ある日のトレーニング後。オグリさんから何度目かわからない衝撃な言葉を聞いた。
「え、は、マジ?」
「本当に申し訳ない…!」
「ごめんレイ!まさか被ってるとは思ってなくて…」
拝啓。今私は、オグリさんとスズの2人から土下座されてます。トレーナー室の中なので他の人に見られる心配はないけど、流石に気分が悪い。理由が理由だけどそこまでしなくていいからね!?
慌てて2人を起こすと、椅子に座らせて話し始めた。
「いやぁ…。まさか宝塚記念が私のメイクデビューと全く同じ日にやるとはねぇ…」
「GⅡは勝ってて賞金足りてるし出てみよって思って出走登録したら、ちょうどその日にレイのメイクデビューがあったのよね…。私の確認不足ゆえ、腹を切ろう」
「介錯は任せろ」
「何でそこで乗っちゃうの!?止めてよ!」
少しおふざけが入ったが、割と問題だ。トレーナーは、レース直前のミーティングやその後の体調管理、インタビューの対応、問題が起こった場合の対応など、やらなければならない事が多い。
それ故に、トレーナー不在というのは厳しいものがある。
「他のトレーナーは無理でしょうし、かと言って私のことちゃんと知ってる人なんて、せいぜいウララさんのトレーナーくらい。もうメイクデビューずらすしかないでしょ」
「む、すまない。電話がきたから一旦離れる」
そう言ってオグリさんは一旦トレーナー室から出て、電話に出た。
その後もスズと私はしばらくこの先どうするか話していた。デビューをずらすとトレーニングや出走計画が全部ずれるし、かといって出ると問題が起こった時に対応できなくなる。
2人で頭を捻っていると、電話が終わったのか、オグリさんがトレーナー室に戻ってきた。そして開口一番、耳を疑うような事を言った。
「レイ、メイクデビュー戦出れるぞ」
私とスズは揃って「はぁ?」と言ってしまった。私に関しては、遂に頭イカれちゃったのかとも思った。
だけど、すぐにその誤解は解けた。代わりに私たちは怒る羽目になった。
「ルドルフがトレーナーの代わりをやってくれるそうだ。あ、トレーナー免許は持ってるから問題ないとのことだ」
「ルドルフ?ルドルフって、シンボリルドルフ?」
「……多分、というかほぼ絶対、そう」
私が苦虫を噛み潰したような顔をしながらそう言うと、トレーナー室に、いや周辺の廊下や教室にスズの驚愕の声が響き渡った。
慌ててスズを諌めると、スズはまだ混乱しているのか、「シ、シンボ、シンボリルドルフ…」とうわ言のように呟き始めたので、とりあえずオグリさんと話し合う事にした。
「色々聞きたいけど、まず1つ。何でルドルフさん呼んだ?」
「トレーナー免許を持っているし、レイのことも知っている。
「まぁ、確かにね。中央のトレーナーだと難しいから、まあ。今回はオグリさんが正しかったや」
「む、普段は間違っていると思われているのは心外なんだが」
「少なくとも普通の人は、組織のトップやら会社のトップやらを私情ですぐに動かす事はしないのよオグリさん」
そんな話をしていると、スズが正気を取り戻したようで、オグリさんの胸倉を掴んで前後に揺らしながら、「なんでいきなりそう言う事するんですか!!」とキレていた。
私が何とかスズを諌めると、話を本題に戻した。
「じゃあ、メイクデビューはルドルフさんがトレーナーの代わりに来てくれるのね?」
「ああ。日程も伝えてあるから大丈夫だ」
「メイクデビュー頑張れ〜」
「まあ自分のレースよりも私のレース心配するくらいだからね。宝塚記念負けたら笑ってやるわ」
「レイ最近辛辣じゃない?」
そんな話をして、その日は解散した。
その後、スズは宝塚記念、私はメイクデビューに向けて、トレーニングを始めた。
*
そんなこんなで今日はメイクデビュー当日。
このメイクデビュー戦。それはウマ娘にとって大きな意味を持つ。
トゥインクルシリーズの最初のレース。つまり、このレースに出場することによって、長い戦いに身を投じることになる。出発点なのだ。
デビュー戦に勝つことで、pre-opやop、GⅢなどのレースに参加する権利を得られる。
逆に言えば、勝てなければ一生トゥインクルシリーズには参加できない。未勝利戦という敗者復活的なシステムはあるが、それでもレース計画は狂い、参加したかったレースに参加できないということも起こり得る。
そんなメイクデビュー戦。事前に発表された出走者10人の中で、注目されているウマ娘が4人いる。
1人目。サクラフブキ。3番人気。
サクラの名を冠するウマ娘。
この前廊下ですれ違った時に側から見てわかるほど警戒、威嚇してきた。
ただトレーニングを見るとその走りは一級品で、持久力もスピードもある。だからそれを活かした逃げを使ってくるんじゃないかと思う。
2人目。ホワイトウィング。1番人気。
家自体は普通の一般家庭らしいが、野良レースを走っていたところをスカウトされたというウマ娘。
トレセン内ではトレーニングの時間帯に大声を出しながらデカいタイヤを引いているウマ娘として認識されている。
ただそれをできるパワーは無視できるものではない。今日のコースの内ラチは荒れているけれど、それを突っ切ってくるかもしれない。
3人目。ニューオーダー。2番人気。
人呼んで『最速の委員長』。何に対しても全力で取り組む、ある種模範となるウマ娘。
『速さなら負けない』と自負しているらしく、トレーニングもひたすらスピードを鍛えているとのこと。ただスタミナがどれだけあるか未知数だから、大逃げをされると厳しいかもしれない。
4人目。ファントムレイダー。10番人気。
うっそだろ。悪評ってこんなとこまで広まんのかよ。
まあ人気に関しては仕方ないと諦めている。デビュー戦は思っているよりも家柄が重視される。
そこにトレセン生からの悪評がプラスされたら…ね。
ちなみに、10番人気ということもあって他のウマ娘には一切警戒されていないらしい。それはそれで悲しい。泣くぞ。精神年齢前世足して40越える女が衆目気にせず泣くぞ。
「あー、ファントムレイダー?悲観しすぎるな。大丈夫だ。オグリに教えてもらったことを思い出してレースに挑め」
オグリさんの代わりに来てくれたルドルフさんが、優しい口調で慰めてくれた。
さて。そろそろ
顔をパン、と勢いよく叩いて、一般人のファントムレイダーから、レースに出る
「あー、あー。俺がファントムレイダーだ。よし。こんな感じでいっか」
「以前から聞いてはいたが、演技力はあるんだな。」
「ルドルフもわかるだろ?社会で生きてくためには外面だけでも演技は要るんだよ」
「……君は本当に中等部なんだよな?まあ、緊張しすぎてガチガチになるよりはいい。そろそろ時間だ。悔いのないレースを」
「了解」
それだけ話して、私は控え室から出て、パドックへの道を歩いていった。
*
パドックへ向かうと、そこには私含めて10人のウマ娘が居た。
全員が殺気だった表情をしている。その中で、私に向かって睨みつけてくるウマ娘がいた。
ニューオーダー。トレセン学園の中で『最速の委員長』と言われているウマ娘だ。ニューオーダーさんはストレッチを終えて立ち上がると、私の真正面に立った。
「貴女がファントムレイダーですね」
「そうだけど。何?用がないなら俺もストレッチとかしたいんだけど」
「私は見ましたよ。貴女がスズノミレイさんとオグリキャップさんに土下座をさせている所を」
うっわ最悪。よりによってあれ見られてたのか。誤解が加速する。
ってか凄いな。みんなアップしてたのに土下座ってワードが聞こえた瞬間みんな私の方向いてくるじゃん。やめて!本当に誤解なの!
だけど、私はここでは
「うん。で、それが?」
「なっ…。貴女は自らのトレーナーとチームメイトを土下座させておいてなにも思わないのですか!!」
「まあ向こうが悪いからな」
ニューオーダーさんの声は大きく、観客席の一部にも届いたようで、観客席が少しざわつき始めた。
私は観客席の方をチラッと見たあと、正面のニューオーダーさんに視線を戻す。
「たとえ相手が悪くても、土下座をさせるほどのことだったのですか」
「あれはアイツが今日と被っとる宝塚記念に出走登録したからや。前々から決まっとったのに向こうが被せて来たもんで、相応の誠意っちゅうもんを見せてもらっとっただけじゃ」
「……貴女は、救いようがありません。せいぜい、今日のレースで負けて目を覚ますことです」
ニューオーダーさんはそれだけ言い残すと、私から離れてまたアップを始めた。
凄い誤解と勘違いをされました。どうもファントムレイダーです。
いやまあ、事実を少し盛って口調悪くして言っただけなのに、まさかこうなるとは。こうなって欲しかったから別にいいけど。
パドックから移動して、ゲートに向かう。
私は10番。大外枠だ。逃げだと不利だけど、私は差しでいくから関係ない。オグリさんが教えてくれた差しの走り方を、今ここで実践する。
ターフは少しぬかるんでいる。今日は晴れているけれど、昨日の雨が思ったよりも激しかったみたいだ。内ラチは使い物にならないって考えていいだろう。
『3番人気サクラフブキ。気合いは十分です。2番人気はニューオーダー。速いと言われているウマ娘です』
『春のファン感謝祭では凄まじい走りを見せてくれました』
『そして1番人気ホワイトウィング。勝って良い滑り出しを切れるでしょうか。着々とゲートインが進められております』
ゲートインが始まったけれど、私は1番最後だから、今のうちにコースを観察しておく。
最初の方に上りがあって、コーナーから直線になるところで下り。最終直線に上りがあるのか。
データでは見たことあるけれど、やっぱり実際に見るのとでは違う。
そんなことを考えていると、私の番になった。
『さあ、ゲートインが完了しました。メイクデビュー戦。中山芝2000m、今始まります』
全員が集中する。
ガタン、とゲートが開いた。
『さあ各ウマ娘一斉にスタートしました。ハナを切ったのは3番サクラフブキ。続いて6番ニューオーダー。1番人気ホワイトウィングは3番手についています』
私は今6番手についているけど…遅い。気のせいとかじゃなくて、スローペースのレースになっている。これはワザとなのか何なのか。
このペースだと差しきれないな。差しやめて先行にしよ。
『全体的にまとまったレース展開となっています。先頭集団は依然変わらず、おっとファントムレイダーが僅かに上がってきた』
『ゆっくりとしたレース展開ですね。どのタイミングで抜け出すのかが重要です』
ん?ニューオーダーが落ちてきた。スタミナ切れはあり得ないだろうし、何のためだ?
まあいいや、とりあえず今は前だ。
『第二コーナーに入りましたが依然ゆっくりとしたレース展開となっています。先頭は以前変わらずサクラフブキ。続いてホワイトウィング、ホロホロ、ファントムレイダー。ニューオーダーこの位置につけています』
本当にこのペースのまま走り続けるのか?いや、サクラフブキさんは全力で走ってないはず。なら4コーナーでスパートかけるのか?
なら、3コーナー終盤からロングスパートかけるか。
*
(この位置なら、ファントムレイダーの動きがよく見える)
ニューオーダーは、ファントムレイダーの真後ろにつけていた。
理由は2つ。1つはファントムレイダーのスパートのタイミングを正確に把握するため。そしてもうひとつは。
(ここなら、
ファントムレイダーを、転ばせるため。
ニューオーダーは、勝利への意欲が尋常ではない。文字通り、何をしてでも最終的に勝利した者が正義だと考えている。加えて、ファントムレイダーの発言と行動。一般人とはかけ離れた思想をしている彼女だが、一般常識は持ち合わせている。
いくらニューオーダーでも、チームメイトやトレーナーに強くあたったり、土下座を強要させるようなことはしない。
故に、ファントムレイダーは勝者に相応しくないと判断した。
スローペースのまま、レースは第3コーナーに差し掛かる。
追い込みのウマ娘たちが加速し始め、一部の順位が入れ替わる。ここで、サクラフブキが加速し始めた。
『おっとサクラフブキ加速する!スローペースがここで効いてくるか!?』
『スタミナ切れの心配はないでしょう。追い込みのウマ娘は少々不利になりそうです』
ファントムレイダーが外の様子を伺っている。タイミングを見て、外に出て加速するのだろう。
ニューオーダーはすかさず、ファントムレイダーの髪があたるほどの位置まで急接近した。
そして第3コーナー終盤。
(ここだ)
ファントムレイダーがスパートの兆候を見せた。
ニューオーダーはそれを見て、すかさず軸足のかかとを踏みにいく。
(怪我するのは可哀想だから、靴脱げたって理由で競走失格にしてやる)
ニューオーダーはニヤリと笑いながら、ファントムレイダーのかかとを踏む。これで競走失格だと、余裕をこいていた。
ただ、誤算があるとするならば。
(いっ……え?)
ファントムレイダーが、悪意に気づいていたことか。
*
ニューオーダーさんが落ちてきた時から、何か仕掛けてくるんじゃないかと薄々感じていた。
ニューオーダーさんのスピードなら、わざわざ落ちてこなくても逃げ切れるくらいの力はあるはずだから。
まさかかかとを踏んでくるとは思わなかったけれど、そのおかげで妨害の証拠にはなった。
かかとを踏まれた瞬間、私はその足を振り上げた。その影響で、ニューオーダーさんの足は上に振り上がったから、何かあったのか、少なくとも審議はされるだろう。
そのまま、オグリさんに教わった超前傾姿勢でスパートをかける。まあオグリさんほど前傾姿勢になれてないから、超前傾姿勢
『サクラフブキ、グングンと上がっていく!それを追いかけるホワイトウィング、内ラチを突っ切ってきた!おおっとここで大外からファントムレイダーが上がってくる!』
サクラフブキさんはスピードはそこまで速いというわけではないけど、少しずつ加速している。ホワイトウィングさんはやっぱり内ラチを突っ切ってきた。ただスタミナは削られているはず。
私はそのまま加速して、ホワイトウィングさんと追い比べをする。
ただ、やっぱりホワイトウィングさんはスタミナを大分消費したのか、息が荒くなっている。
『最終コーナーを回って直線に入る!ここから上り坂があるが、ホワイトウィング、スタミナは大丈夫か?』
『内ラチ付近は大分荒れていましたからね。スタミナは削られているでしょう』
中山レース場には、最後に坂がある。見る限りホワイトウィングさんに坂をこのスピードで登るスタミナはなさそうだ。
前のサクラフブキさんとは、3バ身ほど離れている。だが、その差も徐々になくなってきている。これなら、坂で勝てる。
その時だった。
「ファントム、レイダーァァァァァァ!!」
『おおっとニューオーダー凄まじい加速だ!一気に先頭争いに混じった!』
ニューオーダーさんが、加速してきた。
負けじと私も加速する。幸運なことに坂は嫌になる程走り続けてきたおかげで、加速するのは容易だ。サクラフブキさんは坂で加速を維持できず、すぐに抜かした。
坂が、終わった。
あと100m。
『ニューオーダー凄まじい追い上げだ!先頭のファントムレイダーに迫っていく!』
ニューオーダーさんは外から内に走りながら私を追いかけてくる。
私も負けじと加速する。
あと、50m。
目の前に、ニューオーダーさんが現れた。
あと、30m。
ニューオーダーさんを避けて、加速し始めた。
あと、10m。
もう少し、もう少しで…!
『大接戦でゴール!1着はニューオーダー!』
あと少し、追いつけなかった。
あと10mあれば。ハナ差を覆せたかもしれない。
でも、結局それは仮定の話。私は、負けたんだ。
そのままサクラフブキさん、ホワイトウィングさんとゴールしてきた。
2人は私を見て、軽蔑しているような、心配しているような視線を向けてきた。まあ、あんだけ大口叩いておいて結局負けてるんだからな。
少しして、相変わらず警戒しながらサクラフブキさんが近寄ってきた。皮肉でも言ってくるんだろうか。今の私は酷い顔をしているだろうから、それをバカにしてくるかもしれない。そう考えながらサクラフブキさんを見ると、おずおずと話し始めた。
「あの…掲示板見てください」
なに?2着ってことをそこまでして認めさせたいのか?まあ流石にそれは卑屈だろうが、仕方なく掲示板を見る。
そこには、本来あるはずの『確定』という文字はなく、代わりにあるのは青く光った『審議』の文字だった。
「え、審議?どこが?」
「おそらく、最後のニューオーダーさんの走りが斜行と取られたのではないかと」
ああ。斜行か。確かに最後のやつは邪魔だったから、斜行になるかもしれない。
私は、そのあとずっと掲示板を見ながら待っていた。けれど、待てども待てども、『審議』の文字は変わらず、アナウンスが起こることもなかった。
10分ほど経った頃だろうか。ルドルフさんが、ターフの中にやってきた。
「ファントムレイダー。斜行判定と、その前のコーナーでの出来事について、中で会見を行うそうだ」
「コーナーでの出来事?」
「コーナーの途中、ニューオーダーの脚が上に跳ね上がったタイミングがあった。そこも審議の対象となったらしい」
「あそこもなのか。まあいい、そこで順位がわかるんだな?」
「ああ。会見の場所まで案内しよう。着いてきてくれ」
ルドルフさんにそう言われ、私はターフを後にした。
この泥試合の決着がつくまで、あと少し。
今回の話とは一切関係ないですが、ハルウララ号が亡くなったみたいです。
29歳の大往生、ご冥福をお祈りします。