あの海のリンリン   作:つるみ鎌太朗

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第七話 消えたマリン(7)

 

2、

 

 走っていったマリンを見て、リンリンは出会ったころに戻ってしまったように感じた。

 マリンの背はもう見えなくなり、数週間前に彼女が来た前と同じアルトコ市の景色がずっと続いているだけ。

 

「マリン……」

 

 腕につけたブレスレットをそっと撫でる。

 セイン、オハナも集まってきた。キッキもリンリンの肩へのぼってくる。

 

「笑っていたけど、ナンか様子がおかしかったよな」

 

 セインが暑さのせいではない汗を額に浮かべていた。

 オハナの目が潤んでいる。

 

 子どもたちが顔を向き合わせて心配していたら、リンリンの家から大人たちが出てきた。

 

「あら、リンリン。おかえりなさい」

 

 ママだった。後ろには黄色い帽子を目深にかぶったトントン。

 リンリンはいつもの笑みを浮かべるママまで走っていき、ぎゅうとしがみつく。

 何も言わないリンリンにママはすこし驚いた顔をしたが、すぐに頭を撫でてくれた。

 

「早かったのね」

 

 ママの温もりに包まれ、リンリンは胸のざわつくのがゆっくり収まっていくのを感じる。

 ママの後ろに立つトントンへ尋ねた。

 

「ねえ、トントン。マリンといっしょに来た?」

「ン? いや、来てないよ」

「さっき、ぼく、マリンと会ったよ……」

 

 悪い予感がする。リンリンはママのスカートを握りしめる。

 トントンがわずかに目を丸くして、

 

「ナンだって……?」

 

 と低く呻くような声で聞き返してくる。

 

「すぐそこだぜ。笑っていたけど」

「走っていっちゃったの」

 

 セインとオハナも一緒に説明してくれた。

 大人二人が顔を見合わせる。

 

「……トントン。マリンちゃん、地下室へは……」

「あのジャジャ馬」

 

 トントンが苦しげに小声でひとりごちた。

 リンリンはそのやりとりを見上げる。するとトントンがしゃがみ込んで、

 

「ありがとう、リトルプリンス。私はマリンを追う。

すぐに連れ戻してくるから、心配しないで」

 

 初めて会ったときのような穏やかな顔。

 だが、リンリンにはそれが作りもののように感じられた。

 立ち上がるトントンがひどく思い詰めたような顔をしているのをリンリンは見逃さなかった。

 彼はセインとオハナにも作りものの笑みで話しかける。

 

「セインくんやオハナちゃんも教えてくれてありがとう」

 

 二人もただ事ではないと感じ取っているのか、黙って首を振るのみ。

 トントンは最後にママへ振り返って挨拶する。

 

「今日はこれで失礼するよ。邪魔したね、プリンプリン」

「ええ。気をつけて……」

 

 そのまま停めてあった白い車に乗り込み、すぐに道路へ消えていった。

 

3、

 

 ママの様子が変だ。

 リンリンのヒトデ型リュックから、紙クズを取り出してからさらにおかしくなった。

 

 ママは紙クズをひろげると固まってしまった。

 それから、リンリンへ厳しい声で、

 

『これを誰からもらったの』

 

 と聞いた。

 ヘドロからもらった名刺を、セインが投げ捨てるからゴミ箱に捨てようと持って帰った、とリンリンは説明した。

 

『その女の人だけ? 他にも誰かいた?』

 

 さらに問い詰められ、ランカーのことを話した。

 ヘドロと違ってリンリンの目を褒めて頭を撫でてくれたよ、と。

 

 そうしたら、ママは今まで見たこともないような怖い顔で、

 

『ダメよ、リンリン! その人に近づいてはダメ!』

 

 と抱き締めてきた。

 いつもは優しく抱っこしてくれるのに、リンリンがつぶれるんじゃないかと思うほどきつく。

 

 キッキがランカーを怖がらせた話をすると、

 

『リンリンを守ってくれたのね。ありがとう、キッキ。

あなたは新しい守り神だわ……』

 

 とキッキごと、しばらくリンリンを抱き締めていた。

 

 あんなママは初めてだった。

 リンリンから離れてすぐ、ママはリンリンのセーラー帽を洗面台で洗った。今日の洗濯はもう済んでいたのに。

 

 今、リンリンのセーラー帽は縁側の外で干されている。

 お昼ごはんを食べて、夏休みのドリルをして……それから三時のおやつも食べた。

 いつもと変わらない夏休みの午後。

 あの場違いなセーラー帽だけがリンリンの目に奇妙に映る。

 

 もう夕方。他の洗濯物は取り込まれたのに、あの帽子はまだ風に揺れていた。

 

 リンリンはおばあちゃんの膝に座って一緒に本を読んでいた。図書館で借りてきた、夏休みの課題図書だ。どうやって感想文を書くか考えている。

 キッキも隣でお話を聞いていた。

 

 ママが夕飯を作る音がキッチンから響いている。

 

 いつもと同じママ。

 でも、どこか違うママ。

 

 リンリンは本の内容に集中しきれないでいた。

 

 そこにインターフォンが鳴った。

 リンリンはおばあちゃんの膝から飛び降り、ボタンを押す。

 

 モニターにタクシー会社の帽子をかぶったパパが映った。仕事終わりで疲れた顔をしている。

 

「開けまーす」

 

 と、リンリンはパタパタと足音をたてて玄関へ急いだ。

 なぜかパパと早く会いたかったからだ。

 

 鍵を開け、ドアが開く。

 パパがひょこっと顔を覗かせた。

 

「あッ、リンリーン。ただいまあ」

 

 いつもどおりの明るいパパ。白いふわふわの髪を揺らし、家まで入ってくる。

 それがすごく嬉しくてリンリンはパパに抱きついた。

 

「ん? ナンだい、今日は甘えん坊さんだな」

 

 パパが背中を優しく叩いてくれる。

 キッキもついてきたのか、パパの肩に乗った。長いふさふさのしっぽがリンリンの腕に触れる。

 

 ママが料理の手を止めてパパを出迎えにやってきた。

 

「おかえりなさい」

 

 まだ硬い声。

 パパからかばんを受け取り、玄関の脇にあるラックへかける。

 ママの態度に戸惑っているのか、パパはリンリンを抱きあげたままじっと眺めていた。

 

 ママがそれを横目で見て、

 

「パパ。帰ってから手、洗った?」

 

 と聞く。

 パパは上ずった声で、

 

「洗ってない……」

 

 と答えた。

 ママがため息をつく。

 

「汚れた手でリンリンに触らないでね。夏風邪も多い時期だから」

「は、はい……」

 

 パパはシュンとしてリンリンに頬を寄せた。

 キッチンへ戻ろうとするママを小走りで追いかける。

 

「ねえ、プリンプリン。きみ何かあった? すごくピリピリしてるけど……」

 

 帰ってきたときとは別の真面目な顔。

 パパに本気で心配されているとわかって、ママが目を伏せた。

 長いまつ毛が白い顔に影を落とす。

 

「……そうね。ごめんなさい」

「いいんだよ、気にしないから。心配だなあ」

 

 パパがリンリンへ『ねっ』と顔を向き合わせた。

 それからリンリンを腕から下ろして話しかけてくる。

 

「そういえば、リンリン。マリンちゃんて、町はずれの屋敷に住んでいるんだね。ヘリポートがあるやつ」

「え? 町はずれ?」

 

 リンリンはマリンの家の位置を知っている。目立たないところではあるが住宅街にある。しかも現代的なヘリポートなんて絶対にない。

 パパは別の場所と勘違いしているようだ。

 

 パパはママをチラと見て喋りかける。

 

「ママも。あの、ランカーの別荘。ずーっと放置されていたヤツ。

今日おれの同僚が銀髪の女の子をあそこまで乗せていったって。トントンも変なところ借りるね」

 

 パパの元気な声と裏腹にママはみるみるうちに顔が青くなった。

 ママはパパの両腕を掴み、珍しく大きな声で問いかける。

 

「ボンボン、それは本当⁉︎」

「え? ホントだよ。タクシー運転手の情報網をナメちゃダメさ」

「そんな……最近きれいにされた、とかそういう話は?」

 

 ママの質問にパパは『うーん』と天井を見た。

 

「そのひとが言ってたよ。壁に這うツタとかが切られていたって。汚れも拭いてあった、とか。

てっきりトントンとマリンちゃんが掃除したんだと思ったけど」

 

 リンリンはどきどきしながらパパを見あげる。

 

「パパァ。マリンのおうち、そこじゃない……」

 

 言われてパパが目を丸くした。

 

「えっ……じゃあ、ナンでそんなところに?」

 

 パパは今日の出来事を知らない。

 その話を聞いて、ママは玄関まで走っていく。

 

「ど、どうしたの? プリンプリン!」

「トントンに会いにいかなくちゃ!」

 

 ママは短く言うと、外へ出ようとドアノブに手をかけた。

 その手をパパがガシッと掴む。

 

「なに? ボンボン。わたし、急がなくちゃ!」

「ダメだよ、プリンプリン! もうすぐ夜だよ。リンリンもいるし、そんな勝手はいけないよ!」

「どういうこと⁉︎ 止めないで、わたしは彼に会わなければならないの!」

 

 ママがそう訴える。

 それをパパは急に抱き締めた。

 突然のことにママも氷漬けになったみたいに動けない。

 

「あの、ボンボン……あなた何か勘違いを」

「イヤだ!」

 

 話の途中で割って入るパパ。あまりの大声に、肩に乗っていたキッキが驚いて飛び降りた。

 リンリンのもとへ急いで戻ってくる。

 

 そのあいだにパパとママの話はまたこんがらがっていた。

 

「イヤだよ、プリンプリン! そりゃ、おれはトントンのように頭はよくないさ。でも結婚して九年、それより前の付き合っていたころからきみを大事にしてきたよ!

それなのに……トントンに会いにいかなきゃならない、ってどういうこと⁉︎ あいつと会ったの? それで心変わりを?」

「いや、あの、ボンボン。落ち着いて……」

「ヤダーッ! おれはきみを離さないぞ! リンリンだっているし、コレはおれたちだけの問題じゃないッ! きみは、おれの妻だ!」

「わかってるから、ね。話を聞いてくれる?」

 

 ママはゆっくり話したがっているが、パパは完全にあらぬ方向へ突っ走っている。

 ママを抱きしめる腕の力をさらに強めたようだった。

 

「やだよ〜、せっかく結ばれたのに! 離婚だなんてぇッ」

「ボンボン! いい加減にしないと怒るわよ」

「ええっ! そんなに、別れたいの……?」

「ナンでそうなるの〜⁉︎ アタマ冷やしなさい」

 

 騒ぎを聞きつけ、おばあちゃんもリビングから出てきた。

 

「どうしたの、プリンプリン。まあ、お熱いこと!」

「そうじゃないのよ、お母さん! ボンボンを止めてちょうだい!」

「やだやだやだ〜ッ! 離さない、きみを愛してるーッ!」

 

 リンリンはどうすることもできず、キッキを見下ろした。

 

「キキィ〜……」

 

『守り神』もお手上げらしい。

 キッキの鼻をつつきながら、リンリンも大人どうしのズレた言い合いを聞くばかり。

 

 その日の夜、パパの盛大な愛の告白はご近所まで丸聞こえだったと言う。しばらくママは肩身の狭い思いをしたそうだ。

 

   ―――第七話 おわり―――

 

 

好きなキャラクターを教えてください(原作キャラは含みません)

  • リトルプリンス・リンリン
  • キッキ
  • オハナ
  • セイン
  • マリン
  • ヤーブレとカーブレ
  • リンリンのおばあちゃん
  • リンリンのおじいちゃん
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