進歩だろう」

 

田辺少将は箕田大佐を宥め、前に進んだ事だけでも良しとした。

 

少なくとも日中戦争以来外に出なかった斯衛軍が派遣を公式とするのは大きな変化であった。

 

問題はその変化は内側から出る変化ではなく、単なる外圧であったが。

 

「しかし外地派遣の要請に我が軍の退役軍人が関わっているという話を耳にしましたが」

 

小沢少佐はふと呟いた。

 

これは事実であった。

 

主に旧陸軍省軍務課出身の将校が主となって世論を後押しする形でそれぞれ論考や政治主張を発表し、あくまで1人の文民という形で政治的圧力をかけた。

 

軍事力を用いたものではない為、斯衛軍も特段文句は言えずに結果的に派兵を決定した。

 

ただこのような退役軍人が束になって文民として政治活動を行う姿はあまり例がなかったので帝国国内に大きな政治的影響を齎した。

 

中にはこのような動きは良くないのではないのではないか、文民統制に反するのではないかという議論が持ち上がった。

 

小沢少佐は退役軍人とはいえまだ軍を引退して10年も経っていない将官の政治行動は少し軽率ではないかと思っていた。

 

無論違う意見だってある。

 

田辺少将はより寛容だった。

 

「ああ、だが文民統制には反していない。あの将軍達はもう7年も前に退役した、言ってしまえばOBだ」

 

「しかしOBとはいえ……」

 

「それを言い出したらうちうち(海軍)なんて制服を着た人間が首相を1人殺っている、今更どうこう言えたことではないよ」*3

 

小沢少佐はその痛烈な自嘲に黙る他なかった。

 

「斯衛は変わるよ、どのような形であれ。我々が35年前に負けて変わったのと同じようにな」

 

 

 

 

-EU領域 ドイツ連邦共和国領 ニーダーザクセン州 ヴィルヘルムスハーフェン ドイツ連邦海軍基地-

NATO軍とWTO軍の会議は基本的に沿岸部に近い地域で行われる。

 

NATO側であればそれこそ軍港のあるヴィルヘルムスハーフェンやキール、フレンスブルク、デンマークのコペンハーゲンで、WTO側であればロストクかヴィスマルのどちらかで行われた。

 

今回はヴィルヘルムスハーフェンの連邦海軍基地が会議地点に選ばれ、NATO各軍司令官とソ連軍及び国家人民軍やポーランド人民軍の司令官が集まっていた。

 

NATO側には事務総長のヨゼフ・ルンスを始め、アメリカ欧州軍最高司令官バーナード・ロジャース大将、中央欧州連合軍司令官フェルディナント・フォン・エッターリン大将、イギリス陸軍ライン軍団兼NATO北部軍集団司令官サー・マイケル・ゴウ大将、アメリカ欧州陸軍兼NATO中央軍集団司令官フレデリック・クローセン大将、そしてフランスNATO派遣軍司令官が座り、後ろには各国の軍司令官や参謀長が控えていた。

 

WTO側も大体同じような形であり、WTO軍最高司令官ヴィクトル・クリコフソ連邦元帥を筆頭に在独ソ連軍司令官イヴァノフスキー元帥、参謀総長オガルコフ元帥、そして国家人民軍参謀総長フリッツ・シュトレーレッツ上級大将、ポーランド人民軍参謀総長フロリアン・シヴィツキ上級大将が座り、同じように軍司令官や参謀長が控えている。

 

NATO側にはシュワルツコフ中将やパウエル中将、パットン4世中将、ヴォルフガング・アルテンブルク中将らが座り、WTO側にはスネトコフ大将やヴォルホンスキー大将、そしてシュトラハヴィッツ大将が待機している。

 

今回の会議は攻勢の最終的な打ち合わせであり、各々の進捗と状況を確認するものであった。

 

「我々NATO軍は各構成国の攻勢参加部隊を前線配置し、後は物資の最終運搬を待つだけです」

 

ロジャース大将は代表してNATO軍の状況を説明した。

 

既に前線にはNATO北部軍集団、中央軍集団に生き残っている構成国の部隊が参加し、配備を終えていた。

 

それは宇宙軍も同様である。

 

欧州連合軍最高司令部の隷下にある宇宙欧州連合軍司令部の指揮指導の下、各攻撃衛星と偵察衛星に範囲を割り振り、担当を分担した。

 

海上は基本的にアメリカ海軍やイギリス王立海軍、フランス海軍らが抑えているので海上輸送が容易かった。

 

これはソ連軍も同じであった。

 

バルト海艦隊が定期的に沿岸部のBETAを叩き潰していることで海路の安全が確保され、この道が在独ソ連軍と本国を繋ぐ唯一の道となっている。

 

ソ連海軍は民間船舶らも用いてヴィスマル、ロストクの港から在独ソ連軍に物資を送っていた。

 

「我々ワルシャワ条約機構としても状況は似たようなものです。こちらは本国との調整もありますが作戦実行開始日は2月が望ましいと思われます」

 

WTO側から提示された具体的な数字を聞いてまずロジャース大将とルンス事務総長が小声で議論した。

 

すぐに事務総長の補佐官や大将の副官、参謀長らがやってきてより正確な議論を行なった。

 

結論はすぐに出た。

 

「いいですね、では実行日は2月14日でどうでしょうか?」

 

ルンス事務総長の提案を受けて今度はWTO側が協議した。

 

クリコフ元帥とオガルコフ元帥、そしてイヴァノフスキー元帥の3人が話し、すぐにサポートとして参謀長や各種要員が集まった。

 

こちらの結論もすぐに出た。

 

現地司令官のイヴァノフスキー元帥もソ連軍の軍令を統括、今回は半ば本国代表として参加したオガルコフ元帥もWTO軍最高司令官のクリコフ元帥も14日開始に同意した。

 

既に3つの前線の準備は12月の頃から行なっている。

 

武器弾薬、兵器や人員の補充はとうの昔に終えているのだ。

 

「WTOとしてはそちらの提案に賛同しましょう。作戦開始日は2月14日、本国へ持ち帰り、正式に全軍へ通達します」

 

同意は至極当然の反応であった。

 

2月14日であればソ連軍全体の準備が完了するし、タイミング的にも決して遅くない。

 

NATOもWTOも領土の早期奪還は必要不可欠という結論は揺るいでいなかった。

 

「では東部の戦線はソ連軍にお任せします。今回は我々NATO正面の作戦について最終確認を行いたい。パウエル参謀長」

 

「はい」

 

パウエル中将は立ち上がって部下の幕僚と共に前に出た。

 

NATO、WTO双方の注目を浴びる中、パウエル中将は幕僚達が貼り付けた地図を元に作戦の最終説明を始めた。

 

「今回の攻勢ではベルリン・ハイヴの攻略はせず、領土の奪還とBETA野戦軍の撃破を主目的に実行します。まず中央軍集団から」

 

NATO軍中央軍集団、司令官は米欧州陸軍司令官が兼任し隷下の部隊にはアメリカ陸軍第5軍団、第7軍団、そして西ドイツ軍ことドイツ連邦陸軍第2軍団、第3軍団が隷下として存在している。

 

既にアメリカ陸軍の2個軍団は増強を受けて軍レベルまで戦力が増えており、ドイツ連邦軍もこれらの軍団の他に郷土防衛部隊が存在し戦力は軍集団規模に相応しいものであった。

 

「北部軍集団はまずミュンヘンの攻略を第一とし、部隊を進撃。一方フランクフルト方面からヴュルツブルクらを制圧しニュルンベルクに包囲網を構築。そのままBETAを制圧してもらいます」

 

シュワルツコフ中将は足を組んでこの話を真面目に聞いていた。

 

彼と彼の第5軍団の出番はこの包囲網形成時に主力として奮戦しなければならない。

 

「本国から来た連中はどうだ」

 

隣に座るパットン4世が尋ねた。

 

2人とも出身は歩兵であり、似たような正確でありながら明確に歳の差があったことからそこまで蟠りもなかった。

 

同じ階級でありながら2人はいい先輩と後輩という雰囲気である。

 

「使い物にはなるでしょう、練度も高い。スターリー大将のプランと合わせれば包囲殲滅も見えてきます」

 

「ああ、全く同じ意見だ。もう少しばかりMBTが欲しかったがな」

 

「続いて北部軍集団について、北部軍集団はハーノファーを奪還しブラウンシュヴァイク、マクデブルクのラインまで前進。中央軍集団と共に前線を前へ押し上げることが主任務となります」

 

NATO軍北部軍集団の司令官はイギリス陸軍ライン軍団司令官と兼任である。

 

隷下の部隊にはイギリス陸軍第1軍団、ドイツ連邦陸軍第1軍団、オランダ陸軍第1軍団、そしてベルギー陸軍第1軍団が存在する。

 

なおBETA大戦以降はフランスがNATOに復帰し、北部と中央の間にフランスの派遣軍が展開していた。

 

そしてさらに北、残存する旧東ドイツ領域には在独ソ連軍と国家人民軍が残り、抵抗を続けている。

 

「最後にWTO軍に関してです。ハンブルクからパーゼヴァルト間をWTO軍は在独ソ連軍を主力に50キロ南下して頂きます」

 

パウエル中将の説明を聞いているWTO側の面々はかなり重苦しい雰囲気だった。

 

今回の作戦で担当戦域が最も短いのは実は在独ソ連軍である。

 

かつては東ドイツ全域から縦深攻撃をかける第一梯団だったが、本国と分断されもう以前のようにはいかない。

 

それに今回の作戦でハイヴに最も接近するのは在独ソ連軍である。

 

受ける負担を考慮して在独ソ連軍の担当戦域はそれほど大きくはなかった。

 

「同時期にソ連軍はポーランド奪還に向けて攻勢を開始。これが”西”作戦の概要となります」

 

「ポーランドへの海上支援ですがNATO海軍部隊から米英仏の任務部隊を派遣することとなりました。詳細はそちらの別紙を確認下さい」

 

既にオガルコフ元帥達は中身を読んでいた。

 

英仏海軍からは空母が一隻ずつ、米艦隊もかなりの数が来ている。

 

やはりレーガン政権が打ち立てた九百隻艦隊構想の影響がここにも現れていた。

 

アメリカ海軍の展開能力は冷戦どころか1940年代を遥かに上回り、名実共に世界最強の軍隊となった。

 

「WTO軍を代表して感謝申し上げます。これだけの艦隊戦力があれば沿岸部からBETAを殲滅出来るでしょう」

 

後ろに控えていたシドロフ大将は頷いた。

 

バルト海艦隊は沿バルト前線の隷下であるがNATO海軍との共闘ということで司令官と参謀長が招集された。

 

ちなみにこの後シドロフ大将とカリーニン中将はバルト近接連合軍司令官のオットー・リンド将軍と会談がある為、ヴィルヘルムスハーフェンに残らねばならなかった。

 

「我らの領土は我らの手に、共に戦いましょう」

 

ルンス事務総長は立ち上がり、クリコフ元帥の手を取った。

 

2人の固い握手がこの作戦の勝算そのものであった。

 

会議は終わり、暫くイヴァノフスキー元帥とクリコフ元帥、オガルコフ元帥は3人で雑談を交わしていた。

 

少なくともクリコフ元帥とオガルコフ元帥は今日中に軍艦に乗って本国へ戻らなくてはならない。

 

もしかしたらイヴァノフスキー元帥と会えるのはこれが最後かもしれないのだ。

 

「攻勢のタイミングとしてはNATO軍が先行して負担を軽減するらしいが……いけるか?」

 

オガルコフ元帥はイヴァノフスキー元帥に尋ねた。

 

3人の元帥は年齢が近く、長い戦争によって腹を割って話せる関係性にあった。

 

「在独ソ連軍が全滅する覚悟で戦えば道は開けるだろう。実際私も参謀長も司令官達も同じ思いだ」

 

「すぐに他の前線が辿り着く、あまり無茶は」

 

「分かっている、だがこれくらいの覚悟で戦わねばハイヴの喉元まで突撃出来ん。我らがソ連軍の顔に泥を塗るわけにはいかんよ」

 

そういってイヴァノフスキー元帥は右手を差し出した。

 

別れる同士への最後の挨拶だ。

 

「同志ブレジネフとウスチノフによろしく頼む」

 

「勿論」

 

「今度はベルリンで会おう、同志司令官」

 

固い握手が交わされ、3人は別れた。

 

勝利と共に再開出来る日を願って。

 

 

 

 

2月13日、攻勢の前日。

 

アメリカ陸軍第5軍団は司令部をバート・クロイツナハに移動した。

 

一時はルクセンブルクに移動する案もあったがシュワルツコフ中将は「将軍は兵とドイツにあり」と発言したことでドイツ領内に留まった。

 

既に部隊の配置は完了し、後は明日を待つのみである。

 

司令部の幕僚要員はこの数日前から殺伐とし、司令部の空気は張り詰めていた。

 

司令部周りだけタバコの消費量は通常の2倍ほどに膨れ上がり、寝ても覚めても作戦のことを考える幕僚もいた。

 

無論気分転換で食事を楽しんだり、スポーツに興じる者もいたが司令部に戻れば真面目な幕僚将校に戻ってしまう。

 

では司令官のシュワルツコフ中将はどうかというと彼はいつにも増して豪胆かつ毅然と振る舞った。

 

食事量は平時と変わることなく、作戦の打ち合わせや最終確認を行い、兵達を見て周り、肉を食らっていつものルーティーンを繰り返していた。

 

平時と変わらないので幕僚達は間も変わらずシュワルツコフの無茶に付き合わされ、他のことをする事で気を紛らわせていた。

 

それを彼が意図してやったかどうかは分からないが、どちらにせよ幕僚達の気を紛らわせる事は上手く行った。

 

それでも作戦開始の1日前となるとそうはいかない

 

定期的に宇宙軍からの偵察情報と空軍がRF-4Cを飛ばして情報収集を行っている為、司令部には逐一最新のBETAの情報が渡された。

 

幕僚達はそれらを分析し、若干の変更を加えるか議論する。

 

そうした1日はもう間も無く終わろうとしていた。

 

時刻は空が夕焼けに染まりつつある時間帯である。

 

何人かの幕僚は体を休める為に交代で仮眠を取り、シュワルツコフ中将もさっき目が覚めた。

 

彼は手の空いている将校にコーヒーを用意させ、それを持って軽食のサンドイッチと共に外へ出た。

 

2月の西ドイツはソ連領ほどではないがまだ寒い。

 

流石のシュワルツコフ中将も捲っていた袖を下ろして足を組んで座っていた。

 

彼自身、これからの作戦に緊張していないわけではない。

 

されどそれ以上に高揚していた。

 

この一世一代の攻勢作戦に指揮官として臨めると思うと気分が上がる。

 

彼はベトナム戦争以降ずっと厳しい戦いの中にいた。

 

ベトコンと戦い、BETAの大群と戦い、そして中東とインドでようやく勝利した。

 

そして次も勝利、そうあるべきだ。

 

「ここにいらしたのですか」

 

ペトレイアス少佐は敬礼し、隣に控えた。

 

彼はさっきまで別の将校と交代して仮眠を取っていた。

 

目覚めて顔を洗い、軍帽を被ってシュワルツコフ中将を探していた。

 

「なあ少佐、フランクフルトはどっちの方向にある」

 

ふと中将はペトレイアス少佐に尋ねた。

 

少佐は方角を確認して「あちらの方です」と指を差した。

 

フランクフルト・アム・マイン、二次大戦から復興を果たした伝統的な街はBETAによって蹂躙され、ほぼ跡形もない。

 

BETAはありとあらゆる文明を飲み込む、もうベルリンにはブランデンブルク門もライヒスタークも残っていないのだろう。

 

残酷だがこれが戦争である、そしてこの戦争はBETAさえいなければ避けられた戦争であった。

 

「明日の今頃にはもうフランクフルトは我々のものだ」

 

「ですな、隷下の全師団は戦闘配置が完了。戦術機部隊及び宇宙軍部隊もいつでも行けます」

 

「そうか」

 

シュワルツコフはサンドイッチを食べ切り、コーヒーを飲み干すと席を立った。

 

置いていた軍帽を被り、ゴミを近くのゴミ箱に捨てる。

 

沈みゆく夕陽を一瞥し、彼はこう宣言した。

 

「今日でBETAの時代は終わる、これからは我々が奴らを蹂躙する番だ」

 

アメリカ欧州軍、ソビエト軍を打ち破るはずの軍隊がBETAを打ち破る。

 

天高く聳え立つ、無敵の宇宙軍を伴って。

 

 

 

 

 

2月13日の19時、もう後数十時間で最終偵察が終了し作戦がスタートする時である。

 

ヴィスルの司令部には在独ソ連軍司令官、参謀長、政治部長、そして参謀達が集まっていた。

 

NATO軍同様に部隊を前線配置し、攻勢開始の時を待った。

 

「全部隊との通信を確立しました」

 

「今なら全軍への演説可能です」

 

通信士官の報告を受けてイヴァノフスキー元帥は政治部長のイヴァン・メドニコフ大将の方へ目をやった。

 

すると大将は首を振ってこう言う。

 

「同志司令、今日だけは皆同志司令の声を聞きたがっています」

 

メドニコフ大将は司令官へ最終演説を譲った。

 

彼は政治将校である、マルクス=レーニン主義の下、将兵を管理し勝利へ導くのが仕事だ。

 

その為士気の高揚や将兵のメンタル管理は政治将校の役割であるし、配属された部隊の指揮官が死なば自らが指揮を取らねばならない。

 

政治将校とは部隊の父であり、社会主義における従軍牧師である。

 

誰よりも勇敢で、誰よりも敬愛されるべき存在なのだ。

 

メドニコフ大将は今士気を上げるには自身が話すよりもイヴァノフスキー元帥が直接将兵に語りかけた方がいいと判断したのだ。

 

「……分かった、やろう」

 

イヴァノフスキー元帥は困ったような顔で了承し、マイクの前に立った。

 

周りには参謀達が控えている。

 

元帥は小さく息を吐いた。

 

自身を落ち着かせ、今本当に将兵に話すべきこと、話したいことを脳内で挙げた。

 

思いついたものをなんとなく文章にし将兵に向けて語りかけた。

 

「これを聞く全ての同志よ、少し聞いてくれ」

 

演説はその一言から始まった。

 

これは通信回線を通して各所の駐屯地、航空基地、海軍基地、そして前線にいる全ての在独ソ連軍将兵へ伝わる。

 

1973年からいる者、自ら志願して在独ソ連軍に来た者、命令として配属された者。

 

様々な将兵がいて様々な人種がいる、だが目指す場所は一つだ。

 

勝利、そして帰国。

 

「ついに作戦が始まる、耐えるだけであった我々在独ソ連軍が今度は攻めに行くのだ。8年前のあの日から我々はようやくここまで来た」

 

参謀達は感慨深そうに頷いた。

 

彼らの殆どは1973年からここにいる者ばかりだ。

 

いつか全ての将兵を祖国へ帰す為、彼らはここに残った。

 

「我々の眼前には強大な敵がいる、まずはこれを打ち破らなければならない。打ち破らなければ未来はない」

 

だが打ち破るには犠牲が伴う。

 

兵を戦場に送るということは少なくない兵が死ぬということだ。

 

しかも戦場が大きければ大きいほど人死はどうしても増える。

 

将兵は皆覚悟していた。

 

ある者は覚悟が揺らぎそうになる度に家族の写真を残して戦うべき理由を思い出した。

 

ある者は酒で全てを忘れて運命を受け入れた。

 

ここで戦うことが祖国の維持に繋がるのだと自らに言い聞かせながら。

 

「同志諸君、これが最後の戦いではない。だがこの戦いは我々が祖国への帰路だ、東の同志と我々の奮戦が祖国へ繋がる道となるのだ」

 

彼らの根底にあるものをイヴァノフスキー元帥は知っていた。

 

帰国である。

 

故国を想い、家族のことを、愛する人のことを考えていた。

 

人間とはそう生真面目ではいられない、後ろ盾がなければ全てがどうでも良くなる。

 

むしろ後ろで支えてくれる人々がいれば人はどこまでも生きようと思えるのだ。

 

「私から同志諸君に1つ頼む、これは命令ではない、頼みだ」

 

イヴァノフスキー元帥は悲痛な表情で息を吐き、心からの本心を伝えた。

 

それが絶対に叶わないことだと認識し、その理由は自身の責任によるものだと罪を背負って。

 

「生きて帰れ、生きて祖国へ戻れ。生きて、共に勝利を…!」

 

彼の発言は矛盾していた。

 

イヴァノフスキー元帥はこれから在独ソ連軍の将兵を死地に送り込む。

 

自らも死ぬかもしれないと覚悟を決めてだ。

 

されど将兵には生きろとと真逆のことを言った。

 

だがこの矛盾こそが人であり戦争であった。

 

死ぬ気で戦い、意地でも生き残ろうと現世に踏ん張る。

 

この矛盾した2つがなければ勝利はない。

 

死してなお任務を果たそうとし、されど絶対に生きて勝つという意志が勝利へのまず必要な要素である。

 

これらのどれかが欠ければ勝利などない。

 

イヴァノフスキー元帥の演説はそれほど長いものではなかった。

 

されど生きろと生に対する肯定を受けたことは在独ソ連軍の将兵にとって大きな意味があった。

 

数時間後、”西”作戦は始まる。

 

NATO、在独ソ連軍の命を消費して。

 

西部戦線からBETAへの反抗が始まった。

 

 

 

つづく

*1
武家の出自を皮肉ったもの、基本的には嘲笑で使われる

*2
武士なら自分の武具くらい自前で揃えろというお達

*3
話せば分かりましたか…?




こっちくっそ寒いです
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