マリンとノック・ノックの交流はその後も続いた。
『Cosmos JEWELRY』はマリンの退屈な毎日の中で大事な場所になっていた。
話す時間は決まって昼。早朝や深夜に話しかけたこともあったが、ノック・ノックの反応はなかった。
マリンは午前は遅くまで寝ているし、夕方以降はオンラインで授業もあって忙しい。
なので自由時間が合致するのはありがたかった。
その間も養父の束縛は続いていた。マリンが自由に外出することはなかったし、自分の商談にマリンを海外へ連れていくこともしょっちゅうだった。
それでもマリンは以前より心が軽くなっていた。
ノック・ノックは同世代ではないが穏やかで茶目っ気もあり、話しやすい。マリンの知らないカルチャー……巷で人気の楽曲やアニメ、ドラマのことも教えてくれる。
それらは養父の事情も考慮して恋愛要素が薄いものが多かった。そういう細かな気配りができるところが、マリンは好ましく感じた。
マリンがノック・ノックと話していない時間、それらについて検索しているのはやはり把握されているようだった。
知らぬ間にCDやDVD、書籍を贈られているからだ。
ということは、養父はノック・ノックとの接触も知っているハズだ。
マリンと通じる相手が男性と知れば忌み嫌って即刻アクセスを断っていたのに。
マリンは不思議に思ったが、『きっと彼が現実では接点のない人だからかな?』と納得していた。
もしかしたらノック・ノックの正体などすぐ割れていて、実は女性だったりするのかもしれない。
そうなると彼はマリンに嘘をついていることになるが……。
マリンはそれについて養父にもノック・ノックにも聞く気になれなかった。
聞いてしまえば、きっとノック・ノックとの時間は消えてしまう。
まるで魔法が解けてしまうように。
だからマリンは『ノック・ノックは誰なのか』と双方に直接尋ねることはしなかった。
ある日、間接的にマリンがノック・ノックへ話を振ったときにちょっとした事件が起きた。
marine.>ノック・ノックはどうして昼間にチャットができるの?
そのころには互いに呼び捨てあう仲になっていたので、油断の末だったかもしれない。
ノック・ノックはいつもの調子で素早く返信してくれた。
knock knock>私は夜勤なんだよ。朝はほぼ寝て、夜は働いている
marine.>ふーん。いかがわしいお仕事してるんでしょ
マリンも彼をからかうメッセージをよく送る間柄だったので、何も考えていなかった。
しかし返ってきたのは予想だにしないメッセージだった。
普段よりも時間がかかっていたので、その前から『あれ?』とマリンも思っていたが……。
knock knock>……marine. その発言はどうかと思うよ。
knock knock>夜勤で工場勤めや介護職のヒトだっている。何より、きみの言う夜職のヒトに失礼じゃない?
突然の説教にマリンは驚いた。
ノック・ノックが苦言を呈したのはコレが初めてだった。
marine.>そんなつもりで打ったんじゃないわ。世間一般のイメージで書いただけよ
knock knock>確かに世の中そういう言い方をするヒトはいるよね。でもダメだよ。職業に貴賎はない
knock knock>きみの中に、そうした偏見があったんじゃないかな
マリンは喉の奥に圧迫感を覚えた。
現実だったら、きっと相手への悪口が滑り出てしまっていた。
それほどノック・ノックの言葉は彼女の心を強く揺さぶった。
当然だ。
彼は、マリンに『悪いことだよ』と怒っている!
こちらはそんなつもりはない、と言っているのに。
頭に血がのぼったマリンは反論を素早く打った。
marine.>偏見でなくて事実です。アナタ、図星を突かれてムキになってるんでしょ?
marine.>ヒトに言えない仕事をしているんだわ
marine.>だからわたしをそんなに叱りつけるのよ
マリンの言い分にノック・ノックは返信がまた遅れていた。
きっと本当のことだから返せないのだ。
ふん、とマリンがノートパソコンが置かれたデスクを指先でトントン叩きながら見ていると、
knock knock>ムキになっているのは、どちらだろうね
と表示された。
マリンはドキリとした。
自分が使ったのと同じ言葉で、ノック・ノックが彼女の弱い面を突いてきたからだ。
彼の反論はその後もスムーズだった。
knock knock>私がきみに怒ったのは事実。でも、偏見が事実とは? 職業に貴賎はある、ときみは言っている?
knock knock>差別的じゃないかな……。言われた相手がどう感じるか、打つ前によく考えた?
knock knock>これ以上は言い争いになる。きょうはコレでお開きとしよう
え、とマリンは口に出た。
今日はまだ話しはじめたばかりだったのに……。
背筋に汗が流れたのを感じていたら、無情にもメッセージが浮き上がる。
【knock knockさんが退室しました。】
『ウソ……』
そのとき、マリンはショックを隠せず、本当にそうひとりごちた。
大した出来事ではないのに思い出せば胸がまだ痛む。
当時のマリンはそのメッセージで『ノック・ノックに見放された』と感じたのだ。
涙がポロリと頬へ落ちた。
怒らせた。
ノック・ノックが去ってしまった。
『きょうは』と言っているが、あす来る保証もない。
もう会えなかったらどうしよう……!
マリンはしばらくして猛然とキーボードを叩き出した。
marine.>待って。どうして去るの?
marine.>アナタと話すのが楽しみなのに
marine.>わたし、そんなに悪いことを言ったの?
marine.>わからなかったのよ。世間から切り離されて育ったから……
marine.>アナタを怒らせたなら、謝ります。本当にごめんなさい
marine.>だから戻ってきて。わたしと話をして。お願いよ
そこまで打ち込んで、マリンは本音をポツリと残した。
marine.>さびしい・・・
口もとを押さえて、その場で泣きじゃくるマリン。
その背中をさすったり、抱きしめてくれるような相手はどこにもいない。彼女はこの部屋でひとりぼっち。
ノック・ノックだけが彼女の友だちなのに。
マリンは自分の発言を呪った。
あそこまで後悔したのは生まれて初めてだった。
ただし、そこまで長い苦しみではなかった。
【knock knockさんが入室しました。】
ノック・ノックがアッサリ帰ってきた。
マリンが呆気に取られていると、彼は、
knock knock>参ったね。そう言われたら出ざるを得ないよ
マリンはしゃくりあげながら、すぐに理解した。
marine.>アナタ、もしかしてずっと見ていたの?
knock knock>うん。きみが出ていくまで待っていようかと
knock knock>そしたら長文を叩き出すものだから。さすがにかわいそうになっちゃった
marine.>サイテー!
ノック・ノックに対し、マリンはメッセージを続けて訴えかけた。
marine.>わたし、泣いてるのよ
marine.>アナタがもう来ないんじゃないかと怖くなって
marine.>それなのに騙したわね。本当にひどいわ
marine.>ひどすぎる
マリンが強く非難すると、普段は飄々としたノック・ノックもさすがに返事に困っていた。
knock knock>ごめん……そんなに傷つくと思わなかった。距離をとったほうがきみも落ち着くかと
marine.>バッカじゃないの。デリカシーのないヒトね!
knock knock>本当にすまない
マリンの叱責を甘んじて受けるノック・ノック。
その後もさんざんマリンに怒られ、謝り倒していたが、落ち着いたころに再度メッセージを打ち込んできた。
knock knock>でもね、わかってほしいんだ。
knock knock>私はきみのこと、たぶん若い女の子じゃないかと思ってる
knock knock>だから未熟なところもあるのだと
knock knock>でもあの発言はダメだよ。ヒトを傷つけるし、きみにとってもよくない
knock knock>あんな意地の悪い発言を当たり前にする人間になってほしくないんだ……
ひとつひとつ真摯な言葉。
マリンがこれまで受け取ってきた上っ面のお世辞とは違う、本当に気にかけてくれているヒトの言葉だった。
マリンはそのメッセージを何度か目で追うと、
marine.>わかったわ。わたし、もっと良い言葉を使えるようになる
marine.>だから、これからもわたしとココでお喋りしてくれる?
marine.>そういう礼儀というか……ヒトとして大事なこととか教えてほしいのよ
と返した。
ノック・ノックはすぐに、
knock knock>ありがとう。きみは、本当はきっと優しいんだね
knock knock>その優しさをどう表していいか知らないだけなんだ
knock knock>私も口が回るほうではないけど、お喋りの練習ぐらいなら付き合うよ
と打ってきた。
『きみは優しい』と言われたことで、マリンはどこか誇らしい気持ちになる。
marine.>☺️ それでは、今後もよろしくね。ノック・ノックさん
ネット上でのやりとりだが、まるで指きりでもしたかのように感じられた。
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