あの海のリンリン   作:つるみ鎌太朗

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第六話 心のノック(6)

 

 やってしまった。

 マリンは目覚めてからチャットのログを見て後悔した。

 ノック・ノックへ自分の状況を伝え、『助けてほしい』とせがんだ。ランカーの名前まで出して。

 これまで何故か見逃してくれていたランカーも見過ごさないだろう。

 きっとノック・ノックとの関係は終わってしまう。

 

 その日の昼、マリンは怖くてチャットルームに入室できなかった。ノック・ノックが来なかったらと思うと怖くて堪らなかった。

 

 夕食を持ってきたヘドロにお小言を言われても上の空だった。

 

 久しぶりに、ノック・ノックに会わずに一日を過ごした。

 

 翌朝、クマのエステ動画に出てきていたのと同じぬいぐるみが贈り物として届いた。

 やはり監視されているのだ。

 マリンはそう思ったが、意外にも養父ランカーは顔を合わせても『プレゼントは気に入ったかな?』としか聞かなかった。

 

 おかしいな、とマリンは気づきはじめた。

 誰も彼もがノック・ノックなんか知らない、という素ぶりで接してくる。

 

 あんなにマリンが明確に救いを求めたのに。

 オンライン授業の講師はすぐにいなくなったのに……。

 

 ノック・ノックだけが彼らの目から逃れているようだった。

 

 そのまた翌日。つまり、深夜のチャットから三日後。

 マリンが昼に過去のログを見返していたら、普段どおり彼はやってきた。

 

【knock knockさんが入室しました。】

 

 マリンはそのメッセージを見つめて冷静に打ち込んだ。

 

marine.>アナタは何者?

 

 相手も想定内だったのか、即座に返してきた。

 

knock knock>やはり気づいたんだね。このサイトが他とは違うって

marine.>どういうことなの。ランカーたちはアナタを知らないわ

knock knock>ログの残らないところだからね

marine.>そんなことが可能なの?

knock knock>抜け道はいくらでもあるんだよ。プリンセス・マリン

 

 社交界でランカーが使っている呼び名。

 マリンはもはや動じなかった。

 ノック・ノックとの出会いは、おそらく偶然ではない。

 

knock knock>まずは謝らないといけないね。このサイトは、私が作ったものなんだ

knock knock>きみと接触するために

knock knock>きみの興味があるものをアクセスログから辿って、目を引くサイトを構築したんだ

 

 彼の種明かしはマリンの世界から遠く離れた物語のようだった。

 

marine.>スパイ映画みたい

knock knock>そんなに格好いいものじゃないよ。いくつか作って、やっときみがリンクを踏んでくれたんだから

marine.>ナンでソコまでしてわたしと話したかったの

knock knock>きみが、私の知る人物とよく似ていたからさ

 

 自分が美しいことは、周りの大げさな反応からマリンは知っている。似ている人物がいるとはにわかに信じられなかった。

 ノック・ノックが言っているのでなければ。

 

 彼の言うことなら、信じられる。

 今まで騙していたと告白されたのに自分でも不思議だった。

 

knock knock>最初はね。きみもランカーの手下かと思っていたんだ

knock knock>そっくりさんを使って、また彼女に迷惑をかけようとしているのか、って

knock knock>それできみのことを調べようとしたんだけど、なかなか情報が出てこない

 

 疑われていた事実がマリンの小さな胸をチクリと刺した。

 でも、この言い方だと『今は』もう違うハズだ。

 そうと知りながらマリンは彼に弁明めいたメッセージを書いた。

 

marine.>だって、SNSは使わせてくれないもの。

marine.>何も発信できないわ

knock knock>報道も遮断しているみたいだ

knock knock>だから、きみ本人とコンタクトを取ろうとしたんだ

 

 それが、この偽サイトか……。

 振り出しに戻されてマリンは尋ねた。

 

marine.>それで、わたしと話してどうだった?

marine.>悪の手先だと思った?

 

 ノック・ノックはマリンの問いに時間を置いて答えた。

 

knock knock>いいや。きみは普通の女の子だよ

knock knock>すこしばかり配慮が足りない、意地っ張りでヒトをからかうのが好きな、それでいて傷つきやすい歳相応の女の子さ

 

 マリンは笑ってしまった。

 これまでオブラードに包まれていた評価が、こんなにもひどいものだなんて!

 

 ここに来てノック・ノックも本心を明かしてきたのだと思い、マリンは何故か楽しくなってきた。

 

marine.>けちょんけちょんに言ってくれるじゃない

knock knock>子どもなんて、みんなそうだよ

knock knock>だから保護者が必要なんだろう?

 

 保護者。

 その単語はマリンの肩にズンとのしかかった。

 ノック・ノックが畳みかけた。

 

knock knock>改めて言うよ。きみの境遇は普通ではない

knock knock>ランカーは保護者として適切ではない

knock knock>このままではきみの心が壊れてしまう

 

 マリンはそれを受け、今度は寝ぼけないで訴えかけた。

 

marine.>わたし、どうしたらいいの?

marine.ずっと幼い時から面倒を看られていたから他に知り合いなんていないわ。

marine.>作ろうとしてもランカーの権力で排除されてしまう

 

 マリンの言葉にノック・ノックはしばらく沈黙していた。

 マリンは彼の返事を信じて待つ。

 やがてノック・ノックの問いがスウとチャットログの先頭に浮き上がった。

 

knock knock>マリン。きみに問う

knock knock>ランカーから逃れたい?

 

 もう答えは決まっているようなものだった。

 だが、マリンはこれを書いて彼がどうするかまでは予想できなかった。もし、危ないことを考えているのだとしたら。

 

 そんなマリンの不安をお見通しとばかりに、ノック・ノックは連続してメッセージをよこす。

 

knock knock>きみが優しいのは知ってるよ

knock knock>だから助けたいんだ。

knock knock>きみが望むなら

 

『優しい』と……。

 彼はマリンを評してくれる。

 

 マリンは、ノック・ノックと初めて口論になったときのことを思い出していた。アレはマリンの不用意な言葉が招いたことだった。

 彼はマリンの刺々しい言葉の先にある心を見つけてくれた。

 マリンが求めたら、戻ってきてくれた。

 

 彼の優しさがマリンにあった優しさを呼び起こしてくれた。

 

 マリンは力強くキーを打ち込んだ。

 

marine.>わたし、外へ出たい

 

 ランカーのもとでは自分はきっとおかしくなる。

 マリンはそう確信して、ノック・ノックへ送った。

 彼はマリンのメッセージを確認して、数秒後には、

 

knock knock>もうすこしの辛抱だよ。マリン

 

 と書いた。

 互いに相手がどう返すかわかっていたのかもしれない。

 二人の考えは一致していた。

 

knock knock>あす、同じ時間に会おう

 

 その言葉を最後に、システムメッセージが彼の退室を告げた。

 

 

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