マブラヴ グレートパトリオティックウォー   作:Eitoku Inobe

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必要とあらば、必要とあらば、
そこより軍は前進する!
隊伍を整える、隊伍を整える
鍛え抜かれた連隊が!
必要とあらば、我等は立ち上がり壁となる
故郷の家を守って
必要とあらば、我等は立ち上がり壁となる
故郷の家を守って
-”兵士たちは行った”より抜粋-


1982

ポーランドに駐留するソ連軍の兵站線は陸路、空路、そして僅かに海路の3つがあった。

 

主となるのは当然陸路による輸送であり、これらもポーランドの舗装路がズタズタにされてしまった為奪還直後はかなり時間が掛かった。

 

だが、半年のうちに最低限道路を復旧させて可能な限り補給路を改善させた。

 

それでも泥濘に嵌ったり、悪路を通ったりすることで予定通り到着しないこともある。

 

こうした陸路での輸送はトラックのウラルとアメリカからレンドリースで配備されたHEMTTが主力であった。

 

HEMTTが登場したのはほぼF-4が安定して戦線に投入され始めた頃だった。

 

同時期にアメリカ軍のTACOMが進めていた大型トラックの開発計画が身を結び、”()()()()()”早期に各部隊に配備された。

 

ソ連も既存の軍用トラックを量産するのと同時にレンドリースでHEMTTを要求した。

 

最近ではレンドリースの品はHEMTT以外のものが多くなっているが、それでも整備用のパーツなどは取り入れ続けている。

 

キエフやジトーミルから飛び立つ輸送機はルブリンやチェルンストホバに着陸し、そこからトラック部隊によって前線に物資が配給される。

 

鉄道網の復旧も始まっている、辛うじてキエフからルブリンを繋ぐ鉄道路線は復旧出来た。

 

ソ連の鉄道旅団と民間各所の血の滲むような努力の結果である。

 

BETAが奪って行ったインフラは最低限度だが取り戻しつつあった。

 

それは都市も同じである。

 

ルブリンは第1ウクライナ前線の新しい司令部に定められた。

 

既に同地には最低限の建物が復活しつつあり、司令部を置いても特に問題はなかった。

 

司令部要員とキエフに展開する一部部隊はこの都市を離れる為、キエフ駅では前線に行く将兵を第1ウクライナ前線隷下の軍楽隊が演奏で見送っていた。

 

指揮はヴァレリー・ハリロフ少佐が務め、軍楽隊は”スラヴ娘の別れ”を演奏していた。

 

第一次大戦から今次のBETA大戦まで、ワシーリー・アガプキンが創り上げた曲は何千万という将兵を見送った。

 

彼らの一体何人が無事に帰って来れるだろうか。

 

今まで数多くの将兵がこのメロディと共に戦場へ行き、そして死んでいった。

 

この戦争でもそうだ。

 

モスクワのベラルースキー駅で、キエフスキー駅で、レニングラードのボロヴァヤ駅で、リガのリガ駅で、ソ連中の多くの駅で兵士たちを見送った。

 

彼ら1人1人に家族がいた、恋人がいた、やりたい何かがあった。

 

喜び勇んでやってきた者もいる、時代を呪い生きる事を最優先にしてやってきた者も当然いる、よく分からないまま流されてきた者もいた。

 

だが彼らは戦わなければいけない使命というものは理解していた。

 

作られた伝説としてのアレクサンドル・ネフスキーの氷上での決戦がそうであったように、ミーニンとポジャルスキーらがモスクワを奪還した時のように、ナポレオンと彼の大陸軍と戦った祖国戦争の時のように、そして37年前の大祖国戦争の時と同じように。

 

彼らは戦う理由と意志を明確に持って立ち上がった。

 

見送られた兵士達の運命は様々である。

 

戦死する者、負傷して本国へ帰る者、未だ生き残り戦いを続ける者。

 

苦難の6年を耐え、彼らは反撃の年へと切り出した。

 

その最初の戦果がこのキエフであり、失われた全てのソ連領である。

 

「総員、前線へ向かう将兵に対し敬礼!」

 

ヤゾフは司令部の参謀達と共に前線へ向かう列車へ敬礼した。

 

指揮官という者は必ず最後にその場を後にしなければならない。

 

キエフからの移動も第1ウクライナ前線司令部の移動は最後であり、特にヤゾフのルブリン移動は本当に最後であった。

 

その為まだ暫しの時間がある為ヤゾフは去り行く将兵を見送った。

 

兵士達は手を振り、駅のホームで見送る友軍や外にいるキエフの市民に別れを告げた。

 

さようなら祖国よ(Прощай ноша сторона)愛しいあの人よ(Любовь женщина)

 

我らが祖国の為に(За край наш родной)我らは皆聖戦へ向かうのだ(Мы все пойдём в священный бой)

 

列車は全てキエフ駅を通り過ぎ、静けさが辺りを包み込んだ。

 

参謀達は司令部へと戻って移動準備を始め、何人かは先行してルブリンに向かった。

 

「ルブリンに到着したらまずはゾロトフ少将の命令を聞け。私も後から行く」

 

「了解…!」

 

「同志元帥、ベリコフ大将がお見えです」

 

ローシク少佐が敬礼し参謀達に命令を出しているヤゾフに報告した。

 

司令部の移動は司令部が有する情報や機材の問題から時間が掛かる。

 

通信機器に各軍の報告書、地図に資料と多岐に渡る。

 

今回は前線への移動である為一部資料の処分などは必要ないが、それでも大変な作業であった。

 

そこへ現れたのはヴァレリー・ベリコフ上級大将、復活するキエフ軍管区司令官に任命された将軍だ。

 

彼は新しく配属された参謀達を率いて一足早くキエフへやって来た。

 

予想外の事にヤゾフは疑問に思いながらも彼らを出迎えた。

 

「同志ベリコフ、早いですな」

 

「同志元帥、我々も移動をお手伝い出来ればと思いまして」

 

お互いに敬礼し握手を交わすと早速話を始めた。

 

「それはありがたい、では何人かを機材の運搬に回しては貰えませんか」

 

「勿論です、中佐、衛兵隊と共に運搬の手伝いに回れ」

 

「了解」

 

既に司令部警備の任は前線司令部から軍管区司令部に交代を行っている。

 

各所で警備を行っている兵士は皆キエフ軍管区の所属であり、そうでない者は既にルブリンの新司令部に向かっていた。

 

「せっかくだ、執務室に案内しますよ。これからはあなたのものになる」

 

「ありがとうございます」

 

そういってヤゾフはベリコフ上級大将を案内した。

 

ヤゾフとベリコフ上級大将は階段を登り、執務室まで歩きながら話した。

 

ベリコフ上級大将は1976年まで第5親衛戦車軍司令として戦い、それ以降は北カフカース軍管区司令に就任した。

 

ヤゾフは彼と面識があった、ヤゾフが第11親衛軍司令であった時、隣国の部隊ということで度々顔を合わせていた。

 

「こちらが執務室です、私の荷物はもうありませんので自由にしてください」

 

「1、2年でここまでとは、流石祖国ですな」

 

「同志ゴルバチョフと同志工兵隊の努力の賜物ですよ」

 

2人は窓からキエフの街並みを見つめた。

 

この街の奪還から早2年、全て大きく変わった。

 

「そういえば上級大将に昇進されたそうですな。おめでとうございます」

 

「あっええ、まさかここまで早期にとは思いませんでしたよ」

 

彼がキエフ軍管区司令に内定した時はまだ大将であった。

 

それから正式な任命と共に上級大将へ昇進し、今日に至る。

 

彼の当面の任務は区分として復活した軍管区を徐々に平時の状態へ戻していくことだ。

 

キエフ軍管区の戦力には新設された第67軍団が基幹として存在し、それ以外の部隊には第1ウクライナ前線から後方へ戻された師団が配属される。

 

キエフ軍管区は当面の間、第1ウクライナ前線と第2ウクライナ前線が担当していたチェコスロバキア、ハンガリー国境の防衛を担当する。

 

当面は一部を復員させつつ、新兵を育成して前線を助ける。

 

前線の銃後を守る重要な存在である。

 

「同志元帥はルブリンへ?」

 

ベリコフ上級大将の問いにヤゾフは静かに頷いた。

 

「ここは任せます、我々の仕事は今や前に進むことですから」

 

「ここは我々が支えます、存分に暴れて来てください」

 

ベリコフ上級大将は手を差し出し、握手を求めた。

 

ヤゾフは力強く握り締め、これを戦友との別れの言葉とした。

 

これより1時間後、ヤゾフは司令部を離れキエフの航空基地から飛び立った。

 

目的地はルブリン、新しい司令部である。

 

彼らの闘争はまだ続く。

 

 

 

 

-日本帝国領 青森県 三沢基地-

中東攻勢は終わった、当然だが人類の勝利によって長い中東での戦争に決着をつけた。

 

途中幾つかの母艦級が周囲に飛散して後方撹乱のような動きをするという非常事態も発生したが各諸将の冷静な対応でことなきを得た。

 

それから国連軍はアスファン・ハイヴ攻略作戦を実行、いよいよ中東最後のハイヴ攻略に乗り出た。

 

アメリカ中央陸軍主導の野戦軍が周辺の守備隊を圧倒し、それから空軍と陸軍航空隊、海軍航空隊、海兵飛行隊による戦術機の集中投入で内部を抑えた。

 

道中光線級と要撃級を足したような移動砲台によって幾らか損害は出たが、結局は時間の問題である。

 

海兵隊のF-14と日本空軍のF-15J、韓国空軍のF-4ES”ピース・フェザントⅡ”とKF-16、人民解放空軍のJ-8ⅡB、そしてイラン空軍のF-14が最奥までの突破口を切り開き、そこへ戦術核が集中投入されて頭脳級は死んだ。

 

こうして中東攻勢は終わった、1982年1月24日の出来事である。

 

この報告は即座に市ヶ谷の国防省ビルに伝えられた。

 

国防大臣も統合参謀会議議長も陸海空の三軍トップも皆勝利に安堵し、喜んだ。

 

特に日本空軍は導入したF-15Jがハイヴ最奥まで突破したということで「やはり導入は正解だった」と大層喜んでいた。

 

何せ最初のハイヴ突入はあろうことか斯衛軍の”瑞鶴”がハイヴを堕としてしまった為、空軍としては悔しい思いでいた。

 

今回斯衛軍は前回までの損害が大きく、大半の戦術機が母艦級狩に動員されていた為ハイヴの最奥まで辿り着けなかった。

 

そんな思いのまま日本空軍は今回のF-1支援戦術歩行戦闘機の初飛行に臨んだ。

 

これが日本が初めて作った国産の戦術機である。

 

本来のF-1支援戦闘機は結局開発が頓挫した、BETA大戦の影響である。

 

F-1の代わりに戦術機としてのF-4納入計画だった。

 

F-1は戦術機という名称がついているが実態は攻撃機の方が近い。

 

大きさはF-15Jよりも小さく、機動力もそこまでないが多様な武装を同時に搭載可能であり、特に対要塞級用の四〇式空対地誘導弾を搭載出来るのが大きな特徴であった。

 

F-15Jが使用する155mm無反動砲や突撃砲は当然使用可能であり、ソ連のSu-25のように当初は203mm砲を搭載する案もあった。

 

F-1は理論上前線のCAS任務から対要塞級排除、想定としては対艦戦闘も視野に入れていた。

 

ちなみにこうした能力を有していることから当初は多用途攻撃機と呼称しようという案もあった。

 

されど協議の結果、支援戦術機の名称に落ち着き、晴れてF-1となった。

 

日本初の国産品、始まりの一歩である。

 

日本は戦術機を国産で運用すべきという派閥もこれには喜んでいたが、F-1はあくまで妥協であり次なる主力戦術機は国産で、と意気込んでいた。

 

何せこれはF-15Jの導入案と競い合った国産案の原型とは程遠いものだからだ。

 

F-1はあくまで火力支援機、F-4の代わりとして主力を担えるものではない。

 

元々国産派が主張していた案はF-4の代替として使用出来る戦術機であった。

 

しかしこの案はF-15の導入案に敗れ、空軍主力の座はF-15Jとなった。

 

国産派は主力機競争で敗れたが同時に烏丸次官は彼らに対し、あることを持ちかけた。

 

それがF-1の開発計画である多用途支援戦術機開発計画であった。

 

要は敗れた国産派にも恩恵をという烏丸次官の根回しであり、同時に日本軍も支援枠を作ろうというものであった。

 

烏丸次官はF-15導入派であったが同時にF-15のコストでは現行主力のF-4を早期に代替させることは無理だとも承知していた。

 

そこで穴埋めとして期待されたのがF-1である。

 

F-15よりも安価で重武装、F-4の代替は無理でも転換までの中継ぎにはなる。

 

それに陸軍の国産派は「航空隊用の対地支援機が欲しい」という要望があった。

 

これらをまとめて解決出来るのがF-1の存在だった訳である。

 

開発計画は調達計画の採用とほぼ同時に実行された。

 

国防省技術研究本部の大森幸衛本部長は航空装備研究所に多用途支援戦術機開発計画室の設置を命じ、BETA大戦の裏で開発が進められていた。

 

F-1の原型はT-2と呼ばれるハーディマンをベースとした戦術歩行練習機を原型としている。

 

無論日本軍がF-4の運用上で得たデータも入っているがベースはT-2であった、背丈が低いのもそのためだ。

 

FS-T2改の名称で試験が進められ、1981年2月に試験をクリアし生産が開始された。

 

生産時の正式名称がこのF-1であり、1982年1月27日に正式採用されたF-1の初飛行が催された。

 

三沢基地には統参会議議長高品大将や国防大臣を始め、陸軍参謀総長斎藤大将、海軍軍令部長前田優大将、空軍参謀総長生田目修大将、大森技本部長、そして烏丸次官や陸参装備計画課長柏山准将らが初飛行を拝みに訪れていた。

 

関係者席には日本だけでなくアメリカ太平洋空軍司令官のアーノルド・W・ブラズウェル中将らアメリカ軍の将校も参加していた。

 

今回飛行するのは空軍に納入される部隊と陸軍航空隊に納入される部隊の2つであり、特に陸軍側の期待が高かった。

 

というのもF-1を積極的に求めていたのは実は陸軍側であり、空軍側はそうでもなかった。

 

何せ空軍側は生田目大将を始め、多くがF-15の導入派閥であったからだ。

 

日本空軍はジェット戦闘機の時からアメリカ機推しであり、F-15も多くの衛士や将官達が憧れの目で見ていた。*1

 

日本陸軍もアメリカ軍機を疑っている訳ではなかったが、それはそれとしてどうせF-15は我々には来ないのだからF-1が欲しいという意見は確かにあった。

 

そんな政治と実務上の様々な思いが籠ったF-1が今、彼らの前で空を飛んでいる。

 

陸軍機はF-1に四〇式空対地誘導弾とロケットポッド、Mk.82 500ポンド爆弾、そして2丁の突撃砲を装備している。

 

ちなみに独自武装として35mm2連機関砲を2つ合体させた35mm4連機関砲なるものもあった。

 

飛行中の何機かはこのオリジナル装備を使用している。

 

F-1は安定して飛行を続けており、出席した陸軍将校達から感嘆の声が上がった。

 

「なるほど、確かに支援機としては随分良さそうですな。話に聞くA-10とかSu-25を思い出します」

 

斎藤大将の隣に座っている生田目大将はそう感想を述べた。

 

「初の国産戦術機って点でも随分よくやってるでしょう。あれなら実戦でも問題なさそうだ」

 

「しかし中東戦線は終わりましたよ?」

 

「ええ、ですので次の機会はアフリカ攻勢でしょうな。当分先です」

 

斉藤大将は内心、コイツも生まれた年が悪いなと思っていた。

 

もし後もう1、2年早く開発されていればそれなりに活躍出来たろうに。

 

初の国産戦術機がこれじゃあと若干の哀れみがあった。

 

一方素直に成果を喜んでいたのは柏山准将と大森本部長である。

 

柏山准将は元々国産派の人間であり、特にF-1は期待をかけていた代物であった。

 

大森本部長と共に開発に携わり、あの機体にはそれなりに愛着がある。

 

「いやあ大森さん、飛んでますよ」

 

「T2改の時から思ってたけどいいねえ。小さいけど頼り甲斐があるじゃない」

 

2人は双眼鏡でF-1を追いかけながら話した。

 

「このF-1が我が国の戦術機開発の基礎になる。それが実用化したとなれば尚更だ、立派にやってくれよ」

 

大森本部長は飛行し、戦闘訓練に移るF-1にエールを送った。

 

F-1の編隊は屡々飛行した後、戦闘訓練に移った。

 

低空飛行からの500ポンド爆弾投下、突撃砲による敵の迎撃、四〇式の試験発射などれも良好だ。

 

F-4EJ改との連携も出来ており、”使()()()”ということを大いにアピールした。

 

「ちゃんと形になったんやなあ、ええやないのあれ」

 

烏丸次官も模擬戦で活躍するF-1を見ながらそう呟いた。

 

隣で同じ様に視察していた高森は「烏丸さんが言うと本音じゃないみたいですね」と冗談を述べた。

 

「高森くんもひどいわ、まあ実戦運用してみたいとどう転ぶかはまだ分からんけどね」

 

高森は頷いた。

 

実際F-1がどの程度活躍するかは本当に使ってみないと分からないのだ。

 

その事は大森本部長も柏山准将も斉藤大将も承知していた。

 

今は有事、その力が使えるものか問われる時代である。

 

日本初の国産戦術機F-1、この機体の評価はまだ誰にも分からなかった。

 

 

 

 

-ポーランド人民共和国領 ルブリン県 ルブリン市 第1ウクライナ前線新司令部-

ヤゾフはルブリンにやってきた。

 

ポーランド攻勢においてソ連軍が一番最初に奪還した土地であり、1年ほど前はほぼ更地に近い状態だった。

 

それをソ連軍と多くの労働者達が街を蘇らせ、前線司令部が設置可能な程度には街を蘇らせた。

 

とはいっても戦前のルブリンとは程遠い光景がそこにはあった。

 

建物は殆どがプレハブであり、かつてのルブリンの街並みが戻ったとは到底いえぬ有様である。

 

全てBETAに奪われた、ワルシャワもポズナンもチェンストホバもヴロツワフも、かつての街並みを覚えているのは1973年の惨劇を生き延びたポーランド人だけだ。

 

彼ら彼女らの多くは祖国奪還の為、復讐の為に兵士となり軍務に服した。

 

祖国を取り戻した後もその気概は変わりなく、国境地帯の防御を続けている。

 

ヤゾフの乗る航空機が降り立ったのは旧ルブリン空港の跡地、現在は防空軍の航空基地がある場所である。

 

そこから市街地まで車で移動し、司令部に入った。

 

ルブリンの司令部はキエフの司令部と比べるとそれほど豪勢ではなかったが当然文句はない。

 

むしろヤゾフは野戦指揮所でも構わないといった面持ちである。

 

どこであろうと小銃を持って地べたを這いずり回り、泥水を啜ってでも戦い抜いた若い頃よりはずっといい環境にある。

 

早速司令部に入ると先にルブリンで準備をしていたモイセーエフ大将やゾロトフ少将らが敬礼して出迎えた。

 

「お待ちしておりました同志元帥」

 

「ご苦労だったな、状況は」

 

「BETAの大規模攻勢の報告はありません」

 

「よろしい」

 

報告を聞いてひとまず安堵し、ヤゾフは新しい司令部の作戦室に入った。

 

先に送っていた地図や報告書、資料や機材は全てここに運び込まれており、参謀達が待機していた。

 

ヤゾフはキエフの司令部と同じように地図を見下ろして参謀達から話を聞いた。

 

「予定されていた各部隊への物資輸送は全て完了しました」

 

「白ロシア前線でも同様に全ての手配が完了したそうです」

 

1982年、ソ連軍は南欧での北上作戦に加えて、ポーランド方面からの南下作戦も計画していた。

 

最終的な東欧全体の奪還は1983年を予定しており、今年1年のうちにチェコスロバキアを奪還し、ハンガリーに突入する予定でいた。

 

国連軍も中東攻勢を完遂させ、残るBETAの領域はアフリカと欧州のみとなっていた。

 

尤も国連軍の攻勢は1983年スタートを予定していた。

 

兵力の転用や物資の再生産、参加する各国家の状況を鑑みても1983年スタートは厳しいという見通しだからだ。

 

BETAという未知の敵に対して万全の状態で戦う為にも全ての準備はしっかりとやっておきたかった。

 

「情報部長、前線の詳細なBETAの状況を」

 

ヤゾフはラディーギン少将に尋ねた。

 

彼はGRU出身の情報将校で、宇宙軍の偵察部隊と密接に連絡を取っていた。

 

「戦闘回数は小規模なものが過去1週間合わせて10回、いずれも小隊、中隊規模の攻撃です。BETAの配置ですが相変わらずですね、オストラヴァからプルジェロフの間を塞ぐように部隊を配置しています」

 

ラディーギン少将は地図を用いて説明した。

 

BETAは定期的にオストラヴァから部隊を展開し攻勢をかけており、逆に周辺には逆侵攻を阻止する為に突撃級、要撃級を主力とした防衛網が構築されていた。

 

これを突破するのは通常戦力だと中々厳しいだろう。

 

加えてチェコスロバキアはカルパチア山脈が双方重戦力の投入を阻んでいることからポーランドのような全面強襲突破もまた厳しかった。

 

「では予定通り、陽動を用いて戦力を分散させ、第3親衛戦車軍で突破という寸法だな」

 

「はい、ゲラシモフ上級大将、イヴァノフ上級大将、ザルディン大将の各軍司令官は皆準備万端だと言っておりました」

 

ボリス・イヴァノフ上級大将、ユーリー・ザルディン大将は第1ウクライナ前線隷下の第3親衛戦車軍、新しく配属された第9親衛軍の司令官である。

 

2人ともヤゾフと同じく大祖国戦争を戦った歴戦の強者であり、イヴァノフ上級大将はBETA大戦初期にハンガリーに駐屯していた南部集団の司令官であった。

 

「では後は国防省からの通達を待つだけか」

 

「その件ですが国防省からの命令が来ました。白ロシア前線、第1ウクライナ前線は2月15日より攻勢を開始せよだそうです」

 

「2月か、ちょうど去年の攻勢が始まったタイミングに近いな」

 

ザーパド作戦は2月14日に始まり、今回の攻勢はそれの1日後に行われる。

 

「第9親衛軍とチェコスロバキアの第1軍の様子はどうだ」

 

「練度は高いと思われます、内情に関してはこれを。ステクリャル中将が前線司令官宛にと渡してきました」

 

ヤゾフはバリィーニキン少将から書類を受け取ると軽く見てすぐにテーブルに置いた。

 

練度さえしっかりしていれば問題ない、今更BETAに与する者などいる訳がないとヤゾフは信じていた。

 

「では全軍に通達、第1ウクライナ前線は2月15日より制定された攻勢作戦を開始。プラハ・ハイヴまでの突破口を切り開け」

 

モイセーエフ大将を始め、参謀達は敬礼した。

 

その後ルブリンの新司令部から始めて各軍に対しての命令が通達された。

 

次の攻勢作戦までそれほど時間の猶予はなかった。

 

 

 

 

-ソ連領 ロシアSFSR モスクワ州 首都モスクワ ソ連軍参謀本部-

きっかけはある情報総局の将校が発端だった。

 

ソ連軍は第1ウクライナ前線と第2ウクライナ前線がポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニアの国境線防衛を担当していた。

 

今となってはこのうちのポーランドが奪還され、ルーマニアも国境の脅威は消失し、残るはチェコスロバキアとハンガリーだけである。

 

基本的にBETAの主力が大挙するのはポーランド国境であった。

 

カルパチア山脈を超える場合、BETAも大型種は苦戦し著しく機動力が落ちる。

 

度々異動が確認されたがその都度核攻撃を喰らって壊滅していた。

 

そのせいでBETAも学習したのかザーパド作戦以降カルパチア山脈を超えてBETAがやってくることはほぼなくなった。

 

稀に戦車級が押し寄せてくることがあるが大した問題はない。

 

だが最近はいよいよその戦車級すら見なくなった。

 

国境線沿いが平和なのはいいことだが、あまりに平和過ぎた。

 

これに疑問を持ったGRUの少佐が軍事測量局の人間を何人か借りて宇宙軍の偵察衛星も駆使して調査を開始した。

 

名はニコライ・ロベンシュク、カザン・スヴォーロフ軍事学校、モスクワ高等諸兵科連合指揮学校を卒業しやがてGRU所属となった。

 

彼は優秀であったが同時に天才肌でもあった。

 

一度気になったことは意地でも調べ上げるタイプであり、彼をGRUに引き入れた先輩情報将校はそこをプラスと考えていた。

 

尤も調査に付き合わされる側からすれば堪ったものではない。

 

ボリス・エゴロフ少佐とアフマト・アルスコフ中佐は昨日から一昨日から寝ていなかった。

 

国境周辺の調査に付き合わされて丸2日衛星画像との睨めっこを続けていた。

 

衛星画像にも解像度というものがある。

 

彼らが見ていた画像はこの時代における最高峰のものでハイヴほどの大きさならはっきりと目視で確認出来た。

 

問題は規模と範囲である。

 

ウクライナ・ソビエトとチェコスロバキア=ハンガリーの国境は約177キロメートルにも及ぶ。

 

そこから半径数十キロに加えて変化の確認なのだから1年とは言わないまでも数ヶ月分のチェックは必須だ。

 

結果彼らは徹夜して祖国に奉仕せざるを得なくなった。

 

エゴロフ少佐もアルスコフ中佐も意識はほぼ抜けかけ、無意識下で職務を遂行していた。

 

これなら日本の斯衛軍とかいう連中をもう一度視察しに行った方がマシだとアルスコフ中佐は思っていた。

 

唯一まともに意識があったのはロベンシュク少佐だけだった。

 

ちなみにエゴロフ少佐とロベンシュク少佐はモスクワ高等軍事学校の同期であり、アルスコフ中佐は3つ上の先輩であった。

 

「絶対に何かあるはずなんだ……出なけりゃBETAが浸透強襲すらしてこないなんておかしい…!」

 

そう言ってロベンシュク少佐は衛星画像を凝視した。

 

「なあニコライや……そろそろ昼休憩にしよう……」

 

「先輩とボリスは休んでていいですよ、私はもう少し……」

 

その瞬間、ロベンシュク少佐はあることに気がついた。

 

変化に気づけたのはBETAの攻撃が弱まり始めていた1981年後半からの画像である。

 

画像にすれば1センチもないような点が妙なところに位置していた。

 

明らかに画像の汚れでも眼精疲労でもない、確かに存在している。

 

何より少佐はこれと同じ光景をどこかで見たことがあった。

 

「先輩、これの画像元はどこですか?」

 

「ああ……えっと、衛星の位置からしてチェコスロバキアの……だめだ眠いわ」

 

「眠くない」

 

そう言ってロベンシュク少佐は彼を強請った。

 

隣でエゴロフ少佐は半ば死にかけていた。

 

「チェコスロバキアの元々コシツェがあった場所だな、そこの地図と照らし合わせてみろ」

 

指差してアルスコフ中佐は作業に戻っていった。

 

少佐は言われた通り急いで確認作業に入る。

 

スロバキア側に位置するコシツェは大体直線上でポーランドのルブリンと同じ位置にあった。

 

ルブリンですらほぼ都市が跡形もなくなっていたのにコシツェだけが僅かに建物が残るなんてことあり得るだろうか。

 

少佐は更に確認の為に急いで軍事測量局内の保管庫に向かった。

 

軍人手帳を見せればほぼ顔パスに近い状態で保管庫の資料を閲覧出来た、GRUの顔の広さ、ひいては組織を大きくしてくれたイヴァシュチン上級大将に感謝だ。

 

ロベンシュク少佐はBETA関連のある資料を見た。

 

かつてGRUで行われた対BETA教育の一環で見せられた資料でよく似た光景を目にした。

 

ハイヴだ、あれはハイヴに似ていた。

 

無論一般的にこの地球上に存在しているハイヴではない。

 

ハイヴも最初から巨大な地下構造があって巨大上部構造があるというわけではない。

 

長い年月をかけてハイヴは発展していく。

 

その最初の段階がコシツェの点にそっくりだった。

 

「あった……これだ……」

 

ロベンシュク少佐はその資料の元を見つけた。

 

すぐに持ってきたコシツェの衛星画像と見比べ、確信を得た。

 

急いでこの情報を伝えなければ、今はなぜ見逃していたのかよりも伝えることのほうが重要だ。

 

この日、コシツェ・ハイヴの存在がソ連軍参謀本部に認識された。

 

 

 

 

 

 

同じくモスクワ、ジェーツキー・ミールの隣にあるルビャンカビル。

 

KGBの将校達が勤務しているこの場所には様々な情報が集まっていた。

 

例えば”協力者”となった者からの情報提供資料など。

 

「”翻訳家”からまた来たそうですね」

 

KGB第1総局”S”局第2部長プラクシン大佐はそう呟いた。

 

彼が管轄するS局第2部は文書管理を担当しており、”翻訳家”とあだ名されるエルヴィン・エルターからの情報提供は彼らが保管していた。

 

「惜しむらくは他の同業者を知らんということだがね、まあ当然か」

 

「一本尻尾を捕まえられただけでも十分ですよ」

 

ドロズドフ中将は新しくエルターから送られてきた資料を眺めた。

 

基本的にエルターから得られる情報はほんの一部分であり、組織や行動の全体図を把握するにはもう少し”協力者”が欲しい。

 

現在その為にシュタージに何人かベルリン派に組するスパイを送っているが工作は難航している。

 

その為エルターの情報は僅かながらも貴重であった。

 

「少なくとも”()()()()”とドイツ支局が奴らを一度拘留するだけの情報は手に入れたのだし、まだ焦る時でもないだろう」

 

副局長のニコライ・エフィモフKGB少将は冷静そのままの声音で持論を述べた。

 

彼らがいう”フィルマ(Фирма)”というのはコードネームであり、S局に属するF部のことを指す。

 

F部の任務は金融、経済に関する諜報であり、表向きは全ソ連商工会議所ということで貿易などで活動しつつ情報収集に勤しんでいた。

 

ちなみに全ソ連商工会議所のトップであるエフゲニー・ピトヴラノフは元KGB中将、アンドロポフの腹心の1人である。

 

そんな彼らが手に入れたのはベルリン派に関する金銭面での黒い部分であった。

 

経済と予算の防諜を行った結果、若干だが資金洗浄と中抜きの痕跡を発見した。

 

よくよく調べれば関わっていたのはベルリン派の何人かの関係者であり、彼らを弱体化させるのに十分な証拠を得た。

 

それに実際焦る時ではなかった、エルターからの情報を考慮してもベルリン派はまだクーデターの準備段階であった。

 

同時にベルリン派が既に手を打ち始めているのも彼らは知っている。

 

そちらはなんとかして事が起こる前に対処せねばならない。

 

「しかし、そうもゆっくりしてられる。CIAが態々忠告してきた件もある」

 

”フィルマ”から送られてきた資料をテーブルに置き、ドロズドフ中将は立ち上がった。

 

彼の執務室においてある報告書のファイルを取り出し、それをテーブルに広げた。

 

そこには1枚の写真とまだ仮称であるが彼の名前が書かれていた。

 

「”()()()()()()()()()()”、CIAから与えられた名称だ、実際に名乗っていたらしい」

 

ドロズドフ中将はその名前を読み上げた。

 

フォン・タボリツキー、狂気を薄ら纏った風貌に特徴的な髪型。

 

CIAが名指しで警戒を促してきた人物であるが当のKGBとしては今まで名前すら出てこない謎の人物にある意味で驚愕した。

 

誰も知らないのである。

 

少なくとも革命期に防衛した臨時政府や白軍関係者でも名前を聞いた事がないし、裏切り者のロシア解放軍でも同様だ。

 

されど現状S局の調査内容では彼がロシア人であることはまず疑いようのない事実であった。

 

曰く彼はドイツに住んでいる、或いは住んでいたらしいがそれ以上のことは分からない。

 

「現状ウラジーミル・ナボコフ殺害事件でしか情報はヒットしない」

 

エフィモフ少将はそう断言した。

 

「やはりか……エージェントや支局の方からも同じことを言われた。精々新しい情報は元ナチ党員くらいだ」

 

「他の公文書管理組も難航してるそうです、仮にこの人物が革命期前後の人だとするとこの時代の資料ってだいぶ失われましたから」

 

難航しているとはいえ情報は集まりつつある。

 

少なくともウラジーミル・ナボコフ暗殺未遂事件でこのフォン・タボリツキーという人物が逮捕され、勾留されているのが調査で判明した。

 

そこから辿ればもう少し鮮明な情報が露わになるのかも知れない。

 

判明にはまだ時間が掛かりそうだ。

 

「何をしでかすかはまだ分からんが銃後の維持は我々の任務だ。戦争に勝つまでは我々がどんな手を使っても状況を維持しなければならない」

 

その場にいる面々に向かってドロズドフ中将は言葉をかけた。

 

「ベルリン派、フォン・タボリツキー、全て我々で秘密裏のうちに処理するぞ」

 

1982年、ソ連軍が攻勢を始めようとする裏でまた暗躍が始まっていたのはこの時はルビャンカの者以外殆ど誰も知らない。

 

前線と銃後でそれぞれの戦いが始まろうとしていた。

 

 

つづくかも

*1
実は史実だと米機好きの航空J隊

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