翌日、同じ時間。
窓の外は晴天。
ただしマリンの見る窓はいつだって鉄格子がはめられていた。
アーティステックな模様でカットされており、一見ロマンチックに見えるがマリンを外へ出すまいという意思を感じられる。
ノック・ノックはどうするつもりだろう……。
マリンはチャットルームのページを開いて、じっと待っていた。
ふいにお決まりのメッセージが現れた。
【knock knockさんが入室しました。】
マリンは息をのんだ。
そして彼が書き込んだ――。
knock knock>窓を見て
先ほどまで眺めていた窓をマリンは振り返った。
背の高いマネキンがいた。
声が出そうになるのを口を押さえて止める。
knock knock>そのまま静かにもらえると助かる
knock knock>監視カメラは録画に切り替えたけど、物音で気づかれてしまう恐れがあるからね
画面に表示されつづけるメッセージ。
しかし窓の外のマネキンはパソコンやスマートフォンなどといった端末は絶対に持っていない。
よく見ると彼は後ろから何かで吊るされている。ロープだろうか。
体がかすかに揺れていた。
marine.>アナタなの
とっさに書き込んだ。
マリンの目の前で揺れるマネキンは、変わった服装をしていた。
黄色のつばのついた帽子に、黄色い襟のついた黒いスーツにズボン。長い足を際立たせる黄色いブーツ。
髪の色は銀色で、昼の陽光を受けてきらめていている。
想像していたノック・ノックとはずいぶんと違う容姿だった。
knock knock>そうさ
そのメッセージにマリンはゴクリとつばを飲み込んだ。
『あす、同じ時間に会おう』とは、実際に会おうという意味だったのだ。
マリンは窓の外の男とディスプレイを交互に見ていた。
メッセージが浮上する。
knock knock>マリン。大きな決断だから、よく考えて
knock knock>何度も聞くようだけど、これから先、きみの人生が大きく変わってしまうから
窓の外の男が顔を上げた。
knock knock>ランカーから逃れたいか?
マリンはこれが最後の選択だと直感で理解した。
knock knock>きみが平穏を望むなら。悲鳴でもあげて隣の部屋のヘドロを呼べばいい
knock knock>私は捕まり、きみはまた大事に保護されて変わりない生活を送れる
この選択肢なら、今後、二度とノック・ノックとは会えない。
そしてマリンも外へ出る機会を得ることはないかもしれない。
knock knock>だが、きみが脱出を望むなら。
knock knock>ランカーは地の果てまで追ってくるぞ。私の知り合いがそうだったからね。わかるんだ
knock knock>スパイ映画さながらの逃走劇になるだろうね
この選択肢は囚われの身であったマリンには過酷だ。
ランカーから逃げるとはそういうことなのだ。
わかってはいたが、改めて言葉にされると体が震えてしまう。
でも。
knock knock>その場合、私がきみを保護する
knock knock>ランカーほどの財力はないが、きみも知ってのとおり多少の偽装工作はできる
knock knock>力の限り、きみを助けよう
マリンには彼がいる。
ネットの世界でめぐり逢ったノック・ノック。
マリンに本当の優しさを教えてくれたひと。
たとえ困難な道でも、きっと彼が導いてくれる。
彼がいるなら頑張れる。
knock knock>マリン。きみが選ぶんだ
knock knock>悪いが悠長に悩む時間はない
knock knock>きみはどうしたい?
マリンの気持ちは決まっていた。
marine.>わたし、アナタとココを出ていくわ
窓の外のノック・ノックが笑った気がした。
一際大きく揺れると、彼は背負ったバックパックに片手を突っ込む。
knock knock>どこかテーブルの下に屈んでおいて。ひょっとしたら火花が散るかもしれないからね
マリンはパソコンデスクの下に潜った。
窓の外のノック・ノックが何か棒のようなものを鉄格子に近づける。
チカ、と点のような光が見えると、次の瞬間、格子がスパッと切れていた。
ノック・ノックは切断した鉄格子を抱えるとマリンにあごで窓を開けるように指示した。
もうマリンは迷わなかった。
デスクの下から立ち上がると、彼のもとへ走った。
音を立てないように窓を開ける。
二人を遮るものがなくなった瞬間だった。
間近で見るノック・ノックの白い顔は恐ろしいほど整っていた。
普通、美しいものを見れば心が浮き立つものだが、彼の美貌はそれとはすこし違っていた。
例えるなら人形。彫刻。
鈍色の瞳は目の前のマリンを本当に見ているのかわからぬほど澄んでいた。
マリンは彼から鉄格子を受けとり、床へ静かに置いた。
『おいで』
小声で彼が呼ぶ。低く、安定感のある声。
マリンは窓から身を乗りだすと彼へ抱きついた。
細身に見えたが、マリンのよりずっとしっかりした腕がマリンの腰を抱きかかえる。
『しっかり捕まっているんだよ』
ノック・ノックがそう言うと、ロープが静かに上へと昇っていく。
『このワイヤーは丈夫な鋼糸を編み込んで作られているんだ』
目下の景色に怯えるマリンに彼が言う。
小さくて見えづらいが、見回りの警備員が芝生で寝転んでいるようだった。
『どうしてあの人たちは任務中に寝ているの?』
『疲れたんじゃないかな』
ノック・ノックが小さく笑った。
ふざけた回答だったが彼が何かしたのは明らかだった。
マリンは彼の肩に額を押しつけて思う。
本当に彼はノック・ノックだろうか?
状況から見ればその可能性は高いものの想像より若い。
夜勤と言っていたから二〇代後半か、三十路は超えているかと思っていた。
ただ目の前の彼は二〇を超えるか超えないかぐらいの青年だ。
マリンが目だけで彼の整った横顔を見ていたら、目線がかち合った。
鈍色の目が細められる。
『あのサイトのトップページの写真はね。どこで拾ってきたかは忘れたけど、もう売り切れたアクセサリーなんだ』
彼の作った『Cosmos JEWELRY』のゴールドブレスのことだと、マリンはすぐにわかった。
『サイトの他のアクセサリーと毛色が違うから怪しまれるかな、と思ったんだけど。まずはきみに気に入ってもらわないとね』
目を瞬きさせる仕草で、作りものめいた美貌に初めて人間味を見いだせた。
ノック・ノックはマリンを見据えて言った。
『最後は好みで決めたよ。アレなら私もつけてもいいか、と』
確信した。
彼が、本物のノック・ノックだ。
それがわかるとマリンは彼の体をぎゅうと抱きしめ、肩に顔を埋め、衣服をほんのすこし濡らしてしまった。
ロープが巻き終わると、頂上にあったヘリポートの屋根がぽっかり開いていた。
普段は硬く閉じているのに。
『警報はぜんぶ切ってある。降りても大丈夫だよ』
ロープを備えつけてあったリールへ片づけながら、ノック・ノックがマリンをおろす。
空が近い。
空ってこんなに広いんだ。
見上げていたら、あの部屋から逃れた実感が湧いてくる。
『さぁ、ヘリで逃げよう』
ノック・ノックがリールを回収し、マリンをヘリへ促したその時――。
『お待ち!』
女の声がした。
声の方向を見れば、ヘドロが拳銃を持ってこちらへ駆けつけてくる。
『逃がさないわ。その娘はランカー様に任された大事な子』
銃口を向けられてマリンは悲鳴を噛み殺した。
背後に立つノック・ノックはというと……。
『大事? そのわりには彼女を乱雑に扱っていたようだが』
その口調には余裕が感じられた。
堂々とした物言いにヘドロがわずかに後ずさった。
『食事や衣服を用意してあげるだけで充分でしょう。愛想を振りまくほどの価値はないわ』
『貴女は合理主義だね』
『そうよ。だからランカー様に仕えているの』
ヘドロが声を張りあげた。
『プリンセス・マリン! ランカー様を裏切るの?
ランカー様は身寄りのないあんたを引き取り、これまで慈しんで育ててくださったお方。
あのお方が引き取らなければ、あんたなんてロクな暮らしができなかったのよ。
それを、なに? ポッと出のイケメンと駆け落ちだなんて。
映画じゃあるまいし後悔するわよ! さっさと戻ってらっしゃいな!』
これまで曲がりなりにも面倒を看てくれたヘドロに言われると、マリンもすこしたじろいだ。
ヘドロにノック・ノックの姿も見られている。
ここを撒いてもすぐに追っ手が来るだろう。
だがノック・ノックの強気は崩れない。
『裏切るというなら、あなた方が先に彼女を裏切ったのだろう』
マリンに話しかけるのとは違う低くくぐもった声。
細身の外見からは想像できぬ重苦しい威圧に、ヘドロの銃を持つ手もほんのすこし下がった。
『彼女を部屋に閉じ込めて、何が慈しみだ。
ランカーに引き取られなかったら、贅沢はできずとも自由はあっただろう。
それを恩着せがましく言うなど、厚かましいにも程がある』
想像以上に手厳しい評価に、ヘドロは頭から湯気が出そうな勢いで、
『……うるさい、うるさい! 大体あんたナンなのさ。
なぜ、生体反応に引っかからない? おかげで気づくのが遅れたわ。
違和感がして部屋を見に行けばもぬけの空。鉄格子はまっぷたつ! 損害賠償ものですからね!』
え、とマリンは声が出そうになった。
しかしマリンが考えるより先にノック・ノックが感心したようにヘドロへ言った。
『へえ、そんなトラップが仕掛けてあったのか。一つや二つは解除しきれないだろうと予想はしていたが……』
ノック・ノックがノドを鳴らして笑う。
『私は運がいい』
彼が一歩前に出る。
マリンを背に押しやり、ヘドロへ近づいていく。
『……ッ、それ以上、近寄らないで』
ヘドロが再び銃を持ち直す。
それでもノック・ノックは歩みを止めない。
『ヘドロ。貴女は昔からランカーの忠実な部下だった。
彼の愛は他の若い娘に向けられるのに、恐るべき忠誠だね。
減らず口を叩きながらも彼を決して裏切らない』
彼はまっすぐヘドロを見据え、手を後ろで組んだ。
マリンの目には、若干、ヘドロの体がぶれたように見えた。
『それがどうしたの? あんたには関係ないでしょう』
『そうだね。でも私は心配しているんだよ。
報われないのに働きすぎじゃないか、って』
ノック・ノックはぴたりと足を止めた。
『すこし休みたまえ』
その足もとへ、ヘドロが倒れ込んだ。
手から銃が離れる。
ノック・ノックは銃を靴先で横へ蹴飛ばした。
『死んでるの?』
おそるおそるマリンが尋ねる。
ノック・ノックは振り返り、
『いいや。眠っているのさ』
『何をしたの』
『何も。疲れてるんじゃない? 大人は働きづめだから』
元の穏やかな口調に戻った彼に、マリンは安堵しながらも緊張が解けきらない。
下の警備員といい彼は何か不思議な力を持っている。
まだマリンに隠していることがある。
だが、もう後戻りはできない。
マリンは選んでしまったのだ。
『悪いことをするからだわ』
眠るヘドロを見下ろし、マリンは呟いた。
自分にとって誰が必要なのかを言い聞かせるために。
『悪いことをするから、普通よりも余計に仕事をする羽目になるのよ。悪事を隠さないといけないから。
武器を売りつけたり、戦争が起こるように操作したり……』
ランカーは悪人だ。それに仕えるヘドロも。
何故なら……。
『女の子を監禁したり』
口にしてマリンは二人と決別を誓った。
ついと顔をあげ、ノック・ノックを見つめる。
『そうでしょう? ノック・ノックさん』
彼はマリンへ、かすかに口の端を持ち上げた。
『うん。彼らは悪い大人だね』
体ごと向き直って、ノック・ノックはマリンへ歩み寄る。
背が高いから下を向いてくれないとマリンと目線が合わない。
マリンの海色の瞳が視線を受けとめる。
『でも良い大人もいるんだよ。これから知っていくと思うけど』
彼は少しだけ目をそらして、続けざまに言った。
『ねえ、マリン。隠し事ばかりですまないね』
罪悪感でもあるのだろうか。
美しい顔立ちに、わずかばかりのバツの悪さがにじんでいた。
『私の本当の名はトントンと言うんだ』
***
――それが、彼の本当の名前を知った時。
――マリンがトントンと本当の意味で出会った日の出来事。
思い返せば一編の映画にでもなりそうな話だ。
マリンの人生は劇的で、彼は救いのヒーロー。
映画なら恋が始まりそうなシチュエーションだけど。
実際のところ、マリンとトントンの旅はデコボココンビ結成と言えた。
マリンからすればトントンは放任主義すぎて、
『自分で考えなさい』
ばかり。
それでいてマリンが失敗すれば、
『何が悪かったか考えてごらん』
旅はじめ、マリンはよく彼に当たり散らしていた。
ナンでわかってくれないの? どうして何もしてくれないの? と。
実際はトントンのサポートがなければランカーにすぐさま連れ戻されていたのに。
わかってはいるがマリンは世間を知らなさすぎた。
外へ出るたびに小さな間違いをおかして落ち込んで帰る。
二人の移動手段はたいていネッシー号だったので、帰る場所はそこ。ぐずぐず言ってマリンが戻ると、
『おかえり。マリン』
とトントンが出迎えてくれた。
それで何があったのか聞いて、反省を促したり。
嬉しいことは一緒に喜んでくれたり。
マリンは、擬似的にだが家族とはこういうものなのだと感じた。
家とは閉じ込められるところではない。
帰るところなのだと。
そして今、マリンはアルトコ市にいる。これまで二人の家がわりだったネッシー号はアルトコの港近くの海底に隠してある。
家を借りるだなんてこれまではなかった。
『縁のある人』――トントンはその人へ会いにいくと言っていた。
花の水やりを終えたマリンは、自分に用意された部屋へ戻っていた。簡素な机の引き出しをそっと開ける。
本物ではないが、金色のチェーンとゴールドのチャームがあった。ニッパーやペンチも入っている。
前にリンリンたちとブレスレットを作ったから、今度はひとりでやってみようと考えたのだ。
今では自由に材料や道具を買いにいけるのだから。
そして初めての作品はトントンへ贈るつもりだ。
いつもは素直に言えないが『ここまで連れてきてくれてありがとう』と伝えたい。
マリンは窓辺で肘をついて思う。
このアルトコ市が自分の旅の最後の地になるのだろうか、と。
好きなキャラクターを教えてください(原作キャラは含みません)
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リトルプリンス・リンリン
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キッキ
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オハナ
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セイン
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マリン
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ヤーブレとカーブレ
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リンリンのおばあちゃん
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リンリンのおじいちゃん