あの海のリンリン   作:つるみ鎌太朗

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第十話 クイーンの旅路(5)

 

5、

 

 ドレスから普段着のジャケットとミニスカートへ着替えると、マリンはプリンプリンにある一室へ通された。

 これまで入ったことがない部屋だ。

 大きな窓からアルトコの明るい陽ざしが差し込んでいる。その向こうには、あの美しい庭。

 

 窓の前に人影がひとつ。

 ひとりがけのソファに女性が座っていた。

 

「待っていたのよ。マリンちゃん」

 

 穏やかな声で出迎えられる。

 逆光で顔があまり見えないが、髪が陽光を受けてわずかに銀の光を帯びている。まるでプリンプリンとマリンのように。

 

 肩からショールをかけ、ワンピースに身を包んでいる。スカートからわずかに覗く靴先がピッタリ揃っていて気品を感じた。

 

 歩み寄ると顔立ちがだんだんわかってくる。

 

 プリンプリンほどではないが声の主もどこかマリンと似ていた。

 彼女は笑みを絶やさず、どこか懐かしそうにマリンを見つめてる。

 

「はじめまして、わたしの名はアイリーン。プリンプリンの母です。

……貴女には、リンリンのおばあちゃんと言ったほうがいいかしら?」

 

 細められた瞳の色はとび色で、プリンプリンとリンリンと同じだった。

 

 プリンセスの母ということは……。

 

「あなたは、クイーン?」

 

 マリンが尋ねるとアイリーンはまた笑う。

 

「昔の話です。今はただのアイリーン」

「でも……リンリンのことは『リトルプリンス』って呼んでいるんでしょう?」

「あの子はトルマリンと同じ髪の色だから。それでつい」

 

 すこし照れた様子のアイリーンは、マリンの祖母ぐらいの歳なのにどこか少女めいていた。

 話しやすい雰囲気の女性なのでマリンの警戒も徐々に解けていく。

 

 アイリーンから向かいのソファへ座るように促された。

 

「貴女の瞳も、トルマリンとリンゼイそっくりね。きれいな海の色」

 

 アイリーンはマリンの中に過去の人々を見出しているようだった。

 腰を下ろしながらマリンはその二人について記憶をめぐらす。

 

「リンゼイって方がわたしの祖父だと聞きました」

「そうよ、王弟リンゼイ七世……彼は星が好きでね。占星学に明るかったのは確かだけど空そのものに興味があるようだったわ」

「海にまつわる国家なのに?」

「あら、昔は海上を自由に行き来していたのよ。いろんな色の空を見てきたわ……マリーンにいたころも、その後も、ね」

 

 含みのある言い方に、マリンはアイリーンの辿ってきた運命をわずかながら感じた。

 国がなくなる瞬間に立ち会うなんて、どんな心境だったのだろう。

 まだ歳若いマリンには想像もできない。

 

「……マリーンって、なぜ沈んだんですか?」

 

 無粋かと思ったが聞かずにはいられなかった。

 笑みこそ崩さないがアイリーンに眉根をすこし寄せられる。

 困りながらも答えてくれるようだった。

 

「まずは、そこからお話ししましょうか。

わたしたちの祖国――『遊泳国家マリーン』。先ほども言ったとおり、かつては海上を自由に漂っていた国。トルマリンや王家の人たちは『舟』と呼んでいたけれど。

マリーンは長らく他の国と国交を断っていたの。自給自足が基本で、小さな国でした。人々は争いを好まず、今あるもので満足するような質素な国民性だったわ」

 

 ランカーのもとで育ってきた環境とは、正反対で実感が湧かない。

 プリンプリンから聞いた断片的な情報を持ち出す。

 

「でも他国と関係を持とうとした、って……」

「温暖化で海面が上昇しているのはご存じ? その影響をマリーンは大きく受けたの。領土が減れば田畑も減る。国民に充分な食糧が行き渡らなくなる……。

負の連鎖を断ち切るために、わたしの夫……トルマリン十八世は他国との国交を復活させようとしたのです」

 

 マリーンの歴史を語るうちにアイリーンの顔から笑みが消えていった。結末を知っているからこそ思い出すのが辛いのだろう。

 それでも彼女はマリンに教えてくれようとしている。

 柔和な外見に反して強い意思がそこにあった。

 

「最初はね、あなたの祖父である王弟リンゼイ七世は反対していたの。占いによると同盟を結ぼうとしている国はマリーンを軍事施設にしたがっている、と……。

確かに、その可能性はありました。海を自由に行き来できる土地は他国への牽制として魅力的でしょうね。

ただ、トルマリンは……いいえリンゼイも知っていたのです。このまま領土減少が進むならマリーンに未来はない、ということが」

 

 アイリーンのとび色の瞳が長いまつ毛で伏せられる。

 彼女が泣いているのではないか、とマリンはとっさに思う。

 だがアイリーンはしっかりと前を見据えて語りつづけた。

 

「トルマリンは悩んでいました。このまま滅びの道を歩むか、他国からの干渉を受けながらも国を存続させるか……。

彼の決断が重いものになるとわかっていたからこそ、わたしには何も言えませんでした。ただ、そばにいることしかできなかった。

リンゼイも反対こそしていましたが、最終的には兄であり王トルマリンの決断に従うつもりだったの。

やがてトルマリンは決断し、重臣を集めて述べました――」

 

 アイリーンの背が正される。

 その表情は当時のトルマリンが乗り移ったかのように凛々しかった。

 

「たとえ他国に侵攻の思惑があっても、まずは信じてみることにする、と。何もしないうちから逃げるのは容易い。

でも、それだと国は滅びゆく。マリーン存続には新しい風が必要なのだ、と……」

 

 一国の王として『信頼』で国交を取る、のが正しいのかマリンにはわからない。

 ただしトルマリンは己の責任で一人で決断したのだ。

 その重みが時を超えてマリンの肩へのしかかる。

 

 間近で見ていたアイリーンの心労はいかばかりか。

 

「トルマリンは他国と渡り合うために努力しました。特産であるオリーブをさらに多く収穫できるようにしたり、より良い品種をつくるように農家施設へ投資したり。これまで機能していなかった騎士団を鍛え、自衛を強化したり……。

最後に過ごした数年、あまり会話もなかった。彼がどんどん疲弊していくようで、見ていて辛かった」

 

 彼女は元のアイリーンに戻り、トルマリンのそばにいた日々を振り返っていた。

 愛する人を見守るしかできない日々。

 だが辛いことばかりではなかったらしく、彼女の声に明るさがわずかに戻ってくる。

 

「それでも彼はわたしとの時間をわずかに残してくれていました。

だからこそトルマリンの忘れ形見――プリンプリンが生まれたのです」

 

 マリンの脳裏に隣の部屋で待つプリンプリンの姿がよぎる。

 目の前の女性と同じ銀の髪を持ち、とび色の瞳。

 まるで自分と写し鏡のようなマリーン最後のプリンセス。

 

「彼が執務に追われる中、わたしもプリンプリンの世話に追われるようになった。でも大変ながら幸せな日々でした。あの人との子と思えば、あまり会えなくてもわたしたちは繋がっている気がして。

でも時代は許してくれなかった。リンゼイが予言したとおり……運命の日がやってきたのです」

 

 マリンの身が硬くなる。

 巨大な歴史のうねりに備えて。

 

「最初は何のことだかわかっていなかった。従者に導かれるまま避難を促され……船を用意したからこれで脱出しましょう、と。

わたしはプリンプリンを抱きながら問いただしました。

『トルマリンはどこ? 彼がいないのなら、わたしは行けません。トルマリンと共にいます』――。

動こうとしないわたしに従者は困り果てていました。

すると、そこへ彼が姿を現しました」

 

 マリンはトルマリンの姿を知らない。

 リンリンと同じプリズムの髪に、自分と似た海色の瞳の王様。

 まるでおとぎ話のような存在と自分が血族だなんて、にわかに信じられない。

 

 だが、現にマリンとプリンプリンは恐ろしいほど似ているのだ。

 

 その事実だけで本当のことなのだと胸が震える。

 

「わたしはこれが最後の逢瀬になるとは思いもしなかった。

トルマリンへ訴えました。

『この国はどうなるの? 滅んでしまうの? ならば、一緒に逃げましょう。それができぬなら貴方とここに残ります』……とね。

しかし彼は首を横に振って……、

『ダメだよ。きみは生き抜いて、この子を守らないと。私たちの子を、どうか頼むよ』と言ってわたしを最後に抱きしめて……」

 

 マリンは気づけば息を止めて聞き入っていた。

 そんな悲劇があったなんて……。

 そして、今、ここにアイリーンがいるということは。

 

「わたしはトルマリンの意思を汲んで、泣きながら船に乗りました。彼の最後の望みをなぜ無視できましょうか……。

そして、その船には貴方の祖母と幼き日のお母様もいたのですよ、マリンちゃん」

 

 それを聞いて大きく息を吸い込む。

 親族が急にマリーンの歴史に登場したので不意打ちだった。

 

「おかあ、さんが……」

「そう。当時、四歳ほどでした。小さな女の子で貴女と同じ海色の瞳。髪の色は亜麻色でしたが……記憶にないですか?」

 

 マリンは必死で遠い日の記憶をたどっていく。

 すると、おぼろげだがある思い出がよみがえった。

 

 ある晴れた日に母親に抱きしめてもらった記憶。マリンは母の首にまだ柔らかかった腕を回して甘えていた。

 その時に見た、母親の髪は陽に透けて金色に輝いていた。

 

「あ……」

「船での生活で、赤ん坊だったプリンプリンの顔をふしぎそうに覗き込んでは遊び相手になってくれましたっけ」

 

 自分の母親が子どものころの話を聞くのは、マリンにとってもふしぎな心地がした。

 記憶の中の母は大人で、マリンを優しく抱っこしてくれた思い出しかなかったから。

 

 さらにアイリーンがマリンの家族について語りつづける。

 

「あなたの祖母……名をカリンといいます……は当初、リンゼイ七世と別れたことで塞ぎ込んでいました。わたしは彼女と同じ哀しみを知っていたので、よく話し相手になったものです。

二人で夫の懐かしい記憶を共有して、彼らを失った寂しさを紛らわしていました」

 

 突然の船旅。従者や侍女はいただろうが、国での暮らしとはまるで違っていただろう。

 国と離れ、夫と離れ、心細かったであろう旅路。

 それをマリンの家族は海を渡っていったのだ。

 

 だがアイリーンの口から衝撃の事実が明かされる。

 

「船旅は楽なものではありませんでした。わたしたちはマリーンから出たことがなかったから、船に乗ったことがなくて。マリーンは海を漂っていてもあんなに揺れませんでしたからね。

新天地を目指して船は進んで……でもね、ある日、大嵐に巻き込まれてしまったの」

 

 次いでの悲劇にマリンは言葉が見つからない。

 アイリーンも本当は思い出したくないはずなのに、きっとマリンに知らせてくれるために話してくれているのだ。

 辛くても、聞かなくては。

 マリンは半ば自分の使命と思い、震える体を抱きながら耳を傾ける。

 

 アイリーンは結末を教えてくれた。

 

「もう船は助からない。わたしたちはマリーンから脱出した身、沈んだ祖国と運命を共にした人々のためにも生き延びなければならなかった。

それで小舟で脱出することになって、彼女たちとも離れることになったわ。いつかまた会いましょうね、と別れの間際に言ったけれど……」

 

 そこまで話してアイリーンが言葉を濁す。

 そっと、彼女は申し訳なさそうに顔を伏せた。

 

「ごめんなさいね。わたしの記憶はここまでだわ」

 

 マリンは首を左右に振る。

 

「いいえ、話してくださってありがとうございました。まさかお母さんにそんな事情があったなんて……まったく知りませんでした」

「きっと、お母様はあなたにマリーンの悲劇を知ることなく普通の女の子として生きていってほしかったのでしょうね」

 

 そう言うアイリーンは顔を合わせたときと同じ穏やかな笑みをたたえていた。

 静かにマリンへ告げる。

 

「わたしには、彼女が無事に母親と一緒に岸へつけたかわからない。でもきっと大変な人生だったと思うわ。海へ消えたマリーンのことを呪うことだって、あったかもしれない。

それでも、彼女は貴女に『マリン』と……祖国と似た響きの名を授けたのね」

 

 マリンもアイリーンの話を聞きながら、その類似にはうすうす気づいていた。祖国と近い響きの名前をわざわざつけるだなんて。

 母親は、どんな気持ちだったのだろう。

 今はもう聞く術もない。

 形見のペンダントも海へ投げ捨ててしまった。

 

 アイリーンがとび色の瞳でマリンをじっと見つめている。

 

「マリンちゃん、お母様は……貴女に過去の悲劇を知ってもらわなくても構わないと。それでも、あの国があった事実だけは受け継いでほしい、と……複雑な想いで託した。わたしは、そう信じるわ。

貴女はどう?」

 

 彼女の視線に縫いとめられるようにマリンは動けなくなった。

 信じる。マリンにとって、今はもっとも難しいこと。

 本当は、母がマリンに託してくれた気持ちを信じたい。でも――。

 

 マリンには、そのいしずえとなる記憶がない。

 抱きしめられた思い出はあっても、その温もりを思い出せない。

 

 気づけばマリンの海色の目はさざめきのように揺らいでいた。

 

「わたし、わからない……両親の記憶が、あまりなくって……」

「そう……わたしこそ、辛い記憶を思い出させてごめんなさいね」

「! い、いえ、クイーンのほうが、辛い想いを……」

「わたしはいいの。もう何十年も前のことだもの……それに、貴女は子ども。我慢はよくないわ」

 

好きなキャラクターを教えてください(原作キャラは含みません)

  • リトルプリンス・リンリン
  • キッキ
  • オハナ
  • セイン
  • マリン
  • ヤーブレとカーブレ
  • リンリンのおばあちゃん
  • リンリンのおじいちゃん
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