【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
これにて完結です
最後の書類にサインをして、ケルシーは深々と息を吐いた。ぐっと背筋を伸ばせば、凝り固まった筋肉が引き攣る感覚がする。ごろごろとする目を閉じて眉間を揉む。キリの良いところまで、と繰り返し、当初予定したよりもずっと長くの時間が経ってしまった。
街に下りた折に気に入って買ったマグカップを傾けるが、雫がひとつ垂れたきりで後に続かない。中を見ると空だった。ため息を吐いて立ち上げる。給湯室につま先を向けたところでコーヒーの豆の在庫を切らしていたのを思い出した。数秒動きを止める。もうひとつ息を吐いてマグカップから手を離すと、ケルシーは部屋を出た。
脳内にロドス艦内の自販機の配置をピックアップする。そこに収められているコーヒーの銘柄をすべて把握しているわけではないが、通りがけにちらりと見た際の記憶は残っている。今はなんとなく、きっちりと淹れた本格的なコーヒーよりも、ある種『缶コーヒー』という『コーヒー』とは別種として区分したくなるあの味が欲しい気分だ。人工的な味というか。そんな己の思考に、ずいぶんと疲れているようだ、と自己分析をして苦笑する。
すれ違いざまに軽く頭を下げてくる職員に頷きを返しながら、ずいぶんと遠くに来たものだ、と思う。
このロドスができてから少なくはない時間が経った。いくつもの転換点を経て、今はいったいどれほどの場所にいるのだろう。ゴールまでの距離は測れないが──そもそもにして〝ゴール〟というものがないかもしれないが──、悪くはない道を進んでいるのではと思っている。
そういた道にいられる理由はいくつもあるが、無視できないひとつに、ある人物の存在がある。
自販機のボタンを押して、目的のコーヒーを手に入れる。部屋に戻る途中で、わっと声がしてそちらに足を向けた。ラウンジに人だかりができている。ケルシーはその中心に誰がいるのか、目にしなくても予想できていた。
かくして、現れたのはドクターだった。いったいなにを話していたのか。だが周囲の笑顔を見るに、悪い話ではないのだろう。ケルシーはドクターとドクターの周りを囲む職員たちをぼんやりと見た。
あのひとは、かつてケルシーが知っていた〝ドクター〟ではない。
あの人間はかつての所業を忘れ、しかし天才的な指揮能力を保持したまま眠りから目覚めた。
ケルシーは当初、演技を疑った。ただ忘れたふりをしているだけで、その実、冷徹な思考で期を窺っているのでは、と。
実際、カマをかけたし、厳しく接しもした。
ケルシーの中にくすぶる炎はあった。
記憶を失ったならば、それ以前の所業の罪は問えないと? 仮に本当に記憶を失っていたとして、また同じ道へ進まないと誰が言える? この人間は限りなく有益だが、同時に同じほど害悪にもなりうる。それなのに、このロドスに置いていいのか?
殺意さえあったかもしれない。しかしケルシーはただの獣ではなく、時に暴走装置へと変わる感情の手綱を取ることができる〝理性の獣〟だ。
漏れ出すことは抑えきれなかったが、常に理知的であろうとした。感情をかき分けた先に、己が本当に望んでいるものがある。そうして疑問があった。
──どうして? どうして、ああなった?
ドクターはかつて肩を並べた戦友で、いまだ癒えぬ、いや癒えることなどないであろう傷をつけた張本人だった。そこに至るまでにどのような理由があったにせよ、あの時感じた絶望を忘れることはない。顔を見ると、じくじくと血の滲むそこに爪を立てられるような苦しさを感じる。
あの人間は石棺で眠りに落ちる際に、ケルシーにすべてを話したわけではなかった。おおよそ何が起きたのかを把握してはいたが、それが真実であるかどうかは彼の者のみが知っている。
たぶん、と思う。
ケルシーはドクターに問いただしたかったのだ。いったいなにがあってああなったのか。私達はどこで間違えたのか。
非難し、詰り、殴りつけ、そうしてきっとケルシーは──最後に共に悲しみたかった。悲しみを共有したかった。
ドクターがロドスに帰還してから、充分に観察し、言葉をかわした。そうして最後にはケルシーも認めざるを得なかった。この人間は
ケルシーは拳を下ろす場所を見失ってしまった。
ロドスに戻ったドクターはまっさらな、豹変する前のかつての姿だった。それに怒りを感じると同時に、喪失と、そして少しの期待があった。肩透かしを食うようなどこかあどけない拙さ、青さに、また信じてもいいだろうか、心の一部を寄り添わせてもいいだろうかと蠢くものが。
それがこの人間の厄介なところだった。カリスマ、光、魔性……。呼び名は多くあるが、そう呼ばれるものを持っている。
わっと歓声のような声が上がり、ぼんやりとした夢想から現実に戻る。
ケルシーは息を吐いた。ここで無為に時間を過ごしても意味はない。さっさと戻るか、と踵を返そうとして、ぱちりと人垣の中心にいたドクターと目があった。
ドクターが何事か言ったのだろう。人垣が割れる。話が一段落ついたらしく、集まっていた人間たちはドクターにひらひらと手を振ったり、頭を下げたりして解散した。
「ケルシー」
「ケルシー先生!」
人影に隠れて見えなかったが、どうやらケルシーが一等に目にかける少女も共にいたらしい。寄り添うように立つ二人に違和感はなく、あの目覚めから真っ白に戻った二人の関係が、今ではここまで来たのかと考えさせられる。
「珍しいな」
ケルシーの手に収まるコーヒー缶を指差してドクターが言った。エナジードリンクならばともかく、コーヒーについてはこういうたぐいのものを飲まない人間なので気になったのだろう。
「まあ、な。部屋のものが切れたから仕方がなく」
「あ! なら、ケルシー先生もドクターの部屋に一緒に行きませんか? 私もこれからお邪魔するんです」
ドクター、確かコーヒーは余っていましたよね? と聞く少女にドクターが頷く。
「…………ああ、それではそうしよう」
それにケルシーはぎこちなく頭を上下させた。
君の部屋のコーヒーは美味くも不味くもない微妙なヤツだったろう。私はもう少しマシな味のものを飲んでいる。そう言っても良かったのだが、キラキラと目を輝かせる少女の期待を裏切ることはできなかった。
話をしながら廊下を進む。自然と三人は横に並んだ。少女を挟んでケルシーとドクター。少女はにこにことしていた。
いつもはこのロドスのトップとして立つ少女が、しかしドクターの前では時たまただの少女に戻る。そしてそんなふたりの様子を見て、己の肩の力もほんの少し抜けたことを自覚する。
少女に柔らかな笑みを向けるドクターの横顔をちらりと見る。
いつか記憶を取り戻す時は来るだろうか。その時、自分は同じようにいられるだろうか。今このとき、笑みをこぼすこの瞬間を、また迎えることができるだろうか。
カツリ、カツリ、カツン、カツン、コツ、コツと三人分のにぎやかな靴音が廊下に響く。
ケルシーたちは大地に種を植えている。芽が出るかはケルシーたち次第。時の運も関係するそれを、見極め、育てるためにこのロドスはある。
道の先に、どのような結末を迎えるのかは分からない。まだまだ道半ばだ。大地に蔓延る憎悪、憤怒に飲み込まれそうになる時もある。けれど仲間と共に我らには「明日」があるのだと──ロドスという名の方舟を、種が芽吹いた先の明るく輝く
この者と共に、死、あるいは──。
ふたりの言葉に相槌を打ちながら、そっと拳を握り込む。
白い光が窓から入り込み、ケルシーたちを照らす。光が当たった場所がほんのりと熱をもつ。眩しさに目を細めることなく前へと進む。
今度こそは違えない、この者たちも違えさせない。守る。そう考える神経質なまでの心がある。
祈りと呼ぶには我が強く、願いと呼べるほど他人任せではない。
ならばきっと、覚悟、と呼ぶべきものなのだろう。
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