マブラヴ グレートパトリオティックウォー   作:Eitoku Inobe

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我等が諜報機関 - それは全人民だ
敵に国境は越えさせない
たとえ越えようとも、必ず報いを受ける
エジョフの針山の中で!
-”チェキストの歌”より抜粋-


チェーカーの首輪

-ソ連領 ウクライナSSR 首都キエフ 第1ウクライナ前線司令部-

1機の輸送機がキエフの空港に降り立った。

 

乗っているのは東ドイツ、国家人民軍の将校達である。

 

基本的には第5軍の参謀達や隷下師団の将校達であり、一行はすぐにキエフの第1ウクライナ前線司令部へ向かった。

 

空港からは司令部がバスを手配し、将校達は荷物を入れてバスで司令部まで向かった。

 

バスはあえて復興するキエフの街並みを見せるように道を走った。

 

これもKGBからの通達であり、ソ連が復興している様を同盟国に見せ、希望を与えようと画策していた。

 

とは言っても彼らは軍人であり大半はリアリストである。

 

こうしたプロパガンダがどの程度通じるかは不明瞭な点が多かった。

 

バスはキエフをある程度周り司令部に辿り着いた。

 

司令部では数人の司令部付参謀将校が出迎えの為に待機していた。

 

そのうちの1人にリトヴィネンコ少佐もいた。

 

少佐は同僚のマリィツェフ大佐らと共に一行を待っていた。

 

2人は通常の常勤服を着ており、左胸には勲章や記章の略綬、右胸には卒業したアカデミーの記章がつけられていた。

 

「緊張してるか同志少佐」

 

ふとマリィツェフ大佐はリトヴィネンコ少佐に尋ねた。

 

「いやそこまでは……ただ、我々も余裕が出てきたなと」

 

「確かに」

 

マリィツェフ大佐は頷いた。

 

ほんの1年前まで東ドイツの将校を前線司令部に訪れるなどそもそも不可能な話であった。

 

「そういえば視察に来るのは国家人民軍だけですか?」

 

ふとリトヴィネンコ少佐は尋ねた。

 

「いや、なんでもフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊なる部隊からも視察が来るそうだ」

 

「衛兵連隊……」

 

「聞いたことないか?冠してる名前の通り内務省直轄の部隊だ。連隊と言っているが実際は師団か軍団規模の兵力がある」

 

リトヴィネンコ少佐もジェルジンスキーの名前を聞いて薄々勘付いていた。

 

フェリックス・ジェルジンスキー、KGBの祖となるチェーカーを築いた最初の人物であり、革命期を語るには欠かせない人物である。

 

ジェルジンスキーの名は海軍学校や通りの名前など様々な場所で用いられるが、専らその名が用いられるのは内務省やKGBといった対国内向けの機関だ。

 

それは同じ社会主義国家としてソ連のDNAを一部受け継いだ東ドイツでも同じであった。

 

「一応我が国の国内軍を視察するそうだ、今日は挨拶の為ここに来ると」

 

2人がそんな話をしていると丁度バスが来た。

 

バスは司令部前に停車し、すぐにドアが開いた。

 

将校達はバスから降車して代表の中佐がマリィツェフ大佐とリトヴィネンコ少佐らに挨拶を行った。

 

「国家人民地上軍第5軍所属、マンフレート・ヨニシュキース中佐であります」

 

代表の国家人民軍将校は2人に敬礼し挨拶を行った。

 

「レオニード・マリィツェフ大佐、ブラート・リトヴィネンコ少佐です。遠路遥々ようこそ、我々が案内致します」

 

司令部の将校に案内されて東ドイツの将校達は司令部に入った。

 

司令部の大広間に会場が用意され、将校達はしばしばもてなしを受けた。

 

司令官たるヤゾフが入ってきたのはこれより5分後のことであった。

 

「国家人民軍の同志諸君、起立し傾注せよ。第1ウクライナ前線司令官、ドミトリー・ヤゾフソ連邦元帥に対し敬礼!」

 

将校達は立ち上がり、中央の壇上に向かって敬礼した。

 

ヤゾフは右側のドアから広間に入り、諸将に向けて敬礼を返した。

 

彼の側にはローシク少佐と参謀長モイセーエフ大将が控えていた。

 

ヤゾフはスピーチ用の原稿を壇上の机に置いて「着席してよろしい」と将校達を座らせた。

 

将校達は事前に渡されていた同時翻訳用のヘッドホンを耳につけ、ヤゾフの話を聞いた。

 

「国家人民軍の戦友同志諸君、ようこそキエフへ。遠路遥々よく来てくれた」

 

ヤゾフのスピーチが始まった。

 

将校達は皆黙ってヤゾフのスピーチを聞いていた。

 

彼は元帥、しかも宗主国たるソ連の元帥である。

 

佐官級の将校であってもヤゾフは雲の上の存在であった。

 

「我々はBETAという侵略者によって分断されつつも、8年という長い忍耐の時を共に耐え忍んできた。そして我々はオーデル川で再会を果たした」

 

実際に再会を果たしたのは在独ソ連軍であったが東ドイツとも陸路で繋がったのは事実であった。

 

世界は徐々にかつての姿に戻りつつある。

 

今後数十年は癒えることのない傷を持ち続けながら。

 

「だが戦争はまだ終わっていない。諸君がこの地で、そしてポーランドで我が軍の将兵と共に研鑽を重ね、BETAに対し勝利の一撃を加えることを私は願う。マルクス=レーニン主義の為、祖国の為、そして万国の労働者達の為、我々が前線に立ち共に勝利を掴もう。万歳(Ура)!」

 

将校達から拍手が鳴り響き、ヤゾフのスピーチは終了した。

 

壇上を降りてヤゾフはモイセーエフ大将、ローシク少佐と共に広間を後にした。

 

「見事な演説でした」

 

そうローシク少佐は褒め称えた。

 

だがヤゾフは気が重たそうな顔をしていた。

 

「いよいよ、来てしまったな」

 

「まあ我々は教導に専念するだけですので、後の事は他の方々の仕事ですよ」

 

モイセーエフ大将は割り切ってそう述べたがヤゾフはまだ重い表情だった。

 

確かに後の事を行うのは別の部署の方々だが、一応の責任者はヤゾフである。

 

このまま荒事なく帰国してくれ、彼は心の底からドイツの同志達に向かってそう願った。

 

一方第1ウクライナ前線司令部のすぐ側にある国内軍司令部。

 

国内軍である為当然内務省管轄の施設であったが実はここにKGBの防諜部署も丸々入っていた。

 

その為司令部の長はステクリャル中将が務め、ある一室にはKGBの職員が詰め込んでいた。

 

この司令部では第1ウクライナ前線司令部やその他の施設で盗聴を行い、軍の防諜を行っていた。

 

「ヤゾフ元帥のスピーチ、終わりました」

 

「ドイツ将校団、間も無く解散し外に出ます」

 

「引き続き傍聴を怠るな。バハロフ中佐、各種配置は?」

 

東ドイツに対する防諜を指揮するステクリャル中将は部下のバハロフ中佐に尋ねた。

 

バハロフ中佐は第1総局出身のエリートであり、1979年頃からステクリャル中将の部下として働いていた。

 

「完璧です、通訳及び給仕にはエージェントを配備。各所宿泊施設にもエージェントと信頼出来る人物を配置しました」

 

「素晴らしい、では始めようか」

 

ステクリャル中将は机に置いてあった資料を手に取り、最重要人物の欄を見つめた。

 

ハインツ・アクスマンとフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊の参謀達。

 

連隊が軍団規模まで膨れ上がったのと同じようにここの何人かの参謀達の野心も肥大化した。

 

もし、このウクライナでその肥大化した野心を隠す事なく行動するならば彼らはそれ相応の報いを受けることになるだろう。

 

この世の全てにKGBの目と耳はついているのだから。

 

 

 

 

-ソ連領 ロシアSFSR モスクワ州 首都モスクワ KGB本部-

アンドロポフは窓の外からKGB本部の隣の建物を眺めていた。

 

ルビャンカ、それがKGB本部の名前であり、面白いことに隣の建物は子ども用玩具百貨店”ジェーツキー・ミール”があった。

 

つまり子ども達とその親達がおもちゃを買い、楽しく過ごしている隣でソ連で最もドス黒く、陰謀と血に塗れた作業が行われているのである。

 

それはBETAが来ても変わらず、むしろルビャンカの人員は内務省との融合が進む上で増えていった。

 

部屋の扉をノックする音がアンドロポフの耳に届いた。

 

非合法捜査S局の局長ドロズドフ中将とその上司である第1総局長クリュチコフ大将に加えて第1総局第4課長のヴィクトル・グルシュコ少将が入ってきた。

 

2人は敬礼してアンドロポフに報告を行った。

 

「同志議長、第1ウクライナ前線担当官のステクリャル中将より報告書が届きました」

 

「それとドイツ支局からです」

 

アンドロポフは2人から資料を受け取った。

 

送られてきたのは東ドイツで発生した不穏な動きに関するものであった。

 

現在第1ウクライナ前線に国家人民軍の視察団が訪れている。

 

そこにKGBが用注意人物としてマークしているベルリン派と呼ばれる勢力が紛れ込んでいた。

 

KGBはこのベルリン派の企みを監視する為に第1ウクライナ前線へ特別警戒を命じ、ステクリャル中将が指揮を取って視察団全員を監視している。

 

ルビャンカからは彼らの行動について1日1枚特別に報告書を本国へ転送するよう命令を出した。

 

一方彼らの祖国である東ドイツでも何か動きはないか確認する為、シュタージ長官兼KGBドイツ支局長の仮称シュミット上級大将に特別報告書を送るよう要請を出した。

 

今日は偶々2枚の報告書が同時に届いた。

 

アンドロポフは東ドイツからの報告書と第1ウクライナ前線からの報告書にさっと目を通し、3人と相談を行った。

 

第1総局はKGBの中で国外諜報を担当する組織でありS局はその中で非合法捜査を、第4課は現在東ドイツを担当地域に含んでいた。

 

「……連中も中々尻尾を出さないな」

 

報告書を読んだアンドロポフの感想はこれであった。

 

ベルリン派は高度に組織化され、尚且つ今は息を潜めている。

 

シュタージ内でもそれなりの勢力を誇っていることから下手に手を出せばシュタージ内部での内乱の恐れがあった。

 

「とはいえ放っておけば支局では対応出来ない結果になります」

 

グルシュコ少将はアンドロポフにそう進言した。

 

彼とドロズドフ中将は東ドイツの現場で対応に当たっているシュミット上級大将から度々要請と抗議を受けていた。

 

このまま放置すればシュタージとドイツ支局ではどうしようもなくなるので早く本国で対処してくれ、そうでなければもっと予算と人員増派をと迫られた。

 

ドロズドフ中将はシュミット上級大将のことをそれなりに知っている為程々に対応しつつ後は上手く躱していたがグルシュコ少将はそうではなかった。

 

むしろ彼はシュミット上級大将に同情し、なんとかしてやれないものかと便宜を図ろうとしていた。

 

「我々とて放っておく訳にはいかん。CIAも勘付き始めている」

 

数ヶ月前に行われたKGBとCIAのトップ同士による会談でCIA長官のケーシーはアンドロポフに対して東西ドイツの内部問題を口にした。

 

かなりオブラートに包んではいたがアメリカ側もこの問題に対処する姿勢を見せ、KGBにももっと努力するよう頼まれた。

 

CIAがこの問題に関心を持って西ドイツをなんとかしてくれるならありがたいが、下手に東ドイツに手を出されては困る。

 

少なくとも東ドイツはこの戦争が終わるまで社会主義国家としてソ連の影響の下になくては困るのだ。

 

とはいえ下手に対応すれば内紛となる。

 

社会主義国家において粛清や派閥の一新が起きるには戦時ではなく平時である。

 

むしろ戦時にこうした粛清や一新を起こそうとすると戦後に禍根を残す上にそもそも「必要だから」とか余裕がなく粛清出来ない可能性がある。

 

あのロコソフスキー元帥だってかつては大粛清の風に吹かれ、屈辱を味わったものだ。

 

されどジューコフ元帥が彼を拾い上げ、結果彼はスターリンにも認められる伝説の将星となった。

 

大粛清からの大祖国戦争はソ連赤軍に甚大な被害を与えたが、同時に大粛清で投獄された赤軍将校達も数多く復帰した。

 

そして大粛清の一旦を担い、スターリン時代に羽振りを効かせていたベリヤは恨みを買って自身が消える要因となった。

 

アンドロポフとしても今ハンガリー動乱を繰り返す訳にはいかないのは重々承知していた。

 

「ベルリン派をやる時は一挙に、全員を沈めなければダメだ」

 

「であれば餌を撒くのはどうでしょうか」

 

提案をしたのは第1総局長クリュチコフ大将、アンドロポフとはブダペスト大使館時代からの馴染みであり彼の腹心であった。

 

「ベルリン派のメンバーはある程度リストアップされていたな?」

 

クリュチコフ大将はドロズドフ中将に尋ね、彼は頷いた。

 

「その点は問題なく、ドイツ支局は優秀ですので」

 

ドロズドフ少将もシュミット上級大将のことは評価していた、だからかなり雑に扱っても問題ないと考えていた。

 

「であればベルリン派の主要人物に餌を撒いて弱みを作り、いつでも逮捕出来る状態を作り出しましょう」

 

「今は泳がせておくと?」

 

「連中が西側と共謀し、国家転覆を企んでいるという確証を掴むまでです」

 

クリュチコフ大将は一切笑うことなく淡々と答えた。

 

彼はチェキストである、それもアンドロポフが認め、腹心とするほどに。

 

「主要人物の逮捕だけでベルリン派の勢いを削げますかね?」

 

ふとグルシュコ少将は尋ねた。

 

「彼らの大半は美味い汁が吸えるからとか主体性のない者ばかりだろう。上を叩けば後は右往左往するばかり、組織性などなくなる」

 

「そうすればグリューシャ……もといシュタージ長官殿に責任を取って頂きましょう」

 

「その通り、今のシュタージならドイツ支局で残りは対処可能だ」

 

アンドロポフは彼らの話を聞いて少し考えた。

 

餌を撒く方法は幾らでもある。

 

汚職の摘発、ハニートラップ、或いは外国勢力との共謀。

 

特に前者2つは最も仕掛け易い、なんなら汚職なぞ調べれば幾らでも出てくるだろう。

 

こうした理由で一斉逮捕を行い、後から国家反逆の罪を押し付ければ容易くベルリン派を制圧出来る。

 

工作の予算と人員も、同志ブレジネフとスースロフに頼めばなんとかなるだろう。

 

特にスースロフの方は東ドイツのベルリン派問題を重く受け止めている。

 

「同志クリュチコフ、人員は確保出来るか?」

 

アンドロポフから出たその問いは事実上の実行を意味していた。

 

すぐにクリュチコフ大将はドロズドフ中将とグルシュコ少将に目線を送った。

 

「S局からは出せます」

 

「4課も余裕はあります」

 

「彼らの発言通り、工作班は設置可能です。後は支局の方ですね」

 

「直ちに向こうと連絡を取れ。必要であれば同志ラザレンコの実働隊を使う」

 

クリュチコフ大将は頷き、すぐに作業に移った。

 

遠く離れた東ドイツで陰謀を企てるのなら、モスクワでも陰謀は動き始める。

 

陰惨かつ暗い戦いの始まりであった。

 

 

 

 

 

ウクライナ・ソビエトの首都キエフ。

 

フェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊から来た視察団はキエフに駐屯する国内軍師団司令部を視察していた。

 

その間もKGBによる監視、盗聴は続き、司令部や手配されたホテル問わず行われた。

 

尤も相手はそれでもシュタージの所属、こちらの手の内は当然分かっているようでボロは出さなかった。

 

だがそれで良かったのだ。

 

少なくとも連中はウクライナにいるうちは悪さが出来ない。

 

彼らに対する抑止としては十分機能を果たしていた。

 

「連中、中々尻尾を出しませんな」

 

盗聴を担当するグリシェンコ大尉はそうぼやいた。

 

「何もしないならそれでいい、我々は連中のくだらない下世話な話を聞いてはい終わり、それならそれでいいさ」

 

ステクリャル中将の発言にグリシェンコ大尉や他のKGB将校達は苦笑を漏らした。

 

実際これはフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊ではないが別の国家人民軍将校がホテルで1人になった時に起こった話だ。

 

その将校は少佐であり年齢は20代後半から30代前半、妻帯者であるらしく、ホテルで1人になると東ドイツに残してきた彼女と電話を始めた。

 

当然だがその会話はKGBに盗聴されている。

 

一方の少佐はそんなことも知らず妻との通話に現を抜かしていた。

 

一見普通の仲睦まじい夫婦の会話だが、ある程度話していると妻の方がタイミングを見計らって夫の少佐を問い詰め始めた。

 

妻側の話を完全に信用するならばその少佐は別の女性と懇意にしており、不倫の関係にあった。

 

それを妻は見抜いたらしく、電話越しに夫を問い詰めた。

 

暫く夫の少佐はたじたじになり、妻から一方的に罵られた。

 

まるで頭上がらずといった雰囲気であり、到底軍の将校とは思えぬほど追い詰められていた。

 

これを聞いていたKGBの将校達はステクリャル中将までもが苦笑に包まれ、暫く聞き入っていた。

 

あまりに少佐の側が一方的になじられているのでバハロフ中佐などは「言い返せドイツ人と怒鳴ってきます」など言い始めたがすぐに止められた。

 

盗聴などしても得られる成果はこの程度である。

 

だがステクリャル中将は盗聴以外にも手を打っていた。

 

「同志中将、例の資料と視察団の関係者の郵便物をお持ちしました」

 

バハロフ中佐が数枚の資料と部下のカルペンスキー少佐に郵便物を持たせて入ってきた。

 

中将はすぐに資料を受け取り、部下に命令を出す。

 

「プリコフ大尉とそこの2人はカルペンスキー少佐と共に郵便物を検閲しろ」

 

「はい」

 

その間ステクリャル中将はバハロフ中佐が持ってきた資料に目を通していた。

 

バハロフ中佐は若干疑問を持ちながら中将に尋ねた。

 

「同志中将、お言葉ですがその資料のメンバーは全員ドイツ支局が調査済みです」

 

「ああ、念の為にな」

 

バハロフ中佐に持って来させたのは視察団と関わるホテルの従業員、給仕、通訳などの身元を調べたリストであった。

 

こうした者達は東ドイツ、ソ連双方から人を呼んでおり、当然身元確認はKGBの他の部局が行っていた。

 

それでも念の為、ステクリャル中将は身元を調べた。

 

「あちらの郵便物もですか?」

 

「ああ」

 

ステクリャル中将は用心深かった。

 

すると検閲を行なっていたカルペンスキー少佐が何かに気づいた。

 

彼は突然ある1枚の手紙の匂いを嗅ぎ始めた。

 

「えっどうしたんですか少佐」

 

少佐の奇行はこれだけには止まらなかった。

 

突如ライターの火を出し、手紙に当たる寸前まで近づけた。

 

彼は気づいたのだ、この手紙の異常性に。

 

「中将!」

 

すぐにカルペンスキー少佐はステクリャル中将を呼んだ。

 

中将はカルペンスキー少佐と共にその手紙に隠された真実を読んだ。

 

「これは……やはり何か手があったか」

 

その手紙には暗号文で書かれた謎の文字がびっしりと記載されていた。

 

今の中将達では解読不可能だったが、彼らは尻尾を掴んだ。

 

「この手紙の送り主は?」

 

「エルヴィン・エルター、東ドイツ側から来た通訳です」

 

「送り先は」

 

「一応シュヴェリーンということになってます」

 

すぐにステクリャル中将は持ってきた資料を読み直した。

 

確かにエルヴィン・エルターという名の通訳はいた。

 

家族はシュヴェリーン在住で兄はモスクワのドイツ大使館で勤務中、エルヴィンも外務省からの出向ということになっている。

 

「本国とドイツ支局にエルヴィン・エルターに関する詳細情報を送るよう要請を出せ。もしかしたら脈アリかもしれん」

 

「分かりました」

 

バハロフ中佐はすぐに本国と連絡を取る為部屋を後にした。

 

ステクリャル中将は少し考えながら話した。

 

「少佐、本国からの方針は積極的工作だったな?」

 

「はい」

 

「では彼、探りを入れるのに丁度いいかもしれん。本国の要請にもよるがバハロフ中佐と共に接触の準備を」

 

「了解」

 

既に中将の頭の中ではエルヴィン・エルターという哀れなドイツ人を利用する方法を考えていた。

 

騙し騙されそして利用する、こうでもしなければ国家は守れない。

 

ステクリャル中将も任務の為冷酷になれる人であった。

 

 

 

 

 

キエフのあるホテルには東ドイツの視察団が泊まっていた。

 

彼らは後1日ほどキエフに滞在し、その後前線地域に近いポーランドの各軍を視察する。

 

ポーランドでは各地で復興作業が進められていたが、未だプレハブの建物が並ぶ程度であった。

 

伝統的な建築物や大型のビル群の建設はまだ時間が掛かるのだ。

 

それでも各軍が活動出来る程度には復興が進められており、視察団が寝泊まり出来る施設はあった。

 

フェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊の将校達もこの後ポーランドに旅立つ。

 

彼らは国内軍の師団を視察して後方の治安維持に関する技術を高め、意見交換を行なった。

 

「いやはやしかし、もうキエフを後にすると思うと残念ですな。この街は見どころがあって、後2、3日は滞在したいくらいですよ」

 

アクスマン中佐は仰々しく名残惜しさを口にした。

 

実際は名残惜しいなんて一切思っていない、ソ連のやり方を学んで東ドイツで活かそうと思っているだけだ。

 

それにソ連とてここで我らが派手な行動は取るまいとタカを括っているだろう。

 

「仕方あるまい、我々とて旅行できた訳ではないのだから」

 

彼の先輩、衛兵連隊作戦課長クラウス・メルツ・オスター大佐はそう述べた。

 

彼の側で同期のカール・ハーゼ中佐は手紙を書き記していた。

 

実際には手紙などではなく、盗聴を掻い潜りながら会話を行う為の伝言であった。

 

この部屋は盗聴器と監視カメラがある。

 

されど角度的にハーゼ中佐が座る位置なら中身は見えないと全員が分かっていた。

 

それを利用して本来の計画立案は手記によって行われた。

 

「いつか旅行でキエフに行ける日が来るといいのだがね」

 

「全くですな」

 

恐らくそんな日は生涯来ないだろうと2人は踏んでいた。

 

国家を転覆しドイツを統一した後彼らはそもそもソ連に行けなくなるだろう。

 

ベルリン派からすればこれは最後の訪ソであった。

 

「同志ハーゼ中佐、何を書いておられるのですか?」

 

そういってアクスマン中佐の部下であるファビアン・ヘフテン少佐はハーゼ中佐から手紙を取り上げた。

 

すぐにハーゼ中佐は手紙を取り上げようとするがこれも全て演技である。

 

「妻への手紙だよ、大したことないから早く返しなさい」

 

「ですって中佐」

 

ヘフテン少佐はそう言ってアクスマン中佐に手紙を見せた。

 

手紙の中身は当然妻へ宛てたものではない。

 

今後の為の作戦計画の提案であった。

 

ハーゼ中佐が出してきたのはいざクーデターを起こした時の出動理由に関する提案であった。

 

アクスマン中佐は暫く手紙の中身を読んでこう返した。

 

「中々いいではないですか、ですが証拠もないのにイェルナー大尉のせいにするのは感心しませんな」

 

その間にアクスマン中佐は袖に隠していたペンで中身を書き足した。

 

ハーゼ中佐は不満げな表情で手紙を取り返して書き足された分をオスター大佐と共に読んだ。

 

オスター大佐は頷き、ハンドサインで了承を示した。

 

「…では私はこれを出してくるよ」

 

「お気をつけて」

 

ハーゼ中佐はソファーから立ち上がって割り当てられた部屋を出た。

 

オスター大佐はソファーに深くもたれ掛かり、制服の内ポケットから紙を1枚取り出した。

 

中には会話中にこっそり書かいていたオスター大佐の感想が書かれていた。

 

何故ハーゼに任せたのか

 

本来ならアクスマン中佐が主導なのだから中佐本人が手紙を書くふりをすればいいのに何故ハーゼ中佐に任せたのか。

 

それに対するアクスマン中佐の回答は口頭でも手記でもなかった。

 

その頃ハーゼ中佐は部屋を出てホテルの廊下にいた。

 

丁度通訳として東ドイツから来訪したエルヴィン・エルターと出会した。

 

中佐はあえてエルターとぶつかり、彼に持っていた手紙を渡した。

 

「すまない、前を見ていなかった」

 

「こちらこそ……」

 

エルターは一切手紙を見ずに背広のポケットに入れ、頭を下げてその場を後にした。

 

これで手紙は協力者に渡された。

 

ハーゼ中佐はエルターを目で見送りながら妻用に書いた手紙をポケットから取り出して外へ向かった。

 

彼らはこの時まだ秘密は隠し通せていると思っていた。

 

だがステクリャル中将らKGBの魔の手はすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

エルヴィン・エルターは外務省付の通訳の仕事をしていた。

 

年齢は今年30歳、3年前に結婚し今は妻1人と2歳になる息子が1人いる。

 

父はドイツ国営鉄道で働いており、彼が25歳の時にエルヴィンは生まれた。

 

兄が1人おり、同じベルリンのフンボルト大学言語学部を卒業し、兄の方は今モスクワのドイツ大使館で働いていた。

 

エルターの経歴はこの時期によくありがちな東ドイツ国民の悲惨なれどもまだマシな人生であった。

 

彼は兄が通っていたのと同じフンボルト大学言語学部に合格し、4年間ほど大学に通っていた。

 

丁度卒業の年が1973年であり、エルターは貿易関係の通訳で仕事を見つけ、卒業した後はそのまま働きにという未来まで完成していた。

 

されど1973年、彼の未来は突如として破壊された。

 

ベルリンにハイヴが落着し、一夜にしてベルリンは地獄と化した。

 

辛うじて脱出に成功したエルターであったが当然大学は破壊され、東ドイツは戦時体制となった。

 

尤もそれ以前に東ドイツは高級官僚や党員含め数多くが初撃で死亡した為、体制というものが残ったかは極めて怪しかったが。

 

ともかく東ドイツは官僚も党員も数多くを失った状態で戦争状態に突入した。

 

貿易関係の職に就く予定だったエルターも外務省の人手が足りないということで兄の要望で外務省に入省した。

 

学友も学舎も全て失ったがそれでもエルターはまだ幸せな方だったと言える。

 

大学も学友も失い、軍隊しか行き場がなかったような若者も東ドイツには数多くいた。

 

エルターは外務省の通訳として働き、やがて結婚し子どもも生まれた。

 

ここまではまだ良かった。

 

問題は彼が能力があり、平凡の中では最上級の幸せを享受しているからある者達に目をつけられたのだ。

 

そう、シュタージのベルリン派である。

 

エルターにアクスマン中佐らが接触してきたのは1979年のことである。

 

ベルリン派は彼の両親と妻を人質に取り、協力関係を構築。

 

ベルリン派が外国へ行った時の為のカモフラージュ要員として今日まで利用され続けてきた。

 

偽の手紙を送り、ベルリン派の連絡中継点として活動し、常に怯えながら暮らしていた。

 

今回だって表向きは東ドイツの視察団随行員としてキエフに入り、ベルリン派と本国を繋ぐ連絡員として活動していた。

 

断れば父も母も妻も子もシュタージの魔の手に堕ちる。

 

兄だってモスクワの大使館で働くほどのエリートとはいえ、シュタージには勝てない。

 

エルターに逃げ道はなかった。

 

だからこそ彼らにも目をつけられた。

 

KGB、ソビエトの盾と剣を担うチェキストにである。

 

エルターはキエフの街を情報を持ったまま歩いていた。

 

彼はこの時、自身が既に目をつけられていることを知らなかった。

 

「そこの方」

 

後ろからエルターに声をかけてくる1人がいた。

 

エルターは振り返るとコートを着た2人の男が立っていた。

 

「なんでしょうか……?」

 

2人の男はエルターに1枚の紙切れを見せた。

 

そこにはエルターの家族全員の名前と働いている場所、家の住所までもが記載されていた。

 

その衝撃に目を見開き、暫く言葉が出なかった。

 

「ドイツの方でしょう?せっかくですのでお茶でもいかがかなと思いまして」

 

「復興するこの街を見て欲しいのですよ」

 

2人の提案をエルターは飲むしかなかった。

 

エルターは少し歩いた所にあるカフェテリアの中に入った。

 

カフェには数人の客と従業員がいたが当然ながら彼らは全員 一般人(カタギ)ではない。

 

KGBの職員であり、店の裏にはウラジーミル・リャボコニィ大佐が指揮する指揮班が待機していた。

 

そしてこの2人は私服を着たバハロフ中佐とカルペンスキー少佐である。

 

エルターは2人の提案で代用コーヒーを頼み、2人と話を始めた。

 

バハロフ中佐もカルペンスキー少佐もエルターを自分達のテリトリーに誘い込んだ為もう建前は使わなくなっていた。

 

「君の手紙、中々面白いことが書かれているね」

 

カルペンスキー少佐はライターで彼が以前送った手紙を照らし、隠された文字を浮かび上がらせた。

 

「まだ持っているのかな?」

 

鋭い目つきでバハロフ中佐はエルターを追い込んだ。

 

もう彼は限界に近く、少し脅せばあっという間に全てを漏らした。

 

まずエルターは今回の手紙を出し、全てを白状した。

 

「仕方なかったんですっ……!協力しないと……かっ家族を逮捕すると言われてっ……どうしようもなかったんですっ!」

 

エルターは今にも泣きそうな声で白状した。

 

この時エルターは2人の正体が何か完璧には分かっていなかったが、シュタージと同じ組織の類であることは分かっていた。

 

「落ち着いて、別に君を逮捕しようとかそういうのじゃない。ただ、協力して欲しいだけなんだ」

 

「えっ……?」

 

「君のクライアント先、我々にとっては厄介だ。だからいつか退場してもらいたい」

 

2人はこの時まで彼にドイツ語で話しかけていた為実はエルターは2人をKGBだと思っていなかった。

 

カルペンスキー少佐は1枚の書類を彼に提示した。

 

それに合わせてバハロフ中佐は話を進める。

 

「君の家族の安全は我々が保障しよう。代わりに我々に協力して欲しい」

 

エルターはこの時理解不能といった表情をしていた。

 

だが2人はお構いなしに話を続ける。

 

「君は普段通り仕事をしろ、クライアント先のも含めてな。だが1つ知っておいてもらいたいのは君の会話、手紙、生活全ては我々の監視下にある。そして必要に応じて特別に仕事も頼む」

 

この頃になるとエルターも薄ら事情を理解し始めた。

 

自分が今とんでもないことに巻き込まれている。

 

下手すれば自分は双方から命を狙われることになる。

 

これなら以前の方がマシだ。

 

しかし今更断る事は出来ない。

 

「エルヴィン・エルター君、これからよろしく頼むよ」

 

BETA大戦におけるKGBの大規模プロジェクトの1つにベルリン派の鎮圧というものがあった。

 

その中で1人、ベルリン派撃滅の為に利用された人物がいた。

 

名はエルヴィン・エルター。

 

彼が二重スパイとして世間に認識されるようになるのは彼の死後1年後のことであった。

 

 

 

つづくかも

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