マブラヴ グレートパトリオティックウォー 作:Eitoku Inobe
われの死者はここに残さない
友たちは互いを置き去りにしない
選ばれた友は、運命など忘れている
さもなくば戦えぬ
-”道”より抜粋-
2月15日、オストラヴァ突破の為に第1ウクライナ前線は攻勢作戦を開始した。
実はこの時白ロシア前線も行動を開始していた。
まず第10軍とポーランド軍第2軍が各所で浸透強襲を仕掛け、BETAを引き付けた。
ポーランドとチェコに跨るカルパチア山脈を野戦軍で突破するのは中々難しい。
だがそれはBETAとて同じ、むしろBETAこそ大きな制限が入った。
理屈は不明だがBETAは何故か山岳部よりも平地を好んで移動経路に使う。
基本的にBETAが山岳地を大群で一挙に移動するというケースはあまり見かけない。
移動する際も隊列を狭めてでも開けた街道などを通ろうとするのだ。
この習性はかなり早期からソ連軍は認知していた。
チェコスロバキア撤退戦の折、こうしたBETAの習性のおかげで遅滞戦闘が取りやすく時には逆襲して避難の時間を稼げた。
今回もその習性を利用してBETAの頭数を減らした。
各部隊が浸透強襲を仕掛けてBETAを引き寄せた後にそれを砲火力、場合によっては戦術核を用いて叩き、これを撃滅した。
こういった場合の戦場で特に活躍したのがBMPTと呼ばれる車両であった。*1
BMPT、本来ならこれが誕生するのはもう少し未来の話である。
本来なら起こり得たアフガニスタンで得た山岳戦の知見をフィードバックして計画されたものである。
BETA大戦の前期、ソ連軍はチェコスロバキアとルーマニアの山岳地帯で戦う経験が多かった為「山岳でも戦える戦車が欲しい」というコンセプトから開発された。
車体はT-72のものを使い、上部にはAGS-17グレネード・ランチャーと100mm 2A70 ガンランチャー、そして2A40 30mm機関砲を搭載。
100mmの砲は要撃級を砕き、30mm機関砲は戦車級の身体を容易く打ち破った。
こうしたBMPTに合わせて1981年後半から配備が始まった最新鋭のBMP-2らと歩兵が共同して各所でBETAを打ち破る。
しかも頭上には戦術機が定期的に援護に来る為、不安や心配は皆無だった。
また、今回の山岳戦の為に
彼らは険しい山道を小銃と対戦車ミサイル、LMGを持って登り切り、その上で戦闘に参加した。
9K115”メチス”で戦車級を撃破し、各所でゲリラ的に奇襲を仕掛ける。
当然山岳部まで追ってくるBETAはいるのだが少数であり、彼ら優秀な山の兵であれば対処出来た。
正面ではBTRやBMPに乗った自動車化狙撃兵達がBMPTやBMP-2らの支援を受けて敵を引き寄せている。
当然稀に突撃級なども来襲するがそうした相手は戦術機と戦車隊の出番だ。
T-72BやMiG-23、MiG-27が突撃級を撃破し、場合によっては突撃級の死骸が邪魔でBETAが前進出来なくなっていた。
そこへBM-27”ウラガーン”らのクラスター弾が叩き込まれて周囲のBETAは沈黙する。
こうした嫌がらせと陽動はザーブルジェ周辺で行われ、BETAの注意をそちらに引き寄せた。
この時点のBETAの損害はまだそれほど大きくなかったが、それでも1個軍は釘付けになり、増援として数個師団の襲来が確認されていた。
この時点で2月19日、4日ほどは陽動に費やした。
この頃になると第1ウクライナ前線の方は第1親衛軍がオストラヴァを一度奪還しBETAを引き寄せ始めていた。
作戦計画では第1ウクライナ前線がオストラヴァ周辺のBETA野戦軍を撃滅している最中に白ロシア前線が突破を開始せよという指示であった為、白ロシア前線はまだ本腰を入れた攻勢を行なっていなかった。
前線司令部のポズナンではまだ緩やかな雰囲気が流れていた。
司令官アフロメーエフ元帥は落ち着いた様子で各所の戦況が添付された地図を眺めていた。
無論各所で前進はしていないが確実に守備戦力のBETAは削れていた。
「同志元帥、宇宙軍からの偵察情報届きました」
ヴァシロ少佐が書類と共に敬礼して作戦室に戻ってきた。
すぐにアフロメーエフ元帥はガシュコフ大将と共に報告書に目を通した。
陽動作戦はかなり上手く行っているようで敵の主力はオストラヴァに集結しつつあるが、同時にザーブルジェ山地周辺にも敵の守備隊は集まりつつあった。
この報告書を見たガシュコフ大将は元帥にあることを提案した。
「そろそろ第7戦車軍を突入させましょうか?」
白ロシア前線隷下の第7戦車軍はバウブジフ周辺に待機させてある。
第7戦車軍は第48軍、第50軍と共にツィッタウから進撃してズデーテン山地を突破する用意があった。
当然山岳地帯である為ウクライナやポーランドのように戦車を動かすことは難しい。
それでもBETAの大群と戦うのに戦車軍の力は必要であった。
アフロメーエフ元帥は少し考え一先ずの答えを出した。
「いや、後1日、いや2日様子を見る。ヤゾフ元帥が連中の野戦軍を完璧に引き寄せたと確信を持てるまで進む訳にはいかん」
BETAの価値基準がどうなっているかは分からないが少なくとも陽動の第1ウクライナ前線が作戦を完遂するまで攻勢に出る訳にはいかなかった。
ここで攻勢に出れば敵の主力部隊が白ロシア前線の方に食いつき、攻勢が停滞する恐れがある。
タイミングというものは非常に重要であった。
「コズロフスキー大佐、ポーランド軍と第10軍はまだいけるか?」
「はい、損害は想定より低いです。ですがBETAの集中具合からして後2週間すればかなり厳しくなると思われます」
実際第10軍とポーランド軍第2軍はよく敵を押さえていた。
少なくともチェルヴェナー・ヴォダでは2個旅団ほどのBETAが消失しておりドゥシュニキ=ズドルイでは4個旅団ほどのBETAが進軍中に砲を喰らって撃破されていた。
白ロシア前線の担当地域でも戦車級を移動手段とした光線級の姿が確認されているが12秒というクールタイムの壁を超えない限り、ソ連軍の集中砲火は抑えられない。
特に後方の要塞級の損害が凄まじく、ベェロヴェスからレヴィン・クウォツキまで無傷で辿り着けた要塞級はいないと言われるほどだ。
また要塞級や突撃級のような大型種が撃破されると著しく後方部隊の移動を阻害する為、砲撃の的になりやすかった。
それでも死のハイウェイをBETAは特に気にする様子もなく突っ込んでくる。
損害を度外視した無停止進撃とはこれが恐ろしい。
それでもポーランド軍第2軍と第10軍は後14日は持たせられるというのが軍司令部と前線司令部の見解であった。
「では司令官達には悪いがもう暫く陽動を任せる。攻勢は後2日待て、絶好のタイミングで戦車軍による強襲突破を叩き込んでやれ」
「ハッ!直ちに各軍司令官に伝達します」
ガシュコフ大将と参謀達は敬礼し、各所への連絡に向かった。
アフロメーエフ元帥は前線司令官用に用意された椅子に座り、再び報告を待った。
司令官の仕事の1つはドンと構えることだ。
司令官がいついかなる時も動じないことが肝要だと先輩の将校達に言われた。
確かに大祖国戦争の時もBETA大戦初期の頃もそういった指揮官には安心感があった。
今や自分が安心感を与える側とは、ふとアフロメーエフ元帥は己の手を見た。
三十数年前とは違い年を取り、あの時自分が見上げていた将軍達と遜色ない年齢になった。
そして三十数年前と同じ脅威が目の前に迫っている。
昔だって守ったのだ、今だって守れるはずだ。
そうでなければあの戦争で死んだ多くの者に顔向け出来ない。
アフロメーエフ元帥は真面目な人だ、彼の人生はソ連と共にある。
この戦いとて祖国の為、負ける訳にはいかないのだ。
そしてその想いはヤゾフもペトロフ元帥も同じである。
あの戦争で生き残って今日までソ連軍に属してきた者達には為さねばならぬ使命がある。
その為に彼らは今日まで生きてきたのだ。
BETAはタイミングが悪かった。
冷戦という時代を選んだ時点で彼らは戦う前から負けていたのだ。
2月21日、アフロメーエフ元帥の判断は当たっていた。
2月20日まで第1親衛軍に続いてポーランド方面へ逆侵攻をかけようとしていたBETAの野戦軍は、突如動きを停止した。
これに対し第1親衛軍司令部、第1ウクライナ前線司令部だけでなく白ロシア前線司令部も困惑した。
もしかしたら陽動作戦は失敗したのではないか、そんな不安も現れ始めていた。
されど第10軍とポーランド軍第2軍の戦闘地域にはBETAが結集していた。
あくまで動きが止まったのは第1ウクライナ前線が担当するオストラヴァ周辺のみ、まだやりようはあった。
そこで作戦調整の為、アフロメーエフ元帥は第1ウクライナ前線のヤゾフと連絡を取り合っていた。
「同志ヤゾフ、そちらの状況はどうだ」
作戦室に有してある電話を用いてルブリンの第1ウクライナ前線司令部に連絡を取った。
アフロメーエフ元帥もヤゾフもBETAの動きに困ってはいたが焦ったり、動揺している訳ではなかった。
なるべく早く、どう対応するかを2人とも話しつつ考えている。
『第1親衛軍が対策を練っているが今のところBETAは止まったままですな。損害に関して言えば問題ないのですが』
「こちらの陽動は成功したままだ。だがまだ戦車軍の突入は控えている」
現状白ロシア前線で戦闘しているのは第10軍、ポーランド軍第2軍だけでその他の軍は待機していた。
国境線沿いのBETAに動きは殆どなく、平静を保っていた。
そこで兵力に余裕があるアフロメーエフ元帥はあることを提案した。
「どうだろう同志ヤゾフ、役割を交代して我が前線が攻勢をかけて敵を引き付け、その間にそちらがオストラヴァを突破するというのは」
実際オストラヴァを楽に突破出来ればそれに越したことはない。
元々白ロシア前線の展開地域はカルパチア山脈の影響でどうしても突破に時間が掛かる。
であれば白ロシア前線が陽動に入り、その間に第1ウクライナ前線が突破すればこちらの方が早期に終わる可能性が高い。
白ロシアかウクライナ、どちらかの前線がプラハ・ハイヴに辿り着けばそれでいいのだから。
無論これには不安もあった。
現状無傷でいる国境沿いのBETA最低3個軍を相手にしつつ、オストラヴァ方面のBETAも乗ってくるだろうか。
もしかすると両方で攻勢が破綻する可能性すらあった。
『しかしまだBETAが乗ってくる可能性があります。ここは今暫く……何?ゲラシモフ上級大将が?……わかった、本人からの言葉を聞きたい。すぐに向かうからゲラシモフ上級大将に繋いでくれ』
電話の奥でヤゾフは誰かと話していた。
どうやら解決の糸口が見つかったようだとアフロメーエフ元帥は直感で分かった。
少しするとヤゾフは先ほどとは打って変わって確固たる意思でアフロメーエフ元帥に頼み込んだ。
『同志元帥、白ロシア前線の攻勢は今暫く待ってください。現状の打開策があるかもしれません』
「分かった、決まり次第また連絡してくれ」
そういってアフロメーエフ元帥は受話器を置き、顔を上げた。
目の前には不安そうな表情で待っている参謀達の姿があった。
彼らにどう説明しようか、元帥は僅かに言葉を考え口を開いた。
「第1ウクライナ前線で動きがある、もしかしたら作戦通りいくかも知れない。我々は彼らを信じてもう暫く待とうではないか」
アフロメーエフ元帥の命令に1人、参謀のアナトリー・クヴァシュニン中佐が手を挙げた。
「成功する見込みはあるのでしょうか?」
自身も含めて多くの者が命を預けている以上どうしても聞いておきたいことである。
それに対してアフロメーエフ元帥は説得力はあるが信じるに値する言葉を述べた。
「この私と同志ドミトリー・ヤゾフソ連邦元帥を信じろ。我々は今回も勝つ、その時までの僅かな辛抱だ」
「了解、第10軍と第2軍支援の策を立てろ!後数週間はあそこにBETAを釘付けにしておくぞ!」
すぐにガシュコフ大将がアフロメーエフ元帥を信じて参謀達に命令を出した。
参謀達は敬礼し、それぞれの職務に戻った。
アフロメーエフ元帥はガシュコフ大将の隣に立ち「助かる」と礼を述べた。
「同志ヤゾフならなんとかしてくれるでしょう。我々は我々の、出来ることをやるだけです」
参謀長の発言に前線司令官は頷いた。
2月22日、第43ロケット軍による戦略核攻撃が行われ、まず前線近くのBETAが壊滅した。
これに合わせて第1親衛軍が僅かに攻勢をかけ、2月23日に敵を完全に釘付けにした。
そして2月24日、BETAの野戦軍は再び動き出した。
彼らの信頼は報われたのだ。
BETAは北上して第1親衛軍を追いかけてポーランドまで突入した。
数は3個軍と1個軍団、陽動としては十分な戦力であった。
プラハ・ハイヴの頭脳級はこの時、念の為と各軍から兵力を引き抜いて臨時の警備部隊を編成してオストラヴァ方面に差し向けた。
この時から僅かばかり吐くロシア前線の正面戦力が減り始めた。
無論この間も第10軍、ポーランド軍第2軍は戦闘を続けており、当然だが死人も出ていた。
彼らの死に足りる戦果なのかはまだ分からないが取り敢えず状況が動き出した。
2月27日、第1ウクライナ前線は第3親衛戦車軍を投入し反撃を開始した。
その頃には第43ロケット軍の本格的な核攻撃が開始され、周辺域のBETAはほぼ焼き尽くされた。
BETAの大規模部隊が消失したことにより、各所から穴埋めの為にBETAが集められた。
特に無傷な国境沿いの野戦軍から兵力が引き抜かれ、ようやく白ロシア前線にチャンスが訪れた。
2月28日、オストラヴァ方面での成功を確信したアフロメーエフ元帥は第7戦車軍及びリベレツ突破を任せられた第5親衛戦車軍に突撃命令を下した。
タイミングを合わせて2個戦車軍がズデーテン山地とリベレツを突破し敵軍を包囲殲滅、それからプラハにかけて進軍せよと命じられた。
両軍司令官のレデャエフ大将、イヴァン・コルブゥトフ大将共々この時を待っていたと腕を鳴らし、待機させていた戦車隊を前に出した。
いよいよ白ロシア前線も動き出す。
彼らの辛抱が報われる時が来たのだ。
オーダーヴィッツ、ここはかつて東ドイツの領域であった。
今では1981年にこれを奪還したNATO中央軍集団が軍政統治と復興を行なっており、丁度シュワルツコフが離任した後の第5軍団が展開していた。
そして攻勢作戦の為オーダーヴィッツにはソ連軍第5親衛戦車軍の将兵も一時的に駐屯していた。
オーダーヴィッツ駐屯はNATO、ソ連双方で割とすんなり話が通った。
元々東ドイツの領域であるしNATOとしてもチェコスロバキアを奪還して中央軍集団の負担を減らしてくれるのならありがたいことではあった。
ソ連はオーダーヴィッツや中央軍集団管轄地域への展開をドイツ民主共和国への”
政治将校、KGB将校の目が届く内ではあるがソ連兵と米兵の交流もあった。
ソ連兵は持ってきたアコーディオンを引いてウォッカを共に飲み、米兵は持ってきたコーラやハンバーガー、チョコレートをお礼に交換した。
戦時だからこそあり得た交流である。
彼らを隔てていたのは大きな壁であったが1人という人間の最小単位であれば懇意になることは出来た。
そして3月1日、こうした第5親衛戦車軍もついに出撃の時が来た。
先鋒を司る第8親衛戦車師団は各地に待機し、米軍が展開する最前線地域まで前進した。
後方からの轟音に米兵達が塹壕から頭を出して進撃する戦車隊を見守った。
攻勢開始地点のツィッタウで師団の戦車隊は停車し、命令を待った。
その間に米兵達は手を振ったり、戦車に近寄って声をかけてきた。
無論米兵もこれから何が起こるかよく承知していた為迷惑にならない範囲であった。
米兵との会話のおかげで戦車兵の緊張はほぐれ、少しはリラックス出来た。
それから僅か30分後、軍司令部から突撃の命令が出た。
指揮車両のT-80BKに乗り込む戦車隊指揮官の少佐が無線で各車両に指示を出した。
「ソヴィエト戦車兵の同志諸君、いよいよ攻勢の時が来た。我々でBETAの悪しき壁を打ち破り、プラハに赤旗を掲げようではないか!!」
戦車兵達から歓声が沸いた。
そして戦車隊は前進を開始した。
「頑張れよー!!」
「エイリアンどもの首を取ってやれ!!」
「またウォッカを奢ってくれよ!!」
第5親衛戦車軍の部隊は各地で米兵や或いはドイツ兵のエールを受けて戦地へと向かった。
この光景はたまたま現地に取材として入っていたある戦場カメラマンによって撮影され、戦時における米ソ融和の象徴として記録されている。
歓声と共に見送られた戦車隊はドイツとチェコの旧国境を跨ぎ、チェコスロバキアへと進軍した。
戦闘が発生したのはそれから13分後のことであり、戦車級数十体の部隊と激突した。
BETAの戦車級が戦車なら、1トン半も装甲車とある日本兵が冗談混じりに口にしたように装甲と火力の面では並のMBTに敵うはずもない。
有利な点は数と機動力であるがどれも後に続く支援の車両によって粉砕された。
そして上空には当然のように戦術機部隊、第11防空軍とソ連空軍の第26航空軍がそれぞれ援護に来た。
MiG-25やMiG-23、MiG-27が主力であるが中にはSu-27やMiG-29もいた。
圧倒的な機動力でBETAを事前に粉砕し、戦車隊の突破口を作る。
火力支援でSu-25が203mmや各種兵装を用いて突撃級や邀撃級を正面から粉砕し、必要によってSu-24が戦術核を投入した。
第8親衛戦車師団は攻勢開始から僅か1日でリベレツに到着し、夜間にはある兵士が突撃級の死骸に赤旗を突き立てた。
第5親衛戦車軍にはイチーンまで無停止進撃を行うよう命じられている為それ以降も攻勢は続いた。
第5親衛戦車軍の後には第3軍、チェコスロバキア人民軍第2軍が続いた。
各所に点在するBETAの残敵を掃討しつつ、戦果を拡張した。
ソ連軍のT-72Bとチェコスロバキア軍のT-72”モデルナ”が肩を並べて戦う姿はこの戦争でなければ目にすることは出来なかったであろう。
一方ズデーテン山地からも白ロシア前線第7戦車軍を第一梯団として攻勢が始まっていた。
実は第7戦車軍の方が突撃を命じられたタイミングはリベレツの部隊よりも早い。
ズデーテン山地をなんとか突破した第7戦車軍はトルトノフに到着し、部隊を再編してホジツェへ向かった。
さて一方のBETAであるが対応は後手に回っていた、最悪が重なり過ぎたのだ。
まずこの頃にはオストラヴァに展開した3個軍と1個軍団が消失しており、逆に第3親衛戦車軍の逆襲を受けておりその対処に忙しかった。
しかも丁度プラハ・ハイヴが予備兵力をある場所に移転していた為そちらの作業が優先されて兵力を回せなかった。
プラハ・ハイヴは前線を下げてハイヴ周辺で防衛戦を展開しようと画策したがタイミングが少し遅かった。
この頃にはイチーンとホジツェまで進撃した2個戦車軍と第16打撃軍、第48軍が包囲を完成させ守備の1個軍を叩いていた。
辛うじて1個軍団ほど脱出出来たが残り3個軍団のBETAは叩き潰された。
確実に縦深を確保した白ロシア前線はハイヴへ向けて攻勢を開始した。
この時点で3月12日、既に同じ頃には第1ウクライナ前線がプルジェロフからブルノに向けて進撃しつつあった。
プラハ・ハイヴは兵力の移転を行いつつ、既存兵力で反撃を開始した。
まずピーセクに予備として置いていた1個軍を第1ウクライナ前線に差し向け、レーゲンスブルク方面の国境沿いに置いていた1個軍をハイヴ内に戻した。
次にマリアーンスケー・ラーズニェ周辺に展開している国境守備の1個軍から兵力を抽出し、2個軍団を編成。
この2個軍団を現在リベレツから突破してきた白ロシア前線の部隊と戦っているBETA1個軍に加えた。
これで1.5個軍、攻勢を抑え込んで戦線を再構築するには十分な兵力であった。
そして第10軍とポーランド軍第2軍と戦っていた守備軍も徐々に戦線を下げ、新しい防御線を構築していた。
これにより第10軍とポーランド軍第2軍もチェコスロバキアに突入し戦闘に加わった。
マリアーンスケー・ラーズニェ以外の全戦線は後退して、プラハ・ハイヴから41キロ離れた地点で白ロシア前線を防いでいた。
無論これを打ち破ろうと白ロシア前線は戦線を整えて再度縦深攻撃に出た。
当然全てを使った、砲も核も全てである。
そう”
第1ウクライナ前線、白ロシア前線に続いて第三の攻勢が始まろうとしていた。
その攻勢が始まったのは1982年3月19日のことである。
NATO中央軍集団の第7軍団を主力に攻勢部隊を編成、前線でパットン4世大将の鼓舞を受けてチェコスロバキアへと突入した。
パットン4世は父譲りの汚い言葉と将兵の心を掴む能力で兵の士気を上げ、彼らを死地に送り出した。
出撃する部隊が最後の1輛になるまでその場に留まって出撃を見届けた。
パットン4世は大将に昇進し、アメリカアフリカ軍司令に移動になったクローセン大将の代わりに中央軍集団司令兼欧州陸軍司令官に就任した。
彼の隣には後任の第7軍団新軍団長、ウィリアム・J・リヴシー中将が控えていた。
2人ともベレー帽に冬用の迷彩服ジャケットを着て黒い手袋を身につけている。
リヴシー中将のベレー帽には3つ星が、パットン4世のベレー帽には大将を示す4つ星がついていた。
戦車隊、大半はM1エイブラムスだがまだM60A3パットンなどが残っていた。
戦車の後にはM2ブラッドレーやM113が続き、チェコスロバキア方面へ突き進んでいく。
このうちの何パーセントかはBETAと戦って還らぬ人となるだろう。
かつては敵であったソ連の攻勢を助ける為に彼らは死地に赴くのだ、そのことについて冷戦を生きた2人は当然思うことがあった。
「まさか、ソ連の為に兵を送るとは……」
最初に口を開いたのはリヴシー中将であった。
今や第7軍団は彼の直轄の部隊であり、当然存在としては我が子に近い。
それをかつて敵だった社会主義者達の為に戦地へ送るなど、納得し難い面はあった。
尤もこれは命令であるし、そんなことを言っていられない状況なことくらいリヴシー中将も分かっている。
「時代の流れだな、親父が見たら腰を抜かすかも知れん」
「ある意味、昔に戻ったとも言えますがね。エルベ河の時に」
「そうだな、まあ気持ちは分かる。ソ連の為にこいつらを戦いに行かせるのは癪だ、私だって同じ気持ちだよ」
パットン4世は戦いに行く兵達を見つめながら中将を宥めた。
「だがこれも巡り巡ってアメリカの為になる。この戦争を早くに終わらせる為にはロシア人だろうと助けてやらねば、世界に手を差し伸べてこそ我々の祖国アメリカは輝く」
これを極東の日本帝国では風が吹けばなんとやらと昔太平洋軍にいた部下から聞いたことがあるが、その通りだとパットン4世は己を割り切らせる為に唱えた。
アメリカは勝つ、だがアメリカが勝つ為には世界が、鉄のカーテンの向こう側の力も必要だ。
かつてナチを滅ぼした時のように、今は東のアカであろうと手を取り合うしかない。
それはソ連側とて同じだ。
イデオロギーの敵であろうと生き残る為に必要であれば笑って握手するのがクレムリンにいる男達だ。
それが大祖国戦争、フルシチョフ、数多の動乱を生き延びてきたソ連共産党の党幹部達である。
かつて1917年に十月革命を扇動したレーニンやトロツキー、数多のボリシェヴィキが持つ純粋とある種の狂気を孕んだ理想主義は失われたかも知れないが、別の強さもあった。
彼らの強さは少なくともこの戦争においてプラスに働いたと言える。
「我々が欲しいのは勝利、アメリカ人らしい勝利なのだよ」
第1機甲師団の戦車隊はチェコスロバキアのアシュに到達し、そのまま戦線を突き破った。
これが今回の作戦のために用意した第三の矢である。
M1エイブラムスとM60A3パットンがそれぞれ要撃級、突撃級を撃破し、BETAの防衛網を押し込む。
すぐに戦術核持ちのF-15やF-16が低空侵入して宇宙軍が捕捉した目標に戦術核を投入していった。
各所で優先的に光線属種が減らされ、前線の地上部隊はBETAを押し込んでいく。
CAS支援ではF-15、F-16の他にA-10が襲来し、BETAの梯団をミンチにして去っていった。
場合によってはA-10が来ずともM163ヴルカンの20mmやM2ブラッドレーの25mmによって一掃された。
車両の進撃に合わせて新たに第7軍団に加えられた第10山岳師団が山岳地からBETAを襲った。
M16A1とM60、ドラゴンⅡを持った
当然第10山岳師団だけでなく、
各所で120mm滑腔砲や20mm、25mmの機関砲の雨、TOWが飛んでいく。
その度にBETAの肉が抉られ、あるいは吹き飛ばされる。
米軍が通った後はBETAの死骸が残るか黒焦げになった何かが鎮座しているかのどちらかになっていた。
戦闘が始まれば後方の航空基地で血まみれになった戦術機を洗い、パーツを交換するのは日常と化す。
彼らが浴びる血の分だけ地球を奪おうとしたBETAに報いを与えているのだ。
元々BETAが戦力を削って2個軍団しか配備していなかったのも災いしてか前線は容易に突破された。
攻勢開始から2日でアシュからキンシュペルク・ナト・オフジー間の領域にいたBETAは殲滅され、人類の領域として奪還された。
相手はたった2個軍団、これにスペース・エアランドバトルが合わせればこうもなる。
第7軍団は米ソ双方の期待通り戦果を挙げた。
1週間のうちにBETA2個軍団は合わせて1個軍団程度まで戦力を削られ、押し込まれていった。
プラハ・ハイヴは後方からの強襲を受けてこちらの戦線も下げた。
少なくともBETAの防衛線はクラロヴィツェ=ポドボジャニ間まで下がり、集成1個軍団が一旦の守りに入った。
だがNATO中央軍集団は第7軍団に加えて第5軍団も投入しドイツ連邦軍第3軍団が側面援護に入った。
三方向からの同時攻勢、並の国家であればとうに滅んでいる。
NATO軍が押し上げている最中に白ロシア前線も攻勢の手を強めた。
もう4月に入る頃にはプラハ・ハイヴに王手が掛かっていた。
-ポーランド人民共和国領 レグニツァ県 グウォグフ市 ソ連軍航空基地-
フレツロフ少佐一行の移動は1週間ほどずれ込んだ。
彼らはオデッサからルーツクに移動した際トラブルで暫くルーツクの航空基地にいた。
無論いいこともあった、ルーツク航空基地に駐屯中にMiG-29の操縦技術を高め、技量を磨くのに専念出来た。
彼らがウクライナから飛び立ったのは3月2日のことであり、目的地であるグウォグフに到着したのは3月7日のことであった。
この頃はまだ白ロシア前線も第1ウクライナ前線も攻勢中であり、フレツロフ少佐らは一旦待機となった。
その間に少佐らはひたすら訓練を続けた。
元々高かった中隊の練度は飛躍的に向上し、精鋭戦闘航空連隊に相応しい強さを手に入れた。
そんなある日、3月19日のことであった。
朝起きて朝食を摂り、打ち合わせの為に航空基地の作戦室に向かおうとしている時だった。
朝食は黒パンに魚の切り身とボケた野菜が入ったウハー、そして水。
味気ない食事だったが腹には溜まる。
作戦室の前に何故か数人の将校達が集まって騒がしく雑談を交わしていた。
どうも作戦室はまだ開いていないらしく将校達は全員外で待っていた。
それにしては様子が変だ、全員の落ち着きがなかった。
しかも皆仕切りにフレツロフ少佐が属していた第1ウクライナ前線のことを話している。
「何事だ…?」
フレツロフ少佐が首を傾げて話を聞こうとすると後ろから彼を呼ぶ声が聞こえた。
「お前ヴィクトルじゃないか?」
振り返るとそこには眼帯をつけた傷のある空軍の少佐が立っていた。
胸にはN.E.ジューコフスキー名称レーニン及び十月革命・赤旗勲章軍事航空技術アカデミーの卒業記章とK.E.ヴォロシーロフ名称レーニン・赤旗勲章ソ連軍参謀本部軍事アカデミーの卒業記章がついていた。
そしてこうした記章の上には金色の負傷記章が取り付けられている。
フレツロフ少佐はその男を知っていた、というより同じ軍学校の同期だった。
「ロージ!お前こんなところに居たのか!」
2人は強い握手を交わし、抱き合った。
フレツロフ少佐がロージと呼んだ少佐は傷が痛むのか少し顔を顰めていたが、嬉しそうだった。
彼の名前はロディオン・ユーリエヴィチ・メデツィーニン少佐、第26航空軍の参謀の1人だ。
出身校はフレツロフ少佐と同じハリコフ高等軍事学校であり、かつては同じパイロットであった。
BETA大戦が勃発するとフレツロフ少佐やオルゼルスキー大尉と同じく戦術機の衛士に転向した。
愛機はMiG-21、MiG-23、何回かフレツロフ少佐のウィングメイトも務めた腕の立つパイロットだった。
「参謀本部のアカデミーに入ったまでは聞いていたが卒業して少佐か!」
「中佐昇進の内定が決まった、軍は想像以上に参謀を求めてるらしい」
「良かったよ、俺は絶対にお前が空軍に必要なやつだと思っていたからさ」
「足手纏いにならないよう喰らい付いた結果だ」
メデツィーニン少佐は悲しい微笑を浮かべた。
彼はかつてフレツロフ少佐にも引けを取らない優れた衛士だった。
されど丁度フレツロフ少佐が5回目の出撃時に機体が撃墜され、命は助かったが重傷を負った。
急いで軍医が手当したが後遺症が残り、もう衛士として戦うのは難しいと宣告された。
要はパイロットとしての生命を絶たれたのだ。
メデツィーニン少佐はその運命を受け入れ、大人しく空を飛ぶ仕事から身を引いた。
フレツロフ少佐や同期達は悲しんでいたが本人は諦めのいい人であった。
だが祖国に奉仕することを諦めた訳ではない。
彼は治療に専念しつつジューコフスキー名称軍事航空技術アカデミーに通い、空軍を裏から支える仕事についた。
そして第927独立戦闘航空連隊の参謀として的確な指揮支援を行い、少佐昇進と共に参謀本部軍事アカデミーを卒業した。
本来であれば30代後半の人間が入る場所であるが今は戦時、多少の無茶は通った。
それ以降少佐はパイロットとしてではなく、後方で空軍を支える参謀としてソ連空軍に残っていた。
当然フレツロフ少佐としては嬉しかった、今でもこうして同じ場所ではないが戦友と共に戦えている。
空を奪われることの恐怖や怒りを誰よりも知っているからこそ、こうして前向きに生きているメデツィーニン少佐を尊敬していた。
願わくば共にパイロットとして戦いたかったが。
「活躍は聞いてる、次もハイヴに潜るんだってな」
「最悪だよ、お前がいなくなって運が尽きた。変な相棒も与えられるし」
「いいじゃないか、多分だがデルーギンの方が今頃苦労してる」
「どうしてだ?」
フレツロフ少佐は尋ねた。
メデツィーニン少佐はフレツロフ少佐を近くに寄せて耳打ちした。
「第1ウクライナ前線、相当ヤバいらしい。スロバキア方面から来た8個軍ほどのBETAと現在戦闘中だ。一応策はあるらしいが……前線は酷いことになってるだろうな」
「第1ウクライナ前線が?」
「ああ、お前の所属先だ。今回はお前らを
1982年3月19日、ポーランドから遠く離れたチェコスロバキアの奥地でソ連とBETAの第二決戦が始まっていた。
つづく