あの海のリンリン   作:つるみ鎌太朗

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第六話 心のノック(5)

 

 ノック・ノックと交流をはじめて三ヶ月が過ぎた。

 マリンは毎日のようにノック・ノックとチャットで喋っていた。

 チャットを終えたあとも、

 

『早く明日が来て、彼と話せたらいいのに』

 

 とすぐに願うほどマリンの中で彼の存在が大きくなっていた。

 

『最近、機嫌がよさそうね。プリンセス・マリオネット』

 

 マリンの自室へ夕食を運んできたときにヘドロが言った。

 

 ヘドロは養父の秘書でマリンの世話を任されている。

 紫の長い髪をかんざしで頭上にまとめており、黄色いマントの内には養父と同じく各国からたまわった勲章をつけている。

 服の上からでもわかるボディラインは細くしなやかで、ちょっとしたモデルのようだ。

 マリンに言わせれば『年増の意地悪なオバさん』だったが……。

 

 何故ならマリンが嫌がると知りながら、忌まわしいニックネームで呼びかけるのだ。

 

『プリンセス・マリオネット』

 

 操り人形の姫。

 養父の言いなり、プリンセス・マリン。

 

 やめろと言っても忘れたころにまた使ってくるので、マリンはもう諦めた。

 

『アナタの気のせいじゃないかしら』

 

 ノック・ノックとの仲を指摘されたようで、マリンは気分を害す。

 どうせヘドロもログで彼のことを知っているのだろう。

 

『そう? な〜ンか、浮かれたお顔をしていますわよ。まるで恋人でもできたかのような』

 

 マリンは即座に否定する。

 

『わたしはまだ十五なのよ。そんなの、考えたこともないわ!』

『ええ、そうでしょうとも。だってプリンセス・マリオネットはいつだってランカー様の手の内ですもの。

……その目をかいかぐって、オトコなんてね。できるハズないわ』

 

 俗っぽい言い方にカッとなるマリン。

 ノック・ノックとの仲を汚されたように感じたのだ。

 

『お黙り、ヘドロ!』

 

 怒鳴るとヘドロが大げさに体を震えあがらせた。

 

『おお、怖。……まったく、ナンであの娘と同じ言い方をするのやら。憎たらしいったらありゃしない!』

 

 乱暴に食卓へ皿を置かれる。

 

 マリンは肩で息をしながらヘドロが去るのを待った。

 養父――ランカーの言いつけで彼女はだいたい隣の部屋にいる。ランカーと商談に行くことも多いが、それ以外はこうしてマリンの部屋の前を陣取って、勝手な行動を取らせないようにしているのだ。

 

 マリンはヘドロが大嫌いだった。

 そのヘドロをいつもそばに置くランカーも……昔は孤児の自分を迎えてくれた恩義があったけれど。

 少しずつ時間をかけて、マリンは強い違和感を覚えるようになっていた。

 

 父親にしては愛が重すぎるのだ。

 ここまでして他人と関わらせないなんて、絶対に変だ。

 

 前から思っていたが、ノック・ノックと会話するようになってさらに実感できるようになった。

 彼こそ、まるで親のようにマリンを導いてくれるように感じていたから――。

 

 それをヘドロが色恋のように茶化すから、気分が悪くなった。

 

 ノック・ノックはそんなんじゃない。

 彼はマリンをそんな目で見るようなヒトじゃない。

 

 その日の夕食は、ほとんど手をつけられなかった。

 

 その晩、マリンは夢を見た。

 親がいなくなり、泣いている幼いマリン。周りは真っ暗で誰もいない。

 

『パパー、ママー』

 

 幼いころはそう呼んでいた気がする。

 そこへ、猫なで声が呼びかけてきた。

 

『マリンちゃん、パパはここだよ』

 

 振り返るとランカーがいて、マリンを抱きしめようとしている。

 このころのマリンはまだ彼を親代わりだと慕っていた……。

 

 だが、夢を見ているのは現在の十五歳のマリン。

 

『イヤよ! 近づかないで!』

 

 マリンはランカーから逃れようと駆け出した。

 しかし彼の大きな腕の感触が黒い霧となり、いつまでもまとわりつく。

 だんだん重量が増して、マリンは押しつぶされそうになった。

 その場に膝をつく。体にのしかかるランカーの気配。

 

『プリンセス・マリオネットはいつだってランカー様の手の内』

『プリンセス・マリオネットはいつだってランカー様の手の内』

『プリンセス・マリオネットはいつだってランカー様の手の内……』

 

 ヘドロの声が頭の中で繰り返される。

 かき消そうと、マリンは叫んだ。

 

『たすけて、だれか助けて! だれかーっ!』

 

 手を伸ばした先は……自室の天井だった。

 自分の声で目を覚ましたマリンは、頬に伝う涙の生温かさを感じた。

 

 上体を起こすとマリンはベッドで肩を震わせて泣いた。

 悪夢から覚めても、あの威圧的な感覚が残っている気がした。

 

 涙がおさまったころ、喉が渇いたと思い、自室に備えつけられているサーバーから水を汲もうとした。

 ベッドから下りようとして、ふと、デスクの上のパソコンに目が留まる。

 

 マリンはフラフラと近づいていき、電源をあげた。

 起動するとすぐ、あのページを開く。

 

 ノック・ノックとの会話が並んでいた。

 彼の優しい言葉の数々がマリンの体の緊張をほぐしていく。

 

 気づけば無意識に書き込んでいた。

 

【marine.さんが入室しました。】

marine.>ノック・ノック、いますか

 

 暗がりにキーボードのタイピング音だけが響く。

 

marine.>お仕事中?

marine.>少しでもいいから話したいわ

marine.>怖い夢を見たの。子どもみたいだけど

marine.>笑ってくれてもいいわ

marine.>ずっと、気持ち悪いのが離れない。

marine.>こわい ノック・ノック へんじして

 

 引っ込んだと思った涙がまた溢れ出した。

 ノック・ノックがいない寂しさに、あの不気味な感覚が舞い戻ってきたように思った。

 

 ノック・ノックは歳上の男性だ。

 夜は働いているのだから、来るはずがない――。

 

 自分に言い聞かせ、ノートパソコンを閉じようとした刹那。

 

【knock knockさんが入室しました。】

 

 今まで夜には絶対に出なかったシステムメッセージ。

 マリンは信じられず、その文面を凝視した。

 固まったままでいるとノック・ノックが語りかけてきた。

 

knock knock>こんばんは、marine.

marine.>どうして来たの?

knock knock>きみが呼んだんじゃないか 

marine.>お仕事は?

 

 聞くとノック・ノックは歯切れ悪く答えた。

 

knock knock>さすがに休みの日もあるよ。寝る前にチラッと覗いたら、きみがいて……

 

 本当はもう寝たかったのかな。

 マリンは潤んだままの目ではにかむ。

 

marine.>ちょうどお休みだったのね。よかった

marine.>アナタと話したかったの

marine.>ほんのすこしでも

 

 間を置いてノック・ノックが聞いてきた。

 

knock knock>眠れないの?

 

 マリンは彼の優しさに目頭がまた熱くなった。

『悪夢ってどんな夢?』と尋ねてもいいところなのに、マリンに思い出させないように話をズラしてくれた。

 

marine.>うん・・

knock knock>何か、温かい飲み物を用意できる?

marine.>自分の部屋から出たくない。この屋敷の人間はみんな嫌い

knock knock>そうか。水は?

marine.>飲もうとしてた

knock knock>待ってるから汲んできなよ

 

 その言葉に安心して、マリンはサーバーから水を汲んでくる。

 グラスからひと口飲むと冷たさがノドを過ぎていった。

 

knock knock>飲んでる?

marine.>うん。冷たい おいしい

 

 マリンの単なる報告にノック・ノックはなおも心配してくれているようだ。

 

knock knock>何か落ち着けるもの……ちょっと探してみる

 

 そのメッセージのあと彼はしばらく沈黙していた。

 退室のシステムメッセージがなかったのでマリンは残りの水をちびちび飲みながら待った。

 グラスから水がなくなったころ、彼が再び浮上した。

  

knock knock>【ASMR】良いマイクでホットミルクつくってみた【安眠動画】 https://**************/

knock knock>怖い動画じゃないよ

 

 マリンはノック・ノックを信じていたのでアドレスをクリックしてみた。

 

 薄暗い暖色系の照明の下、小綺麗な女性が静かにホットミルクを淹れている動画だった。たったそれだけだが映像がきれいで、マグカップを準備するときのカチャカチャした音や、ミルクパンにミルクを注ぐ音。

 コンロに火をかけたときのパチパチ音に、ハチミツを一杯いれる際にスプーンでかき混ぜる音……。

 どれもがリアルで聴いていて落ち着けた。

 

marine.>こんなに丁寧にホットミルクをつくったことないわ

knock knock>私もだよ

marine.>いいな。飲んでみたい。お腹から温まるでしょうね

 

 動画を視終えたら、また彼が何か動画を見つけてきた。

 

knock knock>【ASMR】ぬいぐるみのクマ様へフェイスエステ【ロールプレイ】 https://**************/

knock knock>ちょっと面白い

 

 クリックしたら、幼いころにランカーが与えてくれたようなクマのぬいぐるみが寝かされていた。画面の外で女性がボソボソと話しかけている。

 相手はぬいぐるみなのに、丁寧な接客で『どこが気になりますか』とか『オイルは好きな香りをお選びいただけます』とか。

 ふしぎな動画にマリンは自然と笑顔になった。

 

marine.>かわいい。ぬいぐるみにマッサージしてる

knock knock>この動画、十万回も再生されているよ。

knock knock>世界はひろいね……

marine.>うん。こういうの好きなヒト、多いのね

 

 フェイスマスクをかけられたクマが小さなブランケットを優しくかけている。

 大事にされているぬいぐるみに、マリンは変なヤキモチを妬いた。

 

marine.>わたしもこんなふうに優しくされたい

knock knock>今はちがうの?

marine.>アナタは優しいわ。でも・・

 

 ノック・ノックがリラックスできるように図らってくれたので、マリンはすこし眠たくなっていた。

 

marine.>わたしの養父はね。こんな優しさをくれないの

marine.>彼はね。モノしかくれない

marine.>それと、牢獄のような生活

 

 普段なら絶対に書かなかった言葉。

 過去に他人へ伝えても消え失せていった言葉が、和らいだマリンの心から溢れた。

 

marine.>わたしの部屋の隣には、彼の部下がいる。意地悪な

marine.>みんな、わたしが出ていかないように見張っている

marine.>こんな生活を強いられては、どんな贅沢品も意味はないわ

marine.>わたしが欲しいのは目には見えないモノなの。優しさだとか、友だちとの日常だとか

marine.>あのヒトたちはそれがわからないのよ。

 

 マリンの感情の発露にノック・ノックは慎重に言葉を選んでいるようだった。

 普段よりもうんと時間をかけて彼はひとつの可能性をよこす。

 

knock knock>それか知っていて無視しているかだね

 

 マリンはすぐに返信した。

 

marine.>もっとひどいじゃない

knock knock>最悪の事態は想定しておくものだよ

 

 ノック・ノックの言葉で、自分が想像したよりもはるかに酷い状況にあると悟り、自嘲する。

 

marine.>それで父親面なんて笑っちゃう。絶対、あのヒトはおかしいの

marine.>わたしを信用していないクセに自分のことは信用しろだなんて

marine.>あのヒトは親じゃない。何も知らない子どもだったわたしに、この部屋を押しつけただけ

 

 書ききってマリンは自分の中でランカーへの信頼がとうに消え失せていたことを自覚した。

 ノック・ノックもこれにはすぐに同意してくれる。

 

knock knock>僕から見ても、彼は異常だよ

knock knock>愛するひとを縛りつけるのはエゴに過ぎない

 

 ランカーのやっていることに対して、これ以上に適切な言葉はなかった。

 マリンはトロンとした目つきでディスプレイを眺める。

 自分の本音を受け止めてくれる相手がいるのは、こうも安心できるのだな……。

 

marine.>そうよね。異常だわ。あのヒトは、ふつうじゃない

marine.>こわい ノック・ノック ランカーがこわい

knock knock>marine.  大丈夫?

 

 マリンはうつらうつらしながら、最後にこう打った。

 

marine.>ノック・ノック わたしをたすけて

marine.>わたしをここから つれだして

 

 

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  • ヤーブレとカーブレ
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