3、
マリンは誰もいない公園でブランコに揺られていた。
靴のヒールが折れたので、片方だけ素足。修理をしてくれるところも知らないので途方に暮れている。
無事なほうの足も靴ずれで痛かった。
でも、そんなことより胸の痛みのほうがずっと辛い。
マリンの目は泣き腫らして真っ赤だった。
ずっと水も飲んでいないからノドもカラカラだ。ただ公園の水飲み場を利用するのは抵抗があった。
別にお姫様でもナンでもないのにな……。
自分の中にある妙なプライドが疎ましい。
ブランコを大きく揺らすと、向こうから大人が三人やってくるのが見えた。
遠目で誰かわかった。
銀色の髪の女性に、先日乗ったタクシーの運転手と同じ帽子と制服を着た男性。
それと……黄色い帽子を目深にかぶった銀髪の男。真夏に黒い衣服がチグハグに感じる。
マリンは逃げようと身構えるも、ブランコでちょうど宙に浮いていたので一歩遅れた。
帽子の男が駆け寄ってくる。
「マリン!」
彼はブランコの鎖を握り、マリンへ顔を寄せた。
数日前まで、毎日のように顔を合わせてきた相手。
「……連れ戻しに来たの?」
うつむいて尋ねる。
トントンが首を振った。
「迎えに来たんだ。帰ろう、マリン」
普段と同じ、保護者然とした口調。
マリンは反射で拒絶する。
「イヤよ。アナタとなんて一緒にいられない」
「それならそれでいい。だが、ここにいてもどうしようもないだろう?
まずはいったん落ち着いて……」
あくまで冷静な彼にマリンの心はさらにかたくなになってしまう。
「どう落ち着けって言うのよ! わたしに居場所なんかない!」
喋れば喋るほど自己嫌悪が募り、涙まじりになる。
トントンがマリンの頭を撫でた。
「そんなことはないよ。私が見つけてあげるから」
いつになく優しい言葉。
マリンが欲しがっていた言葉をなぜ今になってくれるのか。
素直に甘えられず、マリンはトントンへまた苛立ちをぶつける。
「アナタのくれる居場所なんて、お断りだわ! わたしをプリンプリンの代わりにするアナタなんか、に……?」
マリンはトントンの姿を初めて真正面から見て、息を短く飲んだ。
普段は身なりをキチンと整えている彼がボロボロだったからだ。
黒のスーツからは焦げたような匂いがして、表情もどこか硬い。指先に触れたら氷のように冷たかった。
「どうしたの!?」
これまでのかたくなな態度はどこへやら、トントンの異変にマリンの声が裏返る。
「何があったの……どうして、こんなに傷ついているの?」
パニックで尋ねるばかりの彼女に、トントンの後ろに立っていたプリンプリンが教えてくれた。
「マリンちゃん。トントンはね、あなたを逃がそうとランカーを足止めしたの」
「えっ……なぜ、そんな真似を……」
「あなたを自由にするためよ。そうしたら、ヘドロから電気棒で襲われて……途中で助かったからいいけれど、もう少し長く電流に晒されていたら壊れていたかもしれないわ」
それを聞いてマリンは何も言えなくなる。
トントンが自分のために身を呈してくれただなんて。
では、これまで自分がやってきたことは――。
すっかり枯れたと思っていた涙がまたジワジワとあふれてきた。
プリンプリンも泣きそうな顔でマリンへ訴えかけてくる。
「お願い、マリンちゃん。トントンを信じてあげて。
あなたの哀しみは、わたしにはわかってあげられない。それは、本当にごめんなさい……。
でも、トントンは、こんなになるまであなたを探しつづけたの。それだけはどうかわかって。お願いよ」
最後のほうは消え入りそうな声で、プリンプリンは両手で顔をおおった。
そばにいた男性が彼女の細い肩を抱く。白い綿のような髪がリンリンと似ているから、たぶんお父さんだろう。
マリンはトンカチで頭を力いっぱい殴られたような衝撃を受けた。
自分の想像とまったく違う光景が、すぐには受け入れられない。
でも傷ついたトントンが目の前にいるのだ。
信じざるを得ない――彼らはマリンをずっと探してくれていたのだ。
「アナタ……バカだわ! こんなになるまで……わたしなんかのために……」
流れた涙を拭うこともせずトントンへ言った。
彼は表情を変えなかったが返事をする声は普段と変わりなく、穏やかだった。
見開かれた鈍色の目がマリンをじっと見据えている。
「私には、きみを連れ出した……責任がある……」
マリンは嗚咽を噛み殺し、彼に抱きついた。
背にも何か大きな傷がある。
「ごめん、なさい……ッ!!」
こんなに傷ついたトントンをなじることはもうできない。
マリンは自分の拙い思考を恥じた。
自分の身勝手のせいでトントンが壊れるところだった。
トントンの胸でさめざめと泣いていると、彼はその背を優しく撫でてくれた。
しかし、その手が急に止まったかと思えばダランと下へおりる。
マリンが驚いていると肩へトントンが覆いかぶさってきた。
大人の男性の体重がのしかかる。
「トントン!? どうしたの、返事して!」
重さも気にせず、トントンの体を揺さぶるが反応がない。
全身の血が凍るような錯覚を覚えた。
動かなくなった彼に声をかけつづける。
「いやぁッ、トントン、死なないで! 死んじゃやだぁ!」
まるで両親が亡くなった時と同じ。
あの時、マリンは大泣きして看護婦さんに抱きかかえられていた。その時と違うのは彼の体が冷たくて、マリンの身を芯から冷ましていくこと。
目覚めないトントンに、年甲斐もなくマリンは泣きじゃくる。
「トントン、起きてッ! わたしを一人にしないでぇッ!」
これまで散々拒絶してきたくせに、都合がいいとわかっていたが叫ばずにはいられなかった。
プリンプリンとリンリンのお父さんが駆け寄ってくる。
「マリンちゃん、大丈夫よ。トントンはすこし疲れただけ」
「屋敷にメンテできるだけの設備はあるのかな」
「わからないわ。ボンボン、ナンとかできる?」
「努力はするけど……」
ボンボンと呼ばれた男性が言葉を濁す。間近で見るとますますリンリンと似ていた。
マリンは彼を見上げて訴えかける。
「お願い、トントンを助けて! トントンがいなくなったら、わたし……わたしは……」
ボンボンの碧い瞳が自信なさげに揺れた。
「いや、おれは車の整備しかしたことがなくて……でもこのままじゃいけねえよな……ウウン……」
「ボンボン、頑張ってくれるわね?」
「はい……」
プリンプリンに言われて、彼は目を白黒させながらもうなずく。
嗚咽を漏らしながらマリンは返事をしないトントンの顔へ頬を寄せた。少しでも体温が伝わるように。
そうしているとボンボンがトントンの両脇を持ち上げる。
「とにかく車に運ぼう」
「手伝う?」
「ひとりで大丈夫さ」
プリンプリンへそう言いながら肩へトントンを乗せ、抱えあげた。
マリンはブランコから降りる。
「トントン……」
潤んだ瞳でトントンを見つめると、その肩をそっと撫でた。
***
リンリンは浅瀬でずっと歩き回っていた。
浜辺にシャチ型リュックと靴下、赤いスニーカーを置いて海に腰まで浸かっている。手を突っ込んでは、消えたマリンのペンダントがないか探った。
普段よりも波が高いので何度か足を取られながら。
「キィ〜ッ、キキッキィィィ!」
キッキがリンリンの半ズボンのすそを引っ張った。
リンリンよりも背が低いので肩口まで浸かってしまっている。
『危ないから浜辺にあがろう』
そう言っているのがリンリンにはわかっていた。
しかし首を横に振る。
「だめだよ、キッキ。こうしているあいだにもマリンのペンダントがどんどん流されていっちゃう」
水兵のようなTシャツはすっかり濡れ、体も冷えていた。
それでもリンリンは海からあがるつもりはない。泣き腫らした瞳でキッキをじっと見る。
「あれはマリンにとってだいじなもの。さっきは、きっとセイちゃんが言っていたのとおんなじだったんだ。
マリンはとてもキズついていて……だいじだ、というのがわかんなくなっちゃってたの。だからあんなことを……。
でもね、後でなくしたことに気づくと哀しい気持ちになるよ」
リンリンはキッキを海から抱きあげ、赤いお鼻へおでこをそっとくっつけた。
「見つからなかったら、マリンの心にぽっかり穴が空いちゃう。どうやっても塞げない大きな穴が……。
だから、ぼくが見つけてあげなきゃなんないんだ」
キッキをギュッと抱きしめたら温かい。
もうすこし頑張れそうな気持ちが湧いてくる。
「わかってくれるよね、キッキ」
「キィ〜……」
キッキが弱ったように鳴いた。
そんなキッキで暖を取りつつリンリンはあたりをぐるりと見る。
目の前にはアルトコブルーの海がひろがっていた。
波が高い以外は普段と同じ、美しい青。空とずっと平行線。
この果てしない青の中、マリンのペンダントを見つけられるだろうか――。
リンリンの小さな体がぶるりと震えるが、すぐに唇を噛む。
見つけ出さなければならないのだ。
マリンは、大切な友だちだから。
気を奮い立たせて海を見ていると、ふと他とは違う青い光が目についた。
リンリンは『あれ?』と思い、近づく。
「キキィッ! キッキィ!」
胸のキッキがいっそう喚きたてる。
その背中をリンリンはポンポンと叩いてやった。
「大丈夫だよ、キッキ。あそこはまだ浅いもの。
さっきね、ピカっと青く光ったように見えたんだあ……」
もしかしたらマリンのペンダントかもしれない。
リンリンは波をかきわけながら、青い光の場所まで近づいていった。
好きなキャラクターを教えてください(原作キャラは含みません)
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リトルプリンス・リンリン
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キッキ
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オハナ
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セイン
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マリン
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ヤーブレとカーブレ
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リンリンのおばあちゃん
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リンリンのおじいちゃん