何もなす術のないマリンは、老人の外出に同行するとき以外は自身の部屋で無気力に過ごしていた。
甘ったるい桃色と白いレースで覆われた、時の止まった部屋。
一応ノートパソコンは与えられていたが、通信内容はすべて把握されている。
出来ることといえば、たまにくる当たり障りのないメッセージに返信したり。
唯一の興味といえるファッションやアクセサリーについてネットで検索したり。
その日もちょうど、アクセサリーについてネットで調べていた。
材料や道具を勝手に買いにいくこともままならないので見るだけだが、手作りアクセサリーのサイトをポツポツと眺めていたのだ。
そうこうしているうちにナンとも古臭いサイトに辿り着いてしまった。
黒い背景に星がチラチラ動くようなエフェクト。無駄に傾けたフォントのサイト名が上部にデカデカと表示されている。
『Cosmos JEWELRY』……
センスのない名前だな、と思いながらレトロな趣がツボに入ってしまい、冷やかし程度で閲覧した。
カウンターがあり、『アナタは197904人目のお客様』とある。
更新履歴は十数年前で止まっていた。
マリンはまず『JEWELRY』と書いてあるページを覗いた。
サイト名で感じたダサさはそのままにパッとしないデザインが多かった。
それから『DIARY』というところで管理人が女性であること、十数年前まで学生で、最後の日記に『仕事が忙しい』としか書いていなかったことから更新停止の理由を推測できた。
次に入ったのが『CHAT ROOM』。
見慣れない雰囲気で、ログを見ると会話が残されている。一人は『管理人』と名前の欄にあり、もう一人に対して『おやすみ』と言って退室したように書いてある。
これも日付が十数年前。
察するに、ここはリアルタイムにテキストで会話できる場所らしい。
現代では似たようなアプリがいくらでもあるし、そもそもこんな不特定多数がいるところで話さなくてもいい。
マリンは管理人ともう1人のやりとりを読みながら、不用心だと思うと同時に羨ましいと思った。
管理人>カルアさん、前のイベントではお世話さま。差し入れありがとうございました❣️ クッキーおいしかったです(*´ч`*)
カルア>あそこのクッキー、わたしお気に入りなんですよ。喜んでもらえてよかったです
この二人は実際に会い、交流までしている。
マリンはひとりぼっちなのに。
いいな。マリンの胸に、見知らぬひとへのどうしようもない嫉妬が芽生えた。
ここに書き込めば、誰か反応してくれるかな?
でも更新が十数年前のサイトなんて誰も見ていないだろうな……。
マリンは冗談半分で名前を入力し、チャットルームへ入室してみた。
【marine.さんが入室しました。】
marine.>誰かいませんか
予想していたとおり反応はなかった。
だがマリンは諦められず、少しだけ待ってみた。
見知らぬ誰でもいい。
自分と一時だけでも分け隔てなくお喋りしてくれる人がほしい。
変わらぬ画面をじっと見つめる。
そこへ、あの人が現れた。
【knock knockさんが入室しました。】
突然の来訪者にマリンの胸が高鳴った。
食い入るように入室の知らせを見て、相手のメッセージを待つ。
knock knock>こんにちは、marine.さん
通常の挨拶。
画面の向こうに相手が確かにいる。
マリンは急いで返事をした。
marine.>こんにちは。ノック・ノックさん、と読むんですか?
knock knock>そうです。知り合いへの贈り物を探していたんですが、偶然このサイトに来てしまって。アクセサリーを売っているところなのかな?
どうやらノック・ノックも自分と同じ状況のようだ。
親近感が湧いて質問に答えてやる。
marine.>昔はそうだったみたいだけど。更新履歴、見ましたか? 十数年前で止まっちゃってますよ。たぶん注文しても届かないんじゃないかな。
knock knock>そうなんだ。教えてくれてありがとう! それなのに、marine.さんはどうしてここへ?
聞かれて、マリンは当たり障りのない回答をした。
marine.>あなたと同じです。ネットでアクセサリーについて調べていたらココに
knock knock>奇遇ですね! ココって個人のサイトですよね。marine.さんも自分でアクセサリーを作られたりするんですか?
ノック・ノックの問いかけにマリンは少し気分が重くなった。
marine.>わたしはやったことありません
knock knock>手作りのアクセサリーのサイトに来るくらいだから、興味があるのかな? と思いました。これから始めようとしてたとか?
思ったより馴れ馴れしい。
すこし話したら退室しようかな、とマリンは考え始めていた。
marine.>いいえ。材料も道具も買いに行けないもの
knock knock>そんなに田舎なの?
マリンはムッとした。
初対面の相手にナンてことを言うのだ。
キーボードを乱暴に叩く。
marine.>住んでいるところは都会。父が外出をなかなか許してくれないだけ
knock knock>厳しいお父さんなんですね。でも、最近なら通販もありますよ。
marine.>それも父に話を通さないといけないの
knock knock>頼んだらいいじゃないですか?
ノック・ノックの返信に『なるほど』と一人うなずくマリン。
確かに養父に頼めばアクセサリーの材料と道具くらいすぐ寄越してくれるだろう。望めば、望むより多く。
しかしマリンの頭にはハナからその考えはなかった。
何でもかんでも監視される暮らしの中、少しくらいは秘密を持っていたかった。
marine.>何となくイヤ。わたしの趣味について知られるの
マリンの不満が曖昧な言葉で吐き出される。
それまで矢継ぎ早に返事をしてきたノック・ノックは、これには少しだけ時間を置いて、
knock knock>難しい事情がおありのようですね
と返してきた。
何となく画面の向こうで笑われた気がした。
marine.>あなたもご両親に明かしたくない秘密がひとつやふたつ、あるのでは?
ムキになって冷水を浴びせるようなメッセージを送ってしまう。
後から子どもっぽかったかと反省したが、時すでに遅し。
ノック・ノックもさらに時間をかけて返事を考えているようだった。
焦らされたのちに表示された文面は、
knock knock>そういう相手、別に両親だけではないでしょう?
ハッとなる。
確かに、普通の環境なら親――保護者以外にもそういう相手がいるハズ。
マリンは改めて自身の世界の狭さを知り、胸が締めつけられた。
knock knock>marine.さんはお父さんと上手くいっていないみたいだね
ノック・ノックは今度はあっさりとメッセージを打ってきた。
マリンは返す言葉に悩む。
この人にどこまで言っていいものか……。
これまで相談した相手は養父にことごとく退けられてきた。
オンライン授業の講師に訴えてみたら、次の授業では別人になっていた。
同世代の女の子に喋ったら、その子が養父に告げ口していて関係が終わった。
このチャットだって監視されているか、もしくはログを確認されるに決まっている。
迷って沈黙を続けるマリンの返信を待たず、ノック・ノックがメッセージを送ってきた。
knock knock>言いづらいなら言わなくても結構ですよ。ただ、心配だな…
knock knock>何か悩みがあるなら私でよければ聞くのに
相手は聞く姿勢でいる。
だがマリンは上手く言葉が浮かばず、キーボードを打つ手が完全に止まってしまっていた。
knock knock>もしもし?
knock knock>まあ、初対面の相手にいきなり相談なんて難しいですね。
ほぼシカトされている状態なのに、ノック・ノックはあくまでマリンの心配をしてくれているようだった。
馴れ馴れしかったり、失礼な発言をしたり、気に入らないところがあったとしても悪人ではなさそうだった。
ネット上の会話だけでわかる人となりなんて、ほんの上澄みだけだろうけど……。
knock knock>今日のところはもう出ます。ただ、アナタのことが気になるからしばらくはココをチェックしようかな
まるでマリンが話すのを待ってくれる、とでも言うように。
気づけばマリンはノック・ノックのメッセージを息を潜めて待っていた。
knock knock>アナタが望むならまた会いましょう。ごきげんよう、marine.さん
別れの挨拶のあと、すぐに、
【knock knockさんが退室しました。】
とシステムのメッセージが表示された。
急に身体から力が抜け、どっと汗が噴きでる。
その日、マリンはノック・ノックとのチャットログの残るページを何度も繰り返し見て過ごした。
翌日になっても、それは同じだった。
『アナタが望むならまた会いましょう。ごきげんよう、marine.さん』
ノック・ノックの最後のメッセージを見つめていたら、午前中がつぶれた。
ここに書き込んだら、また話せるかな……。
昼食を摂ったあともマリンはチャットルームが気になって仕方がなかった。
昨日から少しも更新されていなかったというのに。
マリンがやっとキーボードに手を伸ばしたのは、十四時を過ぎたころだった。
ノートパソコンのキーがゆっくり沈む。
【marine.さんが入室しました。】
marine.>こんにちは。
たったそれだけ。
ノック・ノックの退室記録を下に追いやり、マリンのメッセージが浮上する。
しばらく待つつもりだった。
しかし――。
【knock knockさんが入室しました。】
マリンの挨拶の上にすぐさま相手の来訪を告げるメッセージが躍り出た。
あまりの早さにマリンは少し怖くなったが、考えるより先に相手の言葉が表示された。
knock knock>こんにちは、marine.さん。心配できのうからずーっと見ていたら、アナタが入ってきたので反応してしまいました。
knock knock>怖かったですか?
絵文字なんか使っちゃって……。
でも、ノック・ノックもマリンと似たようなことをしていたと知り、すこし安心した。
marine.>驚きました。でも、ありがとう。見ず知らずの他人をそんなに心配してくれて
knock knock>きのうは深く聞きすぎたかと反省していたんです。謝りたいなぁ、と思って。
knock knock>でも来ないだろうと粘っていたら来てくれて。
knock knock>よかった
温かい言葉にマリンの口もとにふと笑みが漏れる。
marine.>わたしもちょっと大人げなかったです。ごめんなさい
knock knock>いえ、いいんですよ。私が調子に乗りました。今日はもう、無理なことは聞きません
ノック・ノックの言葉にマリンは安堵した。
昨日のような問いかけだと自分の事情を話すのも気が引けるが、何より相手に養父の制裁がいくのではないかと考えてしまうからだ。
こちらが話の主導権を得られるなら、会話の内容をある程度は絞れる。
marine.>そうですか? じゃあ、わたしが質問してもいい?
knock knock>どうぞどうぞ
marine.>あなたは男性? 女性? 贈りものをしたい相手は?
knock knock>私は男です。贈りものをしたいのは古くからの知り合いの女性。だからアクセサリーがいいかな、って
marine.>恋人?
尋ねてから、今度はこちらが踏み込みすぎたかな? と悩むマリン。
初対面どうしだと、どこまで踏み込んでいいかわからない……。大体、養父が相手を紹介してくれるものだから。
案の定、ノック・ノックの返信もすこし遅れている。
しばらくして表示されたのは意外な返事だった。
knock knock>彼女、夫がいます。友人です
ということは、ノック・ノックも結婚していてもおかしくない年齢の男性かもしれない。
同世代を期待したマリンはすこし落胆したが、それより気にかかる点があった。
marine.>おせっかいかもしれないけど。だったらアクセサリーはよくないのでは? 旦那さん誤解しちゃゃうかも
夫がいる女性にアクセサリーなんて無神経だ。子どもで、人とあまり関わりがないマリンでも常識でわかる。
だがノック・ノックは間を開けずに、
knock knock>そういえばそうですね。彼、ヤキモチやきですし
マリンは吹き出した。
このヒト、わかってやってる!
marine.>アナタ、わざと怒らせようとしてるでしょ?
knock knock>さて、どうでしょう
marine.>悪いんだ。旦那さんかわいそ〜う
最初は真面目な印象だったのに意外とお茶目なひとだ。
マリンはすっかり気を許して茶化すメッセージを送っていた。
knock knock>marine.さんのアドバイスに従って、彼女には別の贈りものを考えます。
knock knock>小さな子どもがいるそうだから、その子向けでもいいかもしれないな
marine.>へー。そんなご家庭を壊そうとするなんて、アナタほんと悪い男!
knock knock>ジョークだってば。高いアクセサリー、ハナから探していないでしょ
marine.>あ、だから手作りアクセのサイト見てたんだ。ブランドものじゃ明らかにプロポーズだものね
knock knock>そのほうが面白かったかな?
marine.>ヘンなところで本気だしすぎ(笑)
marine.>ダメよ。両親がケンカしたら、その子がかわいそうでしょ?
マリンがダメ出しするとノック・ノックは素直に、
knock knock>そうだね。写真で見たけど、かわいい子だったよ。小さな子って守ってあげたくなるよね
と聞き入れた。
たぶん元から本気ではなかったのだろう。そんな気がする。
こんな時代遅れのサイト、遊び半分でなければ何度も訪問しないだろうし……。
そう結論づけて、マリンはノック・ノックとサイトのアクセサリーについて感想を述べあった。
marine.>わたし、このサイトのアクセのデザインちょっとシュミじゃないのよね。羽とかビーズじゃらじゃらつけているところとか。
marine.>ロマンチックなのが好きなんでしょうね。管理人
主が不在だからと言って、メインコンテンツをサイト内で『シュミじゃない』と一蹴するのはいかがかと思われるが、当時のマリンは管理人はもうこのページを見ていないと判断していた。
knock knock>私にはアクセサリーはよくわからないよ。ただ、サイトのトップページにあるゴールドのブレスレットは好きかな
ノック・ノックも敬語が抜け、すっかりくだけた口調になっている。
彼が言っているのは、サイトのトップページに載せられているブレスレットの写真のことだ。
白いレースの背景にシンプルなゴールドのブレスが際立つ。管理人にしてはビーズやチャームもつけず、珍しいデザインだった。
marine.>アレ、ココの管理人にしては異質よね。どっかのブランドのデザイン参考にしたのかな
knock knock>なるほどね。私が男だからというのもあるけど、単純なほうがつけやすい気がする
marine.>わたしも実はシンプルなデザインが好き。複雑だと合わせにくいし……
knock knock>今さらだけど、marine.さんは女性だね。オシャレが好きそうだ
marine.>そうよ。服もシルエットがきれいなものが好き
そう打ち込むも、現実のマリンは養父の選んだフワリとしたフリルワンピースに身を包まれていた。
子どものころはお姫さまのドレスが好きだった。しかし、今やマリンも思春期。
各国のモデルが着るような体のラインを美しく見せる、大人っぽいデザインに惹かれる年ごろだった。
marine.>ノック・ノックさんはどういう服装が好き?
knock knock>そうだなあ……私に頓着はないよ。色も黒が多い
marine.>黒〜? シックだけど、思いきって白とか選んでみてもいいかもよ。男性でもパステルカラーとか。
marine.>色しだいで気分も変わるし
knock knock>そうか。今度、服を調達するのに参考にするよ
マリンの提案にのってくれるノック・ノック。
話を聞いてもらえて嬉しい反面、
『このヒトがその服を着るのを見ることはないんだな……』
とマリンは心の隅で思った。
しかし、文面にはそんな考えを微塵も出さず、
marine.>わたし、すっきりしたファッションの似合う男性ってステキだと思うわ
と返した。
好きなキャラクターを教えてください(原作キャラは含みません)
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リトルプリンス・リンリン
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キッキ
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オハナ
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セイン
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マリン
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ヤーブレとカーブレ
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リンリンのおばあちゃん
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リンリンのおじいちゃん