メモロビの場面について悩む女先生と、先生への想いを秘めたイチカとがお話するだけ。自分の気持ちの整理用です。
このサイトを初めて使うため、間違いなどがあれば申し訳ないです。ガールズラブのタグを付けていますが、要素はほぼゼロです。
目に焼き付いて、頭から離れない。
視覚だけでない。聴覚も、嗅覚も、感覚も、全ての細胞が細部まで記憶している。
「察しのいい先生なら、分かると思うんすけど」
分からない。彼女が何を言おうとし、何をしようとしたのか、全く。生徒を理解してやれない先生など、どこに居ようか。己の不甲斐なさに、何度目かも知れず唇を噛んだ。彼女は何を伝えようとした?同性の大人たる先生を信じて何かを開示してくれた生徒の心を、無駄にしたのではないか?
「──ふぅ」
溜息を吐く。考えすぎて煮詰まると良くないことを、この若い先生は分かっていた。
散歩をしよう、昨夜のように。
絡まった糸を解すには、先ず縫い目に向かわなくてはなるまい。海の音が思考を助けてくれるだろうと、日が落ち始めた空を見上げて歩き始めた。
大きく寄せては返す波の流れが、ザザーン……ザザーン……と、心地よく鼓膜をくすぐる。波打ち際に体育座りで腰を下ろせば、爪先に橙の布が触れては離れる。もう少しで太陽が海に溶けきってしまいそう。昨夜の青色が嘘のように、海は太陽に染まっていた。
「──先生?」
ふいに背後から呼びとめられ、はっと背中が硬直する。きれいで、けれど芯があって、力強いこの声。昨夜この声に絡め取られてしまったことを、全身の細胞が一気に思い出す。
……いけない。生徒を相手に、何を怖がっているのか。大人が余裕のない姿を見せたら、子供はもっと不安になる。薄く息を吐いて、先生は彼女を振り返った。
「…………あ」
零れる。と思った。ら、身体はもう勝手に動いていた。
立ち上がり、両の手を差し伸べて、流れる涙をすくう。そうしている間にも、スカイグレーの瞳は次々に塩味の宝石を零してしまう。手汗が止まらなかった。生徒を泣かせた。泣き止まない。すくってもすくっても、とめどなく溢れる輝きを受け止めてやれない。どうしよう──
「っ、先生」
ぴた、と手が硬直する。こんな時にまで、自己防衛に走るのか。先生は己の本能を恨んだ。こんなにも揺れて、壊れそうな彼女の声を初めて聞いた。先生なのに、生徒の弱みさえ守ってやれないのだ。
男だったら、と、頭をよぎる。私が男の人なら、大きな手で彼女の涙を受け止めてやれたろう。私が男の人なら、戦う彼女の背中を必ず守ってやれたろう。どうして私は女なのだろう。大切な生徒ひとりの気持ちさえ守れずに、何が先生なのだろう。どうして──
「私は大丈夫っすから、ね?話を聞いて、先生」
ひた、と温かな手が、先生の頬に当てられる。泣いてる私よりずっと冷たいじゃないですか、と、いつもの笑顔で彼女は言う。溜息が漏れた。張り詰めていた筋肉が弛緩する。警戒に値する敵では無い、と本能が認めたようでもあった。それに、心底安堵した。おずおずと頷く。
「ありがとうございます。……えぇっと、これは、自業自得っていうか……昨日のこと、後悔してて、それで」
涙の理由を話す彼女は、半ば慌てているようであった。どうにか先生を安心させたいと、本音を語るのもやむなしとして。
「っ先生、ごめんなさい……怖がらないでとか、無理っすよね……でも、私、先生に」
喉を詰まらせながら、どうにか言葉を絞り出している。この少女が己の気持ちを開示せんとするところを、先生は今度こそすくいあげるつもりだった。分かっていると示すように、うん、と深く頷く。
「嫌いになったり、するわけないよ。イチカは私の大切な生徒だもん。ただ、私も吃驚してしまって……怯えた態度を取ってごめんなさい。先生として不甲斐ない。でも、もう大丈夫。イチカが何を伝えようとしたのか、何をしようとしたのか、分からないけれど……これからちゃんと分かっていくから、これからもまた、聞かせてくれる?」
糸がひとつひとつ解けてゆく。分からないことは分からないままだが、それは問題ではなかった。今はただ、目の前で涙を零す女の子を安心させたかった。
「う、先生……そうやって、また……」
夕日を反射していた頬は、いつの間にかその色に染まっていた。困ったように下がる眉は、いつもの彼女らしく見えた。やがて、はぁ、と短い溜息を吐いて、先生に向き合う。
「望むところっす。誰も知らない私を、いつか暴かせてやるっすから」
物騒な物言いをしてみせた彼女は、しかし清々しく澄んだ笑顔をしていた。