マブラヴ グレートパトリオティックウォー 作:Eitoku Inobe
銃剣を握れよ、
その堅き手で!
我ら皆、止まる事無く
向かわねばならぬ
最後の死闘へと!
-”赤軍に勝る者なし”より抜粋-
フランス第1軍団に属する第1機甲師団のAMX-30B2とAMX-40がハノーファーに迫るBETA群を撃滅する為にブラウンシュヴァイクに向けて攻勢をかけた。
攻勢開始地点はホレ、まずここから32キロメートル離れたブランシュヴァイクの奪還に掛かる。
BETA群は移動中のBETAを援護する為に即応警備部隊を待機させており、いざ横合いから殴られても辛うじてなんとかなった。
接近するフランス陸軍のAMX-30B2は105mm戦車砲を一斉に警備の突撃級に向けて発射した。
超重突撃級ならいざ知らず、通常の突撃級ならAMX-30B2の集中砲撃でなんとかなる。
数発の105mm弾で装甲を破ると本体に105mm弾を叩き込んで撃破し、次の相手に火力を向けた。
一方のAMX-40はAMX-30B2より最新鋭の戦車であり、搭載している装備も120mm滑空砲であり1983年にはもう運用が確認されている。
冷戦期とは違いフランスはドイツの第一線の当事者となり、現状のAMX-30らの第二世代MBTでは力不足と判断されたのだ。
その結果出来たのがまずAMX-40であり、フランス陸軍は現在も最新鋭の第三世代MBTを開発中であった。
基本的にAMX-40は精鋭の戦車兵に配備され、次々と突撃級を狩っていく。
応戦に来る戦車級や要撃級に対してはAMX-10PがM693 F1 20mm機関砲で粉砕し、戦車隊への接近を阻止した。
防空の光線級も出して迎撃に出たBETA側であったがAMX-30B2が1輌と光線級1体では撃破された際の差が大きすぎる。
地上の機関銃射撃や滑空砲による攻撃に加えて、後方の砲兵隊、主にAMX-30 AuF1とM270 MLRSが同時に砲撃を叩き込んだ。
まずAMX-30 AuF1の陽動弾が光線級のレーザーを吸い、続いてMLRSのクラスター弾が周辺のBETAを丸ごと吹き飛ばした。
厄介なのはこの陽動弾である、数門ほど実弾の榴弾砲を混ぜている砲門があり、無視すればどの道光線級は榴弾によって死ぬ。
ソ連に隠れがちだがフランスも砲兵大国である、あのナポレオンだって砲兵将校から上り詰めた男だ。
砲の扱いに関してはフランス陸軍もそれなりに卓越したものを持っていた。
最悪の二択を押し付けることによってBETAを粉砕し、1個軍団の集中攻撃でBETAの側面部隊を殲滅した。
この間にも前線の装甲部隊、主に第1機甲師団の第1騎兵連隊と第6ドラグーン連隊のAMX-30B2とMAX-40は砲撃支援を受けながら側面から迎撃に出るBETAを撃滅した。
この間に戦術機部隊のミラージュF1やミラージュⅢは地上部隊を援護しつつ、可能な限り光線属種を狩った。
こうして空域が安定するとフランス空軍戦略空軍司令部は戦力の投入を決意した。
戦略空軍がミラージュⅣの代替として導入したミラージュ2000Nが
弾頭は100から300ktの熱核弾頭であり、ミラージュ2000Nはリュクスイユ=サンソヴェール空軍基地から出撃していた。
護衛として途中に通常のミラージュ2000Nが付き、前線ではフランス空軍の戦術機部隊が突入の安全地点を確保していた。
既に前衛のミラージュ2000NがAN-22核弾頭などを前線に投下して戦力を減少させており、舞台は十分整っていた。
有効射程に入ると地上の対光線属種援護射撃と同時にASMPを発射する。
光線属種がレーザーを発射して地上部隊の砲撃を叩き落とし、その合間を抜けたASMPが見事に命中した。
AN-22より4、5倍の火力を持つASMPの核弾頭が炸裂し移動中のBETA主力部隊を丸ごと吹き飛ばした。
移動中のBETAに対して叩き込まれた集中核攻撃は十分な効力を発揮し、一時的に壊滅状態に陥った。
ズタボロになったBETA集団に対して攻勢を担当するフランス第1軍団が突撃をかける。
核攻撃を受けたBETAはほぼ中隊規模、大隊規模単位で孤立し連隊規模以上の戦闘能力を維持出来ていなかった。
予想外の側面攻撃に驚いたベルリン・ハイヴは急いでハノーファーの攻勢部隊をブラウンシュヴァイクから一旦シェーンニンゲンまで後退させる決断を下した。
無論その間にフランス陸軍の機甲部隊がBETAの残敵を食い荒らしている。
ベルリン・ハイヴは一部のBETA部隊を切り捨ててフランス軍の阻止に当て、残りを全て後方へ下がらせた。
特に優先されたのは前線に展開していた最精鋭の戦術機級、超重突撃級を安全地帯へ下げて戦力を温存することであった。
今必要なのは戦力を温存して再度攻勢を行うタイミングを待つことだ。
その為には最精鋭の主力部隊が必要不可欠であり、何に変えてでも守らなくてはと理解していた。
故に後退中に側面攻撃を受けぬよう一部の離散したBETA部隊を後退させずに側面の守備に回し、前線に展開していた通常種を捨て駒にしつつ主力を下げた。
ハノーファーには一部の戦車級や要撃級が残ったままであり、戦術機級や超重突撃級は彼らを背に後退を始めた。
無論この後退を防衛を担当していたイギリス陸軍第1軍団はしっかりと状況を認識していた。
第6、第7機甲師団の中で温存していたチャレンジャー1を中心とした追撃部隊を編成し、トーネードGR.1の支援機と共にハノーファーから回り込ませて追撃を開始させた。
無論この追撃には相当数の損害が出た、チョバム・アーマーといえど戦術機級のレーザーを喰らえばひとたまりもない。
ただそれでも後退を優先させている為、追撃部隊を長期に相手することは出来ずその隙を突かれて損害を出した。
3輌のチャレンジャー1による120mmライフル砲を喰らってシールドが破壊され、後続のトーネードGR.1が155mm無反動砲を直射した。
これで装甲が完全に破壊された戦術機級であったがレーザーを放って手前のチャレンジャー1を撃破し、触手を出してトーネードも中破させる。
だがその間に別のトーネードGR.1が現れ、マーヴェリックを撃たれて戦術機級を撃破した。
別の戦術機級は追撃してきたチャレンジャー車体のマークスマン対空自走砲によって非装甲部に35mm弾を喰らってフルスペックの跳躍力を出せずにいた。
無論そのチャレンジャー・マークスマンは撃破されたが即座に後続のウォーリアやトーネードGR.1が戦術機急に火力を集中する。
度重なる戦闘で装甲は摩耗し、徐々に攻撃が防げずにいた。
これでも何輌かのウォーリアやチャレンジャーは撃破したが全方位から火力を叩き込まれ、撃破された。
後退中の超重突撃級も120mmライフル砲を連続して脚部に喰らい、1体が擱座して隊列から離れた。
その個体は火炎放射器を持ったトーネードGR.1によって焼き尽くされ、内側から熱によって破壊された。
砲撃も集中して叩き込まれ、BETA部隊の撤退を足止めした。
一番厄介かつ決定打となったのはここでもフランス軍であった。
パイネとフェッヘルデの中間地点で第1騎兵連隊と第6ドラグーン連隊、第7機甲師団の第3騎兵連隊が迫るBETA主力部隊に対して果敢に立ちはだかった。
無論戦術機級と超重突撃級が相手ではAMX-30B2やAMX-40は簡単に撃破されてしまう。
105mm弾を弾かれた後に超重突撃級から放たれたレーザー弾が2輌のAMX-30B2を撃破した。
そのまま先行した騎兵型戦術機級が前衛のAMX-30B2を蹴り飛ばして破壊し、レーザーでAMX-40を撃破すると周辺のAMX-10Pを触手で薙ぎ払って殲滅した。
迫るミラージュF1の攻撃はシールドで防ぎ、触手と合体させたランスを射出してミラージュF1とミラージュⅢを纏めて薙ぎ払った。
即座に周りの戦術機級や超重突撃級がレーザーを放って簡易対空網を設置し、フランス空軍の攻撃を防ぐ。
陸地に降りたフランス空軍の戦術機は地上のフランス陸軍と共に火力を叩き込んで牽制し、イギリス陸軍の追撃部隊を待った。
「前線部隊がBETAがBETAの主力の足止めに成功しました!」
「よし!英軍とベルギー軍が到着するまで持たせろ!どうせなら虎の子の新型も出せ!」
「いいんですか?」
「責任は私が取る、今必要なのは彼らだ」
第1軍司令官ドルビー大将の決断でフランス空軍が温存していた最新鋭戦術機飛行隊の投入が決定された。
増援の飛行隊と共にフランス空軍の最新鋭戦術機部隊が前線へ急行する。
この戦術機はまだ試験段階であったが12機は稼働状態にあり、正式な採用と運用は後2、3ヶ月という段階であった。
本来の初飛行より2年も早くロールアウトしようとしている。
その戦術機は低空飛行を続け、同時にAS30を発射して一斉に散開する。
『あの戦術機は!?』
『味方です!開発試験中のラファールです!』
後のフランス空軍主力戦術機、ラファールのプロトタイプであった。
ラファールはミラージュⅢやミラージュ2000より優れた機動力で散開して突撃砲で牽制しつつ120mm弾のジョブを放った。
戦術機級がレーザーを放って迎撃を行うが全て振り切り、戦術機級に散開させることを促した。
作戦通り戦術機級は一斉に散開して追撃し、ラファールを追撃した。
ラファールのスペックは当然だが戦術機級には及ばない、衛士達は性能差をなんとか技量で補っている。
実際1対1なら戦術機級の圧勝だろう、だが彼らには同じフランス空軍の仲間がおり、陸軍の戦友達がいた。
あるラファールを追撃している戦術機級は突如地面に叩き落とされた。
丁度ラファールが通り過ぎた瞬間を地上のAMX-40の120mm滑空砲をまず叩き込み、装甲が破られた瞬間にAMX-30B2の105mm弾が叩き込まれた。
見事な一撃で戦術機級は致命傷を負い、即座にラファールから120mm弾を叩き込まれて爆散した。
別の超重突撃級はミラージュ2000とラファールが引きつけつつ、遠方からAMX-40が連続して後部に120mm弾を叩き込んだ。
こうして完全に装甲が破れたところへAS30空対地ミサイルを叩き込んで致命打を与えた。
それでも超重突撃級は死なず、暴れ狂っているところへ120mmライフル弾が叩き込まれて爆散した。
イギリス陸軍とベルギー陸軍の追撃部隊だ。
チャレンジャー1による追撃部隊にベルギー陸軍のレオパルド1A5をつけた増強部隊が背後からBETAの主力部隊を強襲した。
ベルギー空軍の数機のF-16から同時にマーヴェリックが叩き込まれ、戦術機級は左手ごとシールドを失った。
そこへレオパルド1A5の105mm弾とチャレンジャー1の120mmライフル弾、155mm砲持ちのトーネードGR.1が同時に火砲を叩き込んで仕留めた。
ハノーファーからの追撃部隊とフランス軍の撤退阻止によって主力部隊は一時的に足止めを喰らい、身動きが取れなくなった。
しかし包囲に至った訳ではない、主力部隊はヴェンデブルク方面への移動を開始し、回り込もうとするAMX-30B2らをレーザーで薙ぎ払って突き進んだ。
だがその間に新たな攻撃の魔の手は近づいている。
イギリス軍が所有する核兵器、WE.177核爆弾を搭載したトーネードGR.1が数機ほど戦場へ迫っていた。
この頃になるとハノーファーやフランス第1、第7機甲師団の砲兵連隊からの砲撃が叩き込まれ、戦術機級や超重突撃級の迎撃はそちらに集中していた。
ここが狙い目であった。
一気に加速して前に出たトーネードGR.1はまず移動中のBETA部隊にWE.177Cを投入し、その後に後続部隊が突入して同じように核爆弾を投下した。
大きなキノコ雲が数秒間隔で炸裂し、真下にいた全ての戦術機級や超重突撃級が熱線に焼かれて死に、周囲のBETAは凄まじい衝撃波を受けた。
全てのエネルギーが使い果たされる頃にはズタボロになったBETAが残り、周囲は放射能で包まれた。
これでも主力の3、4割は辛うじて脱出出来た、基本的には損傷個体ばかりだがそれでも全滅よりはマシな結果で終わった。
しかし失ったものは大きい、通常種を核攻撃で吹っ飛ばされた上に主力部隊にもかなりの大打撃を受けた。
核で焼けた大地の上を英仏とベルギー空軍の戦術機は飛んでいく。
1984年7月11日、この日行われたBETAに対する反抗作戦は人類側もそれなりの打撃を受けたがそれでも戦線をブラウンシュバイクからフレーテまで押し戻すことに成功した。
しかも移動中のBETA群に対して有効な核攻撃を繰り出し、最も厄介であった主力攻勢部隊の一部を6、7割方削ったことだ。
こうして戦線の兵力に余裕が出た北部軍集団はブラウンシュバイクからの戦線をフランス第1軍に任せ、ギーネベルクからリューネブルク間で戦うドイツ第1軍団、オランダ第1軍団の救援に回った。
こうして兵力が転用されることにより北部軍集団全体で攻勢に対する反撃が始まり、何より厄介な戦術機級や超重突撃級の攻勢が減ったことでBETA の攻勢も安定して対処出来るようになっていた。
7月11日から3日経った7月14日、この日はフランス革命記念日でもあり、フランス軍の勝利は大いに持て囃された。
これ以降西側における北部軍集団に対するBETAの攻勢は鈍化の一途を辿っていくことになる。
失った主力部隊の回復にはかなりの月日が必要だったからだ。
そしてこの時間の優位性が人類にあることをまだベルリン・ハイヴは知らなかった。
同じく7月14日、反攻作戦はポーランド側でも始まった。
ヴロツワフを突破したシレジア攻勢部隊はオワバ周辺で阻止線を展開した第39軍と再び交戦し、7月13日の時点で戦線はドルヌィ・シロンスク県とオポーレの県境まで後退していた。
初期の攻勢地点から測るとBETAは大凡300キロメートルほど戦線を押し上げたことになる。
無論第39軍とシレジア軍管区のポーランド人民軍もただやられていた訳ではない、相応にBETAに対しても打撃を与えていた。
特にヴロツワフに突っ込んできた部隊は埋めていた核地雷を一斉に起爆して処理する前にダメージを与え、主力部隊に被害を与えた。
おかげで戦線はオポーレまで後退することなく県境で止まり、その間に第1ウクライナ前線はポーランド国内での配置を完了した。
正面に3個親衛戦車軍、第二梯団として経験豊富は第1親衛軍、第4軍、第9親衛軍が配置され、砲兵師団、ロケット砲兵旅団共にいつでも攻勢を開始出来る段階にあった。
反撃の火蓋は切って落とされた。
各軍が保有する砲兵旅団、ロケット砲兵旅団に合わせて第1ウクライナ前線直轄の砲兵師団がまず準備砲撃を加えた。
これに合わせてOTR-21トーチカ、OTR-23オカーといった戦術弾道ミサイルも投入して全域に十分な火力を投入した。
BETA側は緊急防御体系に移行して突撃級の装甲で友軍を守りつつ、光線級による迎撃を行った。
尤もほぼ8個軍の同時集中砲撃であるから所詮旅団に対して2%前後しかいない光線属種では全てを裁き切れるはずもない。
既に前線地帯まで進んでいた各戦車隊も前面の敵に向けて攻撃を開始した。
T-80BVや既に配備が始まっていた最新鋭のT-80、T-80Uも参戦していた。
放たれる125mm砲弾が前線の戦術機級や超重突撃級に叩き込まれ、後続のBMP-2からも9M113コンクルス対戦車ミサイルが放たれた。
無論戦術機級もシールドで攻撃を防ぎつつレーザーで応戦するが、砲撃の影響で手一杯となっており地上部隊の攻撃を喰らうケースも少なくなかった。
こうして正面の戦いに投入されているのは主に第3親衛戦車軍であり、第2ウクライナ前線から派遣された第4親衛戦車軍はケンプノから回り込んで攻勢をかけた。
一方の白ロシア前線から派遣された第5親衛戦車軍もプルドニクからニサへ進撃し、第4親衛戦車軍と共に左右双方から戦車による圧力をかけた。
支援には第17航空軍、第8防空軍、第2防空軍の戦術機部隊が加わり、犠牲を出しながらも戦車隊が進める環境を作り出した。
同時に対地支援を行っていたポーランド人民空軍の存在も忘れてはならない、ポーランド人民空軍のMiG-23MFもソ連空軍と共に地上支援を行い戦果を出していた。
特に活躍したのがポーランドに配備されていたMiG-29であった。
ソ連はソ連空軍に対するMiG-29の配備がひと段落すると前線地域となる可能性が高いワルシャワ条約機構の諸国空軍に対してもMiG-29の配備を始めた。
この時まず候補として上がったのがポーランド、東ドイツ、チェコスロバキアであった。
ベルリン・ハイヴに近く、その上で飛行場などの再建も粗方済んでいた国々である為候補として優良とされた。
まず選ばれたのはポーランドであり、次点でチェコスロバキア、東ドイツは戦力とベルリン派事件を考えて後回しになった。
こうした最新鋭戦術機の配備は本国の空軍に対する配備と同時に行われ、1983年にはポーランド人民空軍の衛士達にMiG-29の転換訓練が施された。
それと同時に整備士や運用する将校らにも講習が開かれ、MiG-29を運用出来る部隊が作られていった。
現在ポーランド人民空軍ではステファン・パヴリコフスキ准将名称”ワルシャワ”第1戦闘航空連隊とヴィエルコポルスカ蜂起の反乱者名称第62戦闘航空連隊にMiG-29は配備されていた。
MiG-29に乗り込むポーランド人民空軍の衛士達は1981年のザーパド作戦も生き延びた精鋭であり、当然腕は良かった。
編隊を組んで共同戦を仕掛け、地上のポーランド人民軍と息のあった戦いを披露した。
その間にローシク元帥率いる第4親衛戦車軍は19キロメートル離れたクラシュフまで突破し、BETA群を蹴散らした。
攻勢の都合上BETA側も前線戦に数個飛行隊分の戦術機級や数個戦車連隊規模の超重突撃級を回すことは出来ない、必ず通常種で攻勢を進めている部隊があった。
そこが狙い目だとローシク元帥は踏み、全力を持って一気に攻勢をかけた。
第4親衛戦車軍の第一目標は攻勢開始地点から凡そ62キロ先のトシェブニツァまで前進すること、第二目標はトシェブニツァから60キロ前後先のルビンまで前進することであった。
これは事前に3人の戦車軍司令官で決めたことであり、第4親衛戦車軍はルビンまで前進し、第5親衛戦車軍はレグニツァまで前進して主力部隊を孤立させることにあった。
正面の第3親衛戦車軍は第39軍、ポーランド人民軍シレジア軍管区の戦力と共に少しずつ前に進み、シレジアにおけるBETA攻勢勢力を確実に叩くことだった。
前線のT-80BVやT-80Uが立て続けに接近する突撃級や要撃級を打ち倒し、後続のBMP-2やツングースカが機関砲で小型種を殲滅して前へ進んだ。
戦車隊の後続には必ず支援のZSU-23-4シルカやBMP、BTR、2K22ツングースカが続いていた。
こうしたツングースカやシルカは前線の小型種掃討の他にも接近してくるかもしれない戦術機級の監視も行っており、待機中のソ連防空軍部隊と共にいざという時に備えていた。
第4親衛戦車軍はその日のうちにオレシニツァに到着した。
夜間中に歩兵部隊による市街地奪還作戦が行われ、翌日の7月15日には燃料補給を終えた第4親衛戦車軍が動き出して前進を開始した。
第5親衛戦車軍もゾンプコヴィツェ・シロンスキエまで前進し、7月15日には奪還を宣言した。
同親衛戦車軍は次にジェルジョニュフへの前進を決断し、レグニツァに向けて少しずつ前進していた。
この中だと一番進んでいないのは第3親衛戦車軍になるが敵の主力部隊を拘束しているという時点で十分な戦果を挙げていた。
オワバでの戦闘は辛うじてシェフニツェ辺りまで押し上げられ、戦車を用いた機動防御によってBETAも中々前に進めずにいた。
それでも第3親衛戦車軍が受ける損害は他の戦車軍より圧倒的に大きい、既に何輌ものT-80が破壊され、無惨に転がっていた。
各親衛戦車軍の後ろには第1親衛軍、第9親衛軍が続き、戦車軍がこじ開けた突破口を広げて戦果を拡張していた。
一方の正面に展開する第4軍だけは第39軍と共に共同戦線を展開し、前線地帯を守り続けていた。
第5親衛戦車軍担当地域ではBETA側がこれ以上の進撃はまずいとそれなりの規模と数の阻止部隊を展開してきた。
超重戦車級が人類側の戦車隊換算で1個中隊、これに通常の突撃級らを混ぜた師団規模BETA群で地帯戦闘を開始した。
当然だが真っ向からのスペックではT-80Uを持ってしても超重突撃級には勝てない、恐らく100年後の技術がないと真っ向から打ち勝つのは難しいだろう。
だがローシク元帥と第4親衛戦車軍は実戦も経験した戦車戦闘のプロフェッショナル集団である、対策は幾らでもあった。
超重突撃級集団が現れた場合は無理に前進せずに防御へ移行し、その間に別の戦車師団が側面から火力を叩きつけて師団全体に打撃を与えた。
確かに正面突破は難しい状況にあったがウォジナから圧力をかけた第78戦車師団のおかげで7月16日には防衛線が瓦解し、1個中隊分の超重突撃球含めた守備隊が撃破された。
この間ヴロツワフから迫る旅団規模BETA群は第342自動車化狙撃兵師団が防ぎ切り、戦車軍の前進と共に後続の第1親衛軍の支援を受けてこれを撃破した。
7月17日、第4親衛戦車軍はついにトシェブニツァの突破に成功した。
破壊された市街地は第439自動車化狙撃兵師団が奪取し、戦車師団の主力は次の目標地点であるルビンへの前進準備を始めた。
同じ頃、第5親衛戦車軍は7月16日の時点でシュフィドニツァに差し掛かっており、7月17日からはストシェゴムに向けて前進を開始していた。
第5親衛戦車軍担当地域のBETAは第5親衛戦車軍と対決するだけでなく、白ロシア前線とも交戦を続けており、カルパチア山脈では幾つかの戦力が山を越えようとしていた。
無論山岳戦では人類側に分があり全て防がれていた為、悪戯に二正面戦闘を行う結果となり、それが突破を招いた。
ストシェゴムを制圧すればレグニツァまで僅か28キロメートルであり、作戦の終わりが見えていた。
若干人類側の意図が見えてきたベルリン・ハイヴはこれ以上の接近阻止の為に2、3個軍団を投入して第5親衛戦車軍を防いだ。
結果第5親衛戦車軍はストシェゴムに到着する前に手前のスタノヴィツェで一時的に膠着し、攻めあぐねていた。
だがBETAの兵力とて無限ではない、こちらが立てばあちらが立たぬという様相で正面の戦線に展開する第3親衛戦車軍と第4親衛戦車軍が前進を開始した。
第4親衛戦車軍の前にも当然守備兵力が展開しており、まだ余裕のあるルブリン方面から戦術機級の緊急展開部隊が投入された。
だが司令官たるローシク元帥は顔色ひとつ変えることなく攻勢を続行、第439自動車化狙撃兵師団には側面防御の隊形を取らせつつ、残りは全て前へ出した。
7月18日にはボウウフに第1親衛戦車師団が到着、展開するBETA1個師団を粉砕して工兵隊と共にオーデル川の手前まで前進した。
18日から19日の明け方にかけて第4親衛戦車軍は夜間の架橋作業に入った、今は少しでも時間が惜しいのだ。
ルブリン方面から迫るBETAは第439自動車化狙撃兵師団と機動防御に入った第408戦車師団がなんとか防いでいた。
戦術機級はソ連防空軍の戦術機部隊が必死で食い止め、その間に第1親衛軍が援護に入って迎撃を行った。
この中でも特筆した戦果を挙げたのがベレンコ大佐の部隊である、多少の損害を受けながらもベレンコ大佐は共同で3体の戦術機級を撃墜した。
一方正面では夜間の架橋作業が続けられ、7月19日の午前6時には戦車が通り抜けられる橋が完成した。
シチナヴァから第1親衛戦車師団が突入し、いよいよルビン近郊での戦闘が始まった。
ここでも激戦が続き、第4親衛戦車軍がルビン全域を支配したのは7月20日の夕方であった。
だがそれが丁度よかったとも言える、この間に第5親衛戦車軍はかつての所属先であった白ロシア前線の支援を受けてストシェゴム前面の守備戦力を撃破、7月19日にストシェゴムを占領した。
後は最終目標のレグニツァ前進であり、第5親衛戦車軍は2日間に渡る戦闘の末レグニツァを占拠、第4親衛戦車軍とはプロホヴィツェ、コフリツェで合流した。
こうしてヴロツワフ後方の後退経路が絶たれ、ヴロツワフ前面で戦うBETA群は孤立してしまった。
完全にベルリン・ハイヴの失策である、突破部隊は戦術機級や超重突撃級の集団で防げるだろうと考えて前衛の部隊を後退させていなかった。
7月21日が来る頃にはもう手遅れとなり、後退しようと動き出していたがもう遅かった。
待機していたSu-24や地上のトーチカ、オカーらが孤立したBETA群を狙った。
熾烈な核の集中投下と3個親衛戦車軍による攻撃でヴロツワフに展開していた1個軍規模のBETAは多数の戦術機級や超重突撃級と共に壊滅した。
これで1個軍、今までの突破で失ったBETAを合計すれば2個軍の損失であり、シレジア攻勢部隊の戦力は半減し、これ以上の攻勢は不可能となった。
せめて戦術機級や超重突撃級の集中投入による後退を7月19日の時点で出来ていれば良かったのだが今更何を言っても遅いだろう。
ベルリン・ハイヴのシレジア攻勢は破綻したのだから。
時間は10日ほど遡り7月11日に戻る、フランス軍が攻勢をかけているのと同じ頃にドイツ北部でも在独ソ連軍が動き出していた。
第1親衛戦車軍、第20軍をそれぞれ第一梯団、第二梯団とし、攻勢はパーゼヴァルクから始まった。
攻勢の第一目標はグラムツォー=ペンクン間を突破すること、最終目標は可能であればピノまで突き進んで完全にBETAの移動経路を断つことであった。
海上に展開したソ連海軍バルト海艦隊の支援を受け、第1親衛戦車軍が突撃を開始した。
第1親衛戦車軍は2個戦車師団、1個自動車化狙撃兵師団によって構成されており、T-80を787輌有していた。
第308砲兵旅団と第432ロケット砲兵旅団が前線地帯に火力を叩き込み、砲撃後に大量のT-80BVが突撃を開始する。
第1親衛戦車軍の前面には超重突撃級や戦術機級もいたが正面で戦う第8親衛軍や第3親衛打撃軍に比べればまだ数は少ない方である。
故に第1親衛戦車軍は止まらなかった、仮に3、4輌のT-80が撃破されても残りの戦車中隊が戦術機級を撃破すればそれでいいという考え方で突っ込んでいった。
実際犠牲を最小限にして勝つのは戦場のセオリーであり、致し方ない犠牲であった。
一度戦争が始まってしまえば人死が出ることは避けられない、後はどれだけ増えるかの違いでしかない。
そして司令官達は仮に同胞に近い将兵を何千人か死なせても前に出ることが必要なのだと決断した、一度命令として決断された内容は取り消されるまで永遠と生き続ける。
第1親衛戦車軍は多少の損害を受けながらも第16航空軍のMiG-29の支援を受けて戦術機級や超重突撃級を撃退に成功した。
メクレンベルク・フォアポンメルンとブランデンブルクの州境を突破したのは7月12日、そこから1日経つ13日には4キロほど前進したクロッコーに到達した。
丁度7月11日から14日にかけての戦闘が今回の攻勢では最も苛烈であり、激しい状況が続いた。
ここが天王山とも言える戦いであり、この戦いに勝利したのは在独ソ連軍であった。
2個軍の砲火力に合わせて第16航空軍のMiG-27がFAB-500を8発ほど搭載して前線地帯に投入し、Su-24が戦術核を後方に投下して一気に数を減らした。
徹底した火力戦と大量の地上戦力によって初動の戦力を粉砕し、第1親衛戦車軍は目標に向けて進撃を開始した。
7月14日からはようやく在独ソ連軍の前進が始まり半日で3キロ前進し、11キロ先のダンメまで突破に成功した。
この時点で移動中のBETA群に対して攻撃が成功しており、ポメラニア方面へ向かうBETAの列に被害が出ていた。
移動列に向けてツングースカがコンクルスを放ちながら機関砲で戦車級や要撃級を薙ぎ払い、BETAの死骸が連なった山をT-80BVが飛び越えて前進する。
「ハッハッハ!!いいぞ!!どこを向いても前は敵だらけだ!撃って撃って撃ちまくれ!」
第1親衛戦車軍の突破に対してBETA側は比較的素早く対応出来るようになった。
即座に戦線を下げて突撃級を回し、一部の戦車級と要撃級で応戦部隊を即時編成して差し向けた。
ベルリン・ハイヴ自体の対応能力は格段に向上していたが、肝心の軍隊を成す通常種のBETAのスペックが問題であった。
やはり戦車級や要撃級ではソ連軍の通常兵器には太刀打ち出来ない、数がいても結局火力の壁に圧倒されて全滅する。
戦術機級や超重突撃級は強力で並の通常兵器は圧倒出来るが如何せん数が足りない、本来その数を補う小型、中型種が強力ならいいのだがそうではない。
結果、対応部隊も思ったより効力を発揮せずに突破されていった。
7月15日に第1親衛戦車軍は第一目標を達成し、グラムツォー=ペンクン間の突破に成功した。
後続の第20親衛軍は第1親衛戦車軍に続いて戦果を拡張して双方の旧市街地を奪還した。
その後燃料や弾薬の補給を受けた第1親衛戦車軍は7月16日に再度攻勢を開始し、最終目標であるピノに向けて全身を開始した。
予想外の快進撃を受け、ベルリン・ハイヴは仕方なく正面に展開していた戦術機級や超重突撃級を引き上げて在独ソ連軍の対応に差し向けた。
ポメラニア方面の戦いはノポガルトまで移動していたが、それでもポーランドの三方面では一番戦線が安定していた。
前線から超重突撃級や戦術機級が減少し、兵力も一部断絶されたことによって更に正面戦線の戦力は安定し始めていた。。
沿バルト前線司令部はこの好機を逃さず第6親衛戦車軍による反撃作戦を実行した。
目標は6日前に制圧されたシュチェチンの奪還であり、その後は戦線をオーデル川まで押し上げつつ南下して第1ウクライナ前線と共にポズナンの大兵力を分断するつもりでいた。
第6親衛戦車軍の司令官は引き続きウラジーミル・オシポフ大将が続けており、戦車戦闘においてはそれなりに経験があった。
攻勢は7月17日より始まり、ソ連海軍の手厚い支援を受けながら第6親衛戦車軍は突撃を敢行した。
艦対地ミサイルが陽動弾の迎撃の後に叩き込まれ、前線地帯のBETAを一挙に撃破する。
そこへT-64BVが突撃し、125mm滑空砲や9M112コブラ対戦車ミサイルを発射して敵を倒した。
無論T-64BVやBMP-1では戦術機級や超重突撃級には勝てない、だが無理に勝つ必要はなかった。
ある部隊は損害を負いつつも後方へ誘い込んで数輌のT-64BVの一斉砲撃で超重突撃級の正面を破って撃破し、また別の部隊は戦術機級と戦うSu-27やMiG-25PDSをBMP-1やZSU-23-4が支援してゆっくりと戦闘能力を削り、最終的にはグヴォズヂーカの122mm榴弾砲を集中投入して撃破した。
時間と戦力はかけるが戦術機級も超重突撃級も決して倒せない敵ではない、そのことが兵士達に大きな安心感を与えていた。
それでも戦闘中の犠牲は今までと比べて圧倒的に多かったが。
歩兵を乗せたBTR-70やBMP-1が地上を走り、その上空を何機かのMiG-27とMiG-29が飛んでいる。
場所はゴレニュフの近郊、既に市街地の手前で戦闘が発生しており、間も無く歩兵部隊が突入出来るという状況であった。
7月19日、2日間の戦闘の末ゴレニュフは沿バルト前線の手によって解放された。
第6親衛戦車軍は損耗した部隊を合体させて集成部隊を編成し、戦力を即座に回復して次の目標地点へ移行した。
目指すはシュチェチン、兵力を整えるとポメラニア方面のソ連軍とポーランド人民軍は更なる反撃に身を乗り出した。
同じ頃、在独ソ連軍の前進はほぼ膠着していた。
流石にこれ以上の接近は許容出来ないとベルリン・ハイヴ本体から予備兵力が出され、ポズナンの主力部隊からも転用されたことによって第1親衛戦車軍の前進はヴェンデマルクの地点で停止した。
第二梯団を合わせて2個軍で突破出来る規模ではなかったのだ。
在独ソ連軍司令部はピノを最終攻勢地点としつつも方針は第1親衛戦車軍の前面に展開する戦力を拘束することに変え、少しでもベルリン・ハイヴが嫌がることをした。
貴重な予備兵力とポズナン方面の中央攻勢部隊を合わせたほぼ1個軍が北部で拘束され、機動力を失った。
しかもこの間に在独ソ連軍は一部後方戦力やシュタージのフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊を用いてドイツ=オーランド国境から越境攻撃を仕掛け、BETAに嫌がらせをかけた。
これによりシュチェチンの兵力はポーランド国境にも回され、至る所で兵力の減少が見られるようになった。
その間にも沿バルト前線の第6親衛戦車軍はシュチェチンに向けて前進しつつあった。
ここまで来るとBETA側も有効な機動力を発揮出来ない、湖から渡ろうとした部隊は側面警戒部隊によって殲滅され、その間に対都市戦の歩兵部隊がシュチェチンへ突入を開始した。
第93親衛自動車科狙撃兵”ハリコフ”二重赤旗・スヴォーロフ及びクトゥーゾフ勲章師団が真っ先にシュチェチンに入り破壊されたプレハブの街でBETAと戦った。
各歩兵分隊につき必ずRPG-22と機関銃を持った兵士を入れ、制圧してまだ使える建物にはコンクルスや9M111ファゴットを装備した対戦車班を配置した。
偵察分隊も展開して視界を確保し、シュメリィ-1を偵察部隊が飛ばして上空からの偵察にも力を入れる。
こうして歩兵だけでは分からないところをシュメリィ-1に監視させ、上空偵察では分からないところを歩兵の偵察部隊に監視させた。
得られた情報はデータリンクで各歩兵小隊、歩兵分隊に送り、いつでも敵の位置が分かるようにした。
オガルコフ元帥の理論を西側的な技術でソ連地上軍の歩兵部隊でも出来るようにしたわけである。
これにより戦車級や闘士級との不意遭遇戦も大いに減少し、逆に待ち伏せて戦車級を仕留めるケースも増えていた。
建物から放たれたコンクルス対戦車ミサイルが戦車級を破壊し、周りにいた闘士級数体は歩兵分隊による小火器の弾幕射撃によって殲滅した。
敵戦力の排除を確認して街の通路をBTR-70やBMP-1と共に自動車化狙撃兵達が通っていく。
地道な市街地戦を続け、7月23日にはシュチェチンを奪還した。
主力の戦車集団は南下してグリフィノの周辺に展開しており、少しづつオーデル川の支配権を取り戻そうとしていた。
各地の戦線でBETAの攻勢を跳ね除ける戦いが広がりつつあった。
「各機、戦闘隊形のまま低空飛行!戦闘地域に到達したら散開して戦闘開始。絶対1人で戦おうなんて思うなよ!」
『聞いての通りだ、我々はチームだ!連隊として連中を殲滅するぞ!』
12機のMiG-29が152mm砲や火炎放射器などを持って前線へ向かった。
フレツロフ中佐率いる第306独立親衛戦闘航空連隊は7月14日になる前から幾度となく前線地域で戦闘を行っていた。
最初は27機のフルスペックで戦っていた同連隊であるが基本戦術機級を相手にする為、相応に損耗も激しかった。
度重なる戦闘でついぞ撃墜される機体はなかったが手足を捥がれたり、損傷する機体が増えて稼働している機体は12機まで減ってしまった。
衛士も何人か負傷して動ける者と動ける機体をかき集めてようやく12機であった。
これでも全滅せず戦っているだけで第306独立親衛戦闘航空連隊の腕の良さが分かるだろう。
それに度重なる戦闘で彼らもなんとなく戦術機級や要撃級に対する戦い方を体で覚えた。
「なんたってBETAまで戦術機を……」
”君たちを学習した結果だろう、人類に対して有効な手段は新種としての戦術機と強化突撃級、そう認識しただけだ”
「迷惑な話だよ、よりによって残り1体でこんな……」
フレツロフ中佐はすれ違う3機のMiG-27を一瞥した、うち1機が大きく損傷しており残り2機が安全地帯まで後送していた。
中身の衛士は果たして無事なのだろうか、それが不安だったが今は自分が生き残って部下を指揮することを考えなければならない。
集中の矛先を変え、フレツロフ中佐は戦闘地域へと向かった。
戦闘地域には中隊規模の戦車隊と随伴のツングースカやBMP-2などが展開していた。
丁度フレツロフ中佐らが訪れた瞬間にレーザーで2輌のT-80BVが撃破され、長刀の一振りでBMP-2と周りにいた数名の歩兵を纏めて蹴散らした。
「クソッ!これ以上やらせるな!」
フレツロフ中佐は突撃砲を放って注意を引き、戦術機級の火力を自機に向けた。
レーザーを回避しながら距離を取りつつ突撃砲を放ち、フレツロフ中佐は敵機の分散を狙う。
他のMiG-29も120mm弾やKh-29空対地ミサイルを発射して注意を引き、それぞれの戦闘に突入した。
戦術機級の数は12体、ほぼ1個飛行隊で同数である。
第306独立親衛戦闘航空連隊は度重なる戦闘で最低でも敵戦術機級につき3機は必要であると認識していた、同数を相手にしている時点で相当不利だ。
故にフレツロフ中佐は12機のうち2機を相手取り、ブリツェンスキー少佐とデルーギン少佐、オルゼルスキー少佐が同じように2機ずつ戦術機級の注意を引いた。
これでなんとか同数、つまりフレツロフ中佐とブリツェンスキー少佐だけは2機に加えて1個編隊で1機仕留めなければならないからほぼ5機の戦術機級を相手取っている。
これが中々に厳しい、少しでも油断すれば致命傷となる攻撃を平気で叩き込んでる戦術機級相手にフレツロフ中佐はほぼ防戦一方であった。
「指定座標に誘い込む!ルヴィロヴァ大尉!」
『いつでもどうぞ』
超低空を移動しながら味方の砲撃に合わせてKh-29を直射し、ロケット弾を放って目を眩ませる。
その間に追撃してきた別の戦術機級2体をフレツロフ中佐のMiG-29は誘い込み、ルヴィロヴァ大尉の下まで引き寄せた。
「今だ!」
バックブーストで2機の背後を取り、戦術機級が注意を向けた瞬間に側面から突如出てきたルヴィロヴァ大尉のMiG-29が火炎放射器を放って左片方の戦術機級を焼いた。
戦術機級は全身を装甲で覆っている為通常火器では打ち倒すのが難しい、その為装甲の内側まで焼いてしまう火炎放射器が役に立った。
火だるまになった戦術機級だが暫くはまだ動き続けており、レーザーを放って距離を引き剥がそうとした。
だがそれを妨害するようにフレツロフ中佐のMiG-29が敢えて近距離まで近づいて突撃砲を放ち、非装甲部に弾丸を叩き込んで注意を引く。
無傷な戦術機級がフレツロフ中佐のMiG-29を追撃し、焼かれている戦術機級は再び火炎放射を喰らってダメージが限界に達し地上に墜落した。
「よし!1機やった!」
『こっちもなんとかやれそうだ!』
デルーギン少佐は接近してくる戦術機級の攻撃を回避しつつ僚機の同時152mm弾発射によって戦術機級の装甲を完全に破壊して内側にダメージを与えた。
衝撃により戦術機級は墜落し、倒れたところをT-80BVらがトドメを刺した。
オルゼルスキー少佐を追撃する2体の戦術機級も上手いことオルゼルスキー少佐が地上と空中のキルゾーンに誘い込んだことで、152mm弾や125mm弾を連続で喰らい、その上で30mm機関砲やコンクルスを喰らって2機同時に撃墜した。
「ブリツェンスキー!生きてるか!?」
『なんとか!』
ブリツェンスキー少佐は追ってくる2体の戦術機級が発射した触手を長刀で切り落とし、即座にその場を離れてレーザーを回避する。
「多少無茶するか!モースク1!敵の可能性が一番高い攻撃パターンを表示しろ!全部避けて突っ込む!」
”了解”
コックピットのモニターに攻撃予測表示が出され、それを見極めながら後はほぼ勘で追撃してくる戦術機級の攻撃を避け、ブリツェンスキー少佐の支援に向かった。
左手の武器を長刀に切り替え、レーザーを回避しながらうち1体の戦術機級の懐に潜り込んだ。
即座に左腕を振るってブリツェンスキー少佐を追撃中の戦術機級の右腕を切断した。
腕を失った戦術機級は防御が崩れ一瞬の隙が生まれる。
フレツロフ中佐はその隙を逃さずに脇辺りの非装甲部に突撃砲を押し当てて、120mm弾と通常弾を同時に発射した。
ほぼ1マガジン使い切り、その後フレツロフ機はバックブーストで戦術機級から離れ、その戦術機級は数秒も立たぬまま爆散した。
これで5機目、まだ半分も打ち倒していない。
しかしこんなところで5機も失うのは想定外だったのか、戦術機級は後退戦闘をしながら後ろへ下がっていった。
『追撃しますか!』
「よせ、それより別の方面から新手だ」
レーダーには戦術機級と入れ替えで迫る突撃級や戦車級、要撃級の群れが映っていた。
フレツロフ中佐は即座に突撃砲のマガジンを交換し、機体の残弾を調べる。
戦術機級は1体倒すだけでも相当の弾薬を消費するので継戦能力が大幅に低下するし、倒したとしても厄介な敵だ。
「地上部隊と共に接近するBETA群を排除する、各機もう少し頑張れよ…!」
MiG-29は先行してKh-29や152mm弾を発射して突撃級の正面防御を崩し、ロケット弾や突撃砲で後続の増援を叩き潰した。
攻勢は成功しているとはいえ前線ではまだ厳しい戦いが続いている。
フレツロフ中佐も相当疲労を負っているがそれでも戦い続けた。
銃後にいる家族の為に。
7月14日から第1ウクライナ前線の反撃は始まっており、それに合わせてドレスデンを守るNATO中央軍集団も反撃を開始した。
第1ウクライナ前線対応の為に若干兵力が引き抜かれ始めたタイミングで第1機甲師団と第2騎兵連隊がドレスデンの右翼側からBETAに殴り掛かった。
ドレスデンを守備する第1歩兵師団の負担を減らす為にドレスデンに集中しつつあるBETAに攻勢を仕掛けたのだ。
第7軍団に属す3個の野戦砲兵旅団が砲撃を叩き込み、西ドイツから出撃する第4連合戦術空軍と白ロシア前線隷下の第26航空軍の支援を受けながら攻勢部隊は少しづつ戦果を上げていった。
少なくともハレのドイツ第3軍団は増援として到着したフランス第1軍の第3軍団の支援を受けており、こちらも安定している。
中央のアメリカ第5軍団は予備戦力として持ってきたドイツ第2軍団と共に戦線を維持しており、ドレスデンを守る第7軍団が安定すれば中央軍集団の負担は減る。
更に言えばポーランド側で戦うソ連軍が確実な勝利を収めれば中央軍集団も総反攻に出る機会だってあるのだ。
だがそこまで過度に期待せず、パットン4世は堅実かつ積極的な攻勢の意思を持って行動を起こした。
同時期にアメリカ宇宙軍はソ連宇宙軍や各国の宇宙軍に呼びかけてある挑戦的な試みに出ようとしていた。
軌道上より少し離れた地点には地球の重力に惹かれてほぼ円状に岩石のようなものが漂っていた。
これらは全て1984年2月に地球侵攻を果たそうとして失敗したBETAの宇宙船団であり、その成れの果ては片付ける暇もなかった為放置されていた。
これにアメリカ宇宙軍大将のヘレスは目をつけ、質量兵器としての転用を国連宇宙軍司令部に提案した。
当初ヘレス大将の提案はアメリカ軍内ですら難色を示す声があったが、レーガンの一声によって実施されることとなった。
ソ連宇宙軍側も一部はこれに賛成したが慎重派は反対し、結局総司令官のカラシィ元帥が承認した為この計画に携わることとなる。
宇宙用に改造されたF-4やMiG-21が専用の推進器を持ってBETA船団のデブリ帯へ向かい、BETAの生存確認を行いつつ移動作業を開始した。
物によっては戦術機がそのままデブリを押し、地球圏の軌道上まで運んだ。
数機のF-4やMiG-21が束になってみんなでデブリを地球側に向けて押す光景はなんとも言えない感情になる。*1
一説ではこの光景を元に後々日本では人気ロボットアニメの劇場版が制作されたらしいのだが、真意は定かではない。
ともかくいざやってみると運搬作業は案外早く終わった。
あくまで試験的な運用である為それほど数は必要ではなく、推進器のブースター設置も戦術機と作業員が共同でやれば数日のうちに終わった。
「いやぁしかし、なんだかなぁ……」
1人の日本人職員が宇宙ステーションから軌道上に鎮座するデブリ群を見てぼやいていた。
「どうしたのよ」
「地球に向けて隕石を落とすってどうもねえ……」
「BETAのバリアーが破れるかも知れないんだぜ?」
「そうなんだけど、昔ヤマトとか見てたからどうにも地球に隕石を落とすってのがなあ……」
「ああ……そういう」
何故か一部の日本空軍からの出向要員だけ微妙な顔をしていたこの作戦であるが、基本的には期待の念を込めていた。
作戦名はスターダストと呼称され、まず効力を確かめる為に小、中規模のデブリを4、5発投下することにした。
「閣下、用意完了しました」
部下の少佐がヘレス大将に敬礼して報告した。
「うむ、予定通りの時刻に投下を開始せよ。さあて、どうなるか……」
7月22日、国連宇宙軍による対BETAシールド突破作戦スターダストが実行された。
デブリに設置されたブースターが点火し、加速して地球の重力圏内に引っかかり、予測通りの軌道で地球圏内へ降下した。
目標はベルリン・ハイヴより半径50キロメートル地点であり、非常時に合わせて各部隊の司令部には事前に警告がなされていた。
投下されたデブリは大気圏の摩擦熱に襲われるが不思議なことに一歳溶解せず、そのままの形状を保ったまま大気圏を突破した。
無論これにも理由がある、元を辿ればBETAの輸送船である為これらのデブリにもG元素の基となる物質がコーティングされており、このコーティング材が熱を遮断する効果を持っていた。
そしてその効果を引き起こす発生理由は衛盾級が展開するラザフォード場の現象に限りなく近い。
ヘレス大将は全く意図していなかったが知らぬ間に国連宇宙軍はラザフォード場に簡易ラザフォード場をぶつけている状況になった。
凄まじい加速度をつけたデブリは予測した通りの軌道でベルリン・ハイヴから半径50キロ圏内に突入した。
当初衛盾級はラザフォード場の展開を躊躇った、何せ軌道上から落ちてくるそれは明らかに同胞の船団のものだったからだ。
しかしすでに敵と認識しているベルリン・ハイヴは強制的にラザフォード場を展開し、デブリを防いだ。
だがデブリ側もコーティングがラザフォード場を簡易的に展開し、同じ構造のシールドのぶつかり合いとなっていた。
暫くは拮抗していたが徐々にデブリ側のコーティングが剥げ、やがて展開出来なくなるほど減少すると後は質量のぶつかり合いになった。
徐々にデブリが削れて行き、最終的には眩い光と共にデブリは完全に消失した。
「落下したデブリ弾頭は全て消失しました」
「…っ!ですが展開しているシールドの出力は弱まっています!23日のデータと比較してもシールドに減少が見られます!」
「つまり……効果はあるということだ、続けて大型弾頭を投入しろ!敗れないものではないぞ!」
理屈は分からない、だが結果は分かった、なら今やるべきことは一つだ。
宇宙軍司令部からの命令で今度はもっと大きいデブリの投入が決定された。
同じように幾つかのブースターが点火して軌道上に放り込まれ、推定軌道に沿ってベルリン・ハイヴの地域に投入される。
それも大型弾頭と中、小型弾頭を複数投入してだ。
再び投入されたデブリに対して衛盾級のラザフォード場が反応した。
今度はより長時間拮抗状態が続き、徐々に衛盾級の出力にも限界が生じてくる。
だがデブリの方も徐々にコーティングが剥げて本体が消失し始めていた。
やがて双方が限界に達した瞬間、BETAの天空の盾は打ち砕かれた。
弾け飛ぶようにラザフォード場が消失し、その余波が四方八方全ての地域に飛び散った。
「うわあああなんだ!?」
「すごい風です!!」
前線地帯を暴風が襲ったがそれでも人体に影響はない程度でBETA側に至っては構わず戦闘を続けていた。
この時地上の混乱とは裏腹に宇宙軍司令部は歓喜に沸いていた。
今の一撃で衛盾級のシールドが打ち砕かれたのだ。
彼らの戦場が、彼らの仕事が帰ってきた。
国連軍の中で最もBETAを抹殺してきた軍種がようやく本領を発揮するのだ。
各軍司令官の下に一斉に宇宙軍司令部から軌道爆撃が可能になった報告が届き、即座に爆撃地点の要請を催促した。
BETAの結集地点に次々と軌道上から攻撃が叩き込まれ、核を用いた光線属種の掃討も始まった。
これにより攻勢中だったBETAは次々と阻止攻撃が撃ち込まれ、後方にも甚大な被害が出た。
特にドレスデンでは第7軍団のうち第1機甲師団と第2騎兵連隊が完璧に相手の移動経路を断ち、逆にドレスデン内でBETAの包囲殲滅に成功した。
これにより余裕が出た中央軍集団は反撃作戦を開始し、各軍団の装甲戦力を用いて戦線を前に出し始めた。
7月24日、BETAの攻勢から丁度1週間が経ったこの時点で人類とBETAの攻守は逆になろうとしていた。
それは軌道爆撃が復活したからだけではない。
アメリカ、イギリスの本国軍がドイツ戦線に合流した、オーバーゼアと遥かなティペラリーを流しながらライン川を超えてやってくる。
三度目の世界大戦もベルリンで決着がつこうとしていた。
つづく