マブラヴ グレートパトリオティックウォー   作:Eitoku Inobe

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忠義の爲に捨る身の 名は芳しく後の世に
永く傳へて殘るらん 武士と生れた甲斐もなく
義もなき犬と云はるゝな 卑怯者となそしられそ
-”抜刀隊”より抜粋-


大攻勢のあとしまつ

1984年8月4日、BETA側の戦線はオーデル川とエルベ川より奥へ完全に後退した。

 

当初はベルリン周辺からポズナン、ハノーファー、ノイシュトレーリッツ、ドレスデンまで進軍したBETAであったが、各所で逆襲され今ではエルベ川とオーデル川に防衛線を展開する状況であった。

 

今回の戦いでBETAは大凡36個軍を展開して攻勢に出た、しかし一連の攻勢が終結した末に残った戦力は恐らく半数以下、予備としてハイヴ内に残していた戦力を合わせても以前の半数に達するかどうかというレベルであった。

 

特に超重突撃級、戦術機級は多数の人類軍を葬ったとはいえその分の損失も大きかった。

 

何より虎の子の超重光線級を3体全て失ったのは大きい、衛盾級は再生産出来るにしても超重光線級の再生産は今の資源では難しい状態であった。

 

これでベルリン・ハイヴの攻勢戦力はなくなった、つまり攻勢は破綻したという訳だ。

 

一方人類側もこの攻勢を跳ね除けるのに相当の犠牲を払った。

 

東西合計した損害は数十万を超える可能性が高く、NATO中央軍集団、北部軍集団、在独ソ連軍、フランス第1軍、沿バルト前線、第1ウクライナ前線の各部隊も戦力回復には時間が掛かるとされた。

 

それは空軍も同様である、戦術機級と戦ったNATO空軍とWTO空軍はかなりの数の戦術機を喪失し、飛行隊によっては2、3機しか稼働機が存在しない部隊もあった。

 

恐らくもう一度同じ規模の攻勢を受ければ防ぎ切れはしても今の戦線は崩壊するだろうというのが各司令部の見解であった。

 

特に第1ウクライナ前線の場合、攻勢の要である2個親衛戦車軍に打撃を受けた為当面の間攻勢を行うのは難しい状態だった。

 

これに対してソ連軍大本営は8月6日付でチェコスロバキアに展開する白ロシア前線をポーランドへ移転し、戦線の一部を担うように命じた。

 

一部の重戦力は再びオストラヴァからポーランドへ渡り、第1ウクライナ前線と沿バルト前線が担っている戦線を肩代わりした。

 

同時にソ連軍大本営は一部の部隊を第2ウクライナ前線、南欧前線と変えて早急に戦力を回復させた。

 

ウクライナとポーランドを繋ぐ鉄道は連日のように戦車や装甲車が運ばれ、兵員列車には無数の将兵が乗り込んで前線へ向かっていた。

 

殆どの部隊は一旦ワルシャワで降りてそこから別の列車か何かしらの方法で目的地に向かった。

 

ワルシャワでは戦地へ征く将兵に向けて連日、スラヴ娘の別れが演奏された。

 

指揮者は以前に引き続きヴァレリー・ハリロフ少佐、軍楽隊指揮官のミハイル・ハリロフの長男として生まれ、後にA.V.アレクサンドロフ名称二重赤旗・赤星勲章伝統歌謡及び舞踊アンサンブル、通称アレクサンドロフ・アンサンブルの指揮者などを務め中将まで昇進することになる。

 

弟アレクサンドル・ハリロフも軍楽家として活躍し、この戦争を綴った歌を数多く世に出すことになる。

 

ハリロフ少佐が奏でるスラヴ娘の別れが戦地に向かう将兵を慰め、銃後の人々の声援をメロディに込めて贈った。

 

度重なる戦いを生き延びてきた将兵らは何度もこの音色を聞いて来た、別れがいつか再会になる日を信じて。

 

同じ頃まだチェコスロバキア内に司令部を構える第1ウクライナ前線では戦闘後の業務内容が話されていた。

 

「我が前線の主力は殆どはポーランドに移転しました。残るは一部の予備部隊と司令部だけです」

 

「我々も司令部を直ちにポーランドへ戻さねば、どこか場所の候補はあるか?」

 

モイセーエフ大将はゾロトフ少将に対して場所の候補地点を尋ねた。

 

既に何名かの将兵がプルジェロフに設置された前線司令部の資材を移動しやすい態勢に移行している。

 

「以前のルブリンはどうでしょうか、あそこは戦闘の被害も受けていませんし以前まで使っていたので地の利があります」

 

「しかしルブリンは今の戦線から考えると少し遠くはありませんか?前線視察をするにしてももう少し近場がいいかと」

 

大佐に昇進したマリィツェフ大佐がそう進言した。

 

「であればウッチ、もしくはチェンストホバは如何でしょうか?あそこの距離の観点からしても大事ないかと」

 

「チェンストホバは空軍の一大根拠地だ、出来ればウッチにしよう。向こうの駐屯軍に掛け合ってくれ」

 

「了解」

 

マリィツェフ大佐とリトヴィネンコ中佐が敬礼し、その場を離れて何人かの幕僚要員を集めた。

 

別の個所ではステクリャル中将と何名かの国内軍将校らが集まり、ヤゾフに対して報告を行っていた。

 

「BETAの後方強襲ですが全体の規模は少なくなったとはいえ未だに続いています。特にグウォグフ、レグニツァ周辺の地域は8月6日から8月10日の4日間で35件、残敵以外のBETAの侵入が確認されています」

 

ソ連国内軍にとって目下の敵は後方に侵入するBETAであり、これを掃討する為に兵力を展開し続けていた。

 

また輸送部隊につける護衛の数も攻勢時から変わっておらず、正面の戦闘は落ち着いたが後方の負担はまだ大きい。

 

特に破壊された街々の復興が始まるとなるとそれにもまた兵力が割かれるだろう。

 

「地中観測部隊が早期発見を助けてくれるとはいえ、移動中のBETAに対して現状の能力では太刀打ち出来ません」

 

「大本営や参謀本部ともその点については協議している、何か良い案が浮かべば即座に共有するつもりだ。このままBETAに背後を自由にされては兵の士気にも関わる。デメーンティエフ大将!」

 

ヤゾフが呼んだの第1ウクライナ前線政治部長、ウラジーミル・デメーンティエフ大将であった。

 

BETA大戦が始まる前から各軍の政治将校の長を務め、第1ウクライナ前線の政治部長に就任する前は北カフカス軍管区の政治部長を務めていた。

 

中隊政治将校がいるように連隊や師団、それ以上の軍団、軍、軍管区や前線にも専属の政治部長は存在していた。

 

政治部長は隷下の政治将校らを取り纏め、軍事評議会への参加権を有している。

 

「前線将兵の様子はどうだ」

 

「各軍、師団政治部長らの報告を読みますと地域にもよりますが概ね士気は旺盛、少なくとも攻勢を跳ね除けた安堵感が大きいようです」

 

「そうか」

 

「ですが多くは二度目の攻勢を恐れています、簡単に墜とせるはずだったベルリン・ハイヴがこのようなことになったので行く先を不安に思う者も少なくないとか」

 

無理もない、ヤゾフはデメーンティエフ大将から報告を受けてまず最初にそう思った。

 

ここにいる面々だってまさかベルリン・ハイヴがここまで粘るとは思わなかった、しかも多数の最新鋭BETAを引き連れている。

 

戦闘中は気丈に振舞っていたが内心は焦りもしたし最悪も考えた、今は勝ったからいいがルブリンが突破されてワルシャワまでBETAが進出していたと思うと妙な汗が出る。

 

特に前線で戦術機級やら超重突撃級やらと戦う将兵からして見れば不安はもっと大きいだろう。

 

この点についてステクリャル中将も何も言わなかった、むしろKGB第3総局からの報告を受けている以上彼の方が将兵のメンタルについては詳しいだろう。

 

少なくともまだ大規模なサボタージュや軍規の崩壊は発見されていないことから多少の不満や愚痴は見て見ぬふりをしていた。

 

誰だってこんなことになれば言いたくなる。

 

「少なくともベルリン・ハイヴ攻略が始まるまで士気は高めておかねばならん。出来る範囲の対策を頼む」

 

「何名かの政治指導員らと協議します」

 

「頼む、国内軍の方も必要であればこちらから兵員を回そう」

 

「助かります」

 

戦闘は終わったが第1ウクライナ前線がやるべきことはまだまだ多くあった。

 

新たな戦いに備え、兵力を養わなくてはならない。

 

この戦争はまだ終わっていない。

 

 

 

-EU領域 地中海 ソ連海軍1143.7型"ウリヤノフスク"-

太平洋ウラジオストクから"ウリヤノフスク"率いる海軍航空師団が出港したのは7月14日の事だった。

 

ソ連海軍司令部は7月10日に太平洋艦隊司令部に対して"ウリヤノフスク"海軍航空師団をヨーロッパ方面へ移動させよという命令が出された。

 

太平洋艦隊司令部は直ちに艦隊の出港準備を始め、航路を設定し武器弾薬を詰め込んだ。

 

これらの準備に4日かかり、"ウリヤノフスク"は14日にウラジオストクの港を出た。

 

日本海を渡って対馬海峡を通り抜け、東シナ、南シナ海を通って一旦ベトナムのホー・チ・ミンに立ち寄った。

 

ベトナムで食糧や水、燃料などを補給し、司令官のゴキナエフ少将と大佐に昇進した艦長のヴィセーニン大佐、ベルグロフ大佐はホー・チ・ミンに駐屯するベトナム人民海軍の司令部と会談を行った。

 

ベトナムに滞在した後、"ウリヤノフスク"率いる海軍航空師団は再び大海原へと出港し、現在はスエズ運河を通って地中海にいた。

 

このままジブラルタルに立ち寄って再び補給を受け、大西洋、ドーバー海峡、北海を渡ってロストク周辺に展開する予定であった。

 

艦隊編成は以前斯衛の乱で組んだ編成と同じ、58型が二隻、1134B型が二隻、1135型が二隻、61型が一隻、57-A型が二隻の編成であった。

 

艦隊は移動隊形のまま地中海を航行している。

 

かつて地中海は危険な海であった、アドリア海からはユーゴスラヴィア方面からやって来るBETAが出現し、中東、アフリカからも稀に海城航行型BETAが出現した。

 

その為人類側の海軍は地中海安定化の為に戦力を展開しており、そのうちの一部がソ連海軍所属の"ノヴォロシースク"であった。

 

それが今では地中海にBETAが出現することは完全になくなり、最後の発見記録は去年の事だ。

 

ユーゴにいたBETAもアフリカ、中東にいたBETAもみんな死んだ、これだけで人類がどれだけの流血を代償に地球を取り戻していったかが分かる。

 

"ウリヤノフスク"が戦闘隊形を取らずに航行し続けられるのも彼らが命をかけてこれまで戦ってきたからだ。

 

ベルグロフ大佐は甲板にいた、地中海の潮風を浴びながら甲板に立っているSu-27Kを眺めた。

 

「ヨーロッパは久しぶりだ」

 

ベルグロフ大佐はふと隣にいたミハールキン中佐に呟いた。

 

「去年帰国した時以来ですな、ウラジオストクの生活もいいですがヨーロッパも懐かしいです」

 

「トゥクムスとリガに勤務していた頃を思い出す。中佐も行ってみるといい、いいところだよ」

 

「そんな時間あったらですけどね、当分は忙しくなりそうです」

 

生きて帰れるかは分からない、ミハールキン中佐は敢えてそうは言わなかった。

 

ハイヴは最早1つ、戦争も終盤だというのに誰だって死にたくはない。

 

それは例え指揮官や政治将校であったとしても同じように思っていた、例え十中八九死ぬ任務であっても「俺だけは違う」と思えるのが人間だ。

 

「ん?あれは……」

 

2人が甲板から海原を見ていると艦隊の横合いから別の海軍艦隊が並走するように航行してきた、遠くてよく見えないが艦艇の形状と保有している空母からして西側の海軍だろう。

 

イタリアかアメリカ、イギリスかもしくは日本、少なくともフランス海軍の空母は地中海には展開していなかったはずだ。

 

よく見ると改エセックス級らしき船体であり日本帝国海軍所属の部隊であることが分かった。

 

地中海に安定化部隊として展開していた”鞍馬”率いる第二艦隊である、この時”鞍馬”は”ウリヤノフスク”に向けて言葉を送っている。

 

暫く日本海軍の艦隊とソ連海軍の艦隊は地中海を並行して航行し、同じ目的地へ向かおうとしていた。

 

日本海海戦から79年、誰が日露の空母が並走して同じ味方として航行することを想像出来ただろうか。

 

歴史は確実に変わっている、この光景が今後も続くかは分からないが一先ず今は融和の時代であった。

 

「日本海軍もこのままジブラルタルへ向かうのかね」

 

「いえ、恐らく先んじてジブラルタル海峡を抜けて北海側に展開するでしょう。補給はヴィルヘルムスハーフェンで行われるかと」

 

「ならジブラルタルでお別れか、あの艦は」

 

「多分例のクーデターには参加してないと思います、丁度海外派遣に向かっていた段階でしたから」

 

日本帝国と聞くとどうしても彼らの脳裏には斯衛軍の姿が過ぎる、久方ぶりの人類同士の戦いで殺し合った相手だ。

 

日本帝国自体にそこまでの悪印象はないのだがそれはそれとして斯衛軍がいた国という風にベルグロフ大佐は覚えていた。

 

「そういえばヴィセーニン大佐の話ではクーデターの時に反対側で一緒に戦っていた”出雲”がこちら(ヨーロッパ方面)へ来るそうだ。彼らも、大変だな」

 

「きっと今回の事件の落とし前でしょうな。結局苦労するのはやった側ではなくやられた側ですよ」

 

その点において同じ海軍人として2人は日本海軍には若干同情的であった、西側の軍隊ではあるが一緒に戦った仲であるし、斯衛軍の一件で後始末を負わされているのは素直に可哀想であった。

 

しかし同時に日本海軍の海上艦隊戦力を引っ張ってこれるのは大きいとも見ていた、今となっては日韓は東アジアで貴重な海外派遣可能な国家である。

 

ベルリン・ハイヴを堕とす為に少しでも多くの戦力が必要な今、極東アジアの戦力は貴重だった。

 

「ここにいましたか」

 

丁度1人の将校が敬礼して2人の前にやってきた、ヴィセーニン大佐の後任である二代目副長、レオニード・ブレコフスキー中佐だ。

 

彼は元々キエフ級”バクー”の副長であったが試験が終わった辺りに二代目副長に内定し、5月頃に”ウリヤノフスク”へ転属してきた。

 

その為”ウリヤノフスク”での任務は今回が初めてだ。

 

「艦長と少将がお呼びです1時間後の会議の打ち合わせを行いたいとかで」

 

「そうか、では向かおうか」

 

2人は共に歩む日本海軍の艦艇を背に、”ウリヤノフスク”のブリッジへと向かった。

 

「ところで何の話をしていたんですか?」

 

ふとブレコフスキー中佐は2人に尋ねた。

 

「ただの雑談だよ、船に乗るパイロットは時にぼうっと海原を眺めたくなるんだ」

 

何度も見ているこの景色も今回で見納めになるかもしれない、何せ次の死場所は海ではなく穴蔵の中だ。

 

着々と世界中から主要な陸海空戦力がヨーロッパ方面へと集まりつつあった、残り最後のハイヴを確実に堕とす為世界の力が必要だったのだ。

 

既にフランス海軍所属の空母”クレマンソー”を大西洋側の任務から本国へ戻し、急ぎ北海へ艦隊を進めていた。

 

本国に残る”フォッシュ”もフランス本土から艦隊を率いて出航し、現在大西洋で安定化と警戒任務についているのは元ヘリ空母の”ジャンヌ・ダルク”だけとなった。

 

一方のイギリス王立海軍も本国に残っていたHMS”ブルワーク”、HMS”アーク・ロイヤル”らを出撃させ、対BETA戦に投入していた。

 

これに合わせてソ連海軍も”ウリヤノフスク”以外にも北方艦隊の本拠地であるムルマンスクに戻っていた”アドミラル・クズネツォフ”、”キエフ”、”バクー”を出撃させた。

 

アフリカ方面の大西洋で任務に当たっていた”リガ”も呼び出し、ソ連海軍は原子力空母一隻、通常動力型空母二隻、軽空母二隻の体制でベルリン・ハイヴ戦に挑むこととなった。

 

当然だがここにアメリカ海軍の空母と日本海軍の”鞍馬”と”出雲”も加わる、これだけで一体幾つの戦術機飛行隊が運用出来るのだろうか。

 

既に北海もバルト海も地中海も、世界の海は全て人類のものである。

 

その洋上を統べる海軍から放たれる戦術機が最後のBETAを駆逐する嚆矢となることを、恐らくベルリン・ハイヴはまだ認識していない。

 

 

 

 

-日本帝国領 東京 市ヶ谷 日本帝国国防省庁舎-

既に斯衛の変から丁度4ヶ月の月日が過ぎている。

 

斯衛軍に襲撃された市ヶ谷もようやく元に戻り始めており、斯衛軍に対する処置もひと段落ついたことから斎藤大将らの幕僚要員も市ヶ谷に戻ってきた。

 

とはいえ斯衛軍問題が片付いたからひと段落という訳にもいかない、8月4日に米国政府並びに国連軍より日本軍のヨーロッパ派遣が要請されたのだ。

 

当然だが斯衛軍の一件で国連軍、特に米ソに大きな貸しがある日本帝国はこの要請を断れるはずもなく、まず地中海に派遣していた空母”鞍馬”を急行させた。

 

その後市ヶ谷では統合参謀会議の面々が集まって派兵する兵力についての概算を行っていた。

 

既に陸海空の三軍参謀機関からはある程度派遣可能な部隊についてのリストが作成され、斎藤大将の下に届けられていた。

 

「そもそも国連軍はどれほどの兵力を要求しているかだ、養成所を見る限りでは必要な兵力は主に航空戦力とされている」

 

斎藤大将は書類を片手に各幕僚らに呟いた。

 

「現状海軍軍令部からは”鞍馬”の他、横須賀の”出雲”を派遣する予定であるとしています」

 

「恐らく向こうの要請だと空母二隻分では足らんだろう。彼らが要求しているのはベルリン・ハイヴ攻略の為の戦力だ、だから航空戦力が必要なんだ」

 

「それでいいますと我が空軍はF-15J装備の飛行隊を幾つか派遣出来ます。外地から帰還した兵力を合わせれば1個航空団編成の上、派遣も可能です」

 

木原空軍少将は古巣の兵力を確認しながら斎藤大将に進言した。

 

これらの飛行隊のうち、幾つかは中東やアフリカでハイヴ突入を経験した部隊であり、国連軍の要求にも適う練度であった。

 

「まあ米ソの空母を二隻ずつ借りていたのだ、こっちも空母二隻に航空団を上乗せしなければ恩返しにはならんか。陸軍に関してはほぼ後詰めも後詰めだ、師団規模戦闘団を編成して送れば十分だろう」

 

「問題はどこから兵力を抽出するかですな」

 

坂城少将の発言に斎藤大将は困ったような表情で小さく頷いた。

 

現在東部方面軍、中部方面軍、北部方面軍は2月の北海道戦役と4月の斯衛の乱に関する後始末、戦後復興でかかりっきりであった。

 

北部方面軍は純粋にハイヴ跡の調査やBETAによる汚染被害地域の調査などで忙しく、東部、中部方面軍も旧斯衛軍施設の管理や引き継ぎ、戦闘地域の不発弾の確認や復興作業の従事など派兵は可能なれどこれ以上の負担は望ましくないという状態である。

 

特に垂井から関ヶ原、彦根から大津にかけての地域は斯衛軍との決戦を行った場所であり、警察共々斯衛軍の銃器関連の取り締まりを行っていた。

 

その為手隙であったのはクーデターの被害が全くなかった東北方面軍と、比較的小規模に終わった西部方面軍である。

 

九州における斯衛軍の反乱はほぼ不発に終わった、当時九州守護軍を務めていた有馬資親少将は革新派であり、旧守派の要求を完全に跳ね除けた。

 

その結果資親は暗殺されてしまうのだが、死の直前に放った「旧守派を潰し、猊下を守れ」という発言を聞いた立花、伊東、鍋島ら斯衛軍の指揮官級が軒並み反クーデター側に回った。

 

しかもこの発言を西部方面軍も聞いており、隷下の第4師団、第8師団を動かしてクーデター軍征伐に出向いた。

 

結果九州におけるクーデター軍は手持ちの兵力が守護軍の半数以下となり各所で討たれ、残存兵力は熊本城辺りに立て籠って抵抗したが1日も持たずに降伏した。

 

故に戦闘があったが近畿から関東にかけてのものより比較的小規模に終わった。

 

守護軍司令の資親が暗殺されたことにより九州の斯衛軍自体の発言力も削がれ、郷土防衛隊に組み込むのも容易であった。

 

「東北の6師、9師、西部の4師、8師から兵力を抽出し、そこへ一部戦車大隊を組み込めば十分対BETA戦で活用出来る兵力となるはずだ。直ちに両方面軍司令部へ伝えろ」

 

「はい」

 

陸に関しては既にアメリカ本国の部隊と常駐のNATO軍がいる、無理に送らなくてもいい。

 

「どうせなら旧斯衛軍の者を送ってしまえばよいのではありませんか?」

 

冗談混じりに千代谷少将がそう呟いた。

 

「バカを言わんでくれ、連中の兵じゃいざという時に役に立たん。大陸で粛清人事をするのは先代までにしておきたい」

 

純粋に斯衛軍の将兵では仮に常設の師団であっても練度はそれほど高くないと今回の一件で判明した、いざ粛清人事でヨーロッパに送っても物の役に立たないのでは世界に顔が立たない。

 

少なくとも陸軍においては信頼のおける部隊を派遣する必要がある、だが空は別であった。

 

「ですが閣下、空軍に関しては旧斯衛軍出身者を派遣してもよいのではないかという意見も出ています」

 

「何?」

 

「装備がF-4止まりなだけで一部の腕に関しては我々も認めざるを得ません。森閣下も旧斯衛軍出身者の派兵についてはかなり前向きな姿勢です」

 

なんだかんだ信真が中東にアフリカにと斯衛軍を実戦に出した影響は大きい、一部の”瑞鶴”乗りはハイヴにも突入して生きて帰ってきた。

 

これにより斯衛軍の衛士は一部ではあるがかなりの高い練度を有していた、先の乱でその多くも討たれたがまだ生き残りはいる。

 

特に有名な者が2人、これに関しては斎藤大将も練度を認めざるを得なかった。

 

「……また彼らに、同胞の名誉挽回をさせるつもりか?」

 

「こうなってしまっては仕方ありません、少しでも旧斯衛軍出身者に手柄を立てて貰わねば。国内の旧家批判もいき過ぎては世に禍根を残しますし」

 

木原少将の発言は尤もだった、政治や国民統合においてこれ以上かつての武家にヘイトを貯めることはよろしくない。

 

いずれ暴発して要らぬ反乱を招いてもそれで苦労するのは我々(日本軍)だ。

 

少なくともそれが分からない者はこの場にはいないし、故に日本政府側も今回のヨーロッパ派遣部隊に関してある政治的な意図を含めて斎藤大将に要望を出してきた。

 

「分かった、選定に関しては空軍参謀本部に任せる。問題は今回の派遣部隊全体の指揮官だ」

 

この時斎藤大将は総務部長である須坂伸哉空軍少将の方を見た、須坂少将も顔を顰めながらも頷いた。

 

「……我々は今回の司令官を陸海空どこかの中将クラスを据えようとしたのだが首相と国防相から1つ要望が入ってきた」

 

「一体何のです?」

 

「元斯衛軍大将、山城興正を予備役から復帰の上、今回の司令官に任命したいとのことだ」

 

その場にいた全員があり得ないという表情をしている、無理もない、最初は斎藤大将だって反対した。

 

「閣下、それはあまりに無茶が過ぎます。それに山城殿はもう退役しているではないですか」

 

「だから予備役から復帰の上、とつけたのだ。それに日本だと彼は数少ない派遣軍の総司令官だった男だ、退役したと言っても2ヶ月前の話だしまだ現役復帰は出来る」

 

「しかし、山城閣下に悪き点はないとはいえ斯衛軍です。元斯衛軍の将官に国民の将兵の命を預けるのは…!」

 

「だから良いのだ、木原くんが言ったような禊にもなる。それに元斯衛軍の大将が国防省の命令を聞くというのは我々が斯衛軍を完全に取り込んだ証ともなる。政治的なパフォーマンスの影響は大きい」

 

かつての独立王国に近かった斯衛軍が日本帝国の国防省の命を聞いて外地へ出兵する、日本軍は完全に斯衛軍を取り込み武家の権威の象徴は潰えたと世間に知らしめることが出来る。

 

それに旧武家としても山城興正大将が軍を率いて最後のBETA討伐に貢献したともなればようやく旧武家の汚名も返上出来るというものだ。

 

武家の権威を剥ぎ取った以上、これ以上武家にヘイトを集めてもならぬというのが政治家達の思惑であった。

 

そして軍事は政治の延長線にある以上国軍もその影響を受けることになる。

 

「勿論戦いが終わり、兵を退くとなったら山城大将にも再び予備役に戻ってもらう。まあ何より、山城大将がこの話を承諾してくれるかということだが……」

 

恐らく当人は断るだろう、それをどうにかして承諾して貰わねば話は始まらない。

 

「全く、旧守派のせいで面倒続きだ」

 

日本軍統合参謀会議議長、斎藤三弥大将が少なくとも昭和の時代において初代議長の林敬三大将に次ぐ任期を誇った理由は言うまでもないだろう。

 

激動の時代を生きた軍人の代表例である。

 

 

 

 

 

8月10日に国防省より現役復帰を言い渡され、ヨーロッパ派遣部隊司令官を任命された山城興正は1日悩んだ末に命令を受諾し、”()()()()()()”として軍務に復帰した。

 

日本軍といっても制服は斯衛軍時代のまま、腕に日本軍のエンブレムワッペンのみ縫い付けて大凡2ヶ月ぶりに軍服に袖を通した。

 

8月12日、興正は京都の屋敷より東京の国防省庁舎へ向かう為に親類縁者を集めて食事を行い、”もしも”に備えて最後の挨拶を行なった。

 

「一介が亡くなってから間も無く3年ですか」

 

「ええ、軍人として立派な最期と聞いております。興正殿、是非兄の仇を頼みましたぞ…!」

 

山城家も外様とはいえかなり有力に近い為それなりに家族はいた、今興正と話している山城大介もそのうちの1人である。

 

大介の年齢は今年で25、一応彼は現役の軍人であり東北守護軍で反クーデター軍に属していた為最悪を免れた。

 

今は京都の方面に配置換えとなり、今回の親類の集まりに参加出来た。

 

ちなみに兄、山城一介も軍人であり、1981年のデザート・ストーム作戦において隷下の中隊を指揮して戦死している。

 

山城家は所謂外様武家である、武家社会においてヒエラルキーは最も低い。

 

大半の下級武家がここに属し、武家制度が残っている間は食うにも困る生活をしていた。

 

しかし山城家は外様でありながら斯衛軍によく尽くし、数多くの将官や名を挙げた軍人を輩出してきた、その1人が興正である。

 

何故ここまでの名声を確保出来たか、それは山城家が軍務に服し実戦で戦果を上げてきたからだ、多くの犠牲と共に。

 

硫黄島に斉御司の者と共に実は山城の者もいた、戦死して帰ってこなかったが。

 

その後のベトナム戦争、BETA大戦においても興正を始めとした何名かが義勇兵として出陣し、中には戦死する者もいた。

 

一介もその1人だ、山城家は今時大戦で多くの犠牲を出している。

 

一介、与八、信武、義廉、朝景、宇尚、鶴彦、皆BETAと戦って死んだ。

 

本来であれば山城家の親類行事にはもっと多くの人がいた、だが戦争の影響でかなり減っていた。

 

「日本軍自体は後詰め、期待に添えるかは分からんが、努力はしよう。そういえば上総の姿が見えんが…」

 

上総というのは数年ほど前に生まれた山城家の女児、山城上総のことである。

 

この時はまだ齢一桁の幼子であり、本来であれば恐ろしい運命を辿ることになるのだが、誰もそんなことは考えていなかった。

 

ちなみに大介からすれば上総は姪に当たる。

 

「我が姪なら夕食を済ませ、風呂に入って遊び疲れて寝てしまったとか」

 

「早いな」

 

「まあ幼子ですから、会いに行かれますか?」

 

興正は少し考えた上で顔を見に行くという決断をした、もしかしたらこれが今生の別れとなるかもしれない。

 

興正は立ち上がって大介と共に客間の寝室へ向かった。

 

すっかり夜は更け、虫の声が聞こえる。

 

障子を開け、寝室へ入るとそこにはまだ幼い上総と彼女の母がいた。

 

「興正殿」

 

母は立ち上がって頭を下げようとしたが興正が制止し、静かに上総の隣に座り込んだ。

 

「顔だけ見にきただけじゃ、これが別れになるかもしれんからな」

 

上総は静かに眠っていた、興正は戯れに上総の頬を撫でてやったが起きる気配はない。

 

幼子を見ていると元斯衛軍大将といえど自然と笑みが溢れた、長く忘れていた穏やかな気持ちがこの時は心に溢れていた。

 

それと同時に幼い一族の子に対する罪の意識もあった。

 

寝ている上総に対して興正は懺悔のように呟いた。

 

「……この子には、何も残してやれんかった。武家の名誉も、武家の生き方も、いずれは財も、山城の家には……武家には遂に何も残らなかった」

 

「そうおっしゃいますな、興正殿のせいではありません」

 

「何にも関われんかったからな、猊下をお守りするのも、輝光殿を助けることも、何もしなかったから何も残らなかった」

 

興正はノンポリの将軍である、政治派閥とは距離を置いて軍規に忠実に従ってきた。

 

その結果アフリカ派遣軍司令官に任命され、斯衛の変には一切関与しなかった。

 

故に今日まで生き延びられたのだが生き残った罪禍の意識というものは確かにあった。

 

何も出来ぬままに武家は消え、斯衛軍すらなくなった。

 

そして今、自らも何も為さぬうちに日本軍の犬となろうとしている。

 

「だがせめて、この子が戦に出る未来は防いだつもりだ。一介や与八らが命をかけて戦い、BETAの侵攻を防いだ。この子が大きくなる頃にはこの戦争も歴史となっているだろう。それでいいのだ、最早武家ではないのだからこの子も戦う義理はない」

 

興正は静かに上総の頭を撫でながら彼女の将来を案じた。

 

「何も残せなかった者が言うのは烏滸がましいが……せめて上総には元気に成長し、いずれ良き友を得て、普通の若者のように生き、幸せになって欲しいものだ。その為に私はもう一度戦場へ立とう」

 

決意を固め、興正は立ち上がった。

 

「邪魔をしたな」

 

興正は微笑を浮かべてそのまま寝室を立ち去った。

 

彼女が大人になる頃には武家など遠い過去の産物なのだろう、であれば武家の義務も彼女には関係ないはずだ。

 

武家が武家たる所以の義務を果たすのは興正が最後、その最後の奉公を今回日本帝国より与えられた。

 

例え斯衛軍の将校としてでなくとも、武家の義務は果たさねばならない。

 

恐らくは彼らこそが最後の侍なのだろう。

 

朝が明け、8月13日となった。

 

興正は静かに朝食を摂り、軍服に着替えると屋敷の仏壇に手を合わせ先祖と武の神々に向かって出陣の挨拶を行った。

 

腰のベルトに軍刀を吊り下げ、斯衛軍の制帽であるケピ帽を被る。

 

フロックコートの軍服もこれで着納めだろう。

 

ちなみに山城家は外様武家である為家格を表す制服の線は白色のままだ、これは興正が大将に昇進しても何も変わらない。

 

こうした外様の将官は将官になれない有力武家、譜代武家の者達からは妬み、嫉みの対象にされていた。

 

成金侍とかと金将軍などと愚弄されることも珍しくない。

 

邸の玄関を出ると既に日本軍の軍人が2名ほど待機していた。

 

「お待ちしておりました、陸軍中佐の室賀です」

 

「同じく陸軍大佐の朽木です、国防省まで閣下に同行させて頂きます」

 

「陸軍大将山城興正である、2人の出迎えに感謝を伝える。では参ろうか」

 

そういって興正は用意されていた車に乗り込み一旦京都駅まで向かった、ここから鉄道で一気に東京まで向かう為だ。

 

移動の最中興正はふと嵐山の方角を見た、車中から見える嵐山は大火力を投入した影響か頂上周辺が若干焦げたままである。

 

あそこで興正のかつての同僚達が皆死んだ。

 

生前の彼らと興正の関係はそれほど良くはない、興正は外様武家出身で旧守派でもない、ほぼ実力で上がってきた男だ。

 

それ故にあらゆる派閥とのしがらみを持たず、旧守派からは御し難い男として警戒されていた。

 

それでも認めてくれた男達もいる、信真と輝光だ。

 

2人とも義勇兵として度々顔を合わせた中、特に輝光は外様であっても他の諸将と同列に扱い、分け隔てなく接してくれた。

 

信真はその点ある意味で輝光と同じ平等性を持っていた、彼からすれば赤だろうが金だろうが白だろうが皆自分の駒としか思っていない。

 

どちらにせよ彼らには大恩がある、斯衛軍大将という最高位の階級を頂けたのは信真と輝光あってこそだ。

 

そんな恩人達に対し何も返せぬまま別れとなってしまったのは心苦しい。

 

興正はせめてもの手向けとして2人が死んだ嵐山と将軍邸に向けて黙祷を捧げた。

 

京都駅から東京駅に向かい、そのまま興正一行は市ヶ谷へと向かった。

 

国防大臣、統合参謀会議議長の2人に正式に辞令を頂き、興正はこれで名実共にヨーロッパ派遣軍の司令官となった。

 

勿論陸軍大将の肩書きで。

 

その後興正は議長の執務室に呼ばれ、もてなしを受けた。

 

平野中佐が茶を入れ、仕事を終わらせた斎藤大将は興正とは反対側のソファーに座った。

 

「中佐、下がってくれ」

 

「はい」

 

平野中佐は敬礼し一旦執務室を後にした。

 

この部屋に残るのは大将の2人、かつては別々の軍で一軍を率いていた者だ。

 

片方は戦後処理の一環で片方を退役させようとした、そしてその片方は意を汲んで辞職した。

 

ある意味では因縁がある、本来もう1人強い因縁を持っている男がいるはずなのだが彼は”鳳鷲”の中で腹を切った。

 

「まずは復帰おめでとうございます、新しい制服は用意していますのでご安心下さい」

 

先に言葉を発したのは斎藤大将の方であった。

 

「一度は軍に忠誠を誓い、この国の為にBETAと戦った身、どの程度役に立つかは分かりませんが地球上からBETAを一掃出来るよう努力します」

 

「頼みました、山城大将の支えとして派遣軍司令部と統合参謀会議からも人を出します。皆、貴方の人柄は知っているのできっと力になってくれますよ」

 

「かたじけない、是非お願い致す」

 

興正も結局は斯衛軍人、斯衛軍人の下で戦いたくはないという将兵もいるだろう。

 

そういった者達の間を取り持つ為に何名かの幕僚要員が興正の下に就くことになっていた、勿論興正当人の監視役も含めて。

 

「しかしかつての斯衛軍で現役の大将は貴方だけになってしまいましたな」

 

「ええ、私の同期も多くが旧守派に与し、皆腹を切るか裁きを受けています。南部殿や本居殿は後輩にあたりますから大将以前に私の同期は誰もいなくなってしまいました」

 

興正の発言にはどこか寂しさのようなものが籠っていた。

 

今回の派兵でも配下の者は皆日本軍の将兵であり、かつて斯衛軍であった者はごく僅かである。

 

なんなら指揮も基本的には参謀長と幕僚要員が取るのだろう、今回の司令官職は名前だけのものだ。

 

「……何故、皆武家の義務に忠実であれなかったのでしょうかね……」

 

興正は嘆くようにふと言葉を漏らした。

 

興正の考えは比較的に信真と近いが信真よりはまだ穏やかなものであった。

 

武家が生きる為には与えられた軍務への奉仕をこなし続けていけば良い、そうすれば存在を許されるだけの価値が生まれるだろうと。

 

その為興正は山城家の為自らを律し、忠実な軍人として人生の全てを捧げてきた。

 

さすれば武家であり続けられるだろうと、無論結果はお察しの通りだが。

 

「……閣下に聞くようなことではございませんでしたな、忘れてくだされ」

 

「いえ、私だって思うことはありますよ。特に輝光殿に関しては」

 

少なくとも斎藤大将と輝光はそれほど悪い関係ではなかった、お互いの組織を背負って対立することはあっても互いにリスペクトがあり、お互いの苦労が分かっていた。

 

それ故何故、自らの命をかけて成功しそうにないクーデターに参加したのかということが最後まで分からなかった。

 

組織を背負うにしても自ら汚名を被ることもないだろうに。

 

「輝光殿は誰よりも生真面目で、武勇と知略に長け、五摂家として立派な方でありました。私と同じく自らを律し、斯衛軍と祖国に忠義を尽くしてきた。それが何故そうなったか……私にも分かりません」

 

「取り巻きに絆されたか……或いは最期のひと暴れであったか……いずれにせよ自らの命と名誉を投げ打ってまですることではなかった」

 

「それについては閣下に同意します。輝光殿は大逆の罪を背負った、どのような理由があろうとも許されざることです」

 

斎藤大将も斯衛軍潰しの一端に携わっていた身である、多少思うところがない訳ではないがクーデターに関しては起こした側に全ての責任がある。

 

故に輝光がどんなに高徳ある人間だとしてもその罪は死してなお残り続けるのだ。

 

軍服を脱いで手を合わせることはあっても、軍服を着ているうちは敵とみなす他ない。

 

「輝光殿と武家の不祥事、私の働きでどれほど償えるかは分かりませぬが、努力致します」

 

「苦労をかけます。最早武家や斯衛軍との争いは終わった、これからは互いに日本帝国へ忠義を尽くしましょう」

 

そういって斎藤大将は手を差し出した。

 

興正は静かに斎藤大将の手を握った、かつて斯衛軍だった者と日本軍のトップが手を握り一つとなった瞬間である。

 

かつてこの日本国に存在した斯衛軍の名残はこれで完全になくなった。

 

 

 

 

 

-日本帝国領 岐阜県 岐阜基地-

岐阜県に位置する岐阜基地には日本空軍の新型機、新型装備の実験運用を行う航空実験団が存在していた。

 

何機かのF-14JやF-16NJもここに送られて実験や新装備の装着実験を行っており、斯衛の変においても航空部隊の1つとして出撃した。

 

現在は通常の業務である新型機と新装備の実験運用を行なっており、今も新型装備を身につけた赤色のF-15Jが滑走路から上空に飛び立っていった。

 

そこへ崇継と介六郎は呼び出された、彼らは東北の仙台航空基地から”瑞鶴”に乗って岐阜基地までやってきた。

 

彼らが”瑞鶴”に乗るのは久しぶりだ、最近はF-15Jの機種転換訓練でこちらにばかり乗っており、”瑞鶴”とは最早お別れという段階にあった。

 

今後は残る”瑞鶴”もF-15Jへの転換が進められ、やがて消えていくのだろう。

 

斯衛軍が作った斯衛軍の象徴ともいうべき戦術機は斯衛軍の消失によって過去のものになろうとしていた。

 

2機の”瑞鶴”が着陸すると速やかに格納庫に機体を移し、操縦してきた崇継と介六郎は衛士強化装備から通常の空軍制服に着替えて一旦基地司令部に向かった。

 

2人は以前の斯衛軍の制服とは違い、すっかり日本空軍の青い制服に身を包んでいる。

 

日本空軍の制服はアメリカ空軍と日本陸海軍の名残が残ったものだ、肩章は陸軍と同じショルダーストラップのもので色は銀をベースに階級によって青線が引かれている。

 

腕章は海軍のものと同じ、黒色に近い海軍式の腕章で憲章と共にその人物の階級を示していた。

 

主に左胸に略綬とパイロット徽章が取り付けられており、右胸のポケット辺りにはネームプレートを取り付ける決まりである。

 

そしてついている職によっては右肩から参謀ないし武官用の飾緒を取り付ける決まりであり、他にも空軍参謀本部や統合参謀会議付の者はそれ専用のバッジを制服に着けている。

 

崇継と介六郎の制服には義勇兵、斯衛軍時代の略綬が取り付けられており、その他にはパイロット徽章が付いていた。

 

「斑鳩崇継大尉、真壁介六郎大尉、航空総軍司令部の命令により岐阜基地に参上しました」

 

2人は基地司令官に挨拶した後に駐屯している航空実験団の司令官である濱田堯志空軍准将に挨拶を行った。

 

「ようこそ岐阜基地へ、早速だが篁少佐から話がある」

 

そう言ってソファーに座っていた祐唯を呼び出し、彼は敬礼して挨拶を行った。

 

「技術研究本部付の国防技官、篁祐唯少佐です」

 

「”瑞鶴”の開発に携わったあの篁さんですね、存じていますよ」

 

「2人のように篁少佐もクーデター参加の疑いがなく、斯衛軍解体後は技本の空軍部門の技官になった」

 

というのは表向きの理由である、実際はクーデターが始まる前から祐唯は日本軍に鞍替えしていた、それを塗り潰すようにクーデターが発生していい具合にそれらしいシナリオが生まれたのである。

 

その為祐唯も日本空軍少佐の肩書きで技術研究本部に転属し、既に中佐へ昇進することが内定していた。

 

「2人を呼んだのは他でもない、ヨーロッパ派遣に際して君達に新しい機体を貸与する為だ。篁少佐、案内は任せた」

 

「はい、では私についてきてください」

 

祐唯に呼ばれて崇継と介六郎は基地内のある格納庫に訪れた。

 

格納庫内には何機かの戦術機が駐機しており、中には”瑞鶴”の姿もあった。

 

「斯衛軍が解体され、斯衛軍側が保有していた試作機やテスト機は全てこちらに運び込まれました。そこの”瑞鶴”も上田にいた実験機です」

 

「これらはこの後どうなるのですか?」

 

「一応日本空軍は”瑞鶴”は運用しない予定ですので実験データを取ったらここ数年のうちに退役でしょうね」

 

そこに一抹の寂しさを覚えない崇継ではなかった。

 

この日本という国から斯衛軍があったという証拠が着々と消えつつある。

 

軍服は日本軍の制服に取って代わられ、旧斯衛の将兵は自衛予備隊に組み込まれて後数年のうちに殆どが退役して消えていくのだろう。

 

新しい武家の未来を示していくとは言ったがそれでも過去に対する哀愁は残っている。

 

いずれは自分たちだって哀愁を受け入れ、仕方のないことだと諦めていくしかない。

 

「お2人に貸与される機体はあれではありません。こちらをご覧下さい、見覚えはあると思います」

 

そう言われて崇継が目を当てた先にいたその存在は彼らのトラウマを若干刺激し、同時に衝撃を与えた。

 

F-15をベースとしつつ細部には若干の変更があり、頭部は兜のような造形となっている斯衛軍の最新鋭試作戦術機。

 

「これも……残っていたんですね……」

 

介六郎は若干苦々しい表情でそう呟いた。

 

無理もない、介六郎自身この機体に殺されそうになったのだから。

 

「元々この試作機は3機ありました、うち1機を九條大将がお使いになられたという次第です」

 

「で、これを我々に?」

 

祐唯は小さく頷いた。

 

「XF-15JRG”鳳鷲”、ヨーロッパ派遣に際してこの試作機をお2人に貸与せよというのが航空総軍司令部の決定です」

 

目の前にはかつて戦った斯衛軍のF-15J、”鳳鷲”が静かに佇んでいた。

 

元はと言えば斯衛軍が試験運用していた”鳳鷲”を祐唯が鞍替えの手土産として岐阜基地に運んでいたのが始まりであった。

 

それ故に”鳳鷲”は嵐山に残された1機のみが参戦し、輝光がこの機体を最期の乗機とした。

 

斯衛の変も終わり、斯衛軍自体が無くなった為残された2機の”鳳鷲”は時々試験飛行を行いつつ格納庫に眠らされていた。

 

それが役に立つ日が来たのだ、日本と人類を守る為に。

 

「これでベルリン・ハイヴに斬り込んでこいと総軍司令部は言っているのですね」

 

「はい、五摂家の末裔にして武家の英雄斑鳩崇継殿が”鳳鷲”で立ち回れば我々武家の面目も立ちます。これが最後の機会なのです」

 

武家である者が戦果を挙げ、少しでも国民に反逆者ばかりではないという姿を見せなければ今後生き辛い世界が訪れるだろう。

 

それは崇継とて望みではない、むしろあるべき姿は既に定まっている。

 

「コックピットに乗ってよろしいか?」

 

「勿論」

 

上階に上がり、”鳳鷲”のコックピットに乗り込んだ。

 

大体は通常のF-15Jと変わらない、恐らく動かした時にF-15Jとの違いが分かるのだろう。

 

「介六郎、お前も乗ってみろ」

 

「案内します」

 

「かたじけない」

 

祐唯と介六郎がその場を去り、崇継は1人”鳳鷲”のコックピットのに残った。

 

周囲を見回し、操縦桿を握り締めて感触を覚えた。

 

ここと同じ場所で輝光おじ上が腹を切ったのかと思うとなんとも言えない感情が湧いてくる。

 

「……貴方が武家の未来を切り拓こうとした機体で私は、私なりの戦いをして見せますよ」

 

あの時の戦いで契った誓いを果たす為、因縁の機体でBETAとの決着をつける。

 

おじ上達は見てくれているだろうか。

 

崇継は元気にやっていますよ。

 

皆が成し遂げられなかったこと、成したかった事を私が果たします。

 

1984年、武家という存在がなくなった中でもある2人の、最後の侍(ラスト・サムライ)による最後の戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

つづく

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