「その...体は、お腹は大丈夫なのか?」
「ふふ、心配性ですね大丈夫ですよ」
私が質問すると、扉の向こうの彼女が微笑む声がした。
その声は随分と余裕そうだ。
「いつお腹が緩くなるか、怖いぐらいです」
余裕ではないらしい。
意味のわからない現状にため息が出る。
記憶にはないが参加している夢の中の裁判の認識。今いる場所が夢の中である自覚。そして死んだはずの友人との再会。
信じられないような事象の連続だが、そんな友人との再会の場所がトイレの個室の扉越しという、どうも締まらない状況のせいで緊張感というか危機感というか…そうだ。いうならばシリアスを一切感じないのだ。
そのせいでどうも心が緩んでしまい、いつもの私らしさが出ていない気がする。
なんというか混沌とした現状に頭が痛くなる。
だが、それでも今この目の前の扉の先に彼女がいることには変わりはない。
「きみは….ユキなのか」
「いいえ。残念ですが違いますよ」
優しく私の言葉は否定される。
だが、それでも私は食い下がる。
「君の声、喋り方、その全てが君がユキだと私の記憶は言っている」
「それはそうでしょう。月代ユキの全ての記憶を私は持っていますから。勘違いしてもおかしくありません」
「だが…」
「それよりも別の話をしましょう。例えば、先ほどからノアの声がしませんが彼女はどこへ?」
今このトイレ周辺には私とユキしかおらず、ノアの姿は見えない。
ユキかユキではないか。先にその答えを突き詰めたかったが、このまま黙られても困るがゆえに、私はユキの質問に答えた。
「ここに来る前に、良いアイディア浮かんだからお絵描きする。といってどこかへ行ったよ」
「それは大丈夫ですか?また好き勝手に変な場所に落書きをするのでは?」
「そうだとしても、ここは夢の中だ。どこにらくがきしても….いや、それが癖になって現実でもやり始めたらまずいな…」
私は一つの可能性に気がつき眉を顰める。
やはり引き止めた方が良かったのではないだろうか。先ほどの自身の決定に少し後悔しているとクスクスと笑う声が聞こえる。
「随分楽しそうだな」
皮肉をこめた私の言葉はすぐに打ち返された。
「楽しいですよ。昔の貴方達と違った貴方達を見れて」
「...貴方達?」
なぜ『達』なんだ?ノアの事を言っているのか?
それとも何か別の意味でも…
新たな疑問が頭に浮かぶが、私はそれを振り払い頭の隅に移動させた。
確かに腑に落ちないが、ユキの言動一つ一つ疑問を投げかけては時間がいくらあっても足りない。
ユキは中学の時からいつもポヤポヤと現実離れしていた。それが人間ではなく大魔女だったからなのは今は理解しているが、浮世離れしていたとしても突飛な行動は彼女元来の性質なのだろう。彼女の行動、一つ一つ気にしていては話が進まない。
まずは聞かなければならない事を聞かねば。
そう考え私は口を開き…ある考えが頭に浮かぶと同時に口を閉じた。
そうだ、私は慎重にユキに聞かなければならない
どうやって聞く?どこまでが許される?
尋ね方ひとつ間違えれば彼女の乙女心を殺してしまう行為を引き起こす。
質問一つ尋ねるために、友人がうめき声をあげてトイレを流す。
それは一体なんの拷問だろうか?こう言う時に音姫を全てのトイレに実装していてほしい。いやそうじゃない。そうならないためにしなければならないという事だ。
だが、いったいどんな質問をする?どこまでが罰を受ける範囲になるかなんて検証もしていない。もういっそ、乙女心を犠牲にしてもらって質疑応答をする?トイレにいるからベッドを濡らす事もない。私とユキだけの秘密にしてしまえばそこまで乙女心を傷つけなくても済むのでは?何を馬鹿な事を。もう彼女は死んでいるから乙女心もない?馬鹿を言うな。死んでいても友人を辱めれるわけがない。それに他者の乙女心を踏み潰す人間は自身の乙女心を大切にできない。大切にできない人間は自身の乙女心を容易に汚してしまう人物になるだろう。
友人のためにも私のためにも、私はそんな行動を安易に行うことができるわけがない。
だが、どう聞く?何を聞く?何から聞く?
頭の中を回転させ最適解の言葉を探す。1秒2秒と時間が過ぎる。
そんな数秒が待てなかったのか、扉の向こうから声をかけられた。
「どうやらネタバレの基準は『名無しの魔女』の裁量次第です。ですから明確な基準は分かりません。あんまり気にしすぎるのは無駄だと思いますよ?」
そんな曖昧なユキの言葉に私は反論した。
「気にしすぎるなとはいうが、君を害する可能性がある行動を易々と行えるわけがないだろう?私の行動や言動一つ一つが君を苦しめる可能性がある」
「そうですね。私が苦しむかどうかは貴方の裁量次第という事です」
「だから、さっきからそう言っているだろう?」
私がそう言うとクスクスと昔聞き慣れた笑い声が再び聞こえる。
自身が危ない状況である事を気にもしていないような笑い声。
危機感が本当にあるのだろうか?
そんな旧友の笑い声に思わず顔を顰める。
それを察したのか、笑い声が止み、扉越しに声が聞こえる。
「ふふっ。だから考えすぎですよ。でも何も聞かないわけには行かないでしょう?あなたは色々と私に聞きたいはずです。例えば私と『名無しの魔女』との関係や、マーゴとの関係とか」
「教えてくれるのか?」
「教えますよ。疑っているのですか?」
「さっきマーゴにいいように誤魔化されてな」
「マーゴならやりそうですね」
楽しそうにユキが言う。
自身が粗相する可能性を恐れもせず彼女はつらつらと喋っていく。
怖くないのだろうか?それとも既に便器の上に座っているから恐怖心がなくなっているのだろうか。
そんな普通では考えないような考えが頭に浮かぶ。
「私はマーゴと違って教えますよ」
「教えられる範囲でいい。無理して罰を受けるのはやめてくれ」
「ふふっ。やさしいですね」
「私は君のためを思って言っているんだ」
「ありがとうございます。それで『名無しの魔女』との関係や、マーゴとの関係でしたね」
私の忠告を無視してユキは話を進める。
その姿勢に物申したいが、いくら言おうがユキが話すのをやめるとは思えない。
私は黙って話を聞くことにし、私が喋らないことを確認したユキは話始める。
「私は、そもそも裁判の進行を円滑にするために動いています。例えばルールを参加者に教えたりですね」
「ルールを教える?」
「はい、マーゴに伝えました」
「マーゴに?」
「そのおかげでマーゴ経由で皆にルールが広まりました」
なるほどな。ユキの説明で納得する。マーゴは処刑後次の日の朝にはユキと合流している。その時にルールを聞き、次の裁判で皆に情報を広めたのだろう。
だからその後の裁判はスムーズに進んだのだと思う。
「ということは、君は完全に中立の立場ということか?」
私が聞くと、いいえというユキの声が聞こえた
「私は、私の好みでどちらにも協力しています」
「好み…」
「そう、ただ偏りがないように。片方に協力したらもう片方にも協力しますから安心してくださいね」
「全く安心できないな」
敵対者に協力していると自供している相手に安心できるだろうか。いや安心できない。
敵にも味方にもなるかもしれないしなっているかもしれない存在の登場に思わず顔を顰める。
そんな私の雰囲気に気がついたのか、ユキは言う。
「あら?拗ねているのですか?」
「拗ねる拗ねないの問題ではない。敵対者に協力していると堂々と言われたらこうもなる」
「確かにそれはそうですね。ですが、私は貴方達が相手側に隠れて色々とやっていても無視します、ですので安心してください」
「その言葉をどう信じろと」
「私と貴方の関係でしょう?信じてくれないのですか?」
楽しそうなユキの声。思い出すのはユキ、エマ、私の3人の記憶。
まったく、その言葉はずるいだろう。その言葉をこの記憶をワタシは否定できない。
私はため息をついた。
「信じているかいないかでいれば信じている」
「ありがとうございます。うれしいですよ」
扉越しでもユキが満面の笑みでその言葉を吐いたのがわかるほどの声色。
まったく
「…ユキ君は昔から」
「だからユキではありません。進行役です」
ピシャリとユキは私の言葉に割り込んできた。
まるでそれだけは間違えてはいけないと忠告するようなその言葉に思わず私は口をつぐんでしまうが、もう一度口を開いた。
「進行役?君はユキだろう?」
「違います。私は大魔女の残滓であり、この夢の魔法に取り込まれた存在です。確かに大魔女の記憶を持ち、大魔女と同じ感性をもっていますが、決してユキではありませんよ」
「君はユキの姿をして、ユキの声を持ち、ユキと同じ記憶を持っている。それはユキではないのか?」
「でしたら、『名無しの魔女』や『成り代わりの魔女』に成り代わられた彼女らもその人物と言えるのでしょうか?」
「それは…」
「『魔女』に成り代わられた時、成り代わり先の記憶を知ることができます。ほぼ同一人物と言っても良いかもしれません。ですが、それは元の人物とは別人である。そう貴方は考えるのでしょう?」
「——確かに私はそう考えている。だが、成り代わられた場合と君とでは違うだろう」
「ほぅ。何が違うのですか?」
「成り代わりは記憶を引き継ぐ。だが『目的のために他者に成り代わっている』という『魔女』の持つ前提がある。それだけじゃない、感性や感情も成り代わり先の人物とは別のはずだ。それらの問題点があるがゆえに、記憶も持ち完全に模倣できたとしても、成り代わりには絶対にどこかでボロがでる。ゆっくりと確実に、成り代わられている人物がいつもと違うという事を周りが気がつくはずだ」
「….」
「対して君は最初からユキだ。その記憶も、感情も、感性も、喋り方だって、私の友人のユキそのものだ。だから、欠片だったとしても残滓だったとしても、私は君をユキだと思う」
「それは、貴方の願望ではないのですか?」
彼女の問いかけに喉が詰まる。
確かにそうだ。彼女自身がユキである事を否定しているのに、私が彼女の存在を定義するのは正しくはない——だが
「その通り私の願望だ。——だが、これが夢ならばそれを願ってもいいじゃないか」
ポツリと、心からの言葉が口からこぼれる。
そのままポロポロと自然に言葉が溢れていく。
「ユキ、ワタシはまた君と語り合いたい。遊びたい。触れ合いたい。それがもう無理なのだとしても。この夢でぐらい、無くした物に手を伸ばし触れ合いたいんだ….」
そんなワタシの言葉は静寂の中に溶けていった。
先ほどまで聞こえていたクスクスという笑い声すら聞こえない。
静かな夕暮れが窓から私を照らし、今この場が2人だけなのだと強調している。
静寂が、その場の雰囲気が、今私が柄ではない言葉を喋った事を自覚させる。
なにか…なにかしゃべってくれ。
少しずつ恥ずかしくなり、耳が赤くなっている事を自覚する。
そんな時だった。
「それが、貴方の願望ですか?」
ポツリとつぶやかれたその問いは、静かに染み渡るようにワタシの心に染み込んできた。
この声を私は知っている。魔女裁判が行われていた時、ユキが皆を『魔女』へと突き落としていた時と同じような声。ただ前と違うのは、唆すような、煽るような声ではない。
まるで、ワタシに確認するかのようにその言葉は紡がれた。
「無くした物に手を伸ばしたい。それが貴方の願いですか?」
再度、問いかけがなされる。
この問いかけが何を意味するのかはわからない。
だが、ワタシは自然とその答えを口にしていた。
「ああ、それがワタシの願いだ」
私はそう言い切る。
ガチャリと目の前の扉の鍵が開く音が聞こえた。
私は何も触っていない。ならば開けたのはトイレの中にいるユキなのだろう。
先ほど、この場所に移動する際、ユキが先行してトイレに篭り、私は遅れてこの場所に着いた。それはユキと鉢合わせるのを避けるためであった。
ゆえに私はユキの姿を見ていない。今の今まで姿も見ず扉越しに話をしていた。
だが今そんな扉が開いたのだ。
ジリジリと扉が開いていく。私は呆然としながらその動きを見ることしかできない。
そうして扉がわずかに開いた時、個室の中から腕が伸びてきた。傷ひとつシミひとつない色白な腕。ユキの腕がそこにあった。
そしてその腕には一つの物体が摘まれてあった。
白く円柱状のそれ。厚紙で作られているのだろうある程度の耐久力がありそうなそれ。
とても見覚えのあるそれ。
そんな物を片手に持って、半開きの扉から腕のみ外に出している。
今まで生きてきた中で何度かその光景を私は見たことがある。
「ユキ…」
「進行役です」
「…ユキ、その腕のものは?」
「進行役です。これはトイレットペーパーの芯です」
「なぜそれを?」
「・・・」
「・・・」
「・・・トイレットペーパーが無くなったので新しく取りに行ってくれません?」
「・・・予備は?」
「なさそうですね」
「・・・・・・はぁ」
先ほどまでの問答はなんだったのか。
私はため息をつく。再び辺りの空気が緩まり始まる。
そんな空気の変化に気がついたのか、ユキの腕は早く持っていってくれというようにプラプラと二本の指でトイレットペーパーの芯を掴み手遊びを始める。
ゴミで遊ぶのは良くない。
心の赴くままに無言でユキの手からゴミを奪い去る。
するとユキの腕は、ありがとうとでもいうようにバイバイと手を振ると。そのまま扉を閉じた。
もう触れ合うことができないと思っていた友とのふれあいはトイレットペーパーの芯を介して行われた。
私はなにをやっているのだろうか。
思わず深い深いため息をつく。
「あら?どうやらお疲れのようですね?」
能天気なユキの声。一連の流れで感情がぐちゃぐちゃになりながら私はなんとか返答した。
「空気感の違いで風邪をひきそうだ」
「体は大事にしないといけませんよ。私と違って死んでいないのですから」
「冗談でもそういった事を言うのはやめてくれ…」
「あら、面白くなかったですか?」
「ああ…面白くない」
ワタシはそう言って、扉に背を向けた。
確かトイレットペーパーの在庫は倉庫にあったはずだ。
トボトボと私は歩みを進める。
数歩歩いた時、背中越しに声が聞こえた。
「ゆっくりでいいですよ。のんびり待っていますね」
「トイレットペーパー1つや2つぐらい常備している。すぐ戻ってくる」
私は端的にそう伝えると倉庫に向かって足を動かした。