マブラヴ グレートパトリオティックウォー 作:Eitoku Inobe
我が手で母に復讐する為に
我らが帰っても、彼女を抱く事は無い
悪党が彼女を裂き殺したのだ
-”5つの銃弾”より抜粋-
英米本土の増援が本格的な反撃に入り始めたのは984年7月24日から25日にかけてのことである。
先んじて投入されたのは英本土の部隊であり、これらはまず敵主力を受け止めている北部軍集団に組み込まれた。
基本的に北部軍集団の司令官は英陸軍の人間が務めていることから受け入れは早く、即座に増援として戦線に組み込まれた。
送られてきたのは北アイルランド司令部の3個歩兵旅団と王立空軍の第1航空団、3個旅団はそのまま北アイルランド司令部のロバート・リチャードソン中将が指揮を取り、第1航空団は第2連合戦術空軍に組み込まれ、団長のマイケル・シモンズ少将が指揮を取った。
連戦で疲弊している在独王立空軍の諸部隊に変わって本国の空軍部隊が前線に投入され、新しいトーネードGR.1やジャギュアが戦術機級と戦った。
なお在独王立空軍は第2連合戦術空軍の指揮も取っていた為受け入れは容易かった。
これが7月21日から24日の出来事であり、アメリカ軍の本土部隊が到着して戦線に合流したのは7月24日からであった。
BETA大攻勢の状況を聞き、しかも予想外にもBETA側が優勢であると欧州連合軍最高司令部から報告を受けると国防総省は大統領に上奏して本国に駐屯する連邦軍、州兵部隊を欧州に投入する計画を打ち立てた。
アメリカ本土にはインド、中東、アフリカで戦い、動員解除をし始めている部隊と、解体待ちの部隊が多数存在している。
国防総省は一旦動員解除中の部隊の解体を停止し部隊の欧州への再転換を実行した。
レーガンはまず先行して海兵隊を欧州に回し、その間に本国の部隊を欧州へ派遣し始めた。
まず即座に動員可能な解体町の部隊と陸軍州兵を輸送船舶に乗せてヨーロッパへの派遣を開始した。
ほぼ同時期に空軍州兵の展開も開始し、幾つかのF-15AやF-16を装備した空軍州兵の飛行中隊がヨーロッパへと回された。
その間に動員解除を始めていた部隊の再建を始め、復員していた兵らに再び召集令状を配った。
こうした部隊の動員と派遣は先遣の部隊よりも圧倒的に時間が掛かる、動員と再編成、輸送と練兵にそれなりに時間を要するのだ。
先んじて本国から大西洋を渡ってヨーロッパに渡ったアメリカ軍は主に2箇所に分かれて上陸し、前線へと向かった。
1箇所は直接ドイツのブレーマーハーフェン、ハンブルクに上陸してそこから北部軍集団に上陸するルート、海兵隊や緊急展開部隊はこちらから上陸した。
一方大半の部隊はアムステルダムやロッテルダムといったオランダの港町に上陸し、そこから鉄道輸送を用いて西ドイツ領内へと入っていった。
少なくともケルン、ボンからフランクフルト・アム・マインまでは従来の鉄道が繋がっており、それ以降のフルダ、アイゼナハ、エアフルトといった都市にも鉄道は復活していた。
鉄道から戦力を下ろすと後は陸路を通って前線へ渡し、本国軍は北部、中央軍集団に合流した。
本国で練兵を終えて海上輸送中の部隊を除けば第一陣が到着し終えたのは20日のことであり、全体として反撃が可能になったのは7月24日であった。
全体の統括指揮を務めたのは中東、アフリカでの戦闘が終わり、手の空いていたシュワルツコフ大将とコリン・パウエル中将であった。
本国軍司令部は一旦マースリヒトに置かれ、今もなお全体の輸送任務の統括と戦闘地域への分配を行なっている。
「海兵隊と北海組の部隊は北部軍集団の命令に従え、オランダ組は中央軍集団の指揮下に入れろ、パットン大将だから受け入れは早いはずだ」
「空軍はどうしますか」
「予定通りに各連合空軍に増援として加える。ハイン中将とブラウン中将に彼らを任せる」
「はい」
「例え壊滅しても本国にはまだ動員中の部隊と輸送中の戦力がある……ここで奴らの攻勢は頓挫させる」
増援を受けたNATO軍は北部、中央軍集団双方で反撃計画を打ち出した。
北部軍集団の最重要課題は戦線を再びエルベ川の手前まで押し返すことであった。
これに呼応するようにフランス第1軍も加勢し、24日から本格的な反撃が始まっていた。
パイネ周辺で本格的な核攻撃を受けて主力が疲弊している北部軍集団側のBETA群は思うように機動防御が出来ず、しかも戦術機級や超重突撃級の部隊ではカバーしきれない程の物量によって戦線を押し返された。
軌道上からの爆撃も再び降り注ぐようになり、積極的な対光線属種排除が進んで空軍による阻止攻撃も通りやすくなっている。
今も前線の支援にフロリダ空軍州兵のF-15の飛行隊が飛んで行き、前線ではニューヨーク空軍州兵のA-10Aが前線で猛威を振るっていた。
本来なら80年代後半にF-15やF-16を配備されている地域の空軍州兵もこの時期には戦術機としてのF-15やF-16を装備していた、BETA大戦の影響で時計の針が早まっているのだ。
しかも多くの空軍州兵の衛士らはインド、中東、アフリカで経験を積んだ者であり、欧州の激戦区でも問題なく戦っていた。
何機かのF-15、F-16はお供としてプレデターを3、4機引き連れており、こうした無人機は搭載しているAGM-114ヘルファイアを発射して要撃級などを撃破していた。
度重なる戦闘によってJUASも進化しているのだ、母機である戦術機からある程度のコマンドを受けたJUASは無人機を介して命令を遂行していた。
例えば衛士が「リマ地点のBETAに攻撃を加えろ」と入力すると後はJUASが有する装備で最も効率の良い攻撃を目標地点に叩き込む。
戦術機級や光線級のレーザーが当たらないように低空を飛行し、手持ちの装備で最も高価値な相手に対して火力を集中する。
その高価値目標は時によって変わる、光線級かも知れないし場合によっては突撃級や要撃級かも知れない。
どちらにせよ無人機による攻撃もついに出来るようになったのだ。
実際かなりの数のBETAが前線の戦術機や近場の飛行基地から発せられる命令で動くプレデターによって仕留められていた。
こうした航空攻撃に合わせて地上部隊も前進し、陸上での支配権を奪還する。
空軍と砲兵が耕し、工兵が支え、機甲部隊が戦線を突破して、歩兵が大地を踏み締めて確固たるものにすることで戦争での勝利とは成り立つ。
空軍だけが優勢であっても意味はないのだ。
その例に漏れずNATO軍も地上部隊による反撃を繰り出していた。
M1エイブラムスの戦車中隊が損害を顧みずに120mm滑空砲を叩き込んで機動防御に来た超重突撃級を撃破し、屍を乗り越えて前へ進む。
後方の砲兵隊は支援の為に155mm榴弾砲を叩き込んでBETAに打撃を与え、更に後方にはMLRSによるクラスター弾の投射によって移動中のBETAを撃滅した。
そして宇宙軍もこの機に乗じて機動爆撃を叩き込み、地上のBETAを殲滅する。
BETAは塹壕を掘って砲爆撃から身を潜め、なるべく戦力を温存したが攻勢自体は止まっていた。
7月26日の時点で北部軍集団隷下のイギリス陸軍第1軍団、ベルギー陸軍第1軍団、フランス陸軍第1軍団は53キロほど前進し、オシャースレーベンを奪還、マクデブルクまで残り27キロ地点まで前進した。
アメリカ軍が支援するオランダ陸軍第1軍団はリューネブルクから32キロ離れたエルベ川まで戦線を押し戻し、再び防衛線を構築した。
隣接するドイツ連邦陸軍第1軍団もハーンシュテットからツェルニーンまで前進し、7月28日にはBETAの1個師団を破ってダンネンベルクを奪還した。
一方イギリス、ベルギー、フランスの第1軍団がマクデブルクに到達したのは7月29日のことであり、翌日の7月30日には同地の完全奪還を成し遂げた。
未だに最初の戦闘地域から場所によっては100キロメートルほど離れているが、それでも7月中のBETAの戦果はある程度帳消しに出来た。
この間に失われたBETAの戦力は12個軍のうち3、4個軍近いと計算されており大体全体の25%から30%程の戦力が消し飛んだとされている。
特に前衛の戦術機級、超重突撃級は大戦果を収めつつもその損害は通常種の比ではなく、半数以上は未帰還であった。
ベルリン・ハイヴは戦力をエルベ川に固定しつつ光線属種の射撃で接近を阻止し、NATO軍の渡河を食い止めていた。
この阻止戦闘によって数度に渡る渡河作戦は失敗し、北部軍集団は一時的に進撃を止めた。
この頃北部軍集団は連戦によって戦力をかなり消耗しており、一旦反撃は停止した。
だがこれで終わりな訳ではない、北部軍集団司令部は戦力を回復させつつ残る米軍部隊の到着を待って反撃に出ようとしていた。
オワバ周辺、ここは既にソ連軍の占領地域であったが度々BETAが襲撃をかけていた、地中侵攻による兵站線の強襲である。
運搬級が地中から出現し、即座に大量の戦車級を繰り出して一旦地中へ下がろうとするが、発射されたファゴット対戦車ミサイルの直撃を受けて運搬級が爆散した。
「目標戦車級12!全火力を叩き込め!」
近くにいたBTR-70が3輌同時にKPVT 14.5mm重機関銃を発射し、その周囲で3個自動車化狙撃兵分隊がPKMやRPG-7を発射して戦車級の群れを圧倒した。
確実に距離を取った上で火力を叩き込んだ為戦車級はなす術もなく全滅し、小隊長の射撃停止命令が降るとそこには12体いた戦車級の屍が積み重なっていた。
AK-74を装備した2名の隊員が恐る恐る近づき、反応の有無を確かめる。
「死んでます!」
報告を聞くと小隊長は中隊本部に対してBETAの後方襲撃を阻止したことを報告した。
彼らの背後には街道があり、数輌のウラル375Dが通り過ぎていった。
BETAの後方強襲は基本的に兵站線の襲撃や、後方に展開する施設の強襲を目的としており基本的には街道沿い近くに出現することが多い。
BETA側も兵站や後方という概念を学んだのだ、しかしどこにトラックがいるかまではわからない為常に街道沿いにBETAの小規模部隊を出現させるに留まっていた。
こうした後方強襲に対応する為ソ連軍は国内軍を投入して輸送部隊の護衛や、街道沿いの警備を行っていた。
このBTR-70が3輌と3個自動車化狙撃兵分隊を基幹とする自動車化狙撃兵小隊もソ連国内軍所属であり、地中観測部隊の命令で事前に周囲に待機していた。
ウラル375Dの輸送部隊にもソ連国内軍から派遣された護衛部隊がつけられており、輸送隊列の前後にBTR-70が周囲を警戒しながら走っていた。
あるトラック運転手の一等兵はトラックを運転しながら右側に見えるBETAの死骸を見つめた。
「こんなところまでBETAが……」
「気にすんな、あんなもん大した数じゃない。それに戦線は何十キロ前なんだぞ」
「ああ……」
「黙って運転しろ」
片割れの兵士は本当に最前線までトラックで補給物資を届けに行ったことがあるからBETAの主力とはこんなものではないとよく分かっていた。
波のように襲いくるBETAに比べたら屍が山になる程度本当に大した数ではない。
仮に眼前に波のようにBETAが迫っていたとしてもトラックを走らせて命令を受けた場所まで物資を運搬するのが彼らの仕事だ。
戦時という国家存亡の危機において仕事の妥協は許されず、命をかけて全力を尽くさなければならない。
一方上空には数機のMi-24やMi-4AVが待機しており、上級司令部の命令次第で火消しに回される予定であった。
攻勢側の利点は場所、時間を選べるということにある。
防衛側はいつ、どこに現れるか分からない敵を待つ必要があり、この圧力と主導権を握っている点に関しては防衛側を上回るものがある。
しかもBETAの後方強襲はある程度場所は絞れるとはいえいつ、どこに現れるかはギリギリまで分からない。
陸上移動をしているのなら軌道爆撃や航空機や砲兵による阻止攻撃が可能だが、後方の地中となるとこれも難しい。
どこに出現するか、どこで戦うかはBETA側の自由であり、ソ連軍側はどうしても後手に回ってしまう。
その後手の対応を迅速にする為にソ連国内軍はヘリコプターによる空中機動部隊で後方の火消しを行っていた。
『ゴーリキー5、ゴーリキー6、座標R-16地点に急行せよ。BETAの出現を確認』
『了解、急行する』
2機のMi-24Dが機種を180度移動させて本部より指定された地域に出動した。
出動したMi-24Dは後方の地上を我が物顔で移動する戦車級と運搬級に対して、空中から攻撃を叩き込んだ。
Mi-24Dに搭載されているYakB-12.7重機関銃を叩き込み、火力の穴を埋めるようにS-5Bロケット弾を発射した。
上空からの重機関銃射撃によって出現した戦車級の群れは一気に壊滅し、辛うじて耐えていた運搬級もS-5Bの投入によって撃破された。
『BETAの殲滅を確認』
パイロットは操縦桿を傾けながら近づき、眼下の様子を確認して報告した。
結局光線属種が現れなければ、航空攻撃は通るしBETAなど敵ではない。
だが間違いなくソ連軍全体には最小限のリソースでかなりの負担を与えていた。
輸送部隊を守る戦力、街道に展開する戦力、空中展開する戦力、これらを維持する物資や兵員、全てが必要になってくる。
いくらソ連国内軍という常設の部隊がいるとはいえ、それでも与える影響は大きかった。
同じ空を14機のMiG-29が後方の飛行場に向けて飛んでいった、フレツロフ中佐率いる第306独立親衛戦闘航空連隊である。
前線に展開していた戦術機級らと戦闘を行い、その帰りであった。
なんとか復帰した2機と共に出撃した第306独立親衛戦闘航空連隊であったが、思いの外BETAの抵抗が激しくうち4機が軽度の損傷を負い、2機は飛行は出来るが中破レベルまで損傷した。
フレツロフ機も左手を失い、持ってきた長刀も戦術機級を撃破した際に使い潰した。
「思ったより手酷くやられたな……」
”それでも増強飛行隊レベルで戦術機級を撃退出来た、十分な戦果だ”
フレツロフ中佐は失った自機の左腕を見ながら怪訝な表情を浮かべた。
「計算機もおべっかは使えるんだな」
”冗談を言ったつもりはない”
「それはどうも」
どちらにせよ生き残ったことをまず喜ばねば、フレツロフ中佐は割り切って飛行場へ帰投した。
14機のMiG-29がチェンストホバの飛行場に戻るとそこには見慣れない爆撃機と思わしき機体が先に滑走路に入ろうとしていた。
「ありゃなんだ…?」
”スホーイ設計局が開発した機体だ、君には関係のないことだ”
「まあな、306001、着陸する」
慎重に滑走路に着陸し、そのまま格納庫の方面へと向かった。
機体を格納庫へ戻すとフレツロフ中佐はすぐにコックピットハッチを開けて整備兵らに命じた。
「腕を捥がれた、悪いが修理を頼む。今回も無理をしたから全身にガタが来てると思う」
「いつものことです、お任せください」
「作業かかれ!急げ!」
グリノフ大尉が指示を出し、整備兵達はMiG-29の整備に取り掛かった。
その間にフレツロフ中佐はヘッドセットを取り外し、部下から貰った水を飲み干すと同じくMiG-29から降りてきたブリツェンスキー少佐に声をかけた。
「部下の面倒を頼む、相当参ってるだろうから上手くフォローしてくれ。俺は司令部に行って状況を確認する」
「了解、こっちは任せてください」
基本的に部隊の面倒を見つつイオデオロギー的に正しい政治教育を施しながら導くのが政治将校の務めだ。
故に平時は部下達のメンタルをチェックしつつ、マルクス=レーニン主義のイデオロギー的正当性を教育し、ソ連軍にとって優秀な部隊に育て上げていく。
有事となれば戦闘に立って部下を鼓舞し、指揮官が与えた命令を率先して実行する。
良き政治将校とはかくあり、ブリツェンスキー少佐は比較的に良き政治将校の肩に当てはまる男であった。
故にフレツロフ中佐は僚機としても部隊を預かる指揮官としても少佐を深く信頼していた。
軽く汗を拭くとフレツロフ中佐はそのままの格好で司令部に入った。
「状況は」
「みんなのお陰で戦術機級の半分は削れた、これによって戦車師団は問題なく前進してる。なんとか優先してMiG-29の整備部品をこっちに回して貰ってるから明日には今日の損傷機も復帰出来るはずだ」
メデツィーニン少佐が軽く報告を行い、地図を基に説明を続けた。
「我が軍の最先頭はここ、ジェロナ・グナとボレスワヴィエツにいる。第5親衛戦車軍はオーデル川まで前進を続けてNATO軍との合流を目指し、第3、第4親衛戦車軍は北上して包囲網を形成しようとしている」
7月28日の出来事である、第1ウクライナ前線の2個親衛戦車軍を持ってしても突破は難しく、前進は難航していた。
BETA側は主力の超重突撃級と戦術機級をポメラニアから回り込む第6親衛戦車軍と、シレジアから北上する第3、第4親衛戦車軍の阻止に回していた。
フレツロフ中佐らが戦っていた戦術機級もその一隊である、辛うじて戦術機級16体のうち8体を仕留めたが抵抗激しく第306独立親衛戦闘航空連隊も損耗した。
「ポズナンでの戦闘は半ば止まりつつあるらしい。第1親衛自動車化狙撃兵師団の粘り勝ちだ」
「取り敢えず連中の攻勢は止められた、が」
「ああ、ここで連中の戦力を撃滅せねば二度目がくる。故に前線司令部は戦力の回復と同時に再び地上支援に向かえとのことだ」
これに関してフレツロフ中佐は怪訝な表情を浮かべた。
「これ以上は流石に厳しいぞ、機体もそうだが部下達だって限界がだな……」
戦えば戦うほど機体も損耗するし、生死をかけた戦場で衛士らの精神もすり減っていく。
既に第306独立親衛戦闘航空連隊はこの戦いで何度も出撃し、その度に何人かの衛士が死にかけ、皆疲れている。
連隊長として部隊を預かるフレツロフ中佐としてはこれ以上の連戦は流石に限界だと認識していた。
「ああ、機体も殆どが損傷しているしパイロットの消耗も激しいので後3日は戦闘出来ないと伝えた。当分は休養に努められるはずだ」
メデツィーニン少佐も冷静な顔をしてフレツロフ中佐に報告した。
「助かる」
「3日あれば修理中の13機も復帰出来るはずだ。機体もパイロットも休めて全力を持って次の戦いに臨もう」
「ああ、分かってる」
フレツロフ中佐はメデツィーニン少佐と握手を交わし、同じ目線で地図を見た。
部下を預かる指揮官として、それを作戦面でサポートする参謀長として、彼らはお互いを支え合っていた。
故に第306独立親衛戦闘航空連隊は3日後、非常に困難な任務に投入されることになるのだがそれはまだ3日ほど未来の話である。
歴史というものは全てに存在する、例えば軍隊の師団にも。
第11親衛軍に属する第1親衛自動車化狙撃兵”プロレタリア・モスクワ=ミンスク”レーニン・二重赤旗・スヴォーロフ及びクトゥーゾフ勲章師団も同様である。
まずソ連の師団は大抵の場合師団名が歴史を物語っている。
与えられた名称、与えられた勲章、全てに所属していた将兵の奮戦記録、戦いの歴史が込められているのだ。
この師団はモスクワ駐屯部隊を基として1926年にモスクワ・プロレタリア狙撃兵師団として編成されたのが始まりであった。
それから同師団は第1自動車化狙撃兵師団に名称を変更し、1940年のバルト三国強制併合に従事、その後始まった大祖国戦争では序盤の困難な状況にも関わらず奮戦を続けていた。
1941年8月に二度目の赤旗勲章が授与され、1ヶ月後の1941年9月に親衛の称号が与えられた。
第1親衛狙撃兵”モスクワ・プロレタリア”二重赤旗師団の誕生である。
その後第1親衛狙撃兵師団はボリソフ防衛戦や1941年のハリコフ作戦に投入され、モスクワ攻防戦にも参加した。
あらゆる激戦を生き延び、最終的に第1親衛自動車化狙撃兵師団はモスクワ、プロレタリア、親衛の称号だけでなくレーニン勲章と二度の赤旗勲章、二等スヴォーロフ勲章と二等クゥーゾフ勲章を授与された。
栄光と伝説の詰まったソ連の伝統ある師団であり、大祖国戦争後は第11親衛軍隷下として活躍していた。
BETA大戦においても数多くの戦いに参戦し、今もポズナンに篭ってBETAの進撃を阻止している。
BETA集団によるポズナン攻防戦は守備隊の頑強な抵抗にあって中々突破出来ずにいた。
しかもポズナンを迂回しようとして進軍すれば第11親衛軍の他部隊とポメラニア、ワルシャワ軍管区のポーランド人民軍が阻止に出てくる為中々前に進めない。
現在ポズナンには第1親衛自動車化狙撃兵師団の他に第7親衛空挺赤旗・スヴォーロフ及びクトゥーゾフ勲章師団とポーランド人民軍第6ポメラニア空挺師団が立て籠っていた。
周囲には沿バルト前線が直轄で保有している第3親衛自動車化狙撃兵”ヴォルノヴァーハ”赤旗・スヴォーロフ勲章師団、第144親衛自動車化狙撃兵”エリィニャ”赤旗・スヴォーロフ勲章師団が展開しており、定期的に市街地に向けて支援砲撃を叩き込んでいる。
戦況は一進一退という言葉が相応しい有様でイェジツェまでは占領されたものの、ポズナンの中心市街地で抵抗を続けており、一部ではBETAを押し返していた。
ポズナンは1973年以前の街並みとは行かないまでもプレハブの建物が並び、仮の居住都市としては機能していた。
こうした都市部における戦闘ではBETA側は純粋な平押しが通じにくい為、苦戦していた。
無理に突撃級や戦術機級を突っ込ませても機動力を活かせぬ場で奥地に誘い込まれてビルに籠る歩兵からコンクルス対戦車ミサイルを喰らって関節を破壊され、動きが鈍ったところで待ち伏せていた戦車隊の一斉射撃を喰らって撃破されるケースもあった。
突撃級を無理に都市部にぶつけても地雷原で足を吹っ飛ばされた個体が動けなくなり、それによって渋滞が発生したところに砲撃を叩き込まれて無駄に損害を受けることが多く、あまり向いていなかった。
その為ベルリン・ハイヴは戦術機級、超重突撃級の主力を別方面に転用し、弾除け用の兵士級と戦車級や運搬級といった中、小型種による制圧戦闘を実施したのだがこれも難航した。
そもそも小型種はレーザーや飛び道具といったものを持っていない、しかも確実に14.5mmをぶち込めば死ぬ個体が多数である。
下手に光線級を前線に出せば火力を発揮する前に歩兵のRPG-7や対戦車ミサイルに仕留められるし、なんなら都市部においてレーザーで建物を薙ぎ払っても確実に人間を仕留められる訳ではない。
しかも相手はソ連とポーランドの空挺、第1親衛自動車化狙撃兵師団も経験豊富な一線級の戦闘師団である。
物量によってなんとか中心地まで押し切ったが、ここが限界であった。
今も市街地の路地を1輌のBRDM-2が走っている、車体にはKPVT 14.5mm重機関銃が取り付けられており、ガンナーが迫る戦車級に向けて発砲していた。
戦車級の背中には何体かの闘士級や兵士級が乗っており、ごく稀に兵士級が盾になって致命打を免れる戦車級がいた。
しかし肉の壁をやるには薄すぎたようだ、大抵の場合闘士級や兵士級ごと14.5mmの弾丸によって戦車級の装甲が撃ち抜かれる。
「後何キロだ!」
「もう少しだ頑張れ!」
彼らは部隊の囮役である、BRDM-2を走らせてBETAを引き付けてきたのだ。
周りの市街地では第1親衛自動車化狙撃兵師団所属の歩兵達が待機しており、BRDM-2が走り去っていくのと同時に窓から姿を現し、手持ちのRPG-7やRPG-22で上空から戦車級を強襲した。
RPGの弾頭を喰らった戦車級は爆散して火だるまになり、乗っていた兵士級に引火してこちらもダメージを負った。
乗っていた何体かの兵士級は戦車級の背中から降りて建物に突入しようとしたがブービートラップに引っ掛かって撃破された。
「1階からBETA!兵隊が来た!」
2階で戦闘中だった兵士が建物にいる味方に叫び、何人かの兵士がAK-74を持って階段を降りた。
1階にいた兵士級は人を探知して2階に上がろうとしたが待機していた2名の守備兵が持つAK-74の射撃によってバタバタと倒れた。
「手榴弾投げるぞ!」
片割れの兵士が援護射撃の中、手榴弾を1階に投げ込んで兵士級らにダメージを与える。
中には闘士級も混じっていたがかなりの距離があり、接近する前に2階からやってきた増援の兵士らに仕留められた。
やがてはRPK74を持つ支援要員が後方から射撃を叩き込み、入ってきたBETAを殲滅した。
その間にも戦車級はBRDM-2を追いかけていたがある地点まで来ると突如BRDM-2は停止した、目的を果たしたのだ。
戦車級の眼前には数輌のBMP-2がおり、その周辺にはBTR-70もいた。
BETAを発見するなりBMPとBTRは一斉に30mm機関砲2A42と、KPVT 14.5mm重機関銃を発射し、通路に溢れる戦車級の群れを殲滅した。
周辺にはコンクルス対戦車ミサイルやRPG-22を装備した歩兵がおり、車両部隊の火力支援を行なった。
確実に50体以上はいた戦車級の群れも撃滅され、路地には戦車級の屍が転がっていた。
「よし!これで中隊規模は殲滅出来た、各中隊を前に出せ!押し込むぞ!」
「了解!」
担当区域の大隊長が指示を出し、何輌かのBTR-70とBMP-2が前進する。
正面を担う第1親衛自動車化狙撃兵師団の部隊はBETAの各隊を釣り上げて市街地で削りつつ、主力の防衛地点まで引き付けて火力で叩く戦法を取っていた。
その間に歩兵部隊は建物を渡って後方浸透を行い、BETAを撹乱していた。
結局浸透力と火力では闘士級、兵士級、戦車級の群れより自動車化狙撃兵部隊の方が有利であり、数を捌き切れるようになると自ずとBETAが不利になっていた。
しかも左右に展開するポーランド人民軍の第6空挺師団とソ連空挺軍の第7親衛空挺師団が左右から圧力をかけており、少しづつ押されていた。
ある地点では何輌かのBMD-1やBTR-ZDスクレージェト、BTR-RDローボトと共にソ連空挺軍の将兵が前進していた。
接近するBETAがあれば機関砲や73mm低圧滑空砲2A28を叩き込んで撃破し、兵士級や闘士級の小型種は空挺隊員らがAK-74の5.45mm弾を叩き込んで殲滅した。
「建物を占拠しろ!地上のBETAは車両がなんとかする!」
ある中隊長の命令で空挺隊員らが次々と建物に入り、内部の兵士級や闘士級を火力で殲滅した。
その間に迫る運搬級や戦車級の群れは待機中のBTR-ZDがZSU-23-2機関砲を叩き込んで文字通り皆殺しにした。
市街地には無惨に散ったBETAが横たわっており、一瞬でBETAの挽肉になった。
「2階に行け!急げ!」
「小隊長!」
近くにいた上級軍曹と共に小隊長の上級中尉は伏せ、壁を打ち破って戦車級が中に入ってきた。
「後退!」
手持ちの小火器を撃ちながらその場にいた数名の隊員は引き下がり、即座にRPG-16を持った空挺隊員が戦車級に向けて発砲した。
右手と右前足を吹き飛ばされた戦車級は上手くバランスを取れずに倒れ、もがくように腕を伸ばした。
「傷口に火力を集中!PRG次弾装填!」
上級中尉の的確な指揮によりPKMやAK-74の火力が大きく抉れた戦車級の傷口に叩き込まれ、その個体は深傷を負いすぎて機能を停止した。
「戦車級撃破を確認!」
「周辺警戒怠るな、まだ出て来るかもしれんぞ!」
こうした市街地での不意遭遇戦は後を絶たず、何名かの将兵が死傷していたが戦闘は続行可能であった。
しかもポズナンでの状況は改善しつつあった。
ポズナンの2個空挺師団の隷下にある空挺所属の戦術機部隊とポズナン飛行場の戦術機部隊が定期的に低空侵入による後方強襲を行っており、移動列に深刻な打撃を受けるケースが多々あった。
しかもポーランド方面に展開していた衛盾級のラザフォード場が消失したことにより、軌道爆撃を叩き込まれて列が途切れていた。
更にはシレジアとポメラニア方面での戦局の悪化により最悪の場合、中央攻勢部隊が孤立する恐れがあった。
最悪を危惧したベルリン・ハイヴはBETA中央攻勢部隊の交代を開始、一部分断された戦力とポズナンに取り付いている戦力を切り捨てて殿に回し、残りを後退させ始めた。
これが1984年7月28日、ポズナンでの出来事であった。
第1親衛自動車化狙撃兵師団はほぼ1ヶ月に渡ってポズナンを死守することに成功したのだ。
沿バルト前線の第6親衛戦車軍、第2親衛軍は7月末になると突破が難しい状況となりつつあった。
オーデル川を挟んだ東ドイツ側に展開する在独ソ連軍は7月20日にピノまで突破し、周辺地域の制圧に成功した。
これにより在独ソ連軍の部分攻勢は成功し、大きく分けて2箇所でBETAは道を絶たれオーデル川を越えての前進が困難となった。
その為7月24日のミエレンチン突破までは安定して進んでいた、問題は25日以降の話である。
この頃になるとポメラニア、シレジアの反撃が激しくなり、中央攻勢部隊がポーランドで本当に孤立する恐れがあった。
故にベルリン・ハイヴは予備として待機させていた戦術機級、超重突撃級を投入してでも両戦線の南下と北上を阻止させた。
これにより7月25日から第6親衛戦車軍の前面に展開するBETAの戦力は日に日に増え、1個親衛戦車軍を持ってしても突破が難しくなり始めた。
沿バルト前線は対応策として第6親衛戦車軍の支援に第4打撃軍の投入を決意した。
待機していた第4打撃軍の投入により、少しづつだが戦線は前へ進み、7月27日にはミエレンチンより16キロ弱離れたミシリブシュに到達した。
1日ほど戦闘が続き、7月29日には双方の戦闘領域が確定した。
同じ頃、シレジア方面の第3、第4親衛戦車軍は戦線をジェロナ・グラ=カシュチョル地点まで押し上げており、ジェロナ・グラに関しては後2、3日あれば完全制圧出来る勢いであった。
既に第1ウクライナ前線が保有するBM-27ウラガンやBM-30スメルチは発砲を開始しており、撤退中のBETAに対して打撃を与えていた。
撤退中のBETAに攻撃を加える為に定期的に軌道爆撃が叩き込まれ、地上からも第1ウクライナ前線がOTR-21トーチカやOTR-23オカーを用いた核攻撃を行っている。
第1ウクライナ前線のロケット砲兵部隊の射程圏内に撤退中のBETAが入っている、二度も三度も攻勢をやらせない為にここで削っておくのは意味のある攻撃だ。
その為にロケット砲兵達は多少無茶をしてでもBETAの移動中の部隊に火力を叩き込んだ。
一部のロケット砲兵隊は奪還したばかりのスワバから半径3キロのところに砲兵陣地を構え、ポズナンから退くBETAに対して火力を叩き込んだ。
発生した核爆発の下では常に何百、何千というBETAが撃破され、大地のシミとなって消えた。
このように第1ウクライナ前線側ではBETAに対して砲撃が可能だったのだが、ポメラニア方面から回り込む沿バルト前線はそうではなかった。
一応中央のポズナンから砲撃を叩き込めるとはいえ、やはりポメラニア方面の火力が薄く、完璧にBETAを撃滅出来る状態ではなかった。
この問題は沿バルト前線司令部でも共有されていた。
「現状ポメラニア方面から投入出来るのはオカーが限度です」
ヴァレリー・ミロノフ少将はゴヴォロフ元帥に対して地図で示しながらそう進言した。
「となればせめてゴジュフ・ヴィエルコポルスキまで前進せねばならんな。バルタ川で敵を防ぎつつ、ロケット砲兵部隊を少々前に出せば火力の集中が可能になる」
「ですな、では第2親衛軍、第6親衛戦車軍、第4打撃軍にはそう伝えます」
「頼む、ここが正念場だ」
補給を受けた第6親衛戦車軍、第4打撃軍は7月30日には動き出した。
隣接する在独ソ連軍は第20親衛軍の一部砲兵隊を第6親衛戦車軍の支援に回し、通常よりも数倍上の火力で前線の敵を叩いた。
打撃を与えた後装甲戦力と空中機動火力によって前線を押し込み、7月30日の段階で戦線を10キロほど前に出した。
やはり戦術機級や超重突撃級であっても砲火力の制圧で撃破、或いは致命傷を与えられるのが大きい。
7月31日にはゴジュフ・ヴィエルコポルスキから5.6キロの地点にあるサントツコを占拠し、いよいよゴジュフ・ヴィエルコポルスキへの突入が可能となった。
1984年8月1日、ついにBETAの攻勢は39日の月日が流れた。
破壊されたプレハブの街にT-64BVが突撃し、その後方に展開するBMP-1やBTR-70から歩兵が展開してBETAを蹴散らす。
そう撤退に合わせて第6親衛戦車軍の前面にいた部隊も退いていったようで敵の正面戦力はそれほど多くはなかった。
放たれた125mm弾が一撃で邀撃級を破壊し後方から来る増援はZSU-23-4シルカや歩兵を乗せたBMP-1が撃破した。
「戦車隊をもう少し前に出して歩兵の援護をやらせろ、中型種を歩兵から遠ざけるんだ」
市街地に突入直近のT-80BKから指示が入り、前線の戦車隊は更に前に出て要撃級らを追い回した。
その間に車両から展開した歩兵部隊は対戦車ミサイルや使い捨ての対戦車火器を持って破壊された街を隅々まで歩いて安全を確保した。
もし闘士級や戦車級が生き残っているのであれば即座に仕留め、そうでなければ旗を掲げて制圧を示した。
8月1日午前11時45分、第6親衛戦車軍所属の第17親衛戦車”クリヴォイ”赤旗・スヴォーロフ勲章師団第216親衛戦車連隊がバルタ川のそばまで辿り着いたことによりゴジュフ・ヴィエルコポルスキは完全に奪還された。
この時師団将兵らはあちこちで旗を振り、歓声を上げて勝利を喜んだそうだ。
同じ時期に別の方面では最悪の状況が広がっているとも知らずに。
8月1日、丁度この日に第1ウクライナ前線の各部隊はコットブス=ジェロナ・グラ間まで進出していた。
3個ある戦車軍のうち、第5親衛戦車軍はレグニツァ解放後にドイツ国境沿いのゲルリッツに向かって前進を続けた。
後方には第9親衛軍が第二梯団として続き、側面からは白ロシア前線の各部隊が支援を行った。
OTR-21トーチカや9K52ルーナ-Mが叩き込まれ、より近場のBETAにはウラガーンやスメルチのクラスター弾が降り注いだ。
側面に戦力を削いでも展開している第3軍、第10軍らによって阻止され、カルパチア山脈を越えられずにいた。
その間にドイツ側ではアメリカ陸軍第7軍団がゲルリッツ方面に向けても圧力をかけていた。
真正面からは止まることを知らない第5親衛戦車軍のT-80BVやT-80Uらが迫っており、125mm弾の嵐によって次々とBETAが砕かれていった。
それでもBETA側の部隊はかなり奮戦し、ナイセ川の近くまで第5親衛戦車軍が到達したのは1984年7月29日のことであった。
この間に第9親衛軍はBETAの殲滅を実行し、分断された大隊規模、連隊規模のBETAを潰していった。
ナイセ川周辺でBETAと交戦していることによって第9親衛軍と第5親衛戦車軍はこの後の悲劇に巻き込まれずに済んだとも言える。
同じ頃第3親衛戦車軍と第4親衛戦車軍はルビンからジェロナ・グナに向けて前進を続けていた。
この時第3、第4親衛戦車軍に与えられていた任務はジェロナ・グナを占拠して南下してくる沿バルト前線第6親衛戦車軍と共にルブリンに展開するBETAの退路を断つ事にあった。
第二梯団は引き続き第4軍、第1親衛軍が務め、沿バルト前線第39軍とポーランド人民軍シレジア軍管区の部隊はナイセ川まで前進して再び防衛線を構築する事に専念した。
隣接するNATO中央軍集団も戦力を北上させてベルリン・ハイヴを圧迫する方針を取った。
ドレスデンに展開していたアメリカ陸軍第7軍団は第3親衛戦車軍らと共に86キロほど離れたコットブスを占領した。
この時の第7軍団は本国から送られてきたアメリカ州兵部隊を増強戦力として受領しており、通常よりも戦力が上がっていた。
第5軍団も追撃時に勢いをつけてムルデ川を渡り、エルベ川の手前まで進撃していた。
それはドイツ第3軍団も同様でありハレから進撃を続けた第3軍団はルーターシュタット・ヴィッテンベルクに一部歩兵部隊が取り付きつつあった。
一方の白ロシア前線の2個親衛戦車軍も順調に進撃を続けていた。
第3親衛戦車軍と第4親衛戦車軍はポメラニアの第6親衛戦車軍よりも早くジェロナ・グナに到達し、砲兵隊が展開可能なほど後続の部隊が安定化させた。
これによりルブリンから撤退中のBETA集団に対して側面から砲撃が可能となり、軌道爆撃と合わせてかなりの数のBETAを叩き潰していた。
しかしベルリン・ハイヴもただやられているのを黙って見ている訳ではない。
主導権は人類側に握られつつあったがまだベルリン・ハイヴには手札が残っていた。
そして持っている手札をいつ切るかはまだベルリン・ハイヴの選択のうちであり、その点において攻勢の利を持っているのはベルリン・ハイヴであった。
多少無茶した決戦兵器にもう一度無理をさせる。
ベルリン・ハイヴ側の予兆を最初に感じ取ったのはやはり地中観測部隊であった。
ジェロナ・グナから28キロほど離れたウォホヴィツェから突如それは出現した。
先陣を通常の突撃級が切って大地に大穴を開け、その中から護衛の戦術機級と騎兵方が出現する。
続いて護衛用の光線属種が一気に出現し、最後に本命の標的が姿を現した。
超重光線級、そのうち1体である。
出現した超重光線級は自身の周辺に超簡易的なラザフォード場を展開し、まず自身と周辺の味方部隊を囲んだ。
人類はこの時初めて超重光線級の姿を見た、その巨体は六本の足で立ち、中央の主砲塔と両肩と思わしき場所に副砲等を備えていた。
「同志元帥!!例の標的が!」
「なんだと!?」
ジェロナ・グナより後方に司令部を構えていた第4親衛戦車軍司令部では早速出現の報告が届いていた。
当然だが偵察機や宇宙軍の偵察衛星を通じて情報は第1ウクライナ前線司令部にも届いていた。
その巨体が司令部のモニターに映し出され、参謀達全員が超重光線級を見つめていた。
「大きすぎるだろ……」
「あれが”ポーリュス”を吹き飛ばした……」
超重光線級は両肩の副砲と中央の主砲にエネルギーを集中させ、発射態勢を整えた。
モードを一点集中の収束から拡散へ切り替え、チャージ開始から10秒後に超重光線級は全身に溜まる溢れんばかりの熱を放出した。
超重光線級から放たれる濃い紫色のレーザーがほぼ180度全面に向けて発射された。
しかも一点集中ではなく拡散するレーザーである為超重光線級が向いている方向にいる全ての部隊に対してその火力は叩き込まれた。
前線をレーザーの熱が襲う。
拡散したレーザーは収束モードより圧倒的にエネルギーは落ちているが、たった一撃で戦車も戦術機も車両も破壊された。
T-80BVもT-80Uも容赦なく吹き飛び、直撃を喰らった将兵は遺体すら残らず蒸発した。
副砲から放たれたレーザーはコットブスに展開する第7軍団にも打撃を与え、展開していたブラッドレーやエイブラムスを吹き飛ばし、決して少なくないアメリカの若者を塵も残さず消し飛ばした。
レーザーを発射した際の衝撃は再び生え始めていた木々を吹き飛ばし、大地を割り、建物を崩し、人を引き裂いた。
強力なものはBMP-2を横転させて破壊し、上空に巻き上がって落ちてくる岩石に潰されて爆散した。
悲鳴も聞こえない、悲鳴は全て風を切るレーザーの音にかき消される。
ただそこには惨劇という言葉より生ぬるい光景が広がるだけであった。
レーザーの照射は15秒程続き、照射が終わると超重光線級から煙が上がり、余剰エネルギーの放出を始めた。
レーザー照射地点には土煙が上がり、視界状態は悪くなっていたが間違いなくその場にいる将兵は無傷ではなかった。
「くっ…!同志元帥!無事ですか!?」
衝撃波の余波でテントに設置していた第5親衛戦車軍の司令部も少し被害を受けた。
一部は骨組みが崩れて天井が落ちてきた為何名かの幕僚要員が軽い怪我を負った。
「ああ、問題ない。怪我した者はいないか!?いたら遠慮なく声を上げろ!そうでない者は被害状況の確認急げ!」
ローシク元帥は制服についた埃を払うと即座に状況を尋ねた。
あの衝撃である為前線師団の被害は甚大ではあるが正確な被害規模が知りたい。
流石に前線から300キロほど離れている第1ウクライナ前線にまで被害は及ばなかったが衝撃は大きかった。
参謀達の空いた口が塞がらない、中にはあまりの火力に頭を抱える者もいた。
即座に宇宙軍による軌道爆撃が叩き込まれたが周辺の光線属種が迎撃しつつ、超重光線級がラザフォード場を展開して防御を行った。
軌道爆撃でも超重光線級には傷一つついていない。
「なんて化け物だ……」
ローシク少佐は唖然とし、慄いていたがヤゾフは指揮官として頭を働かせ続けていた。
「……直ちに動かせる全航空戦力を投入して出現した大型光線属種の排除を実行せよ。今がチャンスだ」
「いやしかし……」
「今しかないんだ!どんな手を使ってでもあそこにいる光線級を仕留めねば我々の損害は増える一方だ!であれば多少戦術機を堕とされてもここで奴を仕留める!!」
ヤゾフの気迫に押され、参謀達は頷いた。
そこで1人の空軍中佐が手を挙げた。
「でしたら我々ソ連空軍に考えがあります」
恐らくこれは奇跡であっただろう、たまたまチェンストホバに運び込まれていた試作機が今回の戦いでは最も役に立つ存在である。
1984年8月1日、第1ウクライナ前線が総力を上げて超重光線級を仕留めようとしていた。
その先鋒としてちょうどいい部隊がいた。
第306独立親衛戦闘航空連隊はこの日、全機の修復が終わり戦力が完全に回復していた。
つづく