あの海のリンリン   作:つるみ鎌太朗

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第十話 クイーンの旅路(6)

 

 アイリーンはすこし窓の外を見やると、マリンへまた語りかける。

 

「ねえ、マリンちゃん。もう少しだけ、今度はわたしの話をしてもいいかしら?」

「え……」

「個人的なことだから聞いても仕方ないかもしれないけれど」

 

 マリンは無言でコクンと小さくうなずいた。

 アイリーンがニコリと笑みを浮かべる。

 

「ありがとう。それでは、すこし長くなるけど聞いてちょうだい。

――あの大嵐の日、わたしは娘のプリンプリンと離れ離れになってしまったの」

「え⁉︎ 当時プリンプリンは、赤ちゃんだったんでしょう?」

「小舟に乗る前に大きな波が来て……彼女をさらっていってしまったの。手を伸ばしても、あっという間に離されてしまった。

当時かわいがっていたお猿さんもプリンプリンを寝かせていたかごへ飛び移ったのだけどね。一緒に流されてしまいました」

 

 これ以上の悲劇はないと思っていたのに。

 さらなる哀しみがアイリーンを襲ったと知り、マリンはもう口を閉ざす他なかった。

 しかし、今、プリンプリンは彼女と共にこのアルトコにいる。

 完璧なプリンセスだと思っていた彼女にも数奇な運命があったとわかると、自分だけが苦労している訳ではないのだと理解できた。

 

 アイリーンは自分の、そしてプリンプリンの運命を語りつづける。

 

「わたしは絶望しました。トルマリンと別れたのに――彼に頼むと言われた娘まで失ってしまって。いっそ小舟から身を投げようとしたけれど侍女に泣きながら止められた。

――それで、喪失感に満ちたまま、やがて岸へ着いたわ」

 

 マリンは紆余曲折ありながらアイリーンが無事であったことに感謝した。

 彼女が生きながらえなければ、自身の身の上を知ることもできなかったのだ。

 

「わたしはしばらく茫然自失で日々を過ごしました。夫も娘も失って、何を希望にして生きればいいのかわかりませんでした。

それでも当時尽くしてくれた侍女や従者がわたしを励ましてくれてね。もう王妃でも王族でもないのだから、放っておいて、と言ったのに……『恩義があるから』と優しくて。

恩があるのは、生かしてもらったわたしのほうなのにね。

彼らのおかげで、わたしはまた立ち直れたの」

 

 アイリーンは元気そうに両腕を曲げてみせる。

 しかし彼女の旅はまだ終わっていなさそうだ。

 黙って話の続きを聞く。

 

「そして、わたしたちは安住の地を求めて旅に出た。各地を転々としては、祖国を襲った同盟国の息にかかっていない国を探してね。

やがて地図にも乗っていない最果ての国――古都ラマーナへ辿り着きました」

 

 耳にしたこともない国だ。

 そんなところへ辿り着いて、どうやってプリンプリンと再会できたのだろう。

 アイリーンは当時の暮らしぶりを教えてくれた。

 

「落ち着いてから、一緒についてきてくれた従者と侍女がいい仲になって結婚したわ。侍女がわたしに言うのよ、『王妃さまがお辛い中で、こんなことになってごめんなさい』って。

そんなの、気にしなくていいのにね……彼女たちとは今でもやりとりしているわ。プリンプリンやボンボンにスマホ? の使い方を教えてもらって話すのも便利よ」

 

 はしゃぐアイリーンは歳のわりに若々しい。

 新しいことを取り入れるのに抵抗がないみたいだ。彼女の気丈さにマリンは内心、舌を巻く。

 

 アイリーンはふと遠くを見つめ、ラマーナでの日々へ話を戻した。

 

「そうして、わたしはラマーナでお針子をしながら静かに暮らしていました。家計は豊かではなかったけれど、侍女と従者に支えられて女ひとりでもナンとかやっていけた。彼女らに娘も生まれて、失った娘を思い出しながらかわいがっていたわ。

でも、どこかで信じつづけてた。トルマリンも……海に消えた娘もきっと生きているんだ、って……」

 

 彼女の見つめる先には美しい花々があった。

 その向こうにはアルトコの海。

 マリーンの人間にとって、海は馴染みがありながら恐ろしくもある。

 彼女のまなざしは双方を眺めているようだった。

 

「ラマーナで暮らすようになって十数年が経ったころ。侍女が慌てた様子でわたしに伝えにきたのです。

『アルトコ中央テレビという地方局が、とある少女を追っている』と。わたしは、そのテレビ局の番組を視聴したことがなかったので知りませんでしたが……。

彼女と一緒に確認した映像にはひとりの女の子が映っていました。

銀色の髪をなびかせ、とび色の瞳を持つ少女。淡い桃色のドレスがとても似合う可憐な娘でした。

侍女が言いました。『まるで、かつての王妃さまのようですね』と。わたしもこの娘が過去の自分に似ている気はしましたが……。

それ以上に気になる点がありました。彼女が頭に戴いていたティアラです。

それは、間違いなくマリーン王家に伝わるティアラでした」

 

 マリンはふと疑問を抱く。

 アイリーンは『プリンプリンは波にさらわれた』と言っていた。

 なのに、なぜティアラがあるのか……?

 

「ふしぎでしょう? 海に消えた娘には、もちろんティアラなんて持たせていなかった。波にさらわれたのですからね。

しかし、彼女が被っているのは確かにマリーン王家のものなのです。いつ、どこでその娘がティアラを見つけたかはわかりません……。

でも……」

 

 アイリーンが強い口調で語る。

 彼女のとび色の瞳には確かな意思が宿っていた。

 

「わたしは、その娘を見て直感で思ったのです。

『この娘はわたしの子だ』と……あのとき、波にさらわれていった自分の娘で間違いない、と。

おまけに、あの時いっしょに波にさらわれたお猿さんもそばにいましたからね。条件が揃いすぎていたわ。

その子の名前はプリンプリン。祖国を求めて旅をしている、とアナウンサーが話しておりました」

 

 母親の直感。

 それは、どんな論理よりも確かのように思える。

 マリンはゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「わたしはプリンプリンへ手紙を書くことにしました。旅暮らしの彼女へ送るのは難儀でしたが、マリーンから連れてきていた伝書鳩に委ね、どうか届くように祈ったのです。

『希望』という名の船に乗って、古都ラマーナを訪ねるよう……」

 

 マリンはすでに結果を知っている。

 それなのに胸が熱くなるのは、なぜだろう――。

 血のつながりだけでない、二人の意思が運命をたぐり寄せたのだ。

 

 再びあいまみえる、その時を。

  

「やがて、手紙を受け取ったプリンプリンがラマーナの地へやってきました。わたしは彼女が辿り着いたらすぐに会えるように毎日港へ通っていたのです。だから、彼女が降りたったときにすぐわかりました……」

 

 マリンは想像した。

 母娘の再会の瞬間を。

 きっと彼女たちは会った時からわかったのだろう……互いが母で、娘だと。

 

「希望の船から降りてきたプリンプリンを迎え、さらに確信が深まりました。やはり彼女はトルマリンとわたしの子。あの嵐の日に波にさらわれた……。

彼女もわたしを見て、ふしぎと悟ったそうです。

母親だと」

 

 思ったとおりの話。まるで遠い世界のような物語。

 マリンは熱に浮かされたような心地がして、アイリーンもそれに気づいたのか慌ててつけくわえられた。

 

「もちろん、その後に彼女のティアラを調べたりDNA鑑定を出したりと、万が一のことを考え、お互いに納得したうえで調べもしたのですよ。

結果は……ティアラはやはり本物で、鑑定でも九九パーセント実の母娘だと。

生きていると信じていた娘と再び会えたのです」

 

 確定した瞬間、やはり嬉しかったのだろうな。

 マリンはどこか羨む気持ちで話に耳を傾ける。

 

「そして、わたしたちはしばらく古都ラマーナでともに暮らしました。失われた時を取り戻すように……。

プリンプリンは、よく言っていました。今でも時折言うのよ。

『お母さん、会えるって信じてた。大好きよ』と」

 

 アイリーンはそこまで言い終えて、ふうと一息つく。

 話し疲れたのか、ちょっとだけ肩を落としていた。

 

「それから、わたしたちはプリンプリンが育ったこのアルトコ市へ移り住んだの。マリーン消滅から時が経ち、当時二〇歳だったわたしも老いていた。あの時に攻め込んできた同盟国が追ってくる様子も最早ありませんでしたからね。

その後は貴女も知ってのとおり。娘のプリンプリンは旅の仲間であったボンボンと結ばれ、ひとり息子のリンリンが生まれ……」

 

 過去への長い旅がようやく終わり、マリンの生きる現代まで戻ってきた。

 まるでアイリーンの人生を追体験したかのようで、マリンもどっと疲れを感じる。

 当の本人にとっては比にならないくらい大変な人生だったろう。

 

 しかしアイリーンの表情はアルトコの夏空と同じくらい晴れやかだった。

 

「トルマリンと別れた日。そして、プリンプリンを失った嵐の日……。

こんな日が来るなんて、思ってもみなかった。娘と過ごせる日が、家族が増える日が……穏やかな日が来るなんて。

だからね、マリンちゃん。貴女も信じてほしいの」

 

 アイリーンがプリンプリンと――リンリンと同じとび色の瞳でマリンを見つめる。

 親子三代の繋がりを感じられ、マリンは厳かな気持ちになった。

 

「プリンプリンも、わたしも、互いに信じていた。どんなに離れていても愛している、と。

貴女が親を亡くされたことはわかっています。でも――」

 

 そこまで言って、アイリーンがソファから立ち上がる。

 軽い足取りでマリンのもとへ歩いてくる。

 

 彼女はマリンの前に来ると、その場に膝をついた。

 

 優しい目に見上げられる。

 

「忘れないで。貴女が愛されて生まれたこと。

そして信じて。今、貴女を愛しているひとたちのことを。

一方通行の愛は、悲劇です。行き場のない愛はどこへも行けません……形を捻じ曲げられ、間違って伝わることもあります。

それか、海の泡のように消えてしまうか」

 

 そう語る彼女の顔にはいくつかシワが刻まれていた。

 かつてはプリンプリンに似た美貌をたたえていただろうに、これまでの苦労がにじみでているようだ。

 しかし、それでもなお彼女はきれいだった。

 

 いいや。だからこそクイーン・アイリーンは気高く、美しいのだ。

 外見の美だけでなく愛を信じぬく信念が彼女には宿っている。

 

 アイリーンはマリンの手を取った。

 

「わたしは信じます。プリンプリンがくれた愛を。

忘れません……トルマリンがわたしに託してくれた愛を。

彼らの愛に報いるために」

 

 彼女の手は細くて、ささくれている。

 でもとても温かい。

 

 もしも母親が生きていたなら、きっとこんな温もりだったのだろうな、と思えるぐらいに。

 

「だから、貴女も信じて。マリンちゃん……」

 

 かつてクイーンと呼ばれた女性は歴史の刻まれた両手でマリンの手をそっと包むと、祈るように頭を下げた。

 

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