マブラヴ グレートパトリオティックウォー 作:Eitoku Inobe
立ち上がれ、死を賭けた戦いに
ファシストの暗黒の力に、
呪わしき軍勢に!
崇高なる憤激を
沸き立たせよ、大波のごとく
人民の戦争だ、
聖なる戦いだ!
-”聖なる戦い”より抜粋-
エルベ=オーデル攻勢 ダウンフォール作戦①
-ポーランド人民共和国=民主共和国領国境地帯 オーデル川周辺-
1984年12月14日、ソ連軍は総勢3個前線と在独ソ連軍26個軍と8個航空軍及び防空軍、予備戦力2個前線14個軍と4個航空軍によるオーデル川渡河作戦を開始。
これはダウンフォール作戦の第一段階であり、渡河以降は第二段階に移ってゼーロウを抜け、一挙にベルリンまで突入する作戦であった。
これらソ連軍時前の戦力だけではなく、後方にはポーランド人民軍、チェコスロバキア人民軍、ハンガリー人民軍、ルーマニア人民軍、ブルガリア人民軍、国家人民軍らワルシャワ条約機構軍ら合計6個軍1個軍団相当の戦力が戦闘を支えている。
その上でユーゴスラビア人民軍、アルバニア人民軍らも加勢し、東側の総力をかけてこの戦争を勝ち抜こうとしていた。
大抵の場合戦線は双方オーデル川から2、3キロ離れた地点に展開しており、14日の明け方頃にソ連軍は少しづつ前線へと近づいていった。
こうした接近に際してBETA側の反応はそれほど芳しくはなかった、一部では小競り合いが発生しているが本当にその程度である。
これに不審がりながらも各前線司令部は予定通り作戦を決行した。
前線の各将兵は少しづつ前に進み、予定地点で待機した。
上空を度々Su-24MRが遠隔操作で動かすシュメリィ-1などがオーデル川の対岸へ飛び去り、情報を収集していた。
これらの無人機はかなりの確率で撃墜されるがそれまでに得られる情報は多く、偵察戦術機を無理やり強行突入させるよりも損害が少なかった。
こうした情報は航空師団、航空軍司令部を経由して前線司令部や野戦軍司令部に届き、司令官や参謀達の判断材料となった。
同じ頃前線のソ連軍将兵は冬季装備のままBTRやBMP、或いは塹壕の周囲で戦闘の号令を待っていた。
12月のポーランドは気温がマイナスに到達することもあり、十分寒い。
兵士達は場合によってはヘルメットを被らずウシャンカを被って防寒対策を取り、寒さを耐え凌いでいた。
「冷えるな……」
土と支えの丸太だけで構成された塹壕の中は特に冷える、この日は中々に寒く兵士達はBETAと戦うよりもまず寒さと眠気と戦っていた。
皆対岸のBETAを想像しては険しい顔を浮かべた、最終決戦に来てBETAは急に手強くなった、もしかしたら死ぬかも知れない。
誰だってここまで来たら死にたくはない、戦地で活躍して手に入れた勲章をぶら下げて家に帰りたい。
そう思うと皆早々無茶は出来なくなっていた。
「ベルリンのクソ野郎どもめ……」
「連中が降伏してくれると助かるんだけどな……」
「へっ冗談だろ」
塹壕の中で兵士達が冗談を言い合っていると中隊政治将校がやってきて兵士達に号令をかけた。
「1分後に準備砲撃を開始する!中隊将兵は各自車両に乗り込み待機!」
塹壕の中の兵士達は立ち上がって自身のAK-74を手にして近くに駐車してあるBTR-70やBMP-2に乗り込んだ。
オーデル川周辺には既に何輌かのT-80BVやBMP-2、工兵隊が乗り込んできたKrAZ-260トラックが展開していた。
先んじて渡河作業用のBMK-460をオーデル川に降ろし、架橋作業の準備を進めている。
そこから数十キロ離れた地点には前線の師団が有する砲兵連隊が展開しており、攻撃の時間を待っていた。
時計を見ていた砲兵連隊の指揮官が砲撃開始時間を確認すると腕を振り下ろし、隷下の部隊に対して砲撃命令を出した。
「撃て!!」
各部隊長の指示でBM-21グラードが一斉にロケット弾を発射、別の砲撃陣地では展開中の2S1グヴォズジーカが122mm榴弾砲を発射した。
これらはすべて実弾ではあるもの光線属種の火点を割り出す為の罠であり、例え空中で撃墜されても問題ないものであった。
それから少し後に軍隷下の砲兵旅団が砲撃を開始する。
待機しているBM-27ウラガーンやBM-30スメルチがクラスター弾頭のロケット弾を発射、別地点では2S3アカーツィヤの152mm榴弾砲が火を吹いた。
この第二砲撃もほぼ陽動である、本命は地上ではなく宇宙にあった。
作戦開始時間を確認した第1親衛攻撃衛星軍、第2攻撃衛星軍は一斉に地上に向けて核弾頭を含めた弾頭を発射、本格的な軌道爆撃を開始した。
どれを迎撃してもBETAは大打撃を受ける、損害を受けないという選択肢はなかった。
その為ベルリン・ハイヴは可能な限り迎撃対象と範囲を絞って光線属種に攻撃を出し、貴重品である超重突撃級や戦術機級、そして他の光線属種を守った。
無論戦術機級や超重突撃級もレーザーを放って対空防衛に参加し、数々の砲弾やロケット弾を叩き通した。
しかしそれでも砲撃の嵐に対応するのは限界があり、結果大部分のBETA領域には砲撃が降り注いだ。
これでも周辺には塹壕が掘られている為BETA側は塹壕に隠れて防御態勢を取った、これで平地で砲撃を喰らうよりは遥かにマシな状態になった。
それでも降り注ぐ砲撃で塹壕は崩され、直撃を喰らったり破片で損傷するBETAも多数出現した。
一部では核弾頭が着弾し、まとめて消し飛ばされる個体も多かった。
全体としての砲撃は1、2分ほど続き、やがては砲撃が収まり、戦場には少しばかりの静けさが返ってきた。
無論これは準備砲撃、全ては渡河作戦を成功させる為の準備にしか過ぎない。
砲兵隊が砲撃を叩き込んでいる間に前線ではシュノーケルをつけたT-80BVが川底から対岸へ移動し、BTR-70やBMP-1が泳いでオーデル川を渡っていた。
オーデル川渡河の為の橋頭堡を確保する部隊であり、渡河完了と共に戦闘隊形に移行した。
その間オーデル川では工兵達がトラックから降ろされたPMP-Mを水中に投下して橋を作り始めていた。
砲撃で足を止めるのはこの作業を完遂する為の時間を稼ぐ為だ。
工兵達は速やかにポンツーン架橋機材を繋ぎ合わせ、ゆっくりと橋を作った。
「急げ!BETAが来る前に橋を作るぞ!」
「了解!」
砲火力によってBETAを抑えているとはいえそのうち物量に任せて突破してくるだろう、そうなれば架橋作業を襲撃されかねない。
無論これに対してソ連軍側も対策は講じていた。
こうした爆撃に対して対抗出来るBETAは限られている、砲撃時にレーザー照射で迎撃した火点に対して火力を集中すれば撃破は出来ずとも足止めにはなる。
特に超重突撃級、戦術機級のような絶対に足止めしたい相手はレーザーの照射方法が既存の光線属種と違う為火力の割り振りは簡単であった。
師団砲兵、軍砲兵が共同してロケット弾と榴弾の嵐を叩き込み、移動して架橋作業を妨害しようとする戦術機級、超重突撃級の足を止めた。
無数の砲撃に対してシールドと装甲で火力を防ぎ、レーザーを放って迎撃する、これだけで当分は動けない。
無論通常種の要撃級や突撃級、戦車級集団はこの間に架橋妨害の為に突撃を敢行した。
本来は旅団規模BETA群から確認される光線級も対空能力強化の為に戦車級に飛び乗ったデサント型が大隊規模、連隊規模でも数体は確認されていた。
川を越えて滞空しているシュメリィ-1を撃墜し、BETAは進んだ。
『連隊規模BETA群が接近中、戦術機部隊は要撃を開始せよ』
『了解』
待機していた何機かのMiG-27が先行し、後方から命令を受けたBM-21がロケット弾を発射してロケット弾を発射して火点を割り出す。
後方で火点を把握していたMiG-25PDSが搭載していたR-40空対空ミサイルを発射、赤外線誘導によって真っ直ぐレーザー照射直後の光線級に突き刺さりピンポイントで撃破した。
『光線級の撃破を確認』
『各機、この間にBETA集団の接近を阻止する、戦闘開始!』
『了解!』
前衛のMiG-27がKh-25空対地ミサイルを数発発射して接近する突撃級の足を止め、その後ろからFAB-500を8発搭載したMiG-27が全ての爆弾を投下して一挙にBETAを粉砕する。
これで前線の突撃級、要撃級が吹っ飛び、組織的に運用することは不可能となった。
残りは大量の戦車級と運搬級だがこれらはGSh-6-30機関砲を装備しているMiG-27と各機の突撃砲で殲滅した。
戦車級や運搬級がまるで風船のように弾け飛び、周囲に肉片と体液を散らして爆ぜる。
BETA集団の殲滅を確認するとMiG-27の飛行隊は即座に次のBETAを襲撃しに展開した、敵を火力で叩き潰した後は即座に次へ、機動力こそ戦術機の売りだ。
また別の箇所ではRN-40、30kt級核爆弾を搭載したSu-24が数機前線より少し奥地まで飛行し、迫るBETA集団に対してRN-40核爆弾を投下した。
投下と共にSu-24の飛行編隊は即座に翻して安全地帯まで退避した。
無論投下された核爆弾は相応の被害をBETAに齎し、たった数発の爆弾で一気に数個連隊、旅団規模BETA群が消失した。
こうした戦術機による要撃任務によって幾つかのBETA集団が事前に撃破され、工兵隊が橋をかける時間を稼いだ。
この間にも工兵隊は急いで橋を繋げて対岸まで渡そうとしており、前線には緊張が走っていた。
「もう少しだ、後少しで完成するぞ!」
「少佐!あれを!」
1人の工兵が指を差した方向には胴体を真っ二つにされ、川を越えて対岸に墜落するMiG-23MLの姿があった。
地面に激突したMiG-23MLの残骸は爆発を起こし、その僅かな衝撃波と熱が彼らにも伝わって少し伏せた。
当然そこにはMiG-23MLを撃破した張本人がいた、戦術機級である。
砲撃を掻い潜って高速で移動し、戦術機級は遂にオーデル川の側近くまで接近してしまった。
先んじて川を渡っていたBMP-1やT-80BVを長刀の一振りで撃破し、次に戦術機級は架橋作業中の橋に目をつけた。
「総員退避!!」
部隊長の叫び虚しく戦術機級のレーザー照射によって橋は焼かれ、そこにいた工兵達は跡形もなく消し飛んだ。
たった一撃のレーザー照射によって橋は呆気なく二つに割れ、最早重装備を対岸へ渡す橋の役目は果たせない。
「ここまできたというのにっ…!」
部隊長が悔しそうに自らの膝を叩くと、対岸から数発の空対地ミサイルが戦術機級に降り注ぎ、最終的に各体につき1発ずつKh-31空対艦ミサイルが叩き込まれて爆散した。
上空を何機かのSu-27が飛び去り、広域放送で呼びかけた。
『ソ連防空軍のベレンコ大佐だ!ここは我々が守る、工兵隊は今のうちに退避し架橋作業を再開せよ!』
「ベレンコ…?あのソ連邦英雄の……」
「なんでもいい、生きてる工兵を集めろ!予備の物資で橋を再構築する!司令部に呼びかけて追加も要請しろ!今日中には橋をかけるぞ!」
「了解!」
こんなところでは諦められない、一度橋を破壊されたとてまだ一度だ。
戦いは始まったばかりである。
12月15日、ソ連軍3個前線のうち第1ウクライナ前線と沿バルト前線は架橋に成功し、オーデル川を渡ってドイツ本土に侵攻した。
架橋中BETAの襲撃を受けて何度か橋を破壊されたが、その度に工兵隊が命懸けで橋を修復してオーデル川に再び橋をかけた。
これにより第1ウクライナ前線、沿バルト前線の重戦力が一挙にドイツ本土へ傾れ込んだ。
第3親衛戦車軍、第4親衛戦車軍、第6親衛戦車軍の主力は14日の午後6時には主力部隊が渡河を始め、15日午前7時には本格的にBETAとの攻勢を開始した。
一方白ロシア前線はというと未だに各所で橋を破壊され、オーデル川を渡れていなかった。
無論これには理由がある、第1ウクライナ前線と沿バルト前線は戦線を共にするドイツ側に友軍がいる、在独ソ連軍とNATO中央軍集団だ。
これらの戦力がドイツ側でBETAと交戦することにより、BETAも戦力をオーデル川に差し向けられずやがて押し切られた。
「現在、第3親衛戦車軍と第4親衛戦車軍はシェンケンデーバーン周辺に到達、真っ直ぐベルリンを目指しています。また第二梯団の第1親衛軍、第4軍も大部分がドイツ領内に移動しつつあります」
バリィーニキン少将は地図を用いて部隊の展開図を話しながらヤゾフに状況を伝えた。
1日目はとか作戦ということもあってかかなり損害を受けて中々前に進めなかったが一度渡ってしまうとなんとかなった。
後は白ロシア前線の渡河を助け、全軍でベルリン・ハイヴに突入するだけである。
「BETA側の状況は」
「我が軍とNATO中央軍集団の前に大凡5個軍規模が展開している模様、戦術機級と超重突撃級が厄介ですがなんとかなっています」
これを見てヤゾフは考えを巡らせた、その上で数秒経たぬ内に次の指示を出した。
「では第4親衛戦車軍に伝えろ、麾下の部隊は攻勢方向を北へ向けフランクフルトを目指して白ロシア前線を助けろと。渡河に成功した第1親衛軍は第二梯団として第4親衛戦車軍の後に続け、それと第9親衛軍、第24軍もオーデル川を渡らせろ」
「了解」
今重要なのはソ連軍の全軍がドイツ本土内に侵攻すること、西側も渡河には手こずっている為少しでも多くの戦力を対岸へ渡さねばならない。
これに関してはソ連軍大本営からも「各前線の戦果よりも全軍でハイヴに到達することを意識するべし」と釘を刺されている、1945年のゼーロウを今になって繰り返したくないのだろう。
ウッチに司令部を構える第1ウクライナ前線からの命令は即座にオーデル川手前まで移動していた第4親衛戦車軍司令部に伝わった。
現地点からBETAの横合いを突いて白ロシア前線を助けろということだろう。
ローシク元帥としては第4親衛戦車軍を真っ先にベルリン・ハイヴに突入させたかったが上級司令部からこう言われては仕方ないと諦めた。
移動方向を転換した第4親衛戦車軍はオーデル川付近のフランクフルトに向けて北上、横合いからBETAを突いた。
これにより白ロシア前線の正面に展開するBETA群は一部の戦力を第1ウクライナ前線にも回すことになり、兵力バランスが崩れてきた。
ただし、それでもBETAは執拗に白ロシア前線の渡河を食い止めようと躍起になっていた。
一方沿バルト前線も在独ソ連軍と共に南下してベルリンを目指しつつ白ロシア前線の援護に入っていた。
沿バルト前線第6親衛戦車軍はグリフィノからエーバースヴァルデまで突き進み、同じように横合いから突いた。
この間に在独ソ連軍は全戦力を持って北側からBETAに対して縦深攻撃をかけ、じわじわとBETA側の戦線を押していた。
第6親衛戦車軍と第4親衛戦車軍に挟まれ、再びBETAは4、5ヶ月前と同じ前衛が分断されて包囲される可能性が出てきた。
今となっては頼みの綱の超重光線級もいない為いざとなったら防ぎようがない。
なんとか戦力を増強して両側面の攻撃を耐えていたが代わりに多方面からの圧力に押され、本来の目的が達成出来なかった。
「架橋作業終了しました!通れます!」
「よし、戦車大隊前へ!ゼーロウを再び越えるぞ!」
掛かった橋の上をT-80UとT-80BVが橋を渡り、第5親衛戦車軍と第7戦車軍がついにドイツ本国へと渡った。
戦車隊の後ろにはBMP-2とツングースカが続き、一挙に前線を押し出そうとする。
これが12月15日午後6時のことであり、白ロシア前線が本格的に戦線を押し上げるのは翌日のことであった。
翌日の12月16日、第4親衛戦車軍はフランクフルトを突破、一部では川を渡ってきた白ロシア前線の部隊と合流し、接近する超重突撃級や戦術機級と交戦した。
しかし16日から19日にかけての3日間は三前線とも中々前進出来ずにいた。
理由としては戦術機級と超重突撃級の機動防御がかなり上達していたことと、地中に潜むBETAの強襲によってかなりの被害を出していたことだ。
4ヶ月のうちにBETA側にも変化があった、一部の通常種の突撃級もレーザー発射機構が取り付けられ火力だけなら超重突撃級と同等となった。
無論装甲類には変更を加えていない為強度は通常の突撃級と同じだが、これでも通常種よりかは幾分かマシになった。
これらの改突撃級が超重突撃級に加わって機甲部隊を水増しし、可能な限りソ連軍の攻勢に対して対応出来るようになっていた。
その上でBETAは地中に何体か戦力を隠してソ連軍の戦車部隊が近づくと地中から飛び出して近くのソ連兵を襲撃した。
これが単純な要撃級や戦車級だったらまだ良かったのだがもっと厄介な個体がいたのだ、兵士級と闘士級である。
本来兵士級はただの弾除けだったのだが改造を施し極小規模だがG元素爆発を起こして自爆出来るようにされた。
兵士級は戦車やBMPを発見するとギリギリまで待って近くまで来た瞬間に飛び出し、車両に張り付いて自爆した。
ごく小規模とはいえ爆発は爆発、取り付かれた車両は例えMBTであろうと撃破された。
兵士級が地面に籠る目に見えない地雷に近い戦法を取るのに対し、闘士級は正に挺身、鉄の雨降り注ごうと敵に突進して自爆した。
このような捨て身の特攻技を繰り出してくる為、兵士級と闘士級は後に挺身級という別の名前で呼ばれることになる。
正面で突撃級の装甲部隊が抑え、搦手として兵士級、闘士級の特攻、これで3日は膠着状態に持ち込めた。
しかし20日を過ぎてくるとソ連軍側も方法を変え、BETA側の機甲部隊にある程度の打撃を与えた。
地中に潜む兵士級は改めて砲撃を叩き込んで大地を耕し、無理矢理にでも兵士級を地中からほじくり返した。
闘士級に関しては今まで通りの戦法が通ずる、接近されたら終わりだがそれまでに弾幕を叩き込めば大多数の闘士級は撃破出来た。
厄介であるがほぼ一発屋、まだ粘り強く抵抗している改突撃級集団の方がまだ役に立っていた。
これよりBETA装甲集団とソ連の各戦車部隊との決戦が始まる、最初で最後のBETAと人類の戦車線であった。
12月21日頃、第4親衛戦車軍隷下のある戦車連隊がドイツ領内のブリーゼンまで到達した。
指揮官は先の戦いで少佐から中佐に昇進しソ連邦英雄を授与されたイーゴリ・ブリノコフ、長きに渡りBETAと戦ってきた歴戦の戦車将校である。
基本的に1個戦車連隊は大凡89輌から95輌のMBTを有しており、その例に漏れずブリノコフ中佐の戦車連隊も合計95輌のT-80BVとT-80Uを装備していた。
それに加えて連隊はBMP-2が33輌、BMP-1が21輌、BRM-1Kが6輌、BMP-1KShが6輌と、連隊砲兵として2S1グヴォズジーカ18輌、砲兵観測車両のPRP-3が2輌、化学兵器偵察車両のRHMが3輌と回収車両のBREM-2が1輌、架橋戦車のMT-55Aを3輌備えている。
部隊換算では3個戦車大隊に1個自動車化狙撃兵大隊、1個砲兵大隊を主力とし、1個ずつの工兵中隊、偵察中隊、通信中隊、機材支援中隊、修理中隊、化学防護小隊、連隊医療拠点を備えていた。
本来ならここに1個防空中隊が加わるのだがBETA大戦では殆どの部隊が防空中隊を装備していなかった、空飛ぶBETAが出現しなかったというのが大きな要因だろう。
戦闘の主力は93輌のT-80系列の戦車と54輌のBMP系列の歩兵戦闘車が担当し、火力支援をグヴォズジーカ18輌が担っている。
前衛に展開する突撃級や要撃級を125mm滑空砲で撃破し、迫る戦車級以下の小型種は後続のBMPと共に面火力で制圧した。
定期的にグヴォズジーカの砲撃が一挙にBETA群を撃滅した。
『こちら第2戦車大隊、前線地帯の連隊規模BETA群の撃滅を確認。前進を続けます』
『第1戦車大隊より本部へ、こちらも前衛のBETA群を撃破』
「第1、第2大隊は引き続きベルリン方面へ前進せよ。第3大隊も同様にBETAを殲滅し前進。偵察中隊、状況を報告せよ」
ブリノコフ中佐は連隊指揮用のT-80UKから隷下の大隊に指揮を出し、連隊全体の統制を行なっていた。
中佐は指揮官としてだけでなく戦車長としても優秀な男である、いざとなったらこのT-80UKで前線に駆けつけてBETAを討つつもりであった。
偵察中隊はBRM-1Kを装備しており、この偵察車両は最近だとシュメリィ-1を搭載していることが多かった。
回転砲塔の上にシュメリィ-1発射用のカタパルトが取り付けられており、ここからシュメリィ-1が発進して上空から偵察活動を行なった。
『偵察中隊より連隊本部へ、1時の方向より新手が接近。超重突撃級と廉価版を多数確認、距離は14キロ弱先』
「了解、中隊は後退して戦線から逃れよ。連隊本部より全隊へ、直ちに戦術プランVに移行。対突撃級迎撃戦闘を開始する」
『第1大隊了解』
『第2大隊了解』
『第3大隊了解』
『自動車化狙撃兵大隊了解、歩兵部隊の展開に移ります』
ブリノコフ中佐は冷静に連隊に対して指示を出し、戦車のハッチを閉めるとT-80UKの乗組員に指示を出した。
「前進して第3戦車大隊に合流する、前線偵察だ」
「了解!」
操縦手がレバーを押し出してT-80UKを動かし、ペダルを踏んで戦車は走り出した。
ガスタービンで動くT-80UKはかなり早くかつてBETAに占領されていた大地を走り、前線近くまで向かった。
その間に各戦車は残敵を掃討しつつ周囲に残してあったBETA側の塹壕や堀を利用して車体を隠した。
本来BETAが通った場所は真っ平な大地になるのだが、人類軍の攻勢を防ぐ為にBETA側が作った防御陣地が遮蔽を作っていたのだ。
特に突撃級が身を隠す為の穴蔵は周囲が盛り上がっており、塹壕も周囲に掘り出した土が固められていた為身を隠すには丁度いい。
各所にT-80BVやT-80Uが隠れ潜み、一部は可能な限り遮蔽を通りつつ横合いから殴り掛かろうと進んでいた。
「本部より砲兵大隊へ、30秒後に砲撃を開始せよ。砲撃時間は30秒、砲撃終了と共に陣地転換を行え。第3大隊は正面から迎え撃て、第1は側面から、第2大隊は援護」
『了解!』
命令を受諾した連隊の砲兵大隊は30秒後に18輌のグヴォズジーカによる砲撃を開始、122mmの砲弾がブリノコフ中佐率いるT-80UKの頭上を通り抜けていった。
30秒後に砲撃というのはブリノコフ中佐の勘だ、今までの戦闘経験からして30秒後に発砲すれば丁度着弾するというのが中佐の予測だった。
その予測は見事に的中し、BETA装甲部隊が移動中に頭上に砲撃が降ってきた。
無論改突撃級や超重突撃級にはレーザーがあり、これで迎撃が出来る。
放たれた砲撃を全てレーザーで撃破しつつ前へ進んでいく、既に罠の中にいるということも知らずに。
最初にBETA装甲部隊に打撃を与えたのは左側面から殴り掛かった第1戦車大隊のT-80BVとT-80Uであった。
改突撃級に対しては1体につき2輌、超重突撃級に対しては1体につき3輌のT-80が125mm滑空砲を叩き込んだ。
まず1、2発目で側面の装甲を打ち破り、2、3発目で確実に本体へダメージを与える。
これで一挙に数体の超重突撃級と改突撃級が吹き飛び、防空の穴が空いた瞬間に砲撃も大地に降り注いだ。
辛うじて122mmでは鳥獣突撃級だと一部装甲が剥がれる程度であったが、改突撃級は装甲はそのままである為致命傷を負う個体も多かった。
何よりこれで装甲集団の相手が止まったのが大きい、この間に側面の第1戦車大隊が更に火力を叩き込んだ。
この間に一部のBMP-2、BMP-1がT-80BVらと共に前進し、9M113コンクルス対戦車ミサイルを突撃級の足元に発射した。
それに合わせて前線のT-80BVも125mm滑空砲を発射して足を確実に吹き飛ばし、突撃級を擱座させる。
レーザーの発射によって周囲に爆発が起こるが各車両は後退しつつ遮蔽物に隠れながら退いていった。
「戦術機級はいないな?」
『はい、確認されていません』
「よし、真っ向からの戦車戦闘だ。第3大隊は正面で抑えつつ1個戦車中隊で側面攻撃。第1戦車大隊はこのまま横合いから殴り続けろ。自動車化狙撃兵部隊はこのまま戦車大隊の支援、砲兵大隊は3分毎に砲撃を叩き込め。ここで連中の装甲戦力を潰す!」
『了解!』
1輌の性能では絶対に超重突撃級には勝てない、だから数輌を組み合わせて戦術で相手に打ち勝つ。
幸いにこっちには砲兵もいる、先行偵察で相手の位置を割って先手で打撃を与えられた。
正面でBETAと交戦する第3戦車大隊のうち1個戦車中隊は指揮車両のT-80BVKに続いて10輌近いT-80BVがついてきた。
側面に回り込んだT-80の戦車中隊は砲兵大隊が再び砲撃を発射するタイミングに合わせて砲撃を叩き込んだ。
狙うは超重突撃級、これが最も厄介であり眼前で数多くの同志を葬ってきた。
一度でダメなら二度、三度、身を隠しながら125mm弾を叩き込んだ。
超重突撃級の装甲は頑丈だが無敵ではない、砲を何度も喰らえば装甲が破壊され、ついには本体の肉に突き刺さって内側から炸裂する。
ある程度BETAの数を減らせたのを確認した戦車中隊は大隊主力と第1戦車大隊の撤退援護を受けながら全速力で後退を開始した。
この間に第2戦車大隊が担当する地域には連隊規模BETA群が襲来していたが1個自動車化狙撃兵中隊を展開して防いでいた。
「第2大隊、そっちは大丈夫か」
『3倍近い敵が突っ込んできてますが大丈夫です!出来れば火力支援が欲しいかと!』
「分かった。師団司令部、航空支援を要請する。直ちに援護に来てくれ」
そういうと偶々通り掛かった3機のSu-25が第2戦車大隊の方へと展開した、連隊規模BETA群を粉砕する為に空軍も動き出してるらしい。
だがこの間にかなり距離を詰められ、前衛のT-80BV2輌とBMP-1の3輌がレーザーによって撃破された。
「チッ!目標、0時正面の超重突撃級!正面装甲が破れてる、そこに叩き込め!」
「了解!」
射撃手がブリノコフ中佐が指示を出した地点に射線を合わせ、中佐の指示を待った。
「撃て!」
T-80UKから1発の125mm滑空砲弾が放たれ、ブリノコフ中佐が指示した通りに装甲破損部分に着弾してBETAを吹っ飛ばした。
これで近場にいた超重突撃級を撃破し、残りの改突撃級も何輌かのT-80BVが撃破されたが辛うじて撃退した。
「側面攻撃の中隊を戻して正面に加えろ。前衛は一部下がって立て直せ、こっちも援護する」
ブリノコフ中佐が乗り込むT-80UKも度々砲撃を叩き込み、2体の改突撃級を撃破しつつ1体の超重突撃級を3輌のT-80UとT-80BVと共に共同で撃破した。
この間に崩壊しかかっていた第3戦車大隊の前衛は立て直し、後方からの砲撃支援によって更に接近を阻止した。
「このままもう少し持ち堪える。第2大隊、そっちはどうだ?」
『航空支援と師団砲兵の援護で撃退しました、現在掃討中』
「悪いが1個中隊回せるか?」
『同志中佐の命令なら!』
「ありがとう、1個戦車中隊を第1大隊に組み合わせる。第1大隊、間も無く戦車中隊の増援が到着する。合流したら4個中隊で側面から圧力を強めろ」
『了解!』
部隊を転用しつつ効果的な策を打ち出す、ブリノコフ中佐は連隊長として全体の調整がかなり上手い。
何処にどの部隊がいて、何の手を繰り出せるかを覚えて命令として出すのが相当早いのだ。
ブリノコフ中佐は今年33歳になった、フレツロフ大佐の1個下でBETA大戦が始まった1973年にカザン高等戦車指揮学校を卒業した若き戦車将校であった。
それがBETA大戦によって無理やり経験を積まされ、実戦を重ねてから1978年から1979年の1年間ソ連邦元帥R.Y.マリノフスキー名称装甲戦車兵軍事アカデミーで上級将校課程を短期短縮型だが受け、再び戦場へ戻ってきた。
それから第4親衛戦車軍に配属され、モルドヴァ解放から今日までの戦いを生き延びてきた。
その経験がここで生きている。
転用した戦車中隊と合流した第1戦車大隊は命令通りBETA装甲集団に対して圧力をかけた。
合計40輌近いT-80の火力を叩き込まれ、一部の戦力は側面側に向いて正面の火力と突破力が一気に減退した。
正面には合計30輌近いT-80BVとT-80Uが展開しており、どちらを対処するにしても同等の火力を叩き込まれて対処が難しい。
しかも2分毎に122mmだが榴弾砲が降ってくる、場合によっては上級司令部の師団が気を利かせてロケット弾や152mm榴弾砲で支援してくれる為なんとかなっていた。
師団司令部としてもブリノコフ中佐の戦車連隊はここだけで超重突撃級22体、改突撃級71体を押さえ込んでおり、ほぼ同数の突撃級と交戦していた。
この上で第2戦車大隊には1個連隊規模BETA群が強襲をかけており、これら全てを防ぎ切っている時点で彼らは相当の役割を果たしていた。
その為師団砲火力が振り分けられ、援護の為に何機かのMiG-27が襲来してきた。
MiG-27はKh-25空対地ミサイルを発射し、改突撃級を数体撃破すると何機かは撃墜されつつも接近してFAB-500高性能爆弾を投下して爆発で更に仕留めた。
これで中央の突撃級が相当削られ、隊列として脆くなった。
今がチャンスと言わんばかりに第1戦車大隊が圧力を強めた。
多少何輌かのT-80BVやT-80Uが撃破されても構わない、今が敵分断のチャンスなのだ。
優れた戦車兵による砲撃によって次々と改突撃級や超重突撃級を討ち取り、本当に僅かだが分断に成功した。
これにより前衛部隊が後退を開始したが背後には大量の突撃級の死体が積み重なっており下手に下がると衝突する。
その為左右に分かれて後退しようとしたがここで隊列が乱れ、各個撃破のチャンスが生まれた。
この隙を逃さず確実に1体ずつに火力を集中し、完全にBETAが後退する前に数を減らしていく。
戦闘が終結したのは偵察中隊がBETAを発見してから2時間後のことであり、これまでの戦闘で確実に60体以上の改突撃級と超重突撃級を仕留めた。
各所で行われた戦車戦闘は損害は差異があれど、諸兵科連合の戦いによってなんとか打ち勝った。
ベルリン・ハイヴがソ連軍側に行った機動防御は12月21日から23日の2日間によって徐々に頻度を低下していった。
少しずつBETAも消耗している、ソ連軍が再びベルリンの地に足を踏み入れるのはそう遠くなかった。
12月24日、グレゴリオ暦ではクリスマス・イブに当たる日に達した。
基本的にロシアが用いるユリウス暦ではグレゴリオ暦と若干日付けがズレる為、正教会の地域ではグレゴリオ暦1月7日がクリスマスとなっている。
それにソ連では基本的に宗教が禁忌とされている為、イエス・キリスト生誕祭としてのクリスマスは公には当然祝われていない。
しかしソ連といえど人々の生活に根付いた宗教行事を完全に取り払うことは出来ない、ソ連にとってクリスマスは世俗的な新年祝いの一部として復活し、殆ど西側と同じような祝い方をしている。
本来であればそろそろ新年を祝う時期なのだが攻勢の時期に差し掛かった前線ではそうも言ってられない。
一部ではほんの小規模にグレゴリオ暦のクリスマスを1杯のウォッカと糧食でお祝いし、戦地に出た。
特にその傾向が強かったのが在独ソ連軍と国家人民軍であった。
東ドイツにおいてもイデオロギー観点からクリスマスの扱い方は難しい、ソ連同様にクリスマスの世俗的な面は取り入れつつも決してクリスマスとは言わず、平和の祭典という扱いにした。
それにBETA大戦によって殆どの領域をBETAに奪われ壊滅状態に陥った東ドイツでは従来のようにクリスマスを祝うことは出来ず、皆ひもじい思いをしながらも最低限どのお祝いを行なっていた。
それをほぼ11年、11回分の貧しいクリスマス祝いを東ドイツの人々は耐え抜いてきた。
ドイツはキリスト教でも正教会の強いロシアとは違いカトリックとプロテスタントが主な宗派である、その為クリスマスといえば25日であった。
本来なら24日のイブから休みを取り、2日後の26日まで休んで家族と過ごすのが伝統なのだが、BETA相手にそんな道理は通じない。
きよしこの夜が反対側から聞こえてくることもなければ、BETAが停戦して一緒にクリスマスを祝ってくれる訳もない、BETAと交換出来るものなんて何もない、やはりBETAとは文化的にも絶対に受け入れられない存在であった。
ただし共に戦う東西の仲間達は違う、例え文化圏が違くとも一部のソ連兵や隣接する西ドイツやオランダ軍の将兵は細やかなものだが共にクリスマスを祝って戦地へと向かった。
クリスマスだとしても攻勢の手を緩めるつもりはないし、BETAとの休戦も叶わない。
一刻も早く戦争を終わらせてBETAの恐怖から人類を解放することが人類にとって最大かつ最高のクリスマスプレゼントになる。
在独ソ連軍は第1、第2親衛戦車軍、第8親衛軍を第一梯団としつつ、第3親衛打撃軍、第20親衛軍、国家人民軍第3軍、第5軍が第二梯団として再びベルリン・ハイヴに向けて攻勢をかけた。
隣接する沿バルト前線は既にオーデル川を渡って第6親衛戦車軍、第4打撃軍、第2親衛軍、第11親衛軍がドイツ本土に流れ込んでいた。
一部では第1親衛戦車軍と第6親衛戦車軍によって二方向から挟み込まれ、そのまま本隊と分断された上に潜水艦発射型弾道ミサイルを喰らって壊滅した。
既に数カ所でSSBNから発射されたSLBMによって多数のBETA部隊が壊滅的な被害を負い、そのまま在独ソ連軍に押し切られそうになっていた。
「第1親衛戦車軍はコーリン周辺に到達、間も無く先頭の部隊がブリッツに到達します。第2親衛戦車軍はグリーベン付近に到達。第8親衛軍もグムトウまで進出しました」
部下の参謀が報告しイヴァノフスキー元帥は地図の上でも状況を確認した。
ベルリンの旧市街地まで攻勢地点から約60キロメートルほどある、第一梯団はこのうちの半分を踏破したことになる。
想定よりも若干遅れてはいるがまだ問題ない、それにこの2週間のうちにBETA側の主力はだいぶ削り取れた。
既に戦術機級はハイヴ内戦闘を考慮して大多数が戦場から離脱しており、今前線でよく見かけるのは超重突撃級と改突撃級である。
これらも十分に厄介な存在だが戦術機級と共闘して前線を荒らしてこないだけ相当マシだ。
尤もハイヴ戦を考えると多少無茶をしてでもここで戦術機級の数を減らしておいた方が後々の為になるのも事実だ。
「支援火力は維持しつつこのまま各軍にはベルリン郊外まで突入させろ。恐らく白ロシア前線とはここ、フィノフフルトで合流出来るだろう。3前線の戦力が揃ったら再び包囲網を形成して宇宙軍の対地支援を待つ」
「了解」
長かった戦いもようやく終わりを迎えようとしている。
在独ソ連軍はSSBNの対地支援の他に”ウリヤノフスク”、”アドミラル・クズネツォフ”、”リガ”、”キエフ”、”バクー”の支援も受けており、度々戦場にSu-27KとMiG-29K、MiG-23Kが現れては戦術機級や超重突撃級にKh-31空対艦ミサイルを叩き込んで去っていった。
しかも他のフランス海軍や王立海軍、アメリカ海軍などの海軍航空隊も助けてくれる為在独ソ連軍はかなり優位な状況のまま前進を続けていた。
各所で抵抗するBETAも徐々に外での防衛戦を諦めてハイヴ内に戻り、籠城戦を決意した。
当然だがここまで来てBETAを逃すつもりもなく各所でソ連軍は攻勢を強めた。
一部では戦略ロケット軍のRSD-10”ピオネール”が発射され、一度に多数のBETAを葬った。
壊滅し黒焦げになったBETAの残骸を悠々と乗り越えてソヴィエトの戦車部隊が敵地へと進撃する。
12月26日、在独ソ連軍第2親衛戦車軍は10キロほどさらに前進し旧ドレエッツ湖に到達、一旦燃料補給に時間を取り翌日から前進を再開した。
この間に沿バルト前線の先鋒はツィーテン周辺に接近し、白ロシア前線の先鋒はメーグリン周辺まで辿り着いていた。
一方の第1ウクライナ前線は中央軍集団と共にリーツ=ノイエンドルフに到達し、残り44キロ先のベルリンに向けて兵を進めていた。
この時一番ベルリンに近かったのは白ロシア前線でも第1ウクライナ前線でもなく在独ソ連軍であった。
陸続きというのもあり、何よりベルリンとの距離が最も近く、一度突き進んでしまえばあっという間である。
在独ソ連軍は海軍からの手厚い支援を受けてほぼ1日に10キロのペースで前進することに成功し、12月31日の大晦日にはベルリン郊外のフローナウに到達した。
最初に辿り着いたのは諸説あるが第2親衛戦車軍の第47親衛戦車”ウマニ=ポメラニア”レーニン・赤旗・スヴォーロフ・クゥーゾフ及びボグダン・フメリニツキー勲章連隊かブーフに到達した第1親衛戦車軍の第7親衛戦車”ノヴゴロド=ベルリン”赤旗・スヴォーロフ及び赤星勲章連隊だと言われている。
これより少し遅れて第6親衛戦車軍第224親衛戦車”ミンスク”赤旗勲章連隊がアーレンスフェルデに到達、徐々に沿バルト前線の部隊も包囲網の形成に入った。
時が訪れて1985年1月2日、第3親衛戦車軍と第4親衛戦車軍がヴィルダウ、エルクナー間に到達して包囲を開始。
そして1月3日、少しばかり遅れて白ロシア前線の第5親衛戦車軍第58親衛戦車”プラハ”赤旗・スヴォーロフ勲章連隊がヴァルタースドルフに到達、これでようやく全てのソ連軍がベルリン・ハイヴに到達した。
東側の包囲が完成するのは1月4日のことである、ベルリン・ハイヴは蟻1匹出入り出来ないほど固く閉じられた。
フレツロフ大佐率いる第306独立親衛戦闘航空連隊がベルリン・ハイヴ周辺まで接近したのは1985年1月2日丁度のことであった。
既に第306独立親衛戦闘航空連隊は12月14日から幾度となく戦場へ出撃して4、5回ほど戦術機級と戦い、撃退していた。
今回も前線へ向かう第4親衛戦車軍の戦車連隊を支援する為に、支援としてついていた。
ここまでくると出てくるBETAは戦術機級よりも超重突撃級や改突撃級がメインとなり、こちらの戦いにも若干の変化が加わった。
『大佐、前方10キロメートル地点にBETAを確認。超重突撃級と改突撃級集団です!』
「了解、ブリノコフ中佐!」
『防御隊形に以降する。だが第2、と第3は両側面から回り込め!』
フレツロフ大佐がついていたのはブリノコフ中佐の親衛戦車連隊であった。
動きのいい戦車大隊が即座に命令通りの動きを始め、第1戦車大隊が防御隊形に移行しつつ残りの2個戦車大隊は左右から回り込んだ。
一方フレツロフ大佐率いる第306独立親衛戦闘航空連隊は戦車大隊より前に進み、要撃作戦に乗り出した。
何機かのMiG-29は装甲貫通の為に152mm無反動砲を2門装備し、各機Kh-31空対艦ミサイルをデフォルトで持ってきていた。
連隊は合計39機で出撃し、密集しないように分散して飛行していた。
「第2飛行隊は側面から回り込んで叩け、第1と第3は真正面から連中を抑える。空対艦ミサイルは優先して超重突撃級に回せ!」
『了解!』
『了解、306201より各機へ、俺についてこい』
オルゼルスキー少佐が第2飛行隊を率いて回り込むように後方へ向かった。
一方正面ではデルーギン中佐の第1飛行隊とシュペーギン少佐の第3飛行隊が散開しながら迎撃態勢を取った。
目標である突撃級群が有効射程距離に入るとグヴォズジーカの支援砲撃と共に早速MiG-29は火力を発揮した。
一度に数十発の152mm弾が発射され、前衛を務める改突撃級と超重突撃級に命中した。
突撃級が積んでるレーザー弾は全て122mm弾の迎撃に回されている為正面の152mm弾の直撃を諸に食らった。
これで吹き飛ばされる突撃級は装甲強化を施されていない改突撃級であり、超重突撃級であれば152mm弾だっても1発は確実に耐えた。
されど装甲が弱っているところにフレツロフ大佐らが持つ125mm弾を叩き込まれ、致命打を食らって爆散した。
すぐに突撃級群の標的は第306独立親衛戦闘航空連隊にすり替わった。
「各機散開!連中の隊列を崩せ!」
発射されるレーザー弾を回避しながら距離を詰めて突撃砲を放ち、フレツロフ大佐は超重突撃級の注意を引いた。
その間にルヴィロヴァ大尉が側面からKh-31空対艦ミサイルを放って一撃で破壊し、近づいてきた改突撃級2体はブリツェンスキー中佐のKh-29空対地ミサイル2発と手持ちの152mm無反動砲によって撃破された。
これで3体、フレツロフ大佐は近場の改突撃級をKh-29空対地ミサイルで仕留め、前方の超重突撃級の注意を引いた。
「次はブリツェンスキーがやれ!」
『了解…!』
フレツロフ大佐が引き付けている間にブリツェンスキー中佐のMiG-29が回り込んでKh-29空対地ミサイルと152mm弾を同時に叩き込んで超重突撃級を仕留めた。
即座にその場を離れて編隊を組み直し、次の敵を探す。
他の飛行隊も3機1組で超重突撃級や改突撃級を仕留め、戦車連隊の主力が到着する前に前衛を崩した。
しかもこの間に回り込んだオルゼルスキー少佐の飛行隊が側面からBETA梯団を強襲した。
何発かのKh-31が発射されて超重突撃級の側面をつき、その上で152mm弾はKh-29空対地ミサイルによって改突撃級も仕留められた。
『各機このままレーザーを回避しつつもBETAを削れ!』
『了解!』
側面からの強襲によって一度に数体の超重突撃級を仕留め、改突撃級に至っては10体以上は仕留められた。
攻撃を受けた一部の改突撃級と超重突撃級は反転してオルゼルスキー隊を襲撃し、横に逸れた。
結果正面は崩され、一部戦力は横に逸れ、BETA装甲集団の衝撃力は確実に脆くなっていた。
そこへ明確な意思を持って組織的に運用されたT-80BVとT-80Uが突っ込んでくる、しかも相手は対BETA戦のプロであった。
『各隊砲撃開始、突撃級を仕留めろ!』
前進しつつ近場の障害物に身を隠して砲を向けたT-80BVとT-80Uは一斉に125mm弾を発射して地上から第306独立親衛戦闘航空連隊を援護した。
MiG-29が手を出す前に何体かの改突撃級が吹き飛び、MiG-29と共にT-80BVが超重突撃級を仕留める。
この間に回り込んだ左右の戦車大隊も攻撃を叩き込み、三方向から挟むように砲撃を叩き込んだ。
しかも後方にはグヴォズジーカがいる、戦車連隊直轄の砲兵大隊が122mm弾を定期的に発射して後方の突撃級集団にも打撃を与えていた。
「シュペーギン、左の第2大隊を支援してやれ。中央は俺とデルーギンの隊でなんとかする」
『了解…!第3飛行隊続け!』
12機のMiG-29が戦闘を切り上げて左側面の援護に向かい、残りは全てフレツロフ大佐と第1飛行隊が担うこととなった。
1個飛行隊が抜けた為航空火力は減少したが、正面の戦車大隊が到着したことにより状況は優位なままであった。
しかも別の飛行隊が訪れてMiG-27がFAB-500爆弾を叩き込んで一挙にBETAを潰した。
戦闘は1時間ほど続き、最後の超重突撃級を打ち倒すとそこはベルリンの郊外から5キロほど離れたブリヒという街のなれ果てに辿り着いた。
突撃級集団との戦闘で既に殆どの弾薬を使い果たしており、ここらが切り上げ時だとフレツロフ大佐は認識していた。
「メデツィーニン、周辺に後続の部隊はいるか」
『1個戦闘航空連隊がいる、要請してそっちに回す』
「助かる、ブリノコフ中佐、我々はここらで一旦飛行場へ帰ります。別の部隊を呼んでおきますので後はそちらに任せてください」
『助かりました同志フレツロフ大佐、ではせめて左手をご覧ください』
ブリノコフ中佐に言われてフレツロフ大佐が左の方向を見るとそこには不自然に地面が盛り上がった謎のオブジェがあった。
かつてのベルリン・ハイヴは他のハイヴと同じように巨大な構造物があった、しかし”ポーリュス”のレーザーによって吹き飛ばされていた。
それが数年経ち、ベルリン・ハイヴが反撃を叩き込むと状況は変わった。
周辺の陣地化により地面が僅かに盛り上がり、中心地から30キロ弱離れていても見えるほどの膨れ方だった。
『報告によるとあそこがベルリン・ハイヴのようです。同志大佐、ご武運と戦果を祈っています』
「ありがとう中佐、それではまた会いましょう」
『ご武運をっ…!』
前線が安定すると第306独立親衛戦闘航空連隊は即座に戦地から飛行場へと戻った。
彼らにとって本当の戦いはここからだ、これからハイヴに潜ってBETAと戦わなければならない。
1985年1月、ベルリン・ハイヴ攻略作戦がもう間も無く始まろうとしていた。
つづく